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「首都高速神奈川3号狩場線」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
[[横浜港]]や横浜市中心部より発生する交通をさばく放射状路線として、狩場インターチェンジを介して[[横浜新道]]で[[湘南]]方面、保土ヶ谷バイパスで[[東名高速道路]]や[[相模原市]]・[[多摩]]方面、[[横浜横須賀道路]](計画時は南横浜バイパスと称していた)で[[三浦半島]]方面を結ぶとともに、[[首都高速神奈川1号横羽線|首都高速横羽線]]と接続して東京方面を連絡する路線として計画され、[[1970年]][[11月2日]]に「[[横浜国際港都建設法|横浜国際港都建設計画道路]]第3号中央線(1972年3月10日に、「横浜国際港都建設計画道路1.4.3中央線」に変更)」の名称で都市計画が決定され<ref>『工事誌』p8</ref>、[[1971年]][[11月8日]]に工事開始の告示がなされた<ref>『工事誌』p11</ref>。丘陵部および中村川筋の池下橋(掘割川の分流地点上流側、阪東橋出入り口付近)より上流は順次着工されたが、久良岐橋(同分流地点下流側)から亀の橋([[石川町駅]]付近)は強い反対運動があり長い間着手できずにいた。石川町JCTと新山下出入口の間は[[1978年]]に着工し、[[1984年]][[2月2日]]に横羽線の横浜公園出入口-石川町JCTとともに開通した。1984年春に地元への説得が実を結び、[[1987年]]2月に全面着工に至った<ref>『工事誌』p98</ref>。施工にあたっては[[電波障害]]対策の[[共同受信施設]]の設置や墓地移転補償、[[日照権]]補償などの地元対応がとられたが、本道特有の問題として係留船舶の移動や[[沈没|沈船]]処理の必要が生じた<ref>『工事誌』p248-251</ref>。[[1989年]][[9月27日]]に新山下出入口から本牧JCT、[[首都高速湾岸線|湾岸線]][[大黒ジャンクション|大黒JCT]]を経由して[[首都高速神奈川5号大黒線|大黒線]][[生麦ジャンクション|生麦JCT]]の間が開通、次いで[[1990年]][[3月20日]]に、着工から20年の歳月を経て狩場JCT-石川町JCTの間が開通した。全線開通に先立ち、3月11日に阪東橋出入口と永田出入口の間を開放して「ハイウェイ・フェスティバル」を開催。高速道路を双六に見立てたゲームや未来の高速道路をテーマにした児童の絵画の展示、地元の社会福祉協議会による屋台、フリーマーケットなどが行われ、晴天の下、主催者予想の4倍の来場者が訪れた<ref>『工事誌』p281</ref>。
* [[1984年]][[2月2日]] : 石川町JCT-新山下出入口

* [[1989年]][[9月27日]] : 新山下出入口-本牧JCT
== 構造 ==
* [[1990年]][[3月20日]] : 狩場JCT-石川町JCT
[[中区 (横浜市)|中区]][[山下町 (横浜市)|山下町]]から[[南区 (横浜市)|南区]][[南太田 (横浜市)|南太田]]二丁目にかけての平地部と、南太田二丁目から[[保土ケ谷区]][[狩場町]]にかけての丘陵部に大別できる<ref name="koji002">『工事誌』p2-3</ref>。石川町JCT内のランプウェイを除き上下線各2車線、最小曲線半径は200mで設計速度は60[[キロメートル毎時|km/h]]である<ref>『工事誌』p15</ref>。

=== 平地部 ===
平地部はすべて[[高架]]構造であり、大半の区間は[[中村川 (横浜市)|中村川]]上空を通過する。着工前の川幅は27~28mほどあったが、本道路建設と同時に施工された護岸改修により22mに縮小し、橋脚敷を確保した<ref>『工事誌』p13</ref>。中村川には[[関東大震災]]で被災し[[大正]]から[[昭和]]初期にかけて復旧された橋が十数本あったが、建設省や横浜市から受託し架け替えられた<ref name="koji002"/>。沿道は市街化が進んでおり、中村川左岸にあたる上り線側の[[用途地域]]は[[商業地域]]、右岸は[[近隣商業地域]]で低層住宅が密集しているうえに、右岸側後方120~200mにある高さ50mの崖からの反射音も懸念された。[[横浜市立大学附属市民総合医療センター|横浜市立大学病院]]や[[横浜市立中村特別支援学校]]をはじめ特に静穏を必要とする施設も隣接していることから騒音対策への配慮が求められた。この区間は概ね東西に構築されており、[[日照阻害]]を防ぐため、[[遮音壁|防音壁]]は極力低く抑える必要がある。そこで、[[新幹線]]などで採用実績があり、1.5mの従来型防音壁と同等の効果が得られる干渉型防音壁と、高架橋の二層構造部分では上層部下面に吸音板が設置された<ref>『工事誌』p49-55</ref>。

