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「フランシスコ (ローマ教皇)」の版間の差分

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{{infobox 教皇
{{infobox 教皇
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'''フランシスコ'''({{lang-la|'''Franciscus'''}}、{{lang-it|'''Francesco'''}}、{{lang-es|'''Francisco'''}}、{{lang-en|'''Francis'''}}、[[1936年]][[12月17日]] - )は、第266代[[教皇|ローマ教皇]](在位:[[2013年]][[3月13日]] - )。正式な就任<ref group="注">カトリック教会では「就任」もしくは「着座」という用語が使われる。[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/john_paul_ii/kensho.htm UNIVERSI DOMINICI GREGIS 使徒座空位と教皇選挙に関して]([[カトリック中央協議会]])</ref>は3月19日であり、この日に[[サン・ピエトロ広場]]に於いて就任ミサを執り行った<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20130315k0000m030080000c.html|title=新ローマ法王:フランシスコ1世、19日に即位|work=毎日.jp|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2013-03-14|accessdate=2013-03-15}}</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/130319/erp13031919200002-n1.htm 新ローマ法王がバチカンで就任ミサ、弱者の保護など呼びかけ] 産経新聞 2013年3月19日閲覧</ref>。
'''フランチェスコ1世'''({{lang-la|'''Franciscus I'''}}、{{lang-en|'''Francis I'''}}、[[1936年]][[12月17日]] - )は、第266代[[ローマ教皇]](在位:[[2013年]][[3月14日]] - )。先代の[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が生前退位したことを受けて就任した。[[アルゼンチン]]出身で本名は'''ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ'''({{lang|en|Jorge Mario Bergoglio}})。

== 呼称 ==
新教皇の選出にあたり、日本の[[カトリック中央協議会]]は声明を発し、[[枢機卿]]自身は「フランチェスコ」とイタリア語で発音したが、「日本では英語の発音で『アッシジの聖フランシスコ』との呼び名が定着している」ので、混乱を避けるために「報道機関も英語読みで統一してほしい」と要請した。そのとき、併せて[[アッシジのフランチェスコ]]との混同を避けるために「日本の教会は1世を付けて呼んでいく」と付言したが<ref>吉村英輝「新法王誕生 各国の反応」、『産経新聞』2013年3月15日付。</ref>、その後教皇庁大使館より日本カトリック中央協議会に通知があり、新教皇名には「1世」を付けないことになり、新教皇名を「教皇 フランシスコ」として各小教区・信徒・司祭・修道者に周知するよう指示がなされた<ref group="注">教皇の公式名は[[ラテン語]]名で「フランキスクス」ないし「フランチスクス」、[[イタリア語]]名で「フランチェスコ」であり「フランキ(チ)スクス1世」「フランチェスコ1世」ではない。この点については、[[コンクラーヴェ]]終了の日に発表された、[[バチカン]]による公文書に以下のように記されている。“Annuntio vobis gaudium magnum;'''habemus Papam''':Eminentissimum ac Reverendissimum Dominum, Dominum Georgium Marium Sanctae Romanae Ecclesiae Cardinalem Bergoglio '''qui sibi nomen imposuit Franciscum'''.”([http://www.vatican.va/holy_father/francesco/elezione/index_fr.htm Franciscus, 13 mars 2013])「フランシスコ1世」と呼ばれるようになるのは、後代の教皇に「フランシスコ2世」が出現した時である。cf. Emily Alpert, “[http://www.latimes.com/news/world/worldnow/la-fg-wn-vatican-pope-francis-name-20130313,0,1309501.story Vatican: It's Pope Francis, not Pope Francis I]” in ''Los Angeles Times'', 13 March 2013、 [http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130319-OYT1T01401.htm 末続哲也「法王の呼称は「フランシスコ」に」](『読売新聞』2013年3月19日付) 。日本のカトリック教会では、聖人の日本語での呼び名をラテン語名の[[奪格]]から取る伝統があり、Franciscus は主格で、 Francisco が奪格である。Francisco の読みは、本来の教会ラテン語発音では「フランチスコ」となるところ、例外的に「フランシスコ」と呼び慣わしており、新教皇の出身地アルゼンチンで話されるスペイン語の音韻に依拠した呼称ではない。</ref>。

== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
'''ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ'''({{lang|es|Jorge Mario Bergoglio}})<ref group="注">[[スペイン語]]の発音では[[国際音声記号]]で<span lang="IPA">[ˈxorxe ˈmaɾjo βerˈɣoɣljo] (ホルヘ・マリオ・ベルゴグリオ)</span>、[[イタリア語]]読みでは<span lang="IPA">[bɛrˈgɔʎːo]</span> となる。</ref>は、[[1936年]]に[[アルゼンチン]]の首都[[ブエノスアイレス]]特別区{{仮リンク|フローレス (ブエノスアイレス)|label=フローレス|en|Flores, Buenos Aires}}区で、[[イタリア系アルゼンチン人|イタリア系移民]]の子として生まれた<ref>{{Cite news|author=Claudio Iván Remeseira |url=http://nbclatino.com/2013/03/14/pope-francis-a-humble-and-outspoken-man-and-technically-also-italian/ |title=Pope Francis: A humble and outspoken man, and technically also Italian |newspaper=[[NBC|NBCLatino]] |date=2013-03-14}}</ref>。父のマリオ・ホセ・ベルゴリオは、[[ピエモンテ州]]の[[ポルタコマーロ]]出身の鉄道職員であり、母のレジーナ・マリア・シヴォリもまたイタリア系移民の子で、ブエノスアイレス出身<ref name="examiner20130316">{{cite news|title= Game changer as Pope Francis says he named himself after Francis of Assisi|url=http://www.examiner.com/article/game-changer-as-pope-francis-says-he-named-himself-after-francis-of-assisi|accessdate=2013-03-19|newspaper=examiner|date=2013-03-16}}</ref>。夫婦は中流の労働者階層で5人の子をもうけた。幼少期に感染症により肺の一部を摘出している<ref name="cbs20130313">{{Cite news | title = Jorge Bergoglio: Who is the new pope? | newspaper = [[CBSニュース]] |agency=[[AP通信]] | date = 2013-03-13 | url = http://www.cbsnews.com/8301-202_162-57574147/jorge-bergoglio-who-is-the-new-pope/ | accessdate = 2013-03-16}}</ref>。[[ブエノスアイレス大学]]で[[化学]]を学び[[修士]]号を取得した。

=== イエズス会入会 ===
ベルゴリオは1958年3月11日に[[イエズス会]]に入会し、ブエノスアイレス特別区{{仮リンク|ビジャ・デボート|en|Villa Devoto}}区の[[神学校]]で司祭になるための勉強を始めた。[[1960年]]に[[ブエノスアイレス州]]{{仮リンク|サン・ミゲル (ブエノスアイレス州)|label=サン・ミゲル|en|Villa Devoto}}市のコレヒオ・マクシモ・サン・ホセで哲学を学び、[[1964年]]と[[1965年]]にアルゼンチンの[[サンタフェ州]]のコレヒオ・デ・ラ・インマクラーダ高等学校では文学と心理学の教鞭を執った。[[1966年]]には、ブエノスアイレスのコレヒオ・デル・サルバヴァドールでも同じ教科を教えた<ref name="bnj03132013">{{cite news|title=Pope Francis : Cardinal Jorge Mario Bergoglio named new Pope|url=http://www.baltimorenewsjournal.com/2013/03/13/pope-francis-i-cardinal-jorge-mario-bergoglio-named-new-pope/|accessdate=13 March 2013|newspaper=Baltimore News Journal|date=13 March 2013}}</ref>。

[[1967年]]、ベルゴリオは本格的に神学の勉強を再開し、[[1969年]]12月13日に{{仮リンク|ラモン・ホセ・カステジャーノ|en|Ramón José Castellano}}[[大司教]]によって司祭に叙階された。その後ブエノスアイレス州の{{仮リンク|サン・ミゲル神学院|en|Facultades de Filosofía y Teología de San Miguel}}に進学し、修士号を取得して神学の教授に就任した<ref>{{cite web|author=Juan Manuel Jaime – José Luis Rolón |url=http://www.facultades-smiguel.org.ar/ |title=Official Website, Facultades de Filosofía y Teología de San Miguel |publisher=Facultades-smiguel.org.ar |date= |accessdate=2013-03-14}}</ref>。

その指導力を高く評価されたベルゴリオは、アルゼンチン{{仮リンク|管区長|en|Provincial superior}}に任ぜられ、[[1973年]]から[[1979年]]までの間この職を務めた。1980年にはサン・ミゲルの神学校の{{仮リンク|学長|label=主任司祭|en|Rector (academia)}}に異動となり、1986年に任期を満了した。さらに、[[ドイツ]]の[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]の{{仮リンク|ザンクト・ゲオルク神学院|de|Philosophisch-Theologische Hochschule Sankt Georgen}}で博士論文の構想を練り、同僚の話によると、この時期ベルゴリオはドイツの神学者{{仮リンク|ロマーノ・グアルディーニ|de|Romano Guardini}}に興味を示していたという<ref name="catholicorg03132014">{{cite news|title=NEW POPE: Who is this man named Bergoglio?|url=http://www.catholic.org/hf/faith/story.php?id=50111|accessdate=2013-03-19|newspaper=Catholic Online|date=2013-03-14}}</ref><ref name="spiegel210130314">{{cite news|title= Bergoglio in Hessen: Er spricht Deutsch|url=http://www.spiegel.de/panorama/spurensuche-in-deutschland-papst-franziskus-und-sankt-georgen-a-888849.html|accessdate=2013-03-19|newspaper=Catholic Online|date=2013-03-14}}</ref>。その後アルゼンチンに帰国し、[[コルドバ (アルゼンチン)|コルドバ]]のイエズス会士たちの{{仮リンク|聴罪司祭|en|Confessor}}として奉職し、同僚たちの{{仮リンク|霊的指導|label=霊的指導者|en|Spiritual direction}}となった<ref name=litoral>{{es}} {{cite news|title=Biografía de Jorge Bergoglio|url=http://www.ellitoral.com/index.php/id_um/86958|accessdate=14 March 2013|newspaper=El Litoral|date=14 March 2013}}</ref>。また、この時期ドイツの[[アウクスブルク]]で『{{仮リンク|結び目を解くマリア|de|Maria Knotenlöserin}}』の絵に出会い、精確な複製をつくる許可を得て、その複製画をアルゼンチンに持ち帰っている<ref group="注">この絵は、バロック期のドイツの画家ヨハン・シュミットナー(Johann Georg Melchior Schmidtner, 1625-1705)が1700年頃に描いたものである。古代教父の[[エイレナイオス]]による『反異端論』第3巻22章の記述に画想を得たもので、「結び目」は[[創世記]]における[[イヴ]]の神への背きを象徴し、「結び目を解くマリア」は、その罪の償いを寓意しているという。新教皇と『結び目を解くマリア』との関係については、cf. “[http://www.grabler.info/augsburg/knotenloeserin/knotenloeserin.htm Maria Maria Knotenlöserin verbindet Augsburg & Buenos Aires]”</ref>。これはアルゼンチンの{{仮リンク|聖母信仰|en|Marian devotions}}にとってマリアへの重要な捧げものとなった<ref>{{sp}} {{cite web|title=El Santuario |url=http://www.sanjosedeltalar.com.ar/santuario.html|publisher=Parroquia San José del Talar|accessdate=14 March 2013}}</ref>。リオデジャネイロの宗教学研究所の「レジーナ・ノヴァエス」によれば、こうしてもたらされた『結び目を解くマリア』は「悩みをかかえる人々を惹きつけた」という<ref>{{cite news |last=Bellos|first=Alex|title=http://www.guardian.co.uk/world/2001/dec/24/alexbellos|url=http://www.guardian.co.uk/world/2001/dec/24/alexbellos|title=Virgin painting ties Brazilians in knots|accessdate=14 March 2013 |newspaper=The Guardian (UK)|date=23 December 2001}}</ref>。[[2005年]]に[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]に贈呈したカリス([[聖杯]])にも『結び目を解くマリア』の姿を描かせている<ref>{{cite news|last=Jiménez |first=Pablo |title=The Pope's chalice: silver-made, austere and featuring Our Lady of Luján |url=http://www.buenosairesherald.com/article/126383/the-popes-chalice-silvermade-austere-and-featuring-our-lady-of-luj%C3%A1n |accessdate=14 March 2013|newspaper=Buenos Aires Herald|date=14 March 2013}}</ref>。

=== 司教時代 ===
ベルゴリオは1992年にブエノスアイレスの[[補佐司教]]に指名され、同年6月27日に{{仮リンク|アントニオ・カラッチーノ|es|Antonio Quarracino}}枢機卿の司式によって、 アウカの名義司教に叙階された<ref>The [[:w:titular see]] of Auca, established in 1969, is seated at [[:w:Villafranca Montes de Oca]], Spain: [http://www.gcatholic.org/dioceses/former/t0229.htm Titular See of Auca, Spain].</ref>。彼はカラーチオ枢機卿の後継として[[1998年]]2月28日に{{仮リンク|ブエノスアイレス大司教|en|Roman Catholic Archdiocese of Buenos Aires}}になり、アルゼンチン居住の裁治権者をもたない東方典礼カトリック教会信者の裁治権者を兼任した。

=== 枢機卿時代 ===
[[File:Bergoglio Misa Conmemoracion Beagle 2.jpg|thumb|270px|left|枢機卿としてミサにて。 (2008年)<br>右は[[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル|キルチネル大統領]]。]]
[[2001年]]2月21日に、ベルゴリオ大司教は{{仮リンク|サン・ロベルト・ベラルミーノ教会|en|San Roberto Bellarmino (church)}}の[[司祭枢機卿]]の称号とともにヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命された。
枢機卿として、[[ローマ教皇庁]]の以下の5つの管理職的な地位に就いた。

* [[典礼秘跡省]] 委員
* {{仮リンク|聖職者省|en|Congregation for the Clergy}}委員
* {{仮リンク|奉献・使徒的生活会省|en|Congregation for Institutes of Consecrated Life and Societies of Apostolic Life}}委員
* {{仮リンク|家庭評議会|en|Pontifical Council for the Family}}委員
* {{仮リンク|ラテン・アメリカ委員会|en|Pontifical Commission for Latin America}}委員

[[2001年]]9月11日に{{仮リンク|ニューヨーク大司教|en|Roman Catholic Archdiocese of New York}}である{{仮リンク|エドワード・イーガン (枢機卿)|label=エドワード・イーガン|en|Edward Egan}}枢機卿が[[アメリカ同時多発テロ事件]]ののち急遽帰国した秋に、ベルゴリオは教会会議で、書記として彼の代理を務めた。『カトリック・ヘラルド』によると、「交わり<!-- communion. dialogueと対になっているので「交わり」としたが「聖餐」を指す語でもある -->と対話に開放的な人物として好ましい印象を醸し出した」という<ref name=thunder/><ref>{{cite news|title=SYNODUS EPISCOPORUM BULLETIN, 30 September-27 October 2001|url=http://www.vatican.va/news_services/press/sinodo/documents/bollettino_20_x-ordinaria-2001/02_inglese/b33_02.html|accessdate=14 March 2013|newspaper=Holy See Press Office}}</ref>。
ベルゴリオ枢機卿は、その個人的な謙遜と教義上の保守主義と社会正義への関与で知られるようになり<ref name="Allen" />、その質素な生活が謙遜の評判に貢献することになった。枢機卿は、宮殿のような司教館ではなく小さなアパートに居住し、お抱えの[[リムジン]]の使用をせずに公共交通を利用するという<ref>{{cite web|url=http://cablegatesearch.net/cable.php?id=05VATICAN466|date=18 April 2005|accessdate=2012-03-13 |title='Toward The Conclave Part III: The Candidates'}}</ref>。

