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|原語表記=Sport Lisboa e Benfica
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|愛称=Encarnados(赤)<br />Águias(ワシ)<br />Benfiquistas(ベンフィキスタス)<br />Glorioso(栄光のクラブ)
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'''スポルト・リスボン・イ・ベンフィカ'''('''Sport Lisboa e Benfica''')は、[[ポルトガル]]・[[リスボン]]に本拠地を置く総合[[クラブチーム|スポーツクラブ]]。特に[[サッカー]]チームが有名であるため、この項ではサッカーチームを中心に記述する。
[[ファイル:Águia.jpg|220px|thumb|right|ベンフィカのエンブレム]]
[[ファイル:Estádio da Luz 2005 (3).jpg|220px|thumb|right|本拠地・[[エスタディオ・ダ・ルス]]]]


1904年2月28日創設<ref name="FIFA.com Classic Club">{{cite news |url=http://www.fifa.com/classicfootball/clubs/club=31093/index.html |title=CLUBS Benfica |work=FIFA.com | date= |accessdate=2013-04-12}}</ref>。[[FCポルト]]、[[スポルティング・リスボン|スポルティングCP]]とともに、ポルトガルサッカーにおけるビッグ3(トレス・グランデス)のひとつに数えられる<ref>鰐部(2012) 14頁</ref>。65,647人収容の[[エスタディオ・ダ・ルス]]をホームスタジアムとしている。ヨーロッパの多くのクラブとは異なり、クラブ創設以来ずっとソシオ(ファンクラブ会員)がクラブを所有して運営している。[[ギネス世界記録|ギネス・ワールド・レコーズ]]の調査によると、世界でもっとも多くのファンを持つサッカークラブであり<ref name="guinnessworldrecords.com">{{cite news |url=http://www.guinnessworldrecords.com/records-2000/most-widely-supported-football-club |title=Most widely supported football club|work=Guinness World Records|publisher= | date=9 November 2006 |accessdate=5 January 2013}}</ref>、2013年の[[デロイト・フットボール・マネー・リーグ]]によると、世界で21番目に多くの収入があるサッカークラブである<ref>{{cite web|title=Deloitte Football Money League 2013|url=http://www.deloitte.com/view/en_GB/uk/industries/sportsbusinessgroup/sports/football/deloitte-football-money-league/c0d0cc64dac5c310VgnVCM3000003456f70aRCRD.htm|work=Delloite|accessdate=24 January 2013|date=January 2013}}</ref>。2009年に[[国際サッカー歴史統計連盟]](IFFHS)が発表した「20世紀最高のクラブ」ランキングでは第9位にランクインした<ref>{{cite web|title=IFFHS、マドリーを20世紀最高の欧州クラブに選定 |url=http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2009/09/11/1493055/%EF%BD%89%EF%BD%86%EF%BD%86%EF%BD%88%EF%BD%93%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%92%EF%BC%92%EF%BC%90%E4%B8%96%E7%B4%80%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%81%AE%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96%E3%81%AB%E9%81%B8%E5%AE%9A |work=Goal.com |accessdate=2013-04-12|date=2009-09-11}}</ref>。毎年夏のプレシーズンに[[エウゼビオ・カップ]]という親善大会を主催している。
'''スポルト・リスボア・イ・ベンフィカ'''('''Sport Lisboa e Benfica''')は、[[ポルトガル]]・[[リスボン]]に本拠地を置く総合[[クラブチーム|スポーツクラブ]]。その名は特に[[サッカー]]によって知られており、[[FCポルト]]、[[スポルティング・リスボン]]とともにポルトガル3強の一角を占める。


[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]創設時(1934年)のメンバーに名を連ね、それ以来2部リーグに降格したことがない。プリメイラ・リーガでは32回、[[タッサ・デ・ポルトガル]]では24回、[[タッサ・ダ・リーガ]]では4回優勝しており、これらはいずれもポルトガル最多である。[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]]では4回、[[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]]では3回優勝している。リーグ戦とカップ戦の2冠(ダブル)は9回達成している。1972-73シーズンにはポルトガルで初めてシーズン(30試合)無敗を達成し、1977-78シーズンには2度目のシーズン無敗を達成した。国際舞台に目を向けると、[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]で1960-61シーズンと1961-62シーズンに優勝しており、同大会で2連覇したことのあるポルトガル唯一のクラブである。同大会では1964-65シーズン、1967-68シーズン、1987-88シーズン、1989-90シーズンに準優勝しており、[[UEFAカップ]]では1982-83シーズンに準優勝している。欧州カップ戦の決勝出場回数(8回)はポルトガル最多である。1950年には[[ラテン・カップ]]でも優勝している。1961年と1962年の[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]では準優勝している。
ポルトガルの総人口1070万人のうち約600万人がベンフィカのファンだと言われるほど、ポルトガル国内では人気が高い<ref name="WSD">ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2010年3月18日号、95頁</ref>。全世界に20万人の[[ソシオ (サッカー)|ソシオ]](ファンクラブ会員)がおり、世界最多のソシオ数を持つクラブとしてギネスブックに認定されている<ref name="WSD"></ref>。


== 歴史 ==
== 歴史 ==
=== 黎明期(1904年-1934年) ===
1904年創立の'''スポルト・リスボア''' (''Sport Lisboa'') と、1906年創立の'''スポルト・クルーベ・ベンフィカ''' (''Sport Clube Benfica'') が1908年に合併して現在の形となった。
[[File:Benfica1904.jpg|thumb|right|250px|前身クラブであるスポルト・リスボンの選手]]


1904年2月28日、リスボンの南西部にある[[サンタマリア・デ・ベレン|ベレン]]地区のフランコ薬局で大学卒業生らによる集会が行なわれ、'''スポルト・リスボン'''という名称のサッカークラブの設立が話し合われた。この集会には24人が参加し、共同設立者のひとりとなる18歳のコスメ・ダミオンも参加していた。集会中にはジョゼ・ロサ・ロドリゲスの初代会長就任が決定し、その補佐にダニエル・ブリト、会計にManuel Gourlade(後に初代監督となる)の就任が決定した。この集会ではさらに、赤色と白色をクラブカラーとすること、鷲をエンブレムに用いること、「E Pluribus Unum」(ラテン語、Out of many, oneという意味)というモットーを掲げることも決定した。創設初期はスポーツ面で成功を収めたが、マネジメント面では稚拙さを露呈し、1907年にはトップチームの何人かの選手が、金銭面の待遇の良い[[スポルティング・リスボン|スポルティングCP]]に移籍した。19世紀末のサッカーはまだ裕福な人々によって行なわれていたスポーツだったため、設立当初のメンバーには良家の子息が多く、医者、画家、建築家、教員などが名を連ねていた<ref name="市之瀬79-86頁">市之瀬(2001) 79-86頁「ベンフィカとスポルティングの誕生」</ref>。
ポルトガルで全国大会が実施された最初期より多くのタイトルを収集し、リーグ戦とカップ戦の双方で国内最多の優勝回数を誇る。その輝かしい歴史の中でも特に1960年代は最良の10年間であった。この時代、ベンフィカは国内リーグを8回制し、[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]で5回決勝に進出、内2回に優勝している。


1906年7月26日にはベンフィカ地区に'''グルポ・スポルト・ベンフィカ'''が設立されており、1908年9月13日、スポルト・リスボンはグルポ・スポルト・ベンフィカを吸収合併して'''スポルト・リスボン・イ・ベンフィカ'''(SLベンフィカ)となった。スポルト・リスボンからはクラブカラー(赤色と白色)・モットーがSLベンフィカに引き継がれ、グルポ・スポルト・リスボンからはグラウンド(カンポ・ダ・フェイテイラ)・主要な経営陣・クラブハウスがSLベンフィカに引き継がれた。グルポ・スポルト・ベンフィカでもっとも重要な競技チームは自転車競技チームであり、スポルト・リスボンの鷲のエンブレムに自転車のホイールが付け加えられてSLベンフィカのエンブレムとなった<ref name="市之瀬79-86頁"/>。
ハンガリー人の名将[[ベーラ・グットマン]]に率いられたチームは[[UEFAチャンピオンズカップ 1960-61|1960-61シーズン]]と[[UEFAチャンピオンズカップ 1961-62|1961-62シーズン]]のUEFAチャンピオンズカップを2年連続で制した。2回目の優勝時にはモザンビーク出身のストライカー“黒豹”[[エウゼビオ]]の活躍がチームに勝利を呼び寄せた。


ベンフィカは市南西部のベレン地区から市北部のベンフィカ地区に移転したが、グラウンドの賃貸契約が問題として残った。1913年にはカンポ・デ・セテ・リオスに移転したが、セテ・リオスの賃貸料が高額だったため、わずか4年後にはカンポ・デ・ベンフィカへの移転を余儀なくされ、1925年にはエスタディオ・ダス・アモレイラスを建設した。全国リーグ開始前のポルトガルでは[[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]](現在のタッサ・デ・ポルトガル)が国内最高峰のサッカー大会とされており、ベンフィカは1929-30シーズンに同大会初優勝を飾った。サッカーチームと並行して、ローラーホッケーチーム、ラグビーチーム、バスケットボールチーム、ハンドボールチーム、ビリヤードチーム、バレーボールチームも設立された。
ベンフィカはその後もチャンピオンズカップ決勝に実に5回(1962-63、1964-65、1967-68、1987-88、1989-90)、[[UEFAカップ]]決勝にも1回(1982-83)進出したが、いずれも敗れている。


=== 発達期(1934年-1940年代) ===
1970-71シーズンにはリーグ戦29連勝を記録した。これは欧州のサッカーリーグにおけるリーグ最多連勝記録である。
1934年にポルトガルの全国リーグ([[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]])が開始されると、第1回大会の1934-35シーズンは優勝を逃したが、続く3シーズン(1935-36、36-37、37-38)に優勝した<ref>市之瀬(2001) 90-95頁「大衆スポーツへの脱皮」</ref>。1940年には[[タッサ・デ・ポルトガル]]で初優勝し、1941年にはエスタディオ・ド・カンポ・グランデに移転した。1940年代には、プリメイラ・ジヴィゾン<ref group="注釈">1938年にプリメイラ・リーガから名称変更</ref>で3回(1941-42、42-43、44-45)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで4回(1939-40、42-43、43-44、47-48)優勝。この時期までに、クラブでもっとも重要な競技チームは疑うことなくサッカーチームとなった。1945-46シーズンには[[CFベレネンセス]]がリーグ戦初優勝を遂げ、ビッグ3以外で初のポルトガル王者に輝いた<ref name="市之瀬96-103頁">市之瀬(2001) 96-103頁「プロ・サッカーの定着」</ref>。ベレネンセスはベンフィカ、スポルティングに次ぐリスボン第3のクラブであり、1919年に設立されている。1940年代後半から1950年代前半にかけてはスポルティングの黄金期であり、1946-47シーズンから3連覇、1950-51シーズンから4連覇しているが、間の1949-50シーズンにはベンフィカがスポルティングのタイトル獲得を阻止した<ref name="市之瀬96-103頁"/>。1949年5月3日には[[セリエA (サッカー)|セリエA]]5連覇中で「グランデ・トリノ」と称されていた[[トリノFC]](イタリア)を招いて親善試合を行なったが、イタリアに帰国途中の飛行機が墜落して乗客全員が死亡する事故が起こった([[スペルガの悲劇]])<ref name="市之瀬96-103頁"/>。この事故はポルトガルでも大きく報じられ、数千人のリスボン市民がイタリア大使館まで記帳に赴いたという<ref name="市之瀬96-103頁"/>。


=== 飛躍期と黄金期(1950年代–1960年代) ===
1990年代中盤以降はタイトルから遠ざかっていたが、2004-2005シーズンに久々にリーグ戦を制した。
[[File:Taça Latina SL Benfica HLA.jpg|thumb|right|200px|1950年に獲得した[[ラテン・カップ]]]]


1950年、[[エスタディオ・ナシオナル]]で[[FCジロンダン・ボルドー]](フランス)を下して[[ラテン・カップ]]を制した。ラテン・カップはスペイン、フランス、イタリア、ポルトガルの各国優勝クラブが争った大会であり、当時のヨーロッパでもっとも権威ある国際カップ戦だった。1954年にはブラジル人の[[オットー・グロリア]]監督が就任し、それまでの[[WMフォーメーション]]に代わる[[4-2-4]]フォーメーションを採用したほか、サッカーがプロスポーツであるという意識をポルトガルにもたらした<ref name="市之瀬104-109頁">市之瀬(2001) 104-109頁「そして舞台は整った」</ref>。1950年代には強豪クラブがこぞって大規模なスタジアムを建設しており、ベンフィカも1952年に[[エスタディオ・ダ・ルス (1954年)|エスタディオ・ダ・ルス]](2003年に完成した同名のスタジアムとは異なる)をオープンさせた<ref name="市之瀬104-109頁"/><ref name="FIFA.com Classic Club"/>。当初40,000人収容だったスタジアムはクラブの発展とともに増築され、1980年代にはヨーロッパ最大・世界第3位の135,000人収容まで拡張されている。1950年代後半には、ストライカーの[[ジョゼ・アグアス]]などポルトガル人選手の他に、キーパーの[[アルベルト・ダ・コスタ・ペレイラ]]や[[マリオ・コルナ]]などモザンビーク出身選手も在籍していた。1950年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで6回優勝した。
== ライバル ==
ベンフィカの最大のライバルは、同じリスボンに本拠地を置く、[[スポルティング・リスボン]]である。この2チームの対戦は[[オ・デルビー・デ・リスボア]](リスボン・ダービー)と言われている。そして、[[FCポルト]]ともライバル関係にある。1980年代からFCポルトが優勝を重ね、それによりライバル意識がどんどん高まっていった。この3チームはポルトガルのビック3と呼ばれている。


[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]では第1回大会の1955-56シーズンから1959-60シーズンまで[[レアル・マドリード]](スペイン)が5連覇していたが、レアル・マドリードの6連覇を阻んだのはベンフィカだった。1959年にはハンガリー人の[[ベーラ・グットマン]]監督が就任し、1960-61シーズンの同大会では1回戦で[[ウーイペシュトFC|ウーイペシュト・ドージャFC]](ハンガリー)、準々決勝で[[AGFオーフス]](デンマーク)、準決勝で[[SKラピード・ウィーン]](オーストリア)を破って決勝に進出。スイスの[[ベルン]]で行なわれた決勝はスペイン王者の[[FCバルセロナ]](スペイン)との対戦となり、2-2の同点から相手キーパーの[[アントニ・ラマレッツ]]がオウンゴールを記録してベンフィカの初優勝が決まった<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。1961年夏にはモザンビーク出身の[[エウゼビオ]]が本格的にチームに加わり<ref group="注釈">市之瀬(2001) 113-118頁「『黄金』の到来」によると、ポルトガルにやってきたのは1960年12月だが、契約手続きがこじれて1960-61シーズンはほとんどプレーできなかった</ref>、黒豹と呼ばれたエウゼビオ、コルナ、[[ジョゼ・アウグスト・トーレス]]などで構成される攻撃陣は抜群の破壊力を誇った。1961年9月には[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]で[[ナシオナル・モンテビデオ]](ウルグアイ)と対戦したが、プレーオフの末に敗れた。1961-62シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは1回戦で[[FKアウストリア・ウィーン]](オーストリア)、準々決勝で[[1.FCニュルンベルク]](ドイツ)、準決勝で[[トッテナム・ホットスパーFC]](イングランド)を破り、2シーズン連続で決勝に進出。オランダの[[アムステルダム]]で行なわれた決勝では、[[アルフレッド・ディ・ステファノ]]や[[プシュカーシュ・フェレンツ]]、[[ルイス・デル・ソル]]などを擁したレアル・マドリードと対戦。プシュカーシュが前半だけでハットトリックを達成し、2点差を付けられたベンフィカは劣勢だったが、4点に絡んだエウゼビオの活躍で5-3と逆転し、大会2連覇を果たした<ref>{{cite web|title=1961-62:エウゼビオの活躍でベンフィカが連覇|url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1961/overview/index.html |work=UEFA.com|accessdate=2013-04-12|date=1962-05-02}}</ref>。1962年のインターコンチネンタルカップでは[[ペレ]]を擁する[[サントスFC]](ブラジル)と対戦したが、ホーム&アウェーともに敗れて優勝を逃した。この時代のポルトガルリーグでは植民地出身選手が何人もプレーしていたが、植民地以外の外国人選手の登録は認められていなかった<ref>市之瀬(2001) 148-156頁「孤高の政治とエウゼビオ」</ref>。
==タイトル==
===国内タイトル===
* '''[[スーペル・リーガ|リーグ]]:32回'''
: 1935-36, 1936-37, 1937-38, 1941-42, 1942-43, 1944-45, 1949-50, 1954-55, 1956-57, 1959-60, 1960-61, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1975-76, 1976-77, 1980-81, 1982-83, 1983-84, 1986-87, 1988-89, 1990-91, 1993-94, 2004-05, 2009-10


1962-63シーズン、1964-65シーズン、1967-68シーズンにもUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したが、それぞれ[[ACミラン]](イタリア)<ref>{{cite web|title=1962-63:アルタフィーニの活躍でミラン初優勝 |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1962/index.html |work=UEFA.com|accessdate=2013-04-12|date=1963-05-22}}</ref>、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]](イタリア)<ref>{{cite web|title=1964-65:ジャイールの1点でインテルが連覇 |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1964/index.html |work=UEFA.com|accessdate=2013-04-12|date=1965-05-27}}</ref>、[[マンチェスター・ユナイテッドFC]](イングランド)<ref>{{cite web|title=1967-68シーズン:悲劇から10年、マンUが戴冠 |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1967/index.html |work=UEFA.com|accessdate=2013-04-12|date=1968-05-29}}</ref>に敗れて準優勝に終わっている。1960年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで8回(1959-60、60-61、62-63、63-64、64-65、66-67、67-68、68-69)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで3回(1960-61、63-64、68-69)優勝し、UEFAチャンピオンズカップで2回(1960-61、61-62)優勝した。1965年にはエウゼビオが[[バロンドール]]を獲得し、1968年には[[フランス・フットボール]]誌によってヨーロッパ最高のクラブに選出された。
* '''[[タッサ・デ・ポルトガル|ポルトガル選手権]]:3回'''
: 1929-30, 1930-31, 1934-35


=== 安定期(1970年代–1994年) ===
* '''[[タッサ・デ・ポルトガル|カップ]]:24回'''
[[File:Eusebio Benfica.JPG|thumb|right|200px|1960年代から1970年代前半に活躍した[[エウゼビオ]]]]

1970年代には欧州カップ戦での存在感がやや薄れたが、ポルトガル国内では主役の座を維持し、プリメイラ・ジヴィゾンで6回(1970-71、71-72、72-73、74-75、75-76、76-77)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで2回(1969-70、71-72)優勝した。1970年から1974年まではイングランド人の[[ジミー・ヘイガン]]監督に率いられ、ヘイガン監督指揮下で4個のタイトルを獲得した。1971-72シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準決勝に進出してヨーロッパ中から注目を浴びたが、[[アヤックス・アムステルダム|AFCアヤックス]](オランダ)に2試合合計0-1で惜しくも敗れた。1972-73シーズンのリーグ戦は30戦無敗(28勝2分)で、シーズンを丸々無敗で終えたポルトガル初のクラブとなった<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。このシーズンには23試合連続勝利の記録も樹立した。すでに選手経歴の晩年を迎えていたエウゼビオが40得点を挙げ、リーグ得点王に輝くとともに[[ヨーロッパ・ゴールデンシュー]](ヨーロッパ全体の得点王)にも輝いた。チーム全体では101得点を挙げたが、1シーズンで100得点を超えたのはクラブ史上2度目のことだった。1975年、33歳のエウゼビオはモザンビーク独立と時を同じくしてポルトガルを離れ、アメリカのクラブに移籍した<ref>市之瀬(2001) 157-161頁「激しい戦いの後に」</ref>。

1970年代後半から1980年代初頭にかけてのベンフィカは問題を抱えたが、1982年から1984年に指揮を執ったスウェーデン人の[[スヴェン・ゴラン・エリクソン]]監督の下で持ち直した。エリクソンが初めて海外のクラブの指揮を執ったのがベンフィカであり、就任時にはまだ34歳だった<ref name="市之瀬168-176頁">市之瀬(2001) 168-176頁「エリクソン監督とベンフィカ」</ref>。就任初年度となる1982-83シーズンには国内2冠を達成し、1982-83シーズンのUEFAカップでは決勝で[[RSCアンデルレヒト]](ベルギー)に敗れたものの準優勝した<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。この時期にはルスの増築工事が完成して3階席がオープンし、最大で120,000人(固定座席に限らなければ135,000人)を収容するルスはヨーロッパ最大のスタジアムとなった。1986-87シーズンには9度目のダブル(2冠)を達成したが、これが今日に至るまでの最後のダブルである。1988年から1994年には、再びUEFAチャンピオンズカップで優勝するために巨額の投資が行なわれた。1987-88シーズンと1989-90シーズンには決勝に進出したが、それぞれ[[PSVアイントホーフェン]](オランダ)<ref>{{cite web|title=1987-88シーズン:PSVがオレンジ旋風の先駆けに |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1987/index.html |work=UEFA.com|accessdate=2013-04-12|date=1988-05-25}}</ref>とミランに敗れ<ref name="FIFA.com Classic Club"/><ref>{{cite web|title=1989/90シーズン:ライカールトの1点でミランが連覇 |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1989/index.html |work=UEFA.com|accessdate=2013-04-12|date=1990-05-23}}</ref>、欧州カップ戦の決勝では6連敗となった。この時期にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回(1988-89、90-91、93-94)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで1回(1992-93)優勝した。

=== 暗黒期(1994年–2003年) ===
1980年代にはスタジアムの増設工事に加え、UEFAチャンピオンズカップでの好成績のために巨額の投資を行なったため、クラブの財政状況が悪化し始めた。明確な獲得方針がないまま移籍金を浪費して選手を乱獲したため、契約選手数は30人を超し、さらに財政状況を圧迫した。1994年から2003年までの期間はクラブの暗黒期と言ってよい。この期間中にはプリメイラ・リーガ<ref group="注釈">1999年にプリメイラ・ジヴィゾンから名称変更</ref>で優勝することはできず、獲得したトロフィーは1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガルの1個だけだった。さらに、2000-01シーズンのリーグ戦では6位、2001-02シーズンのリーグ戦では4位と、不満の残る成績が続いた。[[ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド]]会長時代には債務不履行に陥ってクラブの信用を失墜させ、ほとんど毎シーズンのように監督の解任を繰り返した。1994年から2002年の間には11人の監督が次々と入れ替わり、マリオ・ウィルソン監督は3度もベンフィカのベンチに座った。1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガル決勝では、ベンフィカサポーターが放ったロケット花火がスポルティングサポーターを直撃、死亡するという事故が起こった<ref name="市之瀬168-176頁"/>。2001年にはポルトガル史上最高額の1300万ユーロを支払って[[シモン・サブローザ]]を獲得。2000年秋には、マヌエル・ヴィラリーニョ会長が就任し、2001年4月にはクラブの株式会社化を行なった<ref name="市之瀬168-176頁"/>。2001年9月28日には新しいスタジアム(スタジアム名は旧名称と同じルス)の建設を決定し、建設には最終的に1億6200万ユーロを投じた<ref>{{cite web|title=Benfica e Barcelona assinam transferência de Simão|url=http://www.record.xl.pt/Futebol/Nacional/1a_liga/Benfica/interior.aspx?content_id=93941|work=Record.pt|accessdate=31 October 2012|language=Portuguese|date=27 June 2001}}</ref><ref>{{cite web|title=O Estádio que tinha "preço máximo fixo garantido" de 23 milhões de contos e acabou a custar 32 milhões, mas mesmo assim "custou menos do que o orçamentado".|url=http://estadio.no.sapo.pt/estadio_preco_garantido.htm|accessdate=31 October 2012|language=Portuguese}}</ref><ref>{{cite web|title=Estádio da Luz: a Catedral|url=http://www.zerozero.pt/text.php?id=5266|work=Zerozero|accessdate=31 October 2012|language=Portuguese}}</ref>。

=== 再建期(2003年-) ===
[[File:Benfica Campeão 2005 2.jpg|thumb|right|250px|31回目の優勝を飾った2004–05シーズン]]
[[File:BenficaCampeão2009-10.jpg|thumb|right|250px|32回目の優勝を飾った2009–10シーズン]]

2003年10月には新[[エスタディオ・ダ・ルス]]に移転。同時期に[[ルイス・フィリペ・ヴィエイラ]]が新会長に就任し、[[ホセ・アントニオ・カマーチョ]]監督に率いられた2003-04シーズンには、タッサ・デ・ポルトガル決勝で[[ジョゼ・モウリーニョ]]監督率いるポルトを破り、実に8年ぶりとなるトロフィーを獲得した。2004年には[[ジョバンニ・トラパットーニ]]監督が就任し、[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]]で4回目の優勝を飾って幸先よいスタートを切ると、2004-05シーズンのリーグ戦では11年ぶりに優勝した。しかし、同シーズンに[[エスタディオ・D・アフォンソ・エンリケス]]で行なわれた[[ヴィトリア・ギマランイス]]戦では、[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー代表]]フォワードの[[フェヘール・ミクローシュ]]が試合中に倒れ、病院で死亡が確認された<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。ルスには多くの人々が弔問に訪れ、ハンガリーで行なわれた埋葬にはヴィエイラ会長やキャプテンの[[ヌーノ・ゴメス]]が参列した。フェヘールが背負っていた背番号29はクラブの永久欠番となったが、ポルトガルのクラブで永久欠番を持つのはベンフィカのみである<ref name="魔力20-22頁">鰐部(2012) 20-22頁</ref>。タッサ・デ・ポルトガルでは2シーズン連続で決勝に進出したが、[[ヴィトリア・セトゥーバル]]に敗れて2連覇を逃した。なお、同大会決勝にはポルトガル[[ポルトガルの大統領|大統領]]が列席することが慣例となっているが、[[ジョルジェ・サンパイオ]]大統領(1996年-2006年に在職)は熱心なスポルティングファンであり、準決勝でベンフィカがスポルティングを下したことで決勝の列席を拒んだ<ref>鰐部(2012) 18-19頁</ref>。2005-06シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]・グループリーグではマンチェスター・U、[[ビジャレアルCF]](スペイン)、[[LOSCリール・メトロポール]](フランス)と同組となった。グループ突破のかかったマンチェスター・U戦に2-1で勝利し、ビジャレアルに次ぐグループ2位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では前回大会王者の[[リヴァプールFC]](イングランド)と顔を合わせたが、2試合合計3-0で準々決勝進出を決めた。準々決勝ではバルセロナと対戦し、結果的に優勝するクラブに2試合合計0-2で敗れた。

2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは再びマンチェスター・Uと同組となり、またもやグループ突破をかけてマンチェスター・Uと対戦したが、今度は1-3で敗れてグループリーグ敗退となった。2007-08シーズン開幕戦後には[[フェルナンド・サントス (ポルトガルのサッカー選手)|フェルナンド・サントス]]監督が解任され、カマーチョ監督がクラブと2年契約を結んでベンフィカに復帰した<ref>{{cite news |url=http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-27480220070821 |title=元スペイン代表監督カマチョ氏、ベンフィカの監督に |work=ロイター |date=2007-08-21 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦では、前年度のグループリーグでも対戦していた[[FCコペンハーゲン]](デンマーク)と顔を合わせ、ホーム&アウェーの2試合ともに勝利して本選グループリーグ出場を決めた。グループリーグではミラン、[[FCシャフタール・ドネツク]](ウクライナ)、[[セルティックFC]](スコットランド)と対戦したが、3位でグループリーグ敗退となり、UEFAカップに回った。UEFAカップではラウンド16で[[ヘタフェCF]](スペイン)に敗れ、カマーチョ監督はその数日後に辞任した。リーグ戦では[[SCブラガ]]の後塵を拝し、トップ3でのフィニッシュを逃した。

2007-08シーズン終了後にはレジェンドの[[マヌエル・ルイ・コスタ]]が現役引退し、そのままスポーツディレクターに就任<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。手始めに元[[バレンシアCF]]監督の[[キケ・サンチェス・フローレス]]を監督に招聘すると、[[ホセ・アントニオ・レジェス]]や[[パブロ・アイマール]]などの実力者獲得に尽力した<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。2008-09シーズンの[[タッサ・ダ・リーガ]]では決勝でスポルティングを破り、同大会初優勝を飾った。同シーズンのリーグ戦では3位となり、[[UEFAヨーロッパリーグ]]出場権を獲得した。2009年6月8日、監督・クラブ双方合意の上で契約を解除し、キケ・フローレス監督が退任。6月17日、元[[SCブラガ]]監督の[[ジョルジェ・ジェズス]]が監督に就任した。2009年夏には過去最大級の投資を行ない、[[ハビエル・サビオラ]]、[[ハビ・ガルシア]]、[[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]]などを獲得<ref>{{cite news |url=http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/soccer100728_1_1.html |title=「ファンタジスタは永遠に」パブロ・アイマール(ベンフィカ/アルゼンチン代表) |work=OCNスポーツ | date=2 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。[[パブロ・アイマール]]や[[アンヘル・ディ・マリア]]など既存戦力も合わさって豪華メンバーとなった。2009-10シーズンは過去最高となる1試合平均50,033人の観客を集め<ref>{{cite news |url=http://expresso.sapo.pt/benfica-e-o-10-clube-europeu-com-maiores-assistencias=f583787 |title=Benfica é o 10.º clube europeu com maiores assistências |work=Expresso |publisher= |date=19 May 2010 |accessdate=6 August 2012}}</ref>、勝利したポルト戦ではシーズン最高の58,659人を集めた。2010年3月21日、タッサ・デ・ポルトガル決勝ではポルトに3-0で快勝し、同大会2連覇を達成した。同シーズンのUEFAヨーロッパリーグ準々決勝ではリヴァプールと対戦。ルスで行なわれたファーストレグには2-1で勝利したが、[[アンフィールド]]で行なわれたセカンドレグに1-4で敗れ、2試合合計3-5で敗退が決まった<ref>{{cite news |url=http://visao.sapo.pt/benfica-eliminado-em-liverpool=f554642 |title=Benfica eliminado em Liverpool |work=Visão |publisher= |date=8 April 2010 |accessdate=6 August 2012}}</ref>。リーグ戦のホームゲームでは圧倒的な成績(14勝1分)を残し、リーグ最多得点・最少失点で32回目のリーグ優勝を決めた。UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグの出場権を獲得し<ref>{{cite news |url=http://noticias.sapo.pt/lusa/artigo/11023813.html |title=Benfica Campeão |work=Sapo Noticias |publisher= | date=9 May 2010 |accessdate=6 August 2012}}</ref>、26得点を挙げた[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]]の[[オスカル・カルドソ]]が得点王に輝いた<ref>{{cite news |url=http://www.maisfutebol.iol.pt/benfica/cardozo-liga-europa-benfica-pizarro-maisfutebol-goleadores/1162301-1456.html |title=Benfica: Cardozo foi o melhor marcador da Liga Europa |work=Mais Futebol |publisher= |date=9 May 2010 |accessdate=6 August 2012}}</ref>。

