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上杉 隆 | |
---|---|
生誕 |
1968年5月3日(56歳) 日本 福岡県 |
教育 | 都留文科大学文学部英文科 |
職業 | ジャーナリスト |
肩書き |
株式会社NO BORDER 代表取締役 公益社団法人自由報道協会 副代表 一般社団法人日本ゴルフ改革会議 事務局長 |
公式サイト | http://uesugitakashi.com/ |
上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年〈昭和43年〉5月3日 - )は、株式会社NO BORDER代表取締役。公益社団法人自由報道協会副代表。
来歴
生い立ち
- 1968年5月3日、福岡県柳川市、福岡県立病院にて出生。
- 1969年東京都杉並区に引越し、小学校3年生まで阿佐ヶ谷南1丁目の戸塚荘で過ごす。杉並東洋幼稚園、区立杉並第六小学校に通ったため、九州弁は話せない。生まれのみが福岡県なため、のちにFNN九州•沖縄全曲特別番組のMCに眞鍋かをりと抜擢された際は、番組冒頭にて「若干、偽九州男児の上杉隆です」と自己紹介している。
- 1976年東京都新宿区へ引っ越し、新宿区立鶴巻小学校、区立戸塚第一中学校(現•西早稲田中学校)に通学。中学時代、暴走族の集会への参加を強要された経験から、バイク嫌いになったという。なお、子ども時代に父親から煙草を強要されたことがトラウマとなり、煙草嫌いになったことが自著に記述されている。
義務教育以降の自立生活
- 1984年高校進学を希望するものの、父•博通に中学卒業と同時の完全自立を命じられる。自宅で勉強をすることを父親が許さなかったため、勉強は学校ですべて終える必要があった。高校進学における受験料、入学料、学費、生活費のすべてを稼ぐ必要に迫られ、中学生であることを伏せて、早稲田のスーパーマーケット「三徳」、喫茶店「バタカップ」にてアルバイトをしていたことを明かし、生きるためとはいえ、年齢詐称をしていたことを公式ブログにて謝罪している。中学時代は連日連夜、人数不足となるたび父親の麻雀に付き合わされ、高校受験前夜にも麻雀を強要された時に、母•聖子が初めて怒っているところをみたという(出典;結果を求めない生き方)。その後4月、都立広尾高校の普通科に入学。なお、中学卒業後は実家にて一泊するたびに2000円を要求される状態にあったことから、寝床を確保する必要もあったという。
- 1987年高校卒業後、様々なアルバイトをすることに。新宿のゴルフ練習場「落合ゴルフ」の球拾いを皮切りに、渋谷のカフェバー「タイムマシン」、居酒屋「すずめのお宿」、サントリー「ペンギン’Sバー」、早稲田のバー「沙羅」などでウエイター、高田馬場古本市の警備員、新宿の雀荘のビラ配り、建築コーティング会社の作業現場労働、群馬県のゴルフ場「ルーデンスカントリークラブ」のキャディ、「水上プリンスホテル」のスキー場スタッフ、新宿北郵便局の配達員、高田馬場のカラオケ店「ビックタイム」のデイタイムキャプテンとして人事労務管理、「すかいらーく」山中湖店のキッチンスタッフ、オーベルジュ「オーベルジュ•ブランシュ」の臨時スタッフ、中央高速道路の交通調査員、家庭教師、牛蒡農家での農作業などをしていた。また、大学の受験勉強の勉強道具は、先に大学へ入学した友人らが使用したものを送ってもらうよう頼み込み、郵送してもらったものを使用していたという。国公立の大学入学を目指し信州大学と筑波大学を受験したものの、一次試験の数学で大失敗してしまい、途方にくれていたところ、市立である都留文科大学の存在を知り、願書を提出。なお、純文学を愛好していたため、信州大や筑波大同様文学研究をするつもりであった。願書を書き終えた時に英文科であったことに気がついたものの、疲れ果てており書き直す気力が出ず、英文科を受験し、入学。
大学時代からNHK勤務まで
- 1988年入学後、大学にゴルフ部がなかったことからゴルフの出来る環境作りに奔走し、ゴルフ同好会を結成する。山中湖ホテルのパターコースの芝生の美しさに魅せられ、「あそこで練習させて欲しいのですが、その代わりに雑草抜きでも何でもします。できたらパターコースでアルバイトさせてほしいのです」「他の仕事でもかまいません。清掃でもベッドメーキングでも、皿洗いでもなんでもやります。いや、給料も要りません。その代わりゴルフの練習をさせてほしいのです」と使用させてもらうために交渉をし、一度は断られるも、翌日になって、働くことを条件に、大学へ通う前の早朝の使用許可を得る。かくして社員と同じ条件で富士屋ホテルチェーン「山中湖ホテル」の社員寮に入寮。非正規雇用ながら一部の社員より多くの給与と権限を付与されて勤務することとなり、自身のことを拾ってくれた当時の総支配人であった譲原尚行氏には感謝のしようがない、と語っている。
- 1992年春、NHKを受験し、夏に内々定、秋には記者職として正式内定。なお、前年の受験では落ちており、新卒でなければ採用されない仕組みのためにわざと留年しており、この年の秋には単位を取得済みであったため、10月より来春採用予定者として、渋谷のNHKで非正規スタッフとして勤務を開始。朝のニュース番組『モーニング•ワイド』のリライター業務が担当であった。
- 1993年3月、大学事務局が学内にコンピューターシステムを導入し、システムエラーによって30名ほどの学生が単位漏れとなり、そのうちの一人となる。該当単位であるドイツ語の教授は「授業にも出て単位は取得済みであり、卒業に問題は無い」とし、他の教授も当然に卒業を認めていた。しかし、地方国公立大学の事務局長には文部省からの天下り役人が就くことが決まっており、自らのミスをなかったこととするために『ルールはルールだから』といって学生側の問題にすり替えが行われ、3月の卒業権利を剥奪されている。そうした理由を理解していたNHKの担当者は「たとえば3ヶ月後に単位が取れるというのなら、6月にでも改めて正式採用することにしよう」とNHKへ掛け合った。しかし、大学事務局と学年主任教官は責任追及へ発展させないため、頑として認めなかった。こうした経緯によって、宙ぶらりんの身分のままNHK新番組「おはよう日本」にて働き続けることとなる。今井義典、桜井ようこ、黒田あゆみ、草野満代、平野啓子、小谷真生子、小平桂子アネット、有働由美子らのアナウンス陣の傍で手伝うことが出来た経験を、自身のテレビメディアにおける仕事の得難い財産となったという。なかでも、澤田勝夫氏との出逢いだけは忘れられないと語っている。上杉氏にとって人生の恩人であり、『たとえ損をしても、曲がったことはすべきでないという姿勢を身を以て教えてくれた人生の師」であるとしている。
秘書時代
- 1994年冬、鳩山邦夫事務所に入所。一度は不採用となったものの、しばらくして採用。直後の結党大会が議員秘書としての初仕事である。当時、同部屋の秘書は細川護煕事務所の松野頼久氏があり、他の事務所では最初の兄貴分にあたる。その後、自宅番、夫人の運転担当、代議士運転随行、国会担当、事務局次長、広報担当、報道担当などを歴任。5年後の都知事選出馬をもって円満退職(最終的には公設秘書)。上杉氏にとって唯一無二の「政治の師」は鳩山代議士一人であり、哲学、数学、自然科学、環境問題、食に関するこだわりまで、感謝しきれないほど多くのものを教わったとしている。
ニューヨークタイムズ東京支局時代