石川町JCTから山下町出口側は堀川筋高架橋、花之木出入口側は中村川筋高架橋と呼ばれ<ref>『工事誌』p97</ref>、このうち堀川筋高架橋は[[1983年]]に[[土木学会田中賞]]を受賞している<ref>[https://www.jsce.or.jp/prize/prize_list/p1983.shtml#s07k 昭和58年度土木学会賞受賞一覧]([[土木学会]])</ref>
=== 丘陵部 ===
[[南太田駅]]付近で[[京急本線|京浜急行]]の線路を越えてから狩場ICにかけての約3.4Kmは標高40~60mの丘陵地帯で、[[切土]]構造とU字谷を渡る中小規模の橋梁で構成される。一帯は住宅地であり、車道端から両側20mの幅で環境施設帯が設けられている。切土部は走行車両の側方空間を確保し、かつ開口部を狭めて周辺への騒音を抑制することを目的として、壁面に1:0.5の勾配をつけ、頭部に張り出し床板を設けた鉄筋コンクリート製の「もたれ[[擁壁]]」が採用された<ref>『工事誌』p133</ref>。用地の制約上、沿道の随所に高い擁壁が生じたが、圧迫感を緩和するため「割石布積み模様」の化粧型枠が使われた<ref>『工事誌』p153</ref>。南太田二丁目から[[清水ケ丘]]にかけての谷部の架橋にあたっては[[ラーメン橋 (橋梁形式)|ラーメン橋]]や[[桁橋]]も検討されたが、景観への配慮と地質上の理由から長さ75mのRC[[アーチ橋]]で建設され、下部には児童公園が設けられた<ref>『工事誌』p162-171</ref>。

切土を横断する橋は16本ある<ref name="koji187">『工事誌』p187-189</ref>。[[瀬戸ケ谷町]]近辺は乱開発により公園等が少ないことから、つつじ橋、紫陽花橋、菫橋等は公団と市の共同負担で、工事用の仮設桟橋に代え恒久的な幅員の広い橋が架けられ、橋幅の一部は広場として開放された<ref>『工事誌』p207,240</ref>。[[清水ケ丘公園]]および狩場料金所の下り線側の瀬戸ケ谷公園は本線上部に蓋が架けられ、その上は公園として利用されている<ref>『工事誌』p159,208,240</ref>。切土の上を通る弥生橋の上り線側に「波とカモメ」、下り線側に「木と風」をイメージしたレリーフが、永田出入口のトンネル上部には犬と兎をイメージした鋳鉄製パネルが飾られている<ref>『工事誌』p202-205</ref>。防音壁は、本線側は[[白|シルキーホワイト]]地に圧迫感を軽減するため[[緑]]のラインを入れた。道路外側は[[クリーム色|コンコードクリーム]]地に本線側より淡いスプルースグリーンのラインを入れ、一部区間はドライバーへのサービスとして[[ポリカーボネート]]製の透光板を採り入れた<ref>『工事誌』p200-201</ref>。

狩場料金所付近の地下には[[過積載]]車両を退出させるため、上り線から下り線に向けた[[Uターン]]路が設けられている<ref>『工事誌』p156</ref>。永田-花之木間上り線の[[清水ケ丘公園]]付近には[[融雪剤]]貯蔵庫や付帯駐車スペースからなる管理施設が置かれている<ref name="koji187"/>。

植栽設計は丘陵部を4つのゾーンに分け、京浜急行交差部から清水ヶ丘アーチ橋は「月のゾーン」として[[ヤブツバキ]]や[[サザンカ]]、清水ケ丘公園から山の手高架橋の間は「風のゾーン」として香りのよい[[キンモクセイ]]、[[ジンチョウゲ]]や[[ライラック]]、既存林が比較的残されている山の手高架橋から永田高架橋の間は「鳥のゾーン」として[[アオキ (植物)|アオキ]]や[[ガマズミ]]など誘鳥木が多く植えられた。永田高架橋から狩場ICにかけては料金所やジャンクションのランプウェイなど人工物が多く、「花のゾーン」として[[サクラ]]を中心に緑化が行われた<ref>『工事誌』p187-189</ref>。


