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{{基礎情報 |
{{基礎情報 文学作品 |
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|題名 = 櫻の樹の下には |
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|訳題 =Beneath the Cherry Trees |
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|author = [[梶井基次郎]] |
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|作者 = [[梶井基次郎]] |
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|translator = |
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|国 = {{JPN}} |
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|illustrator = |
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|言語 = [[日本語]] |
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|ジャンル = [[短編小説]]、[[掌編小説]]、[[散文詩]] |
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|publisher = [[厚生閣]](季刊誌『[[詩と詩論]] 第二冊』) |
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|シリーズ = |
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|genre = [[短編小説]] |
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|発表形態 = 雑誌掲載 |
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|country = {{JPN}} |
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|初出 = 『[[詩と詩論]]』<br>1928年[[12月5日]]発行・第二冊 |
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|language = 日本語 |
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|初出の出版元 = [[武蔵野書院]] |
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|type = 雑誌掲載 |
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|収録 = 作品集『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』 |
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|収録の出版元 =[[武蔵野書院]] |
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|収録の出版年月日 =[[1931年]][[5月15日]] |
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|題字 =[[梶井基次郎]] |
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|portal1 = 文学 |
|portal1 = 文学 |
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『'''櫻の樹の下には'''』(さくらのきのしたには)は、[[梶井基次郎]]の短編小説。[[散文詩]]と見なされることもある |
『'''櫻の樹の下には'''』(さくらのきのしたには)は、[[梶井基次郎]]の[[短編小説]]([[掌編小説]])。[[散文詩]]と見なされることもある。満開の桜や[[カゲロウ|かげろう]]の生の美のうちに[[屍体]]という醜や死を透視し惨劇を想像するという[[デカダンス]]の心理が、話者の「俺」が聞き手の「お前」に語りかけるという物語的手法で描かれている<ref name="album4">「[[湯ヶ島温泉|湯ヶ島]]の日々」({{Harvnb|アルバム梶井|1985|pp=65-83}})</ref><ref name="yoshikawa">{{Harvnb|吉川|1995}}</ref>。近代文学に新たな桜観をもたらした作品でもあり、「'''桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!'''」という衝撃的な冒頭文は有名である<ref name="kashi42">「第四部 第二章 帰阪」({{Harvnb|柏倉|2010|pp=367-376}})</ref><ref name="ichikawa">{{Harvnb|市川|2005}}</ref>{{refnest|group="注釈"|共通する桜イメージを主題にした作品に[[坂口安吾]]の『[[桜の森の満開の下]]』がある<ref>{{Harvnb|応傑|2006}}</ref>。[[村上龍]]はこの冒頭の一文に影響され、『櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。』というタイトルの随筆とその同名随筆集を出版している。}}。 |
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== 発表経過 == |
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[[1928年]](昭和3年)、季刊誌『[[詩と詩論]] 第二冊』12月号に掲載された。3年後の1931年(昭和6年)5月に[[武蔵野書院]]より刊行の作品集『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』に収録された。文庫版は[[新潮文庫]]『檸檬』、[[ちくま文庫]]『梶井基次郎全集 全一巻』などに収録されている。 |
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[[1928年]](昭和3年)12月5日発行の[[季刊]][[同人誌]]『[[詩と詩論]]』第2冊に掲載された<ref name="otani12">「第十二章 小さき町にて――王子町四十四番地」({{Harvnb|大谷|2002|pp=259-282}})</ref><ref name="nenpu-b">[[鈴木貞美]]「梶井基次郎年譜」({{Harvnb|別巻|2000|pp=454-503}})</ref>{{refnest|group="注釈"|短い作品のため、すでに『近代風景』5月号に発表済みの「[[器楽的幻覚]]」も同時に掲載された<ref name="otani12"/>。}}。その後、基次郎の死の前年の[[1931年]](昭和6年)5月15日に[[武蔵野書院]]より刊行の作品集『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』に収録された<ref name="nenpu-b"/>。同書には他に17編の短編が収録されている<ref name="shoshi">[[藤本寿彦]]「書誌」({{Harvnb|別巻|2000|pp=516-552}})</ref>。 |
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翻訳版は、[[ジョン・ベスター]]・Stephen Dodd訳による英語(英題:Beneath the Cherry Trees、またはUnder the Cherry Trees)、Christine Kodama訳による[[フランス語]](仏題:Sous les cerisiers)、Matthias Igarashi訳による[[ドイツ語]](独題:Unter den Kirschbäumen)で出版されている<ref name="honyaku">ウィリアム・J・タイラー編「外国語翻訳及び研究」({{Harvnb|別巻|2000|pp=640-642}})</ref><ref>{{Harvnb|Dodd|2014}}</ref><ref>Hefte für ostasiatische Literatur [https://www.iudicium.de/katalog/86205-170.htm Nr. 52 (Mai 2012)], iudicium-Verlag, München, ISBN 978-3-86205-170-0</ref>。 |
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== あらすじ == |
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灼熱した[[生殖]]の幻覚させる[[後光]]のような、人の心を撲たずにはおかない、不思議な生き生きとした美しい満開の[[桜]]の情景を前に、逆に不安と憂鬱に駆られた「俺」は、桜の花が美しいのは樹の下に[[屍体]]が埋まっていて、その腐乱した液を桜の根が吸っているからだと想像する。 |
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そして[[ウスバカゲロウ|薄羽かげろう]]の生と死を見て、[[剃刀]]の刃に象徴される惨劇への期待を深める。花の美しい生の真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた神秘から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語る。 |
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== 削除された最終断章 == |
== 削除された最終断章 == |
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『櫻の樹の下には』は初出時、4つの断章で構成された作品であったが、刊行本『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』収録時に最終章( |
『櫻の樹の下には』は初出時、4つの断章で構成された作品であったが、刊行本『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』収録時に最終章(冒頭部近くにある〈剃刀の刃〉の話に対応している後半部分)は削られた。しかし、ここをなぜ、梶井が削除したかの理由は明らかではない<ref name="album4"/><ref name="yoshikawa"/><ref name="kashi42"/>。〈剃刀の刃〉の話の削られた後半部分は以下の内容である。 |
