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2016年6月7日 (火) 15:34時点における版

あくたがわ たかゆき
芥川 隆行
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都港区
国籍 日本
生年月日 1919年3月6日
没年月日 (1990-10-02) 1990年10月2日(71歳没)
最終学歴 慶應義塾大学経済学部
所属事務所 芥川企画
職歴 ラジオ東京アナウンサー
フリーアナウンサー・ナレーター・司会者
活動期間 1951年 - 1990年
ジャンル スポーツ、ラジオドラマの語り手、芸能、歌謡、時代劇
配偶者 本田節子
担当番組・活動

芥川 隆行(あくたがわ たかゆき、1919年3月6日 - 1990年10月2日[1])は、日本アナウンサーナレーター司会者

東京府(1943年7月以後の東京都)出身[2]

1951年10月にTBS(ラジオ東京)にアナウンサー第1期生として入社。1959年12月にTBS(ラジオ東京)を退社。1960年1月にフリーとなり芥川企画を設立し司会者・ナレーターとしても活躍した。ナレーターとしては時代劇、演歌番組において、名調子「芥川節」で有名、代表作には『木枯し紋次郎』、『必殺シリーズ』、『水戸黄門』等[3]。妻はTBSアナウンサー第1期生の本田節子[4][5][注釈 1][7]

略歴

1941年慶應義塾大学経済学部[3]を卒業後、川西機械製作所兵庫県神戸市)に入社[8]。1941年12月、入隊[8]。復員後、大分県高等学校教員等を務める[8][9]1951年10月、ラジオ東京へアナウンサー第1期生として入社、放送界入り。1959年12月、TBSを退社。1960年1月、フリー、芥川企画を立ち上げる。1990年10月2日肺癌により死去。71歳没。

人物

父は計器類製造・販売を経営し、一人息子として現在の東京都港区白金生まれる[8][9]。子供の頃から足が速く中学・大学では陸上部所属[10]。祖父は福沢諭吉の侍医の一人で、父も慶應義塾大学に通い、[9]慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部を経て、1941年慶應義塾大学経済学部を卒業後、「すべてが無計画で、その場その場のでき心で行動しているんです。」と、川西機械兵庫県神戸市)に入社したが出社したのがふた月だけだった[8]。1941年12月、入隊、北支那方面軍に配属され、以降中国戦線を転戦。仕官候補試験に合格して陸軍中尉となり、斎南の補給廠に勤めている時に敗戦を迎えた。[9]1946年、復員。[9]1948年、野球選手の芥田武夫と間違えられて大分県高等学校教員となり、[11]国東高等学校、森高等学校で教鞭[9]等を経て[8]1951年10月にラジオ東京へアナウンサー第1期生として入社[4][5]、アナウンサー募集に応募した際には既に32歳だったことから願書も受け付けてもらえなかったが、「役者にも老け役が必要であろう」との鶴の一声で受験可能となったため[11][9]。主に、スポーツ番組、ラジオドラマの語り手、芸能番組を担当した[12][13]。その間、編成局アナウンサー室[14](1953年2月編成局アナウンス課[15]→同年8月1日編成局アナウンス部[16])を振り出しに、1955年、ラジオドラマ『新撰組始末記』の語り手に抜擢され評判となったが、型破りなアナウンサーぶりが問題となり[9]、編成局テレビ演出部映画課兼アナウンス部(1957年6月)→テレビ編成局演出部兼アナウンス部(1958年5月)→テレビ編成局編成部兼アナウンス部(1959年5月)へそれぞれ在籍した[13]

1957年、TBSアナウンサー第1期生の本田節子と結婚。2男をもうける。[7]

彼の声は美声というのではなく、音色(おんしょく)と語り口で聞かせるタイプで美声になっては雰囲気が台無しに。やはり風邪をひかないことを第一に心掛けていた[10]。幼少の頃、祖母に連れられて、浪花節や講談、無声映画の活弁になじんだことが、聞き手の耳へ分かりやすく伝える発声法につながり、人気に[8]

