ノート:福岡県西方沖地震
この「福岡県西方沖地震」は、下記のような選考・審査を経て秀逸な記事に選出されています。もし改善が可能であれば、より素晴らしい記事にするために編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2015年3月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
2. | 2015年8月10日 | 秀逸な記事の選考 | 通過 |
Araisyoheiさんへ。編集合戦の恐れがあるのでこちらでの議論に移したいと思います。私の2005年3月20日22:45の編集が、完全に元に戻されています。このまま私が自分の編集に戻せば編集合戦になってしまうのですが、私の編集分を追加してよろしいでしょうか。--XYZ 2005年3月20日 (日) 14:10 (UTC)
- すみませんでした。ブラウザの戻るボタンを押して保存をしてしまいました。XYZさんの編集分、追加してください。Araisyohei(talk) 2005年3月21日 (月) 00:20 (UTC)
- 既に追加完了しています。--XYZ 2005年3月21日 (月) 03:34 (UTC)
- すみませんでした。ブラウザの戻るボタンを押して保存をしてしまいました。XYZさんの編集分、追加してください。Araisyohei(talk) 2005年3月21日 (月) 00:20 (UTC)
地震名について
[編集]国土交通省では地震名を付ける規定まで達していないようです。そこで、国土交通省のHPにある福岡県西方沖を震源とする地震が正式名称になりそうです。Wikiでは新語を作る場でもないので国土交通省の表記に統一しませんか?Miketsukunibito 2005年3月27日 (日) 00:25 (UTC)
- 気象庁(国土交通省の外局ですが…)では福岡県西方沖の地震([1])としています。単に「(震源域)の地震」という呼び名ですが。福岡県では福岡県西方沖地震としています([2])。それから、参考資料ですが、毎日新聞が名称がバラバラというのを記事にしています([3])。私は福岡県西方沖地震でいいと思います。--mochi 2005年3月27日 (日) 00:42 (UTC)
- 正式名称は確かに気象庁では定めていません。しかし、宮城県北部地震のように一般に浸透している名称であれば認められるようです。今回の場合、『福岡県西方沖地震』・『福岡県西方沖の地震』・『福岡沖玄海地震』等がありますが、『福岡県西方沖地震』に他の名称のリダイレクトを作成する事でいいと思います。--XYZ 2005年3月29日 (火) 13:51 (UTC)
「玄界灘大震災」の呼称が使われている媒体をどなたか教えて下さい。検索でも見つかりませんでした。--211.13.148.168 2005年4月21日 (木) 03:37 (UTC)
その他ソースについて
[編集]- 本震の震源(北緯33度44.3分、東経130度10.5分)のソースを教えていただきたいのですが。自分では暫定値しか見つけられていないので。--222.5.250.89 2005年4月21日 (木) 01:37 (UTC)
- 気象庁[4]に地震火山月報というのが掲載されており、そこに正式な震源が記載されています61.195.109.71 2005年4月22日 (金) 18:15 (UTC)--場所移動--61.202.117.132 2005年4月25日 (月) 08:48 (UTC)
- 「2005年4月20日午前6時頃の最大余震」の項、「この大きな余震で断層の南側のひずみのほとんどが解放されたと見られている。」の記述について、ソースはどこでしょうか。--222.15.180.70 2005年4月22日 (金) 00:51 (UTC)
- ここあたりではないでしょうか[5]--211.18.181.105 2005年4月22日 (金) 08:58 (UTC)
- 玄界島で震度7のソースは、本日(~昨日辺り)のNHKテレビニュース(福岡ローカル)です。ウェブ上のソースはまだ見あたりません。--60.47.47.221 2005年5月23日 (月) 13:31 (UTC)
- 出ました[6]。東京大地震研究所:推定震度7(6.57)、鹿島建設小堀研究室:推定震度6弱(5.9)、と幅があります。--60.47.46.181 2005年5月24日 (火) 11:13 (UTC)