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{{Quotation|――それにしても、俺が毎晩家へ帰つてゆくとき、暗のなかへ思ひ浮んで来る、剃刀の刃が、空を翔ぶ[[蝮]]のやうに、俺の[[頚動脈]]へかみついてくるのは何時だらう。これは洒落ではないのだが、その刃には、<br /> |
{{Quotation|――それにしても、俺が毎晩家へ帰つてゆくとき、暗のなかへ思ひ浮んで来る、剃刀の刃が、空を翔ぶ[[ニホンマムシ|蝮]]のやうに、俺の[[頚動脈]]へかみついてくるのは何時だらう。これは洒落ではないのだが、その刃には、<br /> |
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Ever Ready (さあ、何時なりと)<br /> |
Ever Ready (さあ、何時なりと)<br /> |
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と書いてあるのさ。}} |
と書いてあるのさ。|梶井基次郎「櫻の樹の下には」(『[[詩と詩論]]』第2冊掲載)}} |
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== 作品背景 == |
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<small>※梶井基次郎の作品や随筆・書簡内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。</small> |
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灼熱した[[生殖]]の幻覚させる[[後光]]のような、人の心を撲たずにはおかない、不思議な生き生きとした美しい満開の[[桜]]の情景を前に、逆に不安と憂鬱に駆られた「俺」は、桜の樹が美しいのは下に屍体が埋まっているからだと想像する。そして[[カゲロウ|かげろう]]の[[死]]や、[[剃刀]]の刃に象徴される惨劇への期待を深める。花の美しい[[生]]の真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた[[神秘]]から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語っていく。 |
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=== 湯ヶ島滞在 === |
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[[梶井基次郎]]は[[転地療養]]のため[[1926年]](昭和元年)の[[大晦日]]から[[伊豆市|伊豆]][[湯ヶ島温泉|湯ヶ島]]を訪れ、[[川端康成]]の紹介で[[1927年]](昭和2年)[[元旦]]から「湯川屋」に長期滞在するようになった<ref name="album4"/><ref name="otani8">「第八章 [[冬至]]の落日――飯倉片町にて」({{Harvnb|大谷|2002|pp=162-195}})</ref>(詳細は[[梶井基次郎#伊豆湯ヶ島へ――『青空』廃刊]]を参照)。2月中旬頃、[[大仁町|大仁]]に掛かっていた動物の見世物が[[下田市|下田]]へ移動する際、貨物自動車に載せられない大きな[[象]]や[[ラクダ]]が[[下田街道|街道]]上を歩いていった<ref name="sho223">「[[淀野隆三]]宛て」(昭和2年3月7日付)。{{Harvnb|新3巻|2000|pp=197-199}}に所収</ref><ref name="otani9">「第九章 白日の闇――湯ヶ島その一」({{Harvnb|大谷|2002|pp=196-215}})</ref><ref name="kashi35">「第三部 第五章 三好との友情」({{Harvnb|柏倉|2010|pp=280-289}})</ref>。その時、地域の小学校も臨時休校になり、ふだん静かな山里は一大イベントで賑わった。子供や村人に混じって基次郎と川端夫妻もその珍しい行進見物を楽しんだ<ref name="otani9"/><ref name="kashi35"/>。 |
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一行が去った後も基次郎は、〈どこか あの日の巨大な足跡でも残つてゐないか〉と、[[伊豆の踊子]]に喩えたその〈可憐なものが歩いてゐる〉光景を心から〈想望〉し、その後も川端と2人で動物たちの話題に興じた<ref name="sho223"/><ref name="kashi35"/>。春になると「湯川屋」の真向いからは、[[伊豆市|世古峡]]の断崖に生える[[ソメイヨシノ|染井吉野]]が見られ、4月には満開の美しい[[ヤマザクラ|山桜]]を眺めた<ref name="sho232">「淀野隆三宛て」(昭和2年4月10日付)。{{Harvnb|新3巻|2000|pp=207-211}}に所収</ref>。都会では見られない風景や植物や昆虫、動物の生態([[河鹿]]の[[交尾]]、生け捕りにされた藪熊など)は、その後の基次郎の作品の題材になっていった<ref name="otani9"/><ref name="kashi35"/><ref name="kashi36">「第三部 第六章 素材」({{Harvnb|柏倉|2010|pp=290-299}})</ref>。4月に川端は[[横光利一]]の結婚披露宴出席を機に湯ヶ島を離れて東京に戻ったが、病状が一進一退の基次郎はその湯ヶ島の山里に長逗留することになった<ref name="otani9"/><ref name="kashi35"/>。 |
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== 作品評価・解釈 == |
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{{Quotation|山の便りをお知らせいたします。櫻は[[ヤエザクラ|八重]]がまだ咲き残つてゐます [[つつじ]]が火がついたやうに咲いて来ました [[石楠花]]は湯本館の玄関のところにあるのが一昨日一輪、今日は[[浄蓮の滝|浄簾の滝]]の方で満開の一株を見ましたが大抵はまだ[[蕾]]の紅もさしてゐない位です (中略)<br /> |
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『櫻の樹の下には』は、梶井にしては珍しく「かなり強いイメージの比喩」を多様されており、「美に醜を対置し、美のうちに“惨劇”を見出す[[デカダンス]]の美意識とその心理」が描かれている作品だと[[鈴木貞美]]は解説している<ref name="album"/>。 |
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今年山で春に会ひ私のなによりの驚きは冬葉の落ち尽してゐた[[雑木林]]が薄紅に薄緑に若芽の[[瓦斯]]体を纏ひはじめた美しさでした これが日に日に生長してゆく眺めは私をよろこばせ、情なくさせ、そしてとうとう茫然とさせてしまひました |梶井基次郎「[[川端康成]]宛ての書簡」(昭和2年4月30日付)<ref>「[[川端康成]]宛て」(昭和2年4月30日付)。{{Harvnb|新3巻|2000|pp=217-219}}に所収</ref>}} |
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基次郎は、[[谷|渓]]を下りて[[狩野川]]の支流・猫越川の川岸で[[河鹿]]を観察したり、[[ウスバカゲロウ]]を見たりと様々な自然風景を眺めては魅せられていた<ref name="kashi36"/><ref name="sho239">「淀野隆三宛て」(昭和2年5月6日付)。{{Harvnb|新3巻|2000|pp=221-222}}に所収</ref>。 |
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[[桐山金吾]]は、話者の「俺」が、華麗に咲く満開の桜の花のあまりの美しさに、逆に[[不安]]と[[憂鬱]]に陥るが、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」と信じることにより、「不安がらせた神秘」から解放され心が和むことから、「美に対する心象が明確なかたちを浮びあがらせてくる、生と死の平衡感覚を描いた作品である」と解説している<ref>[[桐山金吾]]「梶井基次郎『桜の木の下には』の成立と[[シャルル・ボードレール|ボードレール]]的世界」([[国学院]]雑誌 1986年12月)</ref>。 |
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{{Quotation|谷を[[ウスバカゲロウ|うすばかげろう]]が上つてゆく、この虫は此頃実に多い、此の間も今日[[河鹿]]を見たところで、岩の間の水溜りに それの数知れぬ一群が死んでゐた、水に泛んでゐる[[昆虫の翅|羽根]]で その水たまりは[[石油]]を流したやうな色がついてゐた|梶井基次郎「[[淀野隆三]]宛ての書簡」(昭和2年5月6日付)<ref name="sho239"/>}} |
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6月頃には、川端の勧めで湯ヶ島にやって来た[[萩原朔太郎]]とも知り合いとなるが、萩原も湯ヶ島の桜に魅了され多くの作品を書いた<ref name="ichikawa"/>。この年の12月には、すでに『櫻の樹の下には』は創作・構想されていたとされる<ref name="yoshikawa"/><ref name="sho375">「淀野隆三宛て」(昭和6年4月6日、12日付)。{{Harvnb|新3巻|2000|pp=403-406}}に所収</ref>。翌[[1928年]](昭和3年)3月のノートには、『[[冬の蠅 (小説)|冬の蠅]]』の草稿、[[シャルル・ボードレール|ボードレール]]の『巴里の憂鬱』の「エピローグ」の英訳の写しと共に、以下のような記述がある<ref name="yoshikawa"/><ref name="nikk12">「日記 草稿――第十二帖」(昭和3年・昭和4年)。{{Harvnb|旧2巻|1966|pp=424-444}}に所収</ref>。 |
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『櫻の樹の下には』の末尾の「今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする」の一節について[[相馬庸郎]]は、「庶民」を「芸術的に発見」したのだと位置づけている<ref>[[相馬庸郎]]「梶井基次郎・序説」(『橋本佳先生還暦記念文集』 1964年5月)</ref>。これに対し、[[飛高隆夫]]は反論して、「生活者の論理に対抗し得る芸術の論理の獲得」を意味していると解説している<ref>[[飛高隆夫]]「梶井基次郎ノート―[[湯ヶ島]]時代の文学」([[大妻女子大学|大妻]]国文 1971年3月)</ref>。 |
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{{Quote|櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる<br /> |
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私逹は溪に沿つた街道の午後を散歩してゐた。|梶井基次郎「日記 草稿――第十二帖」(昭和3年・昭和4年)<ref name="nikk12"/>}} |