1959年12月の退社[12][13]後は、民放第1号のフリーアナウンサーへ転身[13][17]芥川企画を立ち上げ、主にナレーターとして活動、その際、「入社した時、クセがありすぎるというので、ほされる状態が8年続いた。のんきなのでそれでも気にせず、60年、行き先も考えず、フリーになった」[8]と語っている。

1961年から放映されたテレビドラマ新選組始末記』のTBSでのテレビドラマ化が決定すると、原作者の子母沢寛を訪ねて語り台本を自ら書く許可を得て、語り手としてドラマを盛り上げた。同番組はドラマの画面に語りを入れる番組作りの嚆矢ともなり、[18]語りに節をつけた彼独特の調子「芥川節」が誕生し「いまの時代のテンポに合わせていきたい。」と派手さがなかった[8]。番組の最後のほうで三橋美智也による主題歌をバックにしてのナレーションで当時の視聴者に強烈な印象を与え、同時に出世作となった。

以来、ナレーションの第一人者として、TBS『ナショナル劇場』、や『ザ・ガードマン』、『キイハンター』、『シークレット部隊』、『木枯し紋次郎』、『西遊記』、『Gメン'75』、『必殺シリーズ』、『スクール☆ウォーズ』、『ポニーテールはふり向かない』、『乳姉妹』、『もりもりぼっくん』、『三匹が斬る』など数々の人気時代劇・ドラマを手がけた[18]。中でもTBS系土曜21時台の歴代ドラマでは、多数の作品で芥川隆行がナレーターを務めていた(1986年の『親子ゲーム』は例外)。黄桜CMでも、『河童の歌』を使用していた時代にはナレーションも長期に亘り務めていた。

TBS紀行番組『兼高かおる世界の旅』では、ナレーションではなく、旅行家の兼高かおるの旅の様子の聞き手を務め30年に亘る長寿番組となる[18]

ラジオでも、1971年、文化放送朝の生ワイド番組『オハヨー! 日本列島』の司会を務め、番組終了後は『お元気ですか 芥川隆行です』を担当[18]ラジオ日本では演歌専門番組『芥川隆行の演歌だヨ!』(1974年)と『芥川隆行演歌ひとすじ』のパーソナリティを務めた。イントロに独特の語りをいれる「ナレーション演歌」は、番組の名物となった。1980年終わりから1990年に亡くなるまでラジオ日本に朝から晩まで番組・コーナーを数多く持ち、ラジオ日本の顔となり人気番組に育て上げた[18]

大川栄策が恩師古賀政男の曲を歌ったカヴァーアルバムでは、語り部として起用された。

1990年10月2日肺癌のため死去。71歳没。『スクール☆ウォーズ2』の前半4話分が遺作となった(第5話以降のナレーションは城達也が務めた)。

好きな言葉は「明日は明日の風が吹く」。自分の事を計画性がないと言いながらも硬派取り混ぜて朗読、対談、ナレーションと万能で、その語り口は品が良く、物静かだったという[8]

