コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「岩村通世」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 190.60.94.178 (会話) による版を 曾禰越後守 による版へ巻き戻し
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
87行目: 87行目:
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:高知県出身の人物]]
[[Category:高知県出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1883年生]]
[[Category:1883年生]]
[[Category:1965年没]]
[[Category:1965年没]]

2016年6月7日 (火) 23:18時点における版

岩村 通世
いわむら みちよ
岩村通世
生年月日 (1883-08-21) 1883年8月21日
出生地 明治政府
東京府東京市神田区
没年月日 (1965-03-13) 1965年3月13日(81歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都
出身校 東京帝国大学法科大学
前職 司法官
称号 勲一等瑞宝章

内閣 東條内閣
在任期間 1941年10月18日 - 1944年7月22日

内閣 第3次近衛内閣
在任期間 1941年7月25日 - 1941年10月18日

在任期間 1940年1月17日 - 1941年7月25日
テンプレートを表示

岩村 通世(いわむら みちよ、明治16年(1883年8月21日 - 昭和40年(1965年3月13日)は、太平洋戦争開戦時の日本司法大臣である。

略歴

明治16年(1882年)8月21日、東京府東京市神田区神保町に生まれた。男爵農商務大臣岩村通俊の五男。次兄の岩村俊武海軍中将、従弟の林譲治衆議院議長

父通俊は当時司法大輔(現在の司法次官)で、北海道初代長官に任せられて札幌に赴任。彼も幼少期を札幌で過ごした。1889年、父が農商務大臣就任および貴族院議員勅任により東京に戻ったが、彼は父の郷里宿毛に帰されて宿毛小学校で学んだ。吉田茂は同小学校の同窓生。

明治26年(1893年)、高知市の高知県立第一中学校(現在の高知県立高知追手前高等学校の前身)に入学。岡山県の第六高等学校を経て、明治43年(1910年)、東京帝国大学(現東京大学)独法科を卒業した。同年、司法官試補に任ぜられ、甲府地方裁判所に赴任。

昭和15年(1940年)、検事総長を拝命。翌年7月に第3次近衛内閣の成立で司法大臣に任命された。東條内閣でも留任。同内閣崩壊で退任した。

終戦後の9月、突然A級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に入れられた。戦時特別法など司法弾圧について取り調べられたが、結局、容疑はすべて晴らされ、昭和23年(1948年)、不起訴処分で釈放された。

昭和24年1月1日付で東京家庭裁判所調停委員に任命された。以後は弁護士として活動し、日本調停協会連合会理事長などもつとめた。昭和40年3月13日死去。81歳。

その他

NHKスペシャル終戦特集ドラマ『気骨の判決』(平成21年(2009年8月16日放送)に、山本圭演じる「竹下正弘」という架空の司法大臣が登場するが、時系列的に見てモデルとなっている人物は岩村であろう。

著作

  • 岩村通世『満洲国の司法制度』中央満蒙協会、1936年。 
  • 岩村通世『保護随想』司法保護協会、1941年。 
  • 岩村通世 著「少年法」、末弘厳太郎 編『現代法学全集』 36巻、日本評論社、1928年。 

参考文献

  • 『岩村通世伝』岩村通世伝刊行会、1971年。 ASIN B000J9FO6M

外部リンク

先代
近衛文麿
司法大臣
第46代:1941年 - 1944年
次代
松阪広政