「福岡県西方沖地震」の版間の差分
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|date=[[2005年]][[3月20日]] |
|date=[[2005年]][[3月20日]] |
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|time=10時53分40.3秒(JST) |
|time=10時53分40.3秒(JST) |
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|center={{JPN}} [[福岡県]]西 |
|center={{JPN}} [[福岡県]]北西沖<ref group="注" name="epicname"/><br/>北緯33度44.3分<br/>東経130度10.5分({{ウィキ座標|33|44.3||N|130|10.5||E||地図}}) |
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|tsunami=なし |
|tsunami=なし |
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|type=直下型地震<br/>横ずれ断層型 |
|type=直下型地震<br/>横ずれ断層型 |
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|after=2005年6月末までに震度1以上が375回、M3以上が265回<ref name="jmaeqev0603"/> |
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|mostafter=2005年[[4月20日]]6時11分26秒、M5.8、最大震度5強 |
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|deaths=死者1人<ref name="FukuokaPR17"/><br/>負傷者1,262人<ref name="FukuokaPR17"/><ref name="fdma361"/> |
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|money=約528億円<sup>注1</sup> |
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|area=福岡県[[福岡地方]]を中心とする[[九州北部]]および[[山口県]]など |
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|data=気象庁 |
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|plus=注1: 福岡・佐賀・長崎各県による。 |
|plus=注1: 福岡・佐賀・長崎各県および福岡市による。 |
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'''福岡県西方沖地震'''(ふくおかけんせいほうおきじしん)は、[[2005年]](平成17年)[[3月20日]]午前10時53分40.3秒、[[福岡県]]北西沖の[[玄界灘]]で発生した最大[[震度]]6弱の[[地震]] |
'''福岡県西方沖地震'''(ふくおかけんせいほうおきじしん)は、[[2005年]](平成17年)[[3月20日]]午前10時53分40.3秒、[[福岡県]]北西沖<ref group="注" name="epicname"/>の[[玄界灘]]で発生した[[マグニチュード]]7.0、最大[[震度]]6弱の[[地震]]。震源に近い[[福岡市]][[西区 (福岡市)|西区]]の[[玄界島]]で住宅の半数が全壊する被害となったのをはじめ、同区内の[[能古島]]、西浦、宮浦、[[東区 (福岡市)|東区]][[志賀島]]などの沿岸地区で大きな被害となった。福岡市および[[糸島市]]と周辺市町村を中心に被害が発生したが、震源が福岡市街から離れた沖合であったことなどから、市街部で建物の全壊被害はほとんど出なかった。死者1名、負傷者約1,200名、住家全壊約140棟。福岡市付近では[[有史]]以来最も大きな地震となった。 |
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== 名称 == |
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[[気象庁]]は、この地震の命名を行っておらず<ref>「[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/meimei/meimei2.html 気象庁が命名した気象及び地震火山現象]」気象庁、2015年2月7日閲覧</ref>、報道発表では「福岡県西方沖の地震」と呼称した<ref>「{{PDFLink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/kaisetsu/kaisetsu200503201230.pdf 2005年3月20日10時53分頃の福岡県西方沖の地震について]}}」気象庁、2005年3月20日</ref>。福岡県及び福岡市のほか、主要マスメディアでは[[朝日新聞]]、[[日本放送協会|NHK]]が「福岡県西方沖地震」を使用している一方、[[西日本新聞]]<ref>「[http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/word/6628 ワードBOX : 玄界島と福岡沖地震]」、西日本新聞、2012年3月20日付、2015年2月22日閲覧</ref><ref>「[http://www.47news.jp/CI/200803/CI-20080318-00860.html 3月20日、福岡沖地震から丸3年 玄界小では卒業式 復興事業も大詰め]」、西日本新聞(47Newsによる再配信)、2008年3月18日付、2015年2月22日閲覧</ref>と[[読売新聞]]は「福岡沖地震」、[[毎日新聞]]は「福岡沖玄界地震」をそれぞれ使用している<ref>「8.災害対応」、[[#jsce2|土木学会被害調査団速報 第2報]]</ref>。 |
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* 福岡市から北西30kmほどの地点にある、長さ30km、幅20kmほどの[[断層]]が、北西と南東の方向にそれぞれ逆にずれた(横ずれ型)ために発生した。ずれた距離は60cm程度。横ずれ型なので地面の盛り上がりが無く、海底を震源地としながらも幸い[[津波]]が発生しなかった。 |
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* 歴史上では[[679年]]1月頃(天武7年12月)に[[筑紫地震]]、[[1898年]](明治31年)8月10日に福岡市付近を震源とする[[糸島地震]](M6.0)が発生しているが、M7.0クラスの大地震が発生した記録はなく、福岡市周辺地方では有史以来初の大地震となった。 |
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* [[九州地方]]で震度6弱を観測したのは[[1997年]](平成9年)[[5月13日]]の[[鹿児島県北西部地震]]の際に[[鹿児島県]][[川内市]](現[[薩摩川内市]])で震度6弱を観測して以来7年9ヶ月ぶり。九州北部に限るとM7.0クラスの地震は[[1700年]]に[[壱岐島|壱岐]]・[[対馬島|対馬]]で発生して以来約300年ぶり、[[1890年]](明治23年)の観測開始以降では初めてとなる。福岡県・佐賀県ではこれまで地震により最大で震度4までしか観測されたことがなく、少なくとも百数十年に一度という大きな地震になった。 |
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* [[政令指定都市]]に震度6以上のクラスの地震が襲うのは、[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])の際に[[神戸市]]で震度6または7が襲って以来10年ぶりであるが、震源地が沖合でありやや離れていたこと、併せて地震波動の周波数成分が1秒未満の短周期(高周波数)に偏っていた事もあり、都市部の直下型の地震による甚大な被害は免れた<ref>阪神・淡路大震災では、1〜2秒程度の長周期(低周波数)により大きなエネルギーで偏っていたため、大災害となった。</ref>。 |
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* 本震と余震の分布は、福岡市中心部から同市[[東区 (福岡市)|東区]][[志賀島]]に向かって北西に延びる一直線上に分布しており、今後もその地域で余震が発生すると見られている。この一直線上の南には福岡市中心部から筑紫野市にかけて数十キロにわたる[[警固断層]]があり、今回の地震との関連性も調査された。それによると、警固断層の今後30年以内の大地震発生確率は6%と比較的高いことがわかった<ref>[http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY200703190292.html]</ref><ref name="herp">[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/07mar_kego/index.htm 警固(けご)断層帯の長期評価について]</ref>。 |
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* 最も揺れと被害が大きかった福岡市西区の[[玄界島]]には本震発生当時震度計が設置されていなかった(本震での推定震度は震度7〜震度6弱)。そこで、翌21日に気象庁地震機動班が[[玄界島]]漁村センター(福岡市西区玄界島)に震度計を設置、以後震度を観測している。 |
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* 2005年(平成17年)[[5月23日]]頃、本震における玄界島での推定震度が最大で震度7となる可能性があると報道された。東京大学地震研究所によると推定震度7(6.57)、鹿島建設小堀研究室によると推定震度6弱(5.9)と幅があるが、震度の正式な決定は気象庁が行うもので、事後調査によるものも含めて同庁は正式に最大震度は変更していない。 |
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* 今回の地震では[[福岡市]]中心部でも多少の被害は出たが、より震源地に近かった同市[[西区 (福岡市)|西区]][[玄界島]]に被害が集中した。[[マスメディア]]では玄界島の被害が主に報道されているが、同程度に震源に近く被害も(建物被害の統計上も)大きかった同じ福岡市西区でも、西浦地区は[[報道]]上あまり注目されていない。 |
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* [[2006年]](平成18年)[[10月1日]]より、国内各地の震央地名が変更になり、地震発生当時の「福岡県西方沖」は「福岡県北西沖」に改められた。 |
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== 地震のメカニズム == |
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<!--以下、Location map テンプレート使用を使用して主な被害地域を記述。 |
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[[画像:Fukuoka-quake1.PNG|right|thumb|300px|本震での各市町村の震度]] |
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地点追加の際は、{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label=<div style="white-space:pre;">説明文</div>|lat_deg=緯度|lon_deg=経度|position=right}}を使用。 |
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* 発生日時: [[2005年]](平成17年)[[3月20日]]([[日曜日|日]])10時53分40.3秒([[日本標準時|日本時間]]) |
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詳しい使用法はTemplate:Map_plot_of_Chinese_County等を参照。 |
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* [[震央]]: 福岡県西方沖({{ウィキ座標度分秒|33|44.3||N|130|10.5||E}}) |
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-->{{Location map+|Japan Northern Kyushu|float=right|width=400|caption=発生域(余震域<ref name="ercrep0413"/>,[[File:Redpoint.svg|10px]]で示す)と被害地域([[File:Orange_pog.svg|7px]])及び主要都市|places= |
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* [[震源]]の深さ: 約9[[キロメートル|km]](気象庁暫定値) |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|width=400|label=<!--震源域-->|lat_deg=33.76|lon_deg=130.13|mark=Redpoint.svg|marksize=15}} |
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* 地震の規模: [[マグニチュード]](M)7.0(気象庁暫定値)[[アメリカ地質調査所]]は[[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw|モーメントマグニチュード]](Mw)6.6としている<ref>[http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eqarchives/epic/epic_global.php USGS] Global Earthquake Search</ref>。 |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|width=400|label=<!--震源域-->|lat_deg=33.73|lon_deg=130.18|mark=Redpoint.svg|marksize=15}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|width=400|label=<!--震源域-->|lat_deg=33.70|lon_deg=130.23|mark=Redpoint.svg|marksize=15}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|width=400|label=<!--震源域-->|lat_deg=33.67|lon_deg=130.28|mark=Redpoint.svg|marksize=15}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=75|width=400|label=震央|lat_deg=33|lat_min=44.3|lon_deg=130|lon_min=10.5|mark=X_solid_black_17.gif|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[福岡市]]|lat_deg=33.50|lon_deg=130.30|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[糸島市]]|lat_deg=33.48|lon_deg=130.10|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[壱岐]]|lat_deg=33.75|lon_deg=129.65|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[玄界灘]]|lat_deg=33.85|lon_deg=130.0|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[北九州市]]|lat_deg=33.83|lon_deg=130.63|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[久留米市]]|lat_deg=33.25|lon_deg=130.42|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[佐賀市]]|lat_deg=33.20|lon_deg=130.18|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[長崎市]]|lat_deg=32.71|lon_deg=129.80|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[大分市]]|lat_deg=33.18|lon_deg=131.5|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[熊本市]]|lat_deg=32.73|lon_deg=130.6|marksize=1|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[玄界島]]|lat_deg=33.67|lon_deg=130.25|mark=Orange_pog.svg|marksize=7|position=left}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=西浦・宮浦|lat_deg=33.62|lon_deg=130.24|mark=Orange_pog.svg|marksize=7|position=left}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[志賀島]]|lat_deg=33.66|lon_deg=130.32|mark=Orange_pog.svg|marksize=7|position=right}} |
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{{Location map~|Japan Northern Kyushu|label_size=70|width=400|label=[[能古島]]|lat_deg=33.60|lon_deg=130.33|mark=Orange_pog.svg|marksize=7|position=right}} |
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}}<!--主な被害地点記述ここまで。--> |
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地震が発生したのは[[2005年]](平成17年)[[3月20日]]の[[日曜日]]、[[国民の祝日|祝日]]・[[春分の日]]、発生時刻は10時53分40.3秒([[日本標準時|日本時間]])<ref name="jmamr0503">「[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/bulletin/index.html 地震月報(カタログ編)] 2005年3月」気象庁</ref>であった。[[震源]]は福岡県北西沖(発生当時は「福岡県西方沖」{{Refnest|group="注"|name="epicname"|気象庁は[[2006年]]10月から国内の震央地名を変更しており、地震発生当時の「福岡県西方沖」は現在「福岡県北西沖」に変更されている。<ref>「[http://www.jma.go.jp/jma/press/0609/20b/20060920chiiki.html 地震情報で発表する震度の地域名称と震央地名の一部見直しについて]」気象庁、2006年9月20日付、2015年1月10日閲覧</ref>}})の{{coord|33|44.3|N|130|10.5|E}}<ref name="jmamr0503"/>、震源の深さは9km<ref name="jmamr0503"/>だった。[[博多湾]]口に近い玄界灘の離島である玄界島(福岡市西区玄界島)から北西に約8km、糸島半島北端の西浦崎(福岡市西区西浦)から北北西に約9kmの地点にあたる。 |
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==== 各地の震度 ==== |
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震度5弱以上の揺れを観測した地点は以下の通り ※市町村名は発生当時のもの。 |
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気象庁によると地震の規模は、地震波の振幅に比例する[[マグニチュード#気象庁マグニチュード Mj|気象庁マグニチュード]](Mj)で7.0、断層破壊の規模に比例する[[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw|モーメントマグニチュード]](Mw)で6.7だった<ref name="jmacmt">「[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/bulletin/index.html 地震月報(カタログ編)] 」気象庁、2005年分より、2015年2月7日閲覧</ref>。 |
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{| class="wikitable" |
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! style="white-space:nowrap" | 震度 || style="white-space:nowrap" | 都道府県 || 市町村 |
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地殻を構成する大陸プレート([[ユーラシアプレート]]あるいは[[アムールプレート]])内で発生した地震、いわゆる[[地震#内陸地殻内地震|内陸地殻内地震]]である<ref name="Okada">岡田義光『日本の地震地図』、初版、東京書籍、2012年、198-201pおよび212p、ISBN 978-4-487-80589-1</ref>。[[発震機構]]は東西方向に圧力軸を持つ[[横ずれ断層]]型で、断層面は地面に対して垂直であり、余震分布から北西-南東方向に延びる左横ずれ断層と考えられている<ref name="ercrep0321">「[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/05mar_fukuoka/index.htm 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の評価]」、地震調査研究推進本部 地震調査委員会、2005年3月21日付、2015年1月10日閲覧</ref><ref name="ercrep0413">「[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/05apr_fukuoka/index.htm 福岡県西方沖の地震活動の評価]」、地震調査研究推進本部 地震調査委員会、2005年4月13日付、2015年1月10日閲覧</ref>。 |
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この地震を起こした震源断層は政府の[[地震調査研究推進本部|地震調査委員会]]により「福岡県北西沖の断層」と呼ばれているが、地震発生時は活断層の存在が知られておらず、地震後決められた呼称である<ref name="07kego"/>。 |
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地震による震源断層のすべり量は資料により開きがあるが、気象研究所によると最大約1.7m<ref>気象研究所「[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/index74.html 10-4 2005年3月20日福岡県西方沖の地震のすべり量分布]」、[[#cais74|『地震予知連絡会 会報』74巻]]、2005年9月</ref>、西村らによると最大約1.9m<ref>Nishimura, T., S. Fujiwara, M. Murakam Tobita, and H. Yarai. "Fault model of the 2005 Fukuoka-ken Seiho-oki earthquake estimated from coseismic deformation observed by GPS and InSAR". [[#EPS5801|Earth Planets Space, Vol.58]], 51–56, 2006.</ref><ref name="Matumoto-erc"/>、浅野らによると最大約3m<ref name="Matumoto-erc"/><ref>Asano, K. and T. Iwata. "Source process and near-source ground motions of the 2005 West Off Fukuoka Prefecture earthquake".[[#EPS5801|Earth Planets Space, Vol.58]], 93–98, 2006.</ref>などと推定されている。 |
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福岡管区気象台の解析では、震源から約30km離れた福岡市早良区の地震計において、地震発生約7秒後の10時53分47秒に[[初期微動]]が始まり、4秒後に[[主要動]]が到達、20秒程度続いた。これらから、地震を引き起こした断層破壊の継続時間は十数秒間と推定され、この規模の地震としては比較的短かった<ref name="yom0322">読売新聞 西部版、2005年3月22日付</ref>。 |
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余震域は志賀島付近を南東端としてそこから北西方向に約30kmに亘って分布した<ref name="ercrep0413"/>。ただし、北西端付近と南東端付近の2箇所は断層の走行がやや屈曲している。また、主たる余震域の東側の少し離れたところ、[[海の中道]]付近には本震から時間を置いて1日後の3月21日から活動が活発化した小さな余震域がある。この小さな余震域は石堂-海の中道断層の位置と一致している<ref name="Matumoto-erc">松本聡「[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/history/2-3-8_fukuokaseiho2005.pdf 福岡県西方沖の地震(2005年3月20日, M7.0)]」、地震予知連絡会、『[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/history.html 地震予知連絡会の歩み] この10年間の主な地震及び地殻活動』、2015年1月10日閲覧</ref>。 |
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=== 周辺における過去の地震と地質 === |
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福岡県北西沖の海域の地震活動はこれまで低調であり、前例となる地震活動の記録がほとんどなかった。地震以前に刊行された地質学の文献においても、[[別府島原地溝帯]]より北側の北部九州は比較的地質が安定しており「たまに小さな地震が起こるくらい」とする記述もみられた<ref>宮澤理稔「福岡県西方沖地震はいかにまれな地震であったか」、日本地震学会 広報紙『[http://www.zisin.jp/modules/pico/?cat_id=40 なゐふる]』、50号、p4、2005年7月</ref><ref>日本地震学会『地震列島日本の謎を探る』東京書籍、2000年 ISBN 978-4-487-79419-6</ref>。[[麻生渡]]福岡県知事(当時)も地震当日に「福岡は大地震がないと言われてきただけに、大きな衝撃だ」と語っている<ref name="yom0321"/>。地震当日に会見を行った気象庁の山本雅博地震津波監視課長(当時)は「非常に珍しいところで起きた」とした一方、「百年単位では大規模地震の発生はなかったが、千年単位では繰り返していたのかもしれない」ともコメントしている<ref name="nis0321"/>。 |
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福岡市や[[糸島半島]]付近の陸地を見ても、過去最大の地震は[[1898年]]8月の[[糸島地震]](M6.0, M5.8)<ref group="注">糸島地震は群発性の地震で、8月10日にM6.0、8月12日にM5.8と大きな地震が立て続けに発生し、主に12日の地震により負傷者3名、[[糸島郡]]で家屋全壊7棟などの被害があった。震度は糸島半島で5から6相当だったと推定されている。</ref>、次いで[[1929年]]8月の[[博多湾]]付近の地震(M5.1)、[[1930年]]2月の[[雷山]]付近の地震(M5.0)が知られているのみで、[[古文書]]によるものを含めてもM7級の地震は前例がなく、福岡市および糸島半島付近では、[[有史]]以来最大の地震となった。またこの地震で、震度の記録が整備された1926年以降、福岡県内と佐賀県内で初めて震度5以上の揺れを観測した<ref name="ercrep0321"/><ref name="nis0321"/><ref>「[http://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/kyushu-okinawa/p40_fukuoka.htm 福岡県の地震活動の特徴]」地震調査研究推進本部</ref>。 |
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また、やや範囲を広げて福岡県、佐賀県および長崎県壱岐地方を見ると、[[1700年]]の壱岐・対馬付近の地震(M7)や[[679年]][[筑紫地震]]<ref group="注">久留米市の[[水縄断層]]で発生した可能性がある。</ref>(M6.5~7.5)などが知られており、この地震は約300年ぶりの規模となった<ref name="ercrep0321"/>。それでも、北部九州の日本海側(玄界灘沿い)は日本の中でも相対的に地震活動が低く、時としてM7程度の地震が発生するものとされ、同じ北部九州でも[[豊後水道]]ではM7.5程度の地震の例があるのとは対照的となっている<ref name="Okada"/>。また九州地方で震度6弱以上を観測する地震としては、1997年5月の[[鹿児島県北西部地震]]<ref group="注">ただし、当時の気象庁の震度情報に提供されていなかった防災科学技術研究所[[強震観測網]]の観測であり、気象庁発表の最大震度は5強だった。</ref>以来となった<ref name="Otsuka"/>。 |
