大沢一郎 (検事総長)
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大沢一郎 | |
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検事総長 | |
任期 1973年2月2日 – 1975年1月25日 | |
任命者 | 第2次田中角栄内閣 |
前任者 | 竹内壽平 |
後任者 | 布施健 |
個人情報 | |
生誕 | 1910年6月9日 大阪府 |
死没 | 1986年9月12日(76歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部 |
専業 | 弁護士 |
大沢 一郎(大澤 一郎、おおさわ いちろう、1910年(明治43年)6月9日 - 1986年(昭和61年)9月12日[1])は、日本の検察官、弁護士。検事総長。
経歴
[編集]大阪市出身[1][2]。第四高等学校を経て[2]、1932年京都帝国大学法学部を卒業[1][2]。司法官試補となり[2]、法務省矯正局長、大阪地方検察庁検事正、最高検察庁刑事部長、法務事務次官、最高検次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任[1][2]。
1973年2月2日、検事総長に就任[3]。在任中、日教組ゼネスト事件、協同飼料株価不正操作事件[4]、石油ヤミカルテル事件などを指揮した[1]。
1975年1月25日、検事総長を勇退し退官した[3][5]。その後、ロッキード事件で偽証罪に問われた小佐野賢治の弁護団に加わった[3][5]。