== 首都高速ラジオ ==
== 首都高速ラジオ ==
2006年に廃止されるまで放送されていた首都高速ラジオの放送場所
2006年に廃止されるまで放送されていた[[路側放送|首都高速ラジオ]]の放送場所
*狩場(狩場料金所-永田出入口)
*狩場(狩場料金所-永田出入口)

== ギャラリー ==
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File:Shutoko K3.JPG|花之木-永田間奥が狩場方面。全区間、上下各2車線である。
File:Shutoko K3,Shimizugaoka bridge.JPG |清水ヶ丘アーチ橋。防音壁の一部に透光板が使われている。
File:Shutoko K3,Nagata02.JPG|永田付近。右側に、傾斜をつけた「もたれ擁壁」がみられる。
File:Shutoko K3,Nagata01.JPG|永田出入口。化粧型枠を使用したコンクリート壁と鋳鉄製パネルでデザインされている。
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== 交通量 ==
== 交通量 ==
平日24時間交通量([[2005年|平成17年]]度道路交通センサス)
平日24時間交通量([[2005年|平成17年]]度[[道路交通センサス]]
* 横浜市保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町 : 71,600
* 横浜市保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町 : 71,600
平日24時間交通量([[2010年|平成22年]]度道路交通センサス)

* 狩場JCT-永田間 : 67,448<ref>{{PDFlink|[http://www.mlit.go.jp/road/census/h22-1/data/pdf/kasyo14.pdf 平成22年度道路交通センサス 一般交通量調査 箇所別基本表]}}</ref>
[[ファイル:Shutoko K3.JPG|thumb|花之木-永田間奥が狩場方面。]]


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[首都高速道路]]
* [[首都高速道路]]
* [[関東地方の道路一覧]]
* [[関東地方の道路一覧]]

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
|author = 首都高速道路公団神奈川建設局
|year = 1990-09
|title = 高速神奈川3号狩場線 高速湾岸線 高速神奈川5号大黒線工事誌
}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Route K3 (Shuto Expressway)}}
{{Commons|Category:Route K3 (Shuto Expressway)}}
* [http://www.shutoko.jp/ 首都高速道路株式会社]
* [http://www.shutoko.jp/ 首都高速道路株式会社]
* [http://www.shutoko-kanagawa.jp/ 首都高速道路株式会社神奈川管理局]
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2015年3月4日 (水) 08:54時点における版

首都高速道路
首都高速K3号標識
首都高速神奈川3号狩場線
神奈川県道147号
横浜市道高速2号線
地図
首都高速道路(赤線)及び周辺高速道路・有料道路のルート図。南部のK3が神奈川3号狩場線。
路線延長 8.6 km
開通年 1984年
起点 神奈川県横浜市中区
主な
経由都市
神奈川県横浜市南区
終点 神奈川県横浜市保土ケ谷区
接続する
主な道路
記法
首都高速湾岸線
首都高速神奈川1号横羽線
横浜横須賀道路
横浜新道
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
首都高速K3号標識

首都高速神奈川3号狩場線(しゅとこうそくかながわ3ごうかりばせん)は、神奈川県横浜市の、中区本牧JCTから保土ケ谷区狩場ICへ至る、首都高速道路路線である。

本牧JCT-石川町JCTは神奈川県道147号高速横浜羽田空港線、石川町JCT-狩場ICは横浜市道高速2号線

路線番号

K3

出入口など

出入口番号 施設名 接続路線名 起点から
(km)
備考
- 本牧JCT. (B)湾岸線 0.0
351 新山下出入口 山下公園中華街元町方面 湾岸線・羽田方面出入口
幸浦杉田方面は行けない
352 本牧ふ頭・中華街・元町方面 1.5 横浜駅東口方面出入口
354 山下町出口 山下公園・中華街・元町方面 1.5 横浜駅東口方面からの出口
狩場線からは利用できない
353 石川町入口 2.3 湾岸線方面への入口
- 石川町JCT. (K1)横羽線 第三京浜横浜駅東口方面
356 阪東橋出入口 横浜市道幹第6号線
横浜市道9,10整理地区方面第16号線
関内駅・市庁方面)
4.5 永田・横浜横須賀道路方面出入口
357 花之木出入口 弥生台桜木町線(入口)
横浜市道幹第6号線(出口)
5.1 湾岸線・羽田方面出入口
359 永田出入口 保土ヶ谷宮元線 6.5 湾岸線・羽田方面出入口
- 狩場本線料金所 -
- 狩場JCT. 横浜新道/横浜横須賀道路 8.6