ヨハネ・パウロ2世の没後は次期教皇の有力候補とみなされ<ref>{{cite web|url=http://articles.latimes.com/2005/apr/17/world/fg-cardinal17 |date=2005-04-17 |accessdate=2013-03-14 |title='Argentine Cardinal Named in Kidnap Lawsuit'}}</ref>、[[2005年]]の[[コンクラーヴェ]]で2位の票数を獲得していた<ref name="jiji-201303140613" />。
[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が教皇に選出された[[2005年]]のコンクラーヴェに、ベルゴリオは選挙枢機卿の一人として参加した。

カトリック系のジャーナリストの{{仮リンク|ジョン・L・アレン|en|John L. Allen, Jr.}}によれば、ベルゴリオは[[2005年]]のコンクラーヴェにおいて、教皇の最有力候補であったという<ref>[http://www.nationalcatholicreporter.org/update/conclave/pt041405a.htm National Catholic Reporter: Electing a new pope April 11, 2005]</ref><ref name="Allen">{{cite web| last =Allen, Jr.| first = John L.| title =Who Is Cardinal Jorge Mario Bergoglio? (renamed Profile: New pope, Jesuit Bergoglio, was runner-up in 2005 conclave)| work =National Catholic Reporter| date =3 March 2013| url =http://ncronline.org/blogs/ncr-today/papabile-day-men-who-could-be-pope-13| accessdate =14 March 2013}}</ref>。[[2005年]]9月、少数の枢機卿による非公式の日誌が公表され<ref>{{cite news|title=Cardinal breaks conclave vow of secrecy|url=http://www.cnn.com/2005/WORLD/europe/09/23/conclave.diary.ap/index.html|agency=Associated Press|publisher=[[CNN]]|accessdate=13 March 2013|archiveurl=http://web.archive.org/web/20051001062114/http://www.cnn.com/2005/WORLD/europe/09/23/conclave.diary.ap/index.html|archivedate=1 October 2005|date=23 September 2005}}</ref>、そこでは、ベルゴリオ枢機卿が、コンクラーヴェにおけるラッツィンガー枢機卿の主要な挑戦者として取り沙汰されていた。件の日誌では、3回目の投票でベルゴリオは40票を獲得し、4回目にして最後の投票で26票と数を落としたと主張されている<ref name=votes2005>[http://www.catholicnews.com/data/stories/cns/0505401.htm Catholic News: Article based on diary says German cardinal became pope with 84 votes, 23 September 2005] Article gives numbers for the four votes; Ratzinger had most votes, followed by Bergoglio.</ref>。イタリアの有力紙『ラ・スタンパ』は、選挙の間、ラッツィンガー枢機卿に対してベルゴリオ枢機卿が譲歩の姿勢に終始していたとし、ベルゴリオ枢機卿が枢機卿団に対して自分に投票しないようにと感情的な請願を出すにまで至ったと報じている<ref name = "tears"> {{cite web|url=http://vaticaninsider.lastampa.it/vaticano/dettaglio-articolo/articolo/conclave-22761/ |title=''Ecco come andò davvero il Conclave del 2005'' lastampa.it (Italian) |work=La Stampa |accessdate=2013-03-13}} According to the source, Cardinal Bergoglio begged "almost in tears" ("quasi in lacrime" in Italian)</ref>。

ベルゴリオ枢機卿は、ヨハネ・パウロ2世の葬儀に出席するとすぐに、[[使徒座空位]]の間に[[聖座]]とローマ・カトリック教会を統治を代理する枢機卿団の一人になった。

[[2005年]]の司教の[[教会会議]]の間に、次回教会会議のメンバーに選ばれた。2005年11月8日には、ベルゴリオはアルゼンチンの司教の多数によってアルゼンチン司教会議の任期3年の議長に選出され、[[2008年]]の11月11日に再選された。

枢機卿選出後のアルゼンチン国内での意見は分かれていた。ベルゴリオを支持する者はその禁欲的な生活を尊敬するが、[[同性結婚]]に関する彼の意見に拒絶反応を示したり、1970年代の軍事独裁政権に対する批判を不十分として遺憾とする者もいた<ref>{{cite web| last = Hernández | first = Vladimir| title = Pope Francis divides opinion in Argentina | work = [[英国放送協会|BBC]] | date =14 March 2013| url = http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-21780828| accessdate =14 March 2013}}</ref><ref name=thunder>{{cite web| last = Poirier| first = José María| title = Quiet thunder in Argentina| work = The Catholic Herald | date =13 March 2013| url = http://www.catholicherald.co.uk/features/2013/03/13/quiet-thunder-in-argentina/| accessdate =14 March 2013}}</ref><ref>{{cite web| last = REBELDES | title = Pope Francis and Argentina’s Dirty War| work = Latino Rebels | date =13 March 2013| url = http://www.latinorebels.com/2013/03/13/pope-francis-i-and-argentinas-dirty-war/ | accessdate =14 March 2013}}</ref><ref>{{cite news| last = Goni, U. & Watts, J. | title = Pope Francis: questions remain over his role during Argentina's dictatorship | newspaper = [[ガーディアン]] | date =2013-03-14 | url = http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/14/pope-francis-argentina-military-junta| accessdate =14 March 2013}}</ref>。未婚の母やエイズ患者に手をさしのべて社会正義を実現しようとする革新的施策を打ち出す一方で、妊娠中絶や避妊に反対する保守的な立場をとる新教皇について、アルゼンチンの歴史家エルサ・ブルソネは「保守と改革の両面性を持つ」と分析している<ref name="mainichi20130316">{{cite news |language = | newspaper =[[毎日新聞]] | url =http://mainichi.jp/select/news/20130315k0000m030066000c.html| title = 新ローマ法王:「フランシスコ」謙虚な人柄、名に反映 | date= 2013-03-14 | accessdate =2013-03-16}}</ref>。

=== 教皇選出 ===
[[ファイル:Coat of arms of Franciscus.svg|thumb|270px|right|教皇フランシスコの紋章。青のフィールドにイエズス会の太陽の紋章。それにマリアの象徴としての星とヨセフの象徴としての{{仮リンク|カンショウ|label=甘松|en|Spikenard}}(ナルド)の果実を配している。前のベネディクト16世と同様に三重冠の代わりに[[ミトラ (司教冠)|ミトラ]]を戴いている。]]
[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が2013年2月28日をもって生前退位したことを受け、その後継を選ぶために同年3月12日より実施された[[コンクラーヴェ]]において、新教皇の選挙権を持つ80歳未満の枢機卿115名による5回目の投票で新教皇に選出された<ref name="jiji-201303140613">{{Cite news
| title = 新法王に初の南米出身者=アルゼンチンのベルゴリオ枢機卿-フランチェスコ1世に
| newspaper = [[時事通信社]]
| date = 2013-3-14
| url = http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013031400053
| accessdate = 2013-3-16}}</ref>。
当初、ベルゴリオはすでに76歳と高齢であり、マスコミからは新教皇の有力候補とは見なされていなかった。そのため、新教皇としてベルゴリオの名前が発表された時には、各国のマスコミは大きな驚きをもって新教皇の名前を報道した。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたという<ref>毎日新聞、2013年3月16日。</ref>。

教皇の紋章銘 “Miserando atque eligendo”(憐れみをかけ、そして選び出す)は、聖[[ベーダ・ヴェネラビリス]]の説教の言葉から取られている。聖書時代には蔑まれていた徴税人という職業に就いていたマタイに関し、聖ベーダは次のように解説している。「イエスは徴税人(マタイ)を見つめて『憐れみ、そして選ばれ』、わたしについて来なさいと言った」<ref>[http://ja.radiovaticana.va/print_page.asp?c=674479 教皇フランシスコの紋章解説]</ref>。つまり、イエスは慈しまれ(miserando)、そしてマタイを選んだ(eligendo)わけだが、このマタイの召命に関して、それは「因習的な感覚から離れた、慈悲に基づく人間への深い理解からだった」と新教皇は説明している<ref>[http://www.catholicnews.com/data/stories/cns/1301207.htm Pope's episcopal motto comes from homily by English doctor of church] ''Catholic News Service''.</ref>。マタイの召命にまつわる紋章銘が選ばれたのは、[[1953年]]の聖マタイの祝日に、17歳の青年ベルゴリオが修道生活への召命を受ける特別な体験が深く関係しているという<ref>[http://www.cathoshin.com/2013/03/20/motto/ 新教皇の紋章とモットー](『カトリック新聞』2013年3月20日付)</ref>。

フランシスコは史上初の[[アメリカ大陸]]出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇である<ref>{{Cite news
| title = 新法王はアルゼンチン人 「フランシスコ1世」名乗る
| newspaper = [[朝日新聞]]
| date = 2013-3-14
| url = http://www.asahi.com/international/update/0314/TKY201303140003.html
| accessdate = 2013-3-16}}</ref>。長らく日本で教鞭を執っていた現・イエズス会総長の[[アドルフォ・ニコラス]]師は「我々がいま知ることになった教皇の『フランシスコ』という名前は、貧しい人々への近さという福音的精神、素朴な人々との一体感、そして教会刷新への献身を想起させるものである」とし、その「質素、謙虚さ、豊富な司牧経験と霊的深さ」を称賛して<ref>{{Cite web|url=http://www.sjweb.info/news/index.cfm?Tab=7&Language=1&PubNumID=184 |title=Statement of Superior General of the Society of Jesus |publisher=The Jesuit Curia in Rome |language=English |date=2013-03-14 |accessdate=2013-03-19}}</ref>、イエズス会初の教皇選出を歓迎した。

[[ヨーロッパ]]以外の地域の出身者がローマ教皇に就くのは、第90代の[[グレゴリウス3世 (ローマ教皇)|グレゴリウス3世]](在位:[[731年]][[3月18日]] - [[741年]][[11月28日]])の[[帰天]]以来、1272年ぶりである<ref name="jiji-201303140613"/>。また初めて「[[フランシスコ]]」([[アッシジのフランチェスコ]]の名に起源を持つ)を名乗るローマ教皇でもある。[[イタリア系アルゼンチン人]]であるベルゴリオ枢機卿が新教皇に選ばれたのは、「新教皇はヨーロッパ以外の出身者を」という時代の要請と「新教皇は[[ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ1世]]以来35年ぶりに[[イタリア人]]から」というバチカンのおひざ元[[イタリア]]の願望の折衷案ではないかとする指摘がある<ref name="nationalgeographic20130315003">{{Cite news
| title = 新ローマ教皇、初の中南米出身者
| newspaper = [[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]]
| date = 2013-3-15
| url = http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130315003
| accessdate = 2013-3-17}}</ref>。そのためこの結果にはカトリック教会の国際化の現れであり大きな変化だととらえる意見と、アルゼンチンは南アメリカで最もヨーロッパ的な国でありフランシスコはヨーロッパの伝統を継承した白人であり、彼が教皇に就任してもヨーロッパの白人の伝統的な宗教としてのカトリック教会の性格に変化はないととらえる二つの対極的な意見がある<ref name="nationalgeographic20130315003"></ref>。

またベルゴリオは、教皇の生前退位という600年ぶりの異例の中で開催されたコンクラーヴェで選出された教皇である。このような「異例ずくめ」は、教皇選出後に信徒に向かっての第一声にも表れている。

{{quotation|「ご存じのようにコンクラーヴェの義務はローマに司教を与えることですが、兄弟である枢機卿団は、ローマの司教を得るために世界の果てまで行ってきたようです。まず、名誉教皇ベネディクト16世に主の祝福と聖母のご加護がもたらされるように祈りましょう」<ref name="us-pope-succession-text-idUSBRE92C19Y20130313">{{Cite news
| title = 選挙後の教皇の第一声
| newspaper = [[ロイター]]
| date = 2013-3-13
| url = http://www.reuters.com/article/2013/03/13/us-pope-succession-text-idUSBRE92C19Y20130313 
| accessdate = 2013-3-17}}</ref>}}

と自分がヨーロッパ以外の出身であることに言及し、さらに生前退位した前教皇への気遣いを示した。

「教皇フランシスコ」が選出の翌日にしたことはローマの宿泊に使用したホテルの代金の支払いであり、その際の移動には枢機卿団のマイクロバスに同乗し、車内では「あなたがたの為した行い(自分の選出)を神がお赦しになるように」と枢機卿団に語りかけた<ref name="nytimes-20130315">{{Cite news
| title = With Simple Actions and Dress, New Pope Shifts Tone at Vatican
| newspaper = [[ニューヨーク・タイムズ]]
| date = 2013-3-14
| url = http://www.nytimes.com/2013/03/15/world/europe/pope-francis.html?_r=0
| accessdate = 2013-3-17}}</ref>。また3月14日にの午前中にはイエズス会本部に直接電話をかけ[[アドルフォ・ニコラス]]総長に教皇選出のお祝いの手紙の返礼をした<ref>[http://shomeiteam.wordpress.com/ 新しい教皇さまから電話?]イエズス会、2013年3月33日閲覧</ref>。
3月17日の正午に教皇として日曜日恒例の「お告げの祈り」に臨んだ。サンピエトロ広場に集まった15万人の信徒に「神は慈悲を与え続ける。… 神は慈悲を与えることにうんざりすることはない。うんざりするのは我々のほうだ」とユーモアを交えながら慈悲と寛容について説いた<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013031700231 新ローマ法王が初の恒例儀式=信者15万人、広場に大歓声―バチカン]時事通信社</ref>。

ドイツの有力紙『南ドイツ新聞』は、「段ボールで寝る浮浪者は、これまでとは違う意味を持つ」として、「貧しさ」の福音的意味を強調する新教皇誕生の意義を考察し、薬物依存者更生施設で足を洗いその足に接吻するキリスト教界最高位の聖職者の写真を掲載した<ref>Matthias Drobinski, “[http://www.sueddeutsche.de/panorama/papst-franziskus-wider-die-buergerliche-froemmigkeit-europas-1.1625893 Wider die bürgerliche Frömmigkeit Europas]” in ''Süddeutsche Zeitung'', 17. März 2013.</ref>。

日本では、[[上智大学]]神学部の山岡三治教授が「ベルゴリオ枢機卿の出身地の中南米は最大の信者を抱え、貧困問題もあり、大国を近くで冷静に見ている。環境問題や幼児虐待で、化学や心理学などにも通じる彼は最適任者だ」と歓迎の意を表し、「[[アッシジのフランチェスコ]]は環境保護の聖人でもある。新法王は、貧しさや自然を愛する基本に戻ろうとしているのではないか。その人格で信用をつかみ、新たな教会を築いて欲しい」と述べて、新教皇への期待を表明した<ref>山岡三治「新たな教会築く最適任者」、『産経新聞』2013年3月15日付。</ref>。さらに、[[池長潤]]大司教は「教皇フランシスコは、全教会の賢明かつ力強い牧者としてわたしたちの働きを導き支え助けてくださることと確信します」と、日本カトリック司教協議会を代表して声明を発した<ref>「[http://www.cathoshin.com/2013/03/14/new-pope-cbcj/ 新教皇選出で司教協議会会長]」、『カトリック新聞』2013年3月14日付。</ref>。