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この地震の震源域に、既に知られている活断層はなかった。地震後の海底探査などでも、震源域付近の海底に活断層の証拠となる段差は発見されていない。横ずれ断層では段差が生じにくく、さらに海底であることが発見を難しくしていると考えられている。しかし、震源域(余震域)から10kmほど北東には、余震分布と同じ北西-南東方向に延びる長さ数kmの海底活断層が2か所存在することが知られていた。また、福岡県北部には同じく北西-南東方向に延びる活断層が複数あり、福岡市中心部を縦断する[[警固断層]]もその1つである。特に、この地震の余震域はほぼ警固断層の延長線上にあり、地震後にその関連性が調査されることとなった。2007年の地震調査委員会の評価では、この地震の震源域は警固断層そのものではないと断定したが、「警固断層帯」として一括りにし、確率は低いが2つの断層が連動して地震を起こす可能性に含みを持たせている<ref name="07kego"/>。 |
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=== 余震 === |
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2005年6月末までに震度1以上の余震は375回発生している。最大震度別の内訳は、震度5強が1回、震度4は7回、震度3が23回、震度2が118回、震度1が226回。ただし、3月21日18時までは震度計がなかった玄界島の震度を反映していない。またマグニチュード (M) で見ると、M3以上の余震は265回発生しており、内訳はM3クラスが236回、M4クラスが24回、M5クラスが5回となっている<ref name="jmaeqev0603">「[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/ 地震・火山月報(防災編)] {{PDFLink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200603/monthly200603.pdf 平成18年4月]}}」気象庁、2006年</ref><ref name="jmaeqev0505">「[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/ 地震・火山月報(防災編)] {{PDFLink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200505/monthly200505.pdf 平成17年5月]}}」気象庁、2005年</ref>。 |
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本震発生後[[気象庁]]は、最大で震度5弱程度、所によっては震度5強の余震が発生する可能性があるとして注意を呼び掛けた<ref name="yom0321">読売新聞 西部版、2005年3月21日付</ref>。24日には震度4程度の可能性に変更された<ref>読売新聞 西部版、2005年3月25日付</ref>。 |
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本震から丸1か月後の4月20日6時11分には、M5.8、最大震度5強の最大余震が発生した。発震機構は東西方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型で、本震と同じ型である<ref name="jmaeqev0504"/>。本震と同じ程度の強い揺れとなった地域もあり、この余震でも人的・物的被害が生じている。 |
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本震からの時間経過とともに余震が減衰傾向にある中、余震域の南東側で特徴的な活動が発生した。余震域南東側の志賀島付近では、本震後にまとまった余震活動が発生し、一時的に4月上旬から中旬にかけて地震が比較的少ない状態となった後、4月20日にM5.8・震度5強の最大余震が発生する経過をたどった。一方、一連の余震域から10kmほど東側に離れた海の中道付近でも、本震翌日の3月21日からまとまった余震活動が発生したが、4月中旬から活動が低下している<ref name="jmaeqev0505"/><ref name="jmaeqev0504">「[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/ 地震・火山月報(防災編)] {{PDFLink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200504/monthly200504.pdf 平成17年4月]}}」気象庁、2005年</ref>。 |
|||
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.3em; text-align:right" |
|||
|+ 4月30日までの震度1以上の余震の発生回数の推移(気象庁、速報値)<ref name="jmaeqev0505"/> |
|||
|- |
|- |
||
! |
!rowspan="2"|日付 |
||
!colspan="2"|回数 |
|||
| [[福岡県]] |
|||
!rowspan="2"|最大震度 |
|||
| [[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]] [[中央区 (福岡市)|中央区]] [[前原市]] |
|||
|rowspan="23"| |
|||
!rowspan="2"|日付 |
|||
!colspan="2"|回数 |
|||
!rowspan="2"|最大震度 |
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|- |
|- |
||
!計 |
|||
|[[佐賀県]] |
|||
!style="font-size:80%"|玄界島のみ<ref group="注">玄界島には地震の後に震度計が設置された。3月21日18時までは玄界島の震度を含まず、3月21日18時からは含んでいる。</ref><br/>震度1以上を<br/>観測した回数 |
|||
|[[三養基郡]][[みやき町]] |
|||
!計 |
|||
!style="font-size:80%"|玄界島のみ<br/>震度1以上を<br/>観測した回数 |
|||
|- |
|- |
||
|3月20日||112||―||3 ||4月10日||3||2||4 |
|||
! rowspan="3" style="background-color:#ff9600" | 5強 |
|||
| [[福岡県]] |
|||
| 福岡市[[早良区]] [[西区 (福岡市)|西区]] [[大川市]] [[春日市]] [[久留米市]] [[糟屋郡]][[須恵町]] [[新宮町]] [[糸島郡]][[志摩町 (福岡県)|志摩町]] [[二丈町]] [[嘉穂郡]][[碓井町]] [[穂波町]] [[糟屋郡]][[久山町]] [[粕屋町]] |
|||
|- |
|- |
||
|3月21日||34||(18時から)7||3 ||4月11日||1||1||1 |
|||
| [[佐賀県]] |
|||
| [[三養基郡]][[上峰町]] [[杵島郡]][[白石町]] [[東松浦郡]][[七山村]] |
|||
|- |
|- |
||
|3月22日||26||14||4 ||4月12日||2||2||1 |
|||
| [[長崎県]] |
|||
| [[壱岐市]] |
|||
|- |
|- |
||
|3月23日||11||9||3 ||4月13日||2||―||2 |
|||
! rowspan="4" style="background-color:#ffc800" | 5弱 |
|||
| [[福岡県]] |
|||
| 福岡市[[博多区]] [[城南区]] [[南区 (福岡市)|南区]] [[北九州市]][[八幡西区]] [[戸畑区]] [[中間市]] [[大野城市]] [[福津市]] [[柳川市]] [[小郡市]] [[うきは市]] [[直方市]] [[飯塚市]] [[宗像市]] [[宗像郡]][[大島村 (福岡県)|大島村]] [[筑紫郡]][[那珂川町 (福岡県)|那珂川町]] [[志免町]] [[宇美町]] [[篠栗町]] [[遠賀郡]][[遠賀町]] [[鞍手郡]][[若宮町]] [[三池郡]][[高田町 (福岡県)|高田町]] [[朝倉郡]][[夜須町 (福岡県)|夜須町]] [[朝倉町]]、[[三潴郡]][[大木町]] [[三井郡]][[大刀洗町]] |
|||
|- |
|- |
||
|3月24日||16||8||3 ||4月14日||2||―||3 |
|||
| [[佐賀県]] |
|||
| [[小城市]] [[唐津市]] [[鳥栖市]] [[多久市]] [[佐賀郡]][[久保田町]] [[諸富町]] [[川副町]] [[大和町 (佐賀県)|大和町]] [[東与賀町]] [[神埼郡]][[千代田町 (佐賀県)|千代田町]] [[三田川町]] [[三瀬村 (佐賀県)|三瀬村]] [[藤津郡]][[嬉野町 (佐賀県)|嬉野町]] [[杵島郡]][[江北町]] [[北方町 (佐賀県)|北方町]] |
|||
|- |
|- |
||
|3月25日||15||6||3 ||4月15日||1||―||1 |
|||
| [[大分県]] |
|||
| [[中津市]] |
|||
|- |
|- |
||
|3月26日||11||6||2 ||4月16日||2||―||2 |
|||
| [[長崎県]] |
|||
|- |
|||
| [[対馬市]] |
|||
|3月27日||10||6||3 ||4月17日||0||―||― |
|||
|- |
|||
|3月28日||8||3||2 ||4月18日||1||―||2 |
|||
|- |
|||
|3月29日||2||―||2 ||4月19日||0||―||― |
|||
|- |
|||
|3月30日||0||―||― ||4月20日||14||1||5強 |
|||
|- |
|||
|3月31日||4||4||2 ||4月21日||4||1||2 |
|||
|- |
|||
|4月1日||3||―||4 ||4月22日||2||―||1 |
|||
|- |
|||
|4月2日||3||2||1 ||4月23日||3||1||1 |
|||
|- |
|||
|4月3日||8||6||3 ||4月24日||2||―||2 |
|||
|- |
|||
|4月4日||8||5||2 ||4月25日||1||―||1 |
|||
|- |
|||
|4月5日||6||4||2 ||4月26日||1||1||1 |
|||
|- |
|||
|4月6日||4||1||3 ||4月27日||1||1||1 |
|||
|- |
|||
|4月7日||5||3||4 ||4月28日||2||1||2 |
|||
|- |
|||
|4月8日||3||―||3 ||4月29日||0||―||― |
|||
|- |
|||
|4月9日||1||1||2 ||4月30日||1||1||1 |
|||
|} |
|||
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.3em" |
|||
|+ 本震およびマグニチュード5以上の余震の詳細<ref name="JMAdatabase">[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.php 震度データベース検索]、[[気象庁]]。</ref><ref name="jmacmt"/> |
|||
|- |
|||
! 発生日時 |
|||
! 震央 |
|||
! 座標 |
|||
! 深さ |
|||
! 規模[[マグニチュード#気象庁マグニチュード Mj|Mj]] |
|||
! 規模[[マグニチュード#モーメントマグニチュード Mw|Mw]] |
|||
! 最大震度 |
|||
! 区別 |
|||
|- |
|||
| 2005年3月20日10時53分40.3 |
|||
| 福岡県北西沖 |
|||
| {{coord|33|44.3|N|130|10.5|E}} |
|||
| {{0}}9km |
|||
| style="background-color:#ff6400" | 7.0 |
|||
| style="background-color:#ff9600" | 6.7 |
|||
| style="background-color:#ff6400" | 震度6弱 |
|||
| 本震 |
|||
|- |
|||
| 2005年3月22日15時55分33.4 |
|||
| 福岡県北西沖 |
|||
| {{coord|33|43.5|N|130|10.6|E}} |
|||
| 11km |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.4 |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.1 |
|||
| style="background-color:#ffff00" | 震度4 |
|||
| 余震 |
|||
|- |
|||
| 2005年4月10日20時34分37.8 |
|||
| 福岡県北西沖 |
|||
| {{coord|33|40.1|N|130|16.9|E}} |
|||
| {{0}}5km |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.0 |
|||
| |
|||
| style="background-color:#ffff00" | 震度4 |
|||
| 余震 |
|||
|- |
|||
| 2005年4月20日{{0}}6時11分26.8 |
|||
| 福岡県北西沖 |
|||
| {{coord|33|40.6|N|130|17.2|E}} |
|||
| 14km |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.8 |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.5 |
|||
| style="background-color:#ff9600" | 震度5強 |
|||
| 余震 |
|||
|- |
|||
| 2005年4月20日{{0}}9時{{0}}9分42.9 |
|||
| 福岡県北西沖 |
|||
| {{coord|33|40.7|N|130|17.0|E}} |
|||
| 13km |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.1 |
|||
| |
|||
| style="background-color:#ffff00" | 震度4 |
|||
| 余震 |
|||
|- |
|||
| 2005年5月{{0}}2日{{0}}1時23分57.6 |
|||
| 福岡県福岡地方 |
|||
| {{coord|33|40.2|N|130|19.2|E}} |
|||
| 11km |
|||
| style="background-color:#ffc800" | 5.0 |
|||
| |
|||
| style="background-color:#ffff00" | 震度4 |
|||
| 余震 |
|||
|} |
|} |
||
気象庁によれば、震度については博多湾沿岸、筑後川流域、唐津湾沿岸で震度6弱かそれ以上の揺れに見舞われた可能性があるという。いずれの地域も表層地盤が新しい時代のものであるため、揺れが増幅されやすい。また、最も震源から遠い地点では[[東京都]][[板橋区]]、[[神奈川県]][[綾瀬市]]でも震度1を観測した。 |
|||
== 地殻変動 == |
|||
日本以外では震源から最短で150km程度だった[[大韓民国|韓国]]でも広範囲で揺れを観測し、[[釜山広域市|釜山]]では[[メルカリ震度階級|改正メルカリ震度階級]]で震度5を観測した。[[火災]]をはじめとした被害が発生した。韓国では広範囲で地震の揺れを観測するのは稀だったため、話題となった。また、[[中華人民共和国|中国]]の[[上海市|上海]]の地震測定局でも揺れを観測し、市街地の高層建造物の上層階では、食器が音を立てたり電灯が揺れたりするほどの揺れを感じた。 |
|||
[[国土地理院]]はGPS観測を行っている[[電子基準点]]の位置について、地震の前後で比較を行った。「福岡」(福岡市東区志賀島)で南西に約17cm 、「前原」(糸島市前原)で南に9cm、「古賀」(古賀市)で西に6cmの変位をそれそれ観測した<ref>「[http://www.gsi.go.jp/cais/HENDOU-hendou23.html 平成17年3月20日 福岡県西方沖の地震に伴う地殻変動]」国土地理院</ref>。また、[[三角点]]についても再測量を行い、玄界島で南に約38cmの変位を観測したのを始め、東区の一部を除いた福岡市と[[前原市|前原]]、[[志摩町 (福岡県)|志摩]]など震源域の南西側では、沿岸を中心に南に10cm前後の変位を観測した。一方、[[新宮町|新宮]]や[[相島 (福岡県)|相島]]など震源域の北東側では、西方向の変位を観測した<ref>「[http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2005-0510-1.html 福岡県西方沖を震源とする地震に伴う緊急測量結果について]」国土地理院、2005年05月10日</ref>。 |
|||
== 観測・推定された揺れ == |
|||
=== 津波 === |
|||
=== 本震 === |
|||
[[福岡県]]福岡地方と[[長崎県]]壱岐・対馬で10時57分から[[津波#津波注意報|津波注意報]]が発表されたが、津波が観測されなかったため、12時に解除された。韓国でも気象庁が津波注意報を発令したが、津波は観測されなかった。しかし、韓国では一時パニックとなった{{要出典|date=2011年3月}}。 |
|||
[[画像:Fukuoka-quake1.PNG|right|thumb|300px|本震での各市町村の震度]] |
|||
この地震最大の震度6弱を観測したのは4地点で、福岡県内では福岡市東区[[箱崎_(福岡市)|東浜]]、中央区舞鶴、前原市(現[[糸島市]])前原西の3地点、佐賀県内ではみやき町[[北茂安町|北茂安]]の1地点。福岡県内の3地点は震央から約30kmであるのに対し、佐賀県みやき町は震央から60kmとやや離れている。また、福岡県[[福岡地方]]の広い範囲と[[筑後地方]]・[[筑豊]]地方の一部、佐賀県と長崎県[[壱岐]]の一部で震度5強となった。福岡県、佐賀県および長崎県北部と壱岐・[[対馬]]、大分県北部はほとんどが震度4以上となり、このほか熊本県、長崎県、山口県、島根県でも複数の地点で震度4を観測している<ref name="jmaeqev0503">「[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/ 地震・火山月報(防災編)] {{PDFLink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200503/monthly200503.pdf 平成17年3月]}}」気象庁、2005年</ref>。 |
|||
これら観測値と同様に気象庁の推計震度分布図によれば、[[博多湾]]沿岸の広い範囲と、[[筑後川]]流域、[[唐津湾]]沿岸のそれぞれ一部で推定震度5強、所によっては推定震度6弱の地域が分布している。また、[[福岡平野]]から[[筑紫山地]]西部にかけての地域と[[筑紫平野]]の全域に推定震度5弱の地域が分布している<ref name="jmaeqev0503"/>。 |
|||
マグニチュードが比較的大きい割に津波が発生しなかったのは、地震の発生原因が、地面の盛り上がりを伴わない「横ずれ断層」だったためである。 |
|||
また、九州と四国・中国地方のほとんどの地点で有感(震度1以上)となり、近畿地方・中部地方の平野部や沿岸部でも有感となった。最も震源から遠い地点では[[東京都]][[板橋区]]と[[神奈川県]][[綾瀬市]]で震度1を観測した<ref name="jmaeqev0503"/>。このように本州方面では震央から500km以遠でも有感となった一方で、南方面では鹿児島県の本土で有感の地点があったが、震央から300kmの種子島以南の[[奄美諸島]]・[[沖縄県]]では無感(震度1未満)となった。これは九州南部の[[火山]]地帯で"Lg波"と呼ばれる地震波が大きく減衰する影響によるものと考えられている<ref name="vp70p1"/>。 |
|||
=== 余震 === |
|||
本震発生直後には最大で震度5弱程度の余震が発生する可能性があるとの注意が[[気象庁]]から発表された。24日には「震度4程度の可能性」に変更された。以下は有感地震(体に感じる、最大震度1以上の地震)の回数。 |
|||
地震波形の解析により、九州や本州の構造盆地で[[長周期地震動]]の増幅が発生していたことが分かっている。長周期成分の周期には幅があるが、福岡県・佐賀県の[[筑紫平野]]では約5秒周期、熊本県の[[人吉盆地]]では約3秒周期の地震動がピークを示した<ref name="vp70p1"/>。 |
|||
2005年(平成17年)[[5月31日]]現在で、震度5強の余震は1回、震度4は7回、震度3は24回、有感地震は合計350回以上を数える。 |
|||
震源に近い玄界島には、3月20日の本震の時点では震度計が置かれていなかった。本震における玄界島の震度はいくつかの推定が発表されているが、幅がある。[[鹿島建設]]小堀研究室の武村雅之は余震のデータを基に推定で震度6弱(5.9)とする試算結果を発表している<ref name="yom0524">「[https://archive.today/bZz8d 玄界島の揺れは震度7相当の可能性]」YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2005年5月24日付、[http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/earthquake/0505/ea_505_05052401.htm 2005年12月16日時点]よりアーカイブ</ref>。[[筑波大学]]の境有紀は、住宅被害の多くが地盤崩壊や崖崩れを伴い建物自体が地震動で大きく破壊されたとは考えづらいものの、屋根瓦の被害率が高い状況などから、震度6強相当ではないかとHP上で発表している<ref>「[http://taro.eri.u-tokyo.ac.jp/saigai/fukuoka/fukuoka.html 2005年福岡県西方沖の地震 ─震源過程・強震動・被害─]」東京大学地震研究所強震動グループ、2005年3月31日、2015年2月16日閲覧</ref><ref>「[http://www.kz.tsukuba.ac.jp/~sakai/fos.htm 福岡県西方沖地震で発生した地震動と被害速報]」、筑波大学 境有紀のページ、2005年3月25日、2015年2月16日閲覧</ref>。[[東京大学地震研究所]]の三宅弘恵らの研究チームは余震の観測記録を基に本震の地震動をシミュレーションし、推定で震度7(6.5)に達した可能性があるという試算結果を発表している<ref name="yom0524"/><ref name="vp70p1">岩切一宏、増田与志郎「2005年福岡県西方沖の地震による地震動の特徴」、気象庁『[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/kenshin6.html 験震時報]』70巻、p1-14、2007年</ref>。気象庁は事後調査を行っており、調査結果を総合的に見ると震度6弱程度ではないかとする見解を記者会見で発表した<ref>「[http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050324i511.htm 余震「ヤマ超えた」…福岡沖地震で気象庁]」YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2005年3月24日付</ref><ref>「[http://www.asahi.com/national/update/1003/TKY200510020176.html 震度「空白域」を解消、気象庁が新システム開発へ]」、Asahi.com(朝日新聞)、2005年10月3日付</ref>。なお、気象庁は地震機動観測班を派遣して玄界島漁村センター(福岡市西区玄界島)に震度計を設置し、3月21日18時から観測を開始した<ref name="bousai29">「{{PDFLink|[http://www.bousai.go.jp/updates/pdf/jishin_fukuoka_29.pdf 福岡県西方沖を震源とする地震について(第29報)]}}」 - 内閣府 防災情報、2009年6月12日時点</ref>。 |
|||
以下のグラフは本震が発生した3月20日から、最大の余震が発生した日の翌日、[[4月21日]]までの間の、余震の回数の推移。 |
|||
{| cellspacing="0" cellpadding="2"| |
|||
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.3em" |
|||
|+ 震度5弱以上を観測した市区町村(市町村名は発生当時)<ref name="jmaeqev0503"/> |
|||
|- style="white-space:nowrap" |
|||
!震度!!都道府県!!市区町村 |
|||
|- |
|- |
||
!rowspan="2" style="background-color:#ff6400"|6弱 |
|||
!日付 |
|||
|[[福岡県]] |
|||
!余震の回数(単位:回) |
|||
|[[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]] [[中央区 (福岡市)|中央区]] [[前原市]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[佐賀県]] |
|||
|'''[[3月20日|3/20]]''' |
|||
|[[三養基郡]][[みやき町]] |
|||
|[[画像:c100.png]][[画像:c10.png]][[画像:c01.png]][[画像:c01.png]] '''112'''(本震は含まない。被害のひどかった玄界島は未明までに全島避難。) |
|||
|- |
|- |
||
!rowspan="3" style="background-color:#ff9600"|5強 |
|||
|[[3月21日|3/21]] |
|||
|福岡県 |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c10.png]][[画像:c10.png]][[画像:c03.png]][[画像:c01.png]] 34 |
|||
|福岡市[[早良区]] [[西区 (福岡市)|西区]] [[大川市]] [[春日市]] [[久留米市]] [[須恵町]] [[新宮町]] [[志摩町 (福岡県)|志摩町]] [[二丈町]] [[碓井町]] [[穂波町]] [[久山町]] [[粕屋町]] |
|||
|- |
|- |
||
|佐賀県 |
|||
|[[3月22日|3/22]] |
|||
|[[上峰町]] [[白石町]] [[七山村]] |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c10.png]][[画像:c05.png]][[画像:c01.png]] 26(15時55分にM 5.4、最大震度4の地震。) |
|||
|- |
|- |
||
|[[ |
|[[長崎県]] |
||
|[[壱岐市]] |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c01.png]] 11 |
|||
|- |
|- |
||
!rowspan="4" style="background-color:#ffc800"|5弱 |
|||
|[[3月24日|3/24]] |
|||
|福岡県 |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c05.png]][[画像:c01.png]] 16 |
|||
|福岡市[[博多区]] [[城南区]] [[南区 (福岡市)|南区]] [[北九州市]][[八幡西区]] [[戸畑区]] [[中間市]] [[大野城市]] [[福津市]] [[柳川市]] [[小郡市]] [[うきは市]] [[直方市]] [[飯塚市]] [[宗像市]] [[大島村 (福岡県)|大島村]] [[那珂川町 (福岡県)|那珂川町]] [[志免町]] [[宇美町]] [[篠栗町]] [[遠賀町]] [[若宮町]] [[高田町 (福岡県)|高田町]] [[夜須町 (福岡県)|夜須町]] [[朝倉町]]、[[大木町]] [[三井郡]][[大刀洗町]] |
|||
|- |
|- |
||
|佐賀県 |
|||
|[[3月25日|3/25]] |
|||
|[[小城市]] [[唐津市]] [[鳥栖市]] [[多久市]] [[久保田町]] [[諸富町]] [[川副町]] [[大和町 (佐賀県)|大和町]] [[東与賀町]] [[千代田町 (佐賀県)|千代田町]] [[三田川町]] [[三瀬村 (佐賀県)|三瀬村]] [[嬉野町 (佐賀県)|嬉野町]] [[江北町]] [[北方町 (佐賀県)|北方町]] |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c05.png]] 15 |
|||
|- |
|- |
||
|[[ |
|[[大分県]] |
||
|[[中津市]] |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c01.png]] 11 |
|||
|- |
|- |
||
|長崎県 |
|||
|[[3月27日|3/27]] |
|||
|[[ |
|[[対馬市]] |
||
|} |
|||
日本以外では、[[大韓民国|韓国]]でも[[ソウル]]を始め広範囲で揺れを観測した<ref name="yom0321"/><ref name="donga">「[http://japanese.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2005032142628 「まさか地震?」 韓国全土を震撼]」東亜日報、2005年3月20日</ref><ref name="joins">「[http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=61646&servcode=400§code=400 日本発地震で全国が揺れる]」中央日報、2005年3月20日</ref>。[[アメリカ地質調査所]](USGS)の記録によれば[[釜山広域市|釜山]]、[[慶州市|慶州]]、[[巨済市|巨済]]で[[メルカリ震度階級|改正メルカリ震度階級]]震度4を観測した<ref>"[http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/eqinthenews/2005/usvwac/#summary Magnitude 6.6 - KYUSHU, JAPAN 2005 March 20 01:53:41 UTC Summary]" アメリカ地質調査所</ref>。また、[[中華人民共和国|中国]]の[[上海市|上海]]では、地元紙『新民晩報』の報道によると、ビルの高層階では体感で分かるほどの揺れが感じられ、食器が音をたてたり電灯が揺れるなどして2分ほど揺れが続いたところもあったほか、上海市地震局でも揺れを観測した<ref name="yom0322"/>。 |
|||
=== 4月20日の余震 === |
|||
