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2016年6月8日 (水) 01:20時点における版

小林 雄一 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム こばやし ゆういち
ラテン文字 Yuichi Kobayashi
国籍 日本の旗 日本
競技 トラック競技 (短距離走)
種目 200m
所属 NTN陸上競技部
大学 法政大学
生年月日 (1989-08-25) 1989年8月25日(35歳)
出身地 東京都板橋区
身長 172cm
体重 60kg
成績
世界選手権 200m 予選7組4着 (2013年)
4x100mR 予選2組4着 (2011年)
地域大会決勝 アジア選手権
200m 5位 (2013年)
4x100mR 2位 (2013年)
国内大会決勝 日本選手権
200m 2位 (2013年)
自己ベスト
100m 10秒38 (2016年)
200m 20秒46 (2013年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア選手権
2011 神戸 4×100mR
2013 プネー 4×100mR
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小林 雄一(こばやし ゆういち、1989年8月25日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走200mの自己ベストは20秒46。2011年大邱世界選手権2013年モスクワ世界選手権の日本代表。

経歴

東京都板橋区出身。O型。保善高等学校法政大学卒業。NTNの陸上競技部所属。

高校生時代まで

父親は陸上のインターハイ400mチャンピオン。母親は陸上の200m元日本記録保持者で、1979年アジア選手権の200mと4×100mリレーで金メダルを獲得した貝原澄子(旧姓)[1]。姉も弟も陸上選手という陸上一家で育つ。しかし、本人は小中学校時代は陸上に興味がなく、小学生の時はサッカーと水泳、中学生の時は硬式テニスをしていた。硬式テニスは全くの初心者から始め、3年の時に「都でベスト16くらい」の実績を残したという。中学3年の時に偶然観に行った陸上の大会で保善高校の監督から誘いを受け、高校から陸上を始めることとなった。最初の頃は練習を抜けることばかり考えていて、高校時代は一応陸上を続け、卒業後は昔からの夢だった美容師になるために専門学校に進もうとも考えていた。しかし、陸上を始めてから半年後に出場した国体少年B200mで8位に入る。この時に初めて悔しい気持ちになり、負けず嫌いの性格に火がついた。2年時には日本ジュニア選手権200mで2位に入り(優勝した石塚祐輔と0秒15差の2位)、インターハイは200mで8位に入った。3年時にはインターハイの100mと200mを制して短距離2冠を達成すると、国体少年A100mと日本ジュニア選手権200mも制した。

大学生時代

2008年4月、法政大学に進学。

2008年7月、世界ジュニア選手権に出場。100mは予選敗退に終わったが、4×100mリレーではアンカーを務めて4位入賞に貢献した。

2009年6月、日本選手権200mに初出場を果たし、決勝では20秒79の自己ベストをマークして6位入賞を果たした。

2010年9月、日本インカレ200mにおいて、世界ジュニア選手権200m金メダリストの飯塚翔太を破り初優勝を果たした[2]

2011年5月、関東インカレ200mで20秒59を記録し、2011年世界選手権のA標準を突破した。

同年6月、日本選手権200mの予選で再び20秒59を記録し、決勝は2位の齋藤仁志と同タイム(20秒62)の3位に入った。この結果を受けてアジア選手権日本代表に選出され、シニアで初めて日の丸を背負うことになった[3]

同年7月、アジア選手権の200mと4×100mリレーに出場。大会2日目の4×100mリレー予選では1走を務め、予選2組1着の決勝進出に貢献した。しかし、大会3日目の200m予選で足を攣り、大会4日目の4×100mリレー決勝は欠場した。大会終了後に世界選手権の日本代表に選出された。

同年8月、シニア初の世界大会となる世界選手権に初出場。出場した200mと4×100mリレーの両種目で予選敗退に終わった。

社会人時代

2012年4月、NTNに入社。

2013年6月、日本選手権200mに世界選手権B標準記録突破者として出場し、2年ぶりに決勝へ進出した。決勝では20秒46の自己ベストをマークして2位に入り、この結果を受けてアジア選手権と世界選手権の日本代表に選出された。

同年7月、アジア選手権に2大会連続で出場を果たす。200mは5位入賞。前回は予選のみの出場に終わった4×100mリレーでは、予選と決勝の両方で1走を務めて銀メダルを獲得した。

同年8月、世界選手権200mに2大会連続で出場を果たす。3着までに入れば着順で準決勝に進出だったが、結果は3着と0秒12差の4着に終わり、タイムでも拾われずに予選で敗退した。

2014年5月、ワールドリレーズ4×200mリレーに出場して1走を務めたが、日本は2-3走間のバトンミスが響き0秒12差で決勝進出を逃した。

自己ベスト

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風を意味する。

種目 記録 年月日 場所 備考
100m 10秒38 (+1.5) 2016年5月22日 日本の旗 新潟市
200m 20秒46 (+0.9) 2013年6月9日 日本の旗 東京都 三重県記録

主要大会成績

国際大会

大会 場所 種目 結果 記録 備考
2006 アジアジュニア選手権 マカオの旗 マカオ 200m 7位 22秒07 (-0.9)
2008 世界ジュニア選手権 ポーランドの旗 ブィドゴシュチュ 100m 予選 10秒97 (-0.7) 9組4着
4x100mR 4位 39秒89 (4走)
2011 アジア選手権 日本の旗 神戸市 200m 予選 32秒11 (+2.1) 3組7着
4x100mR 予選 38秒92 (1走) 2組1着 (決勝進出[4])
2011 世界選手権 大韓民国の旗 大邱 200m 予選 21秒27 (-1.1) 3組7着
4x100mR 予選 38秒66 (1走) 2組4着
2013 アジア選手権 インドの旗 プネー 200m 5位 21秒02 (+0.7)
4x100mR 2位 39秒11 (1走)
2013 世界選手権 ロシアの旗 モスクワ 200m 予選 20秒97 (+0.2) 7組4着
2014 ワールドリレーズ バハマの旗 ナッソー 4x200mR 予選 1分23秒87 (1走) 2組4着

その他

参考文献

  • マイプライバシー、『月刊陸上競技』第44巻第12号、講談社、2010年11月号、214頁。

脚注

  1. ^ 母に負けずリレー金を/陸上”. 日刊スポーツ (2011年7月9日). 2015年1月18日閲覧。
  2. ^ 小林雄一V!飯塚翔太が失速2位/陸上”. 日刊スポーツ (2010年9月12日). 2015年1月18日閲覧。
  3. ^ 男子400リレー順調に決勝進出/陸上”. 日刊スポーツ (2011年7月3日). 2015年1月18日閲覧。
  4. ^ 予選のみ出場。日本は決勝を39秒18で優勝
  5. ^ 予選のみ出場。保善高校は準決勝1組7着で敗退
  6. ^ 予選のみ出場。決勝の法政大学は40秒71の8位

外部リンク