また、アルゼンチンでの神学生時代に新教皇の指導を受けた、「日本26聖人記念館」館長のレンソ・デ・ルカ師は「厳しいのは厳しいのですが、同時にとても人に理解があり、霊的指導者としても素晴らしい人。神学生が自立するよう促し、自分で考えるよう導いてくれました」と<ref>「[http://www.cathoshin.com/2013/03/21/jesuit-comments/ 新教皇の選出を受けて]」、『カトリック新聞』2013年3月21日付。</ref>、その人柄と卓越した指導力を回顧している。

== 教皇就任以後 ==
[[File:Misa de inauguración del Pontificado del Papa Francisco.jpg|thumb|270px|left|[[:w:Papal inauguration of Pope Francis|教皇着座式]]に臨むフランシスコ。伝統的な「教皇の赤い靴」ではなく黒い革靴を履いている。]]
コンクラーヴェによる選出から7日目の2013年3月19日にフランシスコの教皇の就任式が行われ、これにより名実ともに教皇に着座した。フランシスコは就任式の所要時間をそれまでの3分の2に短縮する一方で、儀式前にサンピエトロ広場に集まった20万人もの信徒との触れあう時間を設けた。就任式では「弱者と環境を守ることが、死と破壊に勝利する方法である」「最も貧しく、弱き者を抱擁する」と、教会の役割として社会的弱者の救済と[[環境保護]]を強調した<ref>[http://www.reuters.com/article/2013/03/19/us-pope-idUSBRE92D05P20130319 Pope sets tone for humbler papacy, calls for defense of the weak]ロイター、2013年3月20日閲覧。</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2934741/10462048?ctm_campaign=txt_topics 新ローマ法王、「最も貧しく、弱き者を抱擁する」 就任式で誓う]AFP、2013年3月20日閲覧。</ref>。

質素を好むフランシスコは教皇の指輪は金から銀の金メッキに変えた。十字架はそれまで使用してきた鉄の十字架を使用し伝統的に履かれていた赤い靴もやめて従来の黒い靴を履き続けることにした。また教会の透明性を高めるために教皇の住居をあらかじめ公開した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130319-OYT1T01510.htm?from=ylist 十字架も金から鉄に…法王、「質素」をアピール]読売新聞2013年3月20日閲覧。</ref>。
[[File:Francis Inauguration fc01.jpg|thumb|270px|right|サンピエトロ広場の群衆の中のフランシスコ]]
就任式典には132の国と地域の代表が出席した。フランシスコの母国のアルゼンチンのキルチネル大統領は教皇に最初に謁見した国家元首となったが、彼女は[[フォークランド諸島|マルビナス諸島]]に帰属問題に関してフランシスコにバチカンの国家元首として協力を要請した<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130319k0000e030183000c.html アルゼンチン大統領:新ローマ法王に介入要請 領土問題で]毎日新聞、2013年3月20日閲覧。</ref><ref>[http://www.nytimes.com/2013/03/19/world/europe/francis-to-meet-argentine-leader-after-frosty-ties.html?_r=0 After Frosty Past, Pope Meets Argentine Leader]ニュヨークタイムズ、2013年3月20日閲覧。</ref>。同諸島の帰属問題をアルゼンチンと争っている[[イギリス]]は[[デーヴィッド・キャメロン]]首相は出席せず[[グロスター公]]の出席にとどまった(2005年のベネディクト16世の就任式には[[トニー・ブレア]]首相(当時)が出席)。ブエノスアイレスの大司教時代に、フランシスコは「マルビナス諸島がアルゼンチンのもの」を発言したことがあり、首相の欠席は、その発言に対するイギリス政府による「冷遇」との憶測をよんだ。また中国を代表して[[台湾]]の[[馬英九]]総統が出席したことに関して、[[中華人民共和国]]は強い不快感を示した。なお就任式には、[[東方正教会]]、[[ユダヤ教]]、[[イスラム教]]など世界の諸宗教の指導者も参列した。

東方正教会からは[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンディヌーポリ総主教]]の[[ヴァルソロメオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|ヴァルソロメオス1世]]が出席しており、ローマ教皇の就任式に東方正教会の総主教が出席したのは[[1054年]]の[[東西教会の分裂]]以来、初めてのことである<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130320k0000m030046000c.html 新ローマ法王:就任式典 132カ国・地域の代表らが謁見]毎日新聞、2013年3月20日閲覧。</ref>。また母国アルゼンチンでは、ブエノスアイレス大聖堂前の広場に[[パブリックビューイング]]の会場が設けられた。就任式はアルゼンチン時間では夜更けにもかかわらず多数の市民が駆けつけた<ref>{{cite news|title=El Papa llama por teléfono a los fieles reunidos junto a la catedral de Buenos Aires|url=http://www.larazon.es/detalle_normal/noticias/1541678/religion/el-papa-llama-por-telefono-a-los-fieles-reunid#.UUhJnFtvyIo|newspaper=La Razón|date=2013-03-19|accessdate=2013-03-19}}</ref>。

サンピエトロ広場で教皇の誕生を見届けたアルゼンチン出身のある女性信者は「私たちのようにバスに乗って、街を歩き、貧困について語る。一般の民衆に近い存在です」と新教皇の親しみやすさ語った<ref name="mainichi20130316" />。

3月20日、[[ブラジル]]のジマウ・ルッセフ大統領と会談し、7月にリオ・デ・ジャネイロ州で開催される「ワールドユースデー」と、サン・パウロ州にあるマリア巡礼地のアパレシーダを訪問する可能性について語った<ref>“[http://www.acidigital.com/noticia.php?id=25126 Papa Francisco recebe presidente do Brasil e anuncia intenção de ir a Aparecida após JMJ Rio 2013]”, ''acidigital'', VATICANO, 20 Mar. 2013</ref>。

教皇就任後の3月23日にはローマ近郊のカステルガンドルフォにいる名誉教皇ベネディクト16世のもとを訪問し、会食したのち礼拝堂で一緒に祈りをささげた。生前退位した元教皇に教皇が会食した前例はなく、メディアでは「前代未聞」などと報じられた。このときに両者の会談の内容は明らかにされていないが、バチカンが抱える諸問題に関する教皇の業務の引き継ぎを行ったと推測される<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/130324/erp13032400000000-n1.htm 新旧法王が対面「前代未聞」「われわれは兄弟」]2013年3月25日閲覧</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.politico.com/story/2013/03/pope-francis-tells-benedict-were-brothers-89247.html|title=Pope Francis Tells Benedict: 'We're Brothers'|date=2013-03-23|acessdate=2013-03-25|newspaper=POLITICO}}</ref>。

== 語録 ==
[[File:Pope Francis in March 2013.jpg|thumb|270px|left]]
{{Quotation|
*「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」<ref>{{Cite web|url=http://www.avvenire.it/Chiesa/Pagine/papa_incontro_cardinali.aspx |title=Papa Francesco: come vorrei una Chiesa povera e per i poveri |publisher=avvenire |language=Italian |date=2013-03-15 |accessdate=2013-03-19}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://worldnews.nbcnews.com/_news/2013/03/16/17336851-pope-francis-describes-wish-for-poor-church-for-the-poor?lite |title=Pope Francis describes wish for 'poor church for the poor' |publisher=NBC News |language=English |date=2013-03-16 |accessdate=2013-03-19}}</ref> … バチカンの聴衆に向けての初スピーチ。
*「あなたがたの為した行いを神がお赦しになるように」<ref>“[http://www.nytimes.com/2013/03/15/world/europe/pope-francis.html?_r=1& With Simple Actions and Dress, New Pope Shifts Tone at Vatican]” in ''The New York Times'', March 14, 2013.</ref> … 教皇に選出されたとき枢機卿団に語った言葉。
*「ご存じのように、コンクラーヴェの義務はローマに一人の司教をもたらすことですが、わが兄弟である枢機卿団はそのローマの司教を得るために世界の果てまで行ってしまったようです。しかしながら私たちはここにいます」<ref name="us-pope-succession-text-idUSBRE92C19Y20130313"></ref><ref>原文は、[http://www.vatican.va/holy_father/francesco/elezione/index_it.htm Annuntio vobis gaudium magnum](13 marzo 2013).</ref> … 教皇に選出されたのちサンピエトロ広場に集まった信徒に向かっての第一声。
*「その後、さまざまな冗談を述べた人がいました。『君はハドリアヌスと名乗るべきだった。[[ハドリアヌス6世 (ローマ教皇)|ハドリアヌス6世]](在位[[1522年]]-[[1523年]])は改革者だった。わたしたちは改革者を必要としている』。他の人はわたしにこういいました。『それはだめだ。君の名はクレメンスでなければならない』。『どうして』。『クレメンス15世』を名乗るべきだった。そうすれば、イエズス会を弾圧した[[クレメンス14世 (ローマ教皇)|クレメンス14世]](在位[[1670年]]-[[1676年]])に仕返しできたじゃないか』。これは冗談です」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0003.htm 教皇フランシスコのメディア関係者へのあいさつ]カトリック中央協議会、2013年3月22日閲覧</ref>。… 教皇就任後のメディア関係者へのあいさつ。
* 「日本のキリスト教共同体は、200年以上も聖職者なしで維持されたのです」<ref name="30days20071130" /><ref group="注">[[ピウス9世 (ローマ教皇)]]から日本布教を依頼された[[パリ外国宣教会]]の[[ベルナール・プティジャン|プチジャン]]神父は、1865年3月17日、[[大浦天主堂]]において、日本の潜伏キリシタンを発見した。最初に神父に話しかけたのはイザベリナ杉本ゆりであり、ゆりは「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)と、その信仰を告白した。その後、浦上の信徒たちは、日本人修道士バスチャン(セバスチャン)が殉教前に遺言した、カトリック司祭を識別する三項目(マリア崇敬、終生独身制、ローマ教皇への服従)を確認した上で、復活祭の前の「四旬節」についての質問をした。 cf. 長崎地方文化史研究所編『プチジャン司教書簡集』聖母の騎士社、1986年、pp.68-78. それは、徳川禁教時代から数えて7代250年後の出来事だった。</ref> … [[隠れキリシタン]]を例に挙げ、万事聖職者任せではなく信徒たちが自律的に信仰を貫くよう促した言葉。
* 「私たちは歩みたいように歩み、多くのものを構築できます。しかし、イエス・キリストを告白しないならば、物事はうまくいきません。私たちは気前の良いNGOには成れても、教会に連なることも、主の花嫁となることもできません。誰でも、神に祈らない者は悪魔に祈っているのです。なぜなら、キリストを告白しないならば、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性<ref group="注">「悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性」に対応する原文は “la mondanità del diavolo, la mondanità del demonio” であり、これは悪魔の異称 “principe del mondo”(この世の君)を踏まえた表現である。聖書的伝統において、悪魔は「世俗性」、すなわち現世的な関心と緊密に結びついており、[[サタン]]、[[ベルゼブブ]]などとともに、[[アルコーン]]、「この世の君」(マタイ12:24 ; ヨハネ12:31, 14:30, 16:11 ; エペソ2:2, 6:12 など)も悪魔の異称と考えられてきた。cf. J. B. ラッセル『悪魔の系譜』青土社、1990、p.451, Raïssa Maritain, “[http://www.biblisem.net/etudes/anonprin.htm Le Prince de ce monde]” in ''Roseau d’or'', 1929.「悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性」を論難するする教皇の説教は、霊的なもの、精神的なものをないがしろにし、「現世的なもの」(世俗性)に空しく執着することに対する批判を含意している。</ref>を告白しているからです」<ref name="primera-misa" /> … 教皇選出後初めてのミサにて。
* 「人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出されます」<ref name="viewonline" /><ref group="注">この指摘は、人間に対する神の愛の先行性に関する、[[ヨハネの手紙一]]にある以下の個所を踏まえた表現である。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽りの者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」(1ヨハネ4:19-21、[[新共同訳聖書]])。</ref> … 自らが神に出会った時の回顧を通し、神の慈悲について語った言葉。
|教皇フランシスコ 語録}}

== 思想・信条 ==
フランシスコは質素な生活を好み、アルゼンチン時代から特に貧困問題に熱心に取り組んで来た<ref>{{Cite news|author=Mark Rice-Oxley |url=http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/13/jorge-mario-bergoglio-pope-poverty |title=Pope Francis: the humble pontiff with practical approach to poverty |newspaper=[[ガーディアン]]] |date=2013-03-13}}</ref>。分かりやすい言葉を選び、時にユーモアを交えた話し方も庶民的で親しみやすいと言われている。教皇選出後の初めての説教ではラテン語ではなくイタリア語で行った<ref name="nytimes-20130315"></ref>。また3月17日の日曜日恒例の「お告げの祈り」におけるユーモラスな説教も、信徒たちから笑いを誘った。枢機卿に任命された時には、ローマでの任命式を見に行こうとする人々に対し「任命を祝うためにローマに行くことはない。代わりに飛行機代分のお金を貧しい人々にあげて欲しい」と呼びかけた<ref name="newsweek20130314">{{Cite news
| last = ラルフ
| first = タリア
| title = 新ローマ法王フランチェスコ1世の素顔
| newspaper = [[ニューズウィーク]]
| date = 2013-03-14
| url = http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/03/post-2874.php
| accessdate = 2013-03-14}}</ref>。
さらに、教皇就任式を控えた時期にも、同じく母国アルゼンチンの人々に対して「ローマに来る飛行機代があるなら、それを貯金に回すか、貧しい人に寄付するかして欲しいと」呼びかけた。このような新教皇の慎ましい態度に関して、「[[アルゼンチンよ、泣かないで]]」(Don't Cry For Me Argentina)という有名な[[ミュージカル]]『[[エビータ (ミュージカル)|エビータ]]』の主題歌のタイトルをもじった、『アルゼンチン人よ、飛行機で来ないで』(Don't fly for me Argentina)の見出しで好意的に紹介したメディアもあった<ref>[http://www.independent.co.uk/news/world/europe/pope-francis-exhorts-his-faithful-dont-fly-for-me-argentina-8536952.html Pope Francis exhorts his faithful: 'Don't fly for me, Argentina' ]</ref>。