2010-11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグでは[[シャルケ04]](ドイツ)、[[オリンピック・リヨン]](フランス)、[[ハポエル・テルアビブFC]](イスラエル)と同組となり、2勝4敗の勝ち点6でグループリーグ敗退となった<ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2011/matches/round=2000118/match=2002908/postmatch/quotes/index.html |title=幸運を引き寄せたジェズス監督 |work=UEFA.com | date=2010-12-08 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。グループ3位枠でUEFAヨーロッパリーグに回ったが、UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦で[[VfBシュトゥットガルト]](ドイツ)<ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/season=2011/matches/round=2000129/match=2003796/postmatch/report/index.html#%EF%BC%91%EF%BC%96 |title=ベンフィカ、16連勝で勝ち抜け |work=UEFA.com | date=2011-02-24 |accessdate=2013-04-12}}</ref>、決勝トーナメント2回戦で[[パリ・サンジェルマンFC]](フランス)<ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/season=2011/matches/round=2000130/match=2003807/postmatch/report/index.html#%EF%BC%98 |title=ガイタンがベンフィカを8強に導く |work=UEFA.com | date=2011-03-17 |accessdate=2013-04-12}}</ref>、準々決勝でPSV<ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/season=2011/matches/round=2000131/match=2007727/postmatch/report/index.html |title=ベンフィカ、序盤の反撃に耐えて準決勝進出 |work=UEFA.com | date=2011-04-14 |accessdate=2013-04-12}}</ref>を下し、欧州カップ戦では18年ぶりに準決勝に進出した。ベスト4にはポルトガルから3クラブ(ベンフィカ、ポルト、ブラガ)が残り、ブラガと対戦した準決勝では1990年以来の欧州カップ戦出場を目指したが、2試合合計2-2(アウェーゴール差)で敗退が決まった<ref>{{cite news |url=http://www.agenciafinanceira.iol.pt/mercados/benfica-liga-europa-sporting-de-braga-braga-accoes-bolsa/1251308-1727.html |title=Benfica afunda 16,5% após eliminação |work=Agencia Financeira |publisher= |date=5 May 2011 |accessdate=6 August 2012}}</ref><ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/season=2011/matches/round=2000132/match=2007740/postmatch/report/index.html |title=ブラガ、クストディオの得点で初の決勝へ |work=UEFA.com | date=2011-05-05 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。同シーズンのタッサ・ダ・リーガ決勝では[[FCパソス・デ・フェレイラ]]を下して3連覇を達成したが<ref>{{cite news |url=http://capmagellan.sapo.pt/news_detail/632/benfica-vence-taca-da-liga/ |title=Benfica vence Taça da Liga |work=Sapo Noticias |publisher= |date=20 April 2011 |accessdate=6 August 2012}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.goal.com/jp/news/56/0E10A40F3/2011/04/25/2457439/0D90F30D50A30AB%FF13%5EA6vEE06E0EA0FC0B00AB0C30D7R36%8987 |title=ベンフィカ、3度目のリーグカップ制覇 |work=Goal.com | date=2011-04-25 |accessdate=2013-04-12}}</ref>、リーグ戦は2位に終わった。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、[[FCバーゼル]](スイス)、[[オツェルル・ガラツィ]](ルーマニア)と同組となり、3勝3分の負けなしで首位通過を決めた<ref>{{cite news |url=http://www.goal.com/jp/match/65940/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB-vs-%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89/report|title=ユナイテッド、まさかのグループリーグ敗退 |work=Goal.com | date=2011-12-08 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。決勝トーナメント1回戦では[[ゼニト・サンクトペテルブルク]](ロシア)に2試合合計4-3で勝利したが<ref>{{cite news |url=http://www.goal.com/jp/news/175/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0/2012/03/07/2950854/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB%E7%9B%A3%E7%9D%A3%EF%BC%98%E5%BC%B7%E9%80%B2%E5%87%BA%E3%81%AB%E5%A4%A7%E5%96%9C%E3%81%B3 |title=ベンフィカ監督、8強進出に大喜び |work=Goal.com | date=2012-03-07 |accessdate=2013-04-12}}</ref>、準々決勝では結果的に優勝する[[チェルシーFC]](イングランド)に敗れた<ref>{{cite news |url= http://www.jn.pt/PaginaInicial/Desporto/Interior.aspx?content_id=2403115|title=Benfica eliminado por Chelsea |work=Jornal Noticias|publisher= | date=4 April 2012 |accessdate=6 August 2012}}</ref><ref>{{cite news |url=http://www.goal.com/jp/match/78201/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%BC-vs-%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB/report |title=チェルシー、10人相手に苦戦も準決勝へ |work=Goal.com | date=2012-04-05 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。同シーズンのタッサ・ダ・リーガでは4連覇を果たしたが<ref>{{cite news |url= http://expresso.sapo.pt/benfica-vence-taca-da-liga-pela-quarta-vez=f719195|title=Benfica vence 4ª Taça da Liga |work=Expresso|publisher= | date=14 April 2012 |accessdate=6 August 2012}}</ref>、リーグ戦では再び2位に終わった。20得点を挙げたカルドソが2度目の得点王に輝いた<ref>{{cite news |url= http://sol.sapo.pt/inicio/Desporto/Interior.aspx?content_id=49232|title=Cardozo melhor marcador |work=Sol Noticias|publisher= | date=12 May 2012 |accessdate=6 August 2012}}</ref>。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではバルセロナ、[[セルティックFC]](スコットランド)、[[FCスパルタク・モスクワ]](ロシア)と同組となったが、勝ち点8のグループ3位でUEFAカップに回った<ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=2013/matches/round=2000347/match=2009572/postmatch/report/index.html|title=ベンフィカ、バルサとドローも敗退 |work=UEFA.com | date=2012-12-05 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。

== スタジアム ==
[[File:LuzLissabon.jpg|thumb|right|400px|エスタディオ・ダ・ルスの内部]]

{{Main|エスタディオ・ダ・ルス}}

ベンフィカはカテドラル(大聖堂)の愛称を持つ[[エスタディオ・ダ・ルス]](『光のスタジアム』という意味)をホームスタジアムとしていり、試合開始前にはクラブのシンボルである鷲が止まり木に飛来するパフォーマンスが行なわれる<ref name="魔力20-22頁"/>。ルスは公式にはエスタディオ・ド・スポルト・リスボン・イ・ベンフィカという名称である。1954年に建設された初代ルスは135,000人を収容し、ヨーロッパ最大のスタジアムだった。2003年に完成した2代目ルスは65,647人を収容し<ref name="FIFA.com Classic Club"/>、ウルグアイの[[ナシオナル・モンテビデオ]]を招いて落成記念親善試合が行われた<ref>{{cite news |url=http://www.record.xl.pt/Futebol/Nacional/1a_liga/Benfica/interior.aspx?content_id=177024 |title=BENFICA-NACIONAL DE MONTEVIDEU, 2-1 (Nuno Gomes 7'' e 47''; Mello 11'') |work=Record | date=2003-10-25 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。ルスは様々な機能を持つ複合施設であり、ふたつの体育館、スイミングプールなども備えている<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。フットサルチーム、バスケットボールチーム、自転車競技チーム、ラグビーチーム、ハンドボールチームなどがこれらの施設を使用している<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。

1966-67シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]決勝はルスで開催され、[[セルティックFC]](スコットランド)が[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]](イタリア)を破って優勝した<ref>{{cite news |url=http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/season=1966/index.html |title=1966-67シーズン:セルティックの信念が結実 |work=UEFA.com | date=1967-05-25 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。ポルトガルで開催された[[UEFA EURO 2004]]の際にはルスも開催地のひとつとなり、[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]対[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ代表]]の決勝戦などが行なわれた。ポルトガル代表はルスでの対戦成績が良いため、2004年以降は主要大会予選の強豪国との対戦がルスで行なわれることが多い<ref>鰐部(2012) 20-22頁</ref>。2012年3月20日、2013-14シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝がルスで開催されることが決定した<ref>{{cite news |url=http://www.record.xl.pt/747322 |title=Luz recebe final da Liga dos Campeões |work=Record |publisher= | date=20 March 2012 |accessdate=7 August 2012}}</ref><ref>{{cite news |url=http://soccer.skyperfectv.co.jp/international/264 |title=2014年のCL決勝、開催地はベンフィカの本拠地「ルス・スタジアム」に決定 |work=Sky PerfecTV | date=2012-03-21 |accessdate=2013-04-12}}</ref>。

== ライバルとサポーター ==
=== ライバル ===
==== リスボン・ダービー ====
ベンフィカの最大のライバルは、同じリスボンに本拠地を置く[[スポルティング・リスボン]]である<ref>{{cite news |url=http://www.fifa.com/classicfootball/clubs/rivalries/newsid=1547990/index.html |title=RIVALRIES Benfica VS Sporting CP |work=FIFA.com | date= |accessdate=2013-04-12}}</ref>。この2チームの対戦は[[オ・デルビー・デ・リスボン]](リスボン・ダービー)と言われている。1950年から約15年間はベンフィカが欧州カップ戦のタイトルを持つポルトガル唯一のクラブだったが、1963-64シーズンにはスポルティングが[[UEFAカップウィナーズカップ]]を制した。

==== オ・クラシコ ====
[[FCポルト]]ともライバル関係にあり、両クラブの対戦は[[オ・クラシコ]]と呼ばれる<ref>{{cite news |url=http://www.fifa.com/classicfootball/clubs/rivalries/newsid=1015039/index.html |title=RIVALRIES Benfica VS FC Porto |work=FIFA.com | date= |accessdate=2013-04-12}}</ref>。初のダービーは1912年4月28日に行なわれた親善試合であり、ベンフィカが8-2で勝利した<ref name="FIFA.com Classic Club"/>。ベンフィカは1960-61シーズンと1961-62シーズンに[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]で優勝しており、長らく同大会で優勝したことのあるポルトガル唯一のクラブだったが、1986-87シーズンにポルトが優勝。ポルトは2003-04シーズンにも同大会で優勝し、ベンフィカは優勝回数で並ばれた。ポルトは欧州カップ戦で7個のトロフィーを獲得しており、ベンフィカの3個を大きく上回っている。

ポルトは1960年代から1970年代にかけて約20年間リーグ優勝から見放されたが、1977-78シーズンに5回目のリーグ優勝を飾ると、1980年代後半以降はベンフィカを上回るペースで優勝回数を増やし、1990年代にはリーグ記録の5連覇を果たした。ポルトの急成長は、1974年に起こった[[カーネーション革命]]によってリスボンの一極支配体制が崩れたこととも無関係ではない<ref>市之瀬(2001) 34-42頁「もうひとつの『クラシコ』」</ref>。1977年時点でのリーグ優勝回数は23回(ベンフィカ)と4回(ポルト)だったが、2012年時点でのリーグ優勝回数は32回(ベンフィカ)と25回(ポルト)であり、四半世紀で10回以上も差を詰めた。ポルトの躍進とともにライバル意識がどんどん高まり、ダービーは白熱度を増した。

=== サポーター ===
ベンフィカのファンは全世界で1400万人いるとされており、ポルトガル最大・ヨーロッパ最大級である<ref>{{cite web|title=As Verdades Deturpadas da Historia do Benfica |url=http://www.slbenfica.pt/Portals/0/Documentos/verdadesdeturpadas1.pdf |work=SLベンフィカ公式サイト|accessdate=2013-04-12}}</ref>。全世界に20万人の[[ソシオ (サッカー)|ソシオ]](ファンクラブ会員)がおり、世界最多のソシオ数を持つクラブとして[[ギネス世界記録|ギネス・ワールド・レコーズ]]に認定されている<ref name="guinnessworldrecords.com"/><ref name="WSD">ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2010年3月18日号、95頁</ref><ref name="魔力20-22頁"/>。ポルトガルの総人口1070万人のうち約600万人がベンフィカのファンだとされている<ref name="WSD"/>。2011-12シーズンの1試合平均観客数は42,464人であり、ポルトの35,176人、スポルティングの34,494人を上回ってポルトガル最多だった<ref name="魔力34-41頁">鰐部(2012) 34-41頁</ref>。リーグ優勝を遂げた2009-10シーズンには、ポルトガル最多・ヨーロッパ第10位の1試合平均50,033人を集めた<ref name="魔力34-41頁"/>。

また、ファンクラブはポルトガル国外にも広がっており、アンドラ、アンゴラ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、カーボベルデ、クロアチア、フランス、ドイツ、ギニアビサウ、イギリス、日本、ルクセンブルク、マカオ、マレーシア、スイス、オランダ、アメリカに存在する。

== エンブレムとユニフォーム ==
[[File:Águia.jpg|thumb|right|200px|ベンフィカの象徴である鷲]]

=== エンブレム ===
クラブのエンブレム下部には自転車のホイールがあり、クラブカラー(赤色と白色)の盾が重ねられている。盾の中にはサッカーボール、クラブの頭文字(SLB)があり、エンブレム上部には羽を広げた鷲が描かれている。現在のエンブレムの基本形となったのは、スポルト・リスボアがグルポ・スポルト・ベンフィカと合併した1908年に制定されたデザインである。1930年と1999年にマイナーチェンジが加えられ、1999年の変更時には鷲のデザインが多少変えられた<ref>{{cite web |url=http://www.slbenfica.pt/Clube/Noticias/noticiasclube_clubeslbemblema_171207_32287.asp |archiveurl=http://web.archive.org/web/20100427042150/http://www.slbenfica.pt/Clube/Noticias/noticiasclube_clubeslbemblema_171207_32287.asp |archivedate=27 April 2010 |title=Benfica não vai alterar emblema|trans_title=Benfica won't change symbol |language=Portuguese|work=slbenfica.pt|date= 30 November 2011 |accessdate= 2 September de 2011}}</ref>。2008年以降は、現行のデザインに獲得タイトル数を表す星を加えた記念エンブレムを使用している<ref>{{cite news |url=http://colunadaguiasgloriosas.blogspot.pt/2008/03/vieira-revela-benfica-vai-ter-estrelas.html |title=Emblemas|trans_title=3 stars above emblem|work=Mais Futebol|publisher= |date=1 March 2008 |accessdate=6 August 2012}}</ref>。公式アンセムは「サー、ベンフィキスタ」(Ser Benfiquista)であり、クラブのモットーは「E Pluribus Unum」(「Out of many, one」という意味)である。

==== デザインの変遷 ====
<ref>{{cite web |url=http://www.zerozero.pt/equipa_historico.php?id=4&view=1 |title=Benfica: Nomes antigos|trans_title=Benfica:ancient names |language=Portuguese|work=zerozero|date= 2 September 2011|accessdate= 2 September 2011}}</ref></center></small>

<center>
<gallery>
File:Emblema Grupo Sport Lisboa (Sem fundo).png|<small>スポルト・リスボン<br />(1904–1908)</small>
File:Emblema Grupo Sport Benfica (Sem fundo).png|<small>グルポ・スポルト・ベンフィカ<br />(1906–1908)</small>
File:Emblema Benfica 1908 (Sem fundo).png|<small>SLベンフィカ<br />(1908–1930)</small>
File:Emblema Benfica 1930 (Sem fundo).png|<small>SLベンフィカ<br />(1930–1999)</small>
</gallery>
</center>

=== ユニフォーム ===
==== 現行のデザイン ====
* ホームユニフォーム
: 赤色と白色のシャツ、白色のパンツ、赤色と白色のソックス(フィールドプレーヤー)
: 白色のシャツ、白色のパンツ、白色のソックス(キーパー)

* アウェーユニフォーム
: 赤色と黒色のシャツ、赤色のパンツ、赤色と黒色のソックス(フィールドプレーヤー)
: 濃灰色のシャツ、灰色のパンツ、灰色のソックス(キーパー)

{| style="width:50%;text-align:center;"
|align=left bg color=#ffffff|{{Football kit
|pattern_la = _benfica1213h
|pattern_b = _benfica1213h
|pattern_ra = _benfica1213h
|pattern_sh = _adidasonwhite
|pattern_so = _benfica1213h
|leftarm = FFFFFF
|body = FFFFFF
|rightarm = FFFFFF
|shorts = FF0000
|socks = FF0000
|title = フィールドプレーヤー(ホーム)
}}
|
{{Football kit
|pattern_la = _benfica1213a
|pattern_b = _benfica1213a
|pattern_ra = _benfica1213a
|pattern_sh = _benfica1213a
|pattern_so = _benfica1213a
|leftarm = FFFFFF
|body = FFFFFF
|rightarm = FFFFFF
|shorts = FF0000
|socks = 000000
|title = フィールドプレーヤー(アウェー)
}}
|
|}

{| style="width:50%;text-align:center;"
|align=left bg color=#ffffff|{{Football kit
| pattern_la = _ukr12g1
| pattern_b = _ukr12G1
| pattern_ra = _ukr12g1
| pattern_sh = _adidasonwhite
| pattern_so = _ukr12g1
| leftarm = FFFFFF
| body = FFFFFF
| rightarm = FFFFFF
| shorts = FF0088
| socks = FFFFFF
|title =キーパー(ホーム)
}}
|
{{Football kit
|pattern_la = _gre12g2
|pattern_b = _gre12G2
|pattern_ra = _gre12g2
|pattern_sh = _rus12g2
|pattern_so = _color_3_stripes_black
|leftarm = FFFFFF
|body = FFFFFF
|rightarm = FFFFFF
|shorts = FFFFFF
|socks = DDCC88
|title =キーパー(サード)
}}
|
{{Football kit
|pattern_la = _gre12g1
|pattern_b = _gre12G1
|pattern_ra = _gre12g1
|pattern_sh = _fsk0910t
|pattern_so = _fsk0910t
|leftarm = FFFFFF
|body = FFFFFF
|rightarm = FFFFFF
|shorts = FFFFFF
|socks = 000000
|title =キーパー(アウェー)
}}
|
|}

==== スポンサーとサプライヤー ====
{|class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
|-
! 期間
! サプライヤー
! 胸スポンサー
|-
|1974–1985
|rowspan=3| {{Flagicon|GER}} [[アディダス]]
|<small>なし</small>
|-
|1985–1986
| [[ロイヤル・ダッチ・シェル]](エネルギー)
|-
|1986–1989
|rowspan=2| [[フナック]](電機)
|-
|1989–1992
|rowspan=2| {{Flagicon|DEN}} [[ヒュンメル]]
|-
|1992–1994
| カジノ・エストリル(カジノ)
|-
|1994–1996
|rowspan=2| {{Flagicon|RSA}} オリンピック
| [[パルマラット]](食品)
|-
|1996–1997
|rowspan=2| [[ボーダフォン|テレセル]](通信)
|-
|1997–2000
|rowspan=6| {{Flagicon|GER}} [[アディダス]]
|-
|2000–2001
| Netc
|-
|2001–2005
| [[ボーダフォン]](通信)
|-
|2005–2008
| ポルトガルテレコム<ref group="注釈">tmnとMeoはいずれもポルトガルテレコムの子会社であり、tmnは携帯電話ブランド、MeoはケーブルTVブランドである。</ref>(通信)
|-
|2008–2012
| tmn(通信)
|-
|2012–
| Meo(通信)
|}

== 記録 ==
[[File:EusebioSLB.jpg|thumb|right|200px|[[エウゼビオ]]の彫像]]

; 個人の記録
[[エウゼビオ]]はクラブ史上最多の公式戦614試合に出場した。クラブ史上最多得点者もエウゼビオであり、440試合で474得点を挙げた。得点数第2位は[[ジョゼ・アグアス]]であり、384試合で374得点を挙げた。第3位は[[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]であり、575試合で360得点を挙げた。

=== 通算得点数 ===
公式戦の通算得点数

{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align: center;"
|-
! #
! 名前
! 在籍期間
! 得点数
! 出場試合数
! 得点率
|-
|1
|style="text-align:left;"|[[エウゼビオ]]
|1960-1975
|474
|440
|1.07
|-
|2
|style="text-align:left;"|[[ジョゼ・アグアス]]
|1950-1963
|374
|384
|0.94
|-
|3
|style="text-align:left;"|[[ ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|1968-1986
|360
|575
|0.62
|-
|4
|style="text-align:left;"|[[ジョゼ・アウグスト・トーレス]]
|1959-1971
|226
|259
|0.87
|-
|5
|style="text-align:left;"|[[アルセニオ・ドゥアルテ|アルセニオ]]
|1943-1955
|218
|298
|0.73
|-
|6
|style="text-align:left;"|[[ロジェリオ・ラントレス・デ・カルバーリョ|ロジェリオ・デ・カルバーリョ]]
|1942-1954
|211
|320
|0.65
|-
|7
|style="text-align:left;"|[[ジュリオ・コレイア・ダ・シウヴァ|ジュリーニョ]]
|1942-1953
|205
|200
|1.02
|-
|8
|style="text-align:left;"|[[ジョゼ・アウグスト・デ・アウメイダ|ジョゼ・アウグスト]]
|1959-1970
|175
|369
|0.47
|-
|9
|style="text-align:left;"|[[ヌーノ・ゴメス]]
|1997-2000, 2002-2011
|166
|398
|0.41
|-
|10
|style="text-align:left;"|[[アルフレード・ヴァラダス]]
|1934-1944
|156
|264
|0.59
|-
|11
|style="text-align:left;"|[[ギリェルモ・エスピリト・サント]]
|1936-1950
|152
|211
|0.72
|-
|12
|style="text-align:left;"|[[オスカル・カルドソ]]
|2007–
|128
|177
|0.59
|-
|13
|style="text-align:left;"|[[マリオ・コルナ]]
|1954–1970
|127
|525
|0.24
|-
|14
|style="text-align:left;"|[[ジョアキン・テイシェイラ]]
|1938-1946
|118
|171
|0.69
|-
|15
|style="text-align:left;"|[[ヴィトール・シウヴァ]]
|1927-1936
|108
|131
|0.82
|-
|16
|style="text-align:left;"|[[アルトゥール・ジョルジュ]]
|1969-1975
|105
|130
|0.80
|-
|17
|style="text-align:left;"|[[ルイ・アグアス]]
|1985-1988; 1990-1994
|104
|237
|0.43
|-
|18
|style="text-align:left;"|[[ドミシアーノ・カヴェン]]
|1955-1969
|102
|415
|0.24
|-
|19
|style="text-align:left;"|ロジェリオ・デ・ソウザ
|1932-1940
|100
|168
|0.59
|-
|20
|style="text-align:left;"|フランシスコ・ロドリゲス
|1939-1942
|99
|88
|1.12
|}

=== プリメイラ・リーガの得点数 ===
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align: center;"
|-
! #
! 名前
! 在籍期間
! 得点数
! 出場試合数
! 得点率
|-
|1
|style="text-align:left;"|[[エウゼビオ]]
|1960-1975
|319
|313
|1.05
|-
|2
|style="text-align:left;"|[[ジョゼ・アグアス]]
|1950-1963
|290
|281
|1.03
|-
|3
|style="text-align:left;"|[[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|1968-1986
|262
|421
|0.89
|-
|4
|style="text-align:left;"|[[ジョゼ・アウグスト・トーレス]]
|1959-1971
|152
|169
|0.48
|-
|5
|style="text-align:left;"|[[アルセニオ・ドゥアルテ]]
|1943-1955
|152
|224
|0.67
|-
|6
|style="text-align:left;"|[[ジュリオ・コレイア・ダ・シウヴァ|ジュリーニョ]]
|1942-1953
|150
|143
|1.04
|-
|7
|style="text-align:left;"|[[ロジェリオ・ラントレス・デ・カルバーリョ|ロジェリオ・デ・カルバーリョ]]
|1942-1954
|126
|212
|0.59
|-
|8
|style="text-align:left;"|[[ヌーノ・ゴメス]]
|1997-2000, 2002-2011
|125
|293
|0.42
|-
|9
|style="text-align:left;"|[[ジョゼ・アウグスト・デ・アウメイダ|ジョゼ・アウグスト]]
|1959-1970
|113
|248
|0.45
|-
|10
|style="text-align:left;"|[[マリオ・コルナ]]
|1954-1970
|88
|363
|0.24
|}

=== 通算得点数(外国人選手) ===
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align: center;"
|-
! #
! 名前
! 在籍期間
! 得点数
! 出場試合数
! 得点率
|-
|1
|style="text-align:left;"| {{flagicon|PAR}} [[オスカル・カルドソ]]
|2007-
|148
|230
|0.64
|-
|2
|style="text-align:left;"|{{flagicon|SWE}} [[マッツ・マグヌソン]]
|1987-1992
|84
|
|
|-
|3
|style="text-align:left;"|{{flagicon|DEN}} [[ミカエル・マニケ]]
|1983-1987
|76
|
|
|-
|4
|style="text-align:left;"|{{flagicon|BRA}} [[イサイアス・マルケス・ソアレス|イサイアス]]
|1990-1995
|71
|
|
|-
|5
|style="text-align:left;"|{{flagicon|YUG}} [[ゾラン・フィリポヴィッチ]]
|1981-1984
|41
|
|
|-
|6
|style="text-align:left;"|{{flagicon|ARG}} [[ハビエル・サビオラ]]
|2009-2012
|39
|120
|0.33
|-
|7
|style="text-align:left;"|{{flagicon|ANG}} [[ヴァタ・マタヌ・ガルシア|ヴァタ]]
|1988-1991
|37
|
|
|-
|8
|style="text-align:left;"|{{flagicon|UKR}} [[セルゲイ・ユラン]]
|1991-1994
|35
|
|
|-
|9
|style="text-align:left;"|{{flagicon|BRA}} [[アンデルソン・ルイス・ダ・シウバ|ルイゾン]]
|2003-
|33
|
|
|-
|10
|style="text-align:left;"|{{flagicon|ANG}} [[ペドロ・マントラス]]
|2001-2011
|31
|127
|0.24
|-
|11
|style="text-align:left;"|{{flagicon|CRO}} [[トミスラヴ・ソコタ]]
|2001-2005
|28
|
|
|-
| rowspan="2"|12
|style="text-align:left;"|{{flagicon|BRA}} [[リカルド・ゴメス・ライムンド|リカルド・ゴメス]]
|1988-1991, 1995-1996
| rowspan="2"|27
|
|
|-
|style="text-align:left;"|{{flagicon|BRA}} [[ヴァルド・フィーリョ|ヴァルド]]
|1988-1991, 1995-1997
|
|
|-
|13
|style="text-align:left;"|{{flagicon|ESP}} [[ロドリゴ・モレノ・マチャド|ロドリゴ]]
|2011-
|25
|57
|0.44
|-
| rowspan="2"|14
|style="text-align:left;"|{{flagicon|BRA}} [[ジェオヴァンニ・デイベウソン・マウリシオ・ゴメス|ジェオヴァンニ]]
|2003-2006
| rowspan="2"|23
|
|
|-
|style="text-align:left;"|{{flagicon|NED}} [[ピエール・ファン・ホーイドンク]]
|2000-2001
|33
|0.7
|}

=== 節目となる得点の記録者 ===
プリメイラ・リーガに限る
{| class="wikitable collapsible collapsed unsortable" style="text–align:center"
! 得点数 !! 得点者 !! 日付 !! 試合
|-
| 1点目 ||{{flagicon|POR}} [[アルフレード・ヴァラダス]]|| 1935年1月20日||ベンフィカ 1-0 [[ヴィトリア・セトゥーバル]]
|-
|100点目|| {{flagicon|POR}} [[アルフレード・ヴァラダス]]|| 1937年1月31日||ベンフィカ 10-2 [[レイションイスSC]]
|-
|500点目|| {{flagicon|POR}} [[ジョアキン・テイシェイラ]]|| 1944年2月6日||ベンフィカ 6-1 [[SCサルゲイロス]]
|-
|1000点目|| {{flagicon|POR}} ロザリオ ||1949–50シーズン||[[ヴィトリア・ギマランイス]] 3-5 ベンフィカ
|-
|1500点目||{{flagicon|POR}} [[ジョゼ・アグアス]]||1956–57シーズン||ベンフィカ 6-0 [[GDファブリル]]
|-
|2000点目||{{flagicon|POR}} [[ヤウカ]]|| 1963年11月17日||ベンフィカ 4-2 [[CFベレネンセス]]
|-
|2500点目|| {{flagicon|POR}} [[アルトゥール・ジョルジュ]]|| 1970年9月27日||ベンフィカ 4-0 [[ボアヴィスタFC]]
|-
|3000点目|| {{flagicon|POR}} [[ヴィトール・マルティンス]]|| 1977年2月13日||ベンフィカ 6-1 [[GDエストリル・プライア]]
|-
|3500点目|| {{flagicon|POR}} [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]|| 1984年3月18日||[[SCファレンセ]] 2-7 ベンフィカ
|-
|4000点目|| {{flagicon|RUS}} [[セルゲイ・ユラン]]|| 1991年12月7日||ベンフィカ 3-0 [[SCベイラ・マル]]
|-
|4500点目|| {{flagicon|CZE}} [[カレル・ポボルスキー]]|| 2000年2月14日||[[ヴィトリア・セトゥーバル]] 1-2 ベンフィカ
|-
|5000点目|| {{flagicon|Honduras}} [[ダビド・スアソ]]||2008年11月2日||[[ヴィトリア・ギマランイス]] 1-2 ベンフィカ
|}