歴史

横浜港や横浜市中心部より発生する交通をさばく放射状路線として、狩場インターチェンジを介して横浜新道湘南方面、保土ヶ谷バイパスで東名高速道路相模原市多摩方面、横浜横須賀道路(計画時は南横浜バイパスと称していた)で三浦半島方面を結ぶとともに、首都高速横羽線と接続して東京方面を連絡する路線として計画され、1970年11月2日に「横浜国際港都建設計画道路第3号中央線(1972年3月10日に、「横浜国際港都建設計画道路1.4.3中央線」に変更)」の名称で都市計画が決定され[1]1971年11月8日に工事開始の告示がなされた[2]。丘陵部および中村川筋の池下橋(掘割川の分流地点上流側、阪東橋出入り口付近)より上流は順次着工されたが、久良岐橋(同分流地点下流側)から亀の橋(石川町駅付近)は強い反対運動があり長い間着手できずにいた。石川町JCTと新山下出入口の間は1978年に着工し、1984年2月2日に横羽線の横浜公園出入口-石川町JCTとともに開通した。1984年春に地元への説得が実を結び、1987年2月に全面着工に至った[3]。施工にあたっては電波障害対策の共同受信施設の設置や墓地移転補償、日照権補償などの地元対応がとられたが、本道特有の問題として係留船舶の移動や沈船処理の必要が生じた[4]1989年9月27日に新山下出入口から本牧JCT、湾岸線大黒JCTを経由して大黒線生麦JCTの間が開通、次いで1990年3月20日に、着工から20年の歳月を経て狩場JCT-石川町JCTの間が開通した。全線開通に先立ち、3月11日に阪東橋出入口と永田出入口の間を開放して「ハイウェイ・フェスティバル」を開催。高速道路を双六に見立てたゲームや未来の高速道路をテーマにした児童の絵画の展示、地元の社会福祉協議会による屋台、フリーマーケットなどが行われ、晴天の下、主催者予想の4倍の来場者が訪れた[5]

構造

中区山下町から南区南太田二丁目にかけての平地部と、南太田二丁目から保土ケ谷区狩場町にかけての丘陵部に大別できる[6]。石川町JCT内のランプウェイを除き上下線各2車線、最小曲線半径は200mで設計速度は60km/hである[7]

平地部

平地部はすべて高架構造であり、大半の区間は中村川上空を通過する。着工前の川幅は27~28mほどあったが、本道路建設と同時に施工された護岸改修により22mに縮小し、橋脚敷を確保した[8]。中村川には関東大震災で被災し大正から昭和初期にかけて復旧された橋が十数本あったが、建設省や横浜市から受託し架け替えられた[6]。沿道は市街化が進んでおり、中村川左岸にあたる上り線側の用途地域商業地域、右岸は近隣商業地域で低層住宅が密集しているうえに、右岸側後方120~200mにある高さ50mの崖からの反射音も懸念された。横浜市立大学病院横浜市立中村特別支援学校をはじめ特に静穏を必要とする施設も隣接していることから騒音対策への配慮が求められた。この区間は概ね東西に構築されており、日照阻害を防ぐため、防音壁は極力低く抑える必要がある。そこで、新幹線などで採用実績があり、1.5mの従来型防音壁と同等の効果が得られる干渉型防音壁と、高架橋の二層構造部分では上層部下面に吸音板が設置された[9]

石川町JCTから山下町出口側は堀川筋高架橋、花之木出入口側は中村川筋高架橋と呼ばれ[10]、このうち堀川筋高架橋は1983年土木学会田中賞を受賞している[11]