- 1999年夏、45日間のインターンを経て、ニューヨークタイムズ東京支局の取材記者(リサーチャー)となる。当時の東京支局長は1990年に妻のSheryl WuDunnとともに1989年の天安門事件に関する報道でピューリッツァー賞報道部門国際報道賞を受賞したほか2006年にダルフールにおける虐殺事件に関する執筆で二度目の受賞となる論説賞を受賞をすることとなったNicholas Kristofあり、次に、2016年現在ピューリッツァーの総本山と評されるコロンビア大学ジャーナリズム大学院の教授でもあるHoward W. Frenchから三年間「journalismとはなにか」を徹底的に学ぶ。同僚にはSheryl WuDunn、現在International Houseを務めるCalvin Sims、Stephanie Strom、James Brooke、Ken Belsonなどがいる。上杉氏の英会話が酷すぎるため、ニューヨークタイムズの歴史上初めて英会話のベルリッツに通った唯一のリサーチャーであったという。
フリーランスとして独立するまで
- 2000年デビュー作『石原慎太郎 5人の参謀』(小学館)を刊行。ノンフィクションとしては異例の17万部以上を売るベストセラーとなった(文庫本とあわせて)。
- 2002年フリーランスジャーナリストとして正式に「ニューヨークタイムズ」から独立。
学歴
- 1987年 : 東京都立広尾高等学校卒業
- 1994年 : 都留文科大学文学部英文科卒業
職歴
- 1992年 :NHKに記者職として正式内定。翌年からの採用予定者として研修開始。朝のニュース番組「モーニング•ワイド」のリライター業務に就く。
- 1993年 ;大学側が卒業単位漏れの過失を認めなかったが、事情を正確に把握していたNHKの採用担当者が勤務を認め、内定保留状態という形をとって勤務開始。新番組「おはよう日本」にてテレビメディアにおける得難い学びを得る。
- 1994年9月 - 1999年3月 :衆議院議員鳩山邦夫事務所スタッフ。最終的には公設秘書となる。鳩山の都知事選出馬後、円満退職。
- 1999年7月 - 2001年7月 : ニューヨーク・タイムズ東京支局にて45日間のインターンを経て、リサーチャー(取材記者)となり、Nicholas KristofやHoword W.Frenchの下、国際基準でのジャーナリズムを学び、ニューヨーク・タイムズ取材記者として週刊誌などで執筆開始。
- 2002年 : フリーランスのジャーナリストとして活動を始める。
- 2003年 : 中川昭一政調会長に許可を得て自民党平河クラブにて質問。
- 2008年 :「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)出版。民主党党大会においてネットメディアの参加を実現。ニュースキャスターとして日本で初めてアクティブにPCを持ち込んで生放送を行う。
- 2009年 :3月24日、民主党の小沢一郎代表から記者クラブ解放の原質を取り、記者会見オープン化を大きく前進させる。9月鳩山由紀夫内閣発足後、外国人特派記者等の一部の記者は新たに会見に参加したが、ネットメディアは事実上締め出されていた点を、公約違反であるとして糾弾。官邸、与党、各省庁記者クラブを、フリーランス•一部メディアに開放。「記者クラブ崩壊」(小学館)を出版。
- 2010年 :内閣記者会見開放を正式に申し入れ(幹事社:共同通信、フジテレビ)
- 2011年 : 自由報道協会を創設し代表となる。同協会は小沢一郎氏、堀江貴文氏、元海上保安官の一色正春氏、原子力発電所設計者の上原春男氏、ダライ•ラマ法王の記者会見などを実現。
- 2011年 : 年内でジャーナリストの無期限活動休止を宣言し、翌年以降「元ジャーナリスト」を自称するようになる[2]
- 2012年 : 株式会社NOBORDER 代表取締役設立。
- 2013年 : 一般社団法人の代表の任期は選任後二年以内に再任手続きを要するが、再任はせずNOBORDERの運営に専念することを選び、自由報道協会代表を辞任[3]。2016年現在は副代表となっている。
- 2013年6月 : インターネットニュース番組「ニューズ・オプエド」の放送を開始。
- 2014年6月 :一般社団法人日本ゴルフ改革会議 を創設。
人物
日本の大手メディアの構造についての指摘
日本の大手マスメディアによる談合や横並び・画一報道の危険性を喚起している。記者クラブ問題と並び、官房機密費問題に対しても斬り込む。著書「ジャーナリズム崩壊」の中では「情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が日本のジャーナリズムを貶めている」「他人のものを盗まないのは当然」と指摘している。また、日本のメディアにOp-Ed(OppositeEditorial=社説の反対意見)という思想の多様性を担保するための機構が構築されていない状況を危惧し、誤報や煽動的な情報が流れた際に中庸性が確保できているとはいい難い形にならざるを得ない記者クラブの機構の死角を無くしていくことを求め、「多様な価値観」を座右の銘としている[4]。
「私も信じないで欲しい」
岩井俊二監督映画friend after 3.11において、「厳しいですけど、タイムズも含めてジャーナリズムの最初の要諦として僕でも習ったのは、自分の不都合な情報を出す勇気と覚悟ですよね。やっぱり自分はこう書いたけど間違えていた、と。でも、出す。それが読者を向いているということなんで。やっぱり自分はどうでもいいんで。そこの情報に対して真摯、であることですよね。自分の肩書きとか、メディアに対して忠誠を誓わないで、真実に対して忠誠を誓うっていう唯一の職業ですから、そこは。(中略)これからは上杉さんのことを信じることにします。と言われるんですね。止めてください、と、必ず。私も信じないで欲しい、と。それはたまたま合っていたんだけど、またこっちばっかり信じたら、同じことですよ。僕も間違えますし。NHKも、今回は間違っても、合っていることは多数あるわけです。個々の人達が、情報というのはいっぱいあるのだと、価値観は多様なのだと。そのいろいろな考えのもと、社会は形成されているんだということに気づけば…それが、その作業を何らかの形で手伝うのが、ひとつの、自分のやる仕事かなぁと思ったので」と発言している。(出典;friend after 3.11)
ジャーナリストの自己検証の必要性を訴える
日本にはマスコミやジャーナリスト自身が自己検証・自己批判を行うことで中庸性を確保していく余地があるとして、リテラシーにまつわる倫理観を早急に整備してゆく必要性を訴えている(欧米では訂正欄が確立していて自己検証を行う)。また、日本では客観的報道と謳いながら特定政党を肯定する報道が行われることに苦言を呈しており、生身の人間が関わる以上100%中立性を保った報道は困難であることを謙虚に受け止め、米国の新聞のようにどの政党を支持するか表明して報道する必要があるのではないかと示唆している。その上で、「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと特定政党を支持するような記者を批判しており、記者も国民の一人なので特定の政治家や政党を支持するのは自由であるが、個人的思想を透明性を求められる報道に持ち込むのは避ける心構えが必要があると指摘している。。
利口な「卑怯者」と呼ばれるならむしろ、正直な「愚か者」でありたい