震源は志賀島付近で本震よりも九州本土に近かったため、所によっては本震を上回る震度を観測した。博多区や南区では本震の震度5弱を上回り震度5強となっている。福岡県と佐賀県の広い範囲と、大分県、熊本県、山口県、長崎県壱岐の一部で震度4、九州北部と中国地方・四国地方の一部で震度3、震度1以上を観測した地点は九州から近畿地方に及んだ<ref name="jmaeqev0504"/>。 |
|||
{| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.3em" |
|||
|+ 震度5弱以上を観測した市区町村(市町村名は発生当時)<ref name="jmaeqev0504"/> |
|||
!震度!!都道府県!!市区町村 |
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|- |
|- |
||
!style="background-color:#ff9600"|5強 |
|||
|[[3月28日|3/28]] |
|||
|福岡県 |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c03.png]] 8 |
|||
|福岡市博多区 中央区 南区 早良区 春日市 新宮町 碓井町 |
|||
|- |
|- |
||
!rowspan="2" style="background-color:#ffc800"|5弱 |
|||
|[[3月29日|3/29]] |
|||
|福岡県 |
|||
|[[画像:c01.png]][[画像:c01.png]] 2 |
|||
|福岡市東区 西区 大野城市 宗像市 那珂川町 須恵町 古賀市 粕屋町 福津市 若宮町 筑前町 |
|||
|- |
|- |
||
|佐賀県 |
|||
|[[3月30日|3/30]] |
|||
|みやき町 久保田町 |
|||
| 0 |
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|} |
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== 津波注意報の発表 == |
|||
日本の気象庁は、地震から4分後の10時57分、[[福岡県]]日本海沿岸(玄界灘沿い)と[[長崎県]]壱岐・対馬に[[津波#津波注意報|津波注意報]]を発表したが、12時に解除した。津波は観測されなかった<ref name="fdma554"/>。海域の浅い地震ではあったが横ずれ断層だったため、津波は発生しなかった<ref>「2.地震および地震動」、[[#jsce2|土木学会被害調査団速報 第2報]]</ref>。 |
|||
ただし福岡市では、屋外スピーカーで放送を行う[[市町村防災行政無線#同報系防災行政無線|同報系の防災行政無線]]が整備されていなかったため、広く避難を呼び掛けることはできなかった<ref name="Takahashi">高橋和雄「[福岡県西方沖地震における災害対応の調査」、土木学会『地震工学研究発表会 報告集』28巻、p212、2005年 {{DOI|10.11532/proee2005.28.212}}</ref>。その後市は、同報系ではないが、防災拠点との通信を確保する地域防災無線を拡充し、避難所である市内の全小学校に整備している<ref name="fj2011">「[http://www.city.fukuoka.lg.jp/soki/joho/shisei/johokahakusyo.html 福岡市情報化白書2011]」福岡市、p80-85、2011年</ref>。 |
|||
韓国でも[[大韓民国気象庁]]が、地震から27分後の11時20分、南海岸、東海岸、済州島に津波注意報を発表したが、津波は観測されず12時過ぎに解除した<ref name="yom0321"/><ref name="donga"/><ref name="joins"/>。一方、気象庁が津波注意報を各自治体に知らせるFAXが、日曜日であるにも関わらず職員の常駐していない部署に送信されるというミスも発生した<ref>「[http://japanese.joins.com/article/741/61741.html?servcode=400§code=400 気象庁、福岡沖地震の津波警報でFAX送信ミス]」中央日報、2005年3月23日</ref>。 |
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== 被害と復旧 == |
|||
=== 被害の概要と負傷・救急医療 === |
|||
[[File:Fukuoka Earthquake 20050320 Maruzen.jpg|thumb|right|250px|福岡市の繁華街に位置する福岡ビル。地震によってビルの窓ガラスが割れ、地面に降り注いだ。]] |
|||
[[File:Fukuoka Earthquake 20050320 Wall1.jpg|thumb|right|250px|福岡市中央区の住宅街。地震によって古いブロック塀が倒壊して道路の片側4分の1を埋め尽くした。]] |
|||
[[File:Fukuoka Earthquake 20050605 Shikanoshima.jpg|thumb|right|250px|志賀島の周回道路上の崖崩れ]] |
|||
住宅被害や負傷者の大半は福岡県内で発生しており<ref name="fdmawph18"/>、特に福岡市が大きな割合を占めた。負傷者の8割、全壊・半壊棟数の9割、一部損壊の5割が福岡市となっている<ref name="FukuokaPR17">「[http://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/saigainenpo17.html 平成17年災害年報] 第3章1.平成17年3月20日福岡県西方沖地震による災害」福岡県、2014年11月7日更新</ref>。ただ、福岡市内では全区で人的・物的被害が生じたものの、被害は限られた地域に集中し、その他では散発的な被害が見られた<ref name="FCA-8"/>。 |
|||
住宅の全半壊を伴うような被害が目立ったのは、福岡市西区の[[玄界島]]や[[能古島]]、同じく西区北西端の西浦地区・宮浦地区、東区の[[志賀島]]など、沿岸の[[漁村]]・[[農村]]地域だった。特に、玄界島では住宅の半数が全壊するなど大きな被害となり、約1か月間に亘って全島避難を行った。また、福岡市街地の中でも一部地域、[[中央区 (福岡市)|中央区]]の警固断層東縁で[[マンション]]や古いビルの半壊・一部損壊が集中的に発生した<ref name="FCA-8">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p8-9, p47</ref><ref name="FPR-13">「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p13</ref>。 |
|||
[[ライフライン]]や交通などの都市機能にも被害は生じたが、概ね半日から2日間程度で復旧している<ref name="FPR-13"/>。 |
|||
[[福岡市消防局]]のまとめによると、福岡市内で地震に伴う傷病により[[救急搬送]]された人数は、地震当日の3月20日に87人、翌3月21日に6人など、4月6日までの18日間で計109人となっている。なお、このうち地震当日に玄界島から6人がヘリコプターで[[福岡県災害拠点病院|災害拠点病院]]である[[国立病院機構九州医療センター|九州医療センター]]または[[済生会福岡総合病院]]に搬送されているほか、翌日以降の搬送人数には熱傷患者の転院による搬送なども含まれる。重傷要因別の内訳は、転倒による負傷が31人 (28%)、鍋等の転倒による[[熱傷]]が19人 (17%)、落下物による負傷が同じく19人 (17%)、建物等の倒壊による負傷が12人 (11%) などとなっている。また、年齢別では60代以上が約6割を占めた<ref>「[http://www.kyushu-u.ac.jp/magazine/kyudai-koho/No.40/40_06.html 震災フォーラムin 九大 調査結果と今後の備え] 特集 研究紹介-4- 橋爪誠、漢那朝雄「福岡県西方沖地震における災害救急医療」」、九州大学『九大広報』40号、2005年5月</ref>。 |
|||
唯一の直接死者となった70代女性は、[[博多区]]吉塚の自宅付近にて清掃作業を終えて近所の住民と談話中、倒壊した[[ブロック塀]]の下敷きとなり、出血性ショックなどが原因で死亡した<ref name="FCA-28">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p28-30</ref>。このほか、福岡市で80代女性、筑紫野市で50代男性がそれぞれ、飛んできた瓦で頭を打つなどして重体となった<ref name="nis0321">西日本新聞、2005年3月21日付</ref>。 |
|||
福岡市消防局では地震直後から119番通報が殺到し、11時30分までの40分間に約700件を超えた。建物被害への対応、救急・救助、ガス漏れなど、地震による消防車両の出動台数は延べ台数で735台に上った。福岡市内の各消防団も避難誘導や崖崩れへの対応など174件の活動を行っている<ref name="FCA-28"/>。 |
|||
通報が殺到して救急車の配車指示が十分とはいえなかったことに加えて、通信規制により病院間の連絡が困難となり、さらに災害時優先電話のトラブル(後述)により救急から病院への連絡にも支障が生じたため、近くの病院から順次飛び込みで搬送する事態が発生した。唯一の死者となった女性についても、こうした背景により手当てが遅れた可能性が指摘された。後に対策として、福岡県の救急医療情報システムの活用促進、通信支障や人手不足を前提とした受け入れ体制の分散化などのほか、福岡市医師会で携帯メールとウェブを活用した連絡システムを導入するなどしている<ref>中村功、福田充、森康俊、関谷直也「災害医療と通信メディア : 救急病院における通信メディアの利用に関する全国調査」 東京大学・東洋大学災害情報研究会『災害情報調査研究レポート』4号、2006年3月 参照Web公開文献:[http://nakamuraisao.a.la9.jp/report4-2.htm]</ref>。 |
|||
{|| class="wikitable" style="text-align:right" |
|||
|+被害集計 平成18年版『消防白書』より(2006年9月30日時点)<ref name="fdmawph18">「第1章第7節1(1) [http://www.fdma.go.jp/html/hakusho/h18/h18/html/i1711100.html 平成17年以降の主な地震の概要]」、総務省 [[消防庁]]、『[http://www.fdma.go.jp/html/hakusho/h18/ 平成18年版消防白書]』、2006年12月</ref> |
|||
|rowspan="2"|地域 |
|||
|colspan="2"|負傷者数 |
|||
|colspan="3"|住宅被害棟数 |
|||
|rowspan="2"|火災 |
|||
|- |
|- |
||
|死亡||負傷||全壊||半壊||一部破損 |
|||
|[[3月31日|3/31]] |
|||
|[[画像:c03.png]][[画像:c01.png]] 4 |
|||
|- |
|- |
||
![[福岡県]] |
|||
|1||1,186||143||352||9,190||1 |
|||
|[[画像:c03.png]] 3(21時52分に M 4.5 、最大震度4の地震。) |
|||
|- |
|- |
||
![[佐賀県]] |
|||
|―||15||―||1||136||― |
|||
|[[画像:c03.png]] 3 |
|||
|- |
|- |
||
![[長崎県]] |
|||
|―||2||1||―||14||1 |
|||
|[[画像:c05.png]][[画像:c03.png]] 8 |
|||
|- |
|- |
||
![[山口県]] |
|||
|―||1||―||―||―||― |
|||
|[[画像:c05.png]][[画像:c03.png]] 8 |
|||
|- |
|- |
||
!合計 |
|||
|[[4月5日|4/5]] |
|||
|1||1,204||144||353||9,340||2 |
|||
|[[画像:c05.png]][[画像:c01.png]] 6 |
|||
|- |
|- |
||
|colspan="7"|負傷者合計の内訳:重傷198人、軽傷1,006人。 |
|||
|[[4月6日|4/6]] |
|||
|} |
|||
|[[画像:c03.png]][[画像:c01.png]] 4 |
|||
{|| class="wikitable" style="font-size:90%; line-height:1.3em; text-align:right" |
|||
|+福岡県内市町村別の主な被害集計 福岡県『平成17年災害年報』より<ref name="FukuokaPR17"/> |
|||
|rowspan="2"|市町村 |
|||
|colspan="3"|負傷者数 |
|||
|colspan="3"|住宅被害棟数 |
|||
|rowspan="2"|道路被害<br/>箇所 |
|||
|rowspan="2"|港湾被害<br/>箇所 |
|||
|rowspan="2"|崖崩れ<br/>箇所 |
|||
|rowspan="2"|[[罹災証明書]]<br/>発行世帯数 |
|||
|- |
|- |
||
|死亡||重傷||軽傷||全壊||半壊||一部破損 |
|||
|[[4月7日|4/7]] |
|||
|[[画像:c05.png]] 5(0時10分ごろに、最大震度4の地震。) |
|||
|- |
|- |
||
|[[福岡市]]||1||163||875||141||323||4756||136||96||19||1116 |
|||
|[[4月8日|4/8]] |
|||
|[[画像:c03.png]] 3 |
|||
|- |
|- |
||
|[[大野城市]]||||1||3||||||217|||||||| |
|||
|[[4月9日|4/9]] |
|||
|[[画像:c01.png]] 1 |
|||
|- |
|- |
||
|[[春日市]]||||10||3||||1||236|||||| |
|||
|[[4月10日|4/10]] |
|||
|[[画像:c03.png]] 3(20時30分ごろに M 4.8 、最大震度4の地震。) |
|||
|- |
|- |
||
|[[那珂川町 (福岡県)|那珂川町]]||||||1||||||196||1|||||| |
|||
|[[4月11日|4/11]] |
|||
|[[画像:c01.png]] 1 |
|||
|- |
|- |
||
|[[筑紫野市]]||||||||||||54||||2|| |
|||
|[[4月12日|4/12]] |
|||
|[[画像:c01.png]][[画像:c01.png]] 2 |
|||
|- |
|- |
||
|[[太宰府市]]||||1||1||||1||174||3||||||2 |
|||
|[[4月13日|4/13]] |
|||
|[[画像:c01.png]][[画像:c01.png]] 2 |
|||
|- |
|- |
||
|[[宇美町]]||||||||1||1||53||4|||||| |
|||
|[[4月14日|4/14]] |
|||
|[[画像:c01.png]][[画像:c01.png]] 2 |
|||
|- |
|- |
||
|[[篠栗町]]||||1||4||||||28||2|||||| |
|||
|[[4月15日|4/15]] |
|||
|[[画像:c01.png]] 1 |
|||
|- |
|- |
||
|[[志免町]]||||1||13||||||55||3|||||| |
|||
|[[4月16日|4/16]] |
|||
|[[画像:c01.png]][[画像:c01.png]] 2 |
|||
|- |
|- |
||
|[[須恵町]]||||||2||||||108||7|||||| |
|||
|[[4月17日|4/17]] |
|||
| 0 |
|||
|- |
|- |
||
|[[粕屋町]]||||1||||||||6||11|||||| |
|||
|[[4月18日|4/18]] |
|||
|[[画像:c01.png]] 1 |
|||
|- |
|- |
||
|[[久山町]]||||||3||||||13||5|||||| |
|||
|[[4月19日|4/19]] |
|||
| 0 |
|||
|- |
|- |
||
|[[新宮町]]||||||2||||||216||72||||1|| |
|||
|[[4月20日|4/20]] |
|||
|[[画像:c10.png]][[画像:c03.png]] 13(6時11分に M 5.8 、震度5強の地震、他に震度4の地震が2回) |
|||
|- |
|- |
||
|[[古賀市]]||||||||1||6||235||22||||||1 |
|||
|[[4月21日|4/21]] |
|||
|[[画像:c03.png]][[画像:c01.png]] 4(15時現在) |
|||
|} |
|||
* (地震回数についての資料元…[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200504/monthly200504.pdf 平成17年4月地震・火山月報(防災編)]) |
|||
==== 最大余震 ==== |
|||
本震のちょうど1ヵ月後の2005年4月20日午前6時頃に、最大震度5強の地震が発生した。福岡県西方沖地震の余震だと考えられる。震源は本震の南東12km程度に位置し([http://www.hinet.bosai.go.jp/topics/FKO20050320/ Hi-net][http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/HYPO/index.html 九州大学HYPO])、志賀島付近と考えられる。震源地は、福岡市直下にある警固断層の北端からわずか5kmの地点で、余震がだんだんと南側で発生するようになっていることを表しており、この大きな余震で断層の南側のひずみのほとんどが解放されたと見られている。 |
|||
* 発生日時: [[2005年]][[4月20日]]([[水曜日|水]])6時11分26秒([[日本標準時|日本時間]])[http://www.hinet.bosai.go.jp/ AQUAシステム] |
|||
* 震央: 福岡県西方沖({{ウィキ座標度分秒|33|40.6||N|130|17.2||E}})<ref>[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/weekly/zenkoku/zenkoku20050422_16.pdf]</ref> |
|||
* 震源の深さ: 約14km(気象庁暫定値) |
|||
* 地震の規模: マグニチュード(M)5.8(気象庁暫定値) |
|||
* [http://www.fdma.go.jp/data/010503201909521972.pdf 各地の震度] |
|||
* 震度4以上の揺れを観測した地点は以下の通り |
|||
{| class="wikitable" |
|||
|- |
|- |
||
|[[宗像市]]||||1||1||||||67||1|||||| |
|||
! style="width:2em" | 震度 |
|||
! style="width:4em" | 都道府県 |
|||
! 市区町村 |
|||
|- |
|- |
||
|[[福津市]]||||1||||||2||33||3|||||| |
|||
! style="background-color:#ff9600" | 5強 |
|||
| [[福岡県]] |
|||
| [[福岡市]][[博多区]] [[中央区 (福岡市)|中央区]] [[南区 (福岡市)|南区]] [[早良区]] [[春日市]] [[新宮町]] [[碓井町]] |
|||
|- |
|- |
||
|*1 [[前原市]]||||9||44||||1||1407||29||||||26 |
|||
! style="background-color:#ffc800" rowspan="2" | 5弱 |
|||
| [[福岡県]] |
|||
| [[東区 (福岡市)|東区]] [[西区 (福岡市)|西区]] [[大野城市]] [[宗像市]] [[那珂川町 (福岡県)|那珂川町]] [[須恵町]] [[古賀市]] [[粕屋町]] [[福津市]] [[若宮町]] [[筑前町]] |
|||
|- |
|- |
||
|*1 [[二丈町]]||||1||||||||107||6||||||16 |
|||
| [[佐賀県]] |
|||
| [[みやき町]] [[久保田町]] |
|||
|- |
|- |
||
|*1 [[志摩町]]||||5||1||||16||920||53|||||| |
|||
! style="background-color:#ffff00" rowspan="6" | 4 |
|||
| [[福岡県]] |
|||
| [[福岡市]][[城南区]] [[筑紫野市]] [[太宰府市]] [[前原市]] [[宇美町]] [[篠栗町]] [[志免町]] [[久山町]] [[二丈町]] [[志摩町 (福岡県)|志摩町]] [[北九州市]][[若松区]] [[八幡西区]] [[中間市]] [[芦屋町]] [[水巻町]] [[遠賀町]] [[犀川町]] [[勝山町 (福岡県)|勝山町]] [[豊津町]] [[新吉富村]] [[直方市]] [[飯塚市]] [[山田市]] [[鞍手町]] [[宮田町 (福岡県)|宮田町]] [[桂川町]] [[稲築町]] [[筑穂町]] [[穂波町]] [[庄内町 (福岡県)|庄内町]] [[添田町]] [[糸田町]] [[久留米市]] [[柳川市]] [[筑後市]] [[大川市]] [[小郡市]] [[朝倉町]] [[大刀洗町]] [[大木町]] [[瀬高町]] [[うきは市]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[大川市]]||||1||5||||||||1|||||| |
|||
| [[佐賀県]] |
|||
| [[唐津市]] [[七山村]] [[佐賀市]] [[鳥栖市]] [[川副町]] [[東与賀町]] [[大和町 (佐賀県)|大和町]] [[神埼町]] [[千代田町 (佐賀県)|千代田町]] [[脊振村]] [[三田川町]] [[三瀬村 (佐賀県)|三瀬村]] [[基山町]] [[上峰町]] [[北方町 (佐賀県)|北方町]] [[江北町]] [[白石町]] [[嬉野町 (佐賀県)|嬉野町]] [[小城市]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[柳川市]]||||||5|||||||||||||| |
|||
| [[山口県]] |
|||
| [[下関市]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[岡垣町]]||||||||||1||71||4|||||| |
|||
| [[長崎県]] |
|||
| [[壱岐市]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[久留米市]]||||||9||||||1||1|||||| |
|||
| [[熊本県]] |
|||
| [[菊池市]] [[山鹿市]] |
|||
|- |
|- |
||
|[[飯塚市]]||||||||||||75||1|||||| |
|||
| [[大分県]] |
|||
|- |
|||
| [[中津市]] [[日田市]] |
|||
|*2 [[若宮町]]||||||1||||||107||2|||||| |
|||
|- |
|||
|colspan="12"|重傷1名以上、軽傷5名以上または一部損壊10棟以上の市町のみ掲載。<br/>*1:現[[糸島市]]。*2:現[[宮若市]]。 |
|||
|} |
|} |
||
なお、4月20日朝の余震でも人的・物的被害が出ている。福岡市を中心として福岡県と佐賀県で合わせて58人の負傷者が出たほか、新たに200棟以上の住宅で一部損壊の被害が発生した<ref name="fdma361">「[http://www.fdma.go.jp/bn/2005/detail/361.html 4月20日発生の福岡県西方沖を震源とする地震(第6報)]」、総務省消防庁、2005年4月20日18:00</ref>。 |
|||
== 被害 == |
|||
[[File:Fukuoka Earthquake 20050320 Maruzen.jpg|thumb|right|福岡市の繁華街に位置する福岡ビル。地震によってビルの窓ガラスが割れ、地面に降り注いだ。]] |
|||
[[File:Fukuoka Earthquake 20050320 Wall1.jpg|thumb|right|福岡市中央区の住宅街。地震によって古いブロック塀が倒壊して道路の片側4分の1を埋め尽くした。]] |
|||
[[File:Fukuoka Earthquake 20050605 Shikanoshima.jpg|thumb|right|志賀島の周回道路上の崖崩れ]] |
|||
* 死者1人 |
|||
* 重傷者198人、軽傷者1,006人(うち福岡県が重傷197人、軽傷989人) |
|||
* 住宅の全壊144棟、半壊353棟、一部損壊9,338棟(うち福岡県が全壊143、半壊352、一部損壊9,185) |
|||
([http://www.fdma.go.jp/data/010905121319599326.pdf 消防庁発表]) |
|||
* 地震後九州の全域で一時鉄道(九州新幹線は除く)の運行がストップした。その後震源から遠い宮崎を中心に順次運転を再開した。 |
|||
*: ([[鹿児島中央駅]]から[[新八代駅]]の間を結ぶ[[九州新幹線]]「[[つばめ (JR九州)|つばめ]]」は通常通り運行したが、新八代駅から[[博多駅]]の間を結ぶ在来線特急の「[[つばめ (JR九州)|リレーつばめ]]」が運行を見合わせた。) |
|||
** 4月20日の余震では、福岡県・佐賀県周辺の鉄道各線で一時運行を見合わせた。多くの路線で運行再開に数時間を要し、一部では数時間缶詰になる乗客も出た。[[高速道路]]各線も福岡県・佐賀県周辺で一時通行止めになった。 |
|||
=== |
=== 被害額 === |
||
福岡県のまとめでは、県が管轄する公共施設や農産品などの被害総額は314億9,702万8,000円となっている。そのうち、公共土木施設が約195億円と6割を占め、公立文教施設が約15億円、農林業・水産業施設が約3億1千万円、産業別被害では商工業が約56億円、水産業が約18億円、林業が約4億4千万円、農業が約1億円などとなっている<ref name="FukuokaPR17"/>。 |
|||
* 1人死亡、1人が重傷、1,185人が軽傷。唯一の直接死者となった70代女性は自宅付近([[博多区]]吉塚)の清掃作業を終えて近所の住民と談話中、倒壊したブロック塀の下敷きとなり、出血性ショックなどが原因で死亡した。怪我は落下物による打撲、やけど(昼食準備等)が多かった。 |
|||
* 住宅の全壊が143棟、半壊が353棟、一部損壊が9,185棟が確認されている。 |
|||
* 震源に最も近い陸地である玄界島では特に被害が大きく、建造物・構造物の大半が大きな被害を受けたため、約10人を残し住民の大半が福岡市本土に全島避難した。福岡県[[都道府県知事|知事]]の要請により、[[自衛隊]]が[[災害派遣]]された。 |
|||
** 4月20日の余震では、玄界島において半壊状態だった住宅が全壊した。 |
|||
* 次に震源に近い[[志賀島]]や[[能古島]]、福岡市西区西浦でも大規模な被害が集中した。志賀島では周回道路等が崖崩れ・落石で一部通行止めになり、能古島では10トン超の巨岩が民家を破壊した(住人は無事) |
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** 4月20日の余震では、震源直下の志賀島の被害が大きかった。崖崩れや落石(巨岩)が拡大したこともあり、志賀島の周回道路(東側の勝馬~志賀海神社)は復旧の目途がなかなか立たず、一年半もの間不通となっていた(2006年(平成18年)[[10月18日]]復旧)。 |
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* 福岡市内や周辺市町村で、寺社などの[[文化財]]にも大きな被害が相次ぐ。 |
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* 一部では、[[停電]]や[[水道|水道管]]・[[ガス燃料|ガス管]]の断裂や破損など、[[ライフライン]]への影響が顕著だった(同、4月20日の余震)。水道管の破損が千数百箇所、漏水5万トン(報道)。 |
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* 博多湾に近い港や埋め立て地、道路、駐車場、岸壁などで、[[液状化現象]]や地割れ、沈下などが相次、福岡市中央区港周辺でも数mに渡る道路の陥没が生じた。 |
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* 一部大型店舗、遊戯場等では人的被害はないものの建物被害(バックヤード等)が多く見られた模様。[[福岡市]]の[[ビルディング|ビル]]街では、ビルの窓ガラスが割れ地上に降り注ぐという出来事もあったが、幸い怪我人は少なく軽傷で済んだ。特に、[[西日本鉄道]]本社のある[[福岡ビル]]([[1961年]]・昭和36年完成)は、全窓ガラスの約4割にあたる約360枚が割れるという大きな被害が出た。その後の調査では、窓枠が窓ガラスの揺れを吸収しない古い工法だったのが原因とされている。ビル本体の耐震性は十分であった。このビルがメディアで盛んに取り上げられたせいか、この地区一帯の窓ガラスが割れたような誤解もあるが、近隣には現在の耐震基準を満たした設計のビルも多く、それらの被害はあまりなかった。しかし、一歩間違えば大惨事となるだけに、大きな教訓を残した。市内・周辺(とくに大名・赤坂地区)では建物外壁やブロック塀の崩落・倒壊も相次ぐ。 |
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** 4月20日の余震でも、外壁の崩落が相次ぐ。 |
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* 主に福岡市中心部では、多くの[[ビルディング|ビル]]や[[マンション]]の高層階で地震の揺れが増幅され、実際に計測された震度より1~2程度大きい震度に相当する被害が出た場所もあった(特に[[警固断層]]の東側沿い。また、旧[[福岡城]]の堀や、古河川を昔埋め立てた地域に集中しているとの調査結果もある[http://eqgate.kuciv.kyoto-u.ac.jp/Japanese/fukuoka2005/fukuoka10000-damage-oldmap-small.jpg]。)。一部では、[[せん断破壊]]ほか主要構造の破壊が相次いだ。一部では、建造物の倒壊の恐れがあるとして、周辺の住民に避難勧告が発出されたところもある(現在はこれらは解除)。 |
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* 福岡市西区や東区で崖崩れの危険性があるとして避難勧告が発出された(現在はこれらは解除)。 |
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** 4月20日の余震では、2005年(平成17年)4月21日現在、福岡市中央区で崖崩れの危険性があるとして避難勧告が1件発出されている。 |
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* 地震により公共施設などに避難した人は一時3,000人を超えた。自主避難のピーク時人数に避難勧告の対象人数を加えたもの(消防庁発表)。 |
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** 4月20日の余震では、一時、福岡県において新たに211名(うち福岡市は164名)が避難した。(消防庁第6報) |
