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2016年6月8日 (水) 00:45時点における版
埼玉西武ライオンズ #51 | |
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2014年4月2日、QVCマリンフィールドにて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1988年9月13日(36歳) |
身長 体重 |
182 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、投手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2007年8月31日 |
年俸 | 1,600万円(2016年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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木村 文紀(きむら ふみかず、本名:木村 文和(読みは同じ)、1988年9月13日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手、投手)。
経歴
プロ入り前
埼玉栄高校では、1年時は主に外野手として出場し、2年時からエースとして活躍。2005年夏の埼玉県大会では決勝戦まで進出したが、斉藤彰吾らを擁する春日部共栄を相手に3点リードで迎えた9回表に2死満塁2ストライクから4番・靍岡賢二郎に走者一掃の3点適時三塁打を打たれ同点とされると、続く5番・射手矢大輔には適時二塁打を打たれ勝ち越しを許す[1]。9回裏に埼玉栄はチャンスを作るものの無得点に終わり敗退、甲子園出場はならなかった[1]。3年生時は埼玉県大会における優勝候補と評されながらも3回戦で市立川越高校に敗れ姿を消した。浦和学院・春日部共栄という「埼玉2強」の牙城を崩せず、甲子園出場経験はなかった。また、高校では2学年先輩に山崎憲晴、2学年後輩に白崎浩之がいた。
高校生時に最速148km/hの速球を持つ本格派右腕投手であるとともに[2]、通算33本塁打の長打力を兼ね備えたことから打者としてもプロから評価され[3]、埼玉県下のライバル投手と評された鷲宮高校の増渕竜義とともに2006年の高校生ドラフトにおける目玉選手として注目された。
同年の高校生ドラフト会議において、増渕竜義を1位指名したもののヤクルトスワローズとの競合の結果抽選で外した西武ライオンズから「外れ1位」として指名され、入団。背番号は41を与えられ、同じ背番号を付けた渡辺久信2世として期待された[3]。
プロ入り後
2007年は8月31日の楽天戦において中継ぎ投手として一軍初登板を果たしたが、6回10安打4四死球7失点(自責点4)と打ち込まれ、一軍登板はこの1試合のみに終わった。二軍においては同年の優秀選手賞を受賞、オフにはハワイ・ウィンターリーグへの派遣選手に選出された。
2008年は二軍では先発ローテーションを守り、イースタン・リーグ最多の111イニングを投げて経験を積んだ。しかし防御率5.34、6勝9敗、68四球、リーグワーストの10死球と結果を残せず一軍出場はなかった。オフに2年連続でハワイ・ウィンターリーグへ派遣された。
2009年は監督の渡辺久信から先発ローテーション入りを期待され、3月2日に行われたワールド・ベースボール・クラシック (WBC) 強化試合(対韓国戦)において先発投手として起用されたが、4回7安打3失点と結果を残せなかった。開幕後も一軍初先発を経験するなど積極的に起用されたものの、27.1イニングで37被安打を喫し、防御率は9点近い数字となり一軍に定着するには至らなかった。同年オフに登録名を「木村文紀」に変更[1]。
2010年は3月の二軍戦登板時に右肘を疲労骨折し、手術を行って以降はリハビリに終始した[4]。
2011年は二軍戦で開幕から好調を維持し一軍昇格が検討されたものの、同時期に交通事故(追突事故)に遭いむち打ち症を発症したことから昇格は見送られた[4]。その後一軍中継ぎ投手陣の不調に伴って7月8日[5]に一軍へ昇格したのち、投手コーチの小野和義から走者の有無に関わらず常にクイック気味にセットポジションから投球するよう指導を受け、課題とされた制球力が向上。7月31日にプロ初勝利を記録するなど[4]、自己最多の21試合に登板した。同年オフにはオーストラリア・ABLのメルボルン・エイシズに派遣され、1試合の先発登板を含む14試合の登板で1勝0敗、防御率5.32、WHIP1.50の成績を残した。
2012年は4月16日[6]に一軍登録され、中継ぎとして8試合に登板したが、5月23日[7]に二軍へ降格するとその後一軍での登板機会はなかった。また開幕直前に発症した腰痛の影響によって本来の投球ができなくなったこともあり[8]、9月5日の二軍戦登板を最後に[9]9月11日付で外野手へコンバートされることが球団より発表された[3][10]。同年オフには背番号が41から51へ変更された[11]。
2013年は野手転向後間もないながら一軍春季キャンプメンバーに抜擢された[12]。開幕は二軍で迎え、5月16日の日本ハムとの二軍戦(ファイターズスタジアム)においては大谷翔平から2本の場外本塁打を放った[13]。5月20日には左肩脱臼により戦線を離脱した坂田遼に代わって野手として初めて一軍登録され[14]、5月23日の対広島2回戦においてプロ初打席初安打を左翼フェンス直撃の二塁打で記録した[15]。5月28日の対DeNA1回戦において、1対1の同点で迎えた8回表に菊池雄星の代打で起用されると三浦大輔から左越えに勝ち越し本塁打を放ち[16]、一軍通算3打席目でプロ初本塁打・初打点を記録した[8][16]。同シーズンの最終成績は11試合の出場で打率.214(14打数3安打)であったが、3安打の内訳は本塁打・三塁打・二塁打が各1本ずつといずれも長打で記録した[17]。