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=== 帰京後 === |
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[[吉川将弘]]は『櫻の樹の下には』が「物語体小説」だということを重視しながら、「俺」が「わかつた」と感じたのは、「生命の[[誕生]]と終わりは表裏一体の物である」ということだとし、「誕生はどんなに美しくとも、裏側に壮絶な死を隠しており、死はどんなに汚らわしくとも、美しい誕生に繋がっているということである」と考察しながら<ref name="yoshikawa">[[吉川将弘]]「『桜の樹の下には』論―物語体小説という試み―」([[広島大学]]近代文学研究会、1995年12月)</ref>、話者の「俺」が「お前」に求めているのは、単なる理解だけでなく、自分と「お前」を重ね合わせようとしているとし<ref name="yoshikawa"/>、「その思想を、二人で共有しようという願い、[[共同体]]を作ろうという願いが、そこにはある」と論考している<ref name="yoshikawa"/>。 |
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[[1928年]](昭和3年)5月10日前後に「湯川屋」を引き払い、[[東京市]][[麻布区]][[飯倉 (東京都港区)|飯倉片町]]32番地(現・[[港区 (東京都)|港区]][[麻布台]]3丁目4番21号)の[[下宿]]に戻った梶井基次郎は、留守中に部屋を貸していた[[北川冬彦]]と同宿の[[伊藤整]]([[東京商科大学]]生)と初対面した<ref name="itosei">[[伊藤整]]「小説作法(第一話)」(月刊文章 1939年3月号)。{{Harvnb|別巻|2000|pp=113-117}}に所収</ref><ref name="itoseiden">伊藤整「文学的青春傳(抄)」([[群像]] 1951年3月号)。{{Harvnb|別巻|2000|pp=207-209}}に所収</ref><ref name="otani11">「第十一章 悲しき突撃――再び東京へ」({{Harvnb|大谷|2002|pp=243-258}})</ref>。 |
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基次郎と親しくなった伊藤整は、まだ発表していない作品の内容を聞かされて、その素晴らしさに興奮した<ref name="itosei"/>。その基次郎の語りでは、人間をはじめ鹿・犬・馬などの死体が満開の桜の樹の下に埋まっていて、その死体の破れた腹からは腐った内臓が見え、犬のつぶれた目からは液汁がどろどろ流れ出し、人の足の切り口も詳らかに描写されていた<ref name="itosei"/><ref name="otani11"/><ref name="itosaku">伊藤整「櫻の樹の下には」([[作品 (同人誌)|作品]] 1932年6月・追悼特集補遺号)。{{Harvnb|別巻|2000|pp=316-318}}に所収</ref>。 |
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== 参考 == |
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欧米には、「[[薔薇]]の下で」という、ラテン語で[[:en:sub rosa|sub rosa]]、英語ではunder the roseという表現があり、「秘密に」という意味にもなる。梶井が参考にしたかどうかは不明である。 |
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その物語のイメージは、湯ヶ島の「光線の強い風景」の中で着想されたものだと基次郎は語っていたという<ref name="kashi42"/><ref name="itosei"/>。伊藤は、それを[[ロートレアモン伯爵]]作の『マルドロールの歌』([[:en:Les Chants de Maldoror|Les Chants de Maldoror]])の一部にでもありそうな「人の眼を覆はせるやうな」が惨澹たる一節だったとしている<ref name="itosaku"/>。 |
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{{Quotation|それは、桜の花の根や幹が透明になって、地面の下まで透いて見える、ということだ。桜の幹の中に在る数限りない細い管を、[[樹液]]が根の方から登って行くのが分る。そして桜の根元の地下には、色々な動物の死骸が埋まっている。それは鹿や犬や猫や猿や鼠や、色々な動物である。その動物の腐敗した身体の方に、桜の根が生きもののように伸びて行って、[[毛細管]]がその死骸にからまっている。そしてその腐った死骸から[[養分]]を吸いとっては上の幹から枝へ、枝から花へと送っているのだ。<br /> |
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「でなければ、あんなに桜の花が美しいわけはないんだ。それだから桜の花はあんなに美しいんだよ」と梶井が言った。私は聞いていて、彼の話に感嘆した。すばらしい話だ、と私は思った。梶井のその話を聞いていると、桜の花が私の見て来たのよりもずっと美しく思われ、それ自体が生命の爆発であるように思われて来るのであった。|[[伊藤整]]「若い詩人の肖像」<ref>伊藤整『若い詩人の肖像』([[新潮社]]、1958年12月)。{{Harvnb|市川|2005|p=89}}</ref>}} |
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しかし8月中旬から体調が悪化し、毎日のように[[血痰]]を吐いて呼吸困難で歩けなくなるほど[[結核]]の病状が進んできたため、その様子を心配する友人達の強い勧めで、基次郎は9月に大阪市[[住吉区]]阿倍野町99番地の実家に帰郷した(詳細は[[梶井基次郎#帝大中退後――大阪帰郷へ]]を参照)。そして北川冬彦から詩誌『[[詩と詩論]]』に寄稿依頼されていたことから、伊藤整に話していた物語の改稿に取りかかり、9月13日以降の10月頃から本稿執筆を始めた<ref name="kashi42"/>{{refnest|group="注釈"|詩誌『[[詩と詩論]]』は[[春山行夫]]が主宰し、[[北川冬彦]]、[[安西冬衛]]、[[飯島正]]、[[神原泰]]、[[近藤東]]、[[竹中郁]]などの[[アバンギャルド|前衛的]]詩人が参加していた<ref name="kashi42"/>。}}。 |
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伊藤整は、12月に発表された『櫻の樹の下には』を期待して読んだが、下宿で基次郎のその風貌と声で聞いた「滋味」のある内容よりも短く整理されていたために、小説としての魅力が薄れていると思った<ref name="kashi42"/><ref name="itosei"/>。また、これが詩欄に掲載されたことに基次郎はやや不満げで、しきりに「小説であること」を伊藤に繰り返したという<ref name="itosei"/>{{refnest|group="注釈"|しかし『詩と詩論』には、「小説」欄はなく、「エッセイ」「詩」「ノオト」「エスキース」「批評その他」の欄だけであった<ref name="kashi42"/><ref name="itosei"/>。}}。 |
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== 作品評価・研究 == |
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<small>※梶井基次郎の作品や随筆・書簡内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。</small> |
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『櫻の樹の下には』は、基次郎の作品の中では短い方であるが、〈桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!〉という冒頭の文章が印象に残る人気作で、他の作品と比べ、「かなり強いイメージの比喩」が多用されている<ref name="album4"/>。[[鈴木貞美]]は、「美に醜を対置し、美のうちに“惨劇”を見出す[[デカダンス]]の美意識とその心理」が描かれている作品だと解説している<ref name="album4"/>。 |
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[[伊藤整]]は、実際に基次郎から直接語られた内容がとても衝撃的で素晴らしかったために、整理・短縮されていた発表作に失望感を抱き、「日光浴で真黒になつた目の細い顔から白い歯を出して語る梶井自身の姿の魅力がなくなつてゐた」と思ったが、それは『櫻の樹の下には』が「凡作だといふことでは決して無い」と解説し<ref name="itosei"/>、日本人の観念には珍しい印象でありながらも、「読了の感じは、やつぱりなにかしら、植物性のものであり、植物の美しさをこれほどみなぎらした作品を私は知らない」と高評している<ref name="itosaku"/>。 |
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{{Quotation|日本の近代作家の中でこんな美しい[[幻想]]を散文に描いたのは、あるひは[[谷崎潤一郎]]の「母を恋ふるの記」にのみ較べられるやうなことではないかと思はれる。日本の小説家の作れない種類の美しいイメージがこの作品にはある。<br /> |
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最も[[シャルル・ボードレール|ボオドレエル]]的な精神で書かれてゐながら、その類型はボオドレエルの「[[散文詩]]」の中に全く見当らないことも、彼のために書いておかねばならないだらう。しかし私は失望した。彼の話しかたがあまり素晴らしかつたのである。そして今では彼のこの作品をあの話の輪郭として見、話の味を思ひ出す糸口としてやつぱり美しいと思つてゐる。|[[伊藤整]]「小説作法(第一話)」<ref name="itosei"/>}} |
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[[柏倉康夫]]は、刊行本『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』収録時に削除された〈剃刀の刃〉の話の最終章について、「これがないと作品の整合性は崩れるのだが、その一方で話がボードレールの散文詩のように作り物じみてしまうきらいがあって、梶井はあえて削除したのであろう」と考察している<ref name="kashi42"/>。 |
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[[桐山金吾]]は、話者の〈俺〉が、華麗に咲く満開の桜の花のあまりの美しさに、逆に〈不安〉と〈憂鬱〉に陥るが、〈桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる〉と信じることにより、〈不安がらせた神秘〉から解放され心が和むことから、「美に対する心象が明確なかたちを浮びあがらせてくる、生と死の平衡感覚を描いた作品である」と評している<ref>[[桐山金吾]]「梶井基次郎『桜の樹の下には』の成立と[[シャルル・ボードレール|ボードレール]]的世界」([[國學院大學|國學院]]雑誌 1986年12月)。{{Harvnb|吉川|1995|p=29}}</ref>。 |