自著「小泉の勝利 メディアの敗北」において「私は自らのミスを器用な方法で取り繕うメディアであるよりも、率直に認めて謝罪するジャーナリストでありたい。なぜなら、利口な『卑怯者』と呼ばれるならむしろ、正直な『愚か者』でありたいと願うからだ。」と記述している。(出典;小泉の勝利 メディアの敗北)
小学生時代は、新宿区内で軟式少年野球チームでサードを守り、キャプテンを務めていた。小学校6年生当時の夢は「野球選手」だったが、卒業アルバムに記すのに皆と同じでは面白くないと思い、兼高かおる世界の旅を観て世界を旅する職業に憧れ、「ジャーナリスト」と書いたという。しかし、中学校入学後はサッカー選手や講談社のブルーバックスに手が伸びすばる望遠鏡やゴルファーになりたいと考えていた。また小学校時代には書道で2回の入賞歴がある。
ゴルフが趣味であり、『ゴルフダイジェスト』などのゴルフ専門誌にも寄稿している。『ゴルフが本業、政治はときどき、を目指してます』と、ゴルフジャーナリストを自称することもある。大学時代には学内でゴルフサークルを設立、代表を務めた。
活動について
ジャーナリズムの五大原則の提唱
情報の信憑性と質を高め、報道される側の反論権を保護するためにも、かねてから国内へのジャーナリズムの五大原則の導入を提唱している。
1、by line...バイライン(署名)を入れること
2、source...ソース(情報源)を可能な範囲で提示すること
3、credit...クレジット(引用•参照元)を示すこと
4、correction...コレクション(訂正欄)を設けること
5、op-ed...オプエド(社説の反対意見)を掲載すること
上記の内容は情報番組『敦と隆の週刊リテラシー」や自身のニューズ番組「オプエド」、自著「ネットでニュースを読むとバカになる」で何度も紹介されている内容である。
また、ジャーナリズム五大原則は、情報を扱う上で、以下のように活用することが出来る、と、ツイッター上で話題になる。
1、署名 これが無い情報を疑う
2、情報源 これが曖昧な情報を疑う
3、引用元 これが曖昧な情報を疑う
4、訂正欄 これがない情報は一方的である可能性がある
5、オプエド 異なる意見を考慮
そのことを踏まえ、「小中高の情報の授業の中へ、情報社会•ネット社会に安全に適応できるよう、上杉のジャーナリズム五原則を盛り込んで欲しい。ジャーナリズム五大原則に挙げられている点を押さえるだけで、国内の言論のレベルは飛躍的に上がっていく。指導要領の見直しより先に五原則を盛り込む方が国力も伸びるだろう。粗悪な量産記事や、裏取りの無い印象論ではない言論が必要である。上杉が提言しているジャーナリズム五原則を徹底していくと、結果的に我が国の倫理や道徳の問題まで整備されていく可能性がある。どういった情報に確度を認めるかについての基準が明確になるほど、ネット空間の情報は質によって振り分けられていく。信用度5つ星の情報にこそ価値がある。」といった視聴者の声がツイッター上にあがっており、長岡市議会議員の池田あきひろはtwitter上で上杉の五大原則について視聴者が説明している呟きに対し「情報化社会において、大事な視点だと思います。自分自身も対応していきたいと思います。」と発信している。
メルトダウン報道にまつわる集団ネットリンチ事件
2011年3月12日、上杉は原子力保安院からの発表に加え、福島第一原子力発電所・3号機の設計者である上原春男に確認を取り、福島原発が炉心溶融(メルトダウン)している可能性を指摘した。このことで、菊池誠氏が「デマじゃないだす」と上杉を嘲笑する発言をしたことを皮切りに、江川紹子氏や小田嶋隆氏らが炎上を煽動した。なお、後述する2016年2月24日のメルトダウン基準発覚後、菊池誠氏は「一週間ほどいなくなります。ツイートもしないと思います。ていうか、たぶん見ないと思います。それでは、みなさんお元気で」と発信し、その姿勢をネット上で批判する声が多く上がっている。 江川紹子氏に至っては、ジャーナリストの常岡浩介氏に対して上杉への批判を強要し、常岡氏は「内容は、ます上杉さんを批判。続いて、『お前も、上杉を批判しろ』と意味不明な強要。それを拒否すると、今度は延々、僕に対する罵倒と、『上杉猊下ばんじゃーい』などの侮辱。他人が読んでいないところでは、こんな文を書く人だったのかと、衝撃を受けた。(中略)無名でビンボなぼくなら脅しに屈するだろうと思ったか」と発信している。 また、町山智浩は「わだば、プロのタカシハンターになる!」と発言し、「twitter タカシハンター」と銘打たれた、銃を持った町山が上杉を仕留める構図に「狙ったタカシは逃がさない」と書き込まれた画像を拡散し、ネット上での私刑を煽動した。しかし、後述するメルトダウン基準マニュアル発覚以降、当時の上杉氏への発言内容について再検証しはじめたアカウントに対し「単にもう関わりたくないだけです。あなたが毎日何回も私についてのツイートし続け、それを上杉隆がRTするので疲れています。私についてのツイートをもうやめてもらえると本当に助かります。そうしてもらえたら私は上杉について一切ツイートしませんのでお願いします。」と発言している。
2016年2月24日、新潟県の原子力発電所の安全管理に関する技術委員会による調査から、東京電力社内に炉心溶融=メルトダウンの判断基準を示すマニュアルが存在していたことが判明した。 また、「元NHKディレクターで、現在は自称経済学者の池田信夫氏は3月14日のブログで「メルトダウンは起こらない」と発言し、「メルトダウン(燃料の大部分が溶解した状態)と報じるジャーナリストらの発言を『デマ』であると吐き捨てています。デマはどちらであったのか答えは明らか」といった2016年4月11日、東京電力の岡村祐一原子力立地本部長代理が社内マニュアルに記載されている炉心溶融(メルトダウン)の判断基準を、事故当時、個人的な知識として把握していたことを明らかにした。「私は(メルトダウンの判断基準を)把握していたが、(事故当時は)直接状況をコントロールする立場ではなかった」と発言している。 高橋裕行は「福島第一原発の炉心溶融の可能性はまずはじめに3月12日に原子力保安院から発表されている。上杉隆さんは、それをすぐにツイートで流した。そして各新聞でもその可能性は報道された。ところがその後、東電は炉心溶融を否定。言葉を弄びながら5月15日になってやっと認める。初めは炉心溶融の可能性を報道したマスコミも、東電が否定してしまうとそこで追究をやめてしまい、今度はメルトダウンを疑う人々は上杉隆さんをはじめ、デマ扱いされる。しかし電源喪失による崩壊熱の上昇から炉心溶融が起きる可能性は、震災前から国会で共産党の吉井英勝議員が追及していた。全電源喪失すれば原子炉を冷却できない。冷却できなければ崩壊熱により燃料は溶ける。その結果、炉心溶融が起きる。こんあことは専門家でなくともちょっと考えれば分かる。ところが、東電が炉心溶融を認める5月中旬まで、炉心溶融やメルトダウンを口にする者はデマゴーグ扱いされた。」と発言している。(出典;twitter )