=== 獲得時の移籍金 ===
{| class="wikitable collapsible collapsed"
|-
!#
! 選手
! 移籍元
! 移籍金<br />(ユーロ)
! 移籍年
|-
|1 || {{flagicon|ARG}} [[エドゥアルド・サルビオ]] || {{flagicon|ESP}} [[アトレティコ・マドリード]] || 1350万 || 2012年
|-
|2 || {{flagicon|POR}} [[シモン・サブローザ]] || {{flagicon|ESP}} [[FCバルセロナ]] || 1300万 || 2001年
|-
|3 || {{flagicon|PAR}} [[オスカル・カルドソ]] || {{flagicon|ARG}} [[ニューウェルズ・オールドボーイズ]] || 1120万 || 2007年
|-
|4 || {{flagicon|ESP}} [[ロベルト・ヒメネス]] || {{flagicon|ESP}} [[アトレティコ・マドリード]] || 850万 || 2010年
|-
|5 || {{flagicon|ARG}} [[ニコラス・ガイタン]] || {{flagicon|ARG}} [[ボカ・ジュニアーズ]] || 840万 || 2010年
|-
| rowspan=2| 6 || {{flagicon|ARG}} [[アンヘル・ディ・マリア]] || {{flagicon|ARG}} [[ロサリオ・セントラル]] || 800万 || 2007年
|-
|{{flagicon|NED}} [[オラ・ジョン]] || {{flagicon|NED}} [[FCトゥウェンテ]] || 800万 || 2012年
|-
|7 || {{flagicon|BRA}} [[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]] || {{flagicon|BRA}} [[クルゼイロEC]] || 750万 || 2009年
|-
| rowspan=2| 9 || {{flagicon|ESP}} [[フランシスコ・ハビエル・ガルシア|ハビ・ガルシア]] || {{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]] || 700万 || 2009年
|-
|{{flagicon|BRA}} [[シドネイ・レチェル・ダ・シウヴァ・ジュニオール|シドネイ]] || {{flagicon|BRA}} [[SCインテルナシオナル]] || 700万 || 2008年
|-
| rowspan=3| 10 || {{flagicon|BEL}} [[アクセル・ヴィツェル]] || {{flagicon|BEL}} [[スタンダール・リエージュ]] || 650万 || 2011年
|-
|{{flagicon|ARG}} [[パブロ・アイマール]] || {{flagicon|ESP}} [[レアル・サラゴサ]] || 650万 || 2008年
|-
|{{flagicon|BRA}} [[ロジェール・ガレラ・フロレス|ロジェール]] || {{flagicon|BRA}} [[フルミネンセFC]] || 650万 || 2000年
|-
|11 || {{flagicon|NED}} [[ピエール・ファン・ホーイドンク]] || {{flagicon|NED}} [[フィテッセ]] || 600万 || 2000年
|}

=== 放出時の移籍金 ===
{| class="wikitable collapsible collapsed"
|-
!#
! 選手
! 移籍先
! 移籍金<br />(ユーロ)
! 移籍年
|-
|1 || {{flagicon|BEL}} [[アクセル・ヴィツェル]] || {{flagicon|RUS}} [[FCゼニト・サンクトペテルブルク]] || 4000万 || 2012年
|-
|2 || {{flagicon|ARG}} [[アンヘル・ディ・マリア]] || {{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]] || 3300万<ref group="注釈">基本となる移籍金は2500万ユーロである。</ref> || 2010年
|-
|3 || {{flagicon|POR}} [[ファビオ・コエントラン]] || {{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]] || 3000万 || 2011年
|-
|4 || {{flagicon|BRA}} [[ダヴィド・ルイス・モレイラ・マリーニョ|ダヴィド・ルイス]] || {{flagicon|ENG}} [[チェルシーFC]] || 2500万<ref group="注釈">この移籍金に加えて、[[ネマニャ・マティッチ]]がチェルシーからベンフィカに移籍している。</ref> || 2011年
|-
|5 || {{flagicon|BRA}} [[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]] || {{flagicon|ENG}} [[チェルシーFC]] || 2200万 || 2010年
|-
|6 || {{flagicon|POR}} [[シモン・サブローザ]] || {{flagicon|ESP}} [[アトレティコ・マドリード]] || 2000万 || 2007年
|-
|7 || {{flagicon|ESP}} [[フランシスコ・ハビエル・ガルシア|ハビ・ガルシア]] || {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC]] || 2000万 || 2012年
|-
|8 || {{flagicon|POR}} [[マヌエル・フェルナンデス]] || {{flagicon|ESP}} [[バレンシアCF]] || 1800万 || 2007年
|-
|9 || {{flagicon|POR}} [[ヌーノ・ゴメス]] || {{flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ]] || 1700万 || 2000年
|-
|10 || {{flagicon|POR}} [[ティアゴ・メンデス|ティアゴ]] || {{flagicon|ENG}} [[チェルシーFC]] || 1200万 || 2004年
|-
|11 || {{flagicon|ESP}} [[ロベルト・ヒメネス]] || {{flagicon|ESP}} [[レアル・サラゴサ]] || 860万 || 2011年
|-
|}

; クラブの記録
1972-73シーズンには28勝2分(30試合制)で無敗優勝を果たした。このシーズン中にはポルトガル記録の23試合連続勝利を達成している。30試合で勝ち点58(勝利勝ち点2)を記録し、ポルトガル史上最高の獲得勝ち点率96.7%を記録した。2位との勝ち点差18は勝利勝ち点2だった時代の最高記録である。1971-72シーズンから1972-73シーズンにかけて29試合連続勝利のヨーロッパ記録を達成した。

[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]優勝32回、[[タッサ・デ・ポルトガル]]優勝24回、[[タッサ・ダ・リーガ]]優勝4回、ダブル(リーグとカップの2冠)達成9回はいずれもポルトガル記録である。[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]2連覇はポルトガルでベンフィカしか達成しておらず、欧州カップ戦の決勝出場回数8回はポルトガル記録である。UEFAチャンピオンズリーグの準優勝5回は[[バイエルン・ミュンヘン]](ドイツ)、[[ユヴェントスFC]](イタリア)と並んでヨーロッパ最多記録である。

== タイトル ==
=== 国内タイトル ===
* '''[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]:32回'''
: 1935-36, 1936-37, 1937-38, 1941-42, 1942-43, 1944-45, 1949-50, 1954-55, 1956-57, 1959-60, 1960-61, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1975-76, 1976-77, 1980-81, 1982-83, 1983-84, 1986-87, 1988-89, 1990-91, 1993-94, 2004-05, 2009-10

* '''[[タッサ・デ・ポルトガル]]:24回'''
: 1939-40, 1942-43, 1943-44, 1948-49, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1963-64, 1968-69, 1969-70, 1971-72, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1995-96, 2003-04
: 1939-40, 1942-43, 1943-44, 1948-49, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1963-64, 1968-69, 1969-70, 1971-72, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1995-96, 2003-04


* '''[[タッサ・ダ・リーガ|リーグカップ]]:4回'''
* '''[[タッサ・ダ・リーガ]]:4回'''
: 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2011-12
: 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2011-12


* '''[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーパーカップ]]:4回'''
* '''[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]]:4回'''
: 1979-80, 1984-85, 1988-89, 2004-05
: 1979-80, 1984-85, 1988-89, 2004-05


* '''[[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]]:3回'''<ref group="注釈" name = "champion">1938-39シーズン以前、タッサ・デ・ポルトガルはカンペオナート・デ・ポルトガルという名称であり、この大会の優勝クラブがポルトガル王者とみなされていた</ref>
===国際タイトル===
: 1929-30, 1930-31, 1934-35

* '''カンペオナート・デ・リスボン(リスボン選手権) : 10回'''
: 1909–10, 1911–12, 1912–13, 1913–14, 1915–16, 1916–17, 1917–18, 1919–20, 1932–33, 1939–40

* '''タッサ・デ・オンラ・デ・リスボン : 18回'''
: 1919–20, 1921–22, 1962–63, 1964–65, 1966–67, 1967–68, 1968–69, 1971–72, 1972–73, 1973–74, 1974–75, 1977–78, 1978–79, 1979–80, 1981–82, 1983–84, 1985–86, 1987–88

* '''タッサ・リベイロ・ドス・レイス : 3回'''
: 1963–64, 1965–66, 1970–71

=== 国際タイトル ===
* '''[[UEFAチャンピオンズリーグ]]:2回'''
* '''[[UEFAチャンピオンズリーグ]]:2回'''
: 1960-61, 1961-62
: 1960-61, 1961-62


* '''[[ラテン・カップ]]:2回'''
* '''[[ラテン・カップ]]:1回'''
: 1949-50
: 1949-50

* '''[[イベリアン・カップ]]<ref group="注釈">ポルトガルとスペインの主要大会王者(リーグ戦王者とは限らない)によって争われた。</ref>:1回'''
: 1949-50

=== 親善タイトル ===
* '''[[ラモン・デ・カランサ杯]]:2回'''
: 1963, 1971

* '''[[ペケーニャ・コパ・デル・ムンド・デ・クルーベス]]<ref group="注釈">スモール・ワールドカップとも呼ばれ、ヨーロッパとアフリカの強豪クラブが参加した。</ref>:1回'''
: 1965

* '''[[トロフェオ・テレサ・エレーラ|テレサ・エレーラ杯]]:1回'''
: 1987


* '''[[ドバイカップ]]:1回'''
* '''[[ドバイカップ]]:1回'''
88行目: 779行目:
: 2009
: 2009


* '''[[エウゼビオ・カップ]]<ref group="注釈">ベンフィカが主催するプレシーズンの親善大会。</ref>:3回'''
== 過去の成績 ==
: 2009, 2011, 2012
{|class="wikitable" style="text-align: center"

== 成績 ==
=== 略称の詳細 ===
; 現存する大会
* TP - [[タッサ・デ・ポルトガル]](現行の大会形式になったのは1938年)
* TL - [[タッサ・ダ・リーガ]](2007年-)
* ST - [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]](1978年-)
* CL - [[UEFAチャンピオンズリーグ]](1992年-)
* EL - [[UEFAヨーロッパリーグ]](2009年-)

; 現存しない大会
* CI – [[コパ・イベリカ]](1935年-2005年)
* LC – [[ラテン・カップ]](1949年-1957年)
* CC – [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]](1955年-1992年、UEFAチャンピオンズリーグの前身)
* ICFC – [[インターシティーズ・フェアーズカップ]](1955年-1971年、UEFAヨーロッパリーグの前身)
* UC - [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]](1971年-2009年、UEFAヨーロッパリーグの前身)
* CWC – [[UEFAカップウィナーズカップ]](1961年-1999年)
* IC - [[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]](1960年-2004年)

=== 近年の成績 ===
プリメイラ・リーガに名称変更された1999年以降の成績

{|class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
|-
|-
!rowspan=2|シーズン
!rowspan=2|シーズン
!colspan=9|ディビジョン
!colspan=9|国内リーグ
!rowspan=2|[[タッサ・デ・ポルトガル]]
!rowspan=2|[[タッサ・デ・ポルトガル|TP]]
!rowspan=2|[[タッサ・ダ・リーガ]]
!rowspan=2|[[タッサ・ダ・リーガ|TL]]
!rowspan=2|[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]]
!rowspan=2|[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|ST]]
!rowspan=2 colspan=2|欧州カップ
!rowspan=2 colspan=2|欧州カップ
!colspan=2|最多得点者
!colspan=2|最多得点者
|-
|-
!ディビジョン
!リーグ
!試合数
!試合数
!勝
!勝
!分
!分
!敗
!敗
!得
!得
!失
!失
!勝
!勝点
!順位
!順位
!選手
!選手
!得点数
!得点数
|-
|-
!align="center"|1999-2000
!align="center"|1999-00
|プリメイラ・リーガ
|プリメイラ・リーガ
|34
|34
122行目: 836行目:
|bgcolor="#cc9966" align="center"|3位
|bgcolor="#cc9966" align="center"|3位
|align="center"|6回戦敗退
|align="center"|6回戦敗退
|align="center"|''なし''
| rowspan=11 align="center"|存在せず
|align="center"|
|align="center"|
|[[UEFAカップ1999-2000|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ1999-2000|UC]]
|align="center"|3回戦敗退
|align="center"|3回戦敗退
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス]]
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス|N・ゴメス]]
|align="center"|20
|align="center"|20
|-
|-
140行目: 854行目:
|align="center"|6位
|align="center"|6位
|align="center"|6回戦敗退
|align="center"|6回戦敗退
|align="center"|''なし''
|align="center"|
|align="center"|
|[[UEFAカップ 2000-01|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ 2000-01|UC]]
|align="center"|1回戦敗退
|align="center"|1回戦敗退
|align="left"|[[ピエール・ファン・ホーイドンク|ファン・ホーイドンク]]
|align="left"|[[ピエール・ファン・ホーイドンク|ファン・ホーイドンク]]
158行目: 871行目:
|align="center"|4位
|align="center"|4位
|align="center"|5回戦敗退
|align="center"|5回戦敗退
|align="center"|''なし''
|align="center"|
|align="center"|
|colspan=2|
|colspan=2|
175行目: 887行目:
|bgcolor="silver" align="center"|2位
|bgcolor="silver" align="center"|2位
|align="center"|4回戦敗退
|align="center"|4回戦敗退
|align="center"|''なし''
|align="center"|
|align="center"|
|colspan=2|
|colspan=2|
192行目: 903行目:
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|2位
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|2位
|rowspan=2 bgcolor="gold" align="center"|優勝
|rowspan=2 bgcolor="gold" align="center"|優勝
|rowspan=2 align="center"|''なし''
|rowspan=2 align="center"|
|rowspan=2 align="center"|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2003-04|CL]]
|align="center"|予選3回戦敗退
|align="center"|予選3回戦敗退
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2 align="center"|15
|rowspan=2 align="center"|15
|-
|-
|[[UEFAカップ 2003-04|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ 2003-04|UC]]
|align="center"|4回戦敗退
|align="center"|4回戦敗退
|-
|-
213行目: 923行目:
|rowspan=2 bgcolor="gold" align="center"|1位
|rowspan=2 bgcolor="gold" align="center"|1位
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|準優勝
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|準優勝
|rowspan=2 align="center"|''なし''
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|準優勝
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05|CL]]
|align="center"|予選3回戦敗退
|align="center"|予選3回戦敗退
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2 align="center"|20
|rowspan=2 align="center"|20
|-
|-
|[[UEFAカップ 2004-05|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ 2004-05|UC]]
|align="center"|1回戦敗退
|align="center"|1回戦敗退
|-
|-
233行目: 942行目:
|'''67'''
|'''67'''
|bgcolor="#cc9966" align="center"|3位
|bgcolor="#cc9966" align="center"|3位
|align="center"|準々決勝敗退
|align="center"|ベスト8
|align="center"|''なし''
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2005-06|CL]]
|align="center"|準々決勝敗退
|align="center"|準々決勝敗退
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス]]
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス|N・ゴメス]]
|align="center"|17
|align="center"|17
|-
|-
252行目: 960行目:
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"|3位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"|3位
|rowspan=2|6回戦敗退
|rowspan=2|6回戦敗退
|rowspan=2 align="center"|''なし''
|rowspan=2 align="center"|
|rowspan=2 align="center"|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2006-07|CL]]
|align="center"|グループステ敗退
|align="center"|グループ敗退
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2 align="center"|16
|rowspan=2 align="center"|16
|-
|-
|[[UEFAカップ 2006-07|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ 2006-07|UC]]
|align="center"|準決勝敗退
|bgcolor="#cc9966" align="center"|ベスト4
|-
|-
!rowspan=2 align="center"|2007-08
!rowspan=2 align="center"|2007-08
272行目: 979行目:
|rowspan=2|'''52'''
|rowspan=2|'''52'''
|rowspan=2|4位
|rowspan=2|4位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"|準決勝敗退
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"|ベスト4
|rowspan=2 align="center"|4回戦敗退
|rowspan=2 align="center"|4回戦敗退
|rowspan=2 align="center"|
|rowspan=2 align="center"|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2007-08|CL]]
|align="center"|グループステ敗退
|align="center"|グループ敗退
|rowspan=2 align="left"|[[オスカル・カルドソ]]
|rowspan=2 align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|rowspan=2 align="center"|22
|rowspan=2 align="center"|22
|-
|-
|[[UEFAカップ 2007-08|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ 2007-08|UC]]
|align="center"|4回戦敗退
|align="center"|4回戦敗退
|-
|-
296行目: 1,003行目:
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|align="center"|
|align="center"|
|[[UEFAカップ 2008-09|UEFAカップ]]
|[[UEFAカップ 2008-09|UC]]
|align="center"|グループステ敗退
|align="center"|グループ敗退
|align="left"|[[オスカル・カルドソ]]
|align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|align="center"|17
|align="center"|17
|-
|-
314行目: 1,021行目:
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|align="center"|
|align="center"|
|[[UEFAヨーロッパリーグ 2009-10|ヨーロッパリーグ]]
|[[UEFAヨーロッパリーグ 2009-10|EL]]
|align="center"|準決勝敗退
|bgcolor="#cc9966" align="center"|ベスト4
|align="left"|[[オスカル・カルドソ]]
|align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|align="center"|38
|align="center"|38
|-
|-
329行目: 1,036行目:
|rowspan=2|'''63'''
|rowspan=2|'''63'''
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|2位
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|2位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966" align="center"|準決勝敗退
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966" align="center"|ベスト4
|rowspan=2 bgcolor="gold" align="center"|優勝
|rowspan=2 bgcolor="gold" align="center"|優勝
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|準優勝
|rowspan=2 bgcolor="silver" align="center"|準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11|CL]]
|align="center"|グループステ敗退
|align="center"|グループ敗退
|rowspan=2 align="left"|[[オスカル・カルドソ]]
|rowspan=2 align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|rowspan=2 align="center"|23
|rowspan=2 align="center"|23
|-
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11|ヨーロッパリーグ]]
|[[UEFAヨーロッパリーグ 2010-11|EL]]
|bgcolor="#cc9966" align="center"|準決勝敗退
|bgcolor="#cc9966" align="center"|ベスト4
|-
|-
!align="center"|2011-12
!align="center"|2011-12
353行目: 1,060行目:
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|bgcolor="gold" align="center"|優勝
|
|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12|チャンピオンズリーグ]]
|[[UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12|CL]]
|align="center"|準々決勝敗退
|align="center"|ベスト8
|align="left"|[[オスカル・カルドソ]]
|align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|align="center"|28
|align="center"|28
|-
|-
|}

=== 過去の成績 ===
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align: center; font-size: smaller;"
|-
! rowspan=2|シーズン
! colspan=9|国内リーグ
! rowspan=2|[[タッサ・デ・ポルトガル|TP]]
! rowspan=2|[[タッサ・ダ・リーガ|TL]]
! rowspan=2|[[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|ST]]
! rowspan=2 colspan=2|欧州カップ
! colspan=2|チーム得点王<ref group="注釈">[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]], [[タッサ・デ・ポルトガル]], [[タッサ・ダ・リーガ]], [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ]], [[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]], [[カンペオナート・デ・リスボン]], [[ラテン・カップ]]を含む各欧州カップ戦の合計得点で比較している。</ref>
|-
! ディビジョン
! 試合
! 勝
! 引
! 敗
! 得
! 失
! 勝点
! 順位
! 名前
! 得点数
|-
! 1904-05<ref group="注釈" name = "first name">スポルト・リスボン時代</ref>
|colspan="9"| なし
|rowspan=17| 存在せず
|rowspan=121| 存在せず
|rowspan=89| 存在せず
|colspan=2 rowspan=57| 存在せず
|なし
|なし
|-
! 1905-06<ref group="注釈" name = "first name"/>
|colspan="9"| なし
|なし
|なし
|-
! 1906-07<ref group="注釈" name = "first name"/>
|リスボン選手権
|6
|5
|0
|1
|5
|4
|'''10'''
|bgcolor="silver"| 2位
|align="left"|R・ロドリゲス (?)
|1 (?)
|-
! 1907-08<ref group="注釈" name = "first name"/>
|リスボン選手権
|10
|5
|0
|5
|13
|16
|'''10'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|align="left"|E・コルガ
|4
|-
!1908-09
|リスボン選手権
|10
|7
|1
|2
|27
|12
|'''15'''
|bgcolor="silver"| 2位
|align="left"|A・メイレレス
|6
|-
!1909-10
|リスボン選手権
|10
|8
|0
|2
|24
|4
|'''16'''
|bgcolor="gold"| 1位
|align="left"|[[コスメ・ダミオン|ダミオン]] (?)
|3 (?)
|-
! 1910-11
|リスボン選手権
|12
|9
|2
|1
|41
|6
|'''20'''
|bgcolor="silver"| 2位
|align="left"|A・J・ペレイラ
|1 (?)
|-
! 1911-12
|リスボン選手権
|6
|6
|0
|0
|21
|4
|'''12'''
|bgcolor="gold"| 1位
|?
|?
|-
! 1912-13
|リスボン選手権
|8
|7
|1
|0
|22
|4
|'''15'''
|bgcolor="gold"| 1位
|?
|?
|-
! 1913-14
|リスボン選手権
|10
|9
|1
|0
|41
|4
|'''19'''
|bgcolor="gold"| 1位
|align="left"|A・ガスパル
|14
|-
! 1914-15
|リスボン選手権
|10
|8
|0
|2
|50
|8
|'''16'''
|bgcolor="silver"| 2位
|align="left"|H・サントス (?)
|15 (?)
|-
! 1915-16
|リスボン選手権
|8
|7
|1
|0
|16
|4
|'''15'''
|bgcolor="gold"| 1位
|align="left"|F・ペレイラ
|6
|-
! 1916-17
|リスボン選手権
|8
|7
|1
|0
|26
|1
|'''15'''
|bgcolor="gold"| 1位
|align="left"|A・リオス (?)
|4 (?)
|-
! 1917-18
|リスボン選手権
|4
|3
|0
|1
|7
|5
|'''6'''
|bgcolor="gold"| 1位
|align="left"|A・アウグスト
|2
|-
! 1918-19
|リスボン選手権
|10
|6
|0
|4
|26
|10
|'''12'''
|bgcolor="silver"| 2位
|align="left"|J・クレスポ (?)
|6 (?)
|-
! 1919-20
|リスボン選手権
|9
|6
|2
|1
|26
|8
|'''14'''
|bgcolor="gold"| 1位
|align="left"|A・アウグスト
|7
|-
! 1920-21
|リスボン選手権
|10
|4
|2
|4
|16
|14
|'''10'''
|4位
|align="left"|J・クレスポ (?)
|4 (?)
|-
! 1921-22
|リスボン選手権
|6
|3
|0
|3
|11
|10
|'''6'''
|bgcolor="silver"| 2位
|
|align="left"|A・アウグスト (?)
|2 (?)
|-
! 1922-23
|リスボン選手権
|8
|4
|2
|2
|18
|13
|'''10'''
|bgcolor="silver"| 2位
|
|align="left"|J・クレスポ (?)
|3 (?)
|-
! 1923-24
|リスボン選手権
|8
|3
|3
|2
|13
|10
|'''9'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|
|align="left"|J・クレスポ
|5
|-
!1924-25
|リスボン選手権
|8
|4
|1
|3
|18
|7
|'''9'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|
|align="left"|J・タヴァレス
|4
|-
! 1925-26
|リスボン選手権
|14
|6
|4
|4
|40
|27
|'''16'''
|5位
|
|align="left"|シモエス
|14
|-
! 1926-27
|リスボン選手権
|14
|5
|3
|6
|23
|25
|'''13'''
|5位
|bgcolor="#cc9966"|ベスト4
|align="left"|A・アントゥネス
|7
|-
! 1927-28
|リスボン選手権
|14
|10
|3
|1
|40
|14
|'''23'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"|M・カルヴァーリョ (?)
|10 (?)
|-
! 1928-29
|リスボン選手権
|14
|8
|5
|1
|11
|10
|'''35'''
|bgcolor="silver"| 2位
|2回戦敗退
|align="left"|[[ヴィクトル・シウヴァ|V・シウヴァ]]
|11
|-
! 1929-30
|リスボン選手権
|14
|10
|1
|3
|40
|15
|'''35'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|align="left"|[[ヴィクトル・シウヴァ|V・シウヴァ]]
|14
|-
!1930-31
|リスボン選手権
|14
|4
|4
|6
|35
|22
|'''6'''
|5位
|bgcolor="gold"| 優勝
|align="left"|[[ヴィクトル・シウヴァ|V・シウヴァ]]
|14
|-
! 1931-32
|リスボン選手権
|13
|7
|2
|4
|32
|17
|'''29'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"|O・ポリカルド
|13
|-
! 1932-33
|リスボン選手権
|19
|13
|3
|3
|44
|22
|'''48'''
|bgcolor="gold"| 1位
|ベスト8
|align="left"|[[ヴィクトル・シウヴァ|V・シウヴァ]]
|17
|-
! 1933-34
|リスボン選手権
|9
|5
|2
|2
|18
|10
|'''21'''
|5位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"|トーレス
|7
|-
!rowspan=2| 1934-35
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|14
|8
|3
|3
|41
|23
|'''19'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2 align="left"|[[アルフレード・ヴァラダス|ヴァラダス]]
|rowspan=2| 23
|-
|リスボン選手権
|12
|8
|0
|4
|27
|13
|'''28'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1935-36
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|14
|8
|5
|1
|44
|23
|'''21'''
|bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|rowspan=2 align="left"|[[アルフレード・ヴァラダス|ヴァラダス]]
|rowspan=2| 24
|-
|リスボン選手権
|11
|8
|0
|3
|34
|16
|'''27'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1936-37
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|14
|12
|0
|2
|57
|13
|'''24'''
|bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|rowspan=2 align="left"|ロジェリオ
|rowspan=2| 32
|-
|リスボン選手権
|10
|5
|3
|2
|26
|14
|'''23'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1937-38
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|14
|10
|3
|1
|34
|16
|'''23'''
|bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 準優勝
|rowspan=2 align="left"|[[ギリェルメ・エスピリト・サント|エスピリト・サント]]
|rowspan=2| 35
|-
|リスボン選手権
|10
|7
|2
|1
|42
|14
|'''26'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1938-39
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|14
|9
|3
|2
|44
|24
|'''21'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 準優勝
|rowspan=2 align="left"|[[ギリェルメ・エスピリト・サント|エスピリト・サント]]
|rowspan=2| 23
|-
|リスボン選手権
|10
|5
|1
|4
|23
|28
|'''21'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|-
!rowspan=2| 1939-40
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|18
|11
|1
|6
|58
|34
|'''23'''
|4位
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2 align="left"|ロドリゲス
|rowspan=2| 44
|-
|リスボン選手権
|10
|7
|3
|0
|36
|13
|'''27'''
|bgcolor="gold"| 1位
|-
!rowspan=2| 1940-41
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|14
|8
|2
|4
|39
|28
|'''18'''
|4位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|rowspan=2 align="left"|ロドリゲス
|rowspan=2| 31
|-
|リスボン選手権
|10
|8
|0
|2
|29
|21
|'''26'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1941-42
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|22
|19
|0
|3
|74
|34
|'''38'''
|bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2| ベスト8
|rowspan=2 align="left"|ロドリゲス
|rowspan=2| 25
|-
|リスボン選手権
|10
|7
|1
|2
|39
|16
|'''25'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1942-43
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|18
|15
|0
|3
|74
|38
|'''30'''
|bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2 align="left"|[[ジュリオ・コレイア・ダ・シウヴァ|ジュリーニョ]]
|rowspan=2| 37
|-
|リスボン選手権
|10
|7
|1
|2
|41
|16
|'''25'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1943-44
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|18
|11
|4
|3
|57
|34
|'''26'''
|bgcolor="silver"| 2位
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2 align="left"|[[ジュリオ・コレイア・ダ・シウヴァ|ジュリーニョ]]
|rowspan=2| 31
|-
|リスボン選手権
|10
|7
|2
|1
|39
|21
|'''26'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1944-45
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|18
|14
|2
|2
|79
|26
|'''30'''
|bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|rowspan=2 align="left"|J・テイシェイア
|rowspan=2| 37
|-
|リスボン選手権
|10
|7
|0
|3
|41
|18
|'''24'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!rowspan=2| 1945-46
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|22
|17
|3
|2
|82
|29
|'''37'''
|bgcolor="silver"| 2位
|rowspan=2| ベスト8
|rowspan=2 align="left"|[[ロジェリオ・ラントレス・デ・カルヴァーリョ|ピピ]]
|rowspan=2| 24
|-
|リスボン選手権
|10
|4
|2
|4
|17
|21
|'''20'''
|4位
|-
!rowspan=2| 1946-47
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|20
|1
|5
|99
|47
|'''41'''
|bgcolor="silver"| 2位
|rowspan=2| なし
|rowspan=2 align="left"|[[アルセニオ・ドゥアルテ|アルセニオ]]
|rowspan=2| 29
|-
|リスボン選手権
|10
|6
|2
|2
|41
|22
|'''24'''
|bgcolor="silver"| 2位
|-
!1947-48
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|19
|3
|4
|84
|35
|'''41'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"|[[ジュリオ・コレイア・ダ・シウヴァ|ジュリーニョ]]
|26
|-
! 1948-49
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|17
|3
|6
|72
|34
|'''37'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|colspan=2|
|align="left"|コロナ
|23
|-
!1949-50
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|21
|3
|2
|86
|33
|'''45'''
|bgcolor="gold"| 1位
|なし
|[[ラテン・カップ]]
|bgcolor="gold"|優勝
|align="left"|[[ジュリオ・コレイア・ダ・シウヴァ|ジュリーニョ]]
|31
|-
! 1950-51
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|12
|6
|8
|81
|43
|'''30'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|bgcolor="gold"|優勝
|colspan=2|
|align="left"|[[アルセニオ・ドゥアルテ|アルセニオ]]
|35
|-
! 1951-52
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|18
|4
|4
|76
|26
|'''40'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"|優勝
|colspan=2|
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|34
|-
! 1952-53
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|17
|5
|4
|75
|27
|'''39'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|colspan=2|
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|35
|-
! 1953-54
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|13
|6
|7
|62
|40
|'''32'''
| bgcolor="#cc9966"| 3位
|1回戦敗退
|align="center" colspan=2|なし
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|23
|-
! 1954-55
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|18
|3
|5
|61
|20
|'''39'''
| bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|colspan=2|
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|26
|-
! 1955-56
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|36
|19
|5
|2
|76
|31
|'''43'''
|bgcolor="silver"| 2位
|2回戦敗退
|[[ラテン・カップ]]
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|31
|-
! 1956-57
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|17
|7
|2
|75
|25
|'''41'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[ラテン・カップ]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|33
|-
! 1957-58
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|17
|2
|7
|79
|21
|'''36'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|予選敗退
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|31
|-
!1958-59
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|17
|7
|2
|78
|20
|'''41'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|colspan=2|
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|29
|-
! 1959-60
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|20
|5
|1
|75
|27
|'''45'''
| bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|colspan=2|
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|30
|-
! 1960-61
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|22
|2
|2
|92
|21
|'''46'''
|bgcolor="gold"| 1位
|3回戦敗退
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="gold"|優勝
|align="left"|[[ジョゼ・アグアス|J・アグアス]]
|43
|-
!rowspan=2|1961-62
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|rowspan=2|26
|rowspan=2|14
|rowspan=2|8
|rowspan=2|4
|rowspan=2|69
|rowspan=2|38
|rowspan=2|'''36'''
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| 3位
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2 align="left"|[[エウゼビオ]]
|rowspan=2| 29
|-
|[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|IC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|-
!rowspan=2|1962-63
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|rowspan=2|26
|rowspan=2|23
|rowspan=2|2
|rowspan=2|1
|rowspan=2|85
|rowspan=2|15
|rowspan=2|'''48'''
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|rowspan=2 align="left"|[[エウゼビオ]]
|rowspan=2| 38
|-
|[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|IC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|-
! 1963-64
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|21
|4
|1
|103
|26
|'''46'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|1回戦敗退
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|46
|-
!1964-65
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|19
|5
|2
|88
|21
|'''43'''
| bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|48
|-
! 1965-66
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|18
|5
|3
|73
|30
|'''41'''
|bgcolor="silver"| 2位
|ベスト8
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|ベスト8
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|37
|-
! 1966-67
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|20
|3
|3
|64
|19
|'''43'''
|bgcolor="gold"| 1位
|ベスト8
|[[インターシティーズ・フェアーズカップ|ICFC]]
|3回戦敗退
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|42
|-
! 1967-68
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|18
|5
|3
|75
|19
|'''41'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|50
|-
! 1968-69
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|16
|7
|3
|49
|17
|'''39'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|ベスト8
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|29
|-
! 1969-70
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|17
|4
|5
|58
|14
|'''38'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|25
|-
! 1970-71
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|26
|18
|5
|3
|62
|17
|'''41'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[アルトゥール・ジョルジュ|A・ジョルジュ]]
|37
|-
!1971-72
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|26
|3
|1
|81
|16
|'''55'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"|[[アルトゥール・ジョルジュ|A・ジョルジュ]]
|33
|-
! 1972-73
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|28
|2
|0
|101
|13
|'''58'''
|bgcolor="gold"| 1位
|6回戦敗退
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|42
|-
! 1973-74
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|21
|5
|4
|68
|23
|'''47'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[エウゼビオ]]
|19
|-
!1974-75
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|21
|7
|2
|62
|12
|'''49'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|ベスト8
|align="left"|[[マリオ・モイニョス|モイニョス]]
|18
|-
! 1975-76
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|23
|4
|3
|94
|20
|'''50'''
|bgcolor="gold"| 1位
| 5回戦敗退
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|ベスト8
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|34
|-
! 1976-77
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|23
|5
|2
|67
|24
|'''51'''
|bgcolor="gold"| 1位
|7回戦敗退
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|1回戦敗退
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|27
|-
! 1977-78
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|21
|9
|0
|56
|11
|'''51'''
|bgcolor="silver"| 2位
|ベスト8
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|ベスト8
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|21
|-
! 1978-79
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|23
|3
|4
|75
|21
|'''49'''
|bgcolor="silver"| 2位
|3回戦敗退
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|2回戦敗退
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|28
|-
! 1979-80
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|19
|7
|4
|79
|21
|'''45'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|bgcolor="gold"|優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|1回戦敗退
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|36
|-
! 1980-81
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|22
|6
|2
|72
|15
|'''50'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|32
|-
! 1981-82
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|20
|4
|6
|60
|22
|'''44'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="#cc9966"|ベスト4
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|2回戦敗退
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|37
|-
! 1982-83
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|22
|7
|1
|67
|13
|'''51'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|bgcolor="silver"|準優勝
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|32
|-
! 1983-84
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|24
|4
|2
|86
|22
|'''52'''
|bgcolor="gold"| 1位
|5回戦敗退
|bgcolor="silver"|準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|ベスト8
|align="left"| [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]]
|27
|-
! 1984-85
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|18
|7
|5
|65
|28
|'''43'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|bgcolor="gold"| 優勝
|bgcolor="silver"|準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[ミカエル・マニケ|マニケ]]
|28
|-
! 1985-86
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|21
|5
|4
|54
|13
|'''47'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|bgcolor="gold"|優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|ベスト8
|align="left"|[[ミカエル・マニケ|マニケ]]
|21
|-
! 1986-87
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|30
|20
|9
|1
|51
|23
|'''49'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="gold"| 優勝
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[ルイ・アグアス|R・アグアス]]
|20
|-
! 1987-88
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|38
|19
|13
|6
|59
|25
|'''51'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|align="left"|[[ルイ・アグアス|R・アグアス]]
|18
|-
! 1988-89
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|38
|27
|9
|2
|60
|15
|'''63'''
|bgcolor="gold"| 1位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|2回戦敗退
|align="left"|[[ヴァタ・マタヌ・ガルシア|ヴァタ]]
|18
|-
! 1989-90
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|23
|9
|2
|76
|19
|'''55'''
|bgcolor="silver"| 2位
|4回戦敗退
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|bgcolor="silver"| 準優勝
|align="left"|[[マッツ・マグヌソン|マグヌソン]]
|40
|-
! 1990-91
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|38
|32
|5
|1
|89
|18
|'''69'''
|bgcolor="gold"| 1位
|ベスト8
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|1回戦敗退
|align="left"|[[ルイ・アグアス|R・アグアス]]
|26
|-
! 1991-92
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|17
|12
|5
|62
|33
|'''46'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="#cc9966"|ベスト4
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
|グループリーグ敗退
|align="left"|[[イサイアス・マルケス・ソアレス|イサイアス]]
|17
|-
! 1992-93
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|22
|8
|4
|60
|18
|'''52'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|ベスト8
|align="left"|[[イサイアス・マルケス・ソアレス|イサイアス]]
|17
|-
!1993-94
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|23
|8
|3
|73
|25
|'''54'''
|bgcolor="gold"| 1位
|6回戦敗退
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|align="left"|[[ジョアン・ピント]]
|18
|-
!1994-95
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|22
|5
|7
|61
|28
|'''49'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|ベスト8
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|ベスト8
|align="left"|[[エジウソン・ダ・シルバ・フェレイラ|エジウソン]]
|17
|-
! 1995-96
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|22
|7
|5
|57
|27
|'''73'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="gold"| 優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|3回戦敗退
|align="left"|[[ジョアン・ピント]]
|23
|-
! 1996-97
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|17
|7
|10
|49
|30
|'''58'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|bgcolor="silver"| 準優勝
|bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAカップウィナーズカップ|CWC]]
|ベスト8
|align="left"|[[ジョアン・ピント]]
|16
|-
! 1997-98
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|20
|8
|6
|62
|29
|'''68'''
|bgcolor="silver"| 2位
|bgcolor="silver"|準優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|1回戦敗退
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス|N・ゴメス]]
|22
|-
! 1998-99
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]
|34
|19
|8
|7
|71
|29
|'''65'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|5回戦敗退
|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|グループリーグ敗退
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス|N・ゴメス]]
|34
|-
!1999-00
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|34
|21
|6
|7
|58
|33
|'''69'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|6回戦敗退
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|3回戦敗退
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス|N・ゴメス]]
|20
|-
!2000-01
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|34
|15
|9
|10
|54
|44
|'''54'''
|6th
|6回戦敗退
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|1回戦敗退
|align="left"|[[ピエール・ファン・ホーイドンク|ファン・ホーイドンク]]
|23
|-
! 2001-02
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|34
|17
|12
|5
|66
|37
|'''63'''
|4位
|5回戦敗退
|
|colspan=2|
|align="left"|[[ペドロ・マントラス|マントラス]]
|13
|-
!2002-03
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|34
|23
|6
|5
|74
|27
|'''75'''
|bgcolor="silver"| 2位
|4回戦敗退
|
|colspan=2|
|align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|18
|-
!rowspan=2| 2003-04
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|rowspan=2|34
|rowspan=2|22
|rowspan=2|8
|rowspan=2|4
|rowspan=2|62
|rowspan=2|28
|rowspan=2|'''74'''
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 2位
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|予選3回戦敗退
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2| 15
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|4回戦敗退
|-
!rowspan=2|2004-05
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|rowspan=2|34
|rowspan=2|19
|rowspan=2|8
|rowspan=2|7
|rowspan=2|51
|rowspan=2|31
|rowspan=2|'''65'''
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 1位
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 準優勝
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|予選3回戦敗退
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2| 20
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|1回戦敗退
|-
!2005-06
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|34
|20
|7
|7
|51
|29
|'''67'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|ベスト8
|bgcolor="gold"| 優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|ベスト8
|align="left"|[[ヌーノ・ゴメス|N・ゴメス]]
|17
|-
!rowspan=2| 2006-07
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|rowspan=2|30
|rowspan=2|20
|rowspan=2|7
|rowspan=2|3
|rowspan=2|55
|rowspan=2|20
|rowspan=2|'''67'''
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"|3位
|rowspan=2|6回戦敗退
|rowspan=2|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|グループリーグ敗退
|rowspan=2 align="left"|[[シモン・サブローザ|シモン]]
|rowspan=2| 16
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|ベスト8
|-
!rowspan=2| 2007-08
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|rowspan=2|30
|rowspan=2|13
|rowspan=2|13
|rowspan=2|4
|rowspan=2|45
|rowspan=2|21
|rowspan=2|'''52'''
|rowspan=2|4位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"|ベスト4
|rowspan=2| 4回戦敗退
|rowspan=2|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|グループリーグ敗退
|rowspan=2 align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|rowspan=2| 22
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|4回戦敗退
|-
!2008-09
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|30
|17
|8
|5
|54
|32
|'''59'''
|bgcolor="#cc9966"| 3位
|5回戦敗退
|bgcolor="gold"| 優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|UC]]
|グループリーグ敗退
|align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|17
|-
!2009-10
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|30
|24
|4
|2
|78
|20
|'''76'''
|bgcolor="gold"| 1位
|4回戦敗退
|bgcolor="gold"| 優勝
|
|[[UEFAヨーロッパリーグ|EL]]
|ベスト8
|align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|38
|-
!rowspan=2| 2010-11
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|rowspan=2|30
|rowspan=2|20
|rowspan=2|3
|rowspan=2|7
|rowspan=2|61
|rowspan=2|31
|rowspan=2|'''63'''
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 2位
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|rowspan=2 bgcolor="gold"| 優勝
|rowspan=2 bgcolor="silver"| 準優勝
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|グループリーグ敗退
|rowspan=2 align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|rowspan=2| 23
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ|EL]]
|bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|-
!2011-12
|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|30
|21
|6
|3
|66
|27
|'''69'''
|bgcolor="silver"| 2位
|5回戦敗退
|bgcolor="gold"| 優勝
|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|ベスト8
|align="left"|[[オスカル・カルドソ|カルドソ]]
|28
|-
!rowspan=2| 2012-13
|rowspan=2|[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2|
|rowspan=2 bgcolor="#cc9966"| ベスト4
|rowspan=2|
|[[UEFAチャンピオンズリーグ|CL]]
|グループリーグ敗退
|rowspan=2 align="left"|
|rowspan=2|
|-
|[[UEFAヨーロッパリーグ|EL]]
|
|-
|}