丘陵部

南太田駅付近で京浜急行の線路を越えてから狩場ICにかけての約3.4Kmは標高40~60mの丘陵地帯で、切土構造とU字谷を渡る中小規模の橋梁で構成される。一帯は住宅地であり、車道端から両側20mの幅で環境施設帯が設けられている。切土部は走行車両の側方空間を確保し、かつ開口部を狭めて周辺への騒音を抑制することを目的として、壁面に1:0.5の勾配をつけ、頭部に張り出し床板を設けた鉄筋コンクリート製の「もたれ擁壁」が採用された[12]。用地の制約上、沿道の随所に高い擁壁が生じたが、圧迫感を緩和するため「割石布積み模様」の化粧型枠が使われた[13]。南太田二丁目から清水ケ丘にかけての谷部の架橋にあたってはラーメン橋桁橋も検討されたが、景観への配慮と地質上の理由から長さ75mのRCアーチ橋で建設され、下部には児童公園が設けられた[14]

切土を横断する橋は16本ある[15]瀬戸ケ谷町近辺は乱開発により公園等が少ないことから、つつじ橋、紫陽花橋、菫橋等は公団と市の共同負担で、工事用の仮設桟橋に代え恒久的な幅員の広い橋が架けられ、橋幅の一部は広場として開放された[16]清水ケ丘公園および狩場料金所の下り線側の瀬戸ケ谷公園は本線上部に蓋が架けられ、その上は公園として利用されている[17]。切土の上を通る弥生橋の上り線側に「波とカモメ」、下り線側に「木と風」をイメージしたレリーフが、永田出入口のトンネル上部には犬と兎をイメージした鋳鉄製パネルが飾られている[18]。防音壁は、本線側はシルキーホワイト地に圧迫感を軽減するためのラインを入れた。道路外側はコンコードクリーム地に本線側より淡いスプルースグリーンのラインを入れ、一部区間はドライバーへのサービスとしてポリカーボネート製の透光板を採り入れた[19]

狩場料金所付近の地下には過積載車両を退出させるため、上り線から下り線に向けたUターン路が設けられている[20]。永田-花之木間上り線の清水ケ丘公園付近には融雪剤貯蔵庫や付帯駐車スペースからなる管理施設が置かれている[15]

植栽設計は丘陵部を4つのゾーンに分け、京浜急行交差部から清水ヶ丘アーチ橋は「月のゾーン」としてヤブツバキサザンカ、清水ケ丘公園から山の手高架橋の間は「風のゾーン」として香りのよいキンモクセイジンチョウゲライラック、既存林が比較的残されている山の手高架橋から永田高架橋の間は「鳥のゾーン」としてアオキガマズミなど誘鳥木が多く植えられた。永田高架橋から狩場ICにかけては料金所やジャンクションのランプウェイなど人工物が多く、「花のゾーン」としてサクラを中心に緑化が行われた[21]

首都高速ラジオ

2006年に廃止されるまで放送されていた首都高速ラジオの放送場所

  • 狩場(狩場料金所-永田出入口)

ギャラリー

交通量

平日24時間交通量(平成17年道路交通センサス

  • 横浜市保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町 : 71,600

平日24時間交通量(平成22年度道路交通センサス)

  • 狩場JCT-永田間 : 67,448[22]

関連項目

脚注

  1. ^ 『工事誌』p8
  2. ^ 『工事誌』p11
  3. ^ 『工事誌』p98
  4. ^ 『工事誌』p248-251
  5. ^ 『工事誌』p281
  6. ^ a b 『工事誌』p2-3
  7. ^ 『工事誌』p15
  8. ^ 『工事誌』p13
  9. ^ 『工事誌』p49-55
  10. ^ 『工事誌』p97
  11. ^ 昭和58年度土木学会賞受賞一覧土木学会
  12. ^ 『工事誌』p133
  13. ^ 『工事誌』p153
  14. ^ 『工事誌』p162-171
  15. ^ a b 『工事誌』p187-189
  16. ^ 『工事誌』p207,240
  17. ^ 『工事誌』p159,208,240
  18. ^ 『工事誌』p202-205
  19. ^ 『工事誌』p200-201
  20. ^ 『工事誌』p156
  21. ^ 『工事誌』p187-189
  22. ^ 平成22年度道路交通センサス 一般交通量調査 箇所別基本表 (PDF)

参考文献

  • 首都高速道路公団神奈川建設局『高速神奈川3号狩場線 高速湾岸線 高速神奈川5号大黒線工事誌』1990年9月。 

外部リンク