なお、2016年2月24日のメルトダウン基準マニュアル発覚の報を受けて、5年間に及び明確な悪意をもって誹謗中傷を受けてきた上杉氏に対し、元週刊朝日編集長である山口一臣が名義人として、2016年5月19日に「上杉隆君の名誉回復を祝う会」が憲政会館で開催することとなった。発起人には鳩山邦夫、田原総一郎、三枝成彰、加瀬英明、西川伸一、團紀彦、小沢一郎、中尾ミエ、鳩山由紀夫、松井清人、玉木正之、吹浦忠正、坂本正弘、鈴木宗男、奥田瑛二、下村満子、勝俣伸(富士屋ホテル代表取締役)、猪瀬直樹、鈴木隆道、蟹瀬誠一、和田秀樹、吉田照美、宮内章、中村信隆、藤本順一、鈴木邦子、味方泰宏、古賀茂明、安藤和津、大貫康夫、吉崎達彦、桐島ローランド、紀里谷和明、堀江貴文、宮城泰年、大宅映子、波頭亮、重村智計、佐藤栄佐久、今川憲英、松沢成文、井沢元彦、古川元久、馬淵澄夫、原口一博、川内博史、北澤俊美、木内孝胤、寺脇研、蟹瀬令子、藤田幸久、重信メイ、田村尚之、梅本龍一、長田渚左、野村誠一、木村三浩、武藤真澄、Kダブシャイン、高井英樹、大川貴史、神領貢、佐藤潤一、田中康夫、タケ小山、室井佑月、Howard W. Frenchがいる。(出典;上杉隆事務所公式ウェブサイト)
TVが原発事故後に住民を置いて30km圏内から逃げたと発言しデマ扱いされるも、5年後に事実であったことが証明される
2016年3月7日、テレビ朝日•福島放送制作の番組テレメンタリーにて「その時、『テレビ』は逃げた』が報道され、上杉の発言が事実であったことが証明された。(出典;テレビ朝日公式サイト)
「福島・郡山に人は住めない」というミスリードのためにバッシングを受ける
2012年3月14日付の夕刊フジに掲載された記事の見出し「福島・郡山に人は住めない」は、上杉の発言ではなく、記事を執筆した者が付けたタイトルである。実際には上杉氏が発言したのは「福島市や郡山市には人が住めないほどの高線量のスポットもある。」というものである。この印象誘導によって、上杉氏は各方面から猛烈なバッシングを受けることとなった。後に夕刊フジは、この発言は実際にはなかったと、紙面で訂正している。
不正測定されているという指摘がデマであると拡散される
また福島市役所前の空間線量が「福島民報」や「福島民友」では0.6マイクロシーベルトになっているが同じ日の同じ場所で上杉隆が自分で計測したところ、郡山市役所前の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超え、不正測定が行われているのではないかと報じた。2月14日のメルマガでは郡山市役所の空間線量が1.0 - 1.3マイクロシーベルトだと書いているが、3月14日の夕刊フジではそれが1.8マイクロシーベルトを超えたと書いている[5]。この報道によって、上杉氏は江川紹子や菊池誠らから「デマ発言である」とされ、彼らは自らの支持者を煽動する形で上杉をネット上で吊るし上げている。 なお、この問題は2012年10月1日に朝日新聞によって、水洗いによる不正測定が行われていたことが報じられており、上杉氏の発言内容が正しかったことを裏付ける形となり、幕を引いている。
町山智浩との対決
2012年3月14日、『ニコ生×BLOGOS番外編』にてネット対談が実現[6]。この放送は延べ19万人が視聴した。町山との直接対談を望んでいた上杉は米国からの往復航空券を払うと申し出たが、町山が拒否、ネット対談となった。メルトダウンデマ払拭後、町山の論法は東大論法であるとして、批判されるようになっている。
東日本大震災以降の発言を一括修正
2012年10月14日、東日本大震災以降に使用してきた表現について、
- 震災後の3月、4月、日本の大手メディアは●●については報じていない
- 震災後の春、●●について、記者クラブはほとんど報じていない
- ●●について、政府の発表を受けたマスコミは、事故発生当初、まったくと言っていいほど報じていなかった
のように述べてきたものを
- ●●について、日本の大手メディア(記者クラブ/マスコミ)の一部は報じてはいたものの、読者・視聴者に伝わるほどそれは十分なものではなかった
と訂正することを発表した[7]。 なお、上杉氏の発言は、遍く国民に周知されているかどうか、という点に焦点をあてたものであり、原発事故後の情報開示やメディアの追究姿勢が不十分であったことに変わりはなく、「上杉さんの発言の方が体感に近い。」と, 当時の上杉氏の発言内容を擁護する声がSNS上などに上がっている。
「麻生クーデター」説
2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事[8]を書いた。麻生と与謝野馨内閣官房長官(当時)が首相を退陣に追い込む「クーデター」を起こしたという説(クーデター説)について麻生、与謝野は公然と反論した[9]。また、安倍も公式の記者会見で否定している[10]。
麻生内閣に関する報道
2008年10月2日、自身のブログの中で、マスメディアが報道していた麻生内閣成立直後の「冒頭解散説」を、麻生首相周囲に解散の気配が無い事を理由に否定した[11]。その後、麻生首相が臨時国会冒頭の衆院解散を決意した可能性[12]があったが、上杉は麻生本人に解散の意向がそこまで強かったかについて、否定的な見解を示している[13]。その後、上杉は10月16日の補正予算の成立を理由に、初めて解散の可能性が出てきたことを述べたが[14]、麻生が実際に10月中旬以降の衆院解散を望んでいたという情報[15][16]が新聞報道などで11月になって明らかにされた。
外務省による抗議
2008年10月21日発売の『週刊朝日』(2008年10月31日号)「麻生『外交』敗れたり」において、上杉は、担当記者とのオフレコ懇談会で外務省齋木昭隆アジア大洋州局長が、「いい加減な記事を書くな」と激高したこと、匿名の外務省幹部が「中曽根外相ほど無能な大臣も珍しい」と述べたことを書いた。外務省は、10月22日、「(斎木局長の)発言内容も激高したという点も、いずれも事実と異なる」、外務省幹部の大臣に関する発言も、「幹部が上杉氏の取材を受けた事実は確認されず、信憑性は疑問だ」と、朝日新聞出版に対し、記事内容についての抗議を行い、訂正を求めた[17]。これに対し上杉は、『週刊朝日』(2008年11月7日号)において、懇談会の様子と斎木局長の発言内容[18]、匿名の外務省幹部の発言「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」[19]を記述し、反論している。その後、鈴木宗男衆議院議員より、「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」が提出され、政府は、斎木局長の発言事実はなかったとする答弁書を閣議決定している[20][21]。
民主党主催ゴルフコンペ
2008年10月28日、ジャーナリストの山岡俊介により、同年5月5日から翌6日に民主党主催のゴルフコンペに参加していたと報じられる。山岡は取材対象相手とは節度ある付き合いをするのが鉄則であり、マスコミ関係者が抵抗感もなく参加することは問題だと批判した[22][23]。上杉はゴルフに参加していた事実を認めた上で、「費用は自腹で払った」と証拠を見せて説明した。また、ゴルフをプレーするだけで癒着や接待とみなすことは、ゴルフ競技への無理解だと反論をしている。
上杉は2010年2月11-13日のtwitterにおいて、これに関する一連の書き込みを行った。たとえば「自民党秘書会ゴルフコンペにて現在トップスコア、と山岡俊介氏に強くアピールしてみる。ちゃんと正しい記事を書いてください、山岡さん(怒)。」[24]との記述があり、twitterの字数制限のため簡略な記述だが「自民党関係者ともゴルフはしており、一党派に偏っているわけではない」との意味を込めたと見られる。
その後の記述ではウィキペディアのゴルフ問題の項目にもリンクを張った上で
- 二年前に抗議し、山岡は『ああ、直します』と約束しながら無視している