=== 欧州カップ ===
==== シーズンごとの戦績 ====
{{col-start}}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン !! 大会 !! 最終成績 !! 試合数 !! 勝利 !! 引分 !! 敗北
|-
| 1957–58 || rowspan=10| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || 予選敗退 || 2 || 0 || 1 || 1
|-
| 1960–61 || bgcolor=gold|'''優勝''' || 9 || 7 || 1 || 1
|-
| 1961–62 || bgcolor=gold|'''優勝''' || 7 || 4 || 1 || 2
|-
| 1962–63 || bgcolor=silver|準優勝 || 7 || 3 || 3 || 1
|-
| 1963–64 || 1回戦敗退 || 4 || 2 || 1 || 1
|-
| 1964–65 || bgcolor=silver|準優勝 || 9 || 6 || 1 || 2
|-
| 1965–66 || ベスト8 || 6 || 3 || 1 || 2
|-
| 1967–68 || bgcolor=silver|準優勝 || 9 || 4 || 3 || 2
|-
| 1968–69 || ベスト8 || 5 || 2 || 1 || 2
|-
| 1969–70 || 2回戦敗退 || 4 || 3 || 0 || 1
|-
| 1970-71 || [[UEFAカップウィナーズカップ]] || 2回戦敗退 || 4 || 2 || 1 || 1
|-
| 1971-72 || rowspan=3| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || bgcolor="#ac6b25"|ベスト4 || 8 || 4 || 2 || 2
|-
| 1972-73 || 2回戦敗退 || 4 || 1 || 1 || 2
|-
| 1973-74 || 2回戦敗退 || 4 || 2 || 1 || 1
|-
| 1974-75 || [[UEFAカップウィナーズカップ]] || ベスト8 || 6 || 2 || 3 || 1
|-
| 1975-76 || rowspan=3| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || ベスト8 || 6 || 2 || 1 || 3
|-
| 1976-77 || 1回戦敗退 || 2 || 0 || 1 || 1
|-
| 1977-78 || ベスト8 || 6 || 2 || 2 || 2
|-
| 1978-79 || rowspan=2| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 2回戦敗退 || 4 || 1 || 2 || 1
|-
| 1979-80 || 1回戦敗退 || 2 || 1 || 0 || 1
|-
| 1980-81 || [[UEFAカップウィナーズカップ]] || bgcolor="#ac6b25"|ベスト4 || 10 || 5 || 3 || 2
|-
| 1981-82 || [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || 2回戦敗退 || 4 || 2 || 1 || 1
|-
| 1982-83 || [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || bgcolor=silver|準優勝 || 12 || 6 || 5 || 1
|-
| 1983-84 || rowspan=2| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || ベスト8 || 6 || 3 || 0 || 3
|-
| 1984-85 || 2回戦敗退 || 4 || 2 || 0 || 2
|-
| 1985-86 || rowspan=2| [[UEFAカップウィナーズカップ]] || ベスト8 || 4 || 2 || 0 || 2
|-
| 1986-87 || 2回戦敗退 || 4 || 2 || 1 || 1
|-
| 1987-88 || [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || bgcolor=silver|準優勝 || 8 || 4 || 3 || 1
|-
| 1988-89 || [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 2回戦敗退 || 4 || 2 || 1 || 1
|}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン !! 大会 !! 最終成績 !! 試合数 !! 勝利 !! 引分 !! 敗北
|-
| 1989-90 || [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || bgcolor=silver|準優勝 || 9 || 7 || 0 || 2
|-
| 1990-91 || [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 1回戦敗退 || 2 || 0 || 0 || 2
|-
| 1991-92 || [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] || 3回戦敗退 || 10 || 4 || 4 || 2
|-
| 1992-93 || [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || ベスト8 || 8 || 6 || 1 || 1
|-
| 1993-94 || [[UEFAカップウィナーズカップ]] || bgcolor="#ac6b25"|ベスト4 || 8 || 4 || 3 || 1
|-
| 1994-95 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || ベスト8 || 8 || 3 || 4 || 1
|-
| 1995-96 || [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 3回戦敗退 || 6 || 3 || 1 || 2
|-
| 1996-97 || [[UEFAカップウィナーズカップ]] || ベスト8 || 6 || 4 || 1 || 1
|-
| 1997-98 || [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 1回戦敗退 || 2 || 0 || 0 || 1
|-
| 1998-99 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || グループリーグ敗退 || 8 || 3 || 2 || 3
|-
| 1999-00 || rowspan=2| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 3回戦敗退 || 6 || 2 || 1 || 3
|-
| 2000-01 || 1回戦敗退 || 2 || 0 || 1 || 1
|-
| rowspan=2| 2003-04 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || 予選3回戦敗退 || 2 || 0 || 0 || 2
|-
| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 4回戦敗退 || 8 || 4 || 2 || 2
|-
| rowspan=2| 2004-05 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || 予選3回戦敗退 || 2 || 1 || 0 || 1
|-
| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || 決勝トーナメント<br />1回戦敗退 || 8 || 5 || 1 || 2
|-
| 2005-06 || rowspan=2| [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || ベスト8 || 10 || 4 || 3 || 3
|-
| rowspan=2| 2006-07 || グループリーグ敗退 || 8 || 3 || 2 || 3
|-
| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || ベスト8 || 6 || 3 || 1 || 2
|-
| rowspan=2| 2007-08 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || グループリーグ敗退 || 8 || 4 || 1 || 3
|-
| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]] || ベスト16 || 4 || 1 || 1 || 2
|-
| 2008-09 || rowspan=2| [[UEFAヨーロッパリーグ]] || グループリーグ敗退 || 6 || 1 || 1 || 4
|-
| 2009-10 || ベスト8 || 14 || 9 || 2 || 3
|-
| rowspan=2| 2010-11 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] || グループリーグ敗退 || 6 || 2 || 0 || 4
|-
| [[UEFAヨーロッパリーグ]] || bgcolor="#ac6b25"|ベスト4 || 8 || 5 || 2 || 1
|-
| 2011-12 || [[UEFAチャンピオンズリーグ]] ||ベスト8 || 14 || 6 || 5 || 3
|}
{{col-end}}

==== 試合一覧 ====
===== UEFAチャンピオンズリーグ =====
UEFAチャンピオンズカップ時代も含む

{{col-start}}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン
! ラウンド
! 対戦相手
! スコア
|-
| 1957–58
| 予選
| {{flagicon|ESP|1945}} [[セビージャFC]]
| 1–3 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=5| 1960–61
| 予選
| {{flagicon|SCO}} [[ハート・オブ・ミドロシアンFC]]
| 2–1 (A)<br>3–0 (H)
|-
| 1回戦
| {{flagicon|HUN|1957}} [[ウーイペシュトFC|ウーイペシュト・ドージャFC]]
| 6–2 (H)<br>1–2 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|DEN}} [[AGFオーフス]]
| 4–1 (A)<br>3–1 (H)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|AUT}} [[SKラピード・ウィーン]]
| 3–0 (H)<br>1–1 (A)
|-
| 決勝
| {{flagicon|ESP|1945}} [[FCバルセロナ]]
| 3–2 (N)
|-
|rowspan=4|1961–62
| 1回戦
| {{flagicon|AUT}} [[FKアウストリア・ウィーン]]
| 1–1 (A)<br>5–1 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|FRG}} [[1.FCニュルンベルク]]
| 1–3 (A)<br>6–0 (H)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|ENG}} [[トッテナム・ホットスパーFC]]
| 3–1 (H)<br>1–2 (A)
|-
| 決勝
| {{flagicon|ESP|1945}} [[レアル・マドリード]]
| 5–3 (N)
|-
|rowspan=4|1962–63
| 1回戦
| {{flagicon|SWE}} [[IFKノルシェーピン]]
| 1–1 (A)<br>5–1 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|TCH}} [[ドゥクラ・プラハ]]
| 2–1 (H)<br>0–0 (A)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|NED}} [[フェイエノールト]]
| 0–0 (A)<br>3–1 (H)
|-
| 決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
| 1–2 (N)
|-
|rowspan=2|1963–64
| 予選
| {{flagicon|NIR}} [[リスバーン・ディスティラリーFC]]
| 3–3 (A)<br>5–0 (H)
|-
| 1回戦
| {{flagicon|FRG}} [[ボルシア・ドルトムント]]
| 2–1 (H)<br>0–5 (A)
|-
|rowspan=5| 1964–65
| 予選
| {{flagicon|LUX}} FC Aris Bonnevoie
| 5–1 (A)<br>5–1 (H)
|-
| 1回戦
| {{flagicon|SUI}} [[FCラ・ショー=ド=フォン]]
| 1–1 (A)<br>5–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ESP|1945}} [[レアル・マドリード]]
| 5–1 (H)<br>1–2 (A)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|HUN|1957}} [[ジェールETO FC]]
| 1–0 (A)<br>4–0 (H)
|-
| 決勝
| {{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]
| 0–1 (A)
|-
|rowspan=3| 1965–66
| 予選
| {{flagicon|LUX}} [[F91デュドランジュ]]
| 8–0 (A)<br>10–0 (H)
|-
| 1回戦
| {{flagicon|BUL|1946}} [[PFCレフスキ・ソフィア]]
| 2–2 (A)<br>3–2 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 2–3 (A)<br>1–5 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home">ホームで敗れた。</ref>
|-
|rowspan=5| 1967–68
| 1回戦
| {{flagicon|NIR}} [[グレントランFC]]
| 1–1 (A)<br>0–0 (H)<ref group="注釈" name="Won on the away goals rule">アウェーゴールルールによって勝ち上がりを決めた。</ref>
|-
| 2回戦
| {{flagicon|FRA}} [[ASサンテティエンヌ]]
| 2–0 (H)<br>0–1 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|HUN|1957}} [[ヴァサスSC]]
| 0–0 (A)<br>3–0 (H)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]]
| 2–0 (H)<br>1–0 (A)
|-
| 決勝
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 1–4 (N)<ref group="注釈">90分を終えて1-1だったが、延長戦の末に敗れた。</ref>
|-
|rowspan=3| 1968–69
| 1回戦
| {{flagicon|ISL}} [[ヴァルルFC]]
| 0–0 (A)<br>8–1 (H)
|-
| 2回戦
| colspan=2|<center>不戦勝
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|NED}} [[AFCアヤックス]]
| 1–3 (A)<br>3–1 (H)<ref group="注釈">中立地のパリでプレーオフが行なわれ、0-3で敗れた。</ref>
|-
|rowspan=2| 1969–70
| 1回戦
| {{flagicon|DEN}} [[ケベンハウンBK]]
| 2–0 (H)<br>3–2 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|SCO}} [[セルティックFC]]
| 0–3 (A)<br>3–0 (H)<ref group="注釈">コイントスの末に敗れた。</ref>
|-
|rowspan=4| 1971–72
| 1回戦
| {{flagicon|AUT}} [[FCヴァッカー・インスブルック]]
| 4–0 (H)<br>3–1 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|Bulgaria|1971}} [[PFC CSKAソフィア]]
| 2–1 (H)<br>0–0 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|NED}} [[フェイエノールト]]
| 0–1 (A)<br>5–1 (H)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|NED}} [[AFCアヤックス]]
| 0–1 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=2| 1972–73
| 1回戦
| {{flagicon|SWE}} [[マルメFF]]
| 0–1 (A)<br>4–1 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|ENG}} [[ダービー・カウンティFC]]
| 0–3 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=2| 1973–74
| 1回戦
| {{flagicon|Greece|1970}} [[オリンピアコスFC]]
| 1–0 (H)<br>1–0 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|HUN|1957}} [[ウーイペシュトFC|ウーイペシュト・ドージャFC]]
| 1–1 (H)<br>0–2 (A)
|-
|rowspan=3| 1975–76
| 1回戦
| {{flagicon|TUR}} [[フェネルバフチェSK]]
| 7–0 (H)<br>0–1 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|HUN|1957}} [[ウーイペシュトFC|ウーイペシュト・ドージャFC]]
| 5–2 (H)<br>1–3 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|FRG}} [[バイエルン・ミュンヘン]]
| 0–0 (H)<br>1–5 (A)
|-
| 1976–77
| 1回戦
| {{flagicon|DDR}} [[ディナモ・ドレスデン]]
| 0–2 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=3| 1977–78
| 1回戦
| {{flagicon|URS}} [[FCトルペド・モスクワ]]
| 0–0 (H)<br>0–0 (A)<ref group="注釈" name="Won 4–1 on penalties">PK戦4-1で勝利した。</ref>
|-
| 2回戦
| {{flagicon|DEN}} Boldklubben 1903
| 1–0 (H)<br>1–0 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
| 1–2 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/> <br>1–4 (A)
|-
|rowspan=2| 1981–82
| 1回戦
| {{flagicon|CYP}} [[オモニア・ニコシア]]
| 3–0 (H)<br>1–0 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|FRG}} [[バイエルン・ミュンヘン]]
| 0–0 (H)<br>1–4 (A)
|-
|rowspan=3| 1983–84
| 1回戦
| {{flagicon|NIR}} [[リンフィールドFC]]
| 3–0 (H)<br>3–2 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|GRE}} [[オリンピアコスFC]]
| 0–1 (A)<br>3–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
| 0–1 (A)<br>1–4 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
|}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン
! ラウンド
! 対戦相手
! スコア
|-
|rowspan=2| 1984–85
| 1回戦
| {{flagicon|YUG}} [[レッドスター・ベオグラード]]
| 2–3 (A)<br>2–0 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
| 1–3 (A)<br>1–0 (H)
|-
|rowspan=5| 1987–88
| 1回戦
| {{flagicon|ALB}} [[KFパルチザーニ・ティラナ]]
| 4–0 (H)<ref group="注釈">パルチザーニは大会から除外された。</ref>
|-
| 2回戦
| {{flagicon|DEN}} [[AGFオーフス]]
| 0–0 (A)<br>1–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|BEL}} [[RSCアンデルレヒト]]
| 2–0 (H)<br>0–1 (A)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|ROM|1965}} [[FCステアウア・ブカレスト]]
| 0–0 (A)<br>2–0 (H)
|-
| 決勝
| {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン|PSV]]
| 0–0 (N)<ref group="注釈">PK戦6–5で敗れた。</ref>
|-
|rowspan=5| 1989–90
| 1回戦
| {{flagicon|IRL}} [[デリー・シティFC]]
| 2–1 (A)<br>4–0 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|HUN}} [[ブダペスト・ホンヴェードFC]]
| 2–0 (A)<br>7–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|URS}} [[FCドニエプル・ドニエプロペトロフスク]]
| 1–0 (H)<br>3–0 (A)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|FRA}} [[オリンピック・マルセイユ]]
| 1–2 (A)<br>1–0 (H)<ref group="注釈" name="Won on the away goals rule"/>
|-
| 決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
| 0–1 (N)
|-
|rowspan=5| 1991–92
| 1回戦
| {{flagicon|Malta}} Hamrun Spartans FC
| 6–0 (A)<br>4–0 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|ENG}} [[アーセナルFC]]
| 1–1 (H)<br>3–1 (A)<ref group="注釈">延長戦の末に勝ち上がりを決めた。</ref>
|-
|rowspan=3| グループB
| {{flagicon|URS}} [[FCディナモ・キエフ]]
| 0–1 (A)<br>5–0 (H)
|-
| {{flagicon|ESP}} [[FCバルセロナ]]
| 0–0 (H)<br>1–2 (A)
|-
| {{flagicon|TCH}} [[ACスパルタ・プラハ]]
| 1–1 (H)<br>1–1 (A)
|-
|rowspan=4| 1994–95
|rowspan=3| グループC
| {{flagicon|CRO}} [[ハイデュク・スプリト|HNKハイデュク・スプリト]]
| 0–0 (A)<br>2–1 (H)
|-
| {{flagicon|BEL}} [[RSCアンデルレヒト]]
| 3–1 (H)<br>1–1 (A)
|-
| {{flagicon|ROM}} [[FCステアウア・ブカレスト]]
| 2–1 (H)<br>1–1 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
| 0–2 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=4| 1998–99
| 予選2回戦
| {{flagicon|ISR}} [[ベイタル・エルサレムFC]]
| 6–0 (H)<br>2–4 (A)
|-
|rowspan=3| グループF
| {{flagicon|GER}} [[1.FCカイザースラウテルン]]
| 0–1 (A)<br>2–1 (H)
|-
| {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン|PSV]]
| 2–1 (H)<br>2–2 (A)
|-
| {{flagicon|FIN}} [[HJKヘルシンキ]]
| 0–2 (A)<br>2–2 (H)
|-
| 2003–04
| 予選3回戦
| {{flagicon|ITA}} [[SSラツィオ]]
| 1–3 (A)<br>0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
| 2004–05
| 予選3回戦
| {{flagicon|BEL}} [[RSCアンデルレヒト]]
| 1–0 (H)<br>0–3 (A)
|-
|rowspan=5| 2005–06
|rowspan=3| グループD
| {{flagicon|FRA}} [[LOSCリール・メトロポール]]
| 1–0 (H)<br>0–0 (A)
|-
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 1–2 (A)<br>2–1 (H)
|-
| {{flagicon|ESP}} [[ビジャレアルCF]]
| 1–1 (A)<br>0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
| 1–0 (H)<br>2–0 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ESP}} [[FCバルセロナ]]
| 0–0 (H)<br>0–2 (A)
|-
|rowspan=4| 2006–07
| 予選3回戦
| {{flagicon|AUT}} [[FKアウストリア・ウィーン]]
| 1–1 (A)<br>3–0 (H)
|-
|rowspan=3| グループF
| {{flagicon|DEN}} [[FCコペンハーゲン]]
| 0–0 (A)<br>3–1 (H)
|-
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/><br>1–3 (A)
|-
| {{flagicon|SCO}} [[セルティックFC]]
| 0–3 (A)<br>3–0 (H)
|-
|rowspan=4| 2007–08
| 予選3回戦
| {{flagicon|DEN}} [[FCコペンハーゲン]]
| 2–1 (H)<br>1–0 (A)
|-
|rowspan=3| グループD
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
| 1–2 (A)<br>1–1 (H)
|-
| {{flagicon|UKR}} [[FCシャフタール・ドネツク]]
| 0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/><br>2–1 (A)
|-
| {{flagicon|SCO}} [[セルティックFC]]
| 1–0 (H)<br>0–1 (A)
|-
|rowspan=3| 2010–11
|rowspan=3| グループB
| {{flagicon|ISR}} [[ハポエル・テルアビブFC]]
| 2–0 (H)<br>0–3 (A)
|-
| {{flagicon|GER}} [[シャルケ04]]
| 0–2 (A)<br>1–2 (H)
|-
| {{flagicon|FRA}} [[オリンピック・リヨン]]
| 0–2 (A)<br>4–3 (H)
|-
|rowspan=7| 2011–12
| 予選3回戦
| {{flagicon|TUR}} [[トラブゾンスポル]]
| 2–0 (H)<br>1–1 (A)
|-
| プレーオフ
| {{flagicon|NED}} [[FCトゥウェンテ]]
| 2–2 (A)<br>3–1 (H)
|-
|rowspan=3| グループC
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 1–1 (H)<br>2–2 (A)
|-
| {{flagicon|ROM}} [[FCオツェルル・ガラツィ]]
| 1–0 (A)<br>1–0 (H)
|-
| {{flagicon|SUI}} [[FCバーゼル]]
| 2–0 (A)<br>1–1 (H)
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|RUS}} [[ゼニト・サンクトペテルブルク]]
| 2–3 (A)<br>2–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ENG}} [[チェルシーFC]]
| 0–1 (H)<br>1–2 (A)
|-
|rowspan=3| 2012–13
|rowspan=3| グループG
| {{flagicon|SCO}} [[セルティックFC]]
| 0–0 (A)<br>2–1 (H)
|-
| {{flagicon|ESP}} [[FCバルセロナ]]
| 0–2 (H)<br>0–0 (A)
|-
| {{flagicon|RUS}} [[FCスパルタク・モスクワ]]
| 1–2 (A)<br>2–0 (H)
|}
{{col-end}}