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* [[3月30日]]の福岡県の見通しによると、県内の被害総額は347億円で、内160億円が[[水産業]]関係の被害、140億円が[[港湾施設]]関係の被害である。 |
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* 震度5弱の揺れとなった[[北九州市]]では[[小倉城]]の瓦が割れたり、市内の建物等でも一部損壊が見られた。 |
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* [[九州朝日放送]]のタワー最上部の使用されていなかったテレビ放送用アンテナの部分が曲がった(後に撤去) |
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福岡市のまとめでは、市が管轄する公共施設などの被害額は208億3,000万円で、うち87億6千万円(国負担分を含む)が海岸や[[港湾施設]]、80億円が[[漁港]]施設と海沿いの被害が大半を占め、次いで道路の被害額が多い(2008年3月31日時点)<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p9</ref>。 |
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=== 佐賀県 === |
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* 1人が重傷、14人が軽傷。 |
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* 住宅の半壊が1棟、一部損壊が136棟確認されている。 |
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* 100軒程度の建物で窓ガラスや荷物、商品などに被害。 |
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* 佐賀県の特産品[[有田焼]]も被害を受け、4,000万円近くの被害が出ている。 |
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* 県内の被害総額は3億円程度となる見込み。 |
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また、福岡市周辺の企業が加入する福岡[[商工会議所]]の調べでは、回答のあった1,507事業所で、建物、設備、商品などを中心に被害額は合計約33億6千万円に上った(2005年4月13日時点)<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p124</ref>。一方で、一部の工場でプラントの一時停止などがあったものの、製造業や金融業などに大きな被害はなかったことが報じられている<ref name="yom0323"/>。 |
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=== 長崎県 === |
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* 2人が軽傷。 |
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* [[壱岐市]]で地震によるとみられる火災により1棟全焼。住宅の一部損壊が13棟確認されている。(長崎県発表、2005年(平成17年)4月20日17時現在) |
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* 4月8日現在での長崎県の取りまとめによると、県内の被害総額は約2億200万円程度と見られる。 |
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佐賀県内の被害総額は約3億4,000万円<ref>「[http://www.pref.saga.lg.jp/web/at-contents/gikai/singikekka/gijiroku/17-06teirei/17-06tiji.html 平成17年6月定例県議会 知事提案事項説明要旨]」、佐賀県議会</ref>、長崎県内の被害総額は約2億円となっている<ref name="mai-ng0414">毎日新聞(長崎県版)、2005年4月14日付</ref>。 |
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=== 山口県 === |
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* 1人が軽傷。 |
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* 住宅の一部損壊が1棟確認されている。 |
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[[日本地震再保険]]の調べによると、この地震における[[地震保険]]の支払総額は2008年3月末時点の実績で231億円となっており、加入率の差などから単純比較はできないが、1995年の[[阪神・淡路大震災]]の約3分の1、2004年に発生した[[新潟県中越地震]]の1.5倍にあたる。なお内訳として、3月20日の本震における支払が168億円、4月20日に余震における支払が63億円となっている<ref>吉田彰「地震保険の実務的な課題」内閣府 経済社会総合研究所 研究会報告書等 No.44『[http://www.esri.go.jp/jp/prj/hou/hou044/hou044.html 経済学的視点を導入した災害政策体系のあり方に関する研究報告]』、第5章、2009年6月</ref>。 |
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=== 大分県 === |
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* 住宅の一部損壊が2棟確認されている。 |
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* 国宝[[宇佐神宮]]([[宇佐市]])の壁に数箇所亀裂が生じている。 |
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* [[中津市]]では水道管の破損や、道路や建物の一部にヒビが入るなどの被害が出た。 |
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=== 建物・施設 === |
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玄界島、能古島、糸島半島北端の西浦地区・宮浦地区、東区の志賀島など、沿岸の集落で住宅被害が目立った。特に、玄界島では住宅の全壊率が5割に達した<ref name="FCA-8"/>。志賀島北部の勝馬地区でも、玄界島に匹敵する被害となった<ref name="Otsuka"/>。能古島では2人が負傷し、住宅1棟が一部損壊の被害を受けた。また、震源から東側の玄界灘にある[[大島 (福岡県)|大島]](当時[[大島村 (福岡県)|大島村]]、現[[宗像市]])では、住宅8棟が一部損壊の被害を受けた<ref name="fdma554">「[http://www.fdma.go.jp/bn/2009/detail/554.html 福岡県西方沖を震源とする地震(確定報)]」、総務省消防庁、2005年6月12日</ref>。玄界島では仮設住宅200戸が建設され、島全体を区画整理した上で住宅の復興事業が行われた<ref name="bousai29"/>。また、志賀島で16戸、西区北崎で11戸、能古島で3戸、それぞれ仮設住宅が建設されている<ref name="bousai29"/>。 |
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* [[大韓民国|韓国]]の[[釜山広域市|釜山]]では電柱から発火し、市場の店舗20軒が全焼するなど火事の被害があった。また、地震により緊急停止したエレベーターに閉じ込められて出られなくなった人も続出した(全員無事救出)。 |
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* [[中華人民共和国|中国]]の[[上海市|上海]]では、[[高層ビル]]で[[長周期地震動]]によるものと見られる揺れが確認された。 |
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玄界島や志賀島などでは、特に切土・盛土の造成地付近の建物で大きな被害が見られた。この地域で被害が大きかった背景には、震源に近かったことに加えて急傾斜地に建つ住宅が多いという土地条件が影響していたと見られている<ref name="Otsuka"/>。ただこれらの地域でも、屋根の被害を中心として古い[[木造]]住宅で被害が目立つ一方、比較的新しい住宅では被害が軽い傾向にあった。この背景として、木造住宅において耐震性確保のために必要な[[耐力壁|壁]]の量を定める建築基準が1950年から1981年にかけて次第に厳しく改正されてきており、古い住宅では壁の量が少なかったであろうことが考えられている<ref name="Matsuda"/>。 |
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== 地震による影響 == |
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* 地震後、福岡の[[電子基準点]]が南西に 17cm 、前原の電子基準点が南に 9cm 移動している事が分かった。 |
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福岡市中心部の長浜・舞鶴・博多駅前・百道浜周辺の中高層ビルを対象に行われたアンケート調査によると、回答のあった約300棟のうち半数前後で棚から物が落下したり、天井・内壁の剥離や亀裂があった。また約4割で家具類の転倒や[[エレベーター]]の停止、約3割でテレビや電子レンジなどの重量物の落下があった。さらに、約1割の建物でガラスの破損や停電・断水などいずれかのライフラインの支障、また[[扉]]の開閉が困難になる事例が発生している。オフィスのうち約15%の建物では、業務の停止が発生したという。また、建物内ではより高い階ほど、棚の転倒や重量物の落下の割合が高かった<ref name="tfd"/>。 |
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== 被災者への支援策など == |
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=== 政府、自治体などの対応 === |
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* [[政府]]は地震発生から7分後、[[首相官邸]]に対策室を設置した。 |
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* [[3月25日]]に、[[小泉純一郎|首相]]が被災地を訪問。 |
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* 福岡県は地震発生当日、福岡市に対して[[災害救助法]]を適用した。 |
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* 被害の集中した福岡市では被災者に対して、住宅・宅地関連、見舞金・資金貸付、就学関連、中小企業関連、農林漁業者関連、税などの費用負担減免関連、ほか各項目の支援策を発表し実施している。詳細は福岡市のホームページ参照[http://www.city.fukuoka.jp/index.html]。 |
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* 福岡県は福岡市と協議し、福岡市内に230戸(うち200戸は玄界島住民向け)の仮設住宅を建設。4月下旬から5月中旬にかけてそれまで避難していた住民が入居した。 |
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* 地震発生直後から、各電話会社で災害用サービスの提供が開始された。(cf. [[#経緯、今後と防災|今後と防災]]・通信手段) |
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福岡市中心部の[[天神]]では、商業施設の外壁の一部剥落や看板の落下などの被害があり、臨時休業する店舗が相次いで発生した<ref name="nis0321"/>。一方、地上付近と高層階で揺れ方に差があり、[[天神地下街]]では地震後も営業を続けたが、津波注意報の発表を受けて11時半過ぎに営業中止を決めた。このことから、特に同じ組織内で低層階と高層階の両方を有するところでは、気象庁が発表する震度情報に合わせて組織内で対応を一律に決めることが、場合によっては適切ではない可能性も指摘されている<ref name="Nagamatsu">永松伸吾「[http://www.disasterpolicy.com/ronbun/fukuoka.htm 都市災害としての福岡県西方沖地震]」、人と防災未来センター、『調査研究レポート』、10巻「平成17年度研究論文・報告集」、55-58p、2006年</ref><ref name="jsce2-14">「14.集客施設における避難の状況」、[[#jsce2|土木学会被害調査団速報 第2報]]</ref>。また天神では4月20日の余震でも、地震が通勤時間帯を直撃し出社が遅れる例があったことなどから、開店を数時間遅らせる店が相次いだ<ref name="nis0321">朝日新聞 西部版、2005年4月21日付</ref>。 |
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=== 報道機関の対応 === |
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* [[日本放送協会|NHK]]は地震発生後すぐに地震関連のニュースに切り替えたが、途中昼に、情報が少ないことから一旦はニュースを中断した(数時間後、被害の拡大情報により再開)。 |
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* [[民間放送|民放]]各局は番組の途中に地震関連のニュースを随時放送した。 |
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* [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系では系列の[[通信衛星|CS]]ニュースチャンネルである[[日テレNEWS24]]が先行して速報を伝え、地元局の[[福岡放送]]ではローカル対応を中心としながらCSや全国ネットへの対応を取った。 |
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* [[TBSテレビ|東京放送(TBS)]]系では発生時に放送していた生番組「[[サンデージャポン]]」内で地震関連のニュースを伝えることとなったものの、地震発生時がたまたまローカル編成の時間帯であったため、地元局・[[RKB毎日放送]]ではこの番組をネットしておらず、全国に向けてはいわゆる[[裏送り]]という形で伝えた。その後、昼の定時ニュースで詳報を伝えた後、TBS発全国ネット生番組「[[アッコにおまかせ!]]」のネット受けを急遽休止してローカルでの[[報道特別番組]]を編成し、地元への対応に当たった。 |
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* [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系では[[笑っていいとも!増刊号]]をほぼ全国ネットで放送中であったが、番組内ではローカルの地震速報を字幕にて流すのみであった。地震についてはこの番組の後に放送された昼のニュースで伝えることとなった。なお、FNN系列の地元局・[[テレビ西日本]]では、地震発生時、社屋への被害も比較的大きかったようで、報道部フロアでは床板が外れたり、フロア内のモニターテレビが相当数落下するなどの被害が出たため、社屋外への一時待避を余儀なくされた。これにより、地震への即応対応が取れなかったようだ。 |
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他方、臨時休業を決めた施設の多くは客を外に避難誘導したため、数少ない広場に人が多く集まった。例えば[[警固公園]]では、一時は100m四方ほどの広場が周りを見回せないほどの人で溢れたといい、ただ1つの公衆トイレに長い列ができる事態も発生した。福岡市役所前の広場にも数千人が集まり、携帯電話で連絡を取ろうとする人が目立ったという。しかし、交通機関の多くが早期に再開したことから、[[帰宅困難者]]問題が深刻化することはなかった<ref name="yom0321"/><ref name="FPR-13"/><ref name="Nagamatsu"/><ref name="jsce2-14"/>。 |
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== 地震被害の少なかった北部九州・福岡市付近の防災 == |
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福岡県、特に福岡市付近は、福岡県西方沖地震の以前は、国内の他の地域に比べて地震の発生が特に少なかった。史料によれば、679年に[[筑紫国]]で地震(M6.5〜7.5と推定される)が起こり地割れができたとの記述があるが、それ以降約1,300年間は被害が出るような地震の記録は確認されておらず、統計的に見て地震が少ないと予想されていた。しかし、[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])と同様に、規模の小さい地震すら少ないことでエネルギーの蓄積が起こり、万が一地震が発生した場合は規模が大きくなるものとして危険性は認識されてはいたが、やはり同様に実体験による認識においては「福岡地方では大きな地震は起こらない。」とする誤解が広まっていた。今般、M7.0弱クラスの地震にしては、被害が小規模に止まったことは奇跡的とさえ言えるが、改めて日本においてはどんな場所でも大地震が起こりうることを実証し、再認識させる結果となった。 |
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福岡市内ではエレベーターへの閉じ込めが20件発生し、消防や管理会社により29人が救助された。また同じく福岡市内でドアの閉塞による建物への閉じ込めが17件発生し、自力で脱出したものを除くと消防により8人が救助されている<ref name="FCA-28"/>。 |
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=== 警固断層帯について === |
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[[2007年]](平成19年)[[3月19日]]、[[文部科学省]][[地震調査研究推進本部]]により「警固断層帯の長期評価」が発表された。<ref name="herp">[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/07mar_kego/index.htm 警固(けご)断層帯の長期評価について]</ref>これによると、まず、警固断層(福岡市内)と本震に係る福岡県西方沖の断層帯は同一の断層帯であると言う判断がなされた。断層帯南東部(警固断層)の今後30年以内の地震発生確率は'''最大で6%'''と、日本国内の主な活断層の中では高いグループに属することになると言う評価となっている。もっとも、断層帯北西部(本震に係る断層帯)に関する過去の地震などのデータが現時点では十分に揃っていないため、この発生確率等の値の信頼性自体もやや低いものとしている。地震によって警固断層に掛かるひずみが増したかどうかは可能性の指摘に止まり、今後の研究による科学的検証を要するとしている。本震を発生させた[[玄界灘]]の海底断層は未知の断層であり、4月20日の最大余震も含め、[[警固断層]]との関連性も指摘された。地震調査研究上も、福岡市付近は特別の注目を受けていた地域ではなかった上、今後の調査研究の発展を待つ必要がある。 |
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[[ブロック塀]]の崩落・倒壊も相次ぎ、福岡市中心部で行われた調査では全体の4%が倒壊した。補強用の鉄筋や基礎の構造などに欠陥のある塀が倒壊しており、特に無補強のレンガ塀は3割以上が倒壊した。また、老朽化により鉄筋が腐食したりひび割れが生じた古い塀で倒壊が多かった。さらに、地域別では警固断層付近やその東側で倒壊が多く、南北方向に倒壊したものが多かったという<ref name="mext1294461"/>。 |
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== 地震によるそのほかの影響 == |
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=== 通信手段 === |
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本震においては、[[西日本電信電話|NTT西日本]]の[[固定電話]]は数時間に渡り通話規制が行われた([[災害伝言ダイヤル]]が開始された)。[[携帯電話]]においては、通話規制は夜まで続き、[[輻輳]]の影響もあり通話は繋がりにくい状態だった中、[[電子メール|Eメール]]や[[ウェブ]]は規制を受けず、各社の災害伝言板サービスも含め、効果を発揮した。[[PHS]]は[[固定電話]]と同様の通話規制を受けたが、その後は通話は問題なく利用できた(メール・ウェブは携帯電話と同様)。一部の[[直収電話]]では復旧に1~2日かかった。[[インターネット]]([[ADSL]])や[[IP電話]]は、地震直後も問題なく利用できた(停電世帯を除く)。 |
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* [[2005年]](平成17年)[[5月10日]]、福岡市の「防災メール」システムが、地震・津波にも対応した。 |
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* 2005年(平成17年)[[6月20日]]、福岡県消防防災安全課の「防災メール・まもるくん」システムが一般に登録開始。 |
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能古島では、地震により裏手の山から10トンを超える巨岩が落下し住宅を直撃した。住宅は損壊したが、住人は揺れの直後に外に避難していて無事だった<ref name="yom0324"/>。 |
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=== 犯罪 === |
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本震以降、[[新潟県中越地震]]と同様に、[[振り込め詐欺]]や、係員を装った[[窃盗]]事件が横行し、注意の呼びかけもなされた。 |
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4月20日の余震では、須恵町で火災が1件発生した<ref name="fdma361"/>。 |
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被災した建物に対する応急危険度判定は3月28日までに2,959件実施され、460件が「危険」、1,023件が「要注意」と判定されている。なお、4月20日の余震後にも新たに81件実施されている。また、法面や擁壁に近い建物に対する被災宅地危険度判定は3月28日までに380件(うち169件が玄界島)実施され、160件が「危険」。123件が「要注意」と判定されている<ref name="bousai29"/>。 |
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長崎県内では、[[壱岐市]]で2人が負傷し、住宅1棟が全壊したほか、[[対馬市]]でも住宅1棟が一部破損の被害を受けた<ref name="fdma554"/>。 |
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佐賀県内でも、住宅の壁にひびが入ったり、学校の窓ガラスが割れる被害があった<ref name="sagas050322">「[http://www3.saga-s.co.jp/pub/hodo/2005earthquake/050322.htm 教訓震度6弱 福岡県西方沖地震 2005/04/19(火)]」佐賀新聞</ref>。特に[[有田焼]]は組合加盟社の4分の1にあたる約60社で揺れによる落下被害が発生し、地震対策を行っていなかったところもあり、約4,000万円近くの被害が出た<ref>「[http://www3.saga-s.co.jp/pub/hodo/2005earthquake/050326.htm 教訓震度6弱 福岡県西方沖地震 2005/03/26(土)]」佐賀新聞</ref>。 |
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[[玄海原子力発電所]]では、震度4相当の揺れを観測したが自動停止の基準には満たず、異常もなかったため通常運転を継続した<ref name="yom0321"/>。 |
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[[大韓民国|韓国]]では、大きな揺れが感じられた[[釜山広域市|釜山]]でデパートの客が避難する騒ぎとなったり、エレベーターの停止が発生したりしている<ref name="donga">「[http://japanese.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2005032142628 「まさか地震?」 韓国全土を震撼]」東亜日報、2005年3月20日</ref>。また地震によるものかは不明だが、慶尚南道の[[統営市]]で地震直後に火災が発生し木造店舗1棟が全焼した<ref>「[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2005/03/20/2005032063055.html 全国各地で地震発生 恐怖に包まれた市民]」朝鮮日報、2005年3月20日</ref>。 |
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=== 玄界島の全島避難と復興 === |
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震源に近い福岡市西区の[[玄界島]]では、倒壊した住宅から女性が救出されるなど、重傷10人、軽傷9人の合わせて19人の負傷者が出たほか、当時の総世帯数約230世帯に対して全壊107棟、半壊46棟、一部損壊61棟と建造物の大半が大きな被害を受けた。[[離島]]において被災率が高い状況で多くの住民が島内で避難生活を続けることに困難が予想され、余震による被害拡大の恐れもあったことなどから、[[自治会]]や[[漁業協同組合|漁協]]などの主導で地震から約5時間後の16時に全島避難を決定し、自治会長など約10人を残して、住民約700人の大半が当日夜までに福岡市本土に避難した。海路の避難にあたっては[[福岡市営渡船|福岡市有客船]]や[[福岡市消防局]]の消防艇、海上保安庁([[第七管区海上保安本部|第七管区]])の巡視艇などが搬送を担い、陸上では消防の輸送車や民間からの借り上げバスなどが搬送を担った。主要避難先となった中央区の[[福岡市九電記念体育館|九電記念体育館]]では当日夜までに約430人が避難し、その後避難生活を送った<ref name="fdmawph18"/><ref name="FCA-12">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p12-13, p28-29</ref><ref name="FCGA-18">「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p18-21</ref>。 |
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玄界島では南側に住宅が集中して集落を形成しているが、平坦地が少ないため、石積みやコンクリートの擁壁で住宅裏の斜面を覆いその前に住宅が建つ形式が多かった。後の調査では、古い木造住宅の倒壊や屋根の被害が目立った上、擁壁の崩壊により重ねて被害を受けた住宅も多くみられた。一方で、比較的新しい住宅では斜面にあってもほとんど被害を受けない例が見られた。単純な石積み擁壁では高さ1m程度のものでも崩壊が見られたが、コンクリートで間を埋めた石積みのものは高さ1.5m程度までは亀裂程度に留まっており、さらにコンクリートブロックでは高さ5m程度までは亀裂程度に留まったという結果が報告されている<ref name="Matsuda">松田泰治ら、「福岡県西方沖地震における建築構造物の被害と地震時挙動」、土木学会、『地震工学研究発表会 報告集』、Vol.28、2005年、p.223- {{DOI|10.11532/proee2005.28.223}}</ref><ref>[[#jiban|地盤工学会「福岡県西方沖地震 調査結果」]] 第3報p12-23、第4報p28-45、2005年4月21日</ref><ref name="Hyodo et al"/>。また4月20日の余震では、半壊状態だった住宅が全壊する被害も生じている<ref>読売新聞 西部版、2005年4月21日付</ref>。 |
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[[福岡県知事]]は同日中に[[自衛隊]]へ[[災害派遣]]を要請し、4月25日までの約1か月間、延べ約4,100人(最大時約310人規模)が動員され、玄界島住民の避難支援や避難先での給水・給食活動、医療活動、半壊家屋へのビニールシート展開等の活動を行った。ビニールシート展開は、地震2日後の3月22日に予想された大雨に備えるもの(22日には大雨警報が発表された)で、3月21日から自衛隊と警察・消防が協力して作業を行った<ref name="bousai29"/><ref name="FCA-12"/><ref name="FCGA-18"/><ref name="bousaiwph18">「第1部第1章3-1 [http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h18/BOUSAI_2006/html/honmon/hm01010301.htm 平成17年に発生した主要な災害とその対策等]」、内閣府、『[http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h18/index.htm 平成18年版防災白書]』、2006年8月</ref>。 |
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集団での避難生活が続き、避難所で[[風邪]]や[[インフルエンザ]]が流行して一時50人以上が入院又は福祉施設に入所する事態も発生した<ref>読売新聞 西部版、2005年3月29日付</ref>。 |