- コンペ参加費込み2万1千円(※の領収書という意味か)を当時山岡に提示した
- ジュニア時代含め自腹以外のゴルフは一切ないとも伝えた
朝日新聞記者批判記事
2008年12月、著書『ジャーナリズム崩壊』にて、朝日新聞の記者本多勝一と疋田桂一郎がフリージャーナリストの岩瀬達哉を名誉毀損で訴えたとして、名誉毀損で訴えたことは「言論の場での論争を放棄して、司法という権力に判定を委ねることは、反権力を標榜してきた「ジャーナリスト」にとって自殺行為」などと本多と疋田を批判した。しかし、本多が週刊金曜日12月19日号にて「『ジャーナリズム崩壊』に見るジャーナリスト崩壊」と題して、疋田が岩瀬に対する反論書を自費出版して、岩瀬がその反論書を名誉毀損として訴えたというのが事実であり、本多と疋田が訴えたとする上杉の記事は事実と違うと反論した。またこの件に対して疋田夫人から上杉隆への質問状を送ったが未だに返信がないとして質問状の内容を全文公開した。
その後、上杉隆はブログ上で謝罪を行ったことと、書籍の訂正内容を公表したが、書籍にはまったく反映されていない[28]。
安倍晋三事務所からの抗議
2009年2月19日発売の『週刊文春』(2009年2月26日号)に「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる『後援会』」と題する記事で、安倍元総理を批判した。これに対して安倍事務所は、「事実無根のでっち上げの捏造記事」として週刊文春編集部を通じて上杉に公開質問状を送付した[29]。
「週刊文春」名義で回答したが、「当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください。」と記してあったと、安倍事務所は安倍のホームページで批判した。安倍事務所は、「週刊誌という媒体を使い大々的に安倍議員を誹謗中傷しておきながら抗議されると『それは密室でやりましょう』というのは虫が良すぎる」などと指摘し、HP上に上杉隆の主張を否定する証拠写真などを掲載し、上杉に再度公開質問状を3月5日付けで提出した。しかし上杉は、安倍側が設定した回答期限に従わず、2度の「回答延期のお願い」をした上で[30]、3月22日に回答した。さらに上杉が「二千人以上収容可能な事務所を設営」と書いた記事について、上杉は回答の中で「読売新聞」[31]から引用したと説明したが、安倍事務所は、週刊文春の記事に引用元が示されておらず、元の読売新聞の記事自体も誤りであり、さらに上杉はその記事の内容を改竄して記事をデッチあげた、と批判した[32]。また安倍事務所は、「当初は週刊文春編集部の影に隠れ、今度は文春の顧問弁護士に任せるという卑劣な手段に出た」「上杉隆氏のデタラメさがはっきりし、これは大変と弁護士に依頼されたのだと思います」と批判している[33]。これらに対し上杉は、「安倍晋三氏のHPの質問についての当ブログでの対応は、これから誠実に行なう予定だ」と述べ、「安倍氏からの数回にわたる通知書については、「週刊文春」編集部を通じて、正式に回答を出している」、「「逃げている」という安倍氏の筆者に対する批判は当たらない」とし、「強く抗議する」と自身のブログで主張している[34]。ただし、安倍と並べて抗議の対象となった阿比留は「彼から抗議や撤回要求の申し入れは来ていない」としている[35]。
安倍事務所は2009年7月3日にホームページで、上杉のブログでの発言「責任ある回答は、必ず、届ける」を引用し、上杉から何の回答もなく嘘つきだと批判した[36]。これに対し、上杉は2010年1月7日のTwitterにおいて、自身に寄せられた「安倍に謝罪したのか」という趣旨のコメントに答える形で「多いんです。wikipediaを鵜呑みにする方。反論せずに逃げているのは安倍元首相の方ですよ。wikiの記述が逆に書かれているだけ。ずっと放置してますけど(笑)」「過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています」と発言。この「2009年の週刊文春記事への安倍側の批判」と「自身の長年の、質問・取材要請への安倍の拒否」を対比させて問題をすり替え、「逃げているのは安倍である」とする主張は、2009年3月27日付のブログ記事でもなされている。また、『たかじんのそこまでやって委員会』の動画でも、上杉は「安倍さんに対して現地で取材をしたときにこの件に対して直接反論したにもかかわらずホームページには反論を載せずに“一回も反論をせずに逃げ回っている”と嘘を書いている」(ただし上杉自身も反論を公表していない。)、「この記事で間違っていたのは壇上には上がっていたが真ん中ではなく端っこだった。これについては私の記述ミスです。それ以外の内容には間違いがない」と話している[37]。
検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題
上杉が2010年2月3日のTwitterに、東京地検特捜部から『週刊朝日』編集部に出頭要請が来たことを記載した[38]。『週刊朝日』は公式サイト「週刊朝日 談」にて出頭要請の事実を否定した[39]。その後、ジャーナリストの岩上安身がTwitterに検察の出頭要請があったことは事実であることを記載し[40]、検察が記者クラブを通じて朝日新聞本社に「圧力」を掛け、それに屈した朝日新聞本社が、『週刊朝日』に対して、出頭要請は伏せ検察から抗議文が来たことだけにしろと指示したことも記載した[41]。上杉も、2010年2月3日午前10:56に東京地検から編集長に面会の要請があったことをTwitter上で記載している[42]。
これに対し、元NHK報道局ディレクターの池田信夫は、朝日新聞東京本社のTwitterの出頭要請を否定した記載[43]などを元に、「『検察が週刊朝日に出頭要請した』とかいうガセネタがツイッターをにぎわした」、「こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が『検察がマスコミを自由自在に操っている』と思っているからだろう」と自身のブログにて上杉を批判した[44]。しかし後日ネット上にて上杉と討論した際、上杉から当該記述について取消しを求められ、自らの非を認めて取り消すことを約束した(しかし、2010年3月1日現在、記述は取り消されていない模様)。
『週刊朝日』は、その後、公式サイト「週刊朝日 談」に山口が経緯説明を載せ、自身が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」「事実はありません」と記したが、東京地検の谷川恒太次席検事から記事に対する抗議の電話があり、谷川より「こちら(検察庁)に来ていただけますか?」と伝えられたことは明かした。この説明の中で、出張中の山口が当日出向くことが出来ない旨を伝えると、抗議書を送るとし、それが編集部に送られ、後日、山口は谷川に対して直接連絡が取れず、検察庁の広報官を通じて、「現時点でご足労いただく必要はありません。また、改めての取材には応じかねます」との返事が来たことを明かした[45]。 岩上は、検察と朝日本社に逃げ道を用意した編集長の談話であり、実際に起きたことは「出頭要請」であると記し[46]、上杉も、検察官という一捜査機関である谷川から「こちらに来ていただけますか」と連絡を受けたことは、出頭=本人自ら、ある場所、特に、役所などに出向くこと(広辞苑)であるから、紛れもなく「出頭要請」であると記している[47]。