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『櫻の樹の下には』の末尾の〈今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、[[花見]]の酒が呑めさうな気がする〉の一節について[[相馬庸郎]]は、「庶民」を「芸術的に発見」したのだと考察している<ref>[[相馬庸郎]]「梶井基次郎・序説」(『橋本佳先生還暦記念文集』 1964年5月)。{{Harvnb|吉川|1995|p=29}}</ref>。これに対し、[[飛高隆夫]]は反論して、「生活者の論理に対抗し得る芸術の論理の獲得」を意味していると考察している<ref>[[飛高隆夫]]「梶井基次郎ノート―湯ヶ島時代の文学」([[大妻女子大学|大妻]]国文 1971年3月)。{{Harvnb|吉川|1995|p=29}}</ref>。 |
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[[吉川将弘]]は『櫻の樹の下には』が「物語体小説」だということを重視しながら、〈俺〉が〈わかつた〉と感じたのは、「生命の誕生と終わりは表裏一体の物である」ということだとし、「誕生はどんなに美しくとも、裏側に壮絶な死を隠しており、死はどんなに汚らわしくとも、美しい誕生に繋がっているということである」と考察しながら<ref name="yoshikawa"/>、話者の〈俺〉が〈お前〉に求めているのは、単なる理解だけでなく、自分と〈お前〉を重ね合わせようとしているとし、「その思想を、二人で共有しようという願い、[[共同体]]を作ろうという願いが、そこにはある」と論考している<ref name="yoshikawa"/>。 |
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== 派生作品・オマージュ作品 == |
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*櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。([[村上龍]]、2012年6月) - 随筆 |
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== おもな収録刊行本 == |
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{{Excerpt|檸檬 (小説)|おもな収録刊行本|subsections=yes}} |
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=== アンソロジー === |
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*『存在の探求〈上〉――現代文学の発見 第7巻』([[學藝書林]]、1967年11月15日。愛蔵版1976年4月。新装版2003年10月) |
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**装幀(函):[[粟津潔]]。四六判。薄紙装。機械函 |
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**編集:[[大岡昇平]]、[[平野謙 (評論家)|平野謙]]、[[佐々木基一]]、[[埴谷雄高]]、[[花田清輝]] |
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**解説:[[高良留美子]] |
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**収録作品:梶井基次郎「桜の木の下には」「[[闇の絵巻]]」、[[北條民雄]]「[[いのちの初夜]]」、[[中島敦]]「[[わが西遊記]](悟浄出世、悟浄歎異)」、[[稲垣足穂]]「彌勒」、[[椎名麟三]]「深夜の酒宴」、[[埴谷雄高]]「[[死靈|死霊]]」、[[武田泰淳]]「[[ひかりごけ]]」、椎名麟三「スタヴローギンの現代性」、埴谷雄高「存在と非在とのっぺらぼう」「夢について」「可能性の作家」「不可能性の作家」、武田泰淳「滅亡について」 |
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*『日本篇 短篇集――ブラック・ユーモア選集5』([[早川書房]]、1970年4月15日。改訂版1976年) |
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**装幀:[[勝呂忠]]。B6判。厚紙装 |
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**編集:[[伊藤守男]]。付録:伊藤守男「黒い哄笑――このアンチ・ヒューマンなるもの」 |
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**収録作品:梶井基次郎「桜の樹の下には」、[[宮沢賢治]]「[[注文の多い料理店]]」、[[坂口安吾]]「[[風博士]]」、[[夢野久作]]「卵」、[[安部公房]]「なわ」、[[深沢七郎]]「[[東北の神武たち]]」、深沢七郎「数の年齢」、[[倉橋由美子]]「蠍たち」、[[野坂昭如]]「とむらい師たち」、[[小松左京]]「兇暴な口」、[[星新一]]「鏡」、星新一「ゆきとどいた生活」、[[福島正実]]「過去への電話」、[[唐十郎]]「ガラスのヴァギナ」、[[別役直]]「『そよそよ族の叛乱』についてのうわさについて」、[[金井美恵子]]「夢の時間」、[[塚本邦雄]]「秋鶯囀」、[[和田誠]]「サウンド・オブ・ミュージック」、[[稲垣足穂]]「WC」 |
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*『紅い花青い花――イメージの文学誌』([[北宋社]]、1978年7月20日) |
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**口絵:[[尾崎光琳]]「草花図鑑」(写真版)。A5判。厚紙クロス装。カバー |
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**編集:[[堀切直人]]。監修:[[吉行淳之介]]。付録:「あとがき」 |
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**収録作品: |
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***〔森の奥の花〕:[[夏目漱石]]「[[夢十夜]]――第一夜」、[[杉本秀太郎]]「植物的なもの」(抄)、[[泉鏡花]]「森の紫陽花」、[[小川未明]]「薔薇と巫女」、[[芥川龍之介]]「沼」「[[舞踏会 (小説)|舞踏会]]」 |
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***〔花園に棲む〕:[[永井荷風]]「牡丹の客」、[[蒲原有明]]「仙人掌と花火の鑑賞」、[[北原白秋]]「植物園小品」、[[寺田寅彦]]「花物語」、[[志賀直哉]]「菜の花と小娘」、[[中勘助]]「裾野」、[[佐藤春夫]]「薔薇を恋する話」「花と風」、[[吉田一穂]]「埋もれた花園」「薔薇」 |
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***〔失われた花園〕:[[内田百閒]]「菊」、[[江戸川乱歩]]「毒草」、[[谷中安規]]「こころの花」、梶井基次郎「桜の木の下には」、[[伊藤整]]「生物祭」、後略 |
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*『悪夢のような異常な話――幻想文学館4』([[くもん出版]]、1989年8月30日) |
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**装幀:[[高麗隆彦]]。A5判。厚紙装。紙カバー |
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**編集・解説:[[江河徹]]。画:[[おぼまこと]] |
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**収録作品:[[フランツ・カフカ|カフカ]]「ハゲタカ」(訳:[[羽田功]])、[[ギ・ド・モーパッサン|モーパッサン]]「手」(訳:[[奥田恭士]])、[[アーサー・コナン・ドイル|ドイル]]「サノックス卿夫人の事件」(訳:江河徹)、[[ハワード・フィリップス・ラヴクラフト|ラヴクラフト]]「死体置き場」(訳:[[高橋啓]])、[[ルートヴィヒ・ティーク|ティーク]]「金髪のエックベルト」(訳:[[畔上司]])、梶井基次郎「桜の樹の下には」、[[マルセル・シュウォッブ|シュウォッブ]]「ミイラづくりの女たち」(訳:[[高野優]])、[[エドガー・アラン・ポー|ポー]]「[[メエルシュトレエムに呑まれて|大うずメエルシュトレエム]]」(訳:[[高橋啓]])、[[オノレ・ド・バルザック|バルザック]]「不老長寿の霊薬」(訳:[[奥田恭士]])、[[オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン|ヴィリエ・ド・リラダン]]「死刑台の秘密」(訳:[[小林修]]) |
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*『詩と真実――ちくま哲学の森』([[筑摩書房]]、1989年12月18日。[[ちくま文庫]]、2012年1月10日) |
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**編集:[[鶴見俊輔]]、[[森毅]]、[[井上ひさし]]、[[安野光雅]]、[[池内紀]] |
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**解説:池内紀「画家と悪魔:解説にかえて」 |
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**収録作品:[[アンゲルス・ジレージウス|ジレージウス]]「箴言」(訳:[[大山定一]])、[[エミール=オーギュスト・シャルティエ|アラン]]「芸術に関する101章より」(訳:[[斎藤正二]])、[[アルベルト・ジャコメッティ|ジャコメッティ]]「昨日、動く砂は」(訳:[[矢内原伊作]])、[[小出楢重]]「下手もの漫談」、[[遠山啓]]「詩人失格」、[[寺田寅彦]]「自画像」、[[落合太郎]]「モンテーニュ」、[[フランツ・カフカ|カフカ]]「[[断食芸人]]」(訳:[[池内紀]])、[[尾崎士郎]]「酔中一家言」、[[野上弥生子]]「桜間弓川さんのこと」、[[武智鉄二]]「間」、[[円地文子]]「艶、深、偉」、[[花田清輝]]「芝居絵」、[[坂口安吾]]「Farceに就て」、[[夏目漱石]]「模倣と独立」、[[中野重治]]「素樸ということ」、[[竹内好]]「中国文学と日本文学」、[[梶井基次郎]]「桜の樹の下には」、[[田中美知太郎]]「美について」、[[柳宗悦]]「美の法門」、[[岡倉天心]]「茶室」([[桜庭信之]]訳)、[[正岡子規]]「[[歌よみに与ふる書|歌よみに与うる書]]」、[[萩原朔太郎]]「蕪村俳句のポエジイに就いて」、[[滝口修造]]「曖昧な諺」、[[西脇順三郎]]「オーベルジンの偶像」、[[深瀬基寛]]「悦しき知識」 |