===== UEFAカップウィナーズカップ =====
ヨーロッパ・カップウィナーズカップ時代も含む

{{col-start}}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン
! ラウンド
! 対戦相手
! スコア
|-
|rowspan=2| 1970–71
| 1回戦
| {{flagicon|YUG}} [[NKオリンピア・リュブリャナ (1911年 - 2004年)|NKオリンピア・リュブリャナ]]
| 1–1 (A)<br>8–1 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|DDR}} [[フランクフルターFC・ヴィクトリア]]
| 2–0 (H)<br>0–2 (A)<ref group="注釈">PK戦3-5で敗れた。</ref>
|-
|rowspan=3| 1974–75
| 1回戦
| {{flagicon|DEN}} [[バンレーセIF]]
| 4–0 (H)<br>4–1 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|DDR}} [[FCカールツァイス・イェーナ]]
| 1–1 (A)<br>0–0 (H)<ref group="注釈" name="Won on the away goals rule"/>
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン|PSV]]
| 0–0 (A)<br>1–2 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
|rowspan=5| 1980–81
| 予選
| {{flagicon|TUR}} [[アルタイSK]]
| 0–0 (A)<br>4–0 (H)
|-
| 1回戦
| {{flagicon|YUG}} [[NKディナモ・ザグレブ]]
| 0–0 (A)<br>2–0 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|SWE}} [[マルメFF]]
| 0–1 (A)<br>2–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|FRG}} [[フォルトゥナ・デュッセルドルフ]]
| 2–2 (A)<br>1–0 (H)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|DDR}} [[FCカールツァイス・イェーナ]]
| 0–2 (A)<br>1–0 (H)
|-
|rowspan=3| 1985–86
| 1回戦
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 不戦勝<ref group="注釈">1985年に起こった[[ヘイゼルの悲劇]]の制裁措置として、イングランドのクラブは欧州カップ戦への出場を禁止された。このため、ベンフィカが自動的に勝ち上がりとなった。</ref>
|-
| 2回戦
| {{flagicon|ITA}} [[UCサンプドリア]]
| 2–0 (H)<br>0–1 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|TCH}} [[ドゥクラ・プラハ]]
| 0–1 (A)<br>2–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule">アウェーゴールルールによって敗退が決まった。</ref>
|-
|}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン
! ラウンド
! 対戦相手
! スコア
|-
|rowspan=2| 1986–87
| 1回戦
| {{flagicon|NOR}} [[リールストロムSK]]
| 2–0 (H)<br>2–1 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|FRA}} [[FCジロンダン・ボルドー]]
| 1–1 (H)<br>0–1 (A)
|-
|rowspan=4| 1993–94
| 1回戦
| {{flagicon|POL}} [[GKSカトヴィツェ]]
| 1–0 (H)<br>1–1 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|BUL}} [[PFC CSKAソフィア]]
| 3–1 (H)<br>3–1 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|GER}} [[バイヤー・レバークーゼン]]
| 1–1 (H)<br>4–4 (A)<ref group="注釈" name="Won on the away goals rule"/>
|-
| 準決勝
| {{flagicon|ITA}} [[パルマFC]]
| 2–1 (H)<br>0–1 (A)<ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule"/>
|-
|rowspan=3| 1996–97
| 1回戦
| {{flagicon|POL}} [[ルフ・ホジューフ]]
| 5–1 (H)<br>0–0 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|RUS}} [[FCロコモティフ・モスクワ]]
| 1–0 (H)<br>3–2 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ACFフィオレンティーナ]]
| 0–2 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/><br>1–0 (A)
|-
|}
{{col-end}}

===== UEFAヨーロッパリーグ =====
[[インターシティーズ・フェアーズカップ]]、UEFAカップ時代も含む

{{col-start}}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン
! ラウンド
! 対戦相手
! スコア
|-
|rowspan=3| 1966–67
| 1回戦
| colspan=2|<center>不戦勝
|-
| 2回戦
| {{flagicon|BUL|1946}} [[FCスパルタク・プロブディフ]]
| 1–1 (A)<br>3–0 (H)
|-
| 3回戦
| {{flagicon|DDR}} [[1.FCロコモティーヴェ・ライプツィヒ]]
| 1–3 (A)<br>2–1 (H)
|-
|rowspan=2| 1978–79
| 1回戦
| {{flagicon|FRA}} [[FCナント]]
| 2–0 (A)<br>0–0 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|FRG}} [[ボルシア・メンヒェングラートバッハ]]
| 0–0 (H)<br>0–2 (A)
|-
| 1979–80
| 1回戦
| {{flagicon|GRE}} [[アリス・テッサロニキFC]]
| 1–3 (A)<br>2–1 (H)
|-
|rowspan=6| 1982–83
| 1回戦
| {{flagicon|ESP}} [[レアル・ベティス]]
| 2–1 (H)<br>2–1 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|BEL}} [[KSCロケレン]]
| 2–0 (H)<br>2–1 (A)
|-
| 3回戦
| {{flagicon|SUI}} [[FCチューリッヒ]]
| 1–1 (A)<br>4–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ASローマ]]
| 2–1 (A)<br>1–1 (H)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|ROM|1965}} [[ウニヴェルシタテア・クライオヴァ|FCウニヴェルシタテア・クライオヴァ]]
| 0–0 (A)<br>1–1 (H)<ref group="注釈" name="Won on the away goals rule"/>
|-
| 決勝
| {{flagicon|BEL}} [[RSCアンデルレヒト]]
| 0–1 (A)<br>1–1 (H)
|-
|rowspan=2| 1988–89
| 1回戦
| {{flagicon|FRA}} [[モンペリエHSC]]
| 3–0 (A)<br>3–1 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|BEL}} [[RFCリエージュ]]
| 1–2 (A)<br>1–1 (H)
|-
| 1990–91
| 1回戦
| {{flagicon|ITA}} [[ASローマ]]
| 0–1 (A)<br>0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
|rowspan=4| 1992–93
| 1回戦
| {{flagicon|SVN}} [[NKイゾラ]]
| 3–0 (H)<br>5–0 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|HUN}} Vác-Újbuda
| 5–1 (H)<br>1–0 (A)
|-
| 3回戦
| {{flagicon|RUS}} [[FCディナモ・モスクワ]]
| 2–2 (A)<br>2–0 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]]
| 2–1 (H)<br>0–3 (A)
|-
|rowspan=3| 1995–96
| 1回戦
| {{flagicon|BEL}} [[リールセSK]]
| 3–1 (A)<br>2–1 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|NED}} [[ローダJC]]
| 1–0 (H)<br>2–2 (A)
|-
| 3回戦
| {{flagicon|GER}} [[バイエルン・ミュンヘン]]
| 1–4 (A)<br>1–3 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
| 1997–98
| 1回戦
| {{flagicon|FRA}} [[SCバスティア]]
| 0–1 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=3| 1999–00
| 1回戦
| {{flagicon|ROM}} [[FCディナモ・ブカレスト]]
| 0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/><br>2–0 (A)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|GRE}} [[PAOKテッサロニキ]]
| 2–1 (A)<br>1–2 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/><ref group="注釈" name="Won 4–1 on penalties"/>
|-
| 3回戦
| {{flagicon|ESP}} [[セルタ・デ・ビーゴ]]
| 0–7 (A)<br>1–1 (H)
|-
| 2000–01
| 1回戦
| {{flagicon|SWE}} [[ハルムスタッドBK]]
| 1–2 (A)<br>2–2 (H)
|-
|rowspan=4| 2003–04
| 1回戦
| {{flagicon|BEL}} [[RAAルヴィエール]]
| 1–1 (A)<br>1–0 (H)
|-
| 2回戦
| {{flagicon|NOR}} [[モルデFK]]
| 3–1 (H)<br>2–1 (A)
|-
| 3回戦
| {{flagicon|NOR}} [[ローゼンボリBK]]
| 1–0 (H)<br>1–2 (A)<ref group="注釈" name="Won on the away goals rule"/>
|-
| 4回戦
| {{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]
| 0–0 (H)<br>3–4 (A)
|-
|}
{{col-break|width=50%}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
! シーズン
! ラウンド
! 対戦相手
! スコア
|-
|rowspan=6| 2004–05
| 1回戦
| {{flagicon|SLO}} [[FKデュクラ・バンスカー・ビストリツァ]]
| 3–0 (A)<br>2–0 (H)
|-
|rowspan=4| グループG
| {{flagicon|NED}} [[SCヘーレンフェーン]]
| 4–2 (H)
|-
| {{flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト]]
| 0–3 (A)
|-
| {{flagicon|CRO}} [[NKディナモ・ザグレブ]]
| 2–0 (H)
|-
| {{flagicon|BEL}} [[KSKベベレン]]
| 3–0 (A)
|-
| ラウンド32
| {{flagicon|RUS}} [[PFC CSKAモスクワ]]
| 0–2 (A)<br>1–1 (H)
|-
|rowspan=3| 2006–07
| ラウンド32
| {{flagicon|ROM}} [[FCディナモ・ブカレスト]]
| 1–0 (H)<br>2–1 (A)
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|FRA}} [[パリ・サンジェルマンFC]]
| 1–2 (A)<br>3–1 (H)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ESP}} [[RCDエスパニョール]]
| 2–3 (A)<br>0–0 (H)
|-
|rowspan=2| 2007–08
| ラウンド32
| {{flagicon|GER}} [[1.FCニュルンベルク]]
| 1–0 (H)<br>2–2 (A)
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|ESP}} [[ヘタフェCF]]
| 1–2 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/><br>0–1 (A)
|-
|rowspan=5| 2008–09
| 1回戦
| {{flagicon|ITA}} [[SSCナポリ]]
| 2–3 (A)<br>2–0 (H)
|-
|rowspan=4| グループB
| {{flagicon|GER}} [[ヘルタ・ベルリン]]
| 1–1 (A)
|-
| {{flagicon|TUR}} [[ガラタサライSK (サッカー)|ガラタサライSK]]
| 0–2 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
| {{flagicon|GRE}} [[オリンピアコスFC]]
| 1–5 (A)
|-
| {{flagicon|UKR}} [[メタリスト・ハルキウ|FCメタリスト・ハルキウ]]
| 0–1 (H)<ref group="注釈" name="Lost at home"/>
|-
|rowspan=7| 2009–10
| プレーオフ
| {{flagicon|UKR}} [[FCヴォルスクラ・ポルタヴァ]]
| 4–0 (H)<br>1–2 (A)
|-
|rowspan=3| グループI
| {{flagicon|Belarus}} [[FC BATEボリソフ]]
| 2–0 (H)<br>2–1 (A)
|-
| {{flagicon|GRE}} [[AEKアテネFC]]
| 0–1 (A)<br>2–1 (H)
|-
| {{flagicon|ENG}} [[エヴァートンFC]]
| 5–0 (H)<br>2–0 (A)
|-
| ラウンド32
| {{flagicon|GER}} [[ヘルタ・ベルリン]]
| 1–1 (A)<br>4–0 (H)
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|FRA}} [[オリンピック・マルセイユ|マルセイユ]]
| 1–1 (H)<br>2–1 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
| 2–1 (H)<br>1–4 (A)
|-
|rowspan=4| 2010–11
| ラウンド32
| {{flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト]]
| 2–1 (H)<br>2–0 (A)
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|FRA}} [[パリ・サンジェルマンFC]]
| 2–1 (H)<br>1–1 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン|PSV]]
| 4–1 (H)<br>2–2 (A)
|-
| 準決勝
| {{flagicon|POR}} [[SCブラガ]]
| 2–1 (H)<br>0–1 (A)<ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule"/>
|-
|rowspan=3| 2012–13
| ラウンド32
| {{flagicon|GER}} [[バイエル・レバークーゼン]]
| 1–0 (A)<br />2–1 (H)
|-
| ラウンド16
| {{flagicon|FRA}} [[FCジロンダン・ボルドー]]
| 1–0 (H)<br />3–2 (A)
|-
| 準々決勝
| {{flagicon|ENG}} [[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]
| 3–1 (H)<br /> – (A)
|}
{{col-end}}

==== 決勝一覧 ====
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
|-
!年
!大会
!対戦相手
!スコア
!場所
|-
| bgcolor=Gold|1960-61
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ESP|1945}} [[FCバルセロナ]]
| 3–2
| {{flagicon|SUI}} [[バンクドルフ・スタジアム]]
|-
| bgcolor=Gold|1961-62
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ESP|1945}} [[レアル・マドリード]]
| 5–3
| {{flagicon|NED}} [[オリンピスフ・スタディオン (アムステルダム)|オリンピス・スタディオン]]
|-
| bgcolor=Silver|1962-63
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
| 1–2
| {{flagicon|ENG}} [[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]
|-
| bgcolor=Silver|1964-65
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]
| 0–1
| {{flagicon|ITA}} [[サン・シーロ]]
|-
| bgcolor=Silver|1967-68
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
| 1–4 (延長)
| {{flagicon|ENG}} [[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]
|-
| bgcolor=Silver|1982-83
| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]
| {{flagicon|BEL}} [[RSCアンデルレヒト]]
| 1–2
| 2レグ制
|-
| bgcolor=Silver|1987-88
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン|PSV]]
| 0–0 (延長)(PK 5-6)
| {{flagicon|FRG}} [[メルセデス・ベンツ・アレーナ|ネッカーシュタディオン]]
|-
| bgcolor=Silver|1989-90
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]]
| 0–1
| {{flagicon|AUT}} [[エルンスト・ハッペル・シュターディオン|プラーターシュターディオン]]
|-
|}

==== 準決勝勝利一覧 ====
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
|-
!年
!大会
!対戦相手
!スコア
!その他のベスト4
|-
| 1960–61
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|AUT}} [[SKラピード・ウィーン]]
| 4–1
| {{flagicon|ESP|1945}} [[FCバルセロナ]] <br> {{flagicon|GER}} [[ハンブルガーSV]]
|-
| 1961–62
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ENG}} [[トッテナム・ホットスパーFC]]
| 4–3
| {{flagicon|ESP|1945}} [[レアル・マドリード]] <br> {{flagicon|BEL}} [[スタンダール・リエージュ]]
|-
| 1962–63
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|NED}} [[フェイエノールト]]
| 3–1
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]] <br> {{flagicon|SCO}} [[ダンディーFC]]
|-
| 1964–65
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|HUN|1957}} [[ジェールETO FC]]
| 5–0
| {{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]] <br> {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
|-
| 1967–68
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ITA}} [[ユヴェントスFC]]
| 3–0
| {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]] <br> {{flagicon|ESP|1945}} [[レアル・マドリード]]
|-
| 1982–83
| [[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]
| {{flagicon|ROM}} [[ウニヴェルシタテア・クライオヴァ|FCウニヴェルシタテア・クライオヴァ]]
| 1–1 <ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule"/>
| {{flagicon|BEL}} [[RSCアンデルレヒト]] <br> {{flagicon|TCH}} [[ボヘミアンズ・プラハ]]
|-
| 1987–88
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|ROM}} [[FCステアウア・ブカレスト]]
| 2–0
| {{flagicon|NED}} [[PSVアイントホーフェン|PSV]] <br> {{flagicon|ESP}} [[レアル・マドリード]]
|-
| 1989–90
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|FRA}} [[オリンピック・マルセイユ]]
| 2–2 <ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule"/>
| {{flagicon|ITA}} [[ACミラン]] <br> {{flagicon|FRG}} [[バイエルン・ミュンヘン]]
|-
|}

==== 準決勝敗北一覧 ====
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
|-
!年
!大会
!対戦相手
!スコア
!その他のベスト4
|-
| 1971–72
| [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]
| {{flagicon|NED}} [[AFCアヤックス]]
| 0–1
| {{flagicon|ITA}} [[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]] <br> {{flagicon|SCO}} [[セルティックFC]]
|-
| 1980–81
| [[UEFAカップウィナーズカップ]]
| {{flagicon|DDR}} [[FCカールツァイス・イェーナ]]
| 1–2
| {{flagicon|URS}} [[FCディナモ・トビリシ]] <br> {{flagicon|NED}} [[フェイエノールト]]
|-
| 1993–94
| [[UEFAカップウィナーズカップ]]
| {{flagicon|ITA}} [[パルマFC]]
| 2–2 <ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule"/>
| {{flagicon|ENG}} [[アーセナルFC]] <br> {{flagicon|FRA}} [[パリ・サンジェルマンFC]]
|-
| 2010-11
| [[UEFAヨーロッパリーグ]]
| {{flagicon|POR}} [[SCブラガ]]
| 2–2 <ref group="注釈" name="Lost on the away goals rule"/>
| {{flagicon|POR}} [[FCポルト]] <br> {{flagicon|ESP}} [[ビジャレアルCF]]
|}
|}


392行目: 4,066行目:
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。


;[[監督]]
;監督
* {{Flagicon|POR}} [[ジョルジェ・ジェズス]]
* {{Flagicon|POR}} [[ジョルジェ・ジェズス]]


421行目: 4,095行目:
{{サッカークラブチーム選手一覧 終了}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 終了}}


==歴代監督==
== 歴代会長 ==
<ref>{{cite web |url=http://www.slbenfica.pt/Clube/Historia/Presidentes/presidentes.asp |title=Presidents |language=Portuguese |publisher=SLベンフィカ公式サイト |accessdate=21 August 2010}}</ref>
* {{Flagicon|POR}} Manuel Gourlade 1905-1908

* {{Flagicon|POR}} Cosme Damião 1908-1926
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
* {{Flagicon|POR}} リベイロ・ドス・レイス 1926-1929, 1930-1935, 1953-1954
|-
* {{Flagicon|ENG}} アーサー・ジョン 1929-1930
! rowspan=2| #
* {{Flagicon|POR}} ビクトル・ゴンサルベス 1935-1936
! rowspan=2| 名前
* {{Flagicon|POR}} Lipo Hertzka 1937-1939, 1947-1949
! rowspan=2| 就任
* {{Flagicon|HUN}} Janos Biri 1939-1947
! rowspan=2| 退任
* {{Flagicon|ENG}} エドワード・テッド・スミス 1948-1952
! colspan=4| 獲得タイトル
* {{Flagicon|POR}} Cândido Tavares 1951-1952
|-
* {{Flagicon|ARG}} Alberto Zozaya 1953
! 国内リーグ
* {{Flagicon|ARG}} アルフレド・バラダス 1954
! 国内カップ
* {{Flagicon|BRA}} [[オットー・グロリア]] 1954-1959, 1968-1970
! 欧州カップ
* {{Flagicon|ARG}} ホセ・バルディビエソ 1959
! その他
* {{Flagicon|HUN}} [[ベーラ・グットマン]] 1959-1962, 1965-1966
|-
* {{Flagicon|CHI}} フェルナンド・リエラ 1962-1963, 1966-1967
|align="center"|1
* {{Flagicon|HUN}} Lajos Czeizler 1963-1964
| [[File:Flag Portugal (1830).svg|border|22px]] ジョゼ・ロザ・ロドリゲス<br>(スポルト・リスボンの初代会長)
* {{Flagicon|ROU}} エレック・シュワルツ 1964-1965
|1904年2月28日 || 1906年11月22日
* {{Flagicon|POR}} フェルナンド・カブリタ 1967-1968, 1973-1974
| 0
* {{Flagicon|ENG}} Jimmy Hagan 1970-1974
| 0
* {{Flagicon|YUG}} Milorad Pavić 1974-1975
| 0
* {{Flagicon|POR}} マリオ・ウィルソン 1975-1976, 1979-1980, 1995-1996, 1997-1998
| 0
* {{Flagicon|ENG}} John Mortimore 1976-1977, 1978-1979, 1985-1986
|-
* {{Flagicon|HUN}} Lajos Baróti 1980-1981
|align="center"|2
* {{Flagicon|SWE}} [[スヴェン・ゴラン・エリクソン]] 1982-1984, 1989-1992
| [[File:Flag Portugal (1830).svg|border|22px]] ジャヌアリオ・ゴンサウヴェス・バレート・ドゥアルテ
* {{Flagicon|DEN}} [[ミカエル・マニケ]] 1983-1987
| 1906年11月22日 || 1909年2月26日
* {{Flagicon|HUN}} Pál Csernai 1984-1985
| 0
* {{Flagicon|DEN}} Ebbe Skovdahl 1985-1986
| 0
* {{Flagicon|POR}} トニ 1987-1988、1992-1993, 2001
| 0
* {{Flagicon|CRO}} トミスラフ・イビッチ 1992-1993
| 0
* {{Flagicon|POR}} アルトゥール・ジョルジ 1994-1995
|-
* {{Flagicon|BRA}} [[パウロ・アウトゥオリ]] 1996-1997
|align="center"|3
* {{Flagicon|POR}} マヌエル・ジョゼ 1996-1997
| [[File:Flag Portugal (1830).svg|border|22px]] ルイス・カルロス・デ・ファリア・レアル<br>(グルポ・スポルト・ベンフィカの初代会長)
* {{Flagicon|SCO}} [[グレアム・スーネス]] 1997-1999
| 1906年8月12日 || 1908年6月28日
* {{Flagicon|POR}} Shéu Han 1999
| 0
* {{Flagicon|GER}} ユップ・ハインケス 1999-2000
| 0
* {{Flagicon|POR}} [[ジョゼ・モウリーニョ]] 2000-2001
| 0
* {{Flagicon|POR}} [[ジェズアウド・フェレイラ]] 2001-2002
| 0
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]] 2002-2004
|-
* {{Flagicon|ITA}} [[ジョバンニ・トラパットーニ]] 2004-2005
|align="center"|4
* {{Flagicon|NED}} [[ロナルド・クーマン]] 2005-2006
| [[File:Flag Portugal (1830).svg|border|22px]] ジョアン・ジョゼ・ピレス<br>(SLベンフィカの初代会長)
* {{Flagicon|POR}} [[フェルナンド・サントス]] 2006-2007
| 1908年6月28日 || 1910年2月2日
* {{Flagicon|ESP}} ホセ・アントニオ・カマーチョ 2007-2008.3
| 0
* {{Flagicon|POR}} フェルナンド・チャレナ 2008.3-2008.5
| 0
* {{Flagicon|ESP}} [[キケ・フローレス]] 2008-2009.6
| 0
* {{Flagicon|POR}} [[ジョルジェ・ジェズス]] 2009-
| 1 リスボン選手権<br />(5代会長と共有)
|-
|align="center"|5
| {{flagicon|POR}} アルフレード・アレシャンドレ・ルイス・ダ・シウヴァ
| 1910年2月2日 || 1911年3月26日
| 0
| 0
| 0
| 1 リスボン選手権<br />(4代会長と共有)
|-
|align="center"|6
| {{flagicon|POR}} アントニオ・ヌネス・デ・アウメイダ・ギマランイス
| 1911年3月26日 || 1911年7月9日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|7
| {{flagicon|POR}} アルベルト・リマ
| 1911年7月9日<br>1912年12月5日 || 1912年3月31日<br> 1915年8月29日
| 0
| 0
| 0
| 3 リスボン選手権
|-
|align="center"|8
| {{flagicon|POR}} ジョゼ・エドゥアルド・モレイラ・サレス
| 1912年3月31日 || 1912年12月5日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|9
| {{flagicon|POR}} ジョゼ・アントゥネス・ドス・サントス・ジュニオル
| 1915年8月29日 || 1916年7月15日
| 0
| 0
| 0
| 1 リスボン選手権
|-
|align="center"|10
| {{flagicon|POR}} フェリクス・ベルムデス
| 1916年7月15日<br> 1945年1月18日 || 1916年10月7日<br>1946年1月19日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|11
| {{flagicon|POR}} ヌーノ・フレイレ・テムド
| 1916年10月7日 || 1917年7月22日
| 0
| 0
| 0
| 1 リスボン選手権
|-
|align="center"|12
| {{flagicon|POR}} ベント・マントゥア
| 1917年7月22日 || 1926年8月25日
| 0
| 0
| 0
| 2 リスボン選手権, 2 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ">リスボンサッカー協会が主催する大会。</ref>
|-
|align="center"|13
| {{flagicon|POR}} アルベルト・シルヴェイラ・アヴィラ・デ・メロ
| 1926年8月25日 || 1930年8月15日
| 0
| 1 <ref group="注釈" name="カンペオナート・デ・ポルトガル">[[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]]として。</ref>
| 0
| 0
|-
|align="center"|14
| {{flagicon|POR}} マヌエル・ダ・コンセイソン・アフォンソ
|1930年8月15日<br>1936年11月4日<br>1946年1月19日|| 1933年8月28日<br>1938年7月31日<br>1946年7月30日
| 2
| 1 <ref group="注釈" name="カンペオナート・デ・ポルトガル"/>
| 0
| 1 リスボン選手権
|-
|align="center"|15
| {{flagicon|POR}} ヴァスコ・ロサ・リベイロ
|1933年8月20日 || 1936年11月4日
| 1
| 1 <ref group="注釈" name="カンペオナート・デ・ポルトガル"/>
| 0
| 0
|-
|align="center"|16
| {{flagicon|POR}} ジュリオ・リベイロ・ダ・コスタ
|1938年7月31日 || 1939年7月29日
| 0
| 0
| 0
|1 リスボン選手権<br />(17代会長と共有)
|-
|align="center"|17
| {{flagicon|POR}} アウグスト・ダ・フォンセカ・ジュニオル
|1939年8月1日 || 1945年1月18日
| 3
| 3
| 0
| 1 リスボン選手権<br />(16代会長と共有)
|-
|align="center"|18
| {{flagicon|POR}} [[ジョアン・タマグニーニ・バルボーザ]]
|1947年1月25日 || 1948年12月15日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|19
| {{flagicon|POR}} マリオ・ランプレイア・デ・グスモン・マデイラ
|1949年1月29日 || 1952年3月15日
| 1
| 2
| 1 [[ラテン・カップ|LC]]
| 0
|-
|align="center"|20
| {{flagicon|POR}} ジョアキン・フェレイラ・ボガーリョ
|1952年3月15日 || 1957年3月28日
| 1
| 3
| 0
| 0
|-
|align="center"|21
| {{flagicon|POR}} マウリシオ・ヴィエイラ・デ・ブリト
|1957年3月28日 || 1962年3月31日
| 3
| 2
| 1 [[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
| 0
|-
|align="center"|22
| {{flagicon|POR}} アントニオ・カルロス・カブラル・フェザス・ヴィタル
|1962年3月31日 || 1964年3月26日
| 1
| 1
| 1 [[UEFAチャンピオンズリーグ|CC]]
| 1 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ"/>
|-
|align="center"|23
| {{flagicon|POR}} アドルフォ・ヴィエイラ・デ・ブリト
|1964年3月26日<br>1967年7月3日 || 1965年5月8日<br>1969年4月12日
| 3
| 1
| 0
| 3 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ"/>
|-
|align="center"|24
| {{flagicon|POR}} アントニオ・カタリーノ・ドゥアルテ
|1965年5月8日 || 1966年6月17日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|25
| {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・フェレイラ・ケイマド]]
|1966年6月17日<br>1977年5月26日 || 1967年7月3日<br>1981年5月29日
| 2
| 2
| 0
| 1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]], 4 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ"/>
|-
|align="center"|26
| {{flagicon|POR}} ドゥアルテ・アントニオ・ボルジェス・コウティーニョ
|1969年4月12日 || 1977年5月26日
| 7
| 3
| 0
| 4 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ"/>
|-
|align="center"|27
| {{flagicon|POR}} フェルナンド・マルティンス
|1981年5月29日 || 1987年3月27日
| 2
| 3
| 1 [[コパ・イベリカ|CI]]
| 1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]], 3 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ"/>
|-
|align="center"|28
| {{flagicon|POR}} ジョアン・マリア・ドス・サントス・ジュニオル
| 1987年3月27日 || 1992年4月20日
| 3
| 1
| 0
| 1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]], 1 タッサ・デ・オンラ<ref group="注釈" name="タッサ・デ・オンラ"/>
|-
|align="center"|29
| {{flagicon|POR}} ジョルジ・アルトゥール・レゴ・デ・ブリト
| 1992年4月24日 || 1994年1月7日
| 0
| 1
| 0
| 0
|-
|align="center"|30
| {{flagicon|POR}} マヌエル・ダマシオ・ソアレス・ガルシア
| 1994年1月7日 || 1997年10月31日
| 1
| 1
| 0
| 0
|-
|align="center"|31
| {{flagicon|POR}} [[ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド]]
| 1997年10月31日 || 2000年10月28日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|32
| {{flagicon|POR}} [[マヌエル・ヴィラリーニョ]]
| 2000年10月28日 || 2003年10月31日
| 0
| 0
| 0
| 0
|-
|align="center"|33
| {{flagicon|POR}} [[ルイス・フィリペ・ヴィエイラ]]
| 2003年10月31日 || 現職
| 2
| 1
| 0
| 1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]], 4 [[タッサ・ダ・リーガ]]
|-
|}