福田元首相批判記事
週刊朝日2010年4月16日号にて「『赤いファイル』(公文書)廃棄疑惑・・・外務省の“暴挙”を認めたのは福田元首相だった。」という記事を書き、福田元首相が公文書廃棄の共犯であると批判した。しかし、福田元首相の事務所より「『公文書廃棄疑惑』についてはまったく知りません」「文書廃棄について了承を与えた事実はない」と抗議を受け、確認を怠り虚偽の記載をしたことを認め、週刊朝日5月26日号の巻末の編集後記の隣に謝罪文を掲載した。
フジテレビ新報道2001の降板
『報道2001』から『新報道2001』にリニューアルされ、竹村健一の代わりに毎週出演していた。しかし2009年3月15日の放送で検事の実名を挙げて検察を批判した際、笹川堯自由民主党総務会長、弁護士の宗像紀夫から猛抗議を受け、同番組を降板させられた。
「記者クラブ制度」糾弾
多くの著書や連載で、「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、日本の大手メディアに属す記者クラブメンバーのみの参加者・質問者、という日本の制度を批判している。ニューヨークタイムス、ワシントンポストなど海外大手メディアも記者クラブには入れないため、上杉は、直接会見に参加できないことがアジア支社の日本完全撤退・縮小の原因となったと主張している[48]。上杉は記者クラブ制度について、日本特有の制度だと批判し、記者会見でも政治家、大臣に対し会見の開放を求める立場から質問。2009年の民主党による政権獲得以降、複数の省庁が記者会見をオープンにしたり、フリー記者やネットメディアを対象とした懇談を行うきっかけとなった。
その中でも有名なものに、2009年3月24日、民主党・小沢一郎代表の記者会見がある。同会見で上杉は「政権交代が実現したら記者クラブを開放し(続け)て首相官邸に入るのか」と質問。小沢は 「日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。(略)どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」と回答した[49]。同種の質問を、その後同党の代表になった鳩山由紀夫にもぶつけ、オープンな会見への方針に変化が無いとの言葉を引き出した。民主政権になり一部の記者会見ではオープンになった。
現在、数名のフリーランス記者やインターネットメディアのニコニコ動画が総理会見に出席できるのは、このときの上杉の尽力によるものである。
2011年1月26日に自由な記者会見の場を提供すべく「自由報道協会」を結成した[50]。
安倍首相と秘書が告発された件についての報道内容批判
2014年8月19日のニューズ・オプエド内にて安倍首相と秘書が告発されたニュースについて3月3日に小沢一郎の秘書が逮捕された時の報道内容と比べて、小沢一郎の秘書が逮捕された時はニュース・テレビすべてがトップニュース扱いだったのに安倍首相と秘書が告発されても対して報道されてない。
この2つの事件の構図は全く一緒なのにここまで報道内容が違うのは不思議だとテレビや新聞批判を行った。
毎日新聞の記事が「世襲議員のからくり」からの剽窃だと批判
毎日新聞の「小渕氏資金管理団体:不透明支出、5年間で1000万円超」[51]という記事の中で、父小渕恵三の資金管理団体から1億2000万円が、別の二つの政治団体を迂回して小渕優子の未来産業研究会に引き継がれたという部分が「世襲議員のからくり」に書かれている内容と金額も内容も一致していると批判している[52]。
受賞歴
- 第8回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞 (2002年)企画賞 - 「一連の田中真紀子追及記事」(週刊文春2001年5月3日・10日合併号)
著書
- 『石原慎太郎「五人の参謀」』(小学館文庫、2000)
- 『田中真紀子の恩讐』(小学館文庫、2001)
- 『田中真紀子の正体』(草思社、2002)
- 『議員秘書という仮面 - 彼らは何でも知っている』(小学館文庫、2002)
- 『小泉の勝利 メディアの敗北』(草思社、2006)
- 『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』(新潮社、2007) - 韓国語版も発売された。
- 『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書、2008)
- 『宰相不在 崩壊する政治とメディアを読み解く』(ダイヤモンド社、2009)
- 『政権交代の内幕 民主党は日本をどう変えるのか』(PHP研究所、2009)
- 『民主党政権は日本をどう変えるのか』(飛鳥新社、2009)
- 『世襲議員のからくり』(文春新書、2009)
- 『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』(小学館101新書、2010)
- 『結果を求めない生き方 上杉流脱力仕事術』(アスコム、2010)
- 『上杉隆の40字で答えなさい』(大和書房、2010)
- 『小鳥と柴犬と小沢イチローと 日本を面白くしてしまった政治家47人の罪と罰』(ビジネス社、2010)
- 『なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか マイクロジャーナリズムが政治とメディアを揺らす8つの話』(晋遊舎新書、2010)
- 『ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命』(光文社、2011)
- 『この国の「問題点」〜続・上杉隆の40字で答えなさい〜』(大和書房、2011)
- 『放課後ゴルフ倶楽部』(ゴルフダイジェスト社、2011)
- 『国家の恥 一億総洗脳化の真実』(ビジネス社、2011)
- 『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』(PHP研究所、2012)
- 『大手メディアが隠す ニュースにならなかったあぶない真実』(PHP研究所、2012)
- 『メディアと原発の不都合な真実』(技術評論社、2012)
- 『偽悪者〜トリックスターが日本を変える〜』(扶桑社、2013)
- 『ニュースをネットで読むと「バカ」になる ソーシャルメディア時代のジャーナリズム論』ベストセラーズ 2015
- 『悪いのは誰だ!新国立競技場』(扶桑社新書、2015)
共著
- 『暴走検察』週刊朝日取材班共著 (朝日新聞出版、2010
- 『永田町奇譚 もしニッポンの総理が東スポを愛読してたら・・・』(藤本順一共著、扶桑社、2010
- 『報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪』(烏賀陽弘道共著、幻冬舎、2011)
- 『だからテレビに嫌われる』(堀江貴文共著、大和書房、2011)
- 『リアルタイムメディアが動かす社会: 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平』(八木啓代,常岡浩介,岩上安身,すがやみつる,渋井哲也,郷原信郎,津田大介共著、東京書籍、2011)
- 『有事対応コミュニケーション力』生きる技術!叢書 (鷲田清一,内田樹,岩田健太郎,藏本一也共著、技術評論社、2011
