川越市立川越高等学校
表示
川越市立川越高等学校 | |
---|---|
北緯35度53分56.9秒 東経139度28分28.8秒 / 北緯35.899139度 東経139.474667度座標: 北緯35度53分56.9秒 東経139度28分28.8秒 / 北緯35.899139度 東経139.474667度 | |
過去の名称 |
埼玉県川越商業学校 埼玉県川越実科高等女学校 埼玉県川越市立高等女学校 埼玉県川越市立高等学校 埼玉県川越商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 川越市 |
設立年月日 | 1926年(大正15年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 国際経済科 情報処理科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D111220000020 |
高校コード | 11208K |
所在地 | 〒350-1126 |
埼玉県川越市旭町二丁目3番地7 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
川越市立川越高等学校(かわごえしりつ かわごえこうとうがっこう)は、埼玉県川越市旭町二丁目に所在する市立の高等学校。
県立の埼玉県立川越高等学校とは設置者が違い、学校名が似ているが、特別な関係は有していない。略称は「市立(いちりつ)川越」、市内に限れば「市立」、旧称の川越商業高校から「川商」とも。
設置学科
[編集]概要
[編集]1926年に埼玉県川越商業学校として設立された。旧称は、埼玉県川越商業高等学校(通称「川商」)であり、長らく県西部随一の商業高校として多くの人材を輩出してきたが、2002年に現校名に改称され、全日制の課程に普通科、国際経済科、情報処理科を設置した。
生徒数は、2020年度現在で850名(男子210名・女子640名)で、女子生徒が多い[1]。
全般的に部活動が盛んで、特に女子バレーボール部が県内有数の強豪であるほか、野球部も1989年の第71回全国高等学校野球選手権大会に出場した。その他の部活動も県大会で上位に入賞するなど活躍している。制服は男子は詰め襟、女子は県内ではやや珍しいセーラー服。女子のセーラー服は胸当てがなく、紺×白3ラインというシンプルなデザインで人気がある。
工業学校時代の1945年8月の広島市への原子爆弾投下のアメリカ政府発表放送を、同校内に置かれた同盟通信川越支局が傍受した[2]。
沿革
[編集]- 1926年(大正15年) - 埼玉県川越商業学校設立
- 1927年(昭和2年) - 川越市郭町2丁目30番地(川越城二の丸跡。現在は川越市立博物館・川越市立美術館が建つ)に校舎完成、移転
- 1942年(昭和17年) - 埼玉県川越実科高等女学校設立
- 1943年(昭和18年) - 埼玉県川越市立高等女学校と改称
- 1944年(昭和19年) - 埼玉県川越市立工業学校に転換
- 1946年(昭和21年) - 工業学校廃止、商業学校に復元
- 1948年(昭和23年) - 埼玉県川越市立高等学校設立
- 1950年(昭和25年) - 埼玉県川越商業高等学校と改称
- 1960年(昭和35年) - 現在地へ移転
- 2002年(平成14年) - 川越市立川越高等学校と改称、学科再編
施設
[編集]- テニスコートは校内にはなく、学校から徒歩で約5分の「いなげや川越旭町店」隣りに3面ある。
部活動
[編集]- 野球部
- 女子バレーボール部
校歌
[編集]アクセス
[編集]著名な出身者
[編集]バレーボール
[編集]野球
[編集]進路状況
[編集]元々が商業高校だったこともあり、国際経済科、情報処理科は、大学進学よりも就職や専門学校が卒業生の進路の中心である。
- 普通科…大学68名、短大12名、専門学校21名、就職6名。(平成26年3月卒業生)
- 情報処理科・国際経済科…大学47名、短大7名、専門学校46名、就職48名。(平成26年3月卒業生)
脚注
[編集]- ^ “川越市立川越高校の学校情報 - 中学受験 高校受験パスナビ”. 旺文社. 2022年3月23日閲覧。
- ^ 大野政巳「同盟通信社川越分室と「してぃ・おぶ・かわごーえ」」『博物館だより』第61号、川越市立博物館、2010.12.26、p.6. (PDF)