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[[File:Genkaijima.jpg|thumb|right|250px|復興事業完了から6年経った玄界島の集落、漁港より撮影、2014年]] |
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[[File:Monument of Reconstruction in Genkaijima.jpg|thumb|right|250px|玄界島の復興祈念モニュメント]] |
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避難が長期化することとなったため[[仮設住宅]]を建てることとなったが、建設地の選定にあたって、コミュニティ維持のため集団での入居を希望する意見、生活基盤である漁港の近くに住みたいという意見がある一方で、島の平坦地に空き地が少なく島に全ての仮設住宅を建てることはできないという問題が生じた。全て福岡市本土に建てる案もあったが、島が無人の期間が長期化することへの懸念から、島と本土に分けて建設することに決定した。地震から1か月後の4月24日には[[博多漁港]]に隣接する福岡市本土・中央区の公園「かもめ広場」に100戸、翌4月25日には玄界島に100戸、合わせて200戸が完成し、195世帯517人(入居当初)が入居した<ref name="FCA-176">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p12-13, p28-29, p176-178</ref>。 |
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その後島の復興計画が決定し、戸建て住宅50戸、市営住宅65戸、県営住宅50戸の計165戸を道路や公園などと同時に整備することとなった。かもめ広場の仮設住宅からは、2007年3月末に78世帯、2008年3月25日に残りの世帯が帰島した。戸建て住宅への入居者は、2008年3月から5月にかけて仮設住宅から転居を行った。一方、復興事業完了後の2008年2月末の時点の人口は571人となり、地震前に比べて2割減少した<ref name="FCA-176"/><ref name="FCGA-2">「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p2-3、p76-85</ref>。 |
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復興事業の総事業費は71億円で、国庫補助を受ける小規模[[住宅地区改良事業]]から半分程度を拠出し、約1割は土地建物の販売益と市の一般財源が充てられた。そして残りの約4割を市債(玄界島復興事業債)で賄っている<ref name="FCA-176"/><ref name="FCGA-2"/>。 |
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玄界島の漁協では地震後、「元気バイ!!玄界」を合言葉とし、ロゴマーク化した合言葉をデザインしたユニフォームを作成したり、出荷時に玄界島の水産物に「元気バイ!!玄界」のステッカーを貼ったりするなどしてPR活動を行った<ref>福岡市漁業協同組合青壮年部「[https://www.zengyoren.or.jp/ninaite/kouryu/download.php?docid=696 福岡県西方沖地震を振り返って]」、全国漁業協同組合連合会、全国青年・女性漁業者交流大会資料、2007年</ref>。 |
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玄界島では、消防や警察が常駐していないにも拘らず、死者も火災も出さず、普段から密な付き合いのご近所同士で所在を確認し取り残された高齢者を助ける光景が見られた。これらは強い[[地域コミュニティ]]の効果だと考えられ、後の[[東日本大震災]]における東北沿岸の津波被災地でも参考にされるなどしている。その一方、玄界島では住宅・道路がきれいに復興整備されたことで、逆にご近所同士のつながりが希薄になった面もあると報じられており、以前はほとんどなかった高齢者の[[孤独死]]が発生したり、数人相乗りで出かけていた漁に単独で出ることが多くなったりと、復興の難しさも露呈している<ref>「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p23</ref><ref>西日本新聞、2014年3月21日付</ref>。 |
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=== 窓ガラス === |
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福岡市中心部のビル街では、一部のビルの窓ガラスが割れ地上に降り注いだ。特に、中央区[[天神]]の[[福岡ビル]]([[1961年]]・昭和36年完成)では、全体の3割にあたる約440枚の窓ガラスが割れて落下し、建物沿いの歩道を歩いていた2人が負傷した<ref name="nilim050325">国土技術政策総合研究所建築研究部、建築研究所構造研究グループ「[http://www.nilim.go.jp/lab/bbg/saigai/ 災害調査報告] 福岡県西方沖地震 建築物被害調査報告」、2005年3月25日</ref>。割れたガラスはほとんどが"はめごろし"で、網入りガラスは破損しても落下はしておらず、また地震動による建物の層間変形が集中したとみられる4階から6階の破損率が高かった<ref name="mext1294461">「[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/sonota/1294461.htm 地震防災研究を踏まえた退避行動等に関する作業部会報告書]」、文部科学省 科学技術・学術審議会 地震防災研究を踏まえた退避行動等に関する作業部会、p12-13、2010年5月</ref>。 |
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その後の調査により、窓枠と窓ガラスの間の[[コーキング|シーリング]]材に揺れを吸収しにくい硬化性の素材を用いる、古い工法が採られていたことが原因と判明した<ref name="Otsuka"/>。古い工法は1978年(昭和53年)の[[宮城県沖地震 (1978年)|宮城県沖地震]]で被害が多発したことから、同年改正・1979年4月施行の建設省告示で禁止され、それ以降の施工ではシリコンなどの軟質素材が使用されている<ref name="nilim050325"/><ref name="Otsuka"/>。 |
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これを受けて[[国土交通省]]は3月23日、全国の自治体に対し、1978年以前施行の3階建て以上で中心市街地の避難道路などに面する建築物を調査し改修などを指導するよう通知を出した<ref>「[http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha05/07/070323_3_.html 既存建築物における窓ガラスの地震対策について]」国土交通省、2005年3月23日</ref>。その後、2006年3月までに約3万6千棟で調査が行われ約1,300棟で不適格が判明、うち改修済みは2006年3月時点で511棟だったが、2013年9月には914棟まで改善している<ref>「[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/243856/www.mlit.go.jp/kisha/kisha06/07/070320_2_.html 既存建築物における窓ガラスの地震対策に関する指導状況について]」国土交通省、2006年3月20日</ref><ref>「[http://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000493.html 建築物防災週間において行った各種調査結果の公表について]」国土交通省、2014年7月28日</ref>。 |
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なお、都心部であるにも関わらず負傷者2人に留まった背景として、[[渡辺通り]]沿いに地下街とビルとの連絡通路が発達した天神では地下を移動する人が多く、2月に天神地下街が延伸開業していて通行人がそちらに流れる傾向が更に強まっていたタイミングが幸いしたことや、この付近は[[ビジネス街]]でありもともと休日は人通りが多くなかったことなども挙げられている<ref>「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p22</ref>。 |
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=== 警固断層沿いの被害集中地域 === |
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福岡市中心部では地域により被害に差が見られた。福岡市中心部の建物被害は[[大名 (福岡市)|大名]]、[[薬院]]、[[今泉 (福岡市)|今泉]]、[[警固 (福岡市)|警固]]、舞鶴の各地区を中心とする狭い地域に集中した。これらは後述のように、いずれも警固断層のすぐ東側の地域である。壁の亀裂や剥離、扉の変形などの被害が報告されており、外見上は一部外壁の剥離程度であっても内部の壁には[[せん断破壊]]に伴う亀裂が入った建物があった。中には、扉が変形して避難が難しくなったために隣人の助けを借りて窓から脱出したというケースもあった。一方で1kmほど離れた[[天神]]のビル街では比較的被害が軽微となった<ref name="Otsuka"/><ref name="Matsuda"/>。 |
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また一部では、建造物の倒壊の恐れがあるとして、周辺の住民に避難勧告が出された。中央区大名、舞鶴、博多区下呉服町、千代の4カ所で、対象は合計51世帯87人に及んだが、4月上旬までに解除されている<ref name="FCA-35">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p35</ref>。なお、4月20日の余震でも外壁の崩落が相次いで発生している。 |
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本震による[[表面最大加速度]]を見ると、天神5丁目にある[[強震観測網|K-NET]]福岡観測点では南北277gal、東西239galであったのに対し、大名2丁目の観測点では南北489gal、東西310galと、地震動が大きかったと考えられる<ref name="Otsuka"/>。 |
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この違いの原因として、[[警固断層]]沿いの地下構造の影響が指摘されている。福岡市を縦断する警固断層を境に、西側は地盤の柔らかい[[堆積]]層が20m程と薄い一方、東側は50m程と厚く警固断層の東縁では100m程度となっている。堆積層の厚い地域では、[[表層地盤増幅率]]が高く地震の揺れが増幅されるほか、基盤の深さに変化のある不整形構造の境界部では地震動が増幅されることが知られている。断層東側の堆積層の厚い地域は幅約500m程度あって、被害が大きかった地域と重なっており、地震後の地質調査でも影響を裏付ける結果が報告されている。また、福岡市の南部や春日市でも建物被害が多く報告されている地域があるが、同様に堆積層の厚い地域だった<ref name="Otsuka"/><ref name="vp70p1"/><ref name="Matsuda"/><ref name="Yamada et al">山田伸之ら、「福岡市中央区天神地区の表層地盤のS波速度構造」、日本地震学会『地震 第2輯』、62巻2+3号、2009年、p109-120 {{DOI|10.4294/zisin.62.109}}</ref>。 |
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=== 港湾・液状化 === |
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[[博多湾]]沿岸の埋め立て地を中心とした地域で[[液状化現象]]による砂や泥の噴出、側方流動による段差、地割れや舗装の亀裂、沈下などが相次いで発生した<ref name="Otsuka">大塚久哲「福岡県西方沖地震の被害概要と教訓」、土木学会、『地震工学研究発表会 報告集』、Vol.28、p217、2005年</ref><ref name="Hyodo et al">兵動正幸ら、「福岡県西方沖地震調査報告」、日本自然災害学会『自然災害科学』[http://www.jsnds.org/ssk/ssk_24_1.html 24巻1号]、p79-88、2005年</ref>。[[博多港]]でも、岸壁や護岸の亀裂や沈下が広い範囲で発生した。一部で岸壁が使用できなくなったが、他の岸壁に振り替えるなどして港湾機能を確保した。港湾施設は2005年夏から2007年2月にかけて復旧工事が行われ、完了している。福岡市内の8つの漁港も被害を受け、岸壁は延べ6km以上が破損した<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p111-115</ref>。また、博多湾沿岸のほか、糸島半島や新宮町でも液状化による噴砂が確認されている<ref>[[#jiban|地盤工学会「福岡県西方沖地震 調査結果」]] 第4報、p6-27、2005年4月21日</ref>。 |
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長崎県では、壱岐市の[[印通寺港]]で岸壁が破損したほか、八幡浦漁港の防波堤が破損するなどしている<ref name="mai-ng0414"/>。 |
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佐賀県でも、玄界灘沿岸の唐津市[[呼子町]]と[[鎮西町]]で岸壁に亀裂が入る被害があった<ref name="sagas050322"/>。唐津市[[神集島]]では、漁港沿いの道路で液状化によると見られる陥没が生じたほか、岸壁や鳥居に亀裂が入る被害があった<ref>「[http://www3.saga-s.co.jp/pub/hodo/2005earthquake/050419.htm 教訓震度6弱 福岡県西方沖地震 2005/03/22(火)]」「[http://www3.saga-s.co.jp/pub/hodo/2005earthquake/050324.htm 教訓震度6弱 福岡県西方沖地震 2005/03/24(木)]」佐賀新聞</ref>。 |
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=== 文化財・博物館 === |
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福岡市内や周辺市町村で、寺社などの[[文化財]]にも大きな被害が相次いだ。文部科学省のまとめでは、文化財等の被害件数は国宝1件、重要文化財19件、史跡および名称17件の合わせて37件となっている<ref name="bousai29"/><ref>「[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286184/www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/04/05042501.htm 福岡県西方沖の地震による被害状況]」文部科学省、2005年4月22日17時時点</ref>。大分県[[宇佐市]]の国宝[[宇佐神宮]]では、壁に数箇所亀裂が生じる被害があった。 |
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福岡市や近郊の[[博物館]]等でも、施設被害とともに、地震対策が不十分だった展示品や収蔵品の転倒・落下の被害が見られた<ref name="fkenbi">福岡県博物館協議会(編)「[http://fukuoka-kenbi.jp/about/museum_in_fukuoka#earthquake 地震、そのとき博物館は −福岡県西方沖地震における県内博物館の被災に関する報告書]」、文化環境研究所、Web掲載:福岡県立美術館HP、2006年</ref>。 |
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震源に近い[[マリンワールド海の中道]]では、来場者約800人のうち1名が避難時に怪我をしたが、職員や展示生物に直接の被害はなく、また液状化により外構の沈下が生じたものの建物本体に大きな損傷はなかった。しかし、配管の損傷や電気系統の故障などにより、イルカやアシカの水槽で水位が急激に低下、魚類を展示する14の水槽でも水質管理ができなくなり、それぞれ別の水槽へ避難させる事態となった。一方、休館が長期化すれば経営への影響や被災地イメージの定着による[[風評被害]]が生じる懸念などから、応急での復旧を行った上で2日後の3月22日に一部展示を除いて営業を再開し、本格的な復旧は営業と並行する形で行った<ref name="fkenbi"/>。 |
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=== 生活への影響 === |
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[[上水道]]は、福岡県内で玄界島、志賀島勝馬地区、博多区、中央区、宗像市などの延べ446戸、佐賀県内で川副町、千代田町などの延べ199戸、大分県内で[[日田市]]と中津市の延べ204戸、合わせて849戸で一時断水が発生した<ref name="bousai29"/><ref>「[http://www.mhlw.go.jp/houdou/2005/03/h0331-6.html 福岡県西方沖を震源とする地震による被害状況及び対応について(第10報)]」、厚生労働省、2005年3月31日17時時点</ref>。このうち中津市では、[[国道212号]]の歩道で埋設水道管が破裂し、約150トンが漏水した<ref name="yom0321"/>。 |
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福岡市では、沿岸部や中央区を中心として、継ぎ手の破損などによる配水管からの漏水が31件、給水管からの漏水が101件、消火栓などからの漏水が30件発生した。地震直後には推定で最大5万トンの漏水があったが、5月5日までに流量は平常に戻っている。[[下水道]]でも、処理施設や送水施設、水路などに被害があったが、年内にすべて復旧している<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p116, p118</ref>。 |
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[[九州電力]]管内では、本震直後、電柱が傾いて混線・断線したことにより福岡市と大野城市の合わせて約2,600戸で約2時間の[[停電]]が発生した。一方、4月20日の余震では、福岡市西区と南区の変電所で地震を感知した安全装置が作動し、福岡市、前原市、大野城市と那珂川町の約22,000戸で約5分間の停電が発生したほか、中央区で約100戸が40分間停電した<ref>「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p14</ref>。 |
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福岡市や北九州市を中心に[[都市ガス]]を供給する[[西部ガス]]の報告では、本震の際に166件、4月20日の余震の際に58件のガス漏れが発生し、2日以内に復旧している。また福岡県内の[[LPガス]]供給家庭では、本震の際に40件、4月20日の余震の際に13件のガス漏れが発生し、当日中に復旧している。いずれも、ガス漏れによる火災は発生しなかった。阪神・淡路大震災後、震度5程度の揺れを検知して自動で供給を停止する[[ガスメーター|マイコンメーター]]の設置が都市ガスで義務付けられ、LPガスでも推奨されており福岡県の普及率が99%に達していたことなどが、ガス漏れ火災の発生を防いだと考えられている<ref>「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p14</ref>。 |
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福岡市西区西浦や東区香住ヶ丘では、崖崩れの危険性があるとして合わせて17世帯36人に避難勧告が発令され、対策工事の着工を受けて4月上旬に解除されている。また、4月20日の余震では福岡市中央区で、崖崩れの危険性があるとして2世帯3人に避難勧告が発令され、5月に解除されている<ref name="FCA-35"/>。 |
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地震により公共施設などに自主避難した人は、福岡市で最大2,800人となったのを始め、福岡県と佐賀県で合わせて最大3,000人を数えた<ref name="bousai29"/>。4月20日の余震でも、福岡市を中心に新たに211人が一時的に自主避難した<ref name="fdma361"/>。 |
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地震により発生した罹災ごみは、福岡市において2008年3月までに約102,597tに上った<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p77-79</ref>。 |
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=== 通信・情報 === |
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本震後、[[西日本電信電話|NTT西日本]]の[[固定電話]]では、数時間に渡り通話規制が行われ、[[災害用伝言ダイヤル]]が設置された。福岡・佐賀・長崎の3県への発信は約4時間に亘り規制が行われたほか、災害用伝言ダイヤルの利用者件数は3月25日までに8万4,000件を数えた。[[携帯電話]]においては、通話規制は夜まで続き、[[輻輳]]の影響もあり通話は繋がりにくい状態だった中、[[電子メール|Eメール]]や[[World Wide Web|ウェブ]]は規制を受けず、各社の災害伝言板サービスも含め、効果を発揮した。[[NTTドコモ]]九州では、地震直後に通信量が通常の休日の20倍に達したため75%の通話規制を行い、徐々に緩和しつつ、午後11時ごろまで続けられた<ref name="FCA-21">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p21</ref>。NTTドコモ、[[Au_(携帯電話)|au]]・[[ツーカー]]([[KDDI]])の両社も携帯電話向け災害用伝言ダイヤルを設置し、それぞれ3万8,000件、8,600件の利用があった<ref name="bousai29"/>。 |
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メールやウェブについては、普及率は低かったが、携帯電話よりも[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の方が繋がりやすい傾向があった<ref name="surece"/>。 |
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一方、官公庁やライフライン関係事業者の携帯電話に災害時でも回線を確保する[[災害時優先電話]]において、通話規制を行う装置が故障するトラブルが発生し、12時40分ごろまでの約2時間に亘って一般の電話と同じく繋がりにくい状態となった。契約件数は九州全体で2,130件、福岡県で約1,100件に上る<ref name="FCA-21"/><ref>「[http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0503/24/news055.html ドコモ九州、「災害用電話」が災害でダウン]」、ITmedia、2005年3月24日付</ref>。 |
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佐賀県唐津市では、地下の電話線損傷により一時約300世帯で電話が不通となった<ref name="sagas050322"/>。 |
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地震後行われたアンケートでも、地震当日に困ったこととして最も多く挙げられたのが携帯電話の不通で、回答者の7割を占めた。次いで挙げられたのも家族との連絡不通、固定電話の連絡不通であった。一方、地震直後に情報を入手した経路としては、[[日本放送協会|NHK]]のテレビ放送が7割、[[民間放送|民放]]のテレビが5割、家族や近所との会話が2割、インターネット(パソコン)が1割強などという結果が出ている<ref name="surece">「[http://www.surece.co.jp/src/research/area/20050720.html 福岡県西方沖の地震についてのアンケート調査]」サーベイリサーチセンター、2005年5月</ref>。 |
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この地震では、災害時の通信や情報収集の手段としてEメールやウェブを利用する傾向が強くなり、同様の都市型震災でも[[ファクシミリ|FAX]]が多く利用された1995年の[[阪神・淡路大震災]]当時と比べて大きな変化が見られた<ref name="Takahashi"/>。 |
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=== 交通 === |
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福岡市内では、海沿いを中心として道路の陥没・隆起が153か所、志賀島や玄界島、西区北崎を中心として道路沿いの法面崩壊が19か所発生し、43か所で全面通行止め、10か所で片側通行となった。ほとんどの地域では迂回路が確保され1か月程度で復旧したが、志賀島の周回道路は全面復旧まで1年半掛かった<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p109-110</ref>。海に面した断崖であったことや、続く余震や雨でも崩落が続いて4月には本震直後の3倍に拡大し二次災害が懸念されたことなどが、復旧が遅れる原因となった<ref>陳光斉ら、「2005年福岡県西方沖地震による志賀島の斜面災害と復旧対策」、土木学会『地震工学論文集』29巻、p1485-1493、2007年 {{DOI|10.11532/proee2005a.29.1485}}</ref>。 |
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地震後九州の広範囲で鉄道の運行がストップした<ref name="bousai29"/>。[[西日本鉄道|西鉄]]の2路線や[[北九州モノレール]]では一時運転を見合わせた<ref name="yom0321"/>。[[福岡市営地下鉄]]では地震発生と同時に運行中の22本を停止させ、駅間で停止した2路線の9本は徐行で最寄りの駅へと移動し乗客を避難させた。しかし、開業から1月半の[[福岡市地下鉄七隈線|七隈線]]では、運行管理システムの電源ケーブルに他の機器が乗り上げショートし、列車の位置表示や運行制御ができない状態となるトラブルがあった。30分経過後も復旧のめどが立たず、駅間で停止した七隈線の5本の乗客は徒歩で最寄りの駅まで避難することとなった。その後福岡市営地下鉄では、電源系統を増やす対策を行っている。全線再開は17時過ぎで、約8万6千人に影響が出た<ref name="FPR-19">「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p19-21</ref><ref name="yom0321"/>。 |
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[[JR九州]]は[[九州新幹線]]を除き全線で運転を見合わせ<ref name="bousai29"/>、管内の列車30本が立ち往生した。博多駅へ向かう特急かもめ・みどりの1本ではほぼ満員の状態で1時間余りに亘って乗客が閉じ込められたほか、[[山陽新幹線]]のぞみの1本がトンネル内で停止し乗客400人が4時間半に亘って閉じ込められ、携帯電話が通じないトンネル内で車内の電話機に長い列ができる事態も発生した。新幹線は53本が運休となり、約4万8千人に影響が出た。全線再開したのは18時過ぎとなった。JR九州は地震後、地震時の対応マニュアルの見直しを行った<ref name="FPR-19"/><ref name="yom0321"/>。 |
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4月20日の余震でも、福岡県・佐賀県周辺の鉄道各線で一時運行見合わせが発生し、数時間缶詰になる乗客も出た<ref name="bousai29"/>。 |
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[[高速道路]]では、本震と4月20日の余震で、それぞれ福岡県・佐賀県周辺の3区間で一時通行止めが発生した。また、[[福岡高速道路|福岡都市高速]]、[[福岡前原道路]]、[[北九州高速道路|北九州都市高速]]等の有料道路でも一時通行止めが発生し、特に福岡都市高速では一部で橋梁の[[支承]]に破損があったものの、翌日明朝までに復旧した<ref name="bousai29"/>。高速道路の通行止めの影響で、天神と九州各地の間で運行する[[西鉄高速バス]]も運休が発生し、再開は15時頃となった<ref name="yom0321"/>。 |
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[[福岡空港]]では、安全確認のため地震後約30分に亘って離発着を停止し、計10便の約1,500人に影響が出た<ref name="yom0321"/>。 |
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== 犯罪 == |
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本震以降、避難により留守になった住宅を狙った[[空き巣]]や、係員を装い電気や水道の点検などと偽って部屋に上がり込む手口の[[窃盗]]事件が発生し、3月23日には福岡県警が注意を呼び掛けた<ref name="yom0324">読売新聞 西部版、2005年3月24日付</ref>。地震に乗じた[[詐欺]]の被害も発生している<ref>「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p164-165</ref>。 |
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== ボランティア・義援金・復興支援活動 == |
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福岡市において地震翌日に[[災害ボランティアセンター]]が設置され、ボランティアの取りまとめが行われた<ref name="bousai29"/>。2005年5月末までに、被害が大きかった地域や避難所を中心に、一般のボランティア延べ3,254人が、住宅内の片付けやがれきの撤去、炊き出しや話し相手、ペットの世話などを通じた避難生活支援を行った。また、被災住宅の診断や相談、避難所での整体やマッサージ、散髪や洗髪、心のケア、ペットの相談などを通じ、専門団体や企業などのボランティア延べ1,000人近くも活動を行った<ref name="FCA-35">「[[#FCA|平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]]」福岡市、p64</ref>。 |