アナウンサー・ナレーター担当歴

テレビドラマ

※いずれも、ナレーター。

タイトル 放映年 放映局 備考
新選組始末記 1961 - 1962年 KRT
幕末 1964年 - 1965年 TBS
土曜日の虎 1966年 TBS
キイハンター 1968年 - 1973年 TBS
なんたって18歳! 1971年 - 1972年 TBS
アイフル大作戦 1973年 - 1974年 TBS
水戸黄門 (第一部) 1969年 - 1970年 TBS
水戸黄門 (第二部) 1970年 - 1971年 TBS
水戸黄門 (第三部) 1971年 - 1972年 TBS
水戸黄門 (第四部) 1973年 TBS
水戸黄門 (第五部) 1974年 TBS
水戸黄門 (第六部) 1975年 TBS
水戸黄門 (第七部) 1976年 - 1977年 TBS
水戸黄門 (第八部) 1977年 - 1978年 TBS
水戸黄門 (第九部) 1978年 - 1979年 TBS
水戸黄門 (第十部) 1979年 - 1980年 TBS
水戸黄門 (第十一部) 1980年 - 1981年 TBS
水戸黄門 (第十二部) 1981年 - 1982年 TBS
水戸黄門 (第十三部) 1982年 - 1983年 TBS
水戸黄門 (第十四部) 1983年 - 1984年 TBS
水戸黄門 (第十五部) 1985年 TBS
水戸黄門 (第十六部) 1986年 - 1987年 TBS
水戸黄門 (第十七部) 1987年 - 1988年 TBS
水戸黄門 (第十八部) 1988年 - 1989年 TBS
水戸黄門 (第十九部) 1989年 - 1990年 TBS
大岡越前 (第一部) 1970年 TBS
大岡越前 (第二部) 1971年 TBS
大岡越前 (第三部) 1972年 - 1973年 TBS
大岡越前 (第四部) 1974年 - 1975年 TBS
大岡越前 (第五部) 1978年 TBS
大岡越前 (第六部) 1982年 TBS
大岡越前 (第七部) 1983年 TBS
大岡越前 (第八部) 1984年 - 1985年 TBS
大岡越前 (第九部) 1985年 - 1986年 TBS
大岡越前 (第十部) 1988年 TBS
大岡越前 (第十一部) 1990年 TBS
東京警備指令 ザ・ガードマン 1965年 - 1971年 TBS OPのみ
清水次郎長 1971 - 1972年 CX
お祭り銀次捕物帳 1972年 CX
二人の素浪人 1972 - 1973年 CX
もりもりぼっくん 1986年 CX
木枯し紋次郎(第1シリーズ) 1972年 CX
木枯し紋次郎(第2シリーズ) 1972 - 1973年 CX
新 木枯し紋次郎 1977 - 1978年 12ch
江戸を斬る 梓右近隠密帳 1973年 - 1974年 TBS
江戸を斬るII 1975年 - 1976年 TBS
江戸を斬るIII 1977年 TBS
江戸を斬るIV 1979年 TBS
江戸を斬るV 1980年 TBS
江戸を斬るVI 1981年 TBS
江戸を斬る (第七部) 1987年 TBS
必殺仕置人 1973年 ABC
暗闇仕留人 1974年 ABC
必殺からくり人・血風編 1976 - 1977年 ABC
新・必殺仕置人 1977年 ABC
必殺仕事人 1979 - 1981年 ABC
必殺仕事人V・激闘編 1985 - 1986年 ABC
新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵 1987年 ABC
水滸伝 1973年 - 1974年 NTV
西遊記 1978年 - 1979年 NTV
西遊記II 1979年 - 1980年 NTV
猿飛佐助 1980年 NTV
松平右近事件帳 1982年 - 1983年 NTV
バーディー大作戦 1974年 - 1975年 TBS
夜明けの刑事 1974年 - 1977年 TBS 次回予告のみ
Gメン'75 1975年 - 1982年 TBS
Gメン'82 1982年 - 1983年 TBS
新・夜明けの刑事 1977年 TBS 次回予告のみ
明日の刑事 1977年 - 1979年 TBS 次回予告のみ
疾風同心 1978 - 1979年 12ch
八丁堀暴れ軍団 1979年 12ch
乳姉妹 1985年 TBS
おんな風林火山 1986 - 1987年 TBS
幡随院長兵衛お待ちなせえ 1974年 MBS
影同心 1975年 MBS
影同心II 1975 - 1976年 MBS
新選組始末記 1977年 MBS
雪姫隠密道中記 1980年 MBS
運命峠 1974 - 1975年 KTV
戦友 1963 - 1964年 NET
孤独の賭け 1963 - 1964年 NET
アスファルト・ジャングル 1965年 NET
刑事さん(第1シリーズ) 1967年 NET
徳川三国志 1975 - 1976年 NET
風鈴捕物帳 1978 - 1979年 テレビ朝日
柳生あばれ旅 1980 - 1981年 テレビ朝日
柳生十兵衛あばれ旅 1980 - 1981年 テレビ朝日
三匹が斬る! 1987 - 1988年 テレビ朝日
続・三匹が斬る! 1988 - 1989年 テレビ朝日
続続・三匹が斬る! 1990年 テレビ朝日
噂の刑事トミーとマツ(第1シリーズ) 1979 - 1981年 TBS 次回予告のみ
秘密のデカちゃん 1981 - 1982年 TBS 次回予告のみ
噂の刑事トミーとマツ(第2シリーズ) 1982年 TBS 次回予告のみ
婦警さんは魔女 1983年 TBS 次回予告のみ
高校聖夫婦 1983年 TBS
不良少女とよばれて 1984年 TBS
〜泣き虫先生の7年戦争〜 スクール☆ウォーズ 1984 - 1985年 TBS
ポニーテールはふり向かない 1985 - 1986年 TBS
パパはニュースキャスター 1987年 TBS
パパは年中苦労する 1988年 TBS
スクールウォーズ2 1990年 TBS