== 歴代監督 ==
; 公式戦の記録に限る

* {{Legend3|#ddffdd}} = 選手兼任監督
* {{Legend3|#CFCFC4}} = 暫定監督

{|class="wikitable collapsible collapsed sortable" style="font-size: smaller;"
|-
! 名前 !! 就任 !! 退任 !! 試合 !! 勝 !! 引 !! 敗 !! 得 !! 失 !! 勝率 !! 獲得タイトル !! class="unsortable"| 注釈
|-
| {{flagicon2|Portugal|1830}} Manuel Gourlade
| 1906年11月4日 || 1908年3月22日
{{WDL|16|8|0|8|for=18|against=22}}
|
|
|-bgcolor="#ddffdd"
| {{flagicon2|Portugal|1830}} [[コスメ・ダミオン]]
| 1908年10月17日 || 1926年3月28日
{{WDL|157|102|21|34|for=427|against=161}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 8 リスボン選手権 </small>
| <ref group="注釈">1908-09シーズンから1915-16シーズンまで、ダミオンは選手兼任監督を務めた。</ref>
|-
| {{flagicon|POR}} [[リベイロ・ドス・レイス]]
| 1926年10月17日 || 1929年5月26日
{{WDL|52|28|11|13|for=128|against=86}}
|
|
|-
| {{flagicon|ENG}} [[アーサー・ジョン]]
| 1929年10月20日 || 1931年6月28日
{{WDL|46|28|6|12|for=137|against=55}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 2 [[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[リベイロ・ドス・レイス]]
| 1932年1月10日 || 1934年6月30日
{{WDL|56|37|8|11|for=135|against=70}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 リスボン選手権 </small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[ヴィクトル・ゴンサウヴェス]]
| 1934年10月1日 || 1935年6月30日
{{WDL|33|23|2|7|for=93|against=45}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル|カンペオナート・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| [[File:Flag of Hungary 1940.svg|25px]] Lipot Hertzka
| 1935年10月1日 || 1939年6月25日
{{WDL|123|79|21|23|for=381|against=173}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 3 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]] </small>
|
|-
| [[File:Flag of Hungary 1940.svg|25px]] Janos Biri
| 1939年9月1日 || 1947年7月2日
{{WDL|272|194|25|53|for=982|against=470}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 3 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]] <br /> 3 [[タッサ・デ・ポルトガル]] <br /> 1 リスボン選手権 </small>
|
|-
| [[File:Flag of Hungary 1940.svg|25px]] Lipot Hertzka
| 1947年9月1日 || 1948年6月30日
{{WDL|30|22|3|5|for=97|against=42}}
|
|
|-
| {{flagicon|ENG}} [[エドワード・テッド・スミス]]
| 1948年7月1日 || 1952年4月6日
{{WDL|109|73|18|18|for=354|against=148}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[ラテン・カップ]] <br /> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]] <br /> 2 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
| <ref group="注釈">1951年に個人的な事情で辞任したが、1952年3月に突如復帰し、5試合を指揮しただけで翌月に退任。これはクラブの最短在任記録となっている。</ref>
|-
| {{flagicon|POR}} [[カンディド・タヴァレス]]
| 1951年12月3日 || 1952年6月15日
{{WDL|17|13|1|3|for=59|against=19}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|ARG}} [[アルベルト・ソサージャ]]
| 1952年9月1日 || 1953年2月1日
{{WDL|15|10|1|4|for=45|against=17}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[リベイロ・ドス・レイス]]
| 1953年2月2日 || 1953年12月20日
{{WDL|28|19|7|2|for=77|against=28}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|ARG}} [[ホセ・バルディビエソ]]
| 1953年12月21日 || 1954年5月31日
{{WDL|19|8|3|8|for=46|against=37}}
|
|
|-
| {{flagicon|BRA}} [[オットー・グロリア]]
| 1954年8月1日 || 1959年5月14日
{{WDL|169|113|30|26|for=447|against=163}}
|<s+pan style="display:none;">9998</span><small> 2 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 2 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|ARG}} [[ホセ・バルディビエソ]]
| 1959年6月14日 || 1959年6月30日
{{WDL|1|1|0|0|for=1|against=0}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|HUN}} [[ベーラ・グットマン]]
| 1959年7月1日 || 1962年6月30日
{{WDL|124|89|20|15|for=402|against=144}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 2 [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]<br />2 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]</small>
|
|-
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・カイアド]]
| 1962年7月1日 || 1962年7月1日
{{WDL|1|1|0|0|for=3|against=0}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|CHL}} [[フェルナンド・リエラ]]
| 1962年10月1日 || 1963年5月30日
{{WDL|43|33|5|5|for=130|against=44}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]] </small>
|
|-
|{{flagicon|HUN}} Lajos Czeizler
| 1963年6月1日 || 1964年6月30日
{{WDL|41|33|6|2|for=169|against=44}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| [[File:Flag of Romania (1952-1965).svg|25px]] [[エレック・シュワルツ]]
| 1964年7月1日 || 1965年6月30日
{{WDL|46|33|7|6|for=157|against=41}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]] </small>
|
|-
| {{flagicon|HUN}} [[ベーラ・グットマン]]
| 1965年7月1日 || 1966年6月30日
{{WDL|38|25|7|6|for=116|against=51}}
|
|
|-
| {{flagicon|CHL}} [[フェルナンド・リエラ]]
| 1966年7月1日 || 1967年11月30日
{{WDL|49|35|8|6|for=123|against=33}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]] </small>
| <ref group="注釈">給料未払いにより辞任し、後任監督にはアシスタントコーチのカブリタが就任した。</ref>
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・カブリタ]]
| 1967年12月1日 || 1968年4月7日
{{WDL|18|13|2|3|for=51|against=17}}
|
|
|-
| {{flagicon|BRA}} [[オットー・グロリア]]
| 1968年4月8日 || 1970年2月8日
{{WDL|75|45|16|14|for=170|against=65}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 2 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・アウグスト・デ・アウメイダ|ジョゼ・アウグスト]]
| 1970年2月9日 || 1970年5月14日
{{WDL|16|12|3|1|for=44|against=13}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|ENG}} [[ジミー・ヘイガン]]
|1970年6月30日 || 1974年9月23日
{{WDL|120|94|14|12|for=339|against=80}}
|<span style="display:none;">9998</span><small> 3 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・カブリタ]]
| 1973年9月24日 || 1974年6月9日
{{WDL|35|24|6|5|for=83|against=25}}
|
|
|-
| {{flagicon|YUG}} [[ミロラド・パヴィッチ]]
| 1974年7月1日 || 1975年6月30日
{{WDL|41|27|10|4|for=86|against=21}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]</small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[マリオ・ウィルソン]]
| 1975年7月1日 || 1976年6月30日
{{WDL|37|25|5|7|for=108|against=32}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]</small>
|
|-
| {{flagicon|ENG}} [[ジョン・モルティモア]]
| 1976年7月1日 || 1979年6月30日
{{WDL|114|79|22|13|for=244|against=77}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]</small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[マリオ・ウィルソン]]
| 1979年7月1日 || 1980年6月30日
{{WDL|39|27|7|5|for=102|against=27}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]]</small>
|
|-
| {{flagicon|HUN}} Lajos Baróti
| 1980年7月1日 || 1982年6月30日
{{WDL|92|63|16|13|for=187|against=59}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] <br />1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]]</small>
|
|-
| {{flagicon|SWE}} [[スヴェン・ゴラン・エリクソン]]
| 1982年7月1日 || 1984年6月30日
{{WDL|91|65|17|9|for=223|against=60}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 2 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]] </small>
|
|-
| {{flagicon|HUN}} パル・チェルナイ
| 1984年7月1日 || 1985年6月30日
{{WDL|45|28|7|10|for=100|against=41}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]]</small>
|
|-
| {{flagicon|ENG}} [[ジョン・モルティモア]]
| 1985年7月1日 || 1987年6月4日
{{WDL|88|60|19|9|for=173|against=52}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 2 [[タッサ・デ・ポルトガル]] <br />1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]]</small>
|
|-
| {{flagicon|DEN}} Ebbe Skovdahl
| 1987年7月10日 || 1987年11月28日
{{WDL|16|10|3|3|for=24|against=7}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[アントニオ・ジョゼ・コンセイソン・オリヴェイラ|トニ]]
| 1987年11月29日 || 1989年5月30日
{{WDL|87|52|24|11|for=158|against=52}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]</small>
|
|-
| {{flagicon|SWE}} [[スヴェン・ゴラン・エリクソン]]
| 1989年7月1日 || 1992年6月30日
{{WDL|143|94|31|18|for=304|against=85}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]]</small>
|
|-
| {{flagicon|CRO}} [[トミスラヴ・イヴィッチ]]
| 1992年7月1日 || 1992年10月25日
{{WDL|12|7|3|2|for=23|against=8}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[アントニオ・ジョゼ・コンセイソン・オリヴェイラ|トニ]]
| 1992年10月26日 || 1994年6月30日
{{WDL|85|57|19|9|for=176|against=62}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]<br /> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]]</small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[アルトゥール・ジョルジュ]]
| 1994年7月1日 || 1995年9月9日
{{WDL|54|28|15|11|for=92|against=45}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[マリオ・ウィルソン]]
| 1995年9月10日 || 1996年6月30日
{{WDL|43|29|7|7|for=77|against=39}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]]</small>
|
|-
| {{flagicon|BRA}} [[パウロ・アウトゥオリ]]
| 1996年7月1日 || 1997年1月19日
{{WDL|23|14|4|5|for=43|against=19}}
|
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[マリオ・ウィルソン]]
| 1997年1月20日 || 1997年1月26日
{{WDL|1|0|0|1|for=1|against=2}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[マヌエル・ジョゼ・デ・ジェズス|マヌエル・ジョゼ]]
| 1997年1月27日 || 1997年9月20日
{{WDL|29|14|5|10|for=39|against=33}}
|
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[マリオ・ウィルソン]]
| 1997年9月21日 || 1997年11月1日
{{WDL|6|3|3|0|for=9|against=4}}
|
|
|-
| {{flagicon|SCO}} [[グレアム・スーネス]]
| 1997年11月2日 || 1999年5月2日
{{WDL|71|41|15|15|for=139|against=65}}
|
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} Shéu Han
| 1999年5月3日 || 1999年5月30日
{{WDL|4|2|1|1|for=10|against=5}}
|
|
|-
| {{flagicon|GER}} [[ユップ・ハインケス]]
| 1999年7月1日 || 2000年9月18日
{{WDL|48|27|8|13|for=81|against=55}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・モウリーニョ]]
| 2000年9月20日 || 2000年12月5日
{{WDL|11|6|3|2|for=17|against=9}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[アントニオ・ジョゼ・コンセイソン・オリヴェイラ|トニ]]
| 2000年12月6日 || 2001年12月23日
{{WDL|43|17|16|10|for=67|against=58}}
|
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[ジェズアウド・フェレイラ]]
| 2001年12月25日 || 2002年11月24日
{{WDL|30|16|7|7|for=65|against=32}}
|
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・サントス (ポルトガルのサッカー選手)|フェルナンド・サントス]]
| 2002年11月25日 || 2002年11月30日
{{WDL|1|1|0|0|for=3|against=0}}
|
|
|-
| {{flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]]
| 2002年12月1日 || 2004年5月30日
{{WDL|71|47|14|10|for=132|against=60}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・デ・ポルトガル]]</small>
|
|-
| {{flagicon|ITA}} [[ジョバンニ・トラパットーニ]]
| 2004年7月1日 || 2005年5月30日
{{WDL|51|29|10|12|for=82|against=50}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]</small>
|
|-
| {{flagicon|NED}} [[ロナルド・クーマン]]
| 2005年7月1日 || 2006年5月30日
{{WDL|49|27|11|11|for=64|against=38}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ|スーペルタッサ]]</small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・サントス (ポルトガルのサッカー選手)|フェルナンド・サントス]]
| 2006年7月1日 || 2007年8月18日
{{WDL|49|29|11|9|for=86|against=41}}
|
|
|-
| {{flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・カマーチョ]]
| 2007年8月18日 || 2008年3月9日
{{WDL|38|18|13|7|for=57|against=29}}
|
|
|-bgcolor="#CFCFC4"
| {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・チャレナ]]
| 2008年3月10日 || 2008年5月11日
{{WDL|10|3|3|4|for=13|against=13}}
|
|
|-
| {{flagicon|ESP}} [[キケ・サンチェス・フローレス|キケ・フローレス]]
| 2008年5月24日 || 2009年6月8日
{{WDL|44|23|12|9|for=73|against=47}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[タッサ・ダ・リーガ]]</small>
|
|-
| {{flagicon|POR}} [[ジョルジェ・ジェズス]]<ref group="注釈">記録は2013年1月2日時点。</ref>
| 2009年6月17日 || 在任中
{{WDL|201|141|31|29|for=438|against=171}}
| <span style="display:none;">9998</span><small> 1 [[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]<br /> 3 [[タッサ・ダ・リーガ]]</small>
|
|}


== 歴代所属選手 ==
== 歴代所属選手 ==
{{main|:Category:SLベンフィカの選手}}
{{main|:Category:SLベンフィカの選手}}

=== 個人賞受賞者 ===
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size: smaller;"
|-
! 受賞年
! 受賞タイトル
! 名前
! 備考
|-
|1942-43 || rowspan=2| [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || rowspan=2| {{flagicon|POR}} [[ジュリーニョ]] || 24得点
|-
|1949-50 || 28得点
|-
|1951-52 || rowspan=5| [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || rowspan=5| {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・アグアス]] || 28得点
|-
|1955-56 || 28得点
|-
|1956-57 || 30得点
|-
|1958-59 || 26得点
|-
|1960-61 || 27得点
|-
|1962-63 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[ジョゼ・アウグスト・トーレス]] || 26得点
|-
|1963-64 || rowspan=2| [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || rowspan=2| {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] || 28得点
|-
|1964-65 || 28得点
|-
|1965 || [[バロンドール]] || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] ||
|-
|1965-66 || rowspan=3| [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || rowspan=3| {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] || 25得点
|-
|1966-67 || 31得点
|-
|1967-68 || 43得点
|-
|1967-68 || [[ヨーロッパ・ゴールデンシュー]] || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] || 43得点
|-
|1969-70 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] || 20得点
|-
|1970 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] ||
|-
|1970-71 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[アルトゥール・ジョルジェ]] || 23得点
|-
|1971 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]] ||
|-
|1971-72 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[アルトゥール・ジョルジェ]] || 27得点
|-
|1972 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[アントニオ・ジョゼ・コンセイソン・オリヴェイラ|トニ]] ||
|-
|1972-73 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] || 40得点
|-
|1972-73 || [[ヨーロッパ・ゴールデンシュー]] || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] || 40得点
|-
|1973 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] ||
|-
|1974 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[ウンベルト・コエリョ]] ||
|-
|1975 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[ジョアン・アウヴェス]] ||
|-
|1975-76 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[ルイ・ジョルドン]] || 30得点
|-
|1976 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・シャラーナ]] ||
|-
|1977 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[マヌエル・ベント]] ||
|-
|1980-81 || rowspan=2| [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || rowspan=2| {{flagicon|POR}} [[ネネ (1949年生のサッカー選手)|ネネ]] || 20得点
|-
|1983-84 || 21得点
|-
|1984 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[フェルナンド・シャラーナ]] ||
|-
|1985 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || {{flagicon|POR}} [[カルロス・マヌエル]] ||
|-
|1988-89 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|Angola}} [[ヴァタ・マタヌ・ガルシア|ヴァタ]] || 16得点
|-
|1989-90 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|SWE}} [[マッツ・マグヌソン]] || 33得点
|-
|1990-91 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・ジヴィゾン]]得点王 || {{flagicon|POR}} [[ルイ・アグアス]] || 25得点
|-
|1992 || rowspan=3| [[ポルトガル年間最優秀選手賞|CNIDフットボーラー・ザ・イヤー]] || rowspan=3| {{flagicon|POR}} [[ジョアン・ピント]] ||
|-
|1993 ||
|-
|1994 ||
|-
|2006-07 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|LPFPアワード]]最優秀選手賞 || {{flagicon|POR}} [[シモン・サブローザ]] ||
|-
|2009-10 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|LPFPアワード]]最優秀若手選手賞 || {{flagicon|POR}} [[ファビオ・コエントラン]] ||
|-
|2009-10 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|LPFPアワード]]最優秀選手賞 || {{flagicon|BRA}} [[ダヴィド・ルイス・モレイラ・マリーニョ|ダヴィド・ルイス]] ||
|-
|2009-10 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]得点王 || {{flagicon|PAR}} [[オスカル・カルドソ]] || 26得点
|-
|2010-11 || [[ポルトガル年間最優秀選手賞|LPFPアワード]]最優秀若手選手賞 || {{flagicon|ARG}} [[ニコラス・ガイタン]] ||
|-
|2011-12 || [[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]]得点王 || {{flagicon|PAR}} [[オスカル・カルドソ]] || 20得点
|-
|}


=== GK ===
=== GK ===
* {{Flagicon|POR}} [[マヌエル・ベント]] 1972 - 1990
* {{Flagicon|POR}} [[マヌエル・ベント]] 1972-1990
* {{flagicon|BEL}} [[ミシェル・プロドーム]] 1994 - 1999
* {{flagicon|BEL}} [[ミシェル・プロドーム]] 1994-1999
* {{Flagicon|GER}} [[ロベルト・エンケ]] 1999 - 2002
* {{Flagicon|GER}} [[ロベルト・エンケ]] 1999-2002
* {{Flagicon|POR}} [[ジョゼ・モレイラ]] 2001 - 2011
* {{Flagicon|POR}} [[ジョゼ・モレイラ]] 2001-2011
* {{Flagicon|POR}} [[ジョアキン・シルヴァ|キム]] 2004 - 2010
* {{Flagicon|POR}} [[ジョアキン・シルヴァ|キム]] 2004-2010
* {{Flagicon|GER}} [[ハンス=イェルク・ブット]] 2007 - 2008
* {{Flagicon|GER}} [[ハンス=イェルク・ブット]] 2007-2008
* {{Flagicon|POR}} [[エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ|エドゥアルド]] 2011 - 2012
* {{Flagicon|POR}} [[エドゥアルド・ドス・レイス・カルヴァーリョ|エドゥアルド]] 2011-2012


=== DF ===
=== DF ===
{{表2列|
* {{Flagicon|POR}} [[ウンベルト・コエリョ]] 1968 - 1975, 1977 - 1984
* {{Flagicon|BRA}} [[ジョゼ・カロスネポムセーノ・モーゼル|モーゼル]] 1987 - 1989
* {{Flagicon|POR}} [[ウンベコエリョ]] 1968-1975, 1977-1984
* {{Flagicon|BRA}} [[アウダイール]] 1989 - 1990
* {{Flagicon|BRA}} [[ジョゼ・カルロス・ネポムセーノ・モゼル|モーゼル]] 1987-1989
* {{Flagicon|BRA}} [[エジウソン・ダ・シルバ・フェレイラ|エジウソン]] 1994 - 1995
* {{Flagicon|BRA}} [[アウダイール]] 1989-1990
* {{Flagicon|BRA}} [[エジウソン・ダ・シルバ・フェレイラ|エジウソン]] 1994-1995
* {{Flagicon|BRA}} [[エメルソン・トーメ]] 1995 - 1997
* {{Flagicon|BRA}} [[エメルソン・トーメ]] 1995-1997
* {{Flagicon|PAR}} [[カルロス・ガマーラ]] 1997
* {{Flagicon|PAR}} [[カルロス・ガマーラ]] 1997
* {{Flagicon|POR}} [[ジョルジェ・リベイロ]] 1999 - 2000, 2001 - 2002, 2008 - 2011
* {{Flagicon|POR}} [[ジョルジェ・リベイロ]] 1999-2000, 2001-2002, 2008-2011
* {{Flagicon|ESP}} [[カルロス・マルチェナ]] 2000 - 2001
* {{Flagicon|ESP}} [[カルロス・マルチェナ]] 2000-2001
* {{Flagicon|POR}} [[フェルナンド・メイラ]] 2000 - 2002
* {{Flagicon|POR}} [[フェルナンド・メイラ]] 2000-2002
|
* {{Flagicon|POR}} [[ミゲル・モンテイロ]] 2000 - 2005
* {{Flagicon|POR}} [[カネ]] 2001 - 2002
* {{Flagicon|POR}} [[ミゲル・モンテ]] 2000-2005
* {{Flagicon|BRA}} [[ジェリコ・フックス|アルジェウ]] 2001 - 2005.1
* {{Flagicon|POR}} [[ルコ・カネイラ]] 2001-2002
* {{Flagicon|BRA}} [[アンデソンルイ・ダ・シウバ|ルイゾン]] 2003 -
* {{Flagicon|BRA}} [[アルジェリコフックス|ジェウ]] 2001-2005.1
* {{Flagicon|FRA}} [[マヌエル・ス・トス]] 2004 - 2006
* {{Flagicon|BRA}} [[アンデソンルイス・ダ・シウバ|ルイゾン]] 2003-
* {{Flagicon|POR}} [[ネウソン]] 2005 - 2008
* {{Flagicon|FRA}} [[マヌエル・ドス・サトス]] 2004-2006
* {{Flagicon|BRA}} [[ダヴィド・ルイス・モレイラ・マリーニョ|ダヴィド・ルイス]] 2007 - 2011
* {{Flagicon|POR}} [[ネウソン]] 2005-2008
* {{Flagicon|BRA}} [[ダヴィド・ルイス・モレイラ・マリーニョ|ダヴィド・ルイス]] 2007-2011
* {{Flagicon|URU}} [[マキシミリアーノ・ペレイラ]] 2007 -
* {{Flagicon|URU}} [[マキシミリアーノ・ペレイラ]] 2007-
* {{Flagicon|ARG}} [[ホセ・シャフェル]] 2009 -
* {{Flagicon|ARG}} [[ホセ・シャフェル]] 2009-
}}


=== MF ===
=== MF ===
{{表2列|
* {{Flagicon|BRA}} [[バウド・カンディド・フィリョ|バウド]] 1987 - 1991
* {{Flagicon|POR}} [[]] 1989 - 1993
* {{Flagicon|BRA}} [[カンディド・フィリョ|バ]] 1987-1991
* {{Flagicon|POR}} [[マヌエルルイ・コスタ]] - 1994, 2006 - 2008
* {{Flagicon|POR}} [[パウロソウザ]] 1989-1993
* {{Flagicon|POR}} [[パウロフットレ]] 1992 - 1993
* {{Flagicon|POR}} [[マヌエルルイ・コスタ]]-1994, 2006-2008
* {{Flagicon|RUS}} [[アレクサンドルモスボイ]] 1992 - 1993
* {{Flagicon|POR}} [[パウロフッ]] 1992-1993
* {{Flagicon|CZE}} [[レル・ルスキー]] 1997 - 2001
* {{Flagicon|RUS}} [[クサンドル・モスト]] 1992-1993
* {{Flagicon|WAL}} [[ク・ペンブリッジ]] 1998 - 1999
* {{Flagicon|CZE}} [[カレル・ポボルスキー]] 1997-2001
* {{Flagicon|POR}} [[マニシェ]] 1999 - 2002
* {{Flagicon|WAL}} [[マーク・ペンブリッジ]] 1998-1999
* {{Flagicon|POR}} [[チアゴ・メンデス]] 2002 - 2004
* {{Flagicon|POR}} [[マニシェ]] 1999-2002
* {{Flagicon|POR}} [[アルマンド・テイシェイラ|ティシェイラ・プティ]] 2002 - 2008
* {{Flagicon|POR}} [[チアゴ・メンデス]] 2002-2004
* {{Flagicon|POR}} [[アルマンド・テイシェイラ|ティシェイラ・プティ]] 2002-2008
|
* {{Flagicon|BRA}} [[ジェオヴァンニ・デイベウソン・マウリシオ・ゴメス|ジェオヴァンニ]] 2003 - 2006
* {{Flagicon|POR}} [[マヌエル・フルナンデス]] 2003 - 2007
* {{Flagicon|BRA}} [[オヴァニ・イベウソン・マウリシオ・ゴメ|ジェオヴァンニ]] 2003-2006
* {{Flagicon|POR}} [[マヌエル・フェルナンデス]] 2003-2007
* {{Flagicon|FRA}} [[ローラン・ロベール]] 2006
* {{Flagicon|FRA}} [[ローラン・ロベール]] 2006
* {{Flagicon|POR}} [[マルコ・フェレイラ]] 2006 - 2007
* {{Flagicon|POR}} [[マルコ・フェレイラ]] 2006-2007
* {{Flagicon|GRE}} [[コンスタンティノス・カツラニス]] 2006 - 2009
* {{Flagicon|GRE}} [[コンスタンティノス・カツラニス]] 2006-2009
* {{Flagicon|POR}} [[カルロス・マルティンス]] 2008 -
* {{Flagicon|POR}} [[カルロス・マルティンス]] 2008-
* {{Flagicon|ARG}} [[パブロ・アイマール]] 2008 -
* {{Flagicon|ARG}} [[パブロ・アイマール]] 2008-
* {{Flagicon|BRA}} [[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]] 2009 - 2010
* {{Flagicon|BRA}} [[ラミレス・サントス・ド・ナシメント|ラミレス]] 2009-2010
* {{Flagicon|ESP}} [[ハビ・ガルシア]] 2009 - 2012
* {{Flagicon|ESP}} [[ハビ・ガルシア]] 2009-2012
}}


=== FW ===
=== FW ===
{{表2列|
* {{Flagicon|POR}} [[ジョゼ・アグアス]] 1950 - 1963
* {{Flagicon|POR}} [[マリオコルナ]] 1954 - 1970
* {{Flagicon|POR}} [[ジョゼアグアス]] 1950-1963
* {{Flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] 1960 - 1975
* {{Flagicon|POR}} [[マリ・コルナ]] 1954-1970
* {{Flagicon|POR}} [[アルトゥール・ジョルジ]] 1969 - 1975
* {{Flagicon|POR}} [[エウゼビオ]] 1960-1975
* {{Flagicon|POR}} [[フェナンドシャラーナ]] 1975 - 1984, 1987 - 1990
* {{Flagicon|POR}} [[アルトゥール・ジョルジュ]] 1969-1975
* {{Flagicon|POR}} [[ジョアン・ヴィエイ・ピント|ジョアン・ピント]] 1992 - 2000
* {{Flagicon|POR}} [[フェルナシャーナ]] 1975-1984, 1987-1990
* {{Flagicon|ARG}} [[ウディオカニーヒ|クラウディオカニージャ]] 1994 - 1995
* {{Flagicon|POR}} [[ジョアン・ヴィエイラ・ピント|ジョピント]] 1992-2000
* {{Flagicon|BRA}} [[オズマール・ドニゼッチ・カディド|ドゼッチ]] 1996 - 1997
* {{Flagicon|ARG}} [[クラウディオ・カニーヒア|クラウディオ・カージャ]] 1994-1995
* {{Flagicon|BRA}} [[パウロヌーネス]] 1997 - 1998
* {{Flagicon|BRA}} [[オズマールドニゼッチ・カンディド|ドニゼッチ]] 1996-1997
* {{Flagicon|POR}} [[ヌーノ・ゴメス]] 1997 - 2000, 2002 -2011
* {{Flagicon|BRA}} [[パウロ・ヌース]] 1997-1998
* {{Flagicon|NED}} [[ピエファン・ホーイドンク]] 2000 - 2001
* {{Flagicon|POR}} [[ゴメス]] 1997-2000, 2002-2011
* {{Flagicon|SLO}} [[ズラトコヴィッチ]] 2001 - 2005
* {{Flagicon|NED}} [[ピエール・ファン・ホーイドンク]] 2000-2001
* {{Flagicon|POR}} [[シモンサブローザ]] 2001 - 2007
* {{Flagicon|SLO}} [[ズラトコ・ザホヴィッチ]] 2001-2005
|
* {{Flagicon|CHN}} [[于大宝]] 2004 - 2007
* {{Flagicon|ANG}} [[ペド・マントラス]] 2001 - 2011
* {{Flagicon|POR}} [[シモン・サブーザ]] 2001-2007
* {{Flagicon|HUN}} [[フェヘール・ミクローシュ]] 2002 - 2004(永久欠番 29)
* {{Flagicon|CHN}} [[于大宝]] 2004-2007
* {{Flagicon|ITA}} [[ファブリッツィオミッコリ]] 2005 - 2007
* {{Flagicon|ANG}} [[ペドロマントラス]] 2001-2011
* {{Flagicon|USA}} [[フレディアドゥ]] 2007 - 2011
* {{Flagicon|HUN}} [[フェヘールミクローシュ]] 2002-2004(永久欠番29)
* {{Flagicon|ITA}} [[ファブリッツィオ・ミッコリ]] 2005-2007
* {{Flagicon|USA}} [[フレディ・アドゥ]] 2007-2011
* {{Flagicon|ARG}} [[ゴンサロ・ベルヘッシオ]] 2007
* {{Flagicon|ARG}} [[ゴンサロ・ベルヘッシオ]] 2007
* {{Flagicon|ARG}} [[アンヘル・ディ・マリア]] 2007 - 2010
* {{Flagicon|ARG}} [[アンヘル・ディ・マリア]] 2007-2010
* {{Flagicon|POR}} [[アリザ・マククラ]] 2008 - 2010
* {{Flagicon|POR}} [[アリザ・マククラ]] 2008-2010
* {{Flagicon|HON}} [[ダビド・スアソ]] 2008 - 2009
* {{Flagicon|HON}} [[ダビド・スアソ]] 2008-2009
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・レジェス]] 2008 - 2009
* {{Flagicon|ESP}} [[ホセ・アントニオ・レジェス]] 2008-2009
* {{Flagicon|ARG}} [[ハビエル・サビオラ]] 2009 - 2012
* {{Flagicon|ARG}} [[ハビエル・サビオラ]] 2009-2012
}}

== 下部組織 ==
=== ベンフィカB ===
{{サッカークラブ
|font-color= #FFFFFF
|background-color= #f00000
|クラブ名=SLベンフィカB
|原語表記=Sport Lisboa e Benfica B
|愛称=
|創設=1999
|リーグ=ポルトガル・サッカーリーグ
|ディビジョン=[[リーガ・デ・オンラ]]
|ホームタウン=
|スタジアム=[[エスタディオ・ダ・ルス]]
|キャパ=65,647
|監督=
}}
リザーブチームとしてSLベンフィカBが存在する。普段はセイシャル地区のエスタディオ・ド・ブラヴォを拠点としているが、2012-13シーズンはトップチームと同じく[[エスタディオ・ダ・ルス]]をホームスタジアムとしてリーグ戦を戦っている<ref>{{cite news |url=http://www.zerozero.pt/estadio.php?id=980 |title=Estádio do Bravo |work=ZeroZero |publisher= | date= |accessdate=27 October 2012 }}</ref>。

1999年に設立され、2006年にいったん解散したが、2012年の[[リーガ・デ・オンラ]](2部)の改革に合わせて再設立された。リーガ・デ・オンラは2011-12シーズンまで16クラブ制だったが、2012-13シーズンより22クラブ制となり、16クラブ+前年度の[[スーペル・リーガ|プリメイラ・リーガ]](1部)上位6クラブのBチームで構成されている。