「フランシスコ」という教皇の名は、コンクラーヴェにおける彼の得票数が全体の3分の2を超え、選出が確定的になった際に、隣に座っていたブラジルのクラウディオ・フンメス枢機卿から「貧しい人々のことを忘れないでほしい」と言葉をかけられ、この時に清貧と平和の使徒であった中世イタリアの聖人[[アッシジのフランチェスコ]]の名前が思い浮かび教皇名に選んだと本人が語っている<ref>“[http://www.news.va/en/news/pope-francis-audience-with-communications-professi Pope Francis: audience with communications professionals]”(The Vatican Today, 16 March 2013)</ref>。フランス司教団の代表である{{仮リンク|ベルナール・ポドヴァン|fr|Bernard Podvin}}司教によれば、それは [[アッシジのフランチェスコ]]の霊性を踏まえ、福音的な慎ましさととりわけ貧しい人々への配慮を示すものであるという<ref>“Les cardinaux ont un nouveau Pape” in ''Le Figaro'', 12 mars 2013.</ref>。また、その思想・信条が同じく76歳で教皇に選出された[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]([[福者]])と多くの点で共通していると見なされることから、[[第2バチカン公会議]]を開催した「[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]の再来」と評価する声も上がっている<ref>[[読売新聞]]、2013年3月15日。</ref>。

前教皇の[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が厳格な態度と博識を駆使した重厚な雰囲気の説教をしていたのに対し、新教皇フランシスコは、親しみやすい雰囲気の中で分かりやすい言葉遣いで説教をすることから、バチカンは教皇の交代から「24時間で劇的に変わった」と『[[ニューヨーク・タイムズ]]』は報じている。また、生涯のほとんどをアルゼンチンで過ごし、伝統色の強いアルゼンチンの教会の近代化に成功したとも言われている<ref name="nytimes-20130315"></ref>。

ベネディクト16世が典礼の伝統を重んじ<ref>{{cite news|last=Rocca|first=Francis X.|title=Next pope faces global challenges|url=http://www.catholic-sf.org/ns.php?newsid=30&id=61136|accessdate=14 March 2013|newspaper=Catholic San Francisco|date=13 March 2013}}</ref><ref>{{sp}} {{cite news |title=Regresó la misa en latín, con mujeres cubiertas por mantillas |url=http://edant.clarin.com/diario/2007/09/17/sociedad/s-03001.htm |publisher=Clarin.com |accessdate=14 March 2013 |date=17 September 2007 |first=Sergio |last=Rubin}}</ref>、ラテン語典礼の復活を唱える超保守派[[聖ピオ十世会]]の司祭たちに対する破門を解除したりした姿勢とは「大きく異な」り<ref>[http://web.archive.org/web/20090217040924/http://www.asahi.com/international/update/0213/TKY200902130321.html ローマ法王「最大の失態」批判 超保守派司教の破門解除] - [[朝日新聞]] 2009年2月15日(2009年2月17日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref>“[http://www.dici.org/actualites/le-cardinal-bergoglio-et-la-fraternite-saint-pie-x-en-argentine/ Le cardinal Bergoglio et la Fraternité Saint-Pie X en Argentine]” in ''FSSPX – DICI'' n°272 du 15/03/13.</ref>、フランシスコは、反動的な主張を掲げる「伝統派や原理主義者たち」を「主に不実な者」と呼んで、これら復古主義とは明確な一線を引く姿勢を明らかにしている<ref name="30days20071130">{{Cite journal| url=http://www.30giorni.it/articoli_id_16457_l3.htm |title=What I would have said at the Consistory: An interview with Cardinal Jorge Mario Bergoglio, Archbishop of Buenos Aires |publisher=30 Days |year=2007 |month=11}}</ref>。

ヘブライズムの伝統に造詣が深く、大司教時代にラビ(ユダヤ教の聖職者)の{{仮リンク|アブラハム・スコルカ|en|Abraham Skorka}}との『天と地について』(2012年)と題する共著がある<ref name="jerusalempost">{{Cite news|url=http://www.jpost.com/Opinion/Editorials/Article.aspx?id=306508 |title=Francis and the Jews |newspaper=Jerusalem Post |date=2013-03-14}}</ref>。

=== アルゼンチンでの政治的立場 ===
==== キルチネル政権との関係 ====
[[File:Bergoglio Kirchner 2.jpg|thumb|270px|left|アルゼンチン司教協議会で[[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル|キルチネル大統領]]と面会するベルゴリオ (2010年)]]
[[アルゼンチンの国家元首一覧|アルゼンチンの大統領]][[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル]]とその夫で前任者の[[ネストル・キルチネル]]の2人とベルゴリオとの間には、長年にわたり緊張関係が存在した。2人の大統領は共に[[リベラル]]な政策をの推進者として知られ、学校での[[性教育]]の推奨、公立病院での[[避妊具]]の配布、[[性転換症|トランスセクシュアル]]の性別変更の許可などを次々と実現し、[[2010年]]には、[[南アメリカ]]で初めて[[同性結婚]]が合法化されている<ref>{{cite news |url= http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=174606262|title= Delicate Diplomacy: Pope Meets Argentine President|author= Michael Warren|date= 2013-03-18|work= |newspaper=National Public Radio |agency=[[AP通信]] |accessdate=2013-03-18}}</ref>。

[[2003年]]にアルゼンチンの大統領に選ばれた[[ネストル・キルチネル]]は、翌年の[[独立記念日]]にブエノスアイレスの大聖堂で催されたベルゴリオの司式によるミサに出席した。そのときベルゴリオは、大統領に対して、一層の政治的な対話を要求し、大統領の不寛容や自己顕示や声高な自己主張を批判した<ref>{{cite news |url= http://www.lanacion.com.ar/604859-el-mensaje-de-la-iglesia-era-para-kirchner|title= El mensaje de la Iglesia era para Kirchner|language= Spanish|author= Mariano Obarrio|date= May 27, 2004|work= |newspaper= [[:es:La Nación (Argentina)|La Nación]]|accessdate=March 13, 2013}}</ref>。そのためネストル・キルチネルは、翌年からミサに出席しなくなり、他の場所で独立記念日を祝うようになった<ref>{{cite news |url= http://www.lanacion.com.ar/706830-suspendio|title= Suspendió la Iglesia el tedeum en la Capital|trans_title= The church suspended the tedeum in the capital|language= Spanish|author= Lucas Colonna|date= May 24, 2005|work= |newspaper= [[:es:La Nación (Argentina)|La Nación]]|accessdate=March 13, 2013}}</ref>。以来ネストル・キルチネルは、ベルゴリオを政治的なライバルとさえ見做すようになった<ref name="anios">{{cite news |url= http://www.lanacion.com.ar/1562777-jorge-bergoglio-y-los-kirchner-anos-de-una-relacion-tensa|title= Jorge Bergoglio y los Kirchner: años de una relación tensa|trans_title= Jorge Bergoglio and the Kirchner: years of a tense relation|language= Spanish|author= |date= March 14, 2013|work= |newspaper= [[:es:La Nación (Argentina)|La Nación]]|accessdate=March 13, 2013}}</ref>。[[2007年]]の大統領選において当選したネストル・キルチネルの妻[[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル]]との間にも緊張した関係は継続した。ベルゴリオは、[[2008年]]の農業分野による政府内紛争の過程で政府がデモ隊を支援した際に、全国民に対して和解と平和を呼びかけた<ref name="anios"/>。

キルチネル夫妻とベルゴリオの関係が緊張の頂点に達したのは、[[2010年]]の[[同性結婚]]合法化(7月15日成立)の時であった<ref name="anios"/>。[[2010年]]6月22日、ベルゴリオはブエノスアイレスの[[カルメル会]]の修道女たち宛てに文書を発行し、「これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである」([[歴代誌]]下20:15)という聖書の言葉を引用して、議員らが国のために善いことをするようにと祈るよう促した<ref>{{Cite news|url=http://tn.com.ar/politica/la-carta-completa-de-bergoglio_038363 |title=La carta completa de Bergoglio |date=2010-07-08 |accessdate=2013-03-26|newspaper=TN.com.ar}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.lavoz901.com.ar/despachos.asp?cod_des=109123&ID_Seccion=12 |title=Bergoglio convocó a una “guerra de Dios” contra el matrimonio gay |date=2010-07-09 |accessdate=2013-03-26 |newspaper=LaVoz901.com.ar}}</ref>。ベルゴリオの同性結婚反対キャンペーンに対し、ネストル・キルチネル前大統領はこれを「圧力」と批判し<ref>{{Cite news|url=http://www.cronista.com/contenidos/2010/07/09/noticia_0056.html |title=Boda gay: para Bergoglio es una “movida del Diablo” y Kirchner lo acusó de presión |date=2010-07-09 |accessdate=2013-03-26 |newspaper=El Cronista}}</ref>、教会の姿勢を「中世の[[異端審問]]」に属するものであると断じて激しく非難した<ref>{{Cite news |url=http://www.eldia.com.ar/edis/20100712/20100712104844.htm |title=Cristina comparó campaña de la Iglesia contra el matrimonio homosexual con la Inquisición |date=2010-07-12 |accessdate=2013-03-26 |newspaper=El Dia}}</ref>。

[[2007年]]の「アパレシーダ文書」<ref name="Aparecida">{{harvnb|Conferencia General del Episcopado Latinoamericano y del Caribe|2007}}</ref>の発表に際し、ベルゴリオは社会問題に言及し<!--て国会議員、政府首脳、医療従事者に対してカトリックの原則に従って行動するよう勧告し、我々は聖体拝領と戒律に抗う行動や言論とを同時には享受できないことを意識すべきであり、とりわけ-->([[#妊娠中絶、安楽死と高齢者問題について|後述詳細]]参照)、中絶や安楽死は、生命と家族に対する重大な犯罪を促進するものであり、この責任は特に国会議員と政府首脳と医療従事者とに帰するものであると言明した。アルゼンチン政府はこの声明に抗議し、ブエノスアイレス人権大学のギジェルモ・ゲリンは「アルゼンチンの社会問題に関わる教会の診断は正しいが、中絶や安楽死を混ぜ込むことは、少なくとも明確なイデオロギー的違法行為の一例である」と発言した<ref name="Aparecida presentation" />。

==== フォークランド(マルビナス)紛争について ====
2012年4月にブエノスアイレスで開催された[[フォークランド紛争]]30周年追悼ミサで、ベルゴリオは「戦没者と祖国を守るために、他国(イギリス)に強奪され、他国のものとなった祖国の一部を回復するために戦場に赴いた者のために祈りましょう」と参列者に呼びかけた。フォークランド紛争についてイギリスを批判したことは、キルチネル大統領の共感をよび、大統領はイギリスのデイヴィッド・キャメロン首相に対し、1960年の国連決議を尊重して「19世紀以来の露骨な[[帝国主義]]政策をやめるべきだ」という趣旨の公開書簡を送った<ref>[http://world.time.com/2013/03/14/pope-francis-criticized-britain-over-falkland-islands/ Pope Francis Criticized Britain over Falkland Islands]</ref>。2013年にベルゴリオが教皇フランシスコとしてバチカンの国家元首になると、キルチネルは最初の国賓としてバチカンでフランシスコと会見し、フォークランド紛争の仲介を求めた<ref>{{cite news |language = | author =| url =http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE92I04J20130319| title =アルゼンチン大統領、新法王にフォークランド問題の仲介要請
| publisher =| date= 2013-3-19| accessdate =2013-3-20}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://world.time.com/2013/03/14/pope-francis-criticized-britain-over-falkland-islands/ |title=Pope Francis Criticized Britain over Falkland Islands |publisher=TIME |language=English |date=2013-03-14 |accessdate=2013-03-20}}</ref>。

一方ベルゴリオの教皇選出から2日後、[[イギリス]]の[[デーヴィッド・キャメロン]]首相は「[[フォークランド諸島]]からは(コンクラーヴェの)白い煙は全然見えない」と言い放ち、「謹んで教皇聖下に反対申し上げる」と前置きした上で、「フォークランド諸島の帰属をめぐる住民投票の結果、1,500 人余の島民の圧倒的多数が海岸領土の英国帰属を望み、望まないものはほんのわずかでございます。これが島民が世界に向けて発したメッセージであり、島民自身による未来の選択が尊重されるべきであるものと存じます」と述べ、「アルゼンチン出身の教皇」の発言に反論した<ref>[http://www.guardian.co.uk/uk/2013/mar/15/pope-francis-falklands-david-cameron Pope Francis is wrong on Falklands, says David Cameron]2013年3月20日閲覧。</ref>。しかしながら一方、フォークランド諸島のカトリック教徒は教皇フランシスコの同諸島の訪問をも希望している<ref>[http://www.guardian.co.uk/uk/2013/mar/15/falkland-catholics-want-pope-to-visit Falkland Islands Catholics want new pope to visit them]2013年3月20日閲覧。</ref>。

=== 他宗教・他宗派との関係 ===
フランシスコは、教皇選出以前から母国アルゼンチンにおいて他宗教・他宗派との対話に積極的に取り組み、とりわけ、ユダヤ教・イスラム教・プロテスタント福音派等との間に信頼関係を構築することに貢献してきた。

==== ユダヤ教 ====
ベルゴリオはアルゼンチンのユダヤ教コミュニティと親密な関係を築いており、2007年にはブエノスアイレスの[[シナゴーグ]]で行われたユダヤ教の[[ローシュ・ハッシャーナー]]に出席している。ベルゴリオがこの訪問に際しユダヤ教徒らに「兄であるあなた方と共に」自身の心を見つめるために訪れたと述べた<ref name="jta">{{Cite news | title = "New Pope, Jorge Mario Bergoglio of Argentina, has Jewish connections," | newspaper = Jewish Telegraphic Agency | date = 2013-03-13 | url = http://www.jta.org/news/article/2013/03/13/3121966/new-pope-francis-i-is-argentinian-cardinal-jorge-maria-bergoglio | accessdate = 2013-03-18}}</ref>。

1994年にブエノスアイレスのユダヤ教コミュニティー・センターが爆破され85人の犠牲者が発生した({{仮リンク|AMIAビル爆破テロ|en|AMIA bombing}})。ベルゴリオは事件の11周年となる2005年に未だ解決されていないこの事件に関し正義の実現を求める文書に署名した一人である。2010年10月には再建されたAMIAビルを訪問しユダヤ教の指導者らと会談している<ref name="jta"/>。

ベルゴリオと共にユダヤ・カトリック共同の貧困者救済活動を行ったときの様子を回顧し、世界ユダヤ会議の元議長{{仮リンク|イスラエル・ジンガー|en|Israel Singer}}は「誰もが椅子に手をやり座るときに、ベルゴリオだけは椅子を取らず地べたに座ったこと」を思いだして、ベルゴリオの謙遜が特に印象的であったと記している<ref name="jta"/>。

2012年にはブエノスアイレス・メトロポリタン大聖堂で[[水晶の夜]]追悼記念式典を共同で開催した<ref name="jta"/>。

イスラエルの『エルサレムポスト』は、「ヨハネ・パウロ2世は、ユダヤ人のいる祖国ポーランドで幼少期を送り、ホロコーストによってユダヤ人コミュニティが失われた祖国ポーランドで大人になった。ヨハネ・パウロ2世と違い、新教皇フランシスコは、実生活においてブエノスアイレスのユダヤ人社会とも良好な関係を維持してきた」と論評した<ref name="jerusalempost"/>。