- 『私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています』(飯田哲也,内田樹,江田憲司,開沼博,坂本龍一、高橋源一郎、田中三彦、藤原帰一、保坂展人、丸山重威、和田光弘、古賀茂明、小出裕章共著、ロッキング・オン、2011
- 『誰がこの国を壊すのか』(森達也共著、ビジネス社、2012
- 『がんばらないから上手くなった。』田村尚之共著 ゴルフダイジェスト新書 2015
- 『淳と隆のなんだかおかしいニューズの裏側』田村淳共著 双葉社 2015
執筆・対談掲載新聞・雑誌
- 東京スポーツ
- 週刊朝日
- 週刊文春
- 週刊新潮
- 文藝春秋
- 週刊ポスト
- 新潮45
- 週刊SPA! 「革命前夜のトリスタたち」
- 週刊プレイボーイ 「AKB48でもわかるニュースの言葉」
- SAPIO
- サイゾー
- 週刊ゴルフダイジェスト
- 論座
- サンデー毎日
- WiLL
- 正論
- AERA
- 創
- Voice
- ゲーテ
- Grazia
主な出演番組
テレビ
- ニュースの深層(朝日ニュースター )2012年3月まで火曜日レギュラー司会
- 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中(日本テレビ)
- 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ)
- 中居正広の10文字で解説できたら格好いい!ニュースのギモン(テレビ朝日)
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)
- 朝まで生テレビ!(テレビ朝日)
- 情報プレゼンター とくダネ!(フジテレビ)
- ニュースJAPAN(フジテレビ)
- めざましどようび(フジテレビ)
- サキヨミ(フジテレビ・関西テレビ)
- 新報道2001(フジテレビ)
- 久米宏のテレビってヤツは!?(毎日放送)
- 5時に夢中!(TOKYO MX)毎月最終金曜日「マジだったのか!上杉隆の学べるブラックニュース」レギュラー
- 淳と隆の週刊リテラシー (TOKYO MX) MC
- U型テレビ(北海道文化放送)月曜コメンテーター
- 新春討論・平成22年この国の行方(日本文化チャンネル桜)
ラジオ
- 高野孟のラジオ万華鏡(JFN)
- 小島慶子 キラ☆キラ(TBSラジオ)火曜日「コラ☆コラ」
- 吉田照美 ソコダイジナトコ(文化放送)水曜日
- TIME LINE(TOKYO FM)水曜日
- サードプレイス(JFN)毎月第2月曜日「月刊・上杉隆 ニュースの見方」
- Green Jacket(InterFM)毎月第4土曜日「スポーツのツボ」
映画
- friends after 3.11 (2012.3) 監督:岩井俊二
- 鷹の爪GO (2013.9) 監督:FROG MAN
- 裸のいとこ (2013.11) 監督:大鶴義丹
脚注
- ^ “大波を作れるか?産声を上げた「日本ゴルフ改革会議」とは”. GDO ゴルフダイジェストオンライン. (2014年6月27日)
- ^ 無期限活動休止のおしらせ - 上杉隆公式サイト・2011年4月2日
- ^ “代表理事辞任のご挨拶”. 自由報道協会 (2013年5月17日). 2013年5月19日閲覧。
- ^ 上杉隆をうならせた ジャーナリズムの先輩たちの言葉
- ^ 郡山市役所前水洗い問題
- ^ ニコ生×BLOGOS番外編「3.14頂上決戦 上杉隆VS町山智浩 徹底討論」BLOGOS(ブロゴス)
- ^ 【上杉隆事務所よりおしらせ】
- ^ 「筆者〔上杉〕は官邸周辺から、安倍が「麻生に騙された」と苦い言葉を漏らす場面を聞いている。そもそも、身内だけに漏らした不満の言葉だ」(『週刊文春』2007年9月27日)。
- ^ “麻生氏らの「クーデター説」、首相が明確に否定”. 読売新聞. (2007年9月24日). オリジナルの2008年6月11日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ “「改めて深くおわび」安倍首相、都内の病院で陳謝の会見”. 読売新聞. (2007年9月24日). オリジナルの2008年6月11日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ “麻生首相に解散の気配なし 解散日程を勝手に捏造したマスコミの困惑”. ダイヤモンド・オンライン. (2008年10月2日). オリジナルの2008年10月2日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 「『文藝春秋』2008年10月10日、「10月上旬解散」念頭にあった?=麻生首相が月刊誌に手記[リンク切れ]」『時事通信』2008年10月28日。
- ^ “誠に遺憾に存じます/文春「麻生論文」の筆者は朝日編集委員の噂”. 週刊新潮 2008年10月30日号. (2008年10月23日). オリジナルの2008年10月26日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 『東京脱力新聞2.0』2008年10月17日。「やっと正式な解散風が吹いてきた」
- ^ “麻生首相:先月13日解散明言 心変わりで公明と亀裂”. 毎日新聞. (2008年11月2日). オリジナルの2008年11月13日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 「解散「やろうやろう」=先月10日、首相が細田氏に[リンク切れ]」『時事通信』2008年11月1日。
- ^ “外務省が週刊朝日に異例の抗議、訂正求める”. MSN産経ニュース. (2008年10月22日). オリジナルの2008年10月27日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 『「情報公開もしないくせに、われわれの紙面を批判する。到底容認できない-」 毎日新聞の記者がこう詰問した直後、斎木局長は顔を紅潮させて反論した。「だから、私は自分の非を認めたじゃないか。ミスリードしたって認めたじゃないか」』「“「外務省が本誌に抗議」に反論する!”. 週刊朝日 2008年11月7日号. オリジナルの2008年12月24日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。」
- ^ 上杉は反論記事で、その匿名の外務省幹部に再び確認、「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」と、中曽根大臣を批判したことは認めたと主張した。“「外務省が本誌に抗議」に反論する!”. 週刊朝日 2008年11月7日号. オリジナルの2008年12月24日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ “政府答弁書で「週刊朝日」上杉記事を否定”. MSN産経ニュース. (2008年11月11日). オリジナルの2008年12月4日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書[リンク切れ]」衆議院 質問答弁経過情報
- ^ 「軽井沢1泊ゴルフコンペ付き 民主党のマスコミ接待リスト出回る」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年10月28日。