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*『櫻憑き――[[異形コレクション]]綺賓館3』([[光文社]][[カッパ・ノベルス]]、2001年4月25日) |
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**カバーデザイン:[[宗利淳一]]。新書判 |
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**編集:[[井上雅彦]] |
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**収録作品:[[菅浩江]]「桜湯道成寺」、[[五代ゆう]]「阿弥陀仏よや、をいをい」、[[森真沙子]]「花や今宵の…」、[[速瀬れい]]「約束の日」、[[菊地秀行]]「ある武士の死」、[[竹河聖]]「闇桜」、[[井上雅彦]]「花十夜」、[[城昌幸]]「人花」、[[新美南吉]]「花をうめる」、[[森奈津子]]「シロツメクサ、アカツメクサ」、[[吉行淳之介]]「花畠」、[[藤田雅矢]]「舞花」、坂口安吾「[[桜の森の満開の下]]」、[[倉橋由美子]]「花の下」、萩原朔太郎「春の実体:憂鬱なる花見」、[[赤江瀑]]「春泥歌」、[[石川淳]]「山桜」、[[小泉八雲]]「十六桜」、梶井基次郎「桜の樹の下には」、[[謡曲]]「[[西行桜]]」(抄) |
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*『林修の「今読みたい」日本文学講座』([[宝島社]]、2013年10月。[[宝島SUGOI文庫]]、2015年7月4日) |
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**編集・解説:[[林修]] |
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**収録作品:[[宮沢賢治]]「[[注文の多い料理店]]」、夏目漱石「[[夢十夜]]」「変な音」、[[芥川龍之介]]「[[蜜柑 (小説)|蜜柑]]」「[[猿蟹合戦]]」「教訓談」、[[中島敦]]「[[山月記]]」「悟浄歎異」「[[名人伝]]」、梶井基次郎「[[檸檬 (小説)|檸檬]]」「桜の樹の下には」、[[志賀直哉]]「[[小僧の神様]]」、[[横光利一]]「[[機械 (小説)|機械]]」、[[太宰治]]「[[走れメロス]]」「猿ヶ島」 |
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*『コレクション近代日本文学』([[冬至書房]]、2015年3月) |
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**編集:[[石尾奈智子]]、[[市川浩昭]]、[[岸規子]] |
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**収録作品:[[泉鏡花]]「[[外科室]]」、[[尾崎紅葉]]「[[金色夜叉]]」、[[田山花袋]]「ネギ一束」、[[夏目漱石]]「夢十夜」、[[島崎藤村]]「壁」、[[森鷗外]]「[[高瀬舟 (小説)|高瀬舟]]」、[[菊池寛]]「形」、[[芥川龍之介]]「[[藪の中]]」、梶井基次郎「桜の樹の下には」、[[中島敦]]「[[山月記]]」、[[中勘助]]「ひばりの話」、詩([[国木田独歩]]、ほか)、短歌([[正岡子規]]、ほか)、俳句(正岡子規、ほか) |
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*『桜――文豪怪談ライバルズ!』(ちくま文庫、2022年1月) |
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**編集:[[東雅夫]] |
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**収録作品:[[泉鏡花]]「桜心中」、梶井基次郎「桜の樹の下には」、坂口安吾「[[桜の森の満開の下]]」、[[高田衛]]「白痴と焼鳥と桜」、[[萩原朔太郎]]「憂鬱なる花見」、[[岡本かの子]]「桜」(抄)、[[石川淳]]「山桜」、[[中上健次]]「桜川」、[[日野啓三]]「消えてゆく風景」、[[赤江瀑]]「平家の桜」、[[小泉八雲]]「ウバザクラ」(訳:[[円城塔]])、小泉八雲「十六桜」(訳:[[山宮允]])、小泉八雲「因果ばなし」(訳:[[平井呈一]])、[[倉橋由美子]]「花の下」、倉橋由美子「花の部屋」、[[森真沙子]]「人形忌」、[[加門七海]]「さくら桜」 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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*{{Citation|和書|author=[[梶井基次郎]]|date=1966-05|title=梶井基次郎全集第2巻 遺稿・批評感想・日記草稿|publisher=[[筑摩書房]]|isbn=978-4-480-70402-3|ref={{Harvid|旧2巻|1966}}}} |
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*文庫版『[[檸檬 (小説)|檸檬]]』(付録・解説 [[淀野隆三]])([[新潮文庫]]、1967年。改版2003年) |
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*{{Citation|和書|author=梶井基次郎|date=1966-06|title=梶井基次郎全集第3巻 書簡・年譜・書誌|publisher=筑摩書房|isbn=978-4-480-70403-0|ref={{Harvid|梶井3巻|1966}}}} |
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*『梶井基次郎全集 全1巻』([[ちくま文庫]]、1986年) |
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*{{Citation|和書|author=梶井基次郎|date=2000-01|title=梶井基次郎全集第3巻 書簡|publisher=筑摩書房|isbn=978-4-480-70413-9|ref={{Harvid|新3巻|2000}}}} |
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*『新潮日本文学アルバム 梶井基次郎』([[新潮社]]、1984年) |
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*{{Citation|和書|author=梶井基次郎|editor=[[鈴木貞美]]|date=2000-09|title=梶井基次郎全集別巻 回想の梶井基次郎|publisher=筑摩書房|isbn=978-4480704146|ref={{Harvid|別巻|2000}}}} |
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*[[吉川将弘]]「『桜の樹の下には』論―物語体小説という試み―」([[広島大学]]近代文学研究会、1995年12月) [http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN00065309/kbs_33_25.pdf] |
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*{{Citation|和書|author=梶井基次郎|date=1954-04|title=[[檸檬 (小説)|檸檬]]・[[冬の日 (小説)|冬の日]] 他九篇|publisher=[[岩波書店]]|series=[[岩波文庫]]|isbn=978-4-00-310871-0|ref={{Harvid|岩波文庫|1954}}}} 改版は1985年。 |
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*{{Citation|和書|author=梶井基次郎|date=2003-10|title=檸檬|edition=改版|publisher=[[新潮社]]|series=[[新潮文庫]]|isbn=978-4-10-109601-8|ref={{Harvid|新潮文庫|2003}}}} 初版は『梶井基次郎集』として1950年11月。改題『檸檬』の改版は1967年12月から。 |
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*{{Citation|和書|author=梶井基次郎|date=1986-08|title=梶井基次郎全集 全1巻 |publisher=筑摩書房|series=[[ちくま文庫]]|isbn=978-4-480-02072-7|ref={{Harvid|ちくま全集|1986}}}} |
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*{{Citation|和書|author=[[市川紘美]]|date=2005-03-15|title=憂鬱なる桜:『櫻の樹の下には』における桜像|journal=日本文學|issue=101|volume=|pages=83-96|publisher=[[東京女子大学]]|naid=110007184630|ref={{Harvid|市川|2005}}}} |
|||
*{{Citation|和書|author=[[大谷晃一]]|date=2002-11|title=評伝 梶井基次郎|edition=完本|publisher=[[沖積舎]]|isbn=978-4-8060-4681-3|ref={{Harvid|大谷|2002}}}} 初刊([[河出書房新社]])は1978年3月 {{NCID|BN00241217}}。新装版は 1984年1月 {{NCID|BN05506997}}。再・新装版は1989年4月 {{NCID|BN03485353}} |
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*{{Citation|和書|author=[[柏倉康夫]]|date=2010-08|title=評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ|publisher=[[左右社]]|isbn=978-4-903500-30-0|ref={{Harvid|柏倉|2010}}}} |
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*{{Citation|和書|editor=[[鈴木貞美]]|date=1985-07|title=新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-620627-6|ref={{Harvid|アルバム梶井|1985}}}} |