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福岡県、[[日本赤十字社]]福岡県支部、福岡県共同募金会などが取りまとめ元となり、「福岡県西方沖地震災害義援金」として、5月末までの2か月余りに亘って募金を募った<ref name="bousai29"/>。2007年3月時点で福岡市には7億1千万円余りが配分された<ref name="FCGA-138">「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p138-139</ref>。 |
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[[明仁|今上天皇]]・[[皇后美智子|皇后]]両名は、福岡県に見舞金を贈った<ref name="yom0323">読売新聞 西部版、2005年3月23日付</ref>。[[皇太子徳仁親王]]は、10月30日に仮設住宅のある福岡市中央区のかもめ広場を[[行啓|訪問]]した。天皇・皇后両名も、地震から2年半後の2007年10月29日から10月30日にかけて、かもめ広場と玄界島を[[行幸|訪問]]した<ref>「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p144-145</ref>。 |
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[[福岡市]]を拠点とするプロ野球チームの[[福岡ソフトバンクホークス]]は、地震後初となる3月26日の公式戦でファンが復興を祈るメッセージを掲げ<ref>読売新聞 西部版、2005年3月27日付</ref>、[[ソフトバンクグループ]]と選手・監督・コーチなどから計2,000万円の義援金寄付を行うことを発表した<ref>「[http://www.softbank.jp/corp/news/sbnews/sbnow/2005/20050301_01/ いよいよ開幕!福岡Yahoo!JAPANドーム開幕戦セレモニー2005]」ソフトバンク、2005年4月1日</ref>ほか、チャリティーオークションを行ったり、[[福岡ドーム|ヤフードーム]](当時)に募金箱を設置して来場者から義援金を集めたりしている<ref>「[http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0504/08/news038.html ソフトバンクホークス、福岡県西方沖地震へのチャリティオークション]」ITMedia、2005年4月8日付</ref>。また、「鷹」つながりの縁から被災した玄界島の小鷹神社の再建を支援するチャリティ試合を開催し、チケット代の一部を寄付した<ref name="FCGA-141">「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p141-143</ref>。 |
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2005年5月の[[博多どんたく]]期間を中心に、玄界島などへの復興支援に対する感謝を伝え、一方で福岡市全体としては地震の影響が顕著ではないことをPRするため、行政と民間の協力で"元気バイ!!玄界"および"元気バイ!!ふくおか"キャンペーンが行われた。玄界島の物産展や玄界島住民のどんたくへのパレード参加などが行われている<ref>「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p34-35</ref>。 |
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玄界島の玄界小学校では、2005年度・2006年度にNPO団体のボランティアによる劇や合唱の曲提供や指導支援が行われた。その一環として、福岡県出身のシンガーソングライター[[野田かつひこ]]は2007年に復興応援歌「僕のふるさと玄界島」を制作し、CDを島に寄贈した<ref name="FCGA-141"/>。 |
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玄界島自治会と東区和白東の和太鼓団体などが協力して、玄界島の住民へ[[和太鼓]]の指導が行われ、2006年10月に島の和太鼓団体「玄界太鼓」が発足し復興の助力となった<ref name="FCGA-141"/>。 |
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== 行政の主な対応 == |
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日本政府は、地震発生から7分後[[首相官邸]]に対策室を設置、15時過ぎに政府調査団を福岡県に派遣、20時に第1回目の関係省庁連絡会議を開催。[[3月24日]]に[[村田吉隆]][[内閣府特命担当大臣(防災担当)|防災担当大臣]]が、[[3月26日]]に[[小泉純一郎]][[内閣総理大臣]]が、それぞれ被災地を訪問した<ref name="bousai29"/>。 |
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一方、野党各党も情報収集を行い、3月21日に民主党の[[鳩山由紀夫]]らは福岡市内への応援演説の予定を変更して玄界島など被災地を訪問した。こうした動きの速さは1か月後の[[衆議院]][[福岡県第2区|福岡2区]][[2005年日本の補欠選挙#4月に実施された補欠選挙|補欠選挙]]を意識したものだとの報道もあった<ref name="yom0322"/>。なお、補欠選挙は当初の予定通り4月24日に執行された。 |
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[[緊急消防援助隊]]として、いずれも当日、熊本県の消防ヘリが情報収集活動を行ったほか、大阪市の消防ヘリが人員輸送を行った。また、警察の[[広域緊急援助隊]]として、熊本県、山口県、広島県から福岡県へ、長崎県から佐賀県へ、合わせて延べ183人・車両45台が派遣され、情報収集や人員輸送などを行った<ref name="bousai29"/>。 |
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被害の集中した福岡市では被災者に対して、住宅・宅地関連、見舞金・資金貸付、就学関連、中小企業関連、農林漁業者関連、税などの費用負担減免関連、ほか各項目の支援策を発表し実施している。特に、玄界島のような大規模復興事業を行わなかったものの被害が大きかった志賀島の3地区では、一部損壊以上の世帯に対して補修に最大150万円、建替に最大300万円を市が助成したほか、玄界島で自主再建を行う世帯にも同様の支援を行った。また、マンション共有部分の修復について借入金への利子補給制度を創設した<ref>「[[#FCGA|玄界島震災復興記録誌]]」福岡市、p136-137, p170-181</ref>。また、福岡市、福岡県ともに、半壊以上の世帯、全治1か月以上の負傷者に対して、それぞれ数万円の災害見舞金を支給している<ref name="FCGA-138"/>。 |
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地震直後の行政職員の参集に関して、福岡県では自動呼出しにより比較的スムーズとなったのに対し、福岡市や福岡県内の各市町では通話規制により困難となったところがあった。また、防災計画に地震対策がなく対応が不十分だった自治体もあった<ref name="Takahashi"/>。その後、福岡市は2008年8月から携帯電話のメールを利用した自動参集システムを導入している<ref name="fj2011"/>。 |
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==== 法的措置 ==== |
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* [[災害救助法]]適用 : 福岡市(3月20日発表)<ref name="bousai29"/>。 |
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* [[被災者生活再建支援法]]適用 : 福岡県全県(4月18日発表。3月31日に福岡市のみへの適用を発表していたが、拡大)<ref name="bousai29"/> |
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* [[激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律|激甚災害法]](局地激甚災害):適用なし<ref>「{{PDFLink|[http://www.bousai.go.jp/taisaku/gekijinhukko/pdf/060306gekijin.pdf 「平成十七年における特定地域に係る激甚災害及びこれに対し適用すべき措置の指定に関する政令」について ]}}」 内閣府 防災担当、2006年3月6日付</ref> |
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== 教訓とその後の防災 == |
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この地震により被害を受けた地域では、防災意識の高まりがみられた。地震後福岡市民を対象に行われたアンケートによると、このような大地震が起こると「思っていた」のは2.9%に過ぎず、「全く思っていなかった」が約6割、「あまり思っていなかった」が約3割と総じて否定的であったが、将来再び発生する可能性については起こると「思っている」が2割、「ある程度思っている」が6割弱を占め、「全く思っていない」は1.4%となった<ref name="surece"/>。 |
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別のアンケートによると、福岡県では、家具の転倒防止率が地震前約6%だったが、地震後約29%に上昇し東京とほぼ同じ水準となった。また、高いところに物を置かない対策をとる人は、地震前の約14%から地震後約48%と大きく上昇した<ref name="tfd">「[http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-bousaika/kaguten/okt.html オフィス家具・家電製品の転倒・落下防止対策に関する調査研究委員会における検討結果について]」、東京消防庁、本文p9-16、2006年8月</ref>。 |
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福岡市は地震後、[[地域防災計画]]に盛り込んでいた警固断層の地震に対する施策を拡充し<ref>「[http://www.city.fukuoka.lg.jp/shimin/bousai/bousai/bousai-keikaku_2_4_2_2_2.html 平成26年度版 福岡市地域防災計画]」福岡市、2014年6月、参照部:震災対策編p1-22</ref>、福岡県は警固断層を含め県内の他の断層についても2006年度と2011年度の2回に亘って地震想定の見直しを行った<ref>「[http://www.pref.fukuoka.lg.jp/gyosei-shiryo/jisinasesu.html 福岡県地震に関する防災アセスメント調査報告書]」福岡県、2012年3月、参照部:p1-9</ref>。また福岡市は2005年12月、この地震が発生した3月20日を毎年「市民防災の日」とすることを定め<ref>「[http://asp.db-search.com/fukuoka-c/dsweb.cgi/nextmeeting!1!guest02!!12194!1!1!1,-1,1!6279!294612!1,-1,1!6279!294612!4,3,2!13!15!30544!1!10?Template=DocOneFrame 2005.12.16:平成17年議会運営委員会 1]」福岡市議会</ref>、防災運動の啓発を行っている。 |
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なお、地震調査委員会は警固断層帯の評価文において、福岡県北西沖にはこの地震を引き起こした断層と同様、調査が困難な横ずれ成分の未知の海底活断層が存在する可能性があり、同様に未知の断層で地震が発生する可能性もあることに留意すべきと記している<ref name="07kego"/>。 |
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=== 警固断層帯 === |
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政府の地震調査委員会は[[2007年]]3月19日に、警固断層帯の長期評価を発表した。福岡県西方沖地震の震源域である福岡市沖玄界灘から志賀島付近に至る断層は「福岡県北西沖の断層」、筑紫野市付近から春日市、福岡市中心部を経て博多湾を縦断し志賀島の南東沖に至る断層は「警固断層」とされた。2つの区間はそれぞれ別に活動すると考えられるが、遠い将来において同時に活動する可能性も否定できないとし、両者をまとめて「警固断層帯」とした。警固断層については、次の地震の規模はM7.2程度と考えられ、30年以内の地震発生確率は「最大で6%」と、日本の主な活断層の中では高いグループに属すると評価された<ref name="07kego">[http://www.jishin.go.jp/main/chousa/07mar_kego/index.htm 警固(けご)断層帯の長期評価について]</ref>。 |
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なお、福岡県西方沖地震の発震機構は東西方向に圧力軸を持つ北西-南東の横ずれ断層であり、警固断層はその南東側延長に位置する関係上、地震によるずれは警固断層に掛かる応力を増大させる可能性が指摘されている。このため、警固断層の地震発生確率は上記の値よりも大きい可能性も指摘されている<ref name="07kego"/>。 |
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=== 都市型震災 === |
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日本の[[100万都市]]あるいは[[政令指定都市]]におけるマグニチュード7クラスの地震としては、[[神戸市]]を直撃した[[1995年]]の[[兵庫県南部地震]]([[阪神・淡路大震災]])以来となった<ref name="Yamada et al"/>。 |
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しかし、阪神・淡路大震災とは異なり、震源域が福岡市中心部から離れた沖合だったこと、火災がほとんど発生しなかったこと、阪神・淡路大震災を契機に建物や生活基盤の耐震化が行われていたことなどから、被害の程度は小さかった。また、神戸市では木造住宅や低層の建物が揺れやすい周期1 - 2秒程度の[[地震動]](キラーパルス)が大きく全壊10万棟を超える甚大な被害となったのに対し、福岡県西方沖地震では地震動が全体的に神戸より小さく<ref group="注">神戸市では834galや743galを観測したのに対し、福岡市では中央区で277galを観測したに留まっている。</ref>最も大きな成分が1秒未満の短周期であったことから、福岡市中心部の建物被害は一部損壊を中心とするに留まったと考えられている<ref>「[[#FPR|福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]]」福岡県、p13, p54-61</ref><ref name="vp70p1"/>。 |
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この地震では、通話規制が行われた電話に比べて、メールやウェブは比較的スムーズに利用できた。その経験から、地震の際の連絡や情報収集の手段としてメールやウェブを利用する動きが広がった。地震から1か月半後の2005年5月から福岡市の「防災メール」システムが地震・津波にも対応したほか<ref name="fj2011"/>、3か月後の2005年6月には福岡県の「防災メール・まもるくん」システムが開始している<ref>「[http://www.pref.fukuoka.lg.jp/press-release/103561.html 防災メール・まもるくんを充実強化!!] 」福岡県 記者発表資料、2014年3月27日付</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist|group=注}} |
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<references/> |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Anchors|FCA}}「[http://www.city.fukuoka.lg.jp/shimin/bousai/bousai/fukuokakennseihouokizishinnkirokushi.html 平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌]」福岡市、2011年3月1日更新 |
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* {{Anchors|FCGA}}「[http://www.city.fukuoka.lg.jp/jutaku-toshi/chiikikeikaku/bousai/genkai.html 玄界島震災復興記録誌]」福岡市、2011年3月22日更新 |
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* {{Anchors|FPR}}「{{PDFLink|[http://www.bousai.pref.fukuoka.jp/kikaku/report.pdf 福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書]}}」[http://www.bousai.pref.fukuoka.jp/dpinfo/ 福岡県]、2005年7月 |
|||
* {{Anchors|jiban}}「[https://www.jiban.or.jp/index.php?option=com_content&view=article&id=320:2005320-&catid=52:2008-09-15-02-30-46&Itemid=29 福岡県西方沖地震 調査結果]」地盤工学会、2005年 |
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* {{Anchors|jsce2}}「[http://www.jsce.or.jp/report/34/body7.html 福岡県西方沖地震・土木学会被害調査団速報 第2報]」土木学会、2005年4月19日 |
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* {{Anchors|cais74}}「[http://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/index74.html 地震予知連絡会 会報 74巻]」地震予知連絡会、2005年9月 |
|||
* {{Anchors|EPS5801}} "[http://www.terrapub.co.jp/journals/EPS/toc/5801.html Special Section for the 2005 West Off Fukuoka Prefecture Earthquake (1)]". ''Earth, Planets and Space'', Vol.58, No.1, 2006. |
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* {{Anchors|EPS5812}} "[http://www.terrapub.co.jp/journals/EPS/toc/5812.html Special Section for the 2005 West Off Fukuoka Prefecture Earthquake (2)]". ''Earth, Planets and Space'', Vol.58, No.12, 2006. |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{commonscat|2005 Fukuoka earthquake}} |
{{commonscat|2005 Fukuoka earthquake}} |
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* [[警固断層]] |
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* 近年の地震災害関連 |
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* [[新潟県中越地震]] |
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* [[能登半島地震]] |
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** [[芸予地震]] |
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* 全国的に地震被害の少ない地域で近年発生した地震 |
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** [[鳥取県西部地震]](2000年) |
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** [[能登半島地震]](2007年) |
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* [[地震の年表]] |
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* [[ライフサポーター あなたを守る防災ラジオ]] - この地震以後、福岡県内のラジオ局によって放送された番組 |
* [[ライフサポーター あなたを守る防災ラジオ]] - この地震以後、福岡県内のラジオ局によって放送された番組 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* {{PDFLink|[http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200503/monthly200503.pdf 平成17年3月地震・火山月報(防災編)]}} - 気象庁 [http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/ 地震解説資料等] |
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* [http://www.nishinippon.co.jp/news/2005/0320jishin/syashin.html 西日本新聞 特報] |
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* {{PDFLink|[http://www.bousai.go.jp/updates/pdf/jishin_fukuoka_29.pdf 福岡県西方沖を震源とする地震について(第29報)(平成21年6月12日現在)]}} - 内閣府 [http://www.bousai.go.jp/ 防災情報] |
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* [http://www.fdma.go.jp/detail/575.html 3月20日に発生した福岡県西方沖を震源とする地震(第34報)] - 消防庁 [http://www.fdma.go.jp/bn/2005/index.html 災害情報] |
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=== 観測・防災機関 === |
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* [http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/monthly/200503/monthly200503.pdf 平成17年3月地震・火山月報(防災編)] - 気象庁 |
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** [http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/gaikyo/ 地震解説資料等] - 気象庁 |
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* [http://www.fdma.go.jp/bn/2005/index.html 災害情報] - 消防庁 |
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** [http://www.fdma.go.jp/detail/575.html 3月20日に発生した福岡県西方沖を震源とする地震(第34報)] |
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* [http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/FUKUOKAJISHIN/index.html 福岡県西方沖を震源とする地震関連のページ] - 国土地理院 |
* [http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/FUKUOKAJISHIN/index.html 福岡県西方沖を震源とする地震関連のページ] - 国土地理院 |
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* [http://www.jishin.go.jp/main/chousa/major_act/act_2005.htm#a20050320 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の評価] - 地震調査研究推進本部 地震調査委員会 |
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* [http://www.hinet.bosai.go.jp/topics/FKO20050320/?LANG=ja 2005年3月20日 福岡県北西沖の地震] - 防災科学技術研究所 高感度地震観測網(Hi-net) |
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=== 政府・行政機関 === |
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* [http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/topics/fukuoka200503/ 東京大学地震研究所 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の特集ページ] |
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* [http://www.bousai.go.jp/ 防災情報] - 内閣府 |
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** [http://www.bousai.go.jp/kinkyu/050320jishin_fukuoka/jishin_fukuoka_28.pdf 福岡県西方沖を震源とする地震について(第28報)] (PDF) |
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* [http://www.mlit.go.jp/bosai/disaster/index.htm 防災情報] - 国土交通省 |
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** 本震 [http://www.mlit.go.jp/bosai/disaster/saigaijyouhou/h16/fukuokajishin_14.pdf 福岡県西方沖を震源とする地震について(第14報:最終報)] (PDF) |
|||
** 4月20日余震 [http://www.mlit.go.jp/bosai/disaster/saigaijyouhou/h17/fukuokajishin2_07.pdf 福岡県西方沖を震源とする地震について(第7報:最終報)] (PDF) |
|||
* [http://www.bousai.pref.fukuoka.jp/ 福岡県西方沖地震に関する情報] - 福岡県消防防災安全課 |
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* [http://www.city.fukuoka.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM02022&Gc=1876&Ft=AC01022&Bt=AC01022 3月20(日)に発生した地震に関する情報] - 福岡市 |
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* [http://www.pref.saga.lg.jp/portal/public/WH/FWHM0005Action.do?contentSetId=CID060&categoryId=469#469 福岡県西方沖地震に関する情報] - 佐賀県 |
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* [http://www.pref.nagasaki.jp/kiki/ 危機管理・消防防災課] - 長崎県 |
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** [http://www.pref.nagasaki.jp/kiki/sehouokihigai.pdf 福岡県西方沖地震における県内の被害状況] (PDF) |
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=== 大学・研究機関 === |
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* [http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/2005-GENKAI/ 九州大学 大学院理学研究院 附属地震火山観測研究センター 2005年福岡県西方沖で発生した地震(Mjma7.0)] |
* [http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/2005-GENKAI/ 九州大学 大学院理学研究院 附属地震火山観測研究センター 2005年福岡県西方沖で発生した地震(Mjma7.0)] |
