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2016年6月7日 (火) 23:18時点における版
岩村 通世 いわむら みちよ | |
---|---|
岩村通世 | |
生年月日 | 1883年8月21日 |
出生地 |
明治政府 東京府東京市神田区 |
没年月日 | 1965年3月13日(81歳没) |
死没地 | 日本 東京都 |
出身校 | 東京帝国大学法科大学 |
前職 | 司法官 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
内閣 | 東條内閣 |
在任期間 | 1941年10月18日 - 1944年7月22日 |
内閣 | 第3次近衛内閣 |
在任期間 | 1941年7月25日 - 1941年10月18日 |
在任期間 | 1940年1月17日 - 1941年7月25日 |
岩村 通世(いわむら みちよ、明治16年(1883年)8月21日 - 昭和40年(1965年)3月13日)は、太平洋戦争開戦時の日本の司法大臣である。
略歴
明治16年(1882年)8月21日、東京府東京市神田区神保町に生まれた。男爵元農商務大臣岩村通俊の五男。次兄の岩村俊武は海軍中将、従弟の林譲治は衆議院議長。
父通俊は当時司法大輔(現在の司法次官)で、北海道初代長官に任せられて札幌に赴任。彼も幼少期を札幌で過ごした。1889年、父が農商務大臣就任および貴族院議員勅任により東京に戻ったが、彼は父の郷里宿毛に帰されて宿毛小学校で学んだ。吉田茂は同小学校の同窓生。
明治26年(1893年)、高知市の高知県立第一中学校(現在の高知県立高知追手前高等学校の前身)に入学。岡山県の第六高等学校を経て、明治43年(1910年)、東京帝国大学(現東京大学)独法科を卒業した。同年、司法官試補に任ぜられ、甲府地方裁判所に赴任。
昭和15年(1940年)、検事総長を拝命。翌年7月に第3次近衛内閣の成立で司法大臣に任命された。東條内閣でも留任。同内閣崩壊で退任した。
終戦後の9月、突然A級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に入れられた。戦時特別法など司法弾圧について取り調べられたが、結局、容疑はすべて晴らされ、昭和23年(1948年)、不起訴処分で釈放された。
昭和24年1月1日付で東京家庭裁判所調停委員に任命された。以後は弁護士として活動し、日本調停協会連合会理事長などもつとめた。昭和40年3月13日死去。81歳。
その他
NHKスペシャル終戦特集ドラマ『気骨の判決』(平成21年(2009年)8月16日放送)に、山本圭演じる「竹下正弘」という架空の司法大臣が登場するが、時系列的に見てモデルとなっている人物は岩村であろう。
著作
- 岩村通世『満洲国の司法制度』中央満蒙協会、1936年。
- 岩村通世『保護随想』司法保護協会、1941年。
- 岩村通世 著「少年法」、末弘厳太郎 編『現代法学全集』 36巻、日本評論社、1928年。
参考文献
- 『岩村通世伝』岩村通世伝刊行会、1971年。ASIN B000J9FO6M
外部リンク
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