2014年のシーズン開幕前、監督の伊原春樹から熊代聖人や斉藤彰吾と共に二番・右翼手の候補として名を挙げられるが[18]、5番・左翼手として自身初となる開幕スタメン入りを果たす。
6月4日の対DeNA戦で三浦大輔から決勝点となるホームランを放った。三浦から決勝ホームランを打ったのは2年連続である。
前年から出場試合数を激増させ二桁本塁打をマーク、チーム内成績でも本塁打数は4位、盗塁数が2位を記録する一方、失策数では2位、三振数では3位を記録[19]、特に三振はリーグ全体でも7番目に多かった。
選手としての特徴・人物
高校通算33本塁打を記録した長打力と50 m走で5秒6を計測する俊足を兼ね備え、高い身体能力を武器とする[12]。木村と同じくプロ入り後に投手から野手へ転向した走攻守3拍子揃った選手である糸井嘉男を目標に掲げ、糸井の打撃や守備を動画で閲覧し研究しているという[12]。
投手であった当時、同級生の田中将大や増渕竜義が開幕から一軍で起用され新聞紙上を賑わせる活躍をしているのを見て、焦りから調子を崩して二軍戦において連日失点を喫し、イップス状態に陥ったことがあるという[20]。
野手への転向後は宮地克彦や嶋重宣らプロ入り後に野手へ転向した経歴を持つコーチ・選手にアドバイスを求め[16]、バットを振り込むことの重要性を説かれて1日1,700スイングのノルマを自らに課し[8][16]、手の皮は入浴が困難になるほど剥け、体重が投手であった当時と比較して10 kg減少するほどの猛練習を積んだ[8]。
自身のテーマカラーは“赤”とし、自身のコラボグッズでも“赤”を基調としたグッズとなっている。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 30 | 6.0 | 10 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 7 | 4 | 6.00 | 2.33 |
2009 | 11 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 134 | 27.1 | 37 | 5 | 17 | 0 | 1 | 25 | 4 | 0 | 28 | 26 | 8.56 | 1.98 | |
2011 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 106 | 25.0 | 27 | 2 | 6 | 0 | 3 | 17 | 2 | 0 | 11 | 8 | 2.88 | 1.32 | |
2012 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 59 | 14.0 | 13 | 0 | 7 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 7 | 7 | 4.50 | 1.43 | |
通算:4年 | 41 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 1 | .200 | 329 | 72.1 | 87 | 7 | 34 | 0 | 4 | 51 | 9 | 0 | 53 | 45 | 5.60 | 1.67 |
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
2009 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2011 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2012 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
2013 | 11 | 16 | 14 | 1 | 3 | 1 | 1 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | .214 | .267 | .643 | .910 | |
2014 | 100 | 330 | 284 | 34 | 61 | 13 | 2 | 10 | 108 | 27 | 16 | 8 | 21 | 2 | 20 | 0 | 3 | 112 | 3 | .215 | .272 | .380 | .652 | |
2015 | 49 | 92 | 82 | 12 | 16 | 4 | 1 | 5 | 37 | 12 | 1 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 2 | 28 | 0 | .195 | .250 | .451 | .701 | |
NPB:7年 | 201 | 438 | 380 | 47 | 80 | 18 | 4 | 16 | 154 | 40 | 17 | 8 | 26 | 2 | 25 | 0 | 5 | 148 | 3 | .211 | .267 | .405 | .674 |
- 2015年度シーズン終了時
年度別守備成績
年度 | 一塁 | 外野 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2013 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 3 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2014 | 3 | 12 | 0 | 1 | 3 | .923 | 91 | 150 | 3 | 5 | 0 | .968 |
通算 | 4 | 12 | 0 | 1 | 3 | .923 | 94 | 158 | 3 | 5 | 0 | .970 |