- コモンズにImage:Fukuoka Earthquake 20050605 Shikanoshima.jpgこんな写真が追加されているのですが、この項目に関連する写真でしょうか? 貼ろうかと思ったのですが、自信がないので、メモだけしておきます--すぐり 2005年6月15日 (水) 16:16 (UTC)
- 志賀島周回道路(現在の「金印街道」)東部の写真に間違いありません。 --Jadex1492(会話) 2013年4月22日 (月) 12:29 (UTC)
- 志賀島在住です。「4月20日の余震では、震源直下の志賀島の被害が大きかった。」との記述があります。確かにこのような報道が地元福岡でも繰り返し流れましたが、これは明らかな虚偽報道でした。実際には4月の余震での被害はむしろほとんどなく、3月の本震の時点で甚大な被害があり道路はほとんど不通状態。取材に来たマスメディアは志賀島の手前の橋で引き返していきました。4月の余震の時期になってやっと取材クルーが島内を回れるようになり、3月分の被害がメディアによって認知され錯誤報道になったのが真相です。どのようなメディアにもソースがありません。住民である私自身がソースです。 --Jadex1492 2008年6月30日 (月) 13:42 (UTC)
福岡市付近での歴史的な地震
[編集]「経緯、今後と防災」に
- 福岡県、特に福岡市付近は、福岡県西方沖地震の以前は、国内の他の地域に比べて地震の発生が特に少なかった。史料によれば、679年に筑紫国で地震(M6.5~7.5と推定される)が起こり地割れができたとの記述があるが、それ以降約1,300年間は被害が出るような地震が起こっておらず、
との記述が見られます。私は地震についてあまり詳しくないのですが、以前住んでいたものとして少なくとも1898年の糸島地震については聞いたことがあります。詳しい知識をお持ちの方がいらっしゃれば、加筆頂けないでしょうか。ますめ 2007年6月14日 (木) 13:01 (UTC)
独自研究混入の警告
[編集]2015年2月16日 (月) 16:37時点における編集で、多数の独自研究などが混入しているようです。本震から10年近くたって記事の大幅改稿が行われるのも非常にいぶかしいのですが(民法の債権も時効を迎える年数)、この編集および以降の編集(多発傾向)についてはWP:V/WP:NOR/WP:POV三本柱にもとづき、再度精査をお願いします。--Kyuri1449(会話) 2016年5月10日 (火) 05:53 (UTC)
- 挙げられている編集を行った者です。まず、独自研究を疑われる元になったであろう、5月10日の編集で除去なさった記述についてまず説明します。この文の出典には福岡県の報告書の13ページおよび54-61ページを示していました。詳しく言うと、「震源が市街地から離れた沖合であった」点は13ページと54ページの2か所に書かれています。一方、「市街部で建物の全壊被害はほとんど出なかった」点は申し訳ありませんが明記をし損ねていました。この出典は福岡市の西方沖地震記録誌の8ページです。これらを確認して頂ければ、独自研究ではないことがお分かり頂けると思います。ただ、考えてみると、冒頭に書くべきことでもないか、と思い直すところがあったので、復帰は必要ないと考えています。
- さて、そのほかの記述については、私が出典をつぶさに確認しながら加筆していますし、中立的な観点に沿っているか等は良質な記事や秀逸な記事の選考過程でも検証されているはずです。ただ、万が一はありえますから、独自研究などの問題を発見されたなら、具体的にどの記述かをお示しください。対応の用意はあります。ちなみに、あのタイミングで大量加筆をしたのは、かねてから地震記事の秀逸選出を目指していたのと、10年目を前にした戒めになればという願いからですので、あしからず。--Peka(会話) 2016年5月20日 (金) 10:34 (UTC)
問題の2015年2月16日以降の編集の後に秀逸な記事に選ばれていることを鑑み、冒頭の独自研究テンプレートは除去しました。再度独自研究の疑われる記述を指摘する場合は、具体的にどの箇所なのか明示をお願いします。--Henlly2016年6月26日 (日) 04:05 (UTC)