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* [http:// |
* [http://open.fdma.go.jp/e-college/bosai/photograph/07fukuoka/index.html チャレンジ! 防災48 写真 地震災害の様子 7 福岡県西方沖地震] - 総務省消防庁 |
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* [http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/topics/fukuoka200503/ 東京大学地震研究所 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の特集ページ] |
|||
* [http://aob-new.aob.geophys.tohoku.ac.jp/res-edu/AOBnews/050320/index.html 東北大学 地震・噴火予知研究観測センター 2005年3月20日 福岡県西方沖地震 (M7.0)] |
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* [http://www.jishin.go.jp/main/index.html 文部科学省 地震調査研究推進本部 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の評価] |
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* [http://www.gsj.jp/jishin/fukuoka_0320/ 産業技術総合センター 地質調査総合センター 福岡県西方沖地震情報] |
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* [http://eqgate.kuciv.kyoto-u.ac.jp/Japanese/fukuoka2005/Fukuoka2005.html 京都大学大学院都市社会工学専攻 ライフライン工学講座/構造ダイナミクス研究室(家村研) 2005年3月20日に福岡県西方沖で発生した地震被害調査速報] |
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* [http://earthquake.usgs.gov/eqinthenews/2005/usvwac/ USGS Earthquake Hazards Program-Latest Earthquakes] |
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* [http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_21/P081-086.pdf 九州北部近海の歴史地震と仮定津波の伝播図] |
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{{日本近代地震}} |
{{日本近代地震}} |
2015年2月22日 (日) 16:42時点における版
福岡県西方沖地震 | |
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地震の震央の位置を示した地図 | |
本震 | |
発生日 | 2005年3月20日 |
発生時刻 | 10時53分40.3秒(JST) |
震央 |
日本 福岡県北西沖[注 1] 北緯33度44.3分 東経130度10.5分(北緯33度44.3分秒 東経130度10.5分秒) |
震源の深さ | 9 km |
規模 | マグニチュード(M)7.0 |
最大震度 | 震度6弱:福岡県 福岡市東区、中央区、西区、前原市、佐賀県 三養基郡みやき町 |
津波 | なし |
地震の種類 |
直下型地震 横ずれ断層型 |
余震 | |
回数 | 2005年6月末までに震度1以上が375回、M3以上が265回[1] |
最大余震 | 2005年4月20日6時11分26秒、M5.8、最大震度5強 |
被害 | |
死傷者数 |
死者1人[2] 負傷者1,262人[2][3] |
被害総額 | 約528億円注1 |
被害地域 | 福岡県福岡地方を中心とする九州北部および山口県など |
注1: 福岡・佐賀・長崎各県および福岡市による。
出典:特に注記がない場合は気象庁による。 | |
プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
福岡県西方沖地震(ふくおかけんせいほうおきじしん)は、2005年(平成17年)3月20日午前10時53分40.3秒、福岡県北西沖[注 1]の玄界灘で発生したマグニチュード7.0、最大震度6弱の地震。震源に近い福岡市西区の玄界島で住宅の半数が全壊する被害となったのをはじめ、同区内の能古島、西浦、宮浦、東区志賀島などの沿岸地区で大きな被害となった。福岡市および糸島市と周辺市町村を中心に被害が発生したが、震源が福岡市街から離れた沖合であったことなどから、市街部で建物の全壊被害はほとんど出なかった。死者1名、負傷者約1,200名、住家全壊約140棟。福岡市付近では有史以来最も大きな地震となった。
名称
気象庁は、この地震の命名を行っておらず[4]、報道発表では「福岡県西方沖の地震」と呼称した[5]。福岡県及び福岡市のほか、主要マスメディアでは朝日新聞、NHKが「福岡県西方沖地震」を使用している一方、西日本新聞[6][7]と読売新聞は「福岡沖地震」、毎日新聞は「福岡沖玄界地震」をそれぞれ使用している[8]。
地震のメカニズム
地震が発生したのは2005年(平成17年)3月20日の日曜日、祝日・春分の日、発生時刻は10時53分40.3秒(日本時間)[10]であった。震源は福岡県北西沖(発生当時は「福岡県西方沖」[注 1])の北緯33度44.3分 東経130度10.5分 / 北緯33.7383度 東経130.1750度[10]、震源の深さは9km[10]だった。博多湾口に近い玄界灘の離島である玄界島(福岡市西区玄界島)から北西に約8km、糸島半島北端の西浦崎(福岡市西区西浦)から北北西に約9kmの地点にあたる。
気象庁によると地震の規模は、地震波の振幅に比例する気象庁マグニチュード(Mj)で7.0、断層破壊の規模に比例するモーメントマグニチュード(Mw)で6.7だった[12]。
地殻を構成する大陸プレート(ユーラシアプレートあるいはアムールプレート)内で発生した地震、いわゆる内陸地殻内地震である[13]。発震機構は東西方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型で、断層面は地面に対して垂直であり、余震分布から北西-南東方向に延びる左横ずれ断層と考えられている[14][9]。
この地震を起こした震源断層は政府の地震調査委員会により「福岡県北西沖の断層」と呼ばれているが、地震発生時は活断層の存在が知られておらず、地震後決められた呼称である[15]。
地震による震源断層のすべり量は資料により開きがあるが、気象研究所によると最大約1.7m[16]、西村らによると最大約1.9m[17][18]、浅野らによると最大約3m[18][19]などと推定されている。
福岡管区気象台の解析では、震源から約30km離れた福岡市早良区の地震計において、地震発生約7秒後の10時53分47秒に初期微動が始まり、4秒後に主要動が到達、20秒程度続いた。これらから、地震を引き起こした断層破壊の継続時間は十数秒間と推定され、この規模の地震としては比較的短かった[20]。
余震域は志賀島付近を南東端としてそこから北西方向に約30kmに亘って分布した[9]。ただし、北西端付近と南東端付近の2箇所は断層の走行がやや屈曲している。また、主たる余震域の東側の少し離れたところ、海の中道付近には本震から時間を置いて1日後の3月21日から活動が活発化した小さな余震域がある。この小さな余震域は石堂-海の中道断層の位置と一致している[18]。
周辺における過去の地震と地質
福岡県北西沖の海域の地震活動はこれまで低調であり、前例となる地震活動の記録がほとんどなかった。地震以前に刊行された地質学の文献においても、別府島原地溝帯より北側の北部九州は比較的地質が安定しており「たまに小さな地震が起こるくらい」とする記述もみられた[21][22]。麻生渡福岡県知事(当時)も地震当日に「福岡は大地震がないと言われてきただけに、大きな衝撃だ」と語っている[23]。地震当日に会見を行った気象庁の山本雅博地震津波監視課長(当時)は「非常に珍しいところで起きた」とした一方、「百年単位では大規模地震の発生はなかったが、千年単位では繰り返していたのかもしれない」ともコメントしている[24]。
福岡市や糸島半島付近の陸地を見ても、過去最大の地震は1898年8月の糸島地震(M6.0, M5.8)[注 2]、次いで1929年8月の博多湾付近の地震(M5.1)、1930年2月の雷山付近の地震(M5.0)が知られているのみで、古文書によるものを含めてもM7級の地震は前例がなく、福岡市および糸島半島付近では、有史以来最大の地震となった。またこの地震で、震度の記録が整備された1926年以降、福岡県内と佐賀県内で初めて震度5以上の揺れを観測した[14][24][25]。
また、やや範囲を広げて福岡県、佐賀県および長崎県壱岐地方を見ると、1700年の壱岐・対馬付近の地震(M7)や679年筑紫地震[注 3](M6.5~7.5)などが知られており、この地震は約300年ぶりの規模となった[14]。それでも、北部九州の日本海側(玄界灘沿い)は日本の中でも相対的に地震活動が低く、時としてM7程度の地震が発生するものとされ、同じ北部九州でも豊後水道ではM7.5程度の地震の例があるのとは対照的となっている[13]。また九州地方で震度6弱以上を観測する地震としては、1997年5月の鹿児島県北西部地震[注 4]以来となった[26]。
この地震の震源域に、既に知られている活断層はなかった。地震後の海底探査などでも、震源域付近の海底に活断層の証拠となる段差は発見されていない。横ずれ断層では段差が生じにくく、さらに海底であることが発見を難しくしていると考えられている。しかし、震源域(余震域)から10kmほど北東には、余震分布と同じ北西-南東方向に延びる長さ数kmの海底活断層が2か所存在することが知られていた。また、福岡県北部には同じく北西-南東方向に延びる活断層が複数あり、福岡市中心部を縦断する警固断層もその1つである。特に、この地震の余震域はほぼ警固断層の延長線上にあり、地震後にその関連性が調査されることとなった。2007年の地震調査委員会の評価では、この地震の震源域は警固断層そのものではないと断定したが、「警固断層帯」として一括りにし、確率は低いが2つの断層が連動して地震を起こす可能性に含みを持たせている[15]。
余震
2005年6月末までに震度1以上の余震は375回発生している。最大震度別の内訳は、震度5強が1回、震度4は7回、震度3が23回、震度2が118回、震度1が226回。ただし、3月21日18時までは震度計がなかった玄界島の震度を反映していない。またマグニチュード (M) で見ると、M3以上の余震は265回発生しており、内訳はM3クラスが236回、M4クラスが24回、M5クラスが5回となっている[1][27]。
本震発生後気象庁は、最大で震度5弱程度、所によっては震度5強の余震が発生する可能性があるとして注意を呼び掛けた[23]。24日には震度4程度の可能性に変更された[28]。
本震から丸1か月後の4月20日6時11分には、M5.8、最大震度5強の最大余震が発生した。発震機構は東西方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型で、本震と同じ型である[29]。本震と同じ程度の強い揺れとなった地域もあり、この余震でも人的・物的被害が生じている。
本震からの時間経過とともに余震が減衰傾向にある中、余震域の南東側で特徴的な活動が発生した。余震域南東側の志賀島付近では、本震後にまとまった余震活動が発生し、一時的に4月上旬から中旬にかけて地震が比較的少ない状態となった後、4月20日にM5.8・震度5強の最大余震が発生する経過をたどった。一方、一連の余震域から10kmほど東側に離れた海の中道付近でも、本震翌日の3月21日からまとまった余震活動が発生したが、4月中旬から活動が低下している[27][29]。
日付 | 回数 | 最大震度 | 日付 | 回数 | 最大震度 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
計 | 玄界島のみ[注 5] 震度1以上を 観測した回数 |
計 | 玄界島のみ 震度1以上を 観測した回数 | |||||
3月20日 | 112 | ― | 3 | 4月10日 | 3 | 2 | 4 | |
3月21日 | 34 | (18時から)7 | 3 | 4月11日 | 1 | 1 | 1 | |
3月22日 | 26 | 14 | 4 | 4月12日 | 2 | 2 | 1 | |
3月23日 | 11 | 9 | 3 | 4月13日 | 2 | ― | 2 | |
3月24日 | 16 | 8 | 3 | 4月14日 | 2 | ― | 3 | |
3月25日 | 15 | 6 | 3 | 4月15日 | 1 | ― | 1 | |
3月26日 | 11 | 6 | 2 | 4月16日 | 2 | ― | 2 | |
3月27日 | 10 | 6 | 3 | 4月17日 | 0 | ― | ― | |
3月28日 | 8 | 3 | 2 | 4月18日 | 1 | ― | 2 | |
3月29日 | 2 | ― | 2 | 4月19日 | 0 | ― | ― | |
3月30日 | 0 | ― | ― | 4月20日 | 14 | 1 | 5強 | |
3月31日 | 4 | 4 | 2 | 4月21日 | 4 | 1 | 2 | |
4月1日 | 3 | ― | 4 | 4月22日 | 2 | ― | 1 | |
4月2日 | 3 | 2 | 1 | 4月23日 | 3 | 1 | 1 | |
4月3日 | 8 | 6 | 3 | 4月24日 | 2 | ― | 2 | |
4月4日 | 8 | 5 | 2 | 4月25日 | 1 | ― | 1 | |
4月5日 | 6 | 4 | 2 | 4月26日 | 1 | 1 | 1 | |
4月6日 | 4 | 1 | 3 | 4月27日 | 1 | 1 | 1 | |
4月7日 | 5 | 3 | 4 | 4月28日 | 2 | 1 | 2 | |
4月8日 | 3 | ― | 3 | 4月29日 | 0 | ― | ― | |
4月9日 | 1 | 1 | 2 | 4月30日 | 1 | 1 | 1 |
発生日時 | 震央 | 座標 | 深さ | 規模Mj | 規模Mw | 最大震度 | 区別 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年3月20日10時53分40.3 | 福岡県北西沖 | 北緯33度44.3分 東経130度10.5分 / 北緯33.7383度 東経130.1750度 | 9km | 7.0 | 6.7 | 震度6弱 | 本震 |
2005年3月22日15時55分33.4 | 福岡県北西沖 | 北緯33度43.5分 東経130度10.6分 / 北緯33.7250度 東経130.1767度 | 11km | 5.4 | 5.1 | 震度4 | 余震 |
2005年4月10日20時34分37.8 | 福岡県北西沖 | 北緯33度40.1分 東経130度16.9分 / 北緯33.6683度 東経130.2817度 | 5km | 5.0 | 震度4 | 余震 | |
2005年4月20日 | 6時11分26.8福岡県北西沖 | 北緯33度40.6分 東経130度17.2分 / 北緯33.6767度 東経130.2867度 | 14km | 5.8 | 5.5 | 震度5強 | 余震 |
2005年4月20日 | 9時 9分42.9福岡県北西沖 | 北緯33度40.7分 東経130度17.0分 / 北緯33.6783度 東経130.2833度 | 13km | 5.1 | 震度4 | 余震 | |
2005年5月 | 2日 1時23分57.6福岡県福岡地方 | 北緯33度40.2分 東経130度19.2分 / 北緯33.6700度 東経130.3200度 | 11km | 5.0 | 震度4 | 余震 |
地殻変動
国土地理院はGPS観測を行っている電子基準点の位置について、地震の前後で比較を行った。「福岡」(福岡市東区志賀島)で南西に約17cm 、「前原」(糸島市前原)で南に9cm、「古賀」(古賀市)で西に6cmの変位をそれそれ観測した[31]。また、三角点についても再測量を行い、玄界島で南に約38cmの変位を観測したのを始め、東区の一部を除いた福岡市と前原、志摩など震源域の南西側では、沿岸を中心に南に10cm前後の変位を観測した。一方、新宮や相島など震源域の北東側では、西方向の変位を観測した[32]。
観測・推定された揺れ
本震
この地震最大の震度6弱を観測したのは4地点で、福岡県内では福岡市東区東浜、中央区舞鶴、前原市(現糸島市)前原西の3地点、佐賀県内ではみやき町北茂安の1地点。福岡県内の3地点は震央から約30kmであるのに対し、佐賀県みやき町は震央から60kmとやや離れている。また、福岡県福岡地方の広い範囲と筑後地方・筑豊地方の一部、佐賀県と長崎県壱岐の一部で震度5強となった。福岡県、佐賀県および長崎県北部と壱岐・対馬、大分県北部はほとんどが震度4以上となり、このほか熊本県、長崎県、山口県、島根県でも複数の地点で震度4を観測している[33]。
これら観測値と同様に気象庁の推計震度分布図によれば、博多湾沿岸の広い範囲と、筑後川流域、唐津湾沿岸のそれぞれ一部で推定震度5強、所によっては推定震度6弱の地域が分布している。また、福岡平野から筑紫山地西部にかけての地域と筑紫平野の全域に推定震度5弱の地域が分布している[33]。
また、九州と四国・中国地方のほとんどの地点で有感(震度1以上)となり、近畿地方・中部地方の平野部や沿岸部でも有感となった。最も震源から遠い地点では東京都板橋区と神奈川県綾瀬市で震度1を観測した[33]。このように本州方面では震央から500km以遠でも有感となった一方で、南方面では鹿児島県の本土で有感の地点があったが、震央から300kmの種子島以南の奄美諸島・沖縄県では無感(震度1未満)となった。これは九州南部の火山地帯で"Lg波"と呼ばれる地震波が大きく減衰する影響によるものと考えられている[34]。
地震波形の解析により、九州や本州の構造盆地で長周期地震動の増幅が発生していたことが分かっている。長周期成分の周期には幅があるが、福岡県・佐賀県の筑紫平野では約5秒周期、熊本県の人吉盆地では約3秒周期の地震動がピークを示した[34]。
震源に近い玄界島には、3月20日の本震の時点では震度計が置かれていなかった。本震における玄界島の震度はいくつかの推定が発表されているが、幅がある。鹿島建設小堀研究室の武村雅之は余震のデータを基に推定で震度6弱(5.9)とする試算結果を発表している[35]。筑波大学の境有紀は、住宅被害の多くが地盤崩壊や崖崩れを伴い建物自体が地震動で大きく破壊されたとは考えづらいものの、屋根瓦の被害率が高い状況などから、震度6強相当ではないかとHP上で発表している[36][37]。東京大学地震研究所の三宅弘恵らの研究チームは余震の観測記録を基に本震の地震動をシミュレーションし、推定で震度7(6.5)に達した可能性があるという試算結果を発表している[35][34]。気象庁は事後調査を行っており、調査結果を総合的に見ると震度6弱程度ではないかとする見解を記者会見で発表した[38][39]。なお、気象庁は地震機動観測班を派遣して玄界島漁村センター(福岡市西区玄界島)に震度計を設置し、3月21日18時から観測を開始した[40]。
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
6弱 | 福岡県 | 福岡市東区 中央区 前原市 |
佐賀県 | 三養基郡みやき町 | |
5強 | 福岡県 | 福岡市早良区 西区 大川市 春日市 久留米市 須恵町 新宮町 志摩町 二丈町 碓井町 穂波町 久山町 粕屋町 |
佐賀県 | 上峰町 白石町 七山村 | |
長崎県 | 壱岐市 | |
5弱 | 福岡県 | 福岡市博多区 城南区 南区 北九州市八幡西区 戸畑区 中間市 大野城市 福津市 柳川市 小郡市 うきは市 直方市 飯塚市 宗像市 大島村 那珂川町 志免町 宇美町 篠栗町 遠賀町 若宮町 高田町 夜須町 朝倉町、大木町 三井郡大刀洗町 |
佐賀県 | 小城市 唐津市 鳥栖市 多久市 久保田町 諸富町 川副町 大和町 東与賀町 千代田町 三田川町 三瀬村 嬉野町 江北町 北方町 | |
大分県 | 中津市 | |
長崎県 | 対馬市 |
日本以外では、韓国でもソウルを始め広範囲で揺れを観測した[23][41][42]。アメリカ地質調査所(USGS)の記録によれば釜山、慶州、巨済で改正メルカリ震度階級震度4を観測した[43]。また、中国の上海では、地元紙『新民晩報』の報道によると、ビルの高層階では体感で分かるほどの揺れが感じられ、食器が音をたてたり電灯が揺れるなどして2分ほど揺れが続いたところもあったほか、上海市地震局でも揺れを観測した[20]。
4月20日の余震
震源は志賀島付近で本震よりも九州本土に近かったため、所によっては本震を上回る震度を観測した。博多区や南区では本震の震度5弱を上回り震度5強となっている。福岡県と佐賀県の広い範囲と、大分県、熊本県、山口県、長崎県壱岐の一部で震度4、九州北部と中国地方・四国地方の一部で震度3、震度1以上を観測した地点は九州から近畿地方に及んだ[29]。
震度 | 都道府県 | 市区町村 |
---|---|---|
5強 | 福岡県 | 福岡市博多区 中央区 南区 早良区 春日市 新宮町 碓井町 |
5弱 | 福岡県 | 福岡市東区 西区 大野城市 宗像市 那珂川町 須恵町 古賀市 粕屋町 福津市 若宮町 筑前町 |
佐賀県 | みやき町 久保田町 |
津波注意報の発表
日本の気象庁は、地震から4分後の10時57分、福岡県日本海沿岸(玄界灘沿い)と長崎県壱岐・対馬に津波注意報を発表したが、12時に解除した。津波は観測されなかった[44]。海域の浅い地震ではあったが横ずれ断層だったため、津波は発生しなかった[45]。
ただし福岡市では、屋外スピーカーで放送を行う同報系の防災行政無線が整備されていなかったため、広く避難を呼び掛けることはできなかった[46]。その後市は、同報系ではないが、防災拠点との通信を確保する地域防災無線を拡充し、避難所である市内の全小学校に整備している[47]。
韓国でも大韓民国気象庁が、地震から27分後の11時20分、南海岸、東海岸、済州島に津波注意報を発表したが、津波は観測されず12時過ぎに解除した[23][41][42]。一方、気象庁が津波注意報を各自治体に知らせるFAXが、日曜日であるにも関わらず職員の常駐していない部署に送信されるというミスも発生した[48]。
被害と復旧
被害の概要と負傷・救急医療
住宅被害や負傷者の大半は福岡県内で発生しており[49]、特に福岡市が大きな割合を占めた。負傷者の8割、全壊・半壊棟数の9割、一部損壊の5割が福岡市となっている[2]。ただ、福岡市内では全区で人的・物的被害が生じたものの、被害は限られた地域に集中し、その他では散発的な被害が見られた[50]。
住宅の全半壊を伴うような被害が目立ったのは、福岡市西区の玄界島や能古島、同じく西区北西端の西浦地区・宮浦地区、東区の志賀島など、沿岸の漁村・農村地域だった。特に、玄界島では住宅の半数が全壊するなど大きな被害となり、約1か月間に亘って全島避難を行った。また、福岡市街地の中でも一部地域、中央区の警固断層東縁でマンションや古いビルの半壊・一部損壊が集中的に発生した[50][51]。
ライフラインや交通などの都市機能にも被害は生じたが、概ね半日から2日間程度で復旧している[51]。
福岡市消防局のまとめによると、福岡市内で地震に伴う傷病により救急搬送された人数は、地震当日の3月20日に87人、翌3月21日に6人など、4月6日までの18日間で計109人となっている。なお、このうち地震当日に玄界島から6人がヘリコプターで災害拠点病院である九州医療センターまたは済生会福岡総合病院に搬送されているほか、翌日以降の搬送人数には熱傷患者の転院による搬送なども含まれる。重傷要因別の内訳は、転倒による負傷が31人 (28%)、鍋等の転倒による熱傷が19人 (17%)、落下物による負傷が同じく19人 (17%)、建物等の倒壊による負傷が12人 (11%) などとなっている。また、年齢別では60代以上が約6割を占めた[52]。
唯一の直接死者となった70代女性は、博多区吉塚の自宅付近にて清掃作業を終えて近所の住民と談話中、倒壊したブロック塀の下敷きとなり、出血性ショックなどが原因で死亡した[53]。このほか、福岡市で80代女性、筑紫野市で50代男性がそれぞれ、飛んできた瓦で頭を打つなどして重体となった[24]。
福岡市消防局では地震直後から119番通報が殺到し、11時30分までの40分間に約700件を超えた。建物被害への対応、救急・救助、ガス漏れなど、地震による消防車両の出動台数は延べ台数で735台に上った。福岡市内の各消防団も避難誘導や崖崩れへの対応など174件の活動を行っている[53]。
通報が殺到して救急車の配車指示が十分とはいえなかったことに加えて、通信規制により病院間の連絡が困難となり、さらに災害時優先電話のトラブル(後述)により救急から病院への連絡にも支障が生じたため、近くの病院から順次飛び込みで搬送する事態が発生した。唯一の死者となった女性についても、こうした背景により手当てが遅れた可能性が指摘された。後に対策として、福岡県の救急医療情報システムの活用促進、通信支障や人手不足を前提とした受け入れ体制の分散化などのほか、福岡市医師会で携帯メールとウェブを活用した連絡システムを導入するなどしている[54]。
地域 | 負傷者数 | 住宅被害棟数 | 火災 | |||
死亡 | 負傷 | 全壊 | 半壊 | 一部破損 | ||
福岡県 | 1 | 1,186 | 143 | 352 | 9,190 | 1 |
---|---|---|---|---|---|---|
佐賀県 | ― | 15 | ― | 1 | 136 | ― |
長崎県 | ― | 2 | 1 | ― | 14 | 1 |
山口県 | ― | 1 | ― | ― | ― | ― |
合計 | 1 | 1,204 | 144 | 353 | 9,340 | 2 |
負傷者合計の内訳:重傷198人、軽傷1,006人。 |
市町村 | 負傷者数 | 住宅被害棟数 | 道路被害 箇所 |
港湾被害 箇所 |
崖崩れ 箇所 |
罹災証明書 発行世帯数 | |||||
死亡 | 重傷 | 軽傷 | 全壊 | 半壊 | 一部破損 | ||||||
福岡市 | 1 | 163 | 875 | 141 | 323 | 4756 | 136 | 96 | 19 | 1116 | |
大野城市 | 1 | 3 | 217 | ||||||||
春日市 | 10 | 3 | 1 | 236 | |||||||
那珂川町 | 1 | 196 | 1 | ||||||||
筑紫野市 | 54 | 2 | |||||||||
太宰府市 | 1 | 1 | 1 | 174 | 3 | 2 | |||||
宇美町 | 1 | 1 | 53 | 4 | |||||||
篠栗町 | 1 | 4 | 28 | 2 | |||||||
志免町 | 1 | 13 | 55 | 3 | |||||||
須恵町 | 2 | 108 | 7 | ||||||||
粕屋町 | 1 | 6 | 11 | ||||||||
久山町 | 3 | 13 | 5 | ||||||||
新宮町 | 2 | 216 | 72 | 1 | |||||||
古賀市 | 1 | 6 | 235 | 22 | 1 | ||||||
宗像市 | 1 | 1 | 67 | 1 | |||||||
福津市 | 1 | 2 | 33 | 3 | |||||||
*1 前原市 | 9 | 44 | 1 | 1407 | 29 | 26 | |||||
*1 二丈町 | 1 | 107 | 6 | 16 | |||||||
*1 志摩町 | 5 | 1 | 16 | 920 | 53 | ||||||
大川市 | 1 | 5 | 1 | ||||||||
柳川市 | 5 | ||||||||||
岡垣町 | 1 | 71 | 4 | ||||||||
久留米市 | 9 | 1 | 1 | ||||||||
飯塚市 | 75 | 1 | |||||||||
*2 若宮町 | 1 | 107 | 2 | ||||||||
重傷1名以上、軽傷5名以上または一部損壊10棟以上の市町のみ掲載。 *1:現糸島市。*2:現宮若市。 |
なお、4月20日朝の余震でも人的・物的被害が出ている。福岡市を中心として福岡県と佐賀県で合わせて58人の負傷者が出たほか、新たに200棟以上の住宅で一部損壊の被害が発生した[3]。
被害額
福岡県のまとめでは、県が管轄する公共施設や農産品などの被害総額は314億9,702万8,000円となっている。そのうち、公共土木施設が約195億円と6割を占め、公立文教施設が約15億円、農林業・水産業施設が約3億1千万円、産業別被害では商工業が約56億円、水産業が約18億円、林業が約4億4千万円、農業が約1億円などとなっている[2]。
福岡市のまとめでは、市が管轄する公共施設などの被害額は208億3,000万円で、うち87億6千万円(国負担分を含む)が海岸や港湾施設、80億円が漁港施設と海沿いの被害が大半を占め、次いで道路の被害額が多い(2008年3月31日時点)[55]。
また、福岡市周辺の企業が加入する福岡商工会議所の調べでは、回答のあった1,507事業所で、建物、設備、商品などを中心に被害額は合計約33億6千万円に上った(2005年4月13日時点)[56]。一方で、一部の工場でプラントの一時停止などがあったものの、製造業や金融業などに大きな被害はなかったことが報じられている[57]。
佐賀県内の被害総額は約3億4,000万円[58]、長崎県内の被害総額は約2億円となっている[59]。
日本地震再保険の調べによると、この地震における地震保険の支払総額は2008年3月末時点の実績で231億円となっており、加入率の差などから単純比較はできないが、1995年の阪神・淡路大震災の約3分の1、2004年に発生した新潟県中越地震の1.5倍にあたる。なお内訳として、3月20日の本震における支払が168億円、4月20日に余震における支払が63億円となっている[60]。
建物・施設
玄界島、能古島、糸島半島北端の西浦地区・宮浦地区、東区の志賀島など、沿岸の集落で住宅被害が目立った。特に、玄界島では住宅の全壊率が5割に達した[50]。志賀島北部の勝馬地区でも、玄界島に匹敵する被害となった[26]。能古島では2人が負傷し、住宅1棟が一部損壊の被害を受けた。また、震源から東側の玄界灘にある大島(当時大島村、現宗像市)では、住宅8棟が一部損壊の被害を受けた[44]。玄界島では仮設住宅200戸が建設され、島全体を区画整理した上で住宅の復興事業が行われた[40]。また、志賀島で16戸、西区北崎で11戸、能古島で3戸、それぞれ仮設住宅が建設されている[40]。
玄界島や志賀島などでは、特に切土・盛土の造成地付近の建物で大きな被害が見られた。この地域で被害が大きかった背景には、震源に近かったことに加えて急傾斜地に建つ住宅が多いという土地条件が影響していたと見られている[26]。ただこれらの地域でも、屋根の被害を中心として古い木造住宅で被害が目立つ一方、比較的新しい住宅では被害が軽い傾向にあった。この背景として、木造住宅において耐震性確保のために必要な壁の量を定める建築基準が1950年から1981年にかけて次第に厳しく改正されてきており、古い住宅では壁の量が少なかったであろうことが考えられている[61]。
福岡市中心部の長浜・舞鶴・博多駅前・百道浜周辺の中高層ビルを対象に行われたアンケート調査によると、回答のあった約300棟のうち半数前後で棚から物が落下したり、天井・内壁の剥離や亀裂があった。また約4割で家具類の転倒やエレベーターの停止、約3割でテレビや電子レンジなどの重量物の落下があった。さらに、約1割の建物でガラスの破損や停電・断水などいずれかのライフラインの支障、また扉の開閉が困難になる事例が発生している。オフィスのうち約15%の建物では、業務の停止が発生したという。また、建物内ではより高い階ほど、棚の転倒や重量物の落下の割合が高かった[62]。