==== 歴史 ====
若手選手の出場機会の増加を目的として1999年に設立され、1999-2000シーズンには[[セグンダ・ジヴィゾン]](3部相当)に初参加して13位となった。2001-02シーズンに監督を務めた[[アントニオ・ヴェローゾ]]はかつてベンフィカで400試合以上に出場したディフェンダーであり、[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル代表]]としても40試合に出場している。息子の[[ミゲル・ヴェローゾ|ミゲウ・ヴェローゾ]]はスポルティングの下部組織からプロデビューしている。セグンダ・ジヴィゾンで3シーズンプレーしたが、2001-02シーズンは18位でIIIジヴィゾン(4部相当)降格となった。IIIジヴィゾンでも3シーズンプレーし<ref>{{cite news |url=http://www.zerozero.pt/edicao.php?id_edicao=1152 |title=II Divisão Série D |work=ZeroZero |publisher= | date=9 June 2012 |accessdate=9 June 2012 }}</ref>、2004-05シーズンに優勝してセグンダ・ジヴィゾン昇格を果たした。2006年5月、クラブの首脳陣はベンフィカBの廃止を決定し、かつて参加していたリザーブリーグ(リーガ・インテルカラル)<ref group="注釈">ポルトガル各クラブのリザーブチームによる大会。負傷から復帰途中のトップチームの選手なども出場可能。</ref>に復帰した。リザーブリーグでは2010-11シーズンに南地区2位となったのが最高成績である。

リーガ・デ・オンラは2011-12シーズンまで16クラブ制だったが、[[ポルトガルサッカー連盟]](FPF)は2012-13シーズンより22クラブ制とし、1シーズンの試合数を30試合から42試合に増やすことを発表した<ref>{{cite news |url=http://www.maisfutebol.iol.pt/fcporto/liga-equipas-b-liga-de-honra-porto-sporting-benfica/1351480-1304.html |title=Liga: seis clubes inscreveram a equipa "B"|trans_title=League: six clubs register for a B team|work=Mais Futebol |publisher= | date=28 May 2012 |accessdate=9 June 2012 }}</ref>。若手選手の出場機会の増加を目的とし、増やされる6枠は各クラブのBチームに充てられることが決定し、2011-12シーズン終了までにプリメイラ・リーガの7クラブがBチームのリーガ・デ・オンラ参加に興味を示した<ref>{{cite news |url=http://relvado.sapo.pt/2-liga/sete-clubes-interessados-nas-seis-vagas-para-equipas-b-350876 |title=Sete clubes interessados nas seis vagas para equipas B |work=Relvado|publisher= | date=17 February 2012 |accessdate=9 June 2012 }}</ref>。この7クラブの中から、2011-12シーズンのリーグ戦で1位から6位となった[[FCポルト]]、ベンフィカ、[[SCブラガ]]、[[スポルティング・リスボン|スポルティングCP]]、[[CSマリティモ]]、[[ヴィトリア・ギマランイス]]が選ばれた<ref>{{cite news |url=http://relvado.sapo.pt/2-liga/equipas-b-fc-porto-benfica-sporting-confirmadas-413161 |title=Equipas B de FC Porto, Benfica e Sporting confirmadas |work=Relvado|publisher= | date=28 May 2012 |accessdate=9 June 2012 }}</ref>。リーグ登録料は5万ユーロであり<ref>{{cite news |url=http://www.ojogo.pt/Futebol/2a_liga/interior.aspx?content_id=2535391 |title=Equipas B custam 50 mil euros de inscrição|work=O Jogo |publisher= | date=21 May 2012 |accessdate=9 June 2012 }}</ref>、①そのクラブの下部組織で育成され、②15歳から21歳までの年齢の選手を最低10人登録しなければいけない、という規則が定められた。23歳を超える選手の出場は3人まで許されている。また、上位でシーズンを終えてもプリメイラ・リーガに昇格することはできないこと、[[タッサ・デ・ポルトガル]]や[[タッサ・ダ・リーガ]]には出場できないことも規定された。

==== タイトルと成績と歴代監督 ====
; タイトル
* ''' IIIジヴィゾン:1回'''
: 2004-05

; 成績
{|class="wikitable"
|- style="background:#f0f6fa;"
! シーズン
! ディビジョン
! 順位
|-style="background:#964B00;"
| 1999–00
| [[セグンダ・ジヴィゾン]]
| 13位
|-style="background:#964B00;"
| 2000–01
| [[セグンダ・ジヴィゾン]]
| 9位
|-style="background:#964B00;"
| 2001–02
| [[セグンダ・ジヴィゾン]]
| 18位
|-style="background:#FF7F00;"
| 2002–03
| IIIジヴィゾン
| 3位
|-style="background:#FF7F00;"
| 2003–04
| IIIジヴィゾン
| 5位
|-style="background:#FF7F00;"
| 2004–05
| IIIジヴィゾン
| 1位
|-style="background:#964B00;"
| 2005–06
| [[セグンダ・ジヴィゾン]]
| 11位
|-
| 2006–07
|colspan="2" rowspan="6"| 存在せず
|-
| 2007–08
|-
| 2008–09
|-
| 2009–10
|-
| 2010–11
|-
| 2011–12
|-style="background:#808080;"
| 2012–13
| [[リーガ・デ・オンラ]]
| —
|}

*'''1'''シーズン - [[リーガ・デ・オンラ]](2部)
*'''4'''シーズン - [[セグンダ・ジヴィゾン]](3部相当)
*'''3'''シーズン - IIIジヴィゾン(4部相当)

; 歴代監督
*{{flagicon|POR}} [[ジョゼ・モライス]] 1999-2001
*{{flagicon|POR}} [[アントニオ・ヴェローゾ]] 2001-2002
*{{flagicon|POR}} カルロス・ゴメス 2002-2004
*{{flagicon|POR}} ジョアン・サントス 2004-2006
*{{flagicon|POR}} ルイス・ノルトン・デ・マトス 2012-

=== ベンフィカ・ジュニオルス ===
{{サッカークラブ
|font-color= #FFFFFF
|background-color= #f00000
|クラブ名=SLベンフィカ・ジュニオルス
|原語表記=Sport Lisboa e Benfica Juniors
|愛称=
|ホームタウン=
|スタジアム=セイシャル地区, フチボウ・カンプス
|キャパ=1,600
|監督=
}}
下部組織としてSLベンフィカ・ジュニオルスが存在する。U-19チーム(ジュニオレス=A)、U-17チーム(ジュヴェニス=B)、U-15チーム(イニシアドス=C)、U-13チーム(インファンチス=D)、U-12チーム、U-11チーム、U-9チームがある。

==== タイトル ====
; 国際タイトル
* '''ブルー・スターズ/FIFAユースカップ : 1回'''<ref>[http://www.youthcup.ch/youthcup_geschichte_css_2010/siegerliste_byfc_ab_1939.html Die bewegte Geschichte des Blue Stars/FIFA Youth Cup] FIFAユースカップ公式サイト</ref><ref group="注釈">1939年から行なわれているユース年代の国際大会。</ref>
: 優勝 : 1996
: 準優勝 : 1997
: 3位 : 2000, 2001

; 国内タイトル<ref>[http://www.slbenfica.pt/pt-pt/futebol/forma%C3%A7%C3%A3o/departamentodeforma%C3%A7%C3%A3o/palmar%C3%A9s.aspx Palmarés Formação]SLベンフィカ公式サイト</ref>
* '''ジュニオレス・ポルトガル選手権 : 22回'''
: 1943-44, 1944-45, 1948-49, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1961-62, 1962-63, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1984-85, 1987-88, 1988-89, 1999-00, 2003-04

* '''ジュヴェニス・ポルトガル選手権 : 15回'''
: 1963-64, 1967-68, 1968-69, 1973-74, 1974-75, 1982-83, 1989-90, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1995-96, 1996-97, 2000-01, 2007-08, 2010-11

* '''イニシアドス・ポルトガル選手権 : 7回'''
: 1978-79, 1981-82, 1984-85, 1988-89, 2008-09, 2009-10, 2011-12

*'''リーガ・インテルカラル : 0回'''
: 最高位準優勝 : 2010–11(南地区)


== その他のスポーツ ==
== その他のスポーツ ==
クラブは最初にサッカークラブとして活動を始めたが、現在では[[ローラーホッケー]]、[[ハンドボール]]、[[陸上競技]]、[[フットサル]]、[[バスケトボ]]、[[自転車競技]]、[[バレーボール]]、[[柔道]]など活動は多岐にわたっている。
クラブは最初にサッカークラブとして活動を始めたが、[[フットサル]]、[[ローラーホッケー]]、[[バスケットボール]]、[[ハンドボール]]、[[バレーボール]]、[[体操]]、[[アーチェリー]]、[[ビーチサカー]]、[[ビリヤード]]、[[カヌー]]、[[自転車競技]]、[[ゴルフ]]、[[カト]]、[[柔道]]、[[ペイントボール]]、[[ラグビー]]、[[スポーツフィッシング]]、[[水泳]]、[[卓球]]、[[トライアスロン]]競技チームも持っている。


2001年に設立されたフットサルチームもポルトガル屈指の強豪であり、リーガ・ポルトゥゲーザ(国内リーグ)で6回、タッサ・デ・ポルトガル(国内カップ)で5回、スーペルタッサ・デ・ポルトガル(国内スーパーカップ)で6回優勝している。リーガ・ポルトゥゲーザでは参戦初年度の2001-02シーズンから2011-12シーズンまで必ず1位か2位となっている。[[UEFAフットサルカップ]]では2003-04シーズンに準優勝し、2009-10シーズンに優勝した。ヨーロピアン・フットサル・カップウィナーズカップでは2006-07シーズンに準優勝した。インターコンチネンタル・フットサルカップでは2007年に4位となり、2011年に3位となった。
ポルトガルで高い人気を集めるローラーホッケーにおいてベンフィカは国内有数の実績を持ち、1990-91シーズンには欧州タイトルの[[CERSカップ]]を獲得した。

ポルトガルで高い人気を集めるローラーホッケーチームは、ポルトガル・リーグで21回優勝(ポルトガル最多)している。1990-91シーズンと2010-11シーズンには[[CERSカップ]]で優勝してヨーロッパ王者となり、2011年にはヨーロピアン・コンチネンタルカップ(スーパーカップ)を獲得した。

1927年に設立されたバスケットボールチームは、ポルトガル・リーグで23回優勝(ポルトガル最多)している。ハンドボールチームは1980年代から1990年代初頭に黄金期を迎え、ポルトガル・リーグで7回優勝(ポルトガル第4位)している。バレーボールチームはポルトガル・リーグA1での優勝回数こそ少ないが、ポルトガル・カップでは14回優勝(ポルトガル最多)している。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references group="注釈"/>

=== 脚注 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* 市ノ瀬敦『ポルトガル・サッカー物語』社会評論社、2001年
* 鰐部哲也『ポルトガルサッカーの魔力』白夜書房サッカー小僧新書、2012年


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://www.slbenfica.pt/ SL Benfica - Official Website] {{pt icon}}
*[http://www.slbenfica.pt/ 公式サイト] {{pt icon}}
*[http://www.uefa.com/teamsandplayers/teams/club=50147/profile/index.html クラブ紹介] UEFA.com
*[http://www.oka-fb.com/img/uefa/benfica/0809-home.jpg ホームユニフォーム(08-09)]
*[http://www.lpfp.pt/liga_zon_sagres/pages/clube.aspx?clube=sl_benfica クラブ紹介] プリメイラ・リーガ {{pt icon}}
*[http://www.oka-fb.com/img/uefa/benfica/0809-away.jpg アウェイユニフォーム(08-09)]
*[http://www.planetbenfica.com/ Planet Benfica - Fansite] (English)
*[http://www.planetbenfica.com/ ファンサイト] Planet Benfica


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{{ベンフィカのメンバー}}
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[[Category:ポルトガルのサッカークラブ|へんふいか]]
{{DEFAULTSORT:へんふいか}}
[[Category:リスボンのスポーツ|へんふいか]]
[[Category:ポルトガルのサッカクラブ]]
[[Category:リスボンのスポーツ]]


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2013年4月29日 (月) 03:09時点における版

SLベンフィカ
原語表記 Sport Lisboa e Benfica
愛称 Encarnados(赤)
Águias(ワシ)
Benfiquistas(ベンフィキスタス)
Glorioso(栄光のクラブ)
クラブカラー
創設年 1904年
所属リーグ ポルトガル・サッカーリーグ
所属ディビジョン プリメイラ・リーガ
ホームタウン リスボン
ホームスタジアム エスタディオ・ダ・ルス
収容人数 65,647
代表者 ポルトガルの旗 ルイス・フェリペ・ヴィエイラ
監督 ポルトガルの旗 ジョルジェ・ジェズス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

スポルト・リスボン・イ・ベンフィカSport Lisboa e Benfica)は、ポルトガルリスボンに本拠地を置く総合スポーツクラブ。特にサッカーチームが有名であるため、この項ではサッカーチームを中心に記述する。

1904年2月28日創設[1]FCポルトスポルティングCPとともに、ポルトガルサッカーにおけるビッグ3(トレス・グランデス)のひとつに数えられる[2]。65,647人収容のエスタディオ・ダ・ルスをホームスタジアムとしている。ヨーロッパの多くのクラブとは異なり、クラブ創設以来ずっとソシオ(ファンクラブ会員)がクラブを所有して運営している。ギネス・ワールド・レコーズの調査によると、世界でもっとも多くのファンを持つサッカークラブであり[3]、2013年のデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、世界で21番目に多くの収入があるサッカークラブである[4]。2009年に国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)が発表した「20世紀最高のクラブ」ランキングでは第9位にランクインした[5]。毎年夏のプレシーズンにエウゼビオ・カップという親善大会を主催している。

プリメイラ・リーガ創設時(1934年)のメンバーに名を連ね、それ以来2部リーグに降格したことがない。プリメイラ・リーガでは32回、タッサ・デ・ポルトガルでは24回、タッサ・ダ・リーガでは4回優勝しており、これらはいずれもポルトガル最多である。スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラでは4回、カンペオナート・デ・ポルトガルでは3回優勝している。リーグ戦とカップ戦の2冠(ダブル)は9回達成している。1972-73シーズンにはポルトガルで初めてシーズン(30試合)無敗を達成し、1977-78シーズンには2度目のシーズン無敗を達成した。国際舞台に目を向けると、UEFAチャンピオンズカップで1960-61シーズンと1961-62シーズンに優勝しており、同大会で2連覇したことのあるポルトガル唯一のクラブである。同大会では1964-65シーズン、1967-68シーズン、1987-88シーズン、1989-90シーズンに準優勝しており、UEFAカップでは1982-83シーズンに準優勝している。欧州カップ戦の決勝出場回数(8回)はポルトガル最多である。1950年にはラテン・カップでも優勝している。1961年と1962年のインターコンチネンタルカップでは準優勝している。

歴史

黎明期(1904年-1934年)

前身クラブであるスポルト・リスボンの選手

1904年2月28日、リスボンの南西部にあるベレン地区のフランコ薬局で大学卒業生らによる集会が行なわれ、スポルト・リスボンという名称のサッカークラブの設立が話し合われた。この集会には24人が参加し、共同設立者のひとりとなる18歳のコスメ・ダミオンも参加していた。集会中にはジョゼ・ロサ・ロドリゲスの初代会長就任が決定し、その補佐にダニエル・ブリト、会計にManuel Gourlade(後に初代監督となる)の就任が決定した。この集会ではさらに、赤色と白色をクラブカラーとすること、鷲をエンブレムに用いること、「E Pluribus Unum」(ラテン語、Out of many, oneという意味)というモットーを掲げることも決定した。創設初期はスポーツ面で成功を収めたが、マネジメント面では稚拙さを露呈し、1907年にはトップチームの何人かの選手が、金銭面の待遇の良いスポルティングCPに移籍した。19世紀末のサッカーはまだ裕福な人々によって行なわれていたスポーツだったため、設立当初のメンバーには良家の子息が多く、医者、画家、建築家、教員などが名を連ねていた[6]

1906年7月26日にはベンフィカ地区にグルポ・スポルト・ベンフィカが設立されており、1908年9月13日、スポルト・リスボンはグルポ・スポルト・ベンフィカを吸収合併してスポルト・リスボン・イ・ベンフィカ(SLベンフィカ)となった。スポルト・リスボンからはクラブカラー(赤色と白色)・モットーがSLベンフィカに引き継がれ、グルポ・スポルト・リスボンからはグラウンド(カンポ・ダ・フェイテイラ)・主要な経営陣・クラブハウスがSLベンフィカに引き継がれた。グルポ・スポルト・ベンフィカでもっとも重要な競技チームは自転車競技チームであり、スポルト・リスボンの鷲のエンブレムに自転車のホイールが付け加えられてSLベンフィカのエンブレムとなった[6]

ベンフィカは市南西部のベレン地区から市北部のベンフィカ地区に移転したが、グラウンドの賃貸契約が問題として残った。1913年にはカンポ・デ・セテ・リオスに移転したが、セテ・リオスの賃貸料が高額だったため、わずか4年後にはカンポ・デ・ベンフィカへの移転を余儀なくされ、1925年にはエスタディオ・ダス・アモレイラスを建設した。全国リーグ開始前のポルトガルではカンペオナート・デ・ポルトガル(現在のタッサ・デ・ポルトガル)が国内最高峰のサッカー大会とされており、ベンフィカは1929-30シーズンに同大会初優勝を飾った。サッカーチームと並行して、ローラーホッケーチーム、ラグビーチーム、バスケットボールチーム、ハンドボールチーム、ビリヤードチーム、バレーボールチームも設立された。

発達期(1934年-1940年代)

1934年にポルトガルの全国リーグ(プリメイラ・リーガ)が開始されると、第1回大会の1934-35シーズンは優勝を逃したが、続く3シーズン(1935-36、36-37、37-38)に優勝した[7]。1940年にはタッサ・デ・ポルトガルで初優勝し、1941年にはエスタディオ・ド・カンポ・グランデに移転した。1940年代には、プリメイラ・ジヴィゾン[注釈 1]で3回(1941-42、42-43、44-45)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで4回(1939-40、42-43、43-44、47-48)優勝。この時期までに、クラブでもっとも重要な競技チームは疑うことなくサッカーチームとなった。1945-46シーズンにはCFベレネンセスがリーグ戦初優勝を遂げ、ビッグ3以外で初のポルトガル王者に輝いた[8]。ベレネンセスはベンフィカ、スポルティングに次ぐリスボン第3のクラブであり、1919年に設立されている。1940年代後半から1950年代前半にかけてはスポルティングの黄金期であり、1946-47シーズンから3連覇、1950-51シーズンから4連覇しているが、間の1949-50シーズンにはベンフィカがスポルティングのタイトル獲得を阻止した[8]。1949年5月3日にはセリエA5連覇中で「グランデ・トリノ」と称されていたトリノFC(イタリア)を招いて親善試合を行なったが、イタリアに帰国途中の飛行機が墜落して乗客全員が死亡する事故が起こった(スペルガの悲劇[8]。この事故はポルトガルでも大きく報じられ、数千人のリスボン市民がイタリア大使館まで記帳に赴いたという[8]

飛躍期と黄金期(1950年代–1960年代)

1950年に獲得したラテン・カップ

1950年、エスタディオ・ナシオナルFCジロンダン・ボルドー(フランス)を下してラテン・カップを制した。ラテン・カップはスペイン、フランス、イタリア、ポルトガルの各国優勝クラブが争った大会であり、当時のヨーロッパでもっとも権威ある国際カップ戦だった。1954年にはブラジル人のオットー・グロリア監督が就任し、それまでのWMフォーメーションに代わる4-2-4フォーメーションを採用したほか、サッカーがプロスポーツであるという意識をポルトガルにもたらした[9]。1950年代には強豪クラブがこぞって大規模なスタジアムを建設しており、ベンフィカも1952年にエスタディオ・ダ・ルス(2003年に完成した同名のスタジアムとは異なる)をオープンさせた[9][1]。当初40,000人収容だったスタジアムはクラブの発展とともに増築され、1980年代にはヨーロッパ最大・世界第3位の135,000人収容まで拡張されている。1950年代後半には、ストライカーのジョゼ・アグアスなどポルトガル人選手の他に、キーパーのアルベルト・ダ・コスタ・ペレイラマリオ・コルナなどモザンビーク出身選手も在籍していた。1950年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで6回優勝した。

UEFAチャンピオンズカップでは第1回大会の1955-56シーズンから1959-60シーズンまでレアル・マドリード(スペイン)が5連覇していたが、レアル・マドリードの6連覇を阻んだのはベンフィカだった。1959年にはハンガリー人のベーラ・グットマン監督が就任し、1960-61シーズンの同大会では1回戦でウーイペシュト・ドージャFC(ハンガリー)、準々決勝でAGFオーフス(デンマーク)、準決勝でSKラピード・ウィーン(オーストリア)を破って決勝に進出。スイスのベルンで行なわれた決勝はスペイン王者のFCバルセロナ(スペイン)との対戦となり、2-2の同点から相手キーパーのアントニ・ラマレッツがオウンゴールを記録してベンフィカの初優勝が決まった[1]。1961年夏にはモザンビーク出身のエウゼビオが本格的にチームに加わり[注釈 2]、黒豹と呼ばれたエウゼビオ、コルナ、ジョゼ・アウグスト・トーレスなどで構成される攻撃陣は抜群の破壊力を誇った。1961年9月にはインターコンチネンタルカップナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)と対戦したが、プレーオフの末に敗れた。1961-62シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは1回戦でFKアウストリア・ウィーン(オーストリア)、準々決勝で1.FCニュルンベルク(ドイツ)、準決勝でトッテナム・ホットスパーFC(イングランド)を破り、2シーズン連続で決勝に進出。オランダのアムステルダムで行なわれた決勝では、アルフレッド・ディ・ステファノプシュカーシュ・フェレンツルイス・デル・ソルなどを擁したレアル・マドリードと対戦。プシュカーシュが前半だけでハットトリックを達成し、2点差を付けられたベンフィカは劣勢だったが、4点に絡んだエウゼビオの活躍で5-3と逆転し、大会2連覇を果たした[10]。1962年のインターコンチネンタルカップではペレを擁するサントスFC(ブラジル)と対戦したが、ホーム&アウェーともに敗れて優勝を逃した。この時代のポルトガルリーグでは植民地出身選手が何人もプレーしていたが、植民地以外の外国人選手の登録は認められていなかった[11]

1962-63シーズン、1964-65シーズン、1967-68シーズンにもUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したが、それぞれACミラン(イタリア)[12]インテル(イタリア)[13]マンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)[14]に敗れて準優勝に終わっている。1960年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで8回(1959-60、60-61、62-63、63-64、64-65、66-67、67-68、68-69)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで3回(1960-61、63-64、68-69)優勝し、UEFAチャンピオンズカップで2回(1960-61、61-62)優勝した。1965年にはエウゼビオがバロンドールを獲得し、1968年にはフランス・フットボール誌によってヨーロッパ最高のクラブに選出された。

安定期(1970年代–1994年)

1960年代から1970年代前半に活躍したエウゼビオ

1970年代には欧州カップ戦での存在感がやや薄れたが、ポルトガル国内では主役の座を維持し、プリメイラ・ジヴィゾンで6回(1970-71、71-72、72-73、74-75、75-76、76-77)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで2回(1969-70、71-72)優勝した。1970年から1974年まではイングランド人のジミー・ヘイガン監督に率いられ、ヘイガン監督指揮下で4個のタイトルを獲得した。1971-72シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準決勝に進出してヨーロッパ中から注目を浴びたが、AFCアヤックス(オランダ)に2試合合計0-1で惜しくも敗れた。1972-73シーズンのリーグ戦は30戦無敗(28勝2分)で、シーズンを丸々無敗で終えたポルトガル初のクラブとなった[1]。このシーズンには23試合連続勝利の記録も樹立した。すでに選手経歴の晩年を迎えていたエウゼビオが40得点を挙げ、リーグ得点王に輝くとともにヨーロッパ・ゴールデンシュー(ヨーロッパ全体の得点王)にも輝いた。チーム全体では101得点を挙げたが、1シーズンで100得点を超えたのはクラブ史上2度目のことだった。1975年、33歳のエウゼビオはモザンビーク独立と時を同じくしてポルトガルを離れ、アメリカのクラブに移籍した[15]

1970年代後半から1980年代初頭にかけてのベンフィカは問題を抱えたが、1982年から1984年に指揮を執ったスウェーデン人のスヴェン・ゴラン・エリクソン監督の下で持ち直した。エリクソンが初めて海外のクラブの指揮を執ったのがベンフィカであり、就任時にはまだ34歳だった[16]。就任初年度となる1982-83シーズンには国内2冠を達成し、1982-83シーズンのUEFAカップでは決勝でRSCアンデルレヒト(ベルギー)に敗れたものの準優勝した[1]。この時期にはルスの増築工事が完成して3階席がオープンし、最大で120,000人(固定座席に限らなければ135,000人)を収容するルスはヨーロッパ最大のスタジアムとなった。1986-87シーズンには9度目のダブル(2冠)を達成したが、これが今日に至るまでの最後のダブルである。1988年から1994年には、再びUEFAチャンピオンズカップで優勝するために巨額の投資が行なわれた。1987-88シーズンと1989-90シーズンには決勝に進出したが、それぞれPSVアイントホーフェン(オランダ)[17]とミランに敗れ[1][18]、欧州カップ戦の決勝では6連敗となった。この時期にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回(1988-89、90-91、93-94)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで1回(1992-93)優勝した。

暗黒期(1994年–2003年)

1980年代にはスタジアムの増設工事に加え、UEFAチャンピオンズカップでの好成績のために巨額の投資を行なったため、クラブの財政状況が悪化し始めた。明確な獲得方針がないまま移籍金を浪費して選手を乱獲したため、契約選手数は30人を超し、さらに財政状況を圧迫した。1994年から2003年までの期間はクラブの暗黒期と言ってよい。この期間中にはプリメイラ・リーガ[注釈 3]で優勝することはできず、獲得したトロフィーは1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガルの1個だけだった。さらに、2000-01シーズンのリーグ戦では6位、2001-02シーズンのリーグ戦では4位と、不満の残る成績が続いた。ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド会長時代には債務不履行に陥ってクラブの信用を失墜させ、ほとんど毎シーズンのように監督の解任を繰り返した。1994年から2002年の間には11人の監督が次々と入れ替わり、マリオ・ウィルソン監督は3度もベンフィカのベンチに座った。1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガル決勝では、ベンフィカサポーターが放ったロケット花火がスポルティングサポーターを直撃、死亡するという事故が起こった[16]。2001年にはポルトガル史上最高額の1300万ユーロを支払ってシモン・サブローザを獲得。2000年秋には、マヌエル・ヴィラリーニョ会長が就任し、2001年4月にはクラブの株式会社化を行なった[16]。2001年9月28日には新しいスタジアム(スタジアム名は旧名称と同じルス)の建設を決定し、建設には最終的に1億6200万ユーロを投じた[19][20][21]

再建期(2003年-)

31回目の優勝を飾った2004–05シーズン
32回目の優勝を飾った2009–10シーズン

2003年10月には新エスタディオ・ダ・ルスに移転。同時期にルイス・フィリペ・ヴィエイラが新会長に就任し、ホセ・アントニオ・カマーチョ監督に率いられた2003-04シーズンには、タッサ・デ・ポルトガル決勝でジョゼ・モウリーニョ監督率いるポルトを破り、実に8年ぶりとなるトロフィーを獲得した。2004年にはジョバンニ・トラパットーニ監督が就任し、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラで4回目の優勝を飾って幸先よいスタートを切ると、2004-05シーズンのリーグ戦では11年ぶりに優勝した。しかし、同シーズンにエスタディオ・D・アフォンソ・エンリケスで行なわれたヴィトリア・ギマランイス戦では、ハンガリー代表フォワードのフェヘール・ミクローシュが試合中に倒れ、病院で死亡が確認された[1]。ルスには多くの人々が弔問に訪れ、ハンガリーで行なわれた埋葬にはヴィエイラ会長やキャプテンのヌーノ・ゴメスが参列した。フェヘールが背負っていた背番号29はクラブの永久欠番となったが、ポルトガルのクラブで永久欠番を持つのはベンフィカのみである[22]。タッサ・デ・ポルトガルでは2シーズン連続で決勝に進出したが、ヴィトリア・セトゥーバルに敗れて2連覇を逃した。なお、同大会決勝にはポルトガル大統領が列席することが慣例となっているが、ジョルジェ・サンパイオ大統領(1996年-2006年に在職)は熱心なスポルティングファンであり、準決勝でベンフィカがスポルティングを下したことで決勝の列席を拒んだ[23]。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、ビジャレアルCF(スペイン)、LOSCリール・メトロポール(フランス)と同組となった。グループ突破のかかったマンチェスター・U戦に2-1で勝利し、ビジャレアルに次ぐグループ2位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では前回大会王者のリヴァプールFC(イングランド)と顔を合わせたが、2試合合計3-0で準々決勝進出を決めた。準々決勝ではバルセロナと対戦し、結果的に優勝するクラブに2試合合計0-2で敗れた。

2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは再びマンチェスター・Uと同組となり、またもやグループ突破をかけてマンチェスター・Uと対戦したが、今度は1-3で敗れてグループリーグ敗退となった。2007-08シーズン開幕戦後にはフェルナンド・サントス監督が解任され、カマーチョ監督がクラブと2年契約を結んでベンフィカに復帰した[24]。2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦では、前年度のグループリーグでも対戦していたFCコペンハーゲン(デンマーク)と顔を合わせ、ホーム&アウェーの2試合ともに勝利して本選グループリーグ出場を決めた。グループリーグではミラン、FCシャフタール・ドネツク(ウクライナ)、セルティックFC(スコットランド)と対戦したが、3位でグループリーグ敗退となり、UEFAカップに回った。UEFAカップではラウンド16でヘタフェCF(スペイン)に敗れ、カマーチョ監督はその数日後に辞任した。リーグ戦ではSCブラガの後塵を拝し、トップ3でのフィニッシュを逃した。

2007-08シーズン終了後にはレジェンドのマヌエル・ルイ・コスタが現役引退し、そのままスポーツディレクターに就任[1]。手始めに元バレンシアCF監督のキケ・サンチェス・フローレスを監督に招聘すると、ホセ・アントニオ・レジェスパブロ・アイマールなどの実力者獲得に尽力した[1]。2008-09シーズンのタッサ・ダ・リーガでは決勝でスポルティングを破り、同大会初優勝を飾った。同シーズンのリーグ戦では3位となり、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2009年6月8日、監督・クラブ双方合意の上で契約を解除し、キケ・フローレス監督が退任。6月17日、元SCブラガ監督のジョルジェ・ジェズスが監督に就任した。2009年夏には過去最大級の投資を行ない、ハビエル・サビオラハビ・ガルシアラミレスなどを獲得[25]パブロ・アイマールアンヘル・ディ・マリアなど既存戦力も合わさって豪華メンバーとなった。2009-10シーズンは過去最高となる1試合平均50,033人の観客を集め[26]、勝利したポルト戦ではシーズン最高の58,659人を集めた。2010年3月21日、タッサ・デ・ポルトガル決勝ではポルトに3-0で快勝し、同大会2連覇を達成した。同シーズンのUEFAヨーロッパリーグ準々決勝ではリヴァプールと対戦。ルスで行なわれたファーストレグには2-1で勝利したが、アンフィールドで行なわれたセカンドレグに1-4で敗れ、2試合合計3-5で敗退が決まった[27]。リーグ戦のホームゲームでは圧倒的な成績(14勝1分)を残し、リーグ最多得点・最少失点で32回目のリーグ優勝を決めた。UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグの出場権を獲得し[28]、26得点を挙げたパラグアイ代表オスカル・カルドソが得点王に輝いた[29]

