久保田町
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くぼたちょう 久保田町 | |||||
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廃止日 | 2007年10月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 川副町・東与賀町・久保田町→佐賀市 | ||||
現在の自治体 | 佐賀市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 佐賀県 | ||||
郡 | 佐賀郡 | ||||
市町村コード | 41304-6 | ||||
面積 | 14.39 km2 | ||||
総人口 |
8,254人 (推計人口、2007年9月1日) | ||||
隣接自治体 | 佐賀市・小城市 | ||||
町の木 | キンモクセイ | ||||
町の花 | キンモクセイ | ||||
久保田町役場 | |||||
所在地 |
〒849-0203 佐賀県佐賀郡久保田町大字新田1109番地1号 | ||||
外部リンク | 久保田町 - ウェイバックマシン | ||||
座標 | 北緯33度14分01秒 東経130度14分23秒 / 北緯33.23353度 東経130.23972度座標: 北緯33度14分01秒 東経130度14分23秒 / 北緯33.23353度 東経130.23972度 | ||||
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ウィキプロジェクト |
久保田町(くぼたちょう)は、かつて佐賀県の南部にあった町。佐賀郡に属していた。
地理
[編集]東の嘉瀬川、西の福所江川にはさまれ、南北に長い形をしている。町域全体が佐賀平野(筑紫平野)に含まれ、標高は低く平坦である。南は有明海に面し、町の南部は近世以降に陸地となった所である。
- 河川: 嘉瀬川、福所江川
隣接していた市町村
[編集]歴史
[編集]近現代
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制度施行により、久保田村・徳万村・新田村・久富村が合併して久保田村が発足。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 芦刈村の一部を編入。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 町制施行し久保田町にとなる。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 東与賀町・川副町とともに佐賀市に編入される。同日久保田町廃止。
字の変遷
[編集]1868年(明治初年)時点[1] | 1889年 - | 1967年 - | 2005年 - | ||||||
佐賀郡 | 久保田村 | 佐賀郡 | 久保田村 | 大字久保田 | 佐賀郡 | 久保田町 | 同左 | 佐賀市 | 久保田町大字久保田 |
新田村 | 大字新田 | 久保田町大字新田 | |||||||
徳万村 | 大字徳万 | 久保田町大字徳万 | |||||||
久富村 | 大字久富 | 久保田町大字久富 | |||||||
― | 大字江戸[注 1] | 久保田町大字江戸 |
行政
[編集]産業
[編集]佐賀平野地域に多く見られる、クリークにより導水した水田における稲作およびその裏作の大麦栽培が主産業で、有明海沿岸地域であり海苔の養殖も盛んである。
工場を置く主な企業
[編集]- 王子マテリア佐賀工場
- タイラ工業(2010年5月にみやき工場に全面移転 久保田工場は閉鎖)
教育
[編集]小中学校
[編集]※校名の由来は、江戸時代に現在の町域にあった学問所「思斉館」から。
交通
[編集]- 最寄り空港は佐賀空港。
鉄道
[編集]バス路線
[編集]一般路線バス
[編集]道路
[編集]高速道路なし(最寄りインターチェンジは長崎自動車道佐賀大和インターチェンジ)
一般国道
[編集]県道
[編集]- 主要地方道
- 一般県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]外部リンク
[編集]- 久保田町 - ウェイバックマシン(公式サイト)
- 久保田町ホームページ(2007/09/26アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
国土地理院地図閲覧サービス の久保田町内の地図 |
小城(南東) |
牛津(北東) |
牛津(南東) |