福岡市中心部の天神では、商業施設の外壁の一部剥落や看板の落下などの被害があり、臨時休業する店舗が相次いで発生した[24]。一方、地上付近と高層階で揺れ方に差があり、天神地下街では地震後も営業を続けたが、津波注意報の発表を受けて11時半過ぎに営業中止を決めた。このことから、特に同じ組織内で低層階と高層階の両方を有するところでは、気象庁が発表する震度情報に合わせて組織内で対応を一律に決めることが、場合によっては適切ではない可能性も指摘されている[63][64]。また天神では4月20日の余震でも、地震が通勤時間帯を直撃し出社が遅れる例があったことなどから、開店を数時間遅らせる店が相次いだ[24]。
他方、臨時休業を決めた施設の多くは客を外に避難誘導したため、数少ない広場に人が多く集まった。例えば警固公園では、一時は100m四方ほどの広場が周りを見回せないほどの人で溢れたといい、ただ1つの公衆トイレに長い列ができる事態も発生した。福岡市役所前の広場にも数千人が集まり、携帯電話で連絡を取ろうとする人が目立ったという。しかし、交通機関の多くが早期に再開したことから、帰宅困難者問題が深刻化することはなかった[23][51][63][64]。
福岡市内ではエレベーターへの閉じ込めが20件発生し、消防や管理会社により29人が救助された。また同じく福岡市内でドアの閉塞による建物への閉じ込めが17件発生し、自力で脱出したものを除くと消防により8人が救助されている[53]。
ブロック塀の崩落・倒壊も相次ぎ、福岡市中心部で行われた調査では全体の4%が倒壊した。補強用の鉄筋や基礎の構造などに欠陥のある塀が倒壊しており、特に無補強のレンガ塀は3割以上が倒壊した。また、老朽化により鉄筋が腐食したりひび割れが生じた古い塀で倒壊が多かった。さらに、地域別では警固断層付近やその東側で倒壊が多く、南北方向に倒壊したものが多かったという[65]。
能古島では、地震により裏手の山から10トンを超える巨岩が落下し住宅を直撃した。住宅は損壊したが、住人は揺れの直後に外に避難していて無事だった[66]。
4月20日の余震では、須恵町で火災が1件発生した[3]。
被災した建物に対する応急危険度判定は3月28日までに2,959件実施され、460件が「危険」、1,023件が「要注意」と判定されている。なお、4月20日の余震後にも新たに81件実施されている。また、法面や擁壁に近い建物に対する被災宅地危険度判定は3月28日までに380件(うち169件が玄界島)実施され、160件が「危険」。123件が「要注意」と判定されている[40]。
長崎県内では、壱岐市で2人が負傷し、住宅1棟が全壊したほか、対馬市でも住宅1棟が一部破損の被害を受けた[44]。
佐賀県内でも、住宅の壁にひびが入ったり、学校の窓ガラスが割れる被害があった[67]。特に有田焼は組合加盟社の4分の1にあたる約60社で揺れによる落下被害が発生し、地震対策を行っていなかったところもあり、約4,000万円近くの被害が出た[68]。
玄海原子力発電所では、震度4相当の揺れを観測したが自動停止の基準には満たず、異常もなかったため通常運転を継続した[23]。
韓国では、大きな揺れが感じられた釜山でデパートの客が避難する騒ぎとなったり、エレベーターの停止が発生したりしている[41]。また地震によるものかは不明だが、慶尚南道の統営市で地震直後に火災が発生し木造店舗1棟が全焼した[69]。
玄界島の全島避難と復興
震源に近い福岡市西区の玄界島では、倒壊した住宅から女性が救出されるなど、重傷10人、軽傷9人の合わせて19人の負傷者が出たほか、当時の総世帯数約230世帯に対して全壊107棟、半壊46棟、一部損壊61棟と建造物の大半が大きな被害を受けた。離島において被災率が高い状況で多くの住民が島内で避難生活を続けることに困難が予想され、余震による被害拡大の恐れもあったことなどから、自治会や漁協などの主導で地震から約5時間後の16時に全島避難を決定し、自治会長など約10人を残して、住民約700人の大半が当日夜までに福岡市本土に避難した。海路の避難にあたっては福岡市有客船や福岡市消防局の消防艇、海上保安庁(第七管区)の巡視艇などが搬送を担い、陸上では消防の輸送車や民間からの借り上げバスなどが搬送を担った。主要避難先となった中央区の九電記念体育館では当日夜までに約430人が避難し、その後避難生活を送った[49][70][71]。
玄界島では南側に住宅が集中して集落を形成しているが、平坦地が少ないため、石積みやコンクリートの擁壁で住宅裏の斜面を覆いその前に住宅が建つ形式が多かった。後の調査では、古い木造住宅の倒壊や屋根の被害が目立った上、擁壁の崩壊により重ねて被害を受けた住宅も多くみられた。一方で、比較的新しい住宅では斜面にあってもほとんど被害を受けない例が見られた。単純な石積み擁壁では高さ1m程度のものでも崩壊が見られたが、コンクリートで間を埋めた石積みのものは高さ1.5m程度までは亀裂程度に留まっており、さらにコンクリートブロックでは高さ5m程度までは亀裂程度に留まったという結果が報告されている[61][72][73]。また4月20日の余震では、半壊状態だった住宅が全壊する被害も生じている[74]。
福岡県知事は同日中に自衛隊へ災害派遣を要請し、4月25日までの約1か月間、延べ約4,100人(最大時約310人規模)が動員され、玄界島住民の避難支援や避難先での給水・給食活動、医療活動、半壊家屋へのビニールシート展開等の活動を行った。ビニールシート展開は、地震2日後の3月22日に予想された大雨に備えるもの(22日には大雨警報が発表された)で、3月21日から自衛隊と警察・消防が協力して作業を行った[40][70][71][75]。
集団での避難生活が続き、避難所で風邪やインフルエンザが流行して一時50人以上が入院又は福祉施設に入所する事態も発生した[76]。
避難が長期化することとなったため仮設住宅を建てることとなったが、建設地の選定にあたって、コミュニティ維持のため集団での入居を希望する意見、生活基盤である漁港の近くに住みたいという意見がある一方で、島の平坦地に空き地が少なく島に全ての仮設住宅を建てることはできないという問題が生じた。全て福岡市本土に建てる案もあったが、島が無人の期間が長期化することへの懸念から、島と本土に分けて建設することに決定した。地震から1か月後の4月24日には博多漁港に隣接する福岡市本土・中央区の公園「かもめ広場」に100戸、翌4月25日には玄界島に100戸、合わせて200戸が完成し、195世帯517人(入居当初)が入居した[77]。
その後島の復興計画が決定し、戸建て住宅50戸、市営住宅65戸、県営住宅50戸の計165戸を道路や公園などと同時に整備することとなった。かもめ広場の仮設住宅からは、2007年3月末に78世帯、2008年3月25日に残りの世帯が帰島した。戸建て住宅への入居者は、2008年3月から5月にかけて仮設住宅から転居を行った。一方、復興事業完了後の2008年2月末の時点の人口は571人となり、地震前に比べて2割減少した[77][78]。
復興事業の総事業費は71億円で、国庫補助を受ける小規模住宅地区改良事業から半分程度を拠出し、約1割は土地建物の販売益と市の一般財源が充てられた。そして残りの約4割を市債(玄界島復興事業債)で賄っている[77][78]。
玄界島の漁協では地震後、「元気バイ!!玄界」を合言葉とし、ロゴマーク化した合言葉をデザインしたユニフォームを作成したり、出荷時に玄界島の水産物に「元気バイ!!玄界」のステッカーを貼ったりするなどしてPR活動を行った[79]。
玄界島では、消防や警察が常駐していないにも拘らず、死者も火災も出さず、普段から密な付き合いのご近所同士で所在を確認し取り残された高齢者を助ける光景が見られた。これらは強い地域コミュニティの効果だと考えられ、後の東日本大震災における東北沿岸の津波被災地でも参考にされるなどしている。その一方、玄界島では住宅・道路がきれいに復興整備されたことで、逆にご近所同士のつながりが希薄になった面もあると報じられており、以前はほとんどなかった高齢者の孤独死が発生したり、数人相乗りで出かけていた漁に単独で出ることが多くなったりと、復興の難しさも露呈している[80][81]。
窓ガラス
福岡市中心部のビル街では、一部のビルの窓ガラスが割れ地上に降り注いだ。特に、中央区天神の福岡ビル(1961年・昭和36年完成)では、全体の3割にあたる約440枚の窓ガラスが割れて落下し、建物沿いの歩道を歩いていた2人が負傷した[82]。割れたガラスはほとんどが"はめごろし"で、網入りガラスは破損しても落下はしておらず、また地震動による建物の層間変形が集中したとみられる4階から6階の破損率が高かった[65]。
その後の調査により、窓枠と窓ガラスの間のシーリング材に揺れを吸収しにくい硬化性の素材を用いる、古い工法が採られていたことが原因と判明した[26]。古い工法は1978年(昭和53年)の宮城県沖地震で被害が多発したことから、同年改正・1979年4月施行の建設省告示で禁止され、それ以降の施工ではシリコンなどの軟質素材が使用されている[82][26]。
これを受けて国土交通省は3月23日、全国の自治体に対し、1978年以前施行の3階建て以上で中心市街地の避難道路などに面する建築物を調査し改修などを指導するよう通知を出した[83]。その後、2006年3月までに約3万6千棟で調査が行われ約1,300棟で不適格が判明、うち改修済みは2006年3月時点で511棟だったが、2013年9月には914棟まで改善している[84][85]。
なお、都心部であるにも関わらず負傷者2人に留まった背景として、渡辺通り沿いに地下街とビルとの連絡通路が発達した天神では地下を移動する人が多く、2月に天神地下街が延伸開業していて通行人がそちらに流れる傾向が更に強まっていたタイミングが幸いしたことや、この付近はビジネス街でありもともと休日は人通りが多くなかったことなども挙げられている[86]。
警固断層沿いの被害集中地域
福岡市中心部では地域により被害に差が見られた。福岡市中心部の建物被害は大名、薬院、今泉、警固、舞鶴の各地区を中心とする狭い地域に集中した。これらは後述のように、いずれも警固断層のすぐ東側の地域である。壁の亀裂や剥離、扉の変形などの被害が報告されており、外見上は一部外壁の剥離程度であっても内部の壁にはせん断破壊に伴う亀裂が入った建物があった。中には、扉が変形して避難が難しくなったために隣人の助けを借りて窓から脱出したというケースもあった。一方で1kmほど離れた天神のビル街では比較的被害が軽微となった[26][61]。
また一部では、建造物の倒壊の恐れがあるとして、周辺の住民に避難勧告が出された。中央区大名、舞鶴、博多区下呉服町、千代の4カ所で、対象は合計51世帯87人に及んだが、4月上旬までに解除されている[87]。なお、4月20日の余震でも外壁の崩落が相次いで発生している。
本震による表面最大加速度を見ると、天神5丁目にあるK-NET福岡観測点では南北277gal、東西239galであったのに対し、大名2丁目の観測点では南北489gal、東西310galと、地震動が大きかったと考えられる[26]。
この違いの原因として、警固断層沿いの地下構造の影響が指摘されている。福岡市を縦断する警固断層を境に、西側は地盤の柔らかい堆積層が20m程と薄い一方、東側は50m程と厚く警固断層の東縁では100m程度となっている。堆積層の厚い地域では、表層地盤増幅率が高く地震の揺れが増幅されるほか、基盤の深さに変化のある不整形構造の境界部では地震動が増幅されることが知られている。断層東側の堆積層の厚い地域は幅約500m程度あって、被害が大きかった地域と重なっており、地震後の地質調査でも影響を裏付ける結果が報告されている。また、福岡市の南部や春日市でも建物被害が多く報告されている地域があるが、同様に堆積層の厚い地域だった[26][34][61][88]。
港湾・液状化
博多湾沿岸の埋め立て地を中心とした地域で液状化現象による砂や泥の噴出、側方流動による段差、地割れや舗装の亀裂、沈下などが相次いで発生した[26][73]。博多港でも、岸壁や護岸の亀裂や沈下が広い範囲で発生した。一部で岸壁が使用できなくなったが、他の岸壁に振り替えるなどして港湾機能を確保した。港湾施設は2005年夏から2007年2月にかけて復旧工事が行われ、完了している。福岡市内の8つの漁港も被害を受け、岸壁は延べ6km以上が破損した[89]。また、博多湾沿岸のほか、糸島半島や新宮町でも液状化による噴砂が確認されている[90]。
長崎県では、壱岐市の印通寺港で岸壁が破損したほか、八幡浦漁港の防波堤が破損するなどしている[59]。
佐賀県でも、玄界灘沿岸の唐津市呼子町と鎮西町で岸壁に亀裂が入る被害があった[67]。唐津市神集島では、漁港沿いの道路で液状化によると見られる陥没が生じたほか、岸壁や鳥居に亀裂が入る被害があった[91]。
文化財・博物館
福岡市内や周辺市町村で、寺社などの文化財にも大きな被害が相次いだ。文部科学省のまとめでは、文化財等の被害件数は国宝1件、重要文化財19件、史跡および名称17件の合わせて37件となっている[40][92]。大分県宇佐市の国宝宇佐神宮では、壁に数箇所亀裂が生じる被害があった。
福岡市や近郊の博物館等でも、施設被害とともに、地震対策が不十分だった展示品や収蔵品の転倒・落下の被害が見られた[93]。
震源に近いマリンワールド海の中道では、来場者約800人のうち1名が避難時に怪我をしたが、職員や展示生物に直接の被害はなく、また液状化により外構の沈下が生じたものの建物本体に大きな損傷はなかった。しかし、配管の損傷や電気系統の故障などにより、イルカやアシカの水槽で水位が急激に低下、魚類を展示する14の水槽でも水質管理ができなくなり、それぞれ別の水槽へ避難させる事態となった。一方、休館が長期化すれば経営への影響や被災地イメージの定着による風評被害が生じる懸念などから、応急での復旧を行った上で2日後の3月22日に一部展示を除いて営業を再開し、本格的な復旧は営業と並行する形で行った[93]。
生活への影響
上水道は、福岡県内で玄界島、志賀島勝馬地区、博多区、中央区、宗像市などの延べ446戸、佐賀県内で川副町、千代田町などの延べ199戸、大分県内で日田市と中津市の延べ204戸、合わせて849戸で一時断水が発生した[40][94]。このうち中津市では、国道212号の歩道で埋設水道管が破裂し、約150トンが漏水した[23]。
福岡市では、沿岸部や中央区を中心として、継ぎ手の破損などによる配水管からの漏水が31件、給水管からの漏水が101件、消火栓などからの漏水が30件発生した。地震直後には推定で最大5万トンの漏水があったが、5月5日までに流量は平常に戻っている。下水道でも、処理施設や送水施設、水路などに被害があったが、年内にすべて復旧している[95]。
九州電力管内では、本震直後、電柱が傾いて混線・断線したことにより福岡市と大野城市の合わせて約2,600戸で約2時間の停電が発生した。一方、4月20日の余震では、福岡市西区と南区の変電所で地震を感知した安全装置が作動し、福岡市、前原市、大野城市と那珂川町の約22,000戸で約5分間の停電が発生したほか、中央区で約100戸が40分間停電した[96]。
福岡市や北九州市を中心に都市ガスを供給する西部ガスの報告では、本震の際に166件、4月20日の余震の際に58件のガス漏れが発生し、2日以内に復旧している。また福岡県内のLPガス供給家庭では、本震の際に40件、4月20日の余震の際に13件のガス漏れが発生し、当日中に復旧している。いずれも、ガス漏れによる火災は発生しなかった。阪神・淡路大震災後、震度5程度の揺れを検知して自動で供給を停止するマイコンメーターの設置が都市ガスで義務付けられ、LPガスでも推奨されており福岡県の普及率が99%に達していたことなどが、ガス漏れ火災の発生を防いだと考えられている[97]。
福岡市西区西浦や東区香住ヶ丘では、崖崩れの危険性があるとして合わせて17世帯36人に避難勧告が発令され、対策工事の着工を受けて4月上旬に解除されている。また、4月20日の余震では福岡市中央区で、崖崩れの危険性があるとして2世帯3人に避難勧告が発令され、5月に解除されている[87]。
地震により公共施設などに自主避難した人は、福岡市で最大2,800人となったのを始め、福岡県と佐賀県で合わせて最大3,000人を数えた[40]。4月20日の余震でも、福岡市を中心に新たに211人が一時的に自主避難した[3]。
地震により発生した罹災ごみは、福岡市において2008年3月までに約102,597tに上った[98]。
通信・情報
本震後、NTT西日本の固定電話では、数時間に渡り通話規制が行われ、災害用伝言ダイヤルが設置された。福岡・佐賀・長崎の3県への発信は約4時間に亘り規制が行われたほか、災害用伝言ダイヤルの利用者件数は3月25日までに8万4,000件を数えた。携帯電話においては、通話規制は夜まで続き、輻輳の影響もあり通話は繋がりにくい状態だった中、Eメールやウェブは規制を受けず、各社の災害伝言板サービスも含め、効果を発揮した。NTTドコモ九州では、地震直後に通信量が通常の休日の20倍に達したため75%の通話規制を行い、徐々に緩和しつつ、午後11時ごろまで続けられた[99]。NTTドコモ、au・ツーカー(KDDI)の両社も携帯電話向け災害用伝言ダイヤルを設置し、それぞれ3万8,000件、8,600件の利用があった[40]。
メールやウェブについては、普及率は低かったが、携帯電話よりもパソコンの方が繋がりやすい傾向があった[100]。
一方、官公庁やライフライン関係事業者の携帯電話に災害時でも回線を確保する災害時優先電話において、通話規制を行う装置が故障するトラブルが発生し、12時40分ごろまでの約2時間に亘って一般の電話と同じく繋がりにくい状態となった。契約件数は九州全体で2,130件、福岡県で約1,100件に上る[99][101]。
佐賀県唐津市では、地下の電話線損傷により一時約300世帯で電話が不通となった[67]。
地震後行われたアンケートでも、地震当日に困ったこととして最も多く挙げられたのが携帯電話の不通で、回答者の7割を占めた。次いで挙げられたのも家族との連絡不通、固定電話の連絡不通であった。一方、地震直後に情報を入手した経路としては、NHKのテレビ放送が7割、民放のテレビが5割、家族や近所との会話が2割、インターネット(パソコン)が1割強などという結果が出ている[100]。
この地震では、災害時の通信や情報収集の手段としてEメールやウェブを利用する傾向が強くなり、同様の都市型震災でもFAXが多く利用された1995年の阪神・淡路大震災当時と比べて大きな変化が見られた[46]。
交通
福岡市内では、海沿いを中心として道路の陥没・隆起が153か所、志賀島や玄界島、西区北崎を中心として道路沿いの法面崩壊が19か所発生し、43か所で全面通行止め、10か所で片側通行となった。ほとんどの地域では迂回路が確保され1か月程度で復旧したが、志賀島の周回道路は全面復旧まで1年半掛かった[102]。海に面した断崖であったことや、続く余震や雨でも崩落が続いて4月には本震直後の3倍に拡大し二次災害が懸念されたことなどが、復旧が遅れる原因となった[103]。
地震後九州の広範囲で鉄道の運行がストップした[40]。西鉄の2路線や北九州モノレールでは一時運転を見合わせた[23]。福岡市営地下鉄では地震発生と同時に運行中の22本を停止させ、駅間で停止した2路線の9本は徐行で最寄りの駅へと移動し乗客を避難させた。しかし、開業から1月半の七隈線では、運行管理システムの電源ケーブルに他の機器が乗り上げショートし、列車の位置表示や運行制御ができない状態となるトラブルがあった。30分経過後も復旧のめどが立たず、駅間で停止した七隈線の5本の乗客は徒歩で最寄りの駅まで避難することとなった。その後福岡市営地下鉄では、電源系統を増やす対策を行っている。全線再開は17時過ぎで、約8万6千人に影響が出た[104][23]。
JR九州は九州新幹線を除き全線で運転を見合わせ[40]、管内の列車30本が立ち往生した。博多駅へ向かう特急かもめ・みどりの1本ではほぼ満員の状態で1時間余りに亘って乗客が閉じ込められたほか、山陽新幹線のぞみの1本がトンネル内で停止し乗客400人が4時間半に亘って閉じ込められ、携帯電話が通じないトンネル内で車内の電話機に長い列ができる事態も発生した。新幹線は53本が運休となり、約4万8千人に影響が出た。全線再開したのは18時過ぎとなった。JR九州は地震後、地震時の対応マニュアルの見直しを行った[104][23]。
4月20日の余震でも、福岡県・佐賀県周辺の鉄道各線で一時運行見合わせが発生し、数時間缶詰になる乗客も出た[40]。
高速道路では、本震と4月20日の余震で、それぞれ福岡県・佐賀県周辺の3区間で一時通行止めが発生した。また、福岡都市高速、福岡前原道路、北九州都市高速等の有料道路でも一時通行止めが発生し、特に福岡都市高速では一部で橋梁の支承に破損があったものの、翌日明朝までに復旧した[40]。高速道路の通行止めの影響で、天神と九州各地の間で運行する西鉄高速バスも運休が発生し、再開は15時頃となった[23]。
福岡空港では、安全確認のため地震後約30分に亘って離発着を停止し、計10便の約1,500人に影響が出た[23]。
犯罪
本震以降、避難により留守になった住宅を狙った空き巣や、係員を装い電気や水道の点検などと偽って部屋に上がり込む手口の窃盗事件が発生し、3月23日には福岡県警が注意を呼び掛けた[66]。地震に乗じた詐欺の被害も発生している[105]。
ボランティア・義援金・復興支援活動
福岡市において地震翌日に災害ボランティアセンターが設置され、ボランティアの取りまとめが行われた[40]。2005年5月末までに、被害が大きかった地域や避難所を中心に、一般のボランティア延べ3,254人が、住宅内の片付けやがれきの撤去、炊き出しや話し相手、ペットの世話などを通じた避難生活支援を行った。また、被災住宅の診断や相談、避難所での整体やマッサージ、散髪や洗髪、心のケア、ペットの相談などを通じ、専門団体や企業などのボランティア延べ1,000人近くも活動を行った[87]。
福岡県、日本赤十字社福岡県支部、福岡県共同募金会などが取りまとめ元となり、「福岡県西方沖地震災害義援金」として、5月末までの2か月余りに亘って募金を募った[40]。2007年3月時点で福岡市には7億1千万円余りが配分された[106]。
今上天皇・皇后両名は、福岡県に見舞金を贈った[57]。皇太子徳仁親王は、10月30日に仮設住宅のある福岡市中央区のかもめ広場を訪問した。天皇・皇后両名も、地震から2年半後の2007年10月29日から10月30日にかけて、かもめ広場と玄界島を訪問した[107]。
福岡市を拠点とするプロ野球チームの福岡ソフトバンクホークスは、地震後初となる3月26日の公式戦でファンが復興を祈るメッセージを掲げ[108]、ソフトバンクグループと選手・監督・コーチなどから計2,000万円の義援金寄付を行うことを発表した[109]ほか、チャリティーオークションを行ったり、ヤフードーム(当時)に募金箱を設置して来場者から義援金を集めたりしている[110]。また、「鷹」つながりの縁から被災した玄界島の小鷹神社の再建を支援するチャリティ試合を開催し、チケット代の一部を寄付した[111]。
2005年5月の博多どんたく期間を中心に、玄界島などへの復興支援に対する感謝を伝え、一方で福岡市全体としては地震の影響が顕著ではないことをPRするため、行政と民間の協力で"元気バイ!!玄界"および"元気バイ!!ふくおか"キャンペーンが行われた。玄界島の物産展や玄界島住民のどんたくへのパレード参加などが行われている[112]。
玄界島の玄界小学校では、2005年度・2006年度にNPO団体のボランティアによる劇や合唱の曲提供や指導支援が行われた。その一環として、福岡県出身のシンガーソングライター野田かつひこは2007年に復興応援歌「僕のふるさと玄界島」を制作し、CDを島に寄贈した[111]。
玄界島自治会と東区和白東の和太鼓団体などが協力して、玄界島の住民へ和太鼓の指導が行われ、2006年10月に島の和太鼓団体「玄界太鼓」が発足し復興の助力となった[111]。
行政の主な対応
日本政府は、地震発生から7分後首相官邸に対策室を設置、15時過ぎに政府調査団を福岡県に派遣、20時に第1回目の関係省庁連絡会議を開催。3月24日に村田吉隆防災担当大臣が、3月26日に小泉純一郎内閣総理大臣が、それぞれ被災地を訪問した[40]。
一方、野党各党も情報収集を行い、3月21日に民主党の鳩山由紀夫らは福岡市内への応援演説の予定を変更して玄界島など被災地を訪問した。こうした動きの速さは1か月後の衆議院福岡2区補欠選挙を意識したものだとの報道もあった[20]。なお、補欠選挙は当初の予定通り4月24日に執行された。
緊急消防援助隊として、いずれも当日、熊本県の消防ヘリが情報収集活動を行ったほか、大阪市の消防ヘリが人員輸送を行った。また、警察の広域緊急援助隊として、熊本県、山口県、広島県から福岡県へ、長崎県から佐賀県へ、合わせて延べ183人・車両45台が派遣され、情報収集や人員輸送などを行った[40]。
被害の集中した福岡市では被災者に対して、住宅・宅地関連、見舞金・資金貸付、就学関連、中小企業関連、農林漁業者関連、税などの費用負担減免関連、ほか各項目の支援策を発表し実施している。特に、玄界島のような大規模復興事業を行わなかったものの被害が大きかった志賀島の3地区では、一部損壊以上の世帯に対して補修に最大150万円、建替に最大300万円を市が助成したほか、玄界島で自主再建を行う世帯にも同様の支援を行った。また、マンション共有部分の修復について借入金への利子補給制度を創設した[113]。また、福岡市、福岡県ともに、半壊以上の世帯、全治1か月以上の負傷者に対して、それぞれ数万円の災害見舞金を支給している[106]。
地震直後の行政職員の参集に関して、福岡県では自動呼出しにより比較的スムーズとなったのに対し、福岡市や福岡県内の各市町では通話規制により困難となったところがあった。また、防災計画に地震対策がなく対応が不十分だった自治体もあった[46]。その後、福岡市は2008年8月から携帯電話のメールを利用した自動参集システムを導入している[47]。
法的措置
- 災害救助法適用 : 福岡市(3月20日発表)[40]。
- 被災者生活再建支援法適用 : 福岡県全県(4月18日発表。3月31日に福岡市のみへの適用を発表していたが、拡大)[40]
- 激甚災害法(局地激甚災害):適用なし[114]
教訓とその後の防災
この地震により被害を受けた地域では、防災意識の高まりがみられた。地震後福岡市民を対象に行われたアンケートによると、このような大地震が起こると「思っていた」のは2.9%に過ぎず、「全く思っていなかった」が約6割、「あまり思っていなかった」が約3割と総じて否定的であったが、将来再び発生する可能性については起こると「思っている」が2割、「ある程度思っている」が6割弱を占め、「全く思っていない」は1.4%となった[100]。
別のアンケートによると、福岡県では、家具の転倒防止率が地震前約6%だったが、地震後約29%に上昇し東京とほぼ同じ水準となった。また、高いところに物を置かない対策をとる人は、地震前の約14%から地震後約48%と大きく上昇した[62]。
福岡市は地震後、地域防災計画に盛り込んでいた警固断層の地震に対する施策を拡充し[115]、福岡県は警固断層を含め県内の他の断層についても2006年度と2011年度の2回に亘って地震想定の見直しを行った[116]。また福岡市は2005年12月、この地震が発生した3月20日を毎年「市民防災の日」とすることを定め[117]、防災運動の啓発を行っている。
なお、地震調査委員会は警固断層帯の評価文において、福岡県北西沖にはこの地震を引き起こした断層と同様、調査が困難な横ずれ成分の未知の海底活断層が存在する可能性があり、同様に未知の断層で地震が発生する可能性もあることに留意すべきと記している[15]。
警固断層帯
政府の地震調査委員会は2007年3月19日に、警固断層帯の長期評価を発表した。福岡県西方沖地震の震源域である福岡市沖玄界灘から志賀島付近に至る断層は「福岡県北西沖の断層」、筑紫野市付近から春日市、福岡市中心部を経て博多湾を縦断し志賀島の南東沖に至る断層は「警固断層」とされた。2つの区間はそれぞれ別に活動すると考えられるが、遠い将来において同時に活動する可能性も否定できないとし、両者をまとめて「警固断層帯」とした。警固断層については、次の地震の規模はM7.2程度と考えられ、30年以内の地震発生確率は「最大で6%」と、日本の主な活断層の中では高いグループに属すると評価された[15]。
なお、福岡県西方沖地震の発震機構は東西方向に圧力軸を持つ北西-南東の横ずれ断層であり、警固断層はその南東側延長に位置する関係上、地震によるずれは警固断層に掛かる応力を増大させる可能性が指摘されている。このため、警固断層の地震発生確率は上記の値よりも大きい可能性も指摘されている[15]。
都市型震災
日本の100万都市あるいは政令指定都市におけるマグニチュード7クラスの地震としては、神戸市を直撃した1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)以来となった[88]。
しかし、阪神・淡路大震災とは異なり、震源域が福岡市中心部から離れた沖合だったこと、火災がほとんど発生しなかったこと、阪神・淡路大震災を契機に建物や生活基盤の耐震化が行われていたことなどから、被害の程度は小さかった。また、神戸市では木造住宅や低層の建物が揺れやすい周期1 - 2秒程度の地震動(キラーパルス)が大きく全壊10万棟を超える甚大な被害となったのに対し、福岡県西方沖地震では地震動が全体的に神戸より小さく[注 6]最も大きな成分が1秒未満の短周期であったことから、福岡市中心部の建物被害は一部損壊を中心とするに留まったと考えられている[118][34]。
この地震では、通話規制が行われた電話に比べて、メールやウェブは比較的スムーズに利用できた。その経験から、地震の際の連絡や情報収集の手段としてメールやウェブを利用する動きが広がった。地震から1か月半後の2005年5月から福岡市の「防災メール」システムが地震・津波にも対応したほか[47]、3か月後の2005年6月には福岡県の「防災メール・まもるくん」システムが開始している[119]。
脚注
注釈
- ^ a b c 気象庁は2006年10月から国内の震央地名を変更しており、地震発生当時の「福岡県西方沖」は現在「福岡県北西沖」に変更されている。[11]
- ^ 糸島地震は群発性の地震で、8月10日にM6.0、8月12日にM5.8と大きな地震が立て続けに発生し、主に12日の地震により負傷者3名、糸島郡で家屋全壊7棟などの被害があった。震度は糸島半島で5から6相当だったと推定されている。
- ^ 久留米市の水縄断層で発生した可能性がある。
- ^ ただし、当時の気象庁の震度情報に提供されていなかった防災科学技術研究所強震観測網の観測であり、気象庁発表の最大震度は5強だった。
- ^ 玄界島には地震の後に震度計が設置された。3月21日18時までは玄界島の震度を含まず、3月21日18時からは含んでいる。
- ^ 神戸市では834galや743galを観測したのに対し、福岡市では中央区で277galを観測したに留まっている。
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参考文献
- 「平成20年版 福岡県西方沖地震記録誌」福岡市、2011年3月1日更新
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- 「福岡県西方沖地震 震災対応調査点検委員会報告書 (PDF) 」福岡県、2005年7月
- 「福岡県西方沖地震 調査結果」地盤工学会、2005年
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- "Special Section for the 2005 West Off Fukuoka Prefecture Earthquake (2)". Earth, Planets and Space, Vol.58, No.12, 2006.
関連項目
- 警固断層
- 新潟県中越地震
- 能登半島地震
- ライフサポーター あなたを守る防災ラジオ - この地震以後、福岡県内のラジオ局によって放送された番組
外部リンク
- 平成17年3月地震・火山月報(防災編) (PDF) - 気象庁 地震解説資料等
- 福岡県西方沖を震源とする地震について(第29報)(平成21年6月12日現在) (PDF) - 内閣府 防災情報
- 3月20日に発生した福岡県西方沖を震源とする地震(第34報) - 消防庁 災害情報
- 福岡県西方沖を震源とする地震関連のページ - 国土地理院
- 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の評価 - 地震調査研究推進本部 地震調査委員会
- 2005年3月20日 福岡県北西沖の地震 - 防災科学技術研究所 高感度地震観測網(Hi-net)
- 東京大学地震研究所 2005年3月20日福岡県西方沖の地震の特集ページ
- 九州大学 大学院理学研究院 附属地震火山観測研究センター 2005年福岡県西方沖で発生した地震(Mjma7.0)
- チャレンジ! 防災48 写真 地震災害の様子 7 福岡県西方沖地震 - 総務省消防庁