2010-11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではシャルケ04(ドイツ)、オリンピック・リヨン(フランス)、ハポエル・テルアビブFC(イスラエル)と同組となり、2勝4敗の勝ち点6でグループリーグ敗退となった[30]。グループ3位枠でUEFAヨーロッパリーグに回ったが、UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦でVfBシュトゥットガルト(ドイツ)[31]、決勝トーナメント2回戦でパリ・サンジェルマンFC(フランス)[32]、準々決勝でPSV[33]を下し、欧州カップ戦では18年ぶりに準決勝に進出した。ベスト4にはポルトガルから3クラブ(ベンフィカ、ポルト、ブラガ)が残り、ブラガと対戦した準決勝では1990年以来の欧州カップ戦出場を目指したが、2試合合計2-2(アウェーゴール差)で敗退が決まった[34][35]。同シーズンのタッサ・ダ・リーガ決勝ではFCパソス・デ・フェレイラを下して3連覇を達成したが[36][37]、リーグ戦は2位に終わった。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、FCバーゼル(スイス)、オツェルル・ガラツィ(ルーマニア)と同組となり、3勝3分の負けなしで首位通過を決めた[38]。決勝トーナメント1回戦ではゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)に2試合合計4-3で勝利したが[39]、準々決勝では結果的に優勝するチェルシーFC(イングランド)に敗れた[40][41]。同シーズンのタッサ・ダ・リーガでは4連覇を果たしたが[42]、リーグ戦では再び2位に終わった。20得点を挙げたカルドソが2度目の得点王に輝いた[43]。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではバルセロナ、セルティックFC(スコットランド)、FCスパルタク・モスクワ(ロシア)と同組となったが、勝ち点8のグループ3位でUEFAカップに回った[44]

スタジアム

エスタディオ・ダ・ルスの内部

ベンフィカはカテドラル(大聖堂)の愛称を持つエスタディオ・ダ・ルス(『光のスタジアム』という意味)をホームスタジアムとしていり、試合開始前にはクラブのシンボルである鷲が止まり木に飛来するパフォーマンスが行なわれる[22]。ルスは公式にはエスタディオ・ド・スポルト・リスボン・イ・ベンフィカという名称である。1954年に建設された初代ルスは135,000人を収容し、ヨーロッパ最大のスタジアムだった。2003年に完成した2代目ルスは65,647人を収容し[1]、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオを招いて落成記念親善試合が行われた[45]。ルスは様々な機能を持つ複合施設であり、ふたつの体育館、スイミングプールなども備えている[1]。フットサルチーム、バスケットボールチーム、自転車競技チーム、ラグビーチーム、ハンドボールチームなどがこれらの施設を使用している[1]

1966-67シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝はルスで開催され、セルティックFC(スコットランド)がインテル(イタリア)を破って優勝した[46]。ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004の際にはルスも開催地のひとつとなり、ポルトガル代表ギリシャ代表の決勝戦などが行なわれた。ポルトガル代表はルスでの対戦成績が良いため、2004年以降は主要大会予選の強豪国との対戦がルスで行なわれることが多い[47]。2012年3月20日、2013-14シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝がルスで開催されることが決定した[48][49]

ライバルとサポーター

ライバル

リスボン・ダービー

ベンフィカの最大のライバルは、同じリスボンに本拠地を置くスポルティング・リスボンである[50]。この2チームの対戦はオ・デルビー・デ・リスボン(リスボン・ダービー)と言われている。1950年から約15年間はベンフィカが欧州カップ戦のタイトルを持つポルトガル唯一のクラブだったが、1963-64シーズンにはスポルティングがUEFAカップウィナーズカップを制した。

オ・クラシコ

FCポルトともライバル関係にあり、両クラブの対戦はオ・クラシコと呼ばれる[51]。初のダービーは1912年4月28日に行なわれた親善試合であり、ベンフィカが8-2で勝利した[1]。ベンフィカは1960-61シーズンと1961-62シーズンにUEFAチャンピオンズカップで優勝しており、長らく同大会で優勝したことのあるポルトガル唯一のクラブだったが、1986-87シーズンにポルトが優勝。ポルトは2003-04シーズンにも同大会で優勝し、ベンフィカは優勝回数で並ばれた。ポルトは欧州カップ戦で7個のトロフィーを獲得しており、ベンフィカの3個を大きく上回っている。

ポルトは1960年代から1970年代にかけて約20年間リーグ優勝から見放されたが、1977-78シーズンに5回目のリーグ優勝を飾ると、1980年代後半以降はベンフィカを上回るペースで優勝回数を増やし、1990年代にはリーグ記録の5連覇を果たした。ポルトの急成長は、1974年に起こったカーネーション革命によってリスボンの一極支配体制が崩れたこととも無関係ではない[52]。1977年時点でのリーグ優勝回数は23回(ベンフィカ)と4回(ポルト)だったが、2012年時点でのリーグ優勝回数は32回(ベンフィカ)と25回(ポルト)であり、四半世紀で10回以上も差を詰めた。ポルトの躍進とともにライバル意識がどんどん高まり、ダービーは白熱度を増した。

サポーター

ベンフィカのファンは全世界で1400万人いるとされており、ポルトガル最大・ヨーロッパ最大級である[53]。全世界に20万人のソシオ(ファンクラブ会員)がおり、世界最多のソシオ数を持つクラブとしてギネス・ワールド・レコーズに認定されている[3][54][22]。ポルトガルの総人口1070万人のうち約600万人がベンフィカのファンだとされている[54]。2011-12シーズンの1試合平均観客数は42,464人であり、ポルトの35,176人、スポルティングの34,494人を上回ってポルトガル最多だった[55]。リーグ優勝を遂げた2009-10シーズンには、ポルトガル最多・ヨーロッパ第10位の1試合平均50,033人を集めた[55]

また、ファンクラブはポルトガル国外にも広がっており、アンドラ、アンゴラ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、カーボベルデ、クロアチア、フランス、ドイツ、ギニアビサウ、イギリス、日本、ルクセンブルク、マカオ、マレーシア、スイス、オランダ、アメリカに存在する。

エンブレムとユニフォーム

ベンフィカの象徴である鷲

エンブレム

クラブのエンブレム下部には自転車のホイールがあり、クラブカラー(赤色と白色)の盾が重ねられている。盾の中にはサッカーボール、クラブの頭文字(SLB)があり、エンブレム上部には羽を広げた鷲が描かれている。現在のエンブレムの基本形となったのは、スポルト・リスボアがグルポ・スポルト・ベンフィカと合併した1908年に制定されたデザインである。1930年と1999年にマイナーチェンジが加えられ、1999年の変更時には鷲のデザインが多少変えられた[56]。2008年以降は、現行のデザインに獲得タイトル数を表す星を加えた記念エンブレムを使用している[57]。公式アンセムは「サー、ベンフィキスタ」(Ser Benfiquista)であり、クラブのモットーは「E Pluribus Unum」(「Out of many, one」という意味)である。

デザインの変遷

[58]

ユニフォーム

現行のデザイン

  • ホームユニフォーム
赤色と白色のシャツ、白色のパンツ、赤色と白色のソックス(フィールドプレーヤー)
白色のシャツ、白色のパンツ、白色のソックス(キーパー)
  • アウェーユニフォーム
赤色と黒色のシャツ、赤色のパンツ、赤色と黒色のソックス(フィールドプレーヤー)
濃灰色のシャツ、灰色のパンツ、灰色のソックス(キーパー)
フィールドプレーヤー(ホーム)
フィールドプレーヤー(アウェー)
キーパー(ホーム)
キーパー(サード)
キーパー(アウェー)

スポンサーとサプライヤー

期間 サプライヤー 胸スポンサー
1974–1985 ドイツの旗 アディダス なし
1985–1986 ロイヤル・ダッチ・シェル(エネルギー)
1986–1989 フナック(電機)
1989–1992 デンマークの旗 ヒュンメル
1992–1994 カジノ・エストリル(カジノ)
1994–1996 南アフリカ共和国の旗 オリンピック パルマラット(食品)
1996–1997 テレセル(通信)
1997–2000 ドイツの旗 アディダス
2000–2001 Netc
2001–2005 ボーダフォン(通信)
2005–2008 ポルトガルテレコム[注釈 4](通信)
2008–2012 tmn(通信)
2012– Meo(通信)

記録

エウゼビオの彫像
個人の記録

エウゼビオはクラブ史上最多の公式戦614試合に出場した。クラブ史上最多得点者もエウゼビオであり、440試合で474得点を挙げた。得点数第2位はジョゼ・アグアスであり、384試合で374得点を挙げた。第3位はネネであり、575試合で360得点を挙げた。

通算得点数

公式戦の通算得点数

プリメイラ・リーガの得点数

通算得点数(外国人選手)

節目となる得点の記録者

プリメイラ・リーガに限る

獲得時の移籍金

放出時の移籍金

クラブの記録

1972-73シーズンには28勝2分(30試合制)で無敗優勝を果たした。このシーズン中にはポルトガル記録の23試合連続勝利を達成している。30試合で勝ち点58(勝利勝ち点2)を記録し、ポルトガル史上最高の獲得勝ち点率96.7%を記録した。2位との勝ち点差18は勝利勝ち点2だった時代の最高記録である。1971-72シーズンから1972-73シーズンにかけて29試合連続勝利のヨーロッパ記録を達成した。

プリメイラ・リーガ優勝32回、タッサ・デ・ポルトガル優勝24回、タッサ・ダ・リーガ優勝4回、ダブル(リーグとカップの2冠)達成9回はいずれもポルトガル記録である。UEFAチャンピオンズカップ2連覇はポルトガルでベンフィカしか達成しておらず、欧州カップ戦の決勝出場回数8回はポルトガル記録である。UEFAチャンピオンズリーグの準優勝5回はバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、ユヴェントスFC(イタリア)と並んでヨーロッパ最多記録である。

タイトル

国内タイトル

1935-36, 1936-37, 1937-38, 1941-42, 1942-43, 1944-45, 1949-50, 1954-55, 1956-57, 1959-60, 1960-61, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1975-76, 1976-77, 1980-81, 1982-83, 1983-84, 1986-87, 1988-89, 1990-91, 1993-94, 2004-05, 2009-10
1939-40, 1942-43, 1943-44, 1948-49, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1963-64, 1968-69, 1969-70, 1971-72, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1995-96, 2003-04
2008-09, 2009-10, 2010-11, 2011-12
1979-80, 1984-85, 1988-89, 2004-05
1929-30, 1930-31, 1934-35
  • カンペオナート・デ・リスボン(リスボン選手権) : 10回
1909–10, 1911–12, 1912–13, 1913–14, 1915–16, 1916–17, 1917–18, 1919–20, 1932–33, 1939–40
  • タッサ・デ・オンラ・デ・リスボン : 18回
1919–20, 1921–22, 1962–63, 1964–65, 1966–67, 1967–68, 1968–69, 1971–72, 1972–73, 1973–74, 1974–75, 1977–78, 1978–79, 1979–80, 1981–82, 1983–84, 1985–86, 1987–88
  • タッサ・リベイロ・ドス・レイス : 3回
1963–64, 1965–66, 1970–71

国際タイトル

1960-61, 1961-62
1949-50
1949-50

親善タイトル

1963, 1971
1965
1987
2007
2009
2009, 2011, 2012

成績

略称の詳細

現存する大会
現存しない大会

近年の成績

プリメイラ・リーガに名称変更された1999年以降の成績

シーズン 国内リーグ TP TL ST 欧州カップ 最多得点者
ディビジョン 試合数 勝点 順位 選手 得点数
1999-00 プリメイラ・リーガ 34 21 6 7 58 33 69 3位 6回戦敗退 存在せず UC 3回戦敗退 N・ゴメス 20
2000-01 プリメイラ・リーガ 34 15 9 10 54 44 54 6位 6回戦敗退 UC 1回戦敗退 ファン・ホーイドンク 23
2001-02 プリメイラ・リーガ 34 17 12 5 66 37 63 4位 5回戦敗退 マントラス 13
2002-03 プリメイラ・リーガ 34 23 6 5 74 27 75 2位 4回戦敗退 シモン 18
2003-04 プリメイラ・リーガ 34 22 8 4 62 28 74 2位 優勝 CL 予選3回戦敗退 シモン 15
UC 4回戦敗退
2004-05 プリメイラ・リーガ 34 19 8 7 51 31 65 1位 準優勝 準優勝 CL 予選3回戦敗退 シモン 20
UC 1回戦敗退
2005-06 プリメイラ・リーガ 34 20 7 7 51 29 67 3位 ベスト8 優勝 CL 準々決勝敗退 N・ゴメス 17
2006-07 プリメイラ・リーガ 30 20 7 3 55 20 67 3位 6回戦敗退 CL グループリーグ敗退 シモン 16
UC ベスト4
2007-08 プリメイラ・リーガ 30 13 13 4 45 21 52 4位 ベスト4 4回戦敗退 CL グループリーグ敗退 カルドソ 22
UC 4回戦敗退
2008-09 プリメイラ・リーガ 30 17 8 5 54 32 59 3位 5回戦敗退 優勝 UC グループリーグ敗退 カルドソ 17
2009-10 プリメイラ・リーガ 30 24 4 2 78 20 76 1位 4回戦敗退 優勝 EL ベスト4 カルドソ 38
2010-11 プリメイラ・リーガ 30 20 3 7 61 31 63 2位 ベスト4 優勝 準優勝 CL グループリーグ敗退 カルドソ 23
EL ベスト4
2011-12 プリメイラ・リーガ 30 21 6 3 66 27 69 2位 5回戦敗退 優勝 CL ベスト8 カルドソ 28

過去の成績

欧州カップ

シーズンごとの戦績

試合一覧

UEFAチャンピオンズリーグ

UEFAチャンピオンズカップ時代も含む

UEFAカップウィナーズカップ

ヨーロッパ・カップウィナーズカップ時代も含む

UEFAヨーロッパリーグ

インターシティーズ・フェアーズカップ、UEFAカップ時代も含む

決勝一覧

準決勝勝利一覧

準決勝敗北一覧

現所属メンバー

2013年2月12日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ブラジル アルトゥール ()
3 DF ポルトガル ロデリック・ミランダ
4 DF ブラジル ルイゾン主将 ) ()
5 DF ポルトガル ルイジーニョ
7 FW パラグアイ オスカル・カルドソ
10 MF アルゼンチン パブロ・アイマール ()
11 FW ブラジル リマ
13 GK ポルトガル パウロ・ロペス
14 DF ウルグアイ マキシ・ペレイラ
15 FW オランダ オラ・ジョン
17 MF ポルトガル カルロス・マルティンス
18 MF アルゼンチン エドゥアルド・サルビオ
No. Pos. 選手名
19 FW スペイン ロドリゴ ()
20 MF アルゼンチン ニコラス・ガイタン
21 MF セルビア ネマニャ・マティッチ ()
23 FW ウルグアイ ウレッタ
24 DF アルゼンチン エセキエル・ガライ
25 DF パラグアイ ロレンソ・メルガレホ
27 DF ポルトガル ミゲル・ヴィトール
31 FW ブラジル アラン・カルデック
33 DF ブラジル ジャルデウ
34 MF ポルトガル アンドレ・アルメイダ
35 FW アルゼンチン エンソ・ペレス
89 MF ポルトガル アンドレ・ゴメス

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
GK スロベニア ヤン・オブラク (リオ・アヴェ)
DF ブラジル レオ・カヌ (グレミオ・オザスコ)
MF ポルトガル ルベン・アモリム (ブラガ)
MF ポルトガル ダヴィド・シモン (CSマリティモ)
MF ブラジル アイルトン (フラメンゴ)
MF ブラジル ディエゴ・ロペス (リオ・アヴェ)
MF ブラジル フェリペ・メネゼス (スポルチ・レシフェ)
MF アルゼンチン ホセ・ルイス・フェルナンデス (ゴドイ・クルス)
No. Pos. 選手名
MF ポルトガル ヌーノ・コエーリョ (アリス・テッサロニキ)
FW ポルトガル ネルソン・オリヴェイラ (デポルティーボ・ラ・コルーニャ)
FW アルゼンチン フランコ・ハラ (サン・ロレンソ)
FW ポルトガル ヤニック・ジャロ (トゥールーズ)
FW スペイン ノリート (グラナダ)
FW ウルグアイ ロドリゴ・モラ (リーベル・プレート)
FW ブラジル アリピオ (アル・シャールジャ)
FW ポルトガル ウーゴ・ヴィエイラ (ジル・ヴィセンテ)

歴代会長

[59]

歴代監督

公式戦の記録に限る
  •    = 選手兼任監督
  •    = 暫定監督

歴代所属選手

個人賞受賞者

GK

DF


MF


FW


下部組織

ベンフィカB

SLベンフィカB
原語表記 Sport Lisboa e Benfica B
創設年 1999年
所属リーグ ポルトガル・サッカーリーグ
所属ディビジョン リーガ・デ・オンラ
ホームスタジアム エスタディオ・ダ・ルス
収容人数 65,647
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

リザーブチームとしてSLベンフィカBが存在する。普段はセイシャル地区のエスタディオ・ド・ブラヴォを拠点としているが、2012-13シーズンはトップチームと同じくエスタディオ・ダ・ルスをホームスタジアムとしてリーグ戦を戦っている[60]

1999年に設立され、2006年にいったん解散したが、2012年のリーガ・デ・オンラ(2部)の改革に合わせて再設立された。リーガ・デ・オンラは2011-12シーズンまで16クラブ制だったが、2012-13シーズンより22クラブ制となり、16クラブ+前年度のプリメイラ・リーガ(1部)上位6クラブのBチームで構成されている。

歴史

若手選手の出場機会の増加を目的として1999年に設立され、1999-2000シーズンにはセグンダ・ジヴィゾン(3部相当)に初参加して13位となった。2001-02シーズンに監督を務めたアントニオ・ヴェローゾはかつてベンフィカで400試合以上に出場したディフェンダーであり、ポルトガル代表としても40試合に出場している。息子のミゲウ・ヴェローゾはスポルティングの下部組織からプロデビューしている。セグンダ・ジヴィゾンで3シーズンプレーしたが、2001-02シーズンは18位でIIIジヴィゾン(4部相当)降格となった。IIIジヴィゾンでも3シーズンプレーし[61]、2004-05シーズンに優勝してセグンダ・ジヴィゾン昇格を果たした。2006年5月、クラブの首脳陣はベンフィカBの廃止を決定し、かつて参加していたリザーブリーグ(リーガ・インテルカラル)[注釈 31]に復帰した。リザーブリーグでは2010-11シーズンに南地区2位となったのが最高成績である。

リーガ・デ・オンラは2011-12シーズンまで16クラブ制だったが、ポルトガルサッカー連盟(FPF)は2012-13シーズンより22クラブ制とし、1シーズンの試合数を30試合から42試合に増やすことを発表した[62]。若手選手の出場機会の増加を目的とし、増やされる6枠は各クラブのBチームに充てられることが決定し、2011-12シーズン終了までにプリメイラ・リーガの7クラブがBチームのリーガ・デ・オンラ参加に興味を示した[63]。この7クラブの中から、2011-12シーズンのリーグ戦で1位から6位となったFCポルト、ベンフィカ、SCブラガスポルティングCPCSマリティモヴィトリア・ギマランイスが選ばれた[64]。リーグ登録料は5万ユーロであり[65]、①そのクラブの下部組織で育成され、②15歳から21歳までの年齢の選手を最低10人登録しなければいけない、という規則が定められた。23歳を超える選手の出場は3人まで許されている。また、上位でシーズンを終えてもプリメイラ・リーガに昇格することはできないこと、タッサ・デ・ポルトガルタッサ・ダ・リーガには出場できないことも規定された。

タイトルと成績と歴代監督

タイトル
  • IIIジヴィゾン:1回
2004-05
成績
シーズン ディビジョン 順位
1999–00 セグンダ・ジヴィゾン 13位
2000–01 セグンダ・ジヴィゾン 9位
2001–02 セグンダ・ジヴィゾン 18位
2002–03 IIIジヴィゾン 3位
2003–04 IIIジヴィゾン 5位
2004–05 IIIジヴィゾン 1位
2005–06 セグンダ・ジヴィゾン 11位
2006–07 存在せず
2007–08
2008–09
2009–10
2010–11
2011–12
2012–13 リーガ・デ・オンラ
歴代監督

ベンフィカ・ジュニオルス

SLベンフィカ・ジュニオルス
原語表記 Sport Lisboa e Benfica Juniors
ホームスタジアム セイシャル地区, フチボウ・カンプス
収容人数 1,600
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

下部組織としてSLベンフィカ・ジュニオルスが存在する。U-19チーム(ジュニオレス=A)、U-17チーム(ジュヴェニス=B)、U-15チーム(イニシアドス=C)、U-13チーム(インファンチス=D)、U-12チーム、U-11チーム、U-9チームがある。

タイトル

国際タイトル
優勝 : 1996
準優勝 : 1997
3位 : 2000, 2001
国内タイトル[67]
  • ジュニオレス・ポルトガル選手権 : 22回
1943-44, 1944-45, 1948-49, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1961-62, 1962-63, 1967-68, 1969-70, 1971-72, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1984-85, 1987-88, 1988-89, 1999-00, 2003-04
  • ジュヴェニス・ポルトガル選手権 : 15回
1963-64, 1967-68, 1968-69, 1973-74, 1974-75, 1982-83, 1989-90, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1995-96, 1996-97, 2000-01, 2007-08, 2010-11
  • イニシアドス・ポルトガル選手権 : 7回
1978-79, 1981-82, 1984-85, 1988-89, 2008-09, 2009-10, 2011-12
  • リーガ・インテルカラル : 0回
最高位準優勝 : 2010–11(南地区)

その他のスポーツ

クラブは最初にサッカークラブとして活動を始めたが、フットサルローラーホッケーバスケットボールハンドボールバレーボール体操アーチェリービーチサッカービリヤードカヌー自転車競技ゴルフカート柔道ペイントボールラグビースポーツフィッシング水泳卓球トライアスロンの競技チームも持っている。

2001年に設立されたフットサルチームもポルトガル屈指の強豪であり、リーガ・ポルトゥゲーザ(国内リーグ)で6回、タッサ・デ・ポルトガル(国内カップ)で5回、スーペルタッサ・デ・ポルトガル(国内スーパーカップ)で6回優勝している。リーガ・ポルトゥゲーザでは参戦初年度の2001-02シーズンから2011-12シーズンまで必ず1位か2位となっている。UEFAフットサルカップでは2003-04シーズンに準優勝し、2009-10シーズンに優勝した。ヨーロピアン・フットサル・カップウィナーズカップでは2006-07シーズンに準優勝した。インターコンチネンタル・フットサルカップでは2007年に4位となり、2011年に3位となった。

ポルトガルで高い人気を集めるローラーホッケーチームは、ポルトガル・リーグで21回優勝(ポルトガル最多)している。1990-91シーズンと2010-11シーズンにはCERSカップで優勝してヨーロッパ王者となり、2011年にはヨーロピアン・コンチネンタルカップ(スーパーカップ)を獲得した。

1927年に設立されたバスケットボールチームは、ポルトガル・リーグで23回優勝(ポルトガル最多)している。ハンドボールチームは1980年代から1990年代初頭に黄金期を迎え、ポルトガル・リーグで7回優勝(ポルトガル第4位)している。バレーボールチームはポルトガル・リーグA1での優勝回数こそ少ないが、ポルトガル・カップでは14回優勝(ポルトガル最多)している。

脚注

注釈

  1. ^ 1938年にプリメイラ・リーガから名称変更
  2. ^ 市之瀬(2001) 113-118頁「『黄金』の到来」によると、ポルトガルにやってきたのは1960年12月だが、契約手続きがこじれて1960-61シーズンはほとんどプレーできなかった
  3. ^ 1999年にプリメイラ・ジヴィゾンから名称変更
  4. ^ tmnとMeoはいずれもポルトガルテレコムの子会社であり、tmnは携帯電話ブランド、MeoはケーブルTVブランドである。
  5. ^ 基本となる移籍金は2500万ユーロである。
  6. ^ この移籍金に加えて、ネマニャ・マティッチがチェルシーからベンフィカに移籍している。
  7. ^ 1938-39シーズン以前、タッサ・デ・ポルトガルはカンペオナート・デ・ポルトガルという名称であり、この大会の優勝クラブがポルトガル王者とみなされていた
  8. ^ ポルトガルとスペインの主要大会王者(リーグ戦王者とは限らない)によって争われた。
  9. ^ スモール・ワールドカップとも呼ばれ、ヨーロッパとアフリカの強豪クラブが参加した。
  10. ^ ベンフィカが主催するプレシーズンの親善大会。
  11. ^ プリメイラ・リーガ, タッサ・デ・ポルトガル, タッサ・ダ・リーガ, スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ, カンペオナート・デ・ポルトガル, カンペオナート・デ・リスボン, ラテン・カップを含む各欧州カップ戦の合計得点で比較している。
  12. ^ a b c d スポルト・リスボン時代
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ホームで敗れた。
  14. ^ a b c d e f アウェーゴールルールによって勝ち上がりを決めた。
  15. ^ 90分を終えて1-1だったが、延長戦の末に敗れた。
  16. ^ 中立地のパリでプレーオフが行なわれ、0-3で敗れた。
  17. ^ コイントスの末に敗れた。
  18. ^ a b PK戦4-1で勝利した。
  19. ^ パルチザーニは大会から除外された。
  20. ^ PK戦6–5で敗れた。
  21. ^ 延長戦の末に勝ち上がりを決めた。
  22. ^ PK戦3-5で敗れた。
  23. ^ 1985年に起こったヘイゼルの悲劇の制裁措置として、イングランドのクラブは欧州カップ戦への出場を禁止された。このため、ベンフィカが自動的に勝ち上がりとなった。
  24. ^ a b c d e f g アウェーゴールルールによって敗退が決まった。
  25. ^ a b c d e f g リスボンサッカー協会が主催する大会。
  26. ^ a b c カンペオナート・デ・ポルトガルとして。
  27. ^ 1908-09シーズンから1915-16シーズンまで、ダミオンは選手兼任監督を務めた。
  28. ^ 1951年に個人的な事情で辞任したが、1952年3月に突如復帰し、5試合を指揮しただけで翌月に退任。これはクラブの最短在任記録となっている。
  29. ^ 給料未払いにより辞任し、後任監督にはアシスタントコーチのカブリタが就任した。
  30. ^ 記録は2013年1月2日時点。
  31. ^ ポルトガル各クラブのリザーブチームによる大会。負傷から復帰途中のトップチームの選手なども出場可能。
  32. ^ 1939年から行なわれているユース年代の国際大会。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m “CLUBS Benfica”. FIFA.com. http://www.fifa.com/classicfootball/clubs/club=31093/index.html 2013年4月12日閲覧。 
  2. ^ 鰐部(2012) 14頁
  3. ^ a b “Most widely supported football club”. Guinness World Records. (9 November 2006). http://www.guinnessworldrecords.com/records-2000/most-widely-supported-football-club 5 January 2013閲覧。 
  4. ^ Deloitte Football Money League 2013”. Delloite (January 2013). 24 January 2013閲覧。
  5. ^ IFFHS、マドリーを20世紀最高の欧州クラブに選定”. Goal.com (2009年9月11日). 2013年4月12日閲覧。
  6. ^ a b 市之瀬(2001) 79-86頁「ベンフィカとスポルティングの誕生」
  7. ^ 市之瀬(2001) 90-95頁「大衆スポーツへの脱皮」
  8. ^ a b c d 市之瀬(2001) 96-103頁「プロ・サッカーの定着」
  9. ^ a b 市之瀬(2001) 104-109頁「そして舞台は整った」
  10. ^ 1961-62:エウゼビオの活躍でベンフィカが連覇”. UEFA.com (1962年5月2日). 2013年4月12日閲覧。
  11. ^ 市之瀬(2001) 148-156頁「孤高の政治とエウゼビオ」
  12. ^ 1962-63:アルタフィーニの活躍でミラン初優勝”. UEFA.com (1963年5月22日). 2013年4月12日閲覧。
  13. ^ 1964-65:ジャイールの1点でインテルが連覇”. UEFA.com (1965年5月27日). 2013年4月12日閲覧。
  14. ^ 1967-68シーズン:悲劇から10年、マンUが戴冠”. UEFA.com (1968年5月29日). 2013年4月12日閲覧。
  15. ^ 市之瀬(2001) 157-161頁「激しい戦いの後に」
  16. ^ a b c 市之瀬(2001) 168-176頁「エリクソン監督とベンフィカ」
  17. ^ 1987-88シーズン:PSVがオレンジ旋風の先駆けに”. UEFA.com (1988年5月25日). 2013年4月12日閲覧。
  18. ^ 1989/90シーズン:ライカールトの1点でミランが連覇”. UEFA.com (1990年5月23日). 2013年4月12日閲覧。
  19. ^ Benfica e Barcelona assinam transferência de Simão” (Portuguese). Record.pt (27 June 2001). 31 October 2012閲覧。
  20. ^ O Estádio que tinha "preço máximo fixo garantido" de 23 milhões de contos e acabou a custar 32 milhões, mas mesmo assim "custou menos do que o orçamentado".” (Portuguese). 31 October 2012閲覧。
  21. ^ Estádio da Luz: a Catedral” (Portuguese). Zerozero. 31 October 2012閲覧。
  22. ^ a b c 鰐部(2012) 20-22頁
  23. ^ 鰐部(2012) 18-19頁
  24. ^ “元スペイン代表監督カマチョ氏、ベンフィカの監督に”. ロイター. (2007年8月21日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-27480220070821 2013年4月12日閲覧。 
  25. ^ “「ファンタジスタは永遠に」パブロ・アイマール(ベンフィカ/アルゼンチン代表)”. OCNスポーツ. (2). http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/soccer100728_1_1.html 2013年4月12日閲覧。 
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参考文献

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外部リンク

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