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*{{Citation|和書|author=[[吉川将弘]]|date=1995-12|title=『桜の樹の下には』論―物語体小説という試み―|journal=近代文学試論|issue=33|volume=|pages=25-36|publisher=[[広島大学]]近代文学研究会|naid=120000883032|ref={{Harvid|吉川|1995}}}} |
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*{{Citation|和書|author=[[応傑]]|date=2006-09|title=「美しい女」と「満開の桜の森」の真相 : 「[[桜の森の満開の下]]」をめぐって|journal=[[朝日大学]]経営論集 |issue=21|volume=|pages=9-17|publisher=朝日大学|naid=110006556342|ref={{Harvid|応傑|2006}}}} |
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*{{Citation|author=Stephen Dodd|date=2014-02|title= The Youth of Things: Life and Death in the Age of Kajii Motojiro|publisher=University of Hawaii Pres|isbn=978-0824838409|ref={{Harvid|Dodd|2014}}}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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*[[シャルル・ボードレール]] |
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*[[アプロディーテー]] |
*[[アプロディーテー]] |
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*[[ソメイヨシノ]] |
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*[[湯ヶ島温泉|湯ヶ島]] |
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*[[若山牧水]] |
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==外部リンク== |
==外部リンク== |
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* {{青空文庫|000074|427|新字新仮名|桜の樹の下には}} |
* {{青空文庫|000074|427|新字新仮名|桜の樹の下には}} |
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* {{青空文庫|000074|47552|新字旧仮名|桜の樹の下には}} |
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*[[S:桜の樹の下には|桜の樹の下には]]([http://ja.wikisource.org/wiki/ ウィキソース]) |
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* {{wikisource-inline|桜の樹の下には}} |
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[[Category:梶井基次郎の小説]] |
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[[Category:日本の短編小説]] |
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[[Category:桜を題材とした作品]] |
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[[Category:伊豆半島を舞台とした小説]] |
2024年11月16日 (土) 14:20時点における最新版
櫻の樹の下には | |
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訳題 | Beneath the Cherry Trees |
作者 | 梶井基次郎 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 短編小説、掌編小説、散文詩 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 |
『詩と詩論』 1928年12月5日発行・第二冊 |
出版元 | 武蔵野書院 |
刊本情報 | |
収録 | 作品集『檸檬』 |
出版元 | 武蔵野書院 |
出版年月日 | 1931年5月15日 |
題字 | 梶井基次郎 |
ウィキポータル 文学 ポータル 書物 |
『櫻の樹の下には』(さくらのきのしたには)は、梶井基次郎の短編小説(掌編小説)。散文詩と見なされることもある。満開の桜やかげろうの生の美のうちに屍体という醜や死を透視し惨劇を想像するというデカダンスの心理が、話者の「俺」が聞き手の「お前」に語りかけるという物語的手法で描かれている[1][2]。近代文学に新たな桜観をもたらした作品でもあり、「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という衝撃的な冒頭文は有名である[3][4][注釈 1]。
発表経過
[編集]1928年(昭和3年)12月5日発行の季刊同人誌『詩と詩論』第2冊に掲載された[6][7][注釈 2]。その後、基次郎の死の前年の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行の作品集『檸檬』に収録された[7]。同書には他に17編の短編が収録されている[8]。
翻訳版は、ジョン・ベスター・Stephen Dodd訳による英語(英題:Beneath the Cherry Trees、またはUnder the Cherry Trees)、Christine Kodama訳によるフランス語(仏題:Sous les cerisiers)、Matthias Igarashi訳によるドイツ語(独題:Unter den Kirschbäumen)で出版されている[9][10][11]。
あらすじ
[編集]灼熱した生殖の幻覚させる後光のような、人の心を撲たずにはおかない、不思議な生き生きとした美しい満開の桜の情景を前に、逆に不安と憂鬱に駆られた「俺」は、桜の花が美しいのは樹の下に屍体が埋まっていて、その腐乱した液を桜の根が吸っているからだと想像する。
そして薄羽かげろうの生と死を見て、剃刀の刃に象徴される惨劇への期待を深める。花の美しい生の真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた神秘から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語る。
削除された最終断章
[編集]『櫻の樹の下には』は初出時、4つの断章で構成された作品であったが、刊行本『檸檬』収録時に最終章(冒頭部近くにある〈剃刀の刃〉の話に対応している後半部分)は削られた。しかし、ここをなぜ、梶井が削除したかの理由は明らかではない[1][2][3]。〈剃刀の刃〉の話の削られた後半部分は以下の内容である。
作品背景
[編集]※梶井基次郎の作品や随筆・書簡内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
湯ヶ島滞在
[編集]梶井基次郎は転地療養のため1926年(昭和元年)の大晦日から伊豆湯ヶ島を訪れ、川端康成の紹介で1927年(昭和2年)元旦から「湯川屋」に長期滞在するようになった[1][12](詳細は梶井基次郎#伊豆湯ヶ島へ――『青空』廃刊を参照)。2月中旬頃、大仁に掛かっていた動物の見世物が下田へ移動する際、貨物自動車に載せられない大きな象やラクダが街道上を歩いていった[13][14][15]。その時、地域の小学校も臨時休校になり、ふだん静かな山里は一大イベントで賑わった。子供や村人に混じって基次郎と川端夫妻もその珍しい行進見物を楽しんだ[14][15]。
一行が去った後も基次郎は、〈どこか あの日の巨大な足跡でも残つてゐないか〉と、伊豆の踊子に喩えたその〈可憐なものが歩いてゐる〉光景を心から〈想望〉し、その後も川端と2人で動物たちの話題に興じた[13][15]。春になると「湯川屋」の真向いからは、世古峡の断崖に生える染井吉野が見られ、4月には満開の美しい山桜を眺めた[16]。都会では見られない風景や植物や昆虫、動物の生態(河鹿の交尾、生け捕りにされた藪熊など)は、その後の基次郎の作品の題材になっていった[14][15][17]。4月に川端は横光利一の結婚披露宴出席を機に湯ヶ島を離れて東京に戻ったが、病状が一進一退の基次郎はその湯ヶ島の山里に長逗留することになった[14][15]。
基次郎は、渓を下りて狩野川の支流・猫越川の川岸で河鹿を観察したり、ウスバカゲロウを見たりと様々な自然風景を眺めては魅せられていた[17][19]。
6月頃には、川端の勧めで湯ヶ島にやって来た萩原朔太郎とも知り合いとなるが、萩原も湯ヶ島の桜に魅了され多くの作品を書いた[4]。この年の12月には、すでに『櫻の樹の下には』は創作・構想されていたとされる[2][20]。翌1928年(昭和3年)3月のノートには、『冬の蠅』の草稿、ボードレールの『巴里の憂鬱』の「エピローグ」の英訳の写しと共に、以下のような記述がある[2][21]。
櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる
私逹は溪に沿つた街道の午後を散歩してゐた。—梶井基次郎「日記 草稿――第十二帖」(昭和3年・昭和4年)[21]
帰京後
[編集]1928年(昭和3年)5月10日前後に「湯川屋」を引き払い、東京市麻布区飯倉片町32番地(現・港区麻布台3丁目4番21号)の下宿に戻った梶井基次郎は、留守中に部屋を貸していた北川冬彦と同宿の伊藤整(東京商科大学生)と初対面した[22][23][24]。
基次郎と親しくなった伊藤整は、まだ発表していない作品の内容を聞かされて、その素晴らしさに興奮した[22]。その基次郎の語りでは、人間をはじめ鹿・犬・馬などの死体が満開の桜の樹の下に埋まっていて、その死体の破れた腹からは腐った内臓が見え、犬のつぶれた目からは液汁がどろどろ流れ出し、人の足の切り口も詳らかに描写されていた[22][24][25]。
その物語のイメージは、湯ヶ島の「光線の強い風景」の中で着想されたものだと基次郎は語っていたという[3][22]。伊藤は、それをロートレアモン伯爵作の『マルドロールの歌』(Les Chants de Maldoror)の一部にでもありそうな「人の眼を覆はせるやうな」が惨澹たる一節だったとしている[25]。
それは、桜の花の根や幹が透明になって、地面の下まで透いて見える、ということだ。桜の幹の中に在る数限りない細い管を、樹液が根の方から登って行くのが分る。そして桜の根元の地下には、色々な動物の死骸が埋まっている。それは鹿や犬や猫や猿や鼠や、色々な動物である。その動物の腐敗した身体の方に、桜の根が生きもののように伸びて行って、毛細管がその死骸にからまっている。そしてその腐った死骸から養分を吸いとっては上の幹から枝へ、枝から花へと送っているのだ。