また、キリスト教諸国における反ユダヤ主義に対して厳しい目を向けてきた米国最大のユダヤ人組織[[名誉毀損防止同盟]](ADL)では、[[エイブラハム・フォックスマン]]会長自ら声明を発表し、「フランシスコ教皇の選出は、カトリック教会の歴史の上で意義ある瞬間」であり、教皇のこれまでの「経歴には未来に関して我々を安堵させるものがある」として、キリスト教とユダヤ教の友好的関係の構築に対する新教皇のこれまでの尽力を称賛した<ref>Abraham H. Foxman, “[http://www.adl.org/press-center/press-releases/interfaith/adl-congratulates-new-pope-francis.html#.UUrj7RnXZ0h ADL Congratuates New Pope Francis]”, ''ADL Press Release'', March 13, 2013.</ref>。

==== イスラム教 ====
アルゼンチンのブエノスアイレスのイスラム共同体の指導者は、彼が「いつもイスラム共同体の友人としての態度を見せ」、「宗教間の対話以上のもの」を有していることを指摘してベルゴリオの教皇選出を歓迎した。ベルゴリオはアルゼンチンのモスクと神学校の両方を訪問し、イスラム布教指導者のシェイク・モフセン・アリー師にカトリック教会とイスラムコミュニティーの関係を強化することを呼びかけた。アルゼンチン共和国イスラムセンター (CIRA) 総長のスメル・ヌフリ師は、これまでのベルゴリオの行動から、イスラムコミュニティーが彼の教皇選出に「宗教間の対話の強化に対する喜びと期待」を持っていると述べた。ヌフリは10年以上にわたる CIRA とベルゴリオとの関係が、キリスト教徒とムスリムの対話構築を寄与してきたと発言した<ref name="islam">{{Cite news|url=http://www.buenosairesherald.com/article/126369/pope-francis-a-friend-of-the-islamic-community |title=Pope Francis 'a friend of the Islamic community |newspaper=[[:en:Buenos Aires Herald|Buenos Aires Herald]] |date=2013-03-14 |accessdate=2013-03-14}}</ref>。

==== 福音派 ====
アルゼンチン人の[[:w:Luis Palau|ルイス・パラウ]]など福音派の指導者らは、ベルゴリオの友人でもあるブエノスアイレス大司教座の財務管理者が福音派の信徒であること指摘し、福音派と友好的な関係にあるベルゴリオの教皇選出を歓迎した。パラウによれば、ベルゴリオは、福音派の友人たちとくつろいで[[マテ茶]]を飲んだりするだけでなく、聖書を読んだり、共に祈ったりすることもあるという。ルイス・パラウは、福音派との関係について言及し、ベルゴリオが、両者の「架け橋を作り、敬意を示し、イエスの神性、処女受胎による降誕、磔刑後の復活、そして最後の審判での再来というカトリックと福音派の間の信仰上の共通点、また両者の相違点をも知る」者であるとしている。さらにパラウは、ベルゴリオの教皇選出により「両者の緊張は和らぐだろう」と予想している<ref name="evangelicals">{{Cite journal|author=Stefan, Melissa |url=http://www.christianitytoday.com/ct/2013/march-web-only/luis-palau-pope-francis-drinks-mate-evangelicals-bergoglio.html?paging=off |title=Luis Palau: Why it matters that Pope Francis drinks mate with Evangelicals |journal=Christianity Today |date=2013-03-14 |accessdate=2013-03-15}}</ref>。

他の福音派の指導者らも、アルゼンチンにおけるベルゴリオと福音派との関係に触れ、ベルグリオが「プロテスタントを良く理解する」者であるという理解において一致している。カトリックとプロテスタントの間の分断は、圧倒的にカトリックの多いアルゼンチンの家族でも時に見られ、宗派間の対立の問題は、極めて重要な人間的課題である。しかし、「フランシスコが教皇に選出されることによって、プロテスタントとカトリックの間の違いについて、家族の間で、いっそう融和的な雰囲気のなかで対話が出来るようになるだろう」と、福音派の指導者たちは、ベルゴリオの教皇選出を歓迎している<ref name="christianitytoday">{{Cite journal|author=Moon, Ruth |url=http://www.christianitytoday.com/ct/2013/march-web-only/why-pope-francis-excites-most-evangelical-leaders-bergoglio.html |title=Why Pope Francis excites (most) Evangelical leaders |journal=Christianity Today |date=2013-03-14 |accessdate=2013-03-15}}</ref>。

=== 宗教間の対話 ===
ベルゴリオはまた、開放的な場で相互に敬意を払うことこそ、異なった宗教の相手からから学ぶための不可欠な前提であるとし<ref name="interfaith">Lefebure, Leo D., [http://www.parliamentofreligions.org/news/index.php/tag/rabbi-abraham-skorka/ "Pope Francis and Interreligious Relations,"] parliamentofreligions.org, Retrieved 16 March 2013</ref>、[[2011年]]にラビ(ユダヤ教の聖職者)のアブラハム・スコルカとの対話を『天と地について』(''Sobre el cielo y la tierra'')のなかで、以下のように述べている<ref name="interfaith"/>。

{{quotation|
対話は他者に対する尊敬の態度、他者には言うに値する良いものがあるという確信からから生まれます。人の観点、意見、提案を受け入れる余地が心のなかにあることを前提にします。対話には、優しく受け入れることが伴います。はじめから非難することではありません。対話をするためには、防御の姿勢を解いて家の扉を開放し、人間の暖かさを受け入れることが必要なのです。}}

ブエノスアイレスの宗教的指導者たちは、ベルゴリオが「ブエノスアイレスの大聖堂をを異なった宗教の儀式のために開放した人物」だと評した<ref name="ceremonies">[http://www.foxnews.com/world/2013/03/18/argentine-jews-hope-pope-francis-will-continue-interfaith-dialogue-promoted-as/ "Argentine Jews praise Pope Francis for interfaith dialogue"], foxnews.com (from AP), 18 March 2013, Retrieved 19 March 2013</ref>。[[2012年]]11月にベルゴリオは、中東の平和を祈るために「ユダヤ教、イスラム教、福音派、正教会の信仰の指導者ら」を大聖堂に招いた。各宗教指導者らは、[[2013年]]の報道機関向けの共同声明のなかで、ベルゴリオが「他宗教との対話のための深い度量の持ち主」であり、枢機卿が「宗教間の分裂を修復させることがカトリック教会の大きな役目の一つと考えて」いると評した<ref name="ceremonies"/>。

== 教え ==
=== 福音と司牧 ===
==== イエス・キリストとの出会い ====
教皇としての最初であり枢機卿に対しても最初となる説教で、彼はイエス・キリストの存在の内に歩むことについて話し、枢機卿らと信徒に教会の使命と「イエスとの出会い」を強調した。

{{quotation|信仰の年に刺激を受け、司祭と信徒の皆様、私たちは皆ともに忠実に永遠の使命に応答する努力をしましょう。人類にイエス・キリストをもたらすために、人々をイエス・キリストとの出会いに導くために。真実といのちへの道は真にこの教会にあり、同時に全ての人の内にあります。この出会いは恩寵の奇しさの内に私たちを新しい人間に変え、キリストをその人生に受け入れた人々に与えられる喜びの百倍ものキリスト者の喜びを私たちの心の内に誘発するのです<ref>{{Cite journal|url=http://www.news.va/en/news/pope-francis-greets-cardinal-full-text |title=Pope Francis greets Cardinals: Full text |journal=Vatican Today |date=2013-03-15}}</ref>。}}

教皇は説教で「イエス・キリストを告白しなければ、物事は進みません。福祉活動を行う[[非政府組織|NGO]]になれるかもしれませんが、主の花嫁である教会にはなれません」と強調した<ref name="first speach">[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0002.htm カトリック中央評議会 教皇フランシス最初の説教]</ref><ref name="primera-misa">{{cite web |url=http://www.lanacion.com.ar/1563109-francisco-oficia-su-primera-misa-como-papa |title=Francisco celebró su primera misa como Papa |accessdate=2013-03-15|date=2013-03-14|newspaper=[[:es:La Nación (Argentina)|La Nación]]}}</ref>。続けて、狡猾に誘惑し信仰者を堕落させる悪魔を引き合いに出し<ref>『新聖書辞典』「悪魔」「サタン」いのちのことば社、1985年。</ref>、{{仮リンク|レオン・ブロワ|fr|Léon Bloy}}の「主に祈らない人は、悪魔に祈る」を思い出す、とした上で「イエス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性を告白することになります」と述べた<ref name="first speach" /><ref name="primera-misa" />。

「霊的な世俗性」の拒絶というテーマは、教皇選出以前からの彼の教えの「[[ライトモティーフ]]」として説明されてきた<ref>[http://www.catholicculture.org/commentary/otn.cfm?id=975 The early signs are clear. Pope Francis is a reformer.] </ref>。彼は、世俗性を「自己を中心に置くこと」と捉えた上で、それは「教会にとって、そして教会にいる私たちにとって最大の危険である」と言った<ref>[http://www.catholicculture.org/news/headlines/index.cfm?storyid=17308 The future Pope Francis on apostolic courage and the danger of ‘spiritual worldliness’], Catholic Culture, 14 March 2013</ref>。

==== 神の慈悲に対する応答としての道徳 ====
ベルゴリオは、何よりもまず「キリストとの出会い」の文脈のなかで道徳というものを見ていた。ベルゴリオによれば、キリストとの出会いは、慈悲によって出来したものであり、「出会いのあとイエス・キリストが私の罪に対して与えてくださった慰めが格別なものとしていまも私の内に残され」ているとしている。「慈悲に対する応答」としての新しい道徳という観点が打ち出されるのは、そのためである。このような道徳のあり方は、ひとつの「革命」であり、「予測不可能で驚くべき『一方的な』慈悲」に対する「意志的な努力を伴わない、素朴な応答」であった<ref>[http://www.catholicculture.org/news/headlines/index.cfm?storyid=17312 The future Pope Francis: additional interviews and writings], ''Catholic World News'', 14 March 2013</ref> と、ベルゴリオは指摘する。

『ジェズイット』と題する自伝のなかで、17歳の頃、まだ学生であった自身の生き方を変えた出来事について、こう述べている。

{{quotation|私に奇妙なことが起きた。何が起きたか解らなかったが、私を変えた。不意打ちだったと言えよう。半世紀後の私はこう解釈する。それは一つの驚き、(神との)出会いという驚きであった。私は自分が求められていることを理解した。それは、一つの宗教的経験であり、待っておられる方がいるという不思議な体験であった。私にとってその瞬間から、神は人間に「初めに」<!-- 'primerea' -->語る存在である。人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出される<ref name="viewonline">[http://viewonline.fromdoppler.com/pfie/eqaehB/c/a/a El Jesuita. Conversaciones con el cardenal Jorge Bergoglio, SJ.], Sergio Rubín y Francesca Ambrogetti, Vergara editor, pp. 45-47. </ref>。}}

==== 福音宣教の転換 ====
教皇は枢機卿らに対する最初の演説のなかで、新しい福音宣教を<!-- もう一つの -->テーマとして挙げ、「聖霊がその力強い息吹と共に神の教会に耐え忍ぶ勇気を与え、福音宣教の新しい方法を探し出す」ことができるようになることを念願していると語った。

この福音宣教に関するテーマは、これまでも折に触れて扱われてきたものであり、以前からベルゴリオは、「司牧のモードの転換」や、「大いなる創造」を伴って「教会の内部の生活の見直すこと」について語ってきた。ベルゴリオは、教会がただ単に受け身の形で顧客を待っていては福音宣教することなどおぼつかないとし、また福音宣教というものが人々の多様な期待と新たな感性に反応せず、古い形態のままであってはならないと見做している。ベルゴリオは、信仰を規制する教会から、進んで発信し、信仰を督励する教会となるよう、司牧のあり方の積極的転換を求め、信徒と聖職者のこれまでにも増した協働に対する自覚を促している<ref name="viewonline" />。

{{quotation|もし人が主にとどまるなら、その人は自分自身の殻から出て行きます。実に逆説的ですが、主に忠実であり続けるなら人は変わるものなのです。主に忠実であり続けなければ、伝統派や原理主義者のようになってしまいます。主に忠実であるとは、常に変化し、開花し、成長するということなのです … 信徒使徒職 <ref group="注">「信徒使徒職」とは、カトリック信徒が聖職者と協力しながら、使徒たる自覚を持って自主的に聖職者の福音宣教と協働して行くこと。 cf. [http://www.tim.hi-ho.ne.jp/catholic-act-d/Web/APOSTOLICAM_ACTUOSITATEM.html 信徒使徒職に関する教令]</ref> についても自覚を持つべきです。日本のキリスト教共同体([[隠れキリシタン]])は、200年以上も聖職者なしで維持されたのです<ref name="30days20071130" />。}}

==== 聖礼典問題 ====
[[2012年]]5月、彼は、「新教権主義」と評され、シングルマザーの子供に対する幼児洗礼を拒否するアルゼンチン人司祭らを「[[グノーシス主義]]の偽善的[[ファリサイ派]]」であり人々に救いを躊躇させるものだと厳しく批判した<ref><!--La formule utilisée par le cardinal est un peu différente en septembre 2012. On lit dans l'hebdomadaire ''La Vie'' que le cardinal avait alors « qualifié » ce « comportement » de « ''néocléricalisme rigoriste et hypocrite'' ». cf. -->''La Vie'', No.3524, 2013年3月14-20日, p. 31.</ref><ref group="注">2012年9月時点での枢機卿の表現は少しこれ(週刊誌 ''La Vie'' 2013年3月14-20日号)とは異なり、同じ ''La Vie'' によれば、枢機卿は洗礼拒否に見られるような「態度」を「律法主義で偽善たる新教権主義」と「形容」した、となっている。「グノーシス主義の偽善的ファリサイ派」「律法主義で偽善たる新教権主義」双方とも、福音書の逸話(マルコ2:15-17 ; ルカ7:36-39など)を踏まえた言い回しである。婚姻を[[秘跡]]とし、神が結び合わせるもの(マタイ19:5-6)とするカトリックでは、シングルマザーは教義に沿わない部分もあるが、その子供の洗礼を拒否することは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)として救済に例外を認めなかったイエスの教えとは本質的に異なるものであり、この発言は、祝福されない者の子という律法主義的解釈によって他者を裁く偽善的態度への批判となっている。 cf. ''La Vie'', no 3524, du 14 au 20 mars 2013, p. 31.</ref>。ブエノスアイレス大司教として、神父たちを敢えて洗礼から遠ざけられた家族のもとに派遣させるとともに、律法主義的な偽善を克服する積極的提案の一環として、『宣教の鍵としての洗礼』と題した小冊子(共著)を上梓した<ref>{{Cite web|language=English |author=Gianni Valente |title=That neo-clericalism which “hijacks” the sacraments |publsher=VATICAN INSIDER |date=2012-05-09 |url=http://vaticaninsider.lastampa.it/en/inquiries-and-interviews/detail/articolo/sacramenti-sacramentos-the-sacraments-17899 |accessdate=2013-03-20}}</ref><ref>{{Cite web |language=French |author=Sandro Magister |title=Allez et baptisez. Le pari de l'Eglise d'Argentine |traducteur = Charles de Pechpeyrou|publisher=Espresso, Chiesa |date=2009-11-30 |url=http://chiesa.espresso.repubblica.it/articolo/1341210?fr=y |accessdate=2013-03-20}}</ref>。

