柳家さん吉
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柳家さん吉定紋「かたばみ」 | |
本名 | |
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生年月日 | 1938年1月18日 |
没年月日 | 2022年2月15日(84歳没) |
出身地 | 日本・新潟県五泉市 |
死没地 | 日本・東京都 |
師匠 | 五代目柳家小さん |
名跡 | 1. 柳家小二三 (1957年 - 1960年) 2. 柳家小三郎 (1960年 - 1962年) 3. 柳家さん吉 (1962年 - 2022年) |
出囃子 | 楠公 おはん |
活動期間 | 1957年 - 2022年 |
配偶者 | あり |
家族 | くれい響(次男) |
所属 | 落語協会 |
公式サイト | 柳家さん吉 - 落語協会 |
柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉2月15日[1])は、落語協会に所属していた落語家。新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)[1]。
経歴
[編集]新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門[2]、柳家小二三を名乗[1]り内弟子修行[3]。
1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名[1]。1962年、さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている)
1973年3月、三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。
サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。
2022年2月15日午前10時、心不全のため東京都内の病院で死去[4][5]。84歳没。訃報は死去から4日後の2月19日に落語協会から発表された[1][4]。
芸歴
[編集]人物
[編集]1969年4月から1970年6月まで『笑点』の大喜利メンバーを務め[1][6]、その後は『アフタヌーンショー』(NET系)、『サントリー出前寄席』(文化放送)、『お助け同心が行く!』(テレビ東京、1993年4月期に放送)でもレギュラーを務めた[1][6]。
一方で寄席でも落語を演じることは少なかった[6]。『笑点』出演時代から大の写真好きとして知られていた[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h “落語家の柳家さん吉さん死去 84歳 「笑点」大喜利メンバー 時代劇「お助け同心が行く!」レギュラーも”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2022年2月19日) 2022年2月19日閲覧。
- ^ “柳家さん吉さん死去 84歳 69年「笑点」レギュラー、テレビでも活躍”. デイリースポーツ online (2022年2月20日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “平成20年6月1日(日)”. goo blog. 2022年5月7日閲覧。
- ^ a b “柳家さん吉 訃報”. 落語協会 (2022年2月19日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ 「落語家の柳家さん吉さん死去」『時事ドットコムニュース』2022年2月19日。2022年2月20日閲覧。
- ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』121ページ