「でなければ、あんなに桜の花が美しいわけはないんだ。それだから桜の花はあんなに美しいんだよ」と梶井が言った。私は聞いていて、彼の話に感嘆した。すばらしい話だ、と私は思った。梶井のその話を聞いていると、桜の花が私の見て来たのよりもずっと美しく思われ、それ自体が生命の爆発であるように思われて来るのであった。 — 伊藤整「若い詩人の肖像」[26]
しかし8月中旬から体調が悪化し、毎日のように血痰を吐いて呼吸困難で歩けなくなるほど結核の病状が進んできたため、その様子を心配する友人達の強い勧めで、基次郎は9月に大阪市住吉区阿倍野町99番地の実家に帰郷した(詳細は梶井基次郎#帝大中退後――大阪帰郷へを参照)。そして北川冬彦から詩誌『詩と詩論』に寄稿依頼されていたことから、伊藤整に話していた物語の改稿に取りかかり、9月13日以降の10月頃から本稿執筆を始めた[3][注釈 3]。
伊藤整は、12月に発表された『櫻の樹の下には』を期待して読んだが、下宿で基次郎のその風貌と声で聞いた「滋味」のある内容よりも短く整理されていたために、小説としての魅力が薄れていると思った[3][22]。また、これが詩欄に掲載されたことに基次郎はやや不満げで、しきりに「小説であること」を伊藤に繰り返したという[22][注釈 4]。
作品評価・研究
[編集]※梶井基次郎の作品や随筆・書簡内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
『櫻の樹の下には』は、基次郎の作品の中では短い方であるが、〈桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!〉という冒頭の文章が印象に残る人気作で、他の作品と比べ、「かなり強いイメージの比喩」が多用されている[1]。鈴木貞美は、「美に醜を対置し、美のうちに“惨劇”を見出すデカダンスの美意識とその心理」が描かれている作品だと解説している[1]。
伊藤整は、実際に基次郎から直接語られた内容がとても衝撃的で素晴らしかったために、整理・短縮されていた発表作に失望感を抱き、「日光浴で真黒になつた目の細い顔から白い歯を出して語る梶井自身の姿の魅力がなくなつてゐた」と思ったが、それは『櫻の樹の下には』が「凡作だといふことでは決して無い」と解説し[22]、日本人の観念には珍しい印象でありながらも、「読了の感じは、やつぱりなにかしら、植物性のものであり、植物の美しさをこれほどみなぎらした作品を私は知らない」と高評している[25]。
柏倉康夫は、刊行本『檸檬』収録時に削除された〈剃刀の刃〉の話の最終章について、「これがないと作品の整合性は崩れるのだが、その一方で話がボードレールの散文詩のように作り物じみてしまうきらいがあって、梶井はあえて削除したのであろう」と考察している[3]。
桐山金吾は、話者の〈俺〉が、華麗に咲く満開の桜の花のあまりの美しさに、逆に〈不安〉と〈憂鬱〉に陥るが、〈桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる〉と信じることにより、〈不安がらせた神秘〉から解放され心が和むことから、「美に対する心象が明確なかたちを浮びあがらせてくる、生と死の平衡感覚を描いた作品である」と評している[27]。
『櫻の樹の下には』の末尾の〈今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴をひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする〉の一節について相馬庸郎は、「庶民」を「芸術的に発見」したのだと考察している[28]。これに対し、飛高隆夫は反論して、「生活者の論理に対抗し得る芸術の論理の獲得」を意味していると考察している[29]。
吉川将弘は『櫻の樹の下には』が「物語体小説」だということを重視しながら、〈俺〉が〈わかつた〉と感じたのは、「生命の誕生と終わりは表裏一体の物である」ということだとし、「誕生はどんなに美しくとも、裏側に壮絶な死を隠しており、死はどんなに汚らわしくとも、美しい誕生に繋がっているということである」と考察しながら[2]、話者の〈俺〉が〈お前〉に求めているのは、単なる理解だけでなく、自分と〈お前〉を重ね合わせようとしているとし、「その思想を、二人で共有しようという願い、共同体を作ろうという願いが、そこにはある」と論考している[2]。
派生作品・オマージュ作品
[編集]- 櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。(村上龍、2012年6月) - 随筆
おもな収録刊行本
[編集]単行本
[編集]- 『檸檬』(武蔵野書院、1931年5月15日)
- 『檸檬 梶井基次郎創作集』(武蔵野書院・稲光堂書店、1933年12月1日)
- 四六判。ボール紙函。総271頁
- 収録作品:「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「過去」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「櫻の樹の下には」「器楽的幻覚」「筧の話」「蒼穹」「冬の蝿」「ある崖上の感情」「愛撫」「闇の絵巻」「交尾」
- 『城のある町にて』〈創元選書33〉(創元社、1939年11月29日)
- 『檸檬』(十字屋書店、1940年12月20日)
- 四六判。厚紙装。紙カバー。総271頁
- 収録作品:「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「過去」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「櫻の樹の下には」「器楽的幻覚」「筧の話」「蒼穹」「冬の蝿」「ある崖上の感情」「愛撫」「闇の絵巻」「交尾」
- 『梶井基次郎集』(新潮文庫、1950年11月25日。改版1967年12月10日、2003年10月30日)ISBN 978-4101096018
- 『檸檬・冬の日 他九篇』(岩波文庫、1954年4月25日。改版1985年6月)ISBN 978-4003108710
- 『檸檬・ある心の風景 他二十篇』(旺文社文庫、1972年12月10日) ISBN 978-4010611241
- 復刻版『檸檬』(日本近代文学館、1974年9月20日)
- ※ 精選名著複刻全集シリーズ。収録作品は初版と同じ。
- 『ザ・基次郎――梶井基次郎全作品全一冊』(第三書館、1985年10月15日) ISBN 978-4807485109
- 菊判。仮装本
- 収録作品:
- 〔小説〕:「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「橡の花」「過古」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「桜の樹の下には」「器楽的幻覚」「蒼穹」「筧の話」「冬の蝿」「ある崖上の感情」「愛撫」「闇の絵巻」「交尾」「のんきな患者」
- 〔遺稿・習作〕:「母親」「奎吉」「矛盾の樣な真実」「『檸檬』を挿話とする断片」「夕凪橋の狸」「太郎と街」「瀬山の話」「犬を売る露店」「雪の日」「家」「栗鼠は籠にはいつてゐる」「闇への書」「闇の書」「雲」「奇妙な手品師」「猫」「琴を持つた乞食と舞踏人形」「海」「籔熊亭」「温泉」「貧しい生活より」「不幸」「卑怯者」「大蒜」「鼠」「カッフェー・ラーヴェン」「瀬戸内海の夜」「汽車」「凧」「河岸」「攀じ登る男」「薬」「交尾」「詩」「彷徨」「帰宅前後」「小さき良心」「裸像を盗む男」
- 〔批評・感想〕:「青空同人印象記」「川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴァリエイション」「六号記」「『新潮』十月新人号小説評」「『青空語』への感想」「『亞』の回想」「『戦旗』『文藝戦線』七月号創作評」「『青空』のことなど」「詩集『戦争』」「『親近』と『拒絶』」
- 〔日記、書簡〕:日記、書簡
- 英文版『The youth of things : life and death in the age of Kajii Motojirō』(University of Hawaii Pres、2014年2月) ISBN 978-0824838409
- 翻訳:Stephen Dodd
- 収録作品:檸檬(Lemon)、泥濘(Mire)、路上(On the Road)、過古(The past)、雪後(After the Snow)、ある心の風景(Landscapes of the Heart)、Kの昇天(The Ascension of K, or K's Drowning)、冬の日(Winter Days)、櫻の樹の下には(Under the Cherry Trees)、器楽的幻覚(Instrumental Illusions)、筧の話(The Story of the Bamboo Pipe)、蒼穹(Blue Sky)、冬の蝿(Winter Flies)、ある崖上の感情(Certain Feelings on a Cliff Top)、愛撫(Caress)、闇の絵巻(Scroll of Darkness)、交尾(Mating)、のんきな患者(The Carefree Patient)
全集
[編集]- 『梶井基次郎全集上巻』(六蜂書房、1934年3月24日) - 限定500部
- 装幀:清水蓼作。染色者:梅原勝次郎。菊判変型厚・紙装。紙函。口絵写真:梶井基次郎(大正13年3月)、梶井基次郎筆蹟「温泉」原稿
- 付録:淀野隆三・中谷孝雄「編集者の詞」
- 収録作品:「母親」「奎吉」「矛盾の樣な真実」「『檸檬』を挿話とする断片」「夕凪橋の狸」「太郎と街」「瀬山の話」「犬を売る露店」「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「雪の日」「橡の花」「家」「過去」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天―或はKの溺死」「冬の日」「栗鼠は籠にはいつてゐる」「櫻の樹の下には」「器楽的幻覚」「闇への書」「蒼穹」「筧の話」「雲」「冬の蝿」「奇妙な手品師」「ある崖上の感情」「猫」「愛撫」「闇の絵巻」「琴を持つた乞食と舞踏人形」「海」「交尾」「籔熊亭」「のんきな患者」「温泉」
- 『梶井基次郎全集全1巻』(ちくま文庫、1986年8月26日)ISBN 978-4480020727
- 装幀:安野光雅。A6判。仮製本。紙カバー
- 解説:高橋英夫「存在の一元性を凝視する」。宇野千代「あの梶井基次郎の笑ひ声」
- 収録作品:「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「椽の花」「過古」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「蒼穹」「筧の話」「器楽的幻覚」「冬の蝿」「ある崖上の感情」「桜の樹の下には」「愛撫」「闇の絵巻」「交尾」「のんきな患者」「詩二つ」「小さき良心」「不幸」「卑怯者」「大蒜」「彷徨」「裸像を盗む男」「鼠」「カッフェー・ラーヴェン」「母親」「奎吉」「矛盾の様な真実」「瀬戸内海の夜」「帰宅前後」「太郎と街」「瀬山の話」「夕凪橋の狸」「貧しい生活より」「犬を売る露店」「冬の日」「汽車 その他」「凧」「河岸 一幕」「攀じ登る男 一幕」「栗鼠は篭にはいっている」「闇の書」「夕焼雲」「奇妙な手品師」「猫」「琴を持った乞食と舞踏人形」「海」「薬」「交尾」「雲」「籔熊亭」「温泉」
- 『梶井基次郎 1901-1932』〈ちくま日本文学全集024〉(ちくま文庫、1992年1月20日)
- 装幀:安野光雅。A6判。仮製本。紙カバー
- 解説:群ようこ「五感の刺激」
- 収録作品:「檸檬」「鼠」「栗鼠は籠にはいっている」「器楽的幻覚」「愛撫」「桜の樹の下には」「闇の絵巻」「交尾」「Kの昇天」「ある崖上の感情」「母親」「奎吉」「大蒜」「夕凪橋の狸」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「橡の花」「過古」「雪後」「ある心の風景」「冬の日」「温泉抄」「蒼穹」「筧の話」「冬の蠅」「のんきな患者」「手紙より」