=== 社会教説 ===
==== 貧困と経済的不平等について ====
[[File:Card. Jorge Bergoglio SJ, 2008.jpg|thumb|270px|right|カトリック教会図書展におけるベルゴリオ (2008年)]]
[[2007年]]のラテン・アメリカ司教会議において、ベルゴリオは「私たちは世界で最も不平等な地域に暮らしており、最も豊かな土地であったが無残に没落した」と言い<ref group="注">「最も豊かな土地であったが無残に没落した」という部分はエドゥアルド・ガレアーノ『[[収奪された大地 ラテンアメリカ五百年]]』の「我々ラテン・アメリカ人が貧しいのは、我々の踏んでいる大地が豊かだからだ」という言い方に共通する。この部分はラテンアメリカ地域が19世紀の独立後も外国の大資本によって豊かな資源を収奪されるような経済システムが構築されてきた史実への批判を示唆する。</ref>、さらに「財の不当な分配が解消されずに、天に向かって悲鳴をあげるような社会的に罪といえる状況が作り上げられ、あまたの兄弟たちが充実した人生の営みを妨げられている」と述べた<ref name=AllenPap/>。2009年9月30日にベルゴリオは{{仮リンク|アルヴェアル・パレス・ホテル|en|Alvear Palace Hotel}}で{{仮リンク|サルバドール大学大学院|es|Universidad del Salvador|}}<!--Escuela de Posgrado Ciudad Argentina (EPOCA)-->により組織された会議で「我らの時代の社会的負債」と題した演説をした。そこで彼は「極端な貧困」と「大きな経済的不平等を引き起こしている不当な経済構造」が人権を蹂躙していると述べ<ref>{{cite book |last1=Bergoglio |first1=Jorge Mario |title=Seminario : las deudas sociales de nuestro tiempo : la deuda social según la doctrina de la iglesia |trans_title=Seminar : social debts of our time : the social debt according to the doctrine of the church |type=presented seminar |series=Posgrado internacional del bicentenario. Políticas públicas, soluciones para la crisis de nuestro tiempo. |date=30 September 2009 |publisher=EPOCA-USAL |location=Buenos Aires |language=Spanish |isbn= |oclc=665073169}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.lanacion.com.ar/1181036-bergoglio-los-derechos-humanos-tambien-se-violan-con-la-pobreza |title=Bergoglio: "Los derechos humanos también se violan con la pobreza" |last1=Rouillon |first1=Jorge |date=1 October 2009 |work=[[:es:La Nación (Argentina)|La Nación]] |language=Spanish |trans_title=Bergoglio: "Human rights are also violated in poverty" |accessdate=9 March 2013 |quote=Citó a los obispos latinoamericanos que en 1992 dijeron que "los derechos humanos se violan no sólo por el terrorismo, la represión, los asesinatos, sino también por condiciones de extrema pobreza y estructuras económicas injustas que originan grandes desigualdades".}}</ref>、1992年の{{仮リンク|ラテン・アメリカ司教協議会|es|Consejo Episcopal Latinoamericano}} による「サント・ドミンゴ文書」を引用した<ref>{{cite conference |url=http://www.celam.org/conferencias/Documento_Conclusivo_Santo_Domingo.pdf |title=Documento de Santo Domingo |author=Latin American Episcopal Conference |year=1992 |conference=Cuarta Conferencia General del Episcopado Latinoamericano |conferenceurl=http://www.celam.org/ |booktitle=Nueva evangelización, promoción humana, cultura cristiana : documento de consulta : IV Conferencia General del Episcopado Latinoamericano, Santo Domingo, República Dominicana, 1992, Conclusiones |publisher=CELAM |location=Bogotá |format=PDF |oclc=29289158 |accessdate=9 March 2013 |language=Spanish |trans_title=Santo Domingo Document }}</ref>。ベルゴリオは社会的債務を「不道徳で、不公平で非合法なのもの」として批判した<ref>{{cite news|title=Extreme poverty is also a violation of human rights, says Argentinean cardinal |url=http://www.catholicnewsagency.com/news/extreme_poverty_is_also_a_violation_of_human_rights_says_argentinean_cardinal/ |agency=Catholic News Agency|accessdate=13 March 2013|date=1 October 2009}}</ref>。

ブエノスアイレスでの48時間の公務員のストライキが起こったときには、「過酷の労働条件で迫害されている貧しい人々と正義からの逃走に喝采している裕福な人々」を比較し、後者に反省を求めた<ref>{{cite news|title=Argentines protest against pay cuts |url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/1481313.stm|accessdate=13 March 2013|date=8 August 2001}}</ref>。

[[2002年]]の経済危機のときには「自らの特権と過剰な富を非道な方法で獲得し、その財産の維持のために」腐心している権力者を批判した<ref>{{cite news|title=Argentina's pope stood up to power, but has his critics|url=http://www.reuters.com/article/2013/03/14/us-pope-bergoglio-idUSBRE92D16J20130314|newspaper=[[ロイター]]|accessdate=2013-03-15|first1=Helen |last1=Popper|last2=Karina |first2=Grazina|date=201303-14}}</ref>。[[2010年]]5月、アルゼンチンの貧しい人々に向けられた演説のなかで、ベルゴリオは、つぎのような発言で富裕層に再考を求めた。「あなたがたは、貧しい人々のことを考えることを拒んでいます。私たちには、貧しい人々を度外視する権利や絶望した人々が手に取った武器を取り上げる権利はないのです。私たちは母のなる祖国の記憶を取り戻さなければなりません」<ref>{{cite web|url=http://www.lanacion.com.ar/1262602-bergoglio-critico-a-los-que-no-tienen-en-cuenta-a-los-mas-pobres |title=Bergoglio criticó a "los que no tienen en cuenta a los más pobres" |publisher=lanacion.com |accessdate=2013-03-13}}</ref>。 [[2011年]]にベルゴリオは「この町がその使い方を熟知し毎日服用している麻薬があります。それは贈収賄と呼ばれるものです。この麻薬によって良心は麻痺し、ブエノスアイレスは贈収賄の街とでも言うべきものになってしまいました」と慨嘆し<ref name=lanacion/>、ブエノスアイレスの工場における労働者の搾取とホームレスの放置を、奴隷制度の今日的形態として非難した。

{{quotation|この街では奴隷制度が様々な形態で見られます。この街の労働者は、工場で搾取され、移民であればその悪辣な搾取まぬかれる機会は乏しいのです。この街には、ストリートチルドレンが何年にもわたり放置されています … この街は、労働者をホームレスという構造的な奴隷制度から解放にする試みに失敗し続けています<ref name=lanacion>{{cite news|title=Hay una anestesia en esta ciudad que se llama coima|url=http://www.lanacion.com.ar/1408890-hay-una-anestesia-en-esta-ciudad-que-se-llama-coima|newspaper=[[:es:La Nación (Argentina)|La Nación]]|accessdate=14 March 2013|language=Spanish|date=24 September 2011}}</ref>。}}

{{仮リンク|カトリック教会のエイズ患者に対する努力|en|Catholic Church and AIDS}}の一環として、彼は2001年にホスピスを訪問したことをよく覚えていた。そこでは彼は12人のエイズ患者の足を洗い、その足に接吻した<ref name=AllenPap>{{cite news|last=Allen, Jr.|first=John L.|title=Profile: New pope, Jesuit Bergoglio, was runner-up in 2005 conclave|url=http://ncronline.org/blogs/ncr-today/papabile-day-men-who-could-be-pope-13|accessdate=13 March 2013|newspaper=National Catholic Reporter|date=3 March 2013}}</ref>。

==== アパレシーダ文書 ====
ベネディクト16世の職権でラテンアメリカの司教団によって作成された「アパレシーダ文書」<ref name="Aparecida" />の中でベルゴリオはブエノスアイレス大司教としてブエノスアイレスとアルゼンチンでの社会問題をとりあげ、強く批判している。

またベルゴリオは、ラテンアメリカで最も安価なものが「生命」である事実に教会は慄然とするが故に、アパレシーダ文書では「生命」に最も頻繁に言及したと記している<ref name="Aparecida presentation" />。

===== 児童虐待と人身売買について =====
[[2007年]]、ブエノスアイレス大司教として、ベルゴリオは「アパレシーダ文書」と呼ばれるラテン・アメリカの司教の共同声明をベネディクト16世の委嘱によって発表した。ラテン・アメリカ地域における児童虐待の問題を軽んじる文化的風土を非難するベルゴリオは、児童虐待を「人口統計学上のテロ」であると述べ、「子どもたちは残虐に扱われ、教育も受けられず、充分な食事も与えられていません。そして少女たちは、売春を強いられた挙句に捨てられているのです」と指摘し、貧しい家庭の子供たちの悲惨な境遇に目を向けるべきだとした<ref name="Aparecida presentation" />。

[[2011年]]ベルゴリオは、ブエノスアイレスでの児童の人身売買と性的搾取を、以下のように糾弾した。

{{quotation|この街では、人形と遊ぶかわりにバラックのゴミの山に放り出される少女たちが大勢いる。彼女たちは誘拐され、売り飛ばされ、騙される。街では女性や少女が誘拐され、性と虐待の対象となっている。こうして彼女たちの尊厳は破壊されてゆく。この場所では、主イエスが受肉し死なれた意味さえ持つ人間の肉体が、ペットの肉体以下の扱いなのだ。一頭の犬のほうが、ブエノスアイレスで奴隷扱いされている少女たちより大切に扱われている。彼女たちは、足蹴にされ、ボロボロにされる<ref name=lanacion/>。}}

===== 妊娠中絶、安楽死と高齢者問題について =====
ベルゴリオはまた、[[自己決定権]]運動が「死の文化」と説明される以前から、聖職者と一般人に妊娠中絶と[[安楽死]]に反対するように呼びかけていた<ref>{{cite web|url=http://zenit.org/article-21867?l |title=Le cardinal Bergoglio invite à défendre la culture de la vie avec ardeur |publisher=Zenit.org |accessdate=2013-03-13}}</ref>。そしてアルゼンチンでの避妊薬の無償配布に反対していた<ref>{{Cite news |url=http://news.blogs.cnn.com/2013/03/13/cardinals-elect-new-pope/ |title=Argentina's Bergoglio Becomes Pope Francis |newspaper=[[CNN]] |date=2013-03-13}}</ref>。大司教としてベルゴリオはキルチネル政権の避妊薬の無償配布制度の創設開始に対して公に反対を唱えた<ref name="jerusalempost" />。アパレシーダ文書では聖体を受ける価値と安楽死に反対するカトリック社会とを結びつけていた<ref name="Aparecida presentation">{{cite news|last=Hoffman|first=Matthew Cullinan|title=Cardinal Archbishop of Buenos Aires Rages Against Abortion "Death Sentence"|url=http://www.lifesitenews.com/news/archive//ldn/2007/oct/07100509|accessdate=13 March 2013|newspaper=LifeSiteNews|date=5 October 2007}}</ref><ref>{{cite web|last=Pope Benedict XVI|title=LETTER OF HIS HOLINESS BENEDICT XVI TO THE BISHOPS OF LATIN AMERICA AND THE CARIBBEAN (Aparecida Document)|url=http://www.aecrc.org/documents/Aparecida-Concluding%20Document.pdf|accessdate=13 March 2013|archive=old.usccb.org/latinamerica/english/aparecida_Ingles.pdf|date=29 June 2007}} – para. 436</ref><ref>{{cite web|url=http://www.zenit.org/en/articles/aparecida-document-sent-to-pontiff |title=Aparecida Document Sent to Pontiff |publisher=Zenit.org |accessdate=2013-03-13}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.lifenews.com/2013/03/13/new-pope-francis-called-abortion-the-death-penalty-for-the-unborn/ |title=New Pope Francis Called Abortion the 'Death Penalty for the Unborn' |publisher=LifeNews.com |accessdate=2013-03-13}}</ref>。

{{quotation|我々は、国会議員、政府首脳、医療従事者に対し、人命の尊厳と人類の家族のきずなを意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り、阻止するよう希望します。我々は自らが聖体拝領に相応しいか確かめるべきです。すなわち、人々は聖体拝領に与りながら戒めに抗う行動や発言をすべきでないことを自覚しなければならない、ということです。特に妊娠中絶や安楽死など、生命と家族に対する深刻な犯罪を助長してはなりません。行政と政府の職員そして医療関係者は、このことの責任を自覚すべきです。}}

ベルゴリオはまた、人間を単に労働力とのみ見なし、年をとったせいで価値のないものとして老人たちが使い捨てられる現代社会のあり方を「姥捨て文化<!--"culture of discarding" regarding the elderly 高齢者に関する「廃棄の文化」-->」と呼んで強く非難した<ref name="Aparecida presentation" />。

==== 同性愛について ====
ベルゴリオは、同性愛を本質的に不道徳とする教会の実践的教義を肯定しつつも、同時に同性愛者の権利を尊重することの重要性を強調するという複雑な側面を見せていた<ref>[http://www.catholic.org/hf/faith/story.php?id=50111 NEW POPE: Who is this man named Bergoglio?] – Living Faith – Home & Family – Catholic Online</ref><ref> [http://www.vatican.va/archive/ccc_css/archive/catechism/p3s2c2a6.htm Catechism of the Catholic Church Paragraph 2358]</ref>。ただし、[[同性結婚]]には反対しており、それを「[[悪魔]]の動き<!-- 'una movida del Diablo' -->」であるとしている<ref name="infobae">{{Cite web|url=http://www.infobae.com/notas/525351-Para-Bergoglio-la-ley-de-matrimonio-gay-es-039una-movida-del-Diablo039.html InfoBae.com |title=Para Bergoglio, la ley de matrimonio gay es 'una movida del Diablo' |publisher=infobae.com |date=2010-07-08 |accessdate=2013-03-18}}</ref>。[[2010年]]の{{仮リンク|アルゼンチンの同性結婚を認める法律|es|Matrimonio entre personas del mismo sexo en Argentina}}導入には強くこれに反対し、それを「人類学的な先祖返り<!-- a real and dire anthropological throwback -->」であるとしていた<ref>{{Cite journal |author=Padgett, Tim |date=2010-07-18 |url=http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,2004702,00.html |title=The Vatican and Women: Casting the First Stone |journal=[[タイム (雑誌)|TIME]] |accesdate=2013-03-13}}</ref>。[[2010年]]6月、ベルゴリオは以下のように述べた。

{{quotation|無知であってはなりません。これは単なる政争ではなく、神の御計画を破壊する企てなのです。法案の体裁を取っていますが、神の子供たちを混乱させ、欺こうとする偽りの父の動きなのです。[[ナザレのヨセフ|ヨセフ]]と[[聖母マリア|マリア]]と[[イエス・キリスト|御子]]を見上げ、今この瞬間にアルゼンチンの家族を護られるよう懇願しましょう。聖家族がこの神の戦いにおいて我々を助け、護り、共に在りますように<ref name="infobae" /><ref>{{Cite journal|url=http://www.buzzfeed.com/lesterfeder/pope-francis-brings-lessons-of-argentinas-marriage-fight-to |title=Pope Francis Brings Lessons Of Argentina's Marriage Fight To Rome |journal=BuzzFeed |date=2013-03-13 |accessdate=2013-03-18}}</ref>。}}