- ^ 「民主党のマスコミ接待リスト 上杉隆氏の釈明」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年11月3日
- ^ http://twitter.com/uesugitakashi/status/8941927573
- ^ http://twilog.org/uesugitakashi/date-100211
- ^ http://twilog.org/uesugitakashi/date-100212
- ^ http://twilog.org/uesugitakashi/date-100213
- ^ http://blog.livedoor.jp/uesugitakashi/archives/51627578.html
- ^ “<相次ぐ週刊誌の事実無根の中傷・捏造記事><週刊文春>上杉隆氏に抗議・通知書送付”. 安倍晋三. (2009年2月26日). オリジナルの2009年2月28日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 上杉隆氏 公開質問状に対する回答期限守らず[リンク切れ](安倍晋三のホームページ)
- ^ 読売新聞1993年7月11日号「二千人以上を庭に集めることができる巨大事務所を設営、名簿の再チェック、ローラー作戦を展開」
- ^ 『上杉隆さん!答えて下さい』<追記>[リンク切れ]
- ^ 《上杉隆氏の嘘 動かぬ証拠》 (安倍晋三のホームページ)[リンク切れ]
- ^ 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) 〜ゴルフとスパと、時々、永田町2009.3.27【謝罪要求】 自称「保守政治家」を嗤う 万国の「自称ジャーナリスト」(JJ) よ、分裂せよ! 【反撃開始】
- ^ 上杉隆氏の低次元なレッテル貼り癖について[リンク切れ]
- ^ 変わらぬ上杉 隆氏の本性
- ^ “【無料動画】「官房機密費問題」上杉隆の反論(2010.07.18)”. たかじんのそこまでやって委員会. (2010年7月18日). オリジナルの2010年7月21日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “旧き友を暢気にランチに誘っていたら、東京地検特捜部から編集部に出頭要請がきた昼下がり。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。
- ^ 『週刊朝日 談』10/02/03[リンク切れ]「2月3日午前、山口一臣編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がインターネット上、ツイッター上で飛び交っておりますが、出頭要請はありません」とした。
- ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!(中略)以下が真相。今日の午前中、検察から週刊朝日に対して、文書が届き、すぐに来てくれ、捜査妨害だ、話を聞きたいと。明白な出頭要請が。”
- ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “重要!2 この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。なんと朝日新聞本社は、この圧力に屈して、週刊朝日編集部トップに対し、抗議文が来たことだけにして、出頭要請は伏せろと指示。”
- ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。 “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。同時刻、電話にて同編集長との面会を要請。地方出張のため「明日以降」と地検側に回答。”
- ^ 朝日新聞東京本社編集局 (2010年2月3日). “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、”. asahi_tokyo. 2010年2月6日閲覧。 “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、出頭要請はありません。週刊朝日編集部に確認したところ、東京地検からこの記事への抗議書が届いたとのことです。”
- ^ 池田信夫 (2010年2月3日). “マスコミの「立件バイアス」”. 池田信夫blog part2. 2010年2月6日閲覧。
- ^ “お騒がせして申し訳ありません”. 朝日新聞出版. (2010年2月6日). オリジナルの2010年2月7日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧. "『2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。』
『指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。』" - ^ 岩上安身 (2010年2月5日). “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。おそらく、検察と朝日本社に「逃げ道」を用意してあげたのでしょう。山口さんとは面識がありませんが、大人ですね。”
- ^ 上杉隆 (2010年2月5日). “山口一臣さ〜ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。”. uesugitakashi. 2010年2月7日閲覧。 “山口一臣さ〜ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。 cf: しゅっ‐とう【出頭】 本人自ら、ある場所、特に役所などに出向くこと。(広辞苑)”
- ^ 「[記者クラブ崩壊]」
- ^ “小沢代表から記者クラブ開放の言質をとった記者会見での質問”. ダイヤモンド・オンライン. (2009年3月26日). オリジナルの2009年3月27日時点におけるアーカイブ。 2013年11月10日閲覧。
- ^ ついに「日本自由報道記者クラブ協会」を旗揚げ!週刊上杉隆・第159回
- ^ 小渕氏資金管理団体:不透明支出、5年間で1000万円超[リンク切れ](アーカイブ 2014/10/27)
- ^ 【世襲議員のからくり】小渕優子経産大臣 迂回献金、無税相続、差額買収
参考文献
- 「上杉隆インタビュー」『ダカーポ』No618、マガジンハウス社
外部リンク
- サイト
- 公式サイト
- NO BORDER『ニューズ・オプエド』公式サイト
- NO BORDERコーポレートサイト
- 上杉隆 (uesugitakashi) - X(旧Twitter)
- 上杉隆 (uesugitakashi) - Facebook
- 上杉隆事務所 (@officeuesugi) - X(旧Twitter)
- 自由報道協会 公式サイト
- ブログ
- メールマガジン
- 動画
- SPA対談 上杉隆×ホリエモン 2009.04 - YouTube ホリエモン チャンネル
- 上杉隆・咢堂塾特別公開講座「日本政治の行方」 2009.10.05 - YouTube 尾崎行雄 記念財団公式チャンネル