- 『梶井基次郎全集第1巻 作品・草稿』(筑摩書房、1999年11月) ISBN 978-4480704115
- 装幀:中山銀士。題簽:梶井基次郎。A5変型判。函入
- 収録作品:
- 〔小説〕:「檸檬」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「過古」「雪後」「ある心の風景」「Kの昇天」「冬の日」「桜の樹の下には」「器楽的幻覚」「筧の話」「蒼穹」「冬の蝿」「ある崖上の感情」「愛撫」「闇の絵巻」「交尾」「のんきな患者」
- 〔批評・感想〕:「『新潮』十月新人号小説評」「『亞』の回想」「淺見淵君に就いて」「『戦旗』『文藝戦線』七月号創作評」「『青空』のことなど」「詩集『戦争』」「『親近』と『拒絶』」「講演会 其他」「編集後記(大正15年3月号)」「編集後記(大正15年4月号)」「青空同人印象記」「編集後記(大正15年9月号)」「『青空語』に寄せて」「編集後記(昭和2年1月号)」
- 〔遺稿・習作・感想〕:「奎吉」「矛盾の樣な真実」「太郎と街」「橡の花――或る私信」「川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴアリエイシヨン」
- 〔作文、詩歌・戯曲草稿、断片〕:「秋の曙」「秘やかな楽しみ」「秋の日の下」「愛する少女達」「河岸(一幕)」「永劫回歸」「攀じ登る男(一幕)」「凱歌(一幕)」
- 〔小説草稿、断片群、草稿〕:「小さき良心」「喧嘩」「鼠」「裸像を盗む男」「不幸」「帰宅前後」「卑怯者」「彷徨」「彷徨の一部発展」「大蒜―水滸伝」「母親」「矛盾の様な真実」「奎吉」「カッフェー・ラーヴェン」「瀬戸内海の夜」
- 『梶井基次郎』〈ちくま日本文学028〉(ちくま文庫、2008年11月10日) ISBN 978-4480425287
- 装幀:安野光雅。A6判。仮製本。紙カバー
- 解説:群ようこ「五感の刺激」
- 収録作品:「檸檬」「鼠」「栗鼠は籠にはいっている」「器楽的幻覚」「愛撫」「桜の樹の下には」「闇の絵巻」「交尾」「Kの昇天」「ある崖上の感情」「母親」「奎吉」「大蒜」「夕凪橋の狸」「城のある町にて」「泥濘」「路上」「橡の花」「過古」「雪後」「ある心の風景」「冬の日」「温泉抄」「蒼穹」「筧の話」「冬の蠅」「のんきな患者」「手紙より」
- ※1992年1月の〈ちくま日本文学全集024〉と同内容。
アンソロジー
[編集]- 『存在の探求〈上〉――現代文学の発見 第7巻』(學藝書林、1967年11月15日。愛蔵版1976年4月。新装版2003年10月)
- 『日本篇 短篇集――ブラック・ユーモア選集5』(早川書房、1970年4月15日。改訂版1976年)
- 装幀:勝呂忠。B6判。厚紙装
- 編集:伊藤守男。付録:伊藤守男「黒い哄笑――このアンチ・ヒューマンなるもの」
- 収録作品:梶井基次郎「桜の樹の下には」、宮沢賢治「注文の多い料理店」、坂口安吾「風博士」、夢野久作「卵」、安部公房「なわ」、深沢七郎「東北の神武たち」、深沢七郎「数の年齢」、倉橋由美子「蠍たち」、野坂昭如「とむらい師たち」、小松左京「兇暴な口」、星新一「鏡」、星新一「ゆきとどいた生活」、福島正実「過去への電話」、唐十郎「ガラスのヴァギナ」、別役直「『そよそよ族の叛乱』についてのうわさについて」、金井美恵子「夢の時間」、塚本邦雄「秋鶯囀」、和田誠「サウンド・オブ・ミュージック」、稲垣足穂「WC」
- 『紅い花青い花――イメージの文学誌』(北宋社、1978年7月20日)
- 『悪夢のような異常な話――幻想文学館4』(くもん出版、1989年8月30日)
- 『詩と真実――ちくま哲学の森』(筑摩書房、1989年12月18日。ちくま文庫、2012年1月10日)
- 編集:鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀
- 解説:池内紀「画家と悪魔:解説にかえて」
- 収録作品:ジレージウス「箴言」(訳:大山定一)、アラン「芸術に関する101章より」(訳:斎藤正二)、ジャコメッティ「昨日、動く砂は」(訳:矢内原伊作)、小出楢重「下手もの漫談」、遠山啓「詩人失格」、寺田寅彦「自画像」、落合太郎「モンテーニュ」、カフカ「断食芸人」(訳:池内紀)、尾崎士郎「酔中一家言」、野上弥生子「桜間弓川さんのこと」、武智鉄二「間」、円地文子「艶、深、偉」、花田清輝「芝居絵」、坂口安吾「Farceに就て」、夏目漱石「模倣と独立」、中野重治「素樸ということ」、竹内好「中国文学と日本文学」、梶井基次郎「桜の樹の下には」、田中美知太郎「美について」、柳宗悦「美の法門」、岡倉天心「茶室」(桜庭信之訳)、正岡子規「歌よみに与うる書」、萩原朔太郎「蕪村俳句のポエジイに就いて」、滝口修造「曖昧な諺」、西脇順三郎「オーベルジンの偶像」、深瀬基寛「悦しき知識」
- 『櫻憑き――異形コレクション綺賓館3』(光文社カッパ・ノベルス、2001年4月25日)
- 『林修の「今読みたい」日本文学講座』(宝島社、2013年10月。宝島SUGOI文庫、2015年7月4日)
- 『コレクション近代日本文学』(冬至書房、2015年3月)
- 『桜――文豪怪談ライバルズ!』(ちくま文庫、2022年1月)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 「湯ヶ島の日々」(アルバム梶井 1985, pp. 65–83)
- ^ a b c d e f 吉川 1995
- ^ a b c d e f g h 「第四部 第二章 帰阪」(柏倉 2010, pp. 367–376)
- ^ a b 市川 2005
- ^ 応傑 2006
- ^ a b 「第十二章 小さき町にて――王子町四十四番地」(大谷 2002, pp. 259–282)
- ^ a b 鈴木貞美「梶井基次郎年譜」(別巻 2000, pp. 454–503)
- ^ 藤本寿彦「書誌」(別巻 2000, pp. 516–552)
- ^ ウィリアム・J・タイラー編「外国語翻訳及び研究」(別巻 2000, pp. 640–642)
- ^ Dodd 2014
- ^ Hefte für ostasiatische Literatur Nr. 52 (Mai 2012), iudicium-Verlag, München, ISBN 978-3-86205-170-0
- ^ 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195)
- ^ a b 「淀野隆三宛て」(昭和2年3月7日付)。新3巻 2000, pp. 197–199に所収
- ^ a b c d 「第九章 白日の闇――湯ヶ島その一」(大谷 2002, pp. 196–215)
- ^ a b c d e 「第三部 第五章 三好との友情」(柏倉 2010, pp. 280–289)
- ^ 「淀野隆三宛て」(昭和2年4月10日付)。新3巻 2000, pp. 207–211に所収
- ^ a b 「第三部 第六章 素材」(柏倉 2010, pp. 290–299)
- ^ 「川端康成宛て」(昭和2年4月30日付)。新3巻 2000, pp. 217–219に所収
- ^ a b 「淀野隆三宛て」(昭和2年5月6日付)。新3巻 2000, pp. 221–222に所収
- ^ 「淀野隆三宛て」(昭和6年4月6日、12日付)。新3巻 2000, pp. 403–406に所収
- ^ a b 「日記 草稿――第十二帖」(昭和3年・昭和4年)。旧2巻 1966, pp. 424–444に所収
- ^ a b c d e f g h i 伊藤整「小説作法(第一話)」(月刊文章 1939年3月号)。別巻 2000, pp. 113–117に所収
- ^ 伊藤整「文学的青春傳(抄)」(群像 1951年3月号)。別巻 2000, pp. 207–209に所収
- ^ a b 「第十一章 悲しき突撃――再び東京へ」(大谷 2002, pp. 243–258)
- ^ a b c 伊藤整「櫻の樹の下には」(作品 1932年6月・追悼特集補遺号)。別巻 2000, pp. 316–318に所収
- ^ 伊藤整『若い詩人の肖像』(新潮社、1958年12月)。市川 2005, p. 89
- ^ 桐山金吾「梶井基次郎『桜の樹の下には』の成立とボードレール的世界」(國學院雑誌 1986年12月)。吉川 1995, p. 29
- ^ 相馬庸郎「梶井基次郎・序説」(『橋本佳先生還暦記念文集』 1964年5月)。吉川 1995, p. 29
- ^ 飛高隆夫「梶井基次郎ノート―湯ヶ島時代の文学」(大妻国文 1971年3月)。吉川 1995, p. 29
参考文献
[編集]- 梶井基次郎『梶井基次郎全集第2巻 遺稿・批評感想・日記草稿』筑摩書房、1966年5月。ISBN 978-4-480-70402-3。
- 梶井基次郎『梶井基次郎全集第3巻 書簡・年譜・書誌』筑摩書房、1966年6月。ISBN 978-4-480-70403-0。
- 梶井基次郎『梶井基次郎全集第3巻 書簡』筑摩書房、2000年1月。ISBN 978-4-480-70413-9。
- 梶井基次郎 著、鈴木貞美 編『梶井基次郎全集別巻 回想の梶井基次郎』筑摩書房、2000年9月。ISBN 978-4480704146。
- 梶井基次郎『檸檬・冬の日 他九篇』岩波書店〈岩波文庫〉、1954年4月。ISBN 978-4-00-310871-0。 改版は1985年。
- 梶井基次郎『檸檬』(改版)新潮社〈新潮文庫〉、2003年10月。ISBN 978-4-10-109601-8。 初版は『梶井基次郎集』として1950年11月。改題『檸檬』の改版は1967年12月から。
- 梶井基次郎『梶井基次郎全集 全1巻』筑摩書房〈ちくま文庫〉、1986年8月。ISBN 978-4-480-02072-7。
- 市川紘美「憂鬱なる桜:『櫻の樹の下には』における桜像」『日本文學』第101号、東京女子大学、83-96頁、2005年3月15日。 NAID 110007184630。
- 大谷晃一『評伝 梶井基次郎』(完本)沖積舎、2002年11月。ISBN 978-4-8060-4681-3。 初刊(河出書房新社)は1978年3月 NCID BN00241217。新装版は 1984年1月 NCID BN05506997。再・新装版は1989年4月 NCID BN03485353
- 柏倉康夫『評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ』左右社、2010年8月。ISBN 978-4-903500-30-0。
- 鈴木貞美 編『新潮日本文学アルバム27 梶井基次郎』新潮社、1985年7月。ISBN 978-4-10-620627-6。
- 吉川将弘「『桜の樹の下には』論―物語体小説という試み―」『近代文学試論』第33号、広島大学近代文学研究会、25-36頁、1995年12月。 NAID 120000883032。
- 応傑「「美しい女」と「満開の桜の森」の真相 : 「桜の森の満開の下」をめぐって」『朝日大学経営論集』第21号、朝日大学、9-17頁、2006年9月。 NAID 110006556342。
- Stephen Dodd (2014-02), The Youth of Things: Life and Death in the Age of Kajii Motojiro, University of Hawaii Pres, ISBN 978-0824838409
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『桜の樹の下には』:新字新仮名 - 青空文庫
- 『桜の樹の下には』:新字旧仮名 - 青空文庫
- ウィキソースには、桜の樹の下にはの原文があります。