== 「汚い戦争」をめぐる論争 ==
{{main|汚い戦争#カトリック教会への批判}}
アルゼンチンは1970年代から80年代にかけて[[軍事政権]]の支配下にあり、[[汚い戦争]]と呼ばれる大規模な[[白色テロ]]で多くの犠牲者が発生した。軍事政権により拉致、拷問された2人の司祭に関して、当時イエズス会のアルゼンチン管区長であったベルゴリオ枢機卿の責任を問う声がアルゼンチン国内に存在する<ref name="cbs20130313" /><ref name="guardian20130315">{{Cite news | last = Watts | first = Jonathan | title = Pope Francis: role during Argentina's military era disputed | newspaper = [[ガーディアン]] | date = 2013-03-15 | url = http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/15/pope-francis-argentina-military-era | accessdate = 2013-03-16}}</ref><ref name="Democracy20130314">{{Cite news | title = Pope Francis’ Junta Past: Argentine Journalist on New Pontiff’s Ties to Abduction of Jesuit Priests | newspaper = [[デモクラシー・ナウ!]] | date = 2013-03-14 | url = http://www.democracynow.org/2013/3/14/pope_francis_junta_past_argentine_journalist | accessdate = 2013-03-16}}</ref><ref name="Reuters20130313">{{Cite news | last = Lifschitz | first = Alejandro | title = Argentina's pope a modest man focused on the poor | newspaper = [[ロイター]] | date = 2013-03-13 | url = http://www.reuters.com/article/2013/03/13/us-pope-succession-bergoglio-idUSBRE92C15X20130313 | accessdate = 2013-03-16}}</ref><ref name="nyt20130313">{{Cite news | last = SCHMALL | first = EMILY | title = A Conservative With a Common Touch | newspaper = [[ニューヨーク・タイムズ]] | date = 2013-03-13 | url = http://www.nytimes.com/2013/03/14/world/europe/new-pope-theologically-conservative-but-with-a-common-touch.html?_r=0 | accessdate = 2013-03-16}}</ref>。

イエズス会の司祭で[[解放の神学]]に関与していたオルランド・ジョリオとヤーリチ・フェレンツは、[[1976年]]5月、ブエノスアイレスの[[スラム]]から当時[[収容所]]として利用されていた海軍施設に連行された。この施設では政治犯5,000人が殺害されている。2人はこの施設で5か月間拷問などを受け、10月にブエノスアイレス郊外で半裸かつ薬で朦朧とした状態で解放された<ref name="nyt20130313" />。

「汚い戦争」に関する著作で知られているジャーナリストのヴェルビツキは、著書『沈黙』において、ベルゴリオが先の2人の貧困者支援活動を後援する一方で、政治的[[左派]]に影響を受けていた彼らの[[社会運動]]に関する懸念を軍事政権に伝えており、2人が身の危険を感じベルゴリオの庇護を求めた際もそれに応じなかったと主張している<ref name="guardian20130315" />。しかし、イエズス会ドイツ管区は、その声明において、2人が当時ベルゴリオによりイエズス会を追放されたというオラシオ・ヴェルビツキの記述に由来する報道を否定している<ref>[http://www.kathweb.at/site/nachrichten/database/53493.html Jesuit Jalics (2) - Dementi für Ordensausschluss durch Bergoglio]</ref><ref>[http://www.br.de/nachrichten/oberfranken/franz-jalics-wilhelmsthal-100.html Junta-Opfer Jalics mit Papst versöhnt]</ref>。

このヴェルビツキの主張に関しては、多くの異論も存在する。ブエノスアイレス・ヘラルド紙の記者だったイギリス人のロバート・コックスは、ヴェルビツキの主張は誤りではないが、当時の危険な状況におけるベルゴリオの立場も考慮するべきだと指摘している。コックスは、ベルゴリオは2人を軍事政権に引き渡すことなどはしていないが、同時に保護したり声を上げることもなかったと述べている。[[1980年]]に[[ノーベル平和賞]]を受賞した[[アドルフォ・ペレス・エスキベル]]もまた、コックスの見方に同意し、ベルゴリオには充分な勇気がなかったと言えるかもしれないが、軍事政権と協力したことはないとの見解を披瀝している<ref name="guardian20130315" />。

軍事政権下の国家犯罪を追求している弁護士のミリアム・ブレグマンは、ベルゴリオが2人に関する裁判に消極的だと批判しており、オルランド・ジョリオの家族や汚い戦争の犠牲者の家族団体の創設者は、ベルゴリオ枢機卿の教皇選出に不満の色を見せている<ref name="cbs20130313" /><ref name="guardian20130315" />。

一方でベルゴリオの行動を肯定ないし称賛する者も存在する。ベルゴリオの伝記『ジェズイット』の共著者であるフランチェスカ・アンブロジェッティは、ベルゴリオが軍事政権の指導者[[ホルヘ・ラファエル・ビデラ]]や収容所の責任者であった海軍長官の{{仮リンク|エミリオ・エドゥアルド・マッセラ|es|Emilio Eduardo Massera}}に面会して善処を求めるなど、ベルゴリオは、当時置かれた状況でできうる限りのことをやった「英雄」であると述べている<ref name="guardian20130315" />。

[[2005年]]に行われたインタビューにおいてベルゴリオは、2人の誘拐の一報を聞いて直ちに行動にうつり、ビデラとマッセラに2人の釈放を求めたと答えている。ローマ教皇庁の広報局長は、ベルゴリオは「独裁政権下で人々を救うために尽力し」ており、先の告発は信頼できず、彼がアルゼンチンの司法当局から罪を問われたこともないとコメントしている。またこのような批判は、カトリック教会の信用失墜を狙った中傷であると主張している<ref name="afp20130316">{{Cite news | last = Jackson | first = Guy | title = 新法王、「汚い戦争」で軍事政権に加担? バチカンは全面否定 | newspaper = [[AFP]] | date = 2013-03-16 | url = http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2934149/10443264?ctm_campaign=txt_topics | accessdate = 2013-03-16}}</ref>。
[[2013年]]には、ヤーリチ・フェレンツ自身が、「オルランド・ジョリオと私は、ベルゴリオ神父によって告発されたことはない」として、ベルゴリオの責任及び関与を明確に否定した<ref>{{Cite journal|url=http://www.jesuiten.org/aktuelles/details/article/erganzende-erklarung-von-pater-franz-jalics-sj.html |title=Ergänzende Erklärung von Pater Franz Jalics SJ |journal=jesuiten.org|date=2013-03-20 |accessdate=2013-03-24}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.guardian.co.uk/world/2013/mar/21/pope-francis-argentinian-junta-priest |title=Pope Francis did not denounce me to Argentinian junta, says priest| newspaper=[[ガーディアン]] |date=2013-03-21 |accessdate=2013-03-24}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.spiegel.de/panorama/papst-franziskus-pater-jalics-entkraeftet-vorwuerfe-a-890089.html |title=Militärdiktatur in Argentinien: Pater entlastet Papst Franziskus |newspeper=Spiegel Online |date=2013-03-21 |accessdate=2013-03-24}}</ref>。

== 人物・逸話 ==
質素な生活を好むベルゴリオには、普段の移動の際にも[[地下鉄]]や[[バス (交通機関)|バス]]といった[[公共交通機関]]を利用し、バチカンへ向かう[[飛行機]]も[[エコノミークラス]]を利用していた<ref>{{cite web|url=http://cablegatesearch.net/cable.php?id=05VATICAN466|date=18 April 2005|accessdate=2012-03-13 |title='Toward The Conclave Part III: The Candidates'}}</ref>。

いつも新聞を宅配してくれていたブエノスアイレスのキオスクのオーナーに、「ダニエルさん、枢機卿のホルヘです。ローマから掛けています。いつも新聞の宅配をありがとうございます」と直接電話し、職場がローマに異動になったから新聞の宅配を停止してくれるよう依頼した<ref>“Poppe Francis personally cancels newspaper subscription”, Catholic Online, 24 March 2013.</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/9948632/Pope-phones-vendor-to-cancel-his-Buenos-Aires-newspaper-deliveries.html |title=Pope phones vendor to cancel his Buenos Aires newspaper deliveries |newspaper=The Telegraph |date=2013-03-23 |accessdate=2013-03-24}}</ref>。

宣教活動視察のため、[[1988年]]に来日している<ref name="mainichi20130316" />。

週末にはブエノスアイレス近郊の小さなアパートで過ごし、その[[サッカー]]好きもよく知られている。幼少期の頃から、地元のサッカークラブ、[[CAサン・ロレンソ]]の[[ソシオ]]に属している<ref name="reuters-201303141118">{{Cite news|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE92D01920130314 |title=中南米から初選出の新ローマ法王、サッカー好きの庶民派 |newspaper=[[トムソン・ロイター]] |date=2013-03-14 |accessdate=2013-03-14}}</ref>。同クラブは教皇のために「FRANCISCO」背番号「0(天使の輪のような扁平した形)」の「教皇仕様のユニフォーム」を作った。これはキルチネル大統領が会見の際に、ベルゴリオへの「お土産」として持参したものである。アルゼンチン出身の女優{{仮リンク|ティタ・メレッロ|es|Tita Merello}}のファンで、彼女が出演する[[ネオレアリズモ]]の映画を好んで鑑賞する。アルゼンチンと[[ウルグアイ]] で[[ミロンガ]]と呼ばれている伝統音楽の伴奏で[[タンゴ]]を踊ることも趣味の一つであるという<ref name=aicabio>{{es}} {{cite news|title=Bergoglio, sobre todo 'pastor', tanguero y simpatizante de San Lorenzo|url=http://www.aica.org/5517-bergoglio-sobre-todo-pastor-tanguero-simpatizante-de-san-lorenzo.html|accessdate=19 March 2013|newspaper=Agencia Informativa Católica Argentina|date=13 March 2013}}</ref>。

== 著書 ==
===単行本===
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=1982|language=スペイン語|title=Meditaciones para religiosos|location=Buenos Aires|publisher=Diego de Torres|oclc=644781822}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=1992|language=スペイン語|title=Reflexiones en esperanza|location=Buenos Aires|publisher=Ediciones Universidad del Salvador|oclc=36380521}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2003|language=スペイン語|title=Educar: exigencia y pasión: desafíos para educadores cristianos|location=Buenos Aires|publisher=Editorial Claretiana|isbn=9789505124572}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2003|language=スペイン語|title=Ponerse la patria al hombro: memoria y camino de esperanza|location=Buenos Aires|publisher=Editorial Claretiana|isbn=9789505125111}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2005|language=スペイン語|title=La nación por construir: utopía, pensamiento y compromiso: VIII Jornada de Pastoral Social|location=Buenos Aires|publisher=Editorial Claretiana|isbn=9789505125463}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2006|language=スペイン語|title=Corrupción y pecado: algunas reflexiones en torno al tema de la corrupción|location=Buenos Aires|publisher=Editorial Claretiana|isbn=9789505125722}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2007|language=スペイン語|title=El verdadero poder es el servicio|location=Buenos Aires|publisher=Editorial Claretiana|oclc=688511686}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2009|language=スペイン語|title=Seminario: las deudas sociales de nuestro tiempo: la deuda social según la doctrina de la iglesia|location=Buenos Aires|publisher=EPOCA-USAL|isbn=9788493741235}}
* {{Cite book|last1=Bergoglio|first1=Jorge|last2=Skorka|first2=Abraham|year=2010|language=スペイン語|title=Seminario Internacional: consenso para el desarrollo: reflexiones sobre solidaridad y desarrollo|location=Buenos Aires|publisher=EPOCA|isbn=9789875073524}}
* {{Cite book|last=Bergoglio|first=Jorge|year=2011|language=スペイン語|title=Nosotros como ciudadanos, nosotros como pueblo: hacia un bicentenario en justicia y solidaridad|location=Buenos Aires|publisher=Editorial Claretiana|isbn=9789505127443}}
===論文・記事===
* {{Cite book|author=Cardinal Jorge Mario Bergoglio|language=英語|url=http://www.vatican.va/roman_curia/pont_committees/eucharist-congr/documents/rc_committ_euchar_doc_20080618_mistero-alleanza_en.html|title=THE EUCHARIST, GIFT OF GOD FOR THE LIFE OF THE WORLD|date=2008-06-18}}
* {{Cite book|author=Cardinal Jorge Mario Bergoglio|language=スペイン語|url=http://www.aicaold.com.ar/index2.php?pag=docbergoglio|title=AICA Documentos|year=2010-2011}}

==参考文献==
===単行本===
* {{Cite book|author=Buzzi, Elisa|title=A Generative Thought: An Introduction to the Works of Luigi Giussani|location=Montreal|publisher=McGill-Queen's University Press|year=2003|language=英語|isbn=9780773526129}}
* {{Cite book|author=Horacio Verbitsky|title=El silencio : De Paulo VI a Bergoglio. Las relaciones secretas de la Iglesia con la ESMA|location=Buenos Aires|publisher=Sudamericana|year=2005|language=スペイン語|isbn=9789500720359}}
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* {{Cite book|author=Jorge Mario Bergoglio & Abraham Skorka|title=On Heavn and Earth:Pope Francis on Faith, Family and the Church in the Twenty-First Century|location= |publisher=Image|year=2013|language=英語|isbn=9780770435066}}
* {{Cite book|author=Michel Cool|title=François, Pape du Nouveau Monde|location=Paris|publisher=Salvator|year=2013|language=フランス語|isbn=9782369180029}}
* {{Cite book|author=Andrea Tornielli|title=François. Le pape des pauvres'|location=Paris|publisher=Bayard|year=2013|language=フランス語|isbn=9782227486614}}
* {{Cite book|author=Mario Galgano|title=Franziskus - Der Papst vom anderen Ende der Welt. Ein Portrait|location= Augsburg|publisher=Sankt-Ulrich-Verlag|year=2013|language=ドイツ語|isbn=9783867442459}}

=== 論文・記事 ===
* {{Cite book |title=Discípulos y Misioneros de Jesucristo para que nuestros pueblos en Él tengan vida “Yo soy el Camino, la Verdad y la Vida” (Jn 16,4) DOCUMENTO CONCLUSIVO |edition=2 |author=CONFERNCIA GENERAL DEL EPISCOPADO LATINOAMERICANO Y DEL CARIBE |location=Aparecida |date=2007-05-13-31 |language=スペイン語 |format=PDF|url=http://www.celam.org/conferencias/Documento_Conclusivo_Aparecida.pdf |ref={{SfnRef|Conferencia General del Episcopado Latinoamericano y del Caribe|2007}} }}

== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"|2}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 関連項目 ==
* [[アッシジのフランチェスコ]]
* [[アルゼンチン]]
* [[イエズス会]]

== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Franciscus|Franciscus|フランシスコ}}
* 「[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/index.htm 教皇フランシスコ]」([[カトリック中央協議会]]){{ja icon}}
* 「[http://www.cathoshin.com/2013/03/22/pope-inauguration/ 教皇フランシスコ就任]」(『カトリック新聞』オンライン){{ja icon}}
*“[http://topics.nytimes.com/top/reference/timestopics/people/f/francis_i/index.html?8qa Times Toics:Pope Francis]”, ''New York Times''{{en icon}}
* {{Twitter|pontifex|Pope Francis}}{{en icon}}