テレビ(ドラマ以外)

ラジオ東京
  • グランドテレビパレード(KRテレビ開局の1955年4月1日に放送。司会)[13]
  • タレント・スカウト(1956年)[13][13]
  • 東宝スクリーントピックス(1955年)[13]
  • 似てるでショウ(1956年)[12][13]
  • 小唄教室(1957年)[12][13]
フリー

ラジオ

ラジオ東京時代
フリー
  • TBSナイターTBSラジオプロ野球中継。1963年 - ?。試合終了後の穴埋めプログラム『ナイタージョッキー』の進行役を担当[20]
  • オハヨー! 日本列島(1971年 - 1975年、文化放送)司会
  • お元気ですか 芥川隆行です(1974年 - 1978年、文化放送)
  • 芥川隆行の演歌だヨ!(1974年、ラジオ日本
  • 芥川隆行演歌ひとすじ(ラジオ日本)
  • 芥川隆行お昼の名作文庫(ラジオ日本)

CM

映画

アニメ

注釈

  1. ^ 人事室厚生部の一員として「芥川節子」として掲載された情報より、「飛行機嫌いの浪花節亭主(隆行氏)に日本をまかせ、海外ツアーも数十度」と記述。[6]

出典

  1. ^ 名前の読み・生没年月日ともに、外部リンク(allcinema)を参照。
  2. ^ 外部リンク(allcinema)を参照(東京都と明記)。
  3. ^ a b 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 1988〜1990』日外アソシエーツ、1993年9月28日、19頁。ISBN 4-8169-1178-2 
  4. ^ a b 東京放送 編「III. 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』2002年1月、235頁。「1951.10<1期生> 15人入社(男9・女6) 芥川隆行 池谷三郎 稲川英雄 市原信義 沢 弘三 財前和夫 高野啓二 永井資久 若林 漸 大野方子 高杉恵津子 玉井和子 楢木昭子 本田節子 武藤和子」 
  5. ^ a b 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年1月。「51.10 <1期生>15人入社(男9・女6) 芥川 隆行 池谷 三郎 稲川 英雄 市原 信義 沢 弘三 財前 和夫 高野 啓二 永井 資久 若林 漸 大野 方子 高杉恵津子 玉井 和子 楢木 昭子 本田 節子 武藤 和子」 
  6. ^ 「TBS紳士録 人事室厚生部の巻」『TBS社報』NO.435、TBS、1976年10月12日、7-8頁。 
  7. ^ a b 芥川隆行さん、肺ガンで急死。〝ふたりの妻〟節子夫人兼高かおるが明かした顔なき名優の素顔」『週刊明星』第33巻第40号、集英社、1990年10月、37頁。 
  8. ^ a b c d e f g h i j 「明日は明日の風が吹く、と 芥川隆行さん逝く(先週今週・追悼)」『アエラ』1990年10月16日、64頁。 
  9. ^ a b c d e f g h 日外アソシエーツ編集部 編『新撰芸能人物事典 明治〜平成』日外アソシエーツ、2010年11月25日、12頁。ISBN 978-4-8169-2283-1 
  10. ^ a b “ナレーター芥川隆行氏―無言で飲むのが一番、1分間うがいも励行(マイヘルス)”. 日本経済新聞夕刊: p. 6. (1989年5月20日) 
  11. ^ a b 『私とTBS』1ページに掲載された芥川のコメントを参照。
  12. ^ a b c d e f g 東京放送 編「III. 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』2002年1月、235頁。「芥川隆行[1959.12退社]『スポーツ番組、ラジオドラマの語り手、芸能番組』 R「ラジオ浮世亭(1952)」「ドレミファゲーム(1954)」「東京ダイヤル(1959)」 TV「タレント・スカウト(1955)」「似てるでショウ(1956)」「小唄教室(1957)」」 
