コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

柳家さん吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳家やなぎや さんきち
柳家(やなぎや) さん吉(きち)
柳家さん吉定紋「かたばみ」
本名 榑井くれい 昌夫まさお[1]
生年月日 1938年1月18日
没年月日 (2022-02-15) 2022年2月15日(84歳没)
出身地 日本の旗 日本新潟県五泉市
死没地 日本の旗 日本東京都
師匠 五代目柳家小さん
名跡 1. 柳家小二三
(1957年 - 1960年)
2. 柳家小三郎
(1960年 - 1962年)
3. 柳家さん吉
(1962年 - 2022年)
出囃子 楠公
おはん
活動期間 1957年 - 2022年
配偶者 あり
家族 くれい響(次男)
所属 落語協会
公式サイト 柳家さん吉 - 落語協会

柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年昭和13年〉1月18日 - 2022年令和4年〉2月15日[1])は、落語協会に所属していた落語家新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)[1]

経歴

[編集]

新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門[2]柳家小二三を名乗[1]り内弟子修行[3]

1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名[1]1962年さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている)

1973年3月、三升家勝彌橘家圓平三遊亭さん生三代目吉原朝馬柳家小のぶ柳家かゑる三升家勝二桂小益林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。

サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。

2022年2月15日午前10時、心不全のため東京都内の病院で死去[4][5]。84歳没。訃報は死去から4日後の2月19日に落語協会から発表された[1][4]

芸歴

[編集]

人物

[編集]

1969年4月から1970年6月まで『笑点』の大喜利メンバーを務め[1][6]、その後は『アフタヌーンショー』(NET系)、『サントリー出前寄席』(文化放送)、『お助け同心が行く!』(テレビ東京、1993年4月期に放送)でもレギュラーを務めた[1][6]

一方で寄席でも落語を演じることは少なかった[6]。『笑点』出演時代から大の写真好きとして知られていた[6]

次男は映画評論家くれい響

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h “落語家の柳家さん吉さん死去 84歳 「笑点」大喜利メンバー 時代劇「お助け同心が行く!」レギュラーも”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2022年2月19日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/02/19/kiji/20220219s00041000337000c.html 2022年2月19日閲覧。 
  2. ^ 柳家さん吉さん死去 84歳 69年「笑点」レギュラー、テレビでも活躍”. デイリースポーツ online (2022年2月20日). 2022年2月20日閲覧。
  3. ^ 平成20年6月1日(日)”. goo blog. 2022年5月7日閲覧。
  4. ^ a b 柳家さん吉 訃報”. 落語協会 (2022年2月19日). 2022年2月20日閲覧。
  5. ^ 落語家の柳家さん吉さん死去」『時事ドットコムニュース』2022年2月19日。2022年2月20日閲覧。
  6. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』121ページ

外部リンク

[編集]