- 2014年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初登板:2007年8月31日、対東北楽天ゴールデンイーグルス17回戦(フルキャストスタジアム宮城)、2回裏に2番手で救援登板、6回7失点
- 初奪三振:同上、3回裏に礒部公一から空振り三振
- 初先発:2009年8月20日、対福岡ソフトバンクホークス18回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、5回3失点で敗戦投手
- 初ホールド:2011年7月26日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(西武ドーム)、7回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初勝利:2011年7月31日、対オリックス・バファローズ13回戦(西武ドーム)、6回表に2番手で救援登板、1回2/3無失点
- 打撃記録
- 初打席・初安打[15]:2013年5月23日、対広島東洋カープ2回戦(西武ドーム)、7回裏に永江恭平の代打で出場、野村祐輔から左越二塁打
- 初本塁打・初打点:2013年5月28日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(横浜スタジアム)、8回表に三浦大輔から左越代打決勝ソロ
- 初先発出場:2013年6月5日、対阪神タイガース3回戦(岡山マスカットスタジアム)、6番・右翼手で先発出場
- 初盗塁:2014年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(西武ドーム)、4回裏に二盗(投手:塩見貴洋、捕手:嶋基宏)
背番号
- 41 (2007年 - 2012年)
- 51 (2013年 - )
登録名
- 木村 文和 (きむら ふみかず、2007年 - 2009年)
- 木村 文紀 (きむら ふみかず、2010年 - )
登場曲
- Pitbull feat. T-Pain 「Hey Baby (Drop It to the Floor)」 (2011年 - 2012年)
- AK-69 「START IT AGAIN」 (2013年 - )[21]
脚注
出典
- ^ a b c 西武・木村、場外2発!二刀流・大谷に洗礼(3/3ページ) - サンケイスポーツ(2013年5月17日配信) 2013年5月30日閲覧
- ^ “ドラフト会議2006 > 西武”. nikkansports.com 2015年2月5日閲覧。
- ^ a b c 「ナベQ2世」木村投手 外野手転向 - 日刊スポーツ(2012年9月12日配信) 2013年5月24日閲覧
- ^ a b c ナベQ2世木村プロ1勝「長かった」 - 日刊スポーツ(2011年8月1日配信) 2013年5月30日閲覧
- ^ 【西武】木村、上本を1軍登録 - 日刊スポーツ(2011年7月8日配信) 2013年5月30日閲覧
- ^ 公示(出場選手登録・抹消) 4月 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年9月12日閲覧
- ^ 公示(出場選手登録・抹消) 5月 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年9月12日閲覧
- ^ a b c d 西武 木村 プロ3打席目のV弾 ドラ1元投手から打者転向 - スポーツニッポン(2013年5月29日配信) 2013年5月29日閲覧
- ^ 2012年9月5日埼玉西武 対 北海道日本ハム 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年9月12日閲覧
- ^ 木村文紀選手の守備位置変更について 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2012年9月12日閲覧
- ^ 【西武】野手転向の木村は100万減 - 日刊スポーツ(2012年12月6日配信) 2013年5月24日閲覧
- ^ a b c 【西武】昨秋野手転向の木村「糸井化目指す」 - ウェイバックマシン - スポーツ報知(2013年2月9日)
- ^ 【西武】元投手木村、二刀流大谷から2発 - 日刊スポーツ(2013年5月16日配信) 2013年5月24日閲覧
- ^ 【西武】ナベQ若獅子起用「起爆剤に」 - 日刊スポーツ(2013年5月20日配信) 2013年5月24日閲覧
- ^ a b 【西武】野手転向木村、プロ初打席初安打 - 日刊スポーツ(2013年5月23日配信) 2013年5月24日閲覧
- ^ a b c d 西武木村V1号!野手転向プロ3打席目弾 - 日刊スポーツ(2013年5月29日配信) 2013年5月29日閲覧
- ^ 選手名鑑 51 木村 文紀(年度別成績) 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2014年5月16日閲覧
- ^ 2014年度版 埼玉西武ライオンズファンブック(ベースボール・マガジン社発行)
- ^ 2014年 個人成績 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト
- ^ コラム 逆転優勝へのカンフル剤〜木村文和〜ヤングレオの雄叫び2007〜荒波を乗り越えろ〜第11回 - スポーツナビ(2007年8月30日)
- ^ 選手登場曲 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2013年6月5日閲覧
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 木村文紀 - NPB.jp 日本野球機構