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年1月、2頁。「芥川 隆行…[57.6 編成局TV演出部映画課兼アナウンス部][58.5TV編成局演出部兼アナウンス部][59.5 TV編成局編成部兼アナウンス部][59.12 退社][90.10 死去] 『スポーツ番組、ラジオドラマの語り手、芸能番組』 R「ラジオ浮世亭(52)」「ドレミファゲーム(54)」「タレント・スカウト(55)」「あてまショウ(56)」「20万円の扉(56)」「夕げのひととき(56)」「愛のジョッキー(59)」「東京ダイヤル(59)」 TV「タレント・スカウト(55)」「東宝スクリーントピックス(55)」「似てるでショウ(56)」「小唄教室(57)」 ☆55.4.1 テレビ開局日「グランドテレビパレード」司会 ☆退社後フリーアナウンサー。テレビ「兼高かおる世界の旅(61.1〜)」のホスト、テレビドラマ「水戸黄門」「大岡越前」のナレーターなど。」 
  14. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年1月、1頁。「1951年12月25日 『ラジオ東京』放送開始 午前6時30分 『編成局アナウンサー室』 開局時 23人(男15・女8)」 
  15. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年1月、5頁。「1953年2月 『編成局アナウンス課』43人(男31・女12)」 
  16. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)2002年1月、7頁。「1953年8月1日 『部』に昇格。『編成局アナウンス部』となる。」 
  17. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『新撰芸能人物事典 明治〜平成』日外アソシエーツ、2010年11月25日、12-13頁。ISBN 978-4-8169-2283-1 
  18. ^ a b c d e 日外アソシエーツ編集部 編『新撰芸能人物事典 明治〜平成』日外アソシエーツ、2010年11月25日、13頁。ISBN 978-4-8169-2283-1 
  19. ^ 「ラジオ番組リストより、「出演者別リスト」→「あ」→「芥川隆行」」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM)。「1952年5月10日の『関東学生陸上競技選手権大会実況』(共演:小坂秀二=同局アナウンサー)などを担当」 
  20. ^ 『TBS50年史』、212頁。 

参考文献

  • 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 1988〜1990』日外アソシエーツ、1993年9月28日。ISBN 4-8169-1178-2 
  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 資料編
    • 付録のDVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録されたPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)
      • 『TBS社報』再録(東京放送から発行された社内報掲載記事からの再録。)
        • 「私とTBS -TBS20周年におもう-」、『TBS社報』No.360、TBS、1971年5月10日、pp.20-29。(創立20周年を記念した、TBSゆかりの人物によるコメントが掲載)
        • 「TBS紳士録 人事室厚生部の巻」、『TBS社報』NO.435、TBS、1976年10月12日、pp.6-13。
  • 日外アソシエーツ編集部 編『新撰芸能人物事典 明治〜平成』日外アソシエーツ、2010年11月25日。ISBN 978-4-8169-2283-1 

関連項目

外部リンク