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2013年3月26日 (火) 22:51時点における版

フランシスコ
第266代ローマ教皇
フランシスコ
教皇就任 2013年3月13日
先代 ベネディクト16世
司祭叙階 1969年12月13日
司教叙階 1992年6月27日(ブエノスアイレス大司教英語版
その他 2001年:枢機卿
個人情報
出生 (1936-12-17) 1936年12月17日(87歳)
アルゼンチンの旗 アルゼンチンブエノスアイレス
原国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
宗派 カトリック
居住地 バチカンの旗 バチカン
母校 ブエノスアイレス大学
その他のフランシスコ
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フランシスコラテン語: Franciscusイタリア語: Francescoスペイン語: Francisco英語: Francis1936年12月17日 - )は、第266代ローマ教皇(在位:2013年3月13日 - )。正式な就任[注 1]は3月19日であり、この日にサン・ピエトロ広場に於いて就任ミサを執り行った[1][2]

呼称

新教皇の選出にあたり、日本のカトリック中央協議会は声明を発し、枢機卿自身は「フランチェスコ」とイタリア語で発音したが、「日本では英語の発音で『アッシジの聖フランシスコ』との呼び名が定着している」ので、混乱を避けるために「報道機関も英語読みで統一してほしい」と要請した。そのとき、併せてアッシジのフランチェスコとの混同を避けるために「日本の教会は1世を付けて呼んでいく」と付言したが[3]、その後教皇庁大使館より日本カトリック中央協議会に通知があり、新教皇名には「1世」を付けないことになり、新教皇名を「教皇 フランシスコ」として各小教区・信徒・司祭・修道者に周知するよう指示がなされた[注 2]

経歴

生い立ち

ホルヘ・マリオ・ベルゴリオJorge Mario Bergoglio[注 3]は、1936年アルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区フローレス区で、イタリア系移民の子として生まれた[4]。父のマリオ・ホセ・ベルゴリオは、ピエモンテ州ポルタコマーロ出身の鉄道職員であり、母のレジーナ・マリア・シヴォリもまたイタリア系移民の子で、ブエノスアイレス出身[5]。夫婦は中流の労働者階層で5人の子をもうけた。幼少期に感染症により肺の一部を摘出している[6]ブエノスアイレス大学化学を学び修士号を取得した。

イエズス会入会

ベルゴリオは1958年3月11日にイエズス会に入会し、ブエノスアイレス特別区ビジャ・デボート区の神学校で司祭になるための勉強を始めた。1960年ブエノスアイレス州サン・ミゲル英語版市のコレヒオ・マクシモ・サン・ホセで哲学を学び、1964年1965年にアルゼンチンのサンタフェ州のコレヒオ・デ・ラ・インマクラーダ高等学校では文学と心理学の教鞭を執った。1966年には、ブエノスアイレスのコレヒオ・デル・サルバヴァドールでも同じ教科を教えた[7]

1967年、ベルゴリオは本格的に神学の勉強を再開し、1969年12月13日にラモン・ホセ・カステジャーノ英語版大司教によって司祭に叙階された。その後ブエノスアイレス州のサン・ミゲル神学院に進学し、修士号を取得して神学の教授に就任した[8]

その指導力を高く評価されたベルゴリオは、アルゼンチン管区長英語版に任ぜられ、1973年から1979年までの間この職を務めた。1980年にはサン・ミゲルの神学校の主任司祭に異動となり、1986年に任期を満了した。さらに、ドイツフランクフルトザンクト・ゲオルク神学院ドイツ語版で博士論文の構想を練り、同僚の話によると、この時期ベルゴリオはドイツの神学者ロマーノ・グアルディーニドイツ語版に興味を示していたという[9][10]。その後アルゼンチンに帰国し、コルドバのイエズス会士たちの聴罪司祭英語版として奉職し、同僚たちの霊的指導者英語版となった[11]。また、この時期ドイツのアウクスブルクで『結び目を解くマリア』の絵に出会い、精確な複製をつくる許可を得て、その複製画をアルゼンチンに持ち帰っている[注 4]。これはアルゼンチンの聖母信仰にとってマリアへの重要な捧げものとなった[12]。リオデジャネイロの宗教学研究所の「レジーナ・ノヴァエス」によれば、こうしてもたらされた『結び目を解くマリア』は「悩みをかかえる人々を惹きつけた」という[13]2005年ベネディクト16世に贈呈したカリス(聖杯)にも『結び目を解くマリア』の姿を描かせている[14]

司教時代

ベルゴリオは1992年にブエノスアイレスの補佐司教に指名され、同年6月27日にアントニオ・カラッチーノスペイン語版枢機卿の司式によって、 アウカの名義司教に叙階された[15]。彼はカラーチオ枢機卿の後継として1998年2月28日にブエノスアイレス大司教英語版になり、アルゼンチン居住の裁治権者をもたない東方典礼カトリック教会信者の裁治権者を兼任した。

枢機卿時代

枢機卿としてミサにて。 (2008年)
右はキルチネル大統領

2001年2月21日に、ベルゴリオ大司教はサン・ロベルト・ベラルミーノ教会英語版司祭枢機卿の称号とともにヨハネ・パウロ2世によって枢機卿に任命された。 枢機卿として、ローマ教皇庁の以下の5つの管理職的な地位に就いた。

2001年9月11日にニューヨーク大司教英語版であるエドワード・イーガン英語版枢機卿がアメリカ同時多発テロ事件ののち急遽帰国した秋に、ベルゴリオは教会会議で、書記として彼の代理を務めた。『カトリック・ヘラルド』によると、「交わりと対話に開放的な人物として好ましい印象を醸し出した」という[16][17]。 ベルゴリオ枢機卿は、その個人的な謙遜と教義上の保守主義と社会正義への関与で知られるようになり[18]、その質素な生活が謙遜の評判に貢献することになった。枢機卿は、宮殿のような司教館ではなく小さなアパートに居住し、お抱えのリムジンの使用をせずに公共交通を利用するという[19]

ヨハネ・パウロ2世の没後は次期教皇の有力候補とみなされ[20]2005年コンクラーヴェで2位の票数を獲得していた[21]ベネディクト16世が教皇に選出された2005年のコンクラーヴェに、ベルゴリオは選挙枢機卿の一人として参加した。

カトリック系のジャーナリストのジョン・L・アレン英語版によれば、ベルゴリオは2005年のコンクラーヴェにおいて、教皇の最有力候補であったという[22][18]2005年9月、少数の枢機卿による非公式の日誌が公表され[23]、そこでは、ベルゴリオ枢機卿が、コンクラーヴェにおけるラッツィンガー枢機卿の主要な挑戦者として取り沙汰されていた。件の日誌では、3回目の投票でベルゴリオは40票を獲得し、4回目にして最後の投票で26票と数を落としたと主張されている[24]。イタリアの有力紙『ラ・スタンパ』は、選挙の間、ラッツィンガー枢機卿に対してベルゴリオ枢機卿が譲歩の姿勢に終始していたとし、ベルゴリオ枢機卿が枢機卿団に対して自分に投票しないようにと感情的な請願を出すにまで至ったと報じている[25]

ベルゴリオ枢機卿は、ヨハネ・パウロ2世の葬儀に出席するとすぐに、使徒座空位の間に聖座とローマ・カトリック教会を統治を代理する枢機卿団の一人になった。

2005年の司教の教会会議の間に、次回教会会議のメンバーに選ばれた。2005年11月8日には、ベルゴリオはアルゼンチンの司教の多数によってアルゼンチン司教会議の任期3年の議長に選出され、2008年の11月11日に再選された。

枢機卿選出後のアルゼンチン国内での意見は分かれていた。ベルゴリオを支持する者はその禁欲的な生活を尊敬するが、同性結婚に関する彼の意見に拒絶反応を示したり、1970年代の軍事独裁政権に対する批判を不十分として遺憾とする者もいた[26][16][27][28]。未婚の母やエイズ患者に手をさしのべて社会正義を実現しようとする革新的施策を打ち出す一方で、妊娠中絶や避妊に反対する保守的な立場をとる新教皇について、アルゼンチンの歴史家エルサ・ブルソネは「保守と改革の両面性を持つ」と分析している[29]

教皇選出

教皇フランシスコの紋章。青のフィールドにイエズス会の太陽の紋章。それにマリアの象徴としての星とヨセフの象徴としての甘松英語版(ナルド)の果実を配している。前のベネディクト16世と同様に三重冠の代わりにミトラを戴いている。

ベネディクト16世が2013年2月28日をもって生前退位したことを受け、その後継を選ぶために同年3月12日より実施されたコンクラーヴェにおいて、新教皇の選挙権を持つ80歳未満の枢機卿115名による5回目の投票で新教皇に選出された[21]。 当初、ベルゴリオはすでに76歳と高齢であり、マスコミからは新教皇の有力候補とは見なされていなかった。そのため、新教皇としてベルゴリオの名前が発表された時には、各国のマスコミは大きな驚きをもって新教皇の名前を報道した。彼はマスコミの事前予想を完全に覆し、新教皇の選出に必要とされる枢機卿全体の3分の2を大きく上回る90票以上の得票をもって選出されたという[30]

教皇の紋章銘 “Miserando atque eligendo”(憐れみをかけ、そして選び出す)は、聖ベーダ・ヴェネラビリスの説教の言葉から取られている。聖書時代には蔑まれていた徴税人という職業に就いていたマタイに関し、聖ベーダは次のように解説している。「イエスは徴税人(マタイ)を見つめて『憐れみ、そして選ばれ』、わたしについて来なさいと言った」[31]。つまり、イエスは慈しまれ(miserando)、そしてマタイを選んだ(eligendo)わけだが、このマタイの召命に関して、それは「因習的な感覚から離れた、慈悲に基づく人間への深い理解からだった」と新教皇は説明している[32]。マタイの召命にまつわる紋章銘が選ばれたのは、1953年の聖マタイの祝日に、17歳の青年ベルゴリオが修道生活への召命を受ける特別な体験が深く関係しているという[33]

フランシスコは史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、史上初のイエズス会出身の教皇である[34]。長らく日本で教鞭を執っていた現・イエズス会総長のアドルフォ・ニコラス師は「我々がいま知ることになった教皇の『フランシスコ』という名前は、貧しい人々への近さという福音的精神、素朴な人々との一体感、そして教会刷新への献身を想起させるものである」とし、その「質素、謙虚さ、豊富な司牧経験と霊的深さ」を称賛して[35]、イエズス会初の教皇選出を歓迎した。

ヨーロッパ以外の地域の出身者がローマ教皇に就くのは、第90代のグレゴリウス3世(在位:731年3月18日 - 741年11月28日)の帰天以来、1272年ぶりである[21]。また初めて「フランシスコ」(アッシジのフランチェスコの名に起源を持つ)を名乗るローマ教皇でもある。イタリア系アルゼンチン人であるベルゴリオ枢機卿が新教皇に選ばれたのは、「新教皇はヨーロッパ以外の出身者を」という時代の要請と「新教皇はヨハネ・パウロ1世以来35年ぶりにイタリア人から」というバチカンのおひざ元イタリアの願望の折衷案ではないかとする指摘がある[36]。そのためこの結果にはカトリック教会の国際化の現れであり大きな変化だととらえる意見と、アルゼンチンは南アメリカで最もヨーロッパ的な国でありフランシスコはヨーロッパの伝統を継承した白人であり、彼が教皇に就任してもヨーロッパの白人の伝統的な宗教としてのカトリック教会の性格に変化はないととらえる二つの対極的な意見がある[36]

またベルゴリオは、教皇の生前退位という600年ぶりの異例の中で開催されたコンクラーヴェで選出された教皇である。このような「異例ずくめ」は、教皇選出後に信徒に向かっての第一声にも表れている。

「ご存じのようにコンクラーヴェの義務はローマに司教を与えることですが、兄弟である枢機卿団は、ローマの司教を得るために世界の果てまで行ってきたようです。まず、名誉教皇ベネディクト16世に主の祝福と聖母のご加護がもたらされるように祈りましょう」[37]

と自分がヨーロッパ以外の出身であることに言及し、さらに生前退位した前教皇への気遣いを示した。

「教皇フランシスコ」が選出の翌日にしたことはローマの宿泊に使用したホテルの代金の支払いであり、その際の移動には枢機卿団のマイクロバスに同乗し、車内では「あなたがたの為した行い(自分の選出)を神がお赦しになるように」と枢機卿団に語りかけた[38]。また3月14日にの午前中にはイエズス会本部に直接電話をかけアドルフォ・ニコラス総長に教皇選出のお祝いの手紙の返礼をした[39]。 3月17日の正午に教皇として日曜日恒例の「お告げの祈り」に臨んだ。サンピエトロ広場に集まった15万人の信徒に「神は慈悲を与え続ける。… 神は慈悲を与えることにうんざりすることはない。うんざりするのは我々のほうだ」とユーモアを交えながら慈悲と寛容について説いた[40]

ドイツの有力紙『南ドイツ新聞』は、「段ボールで寝る浮浪者は、これまでとは違う意味を持つ」として、「貧しさ」の福音的意味を強調する新教皇誕生の意義を考察し、薬物依存者更生施設で足を洗いその足に接吻するキリスト教界最高位の聖職者の写真を掲載した[41]

日本では、上智大学神学部の山岡三治教授が「ベルゴリオ枢機卿の出身地の中南米は最大の信者を抱え、貧困問題もあり、大国を近くで冷静に見ている。環境問題や幼児虐待で、化学や心理学などにも通じる彼は最適任者だ」と歓迎の意を表し、「アッシジのフランチェスコは環境保護の聖人でもある。新法王は、貧しさや自然を愛する基本に戻ろうとしているのではないか。その人格で信用をつかみ、新たな教会を築いて欲しい」と述べて、新教皇への期待を表明した[42]。さらに、池長潤大司教は「教皇フランシスコは、全教会の賢明かつ力強い牧者としてわたしたちの働きを導き支え助けてくださることと確信します」と、日本カトリック司教協議会を代表して声明を発した[43]

また、アルゼンチンでの神学生時代に新教皇の指導を受けた、「日本26聖人記念館」館長のレンソ・デ・ルカ師は「厳しいのは厳しいのですが、同時にとても人に理解があり、霊的指導者としても素晴らしい人。神学生が自立するよう促し、自分で考えるよう導いてくれました」と[44]、その人柄と卓越した指導力を回顧している。

教皇就任以後

ファイル:Misa de inauguración del Pontificado del Papa Francisco.jpg
教皇着座式に臨むフランシスコ。伝統的な「教皇の赤い靴」ではなく黒い革靴を履いている。

コンクラーヴェによる選出から7日目の2013年3月19日にフランシスコの教皇の就任式が行われ、これにより名実ともに教皇に着座した。フランシスコは就任式の所要時間をそれまでの3分の2に短縮する一方で、儀式前にサンピエトロ広場に集まった20万人もの信徒との触れあう時間を設けた。就任式では「弱者と環境を守ることが、死と破壊に勝利する方法である」「最も貧しく、弱き者を抱擁する」と、教会の役割として社会的弱者の救済と環境保護を強調した[45][46]

質素を好むフランシスコは教皇の指輪は金から銀の金メッキに変えた。十字架はそれまで使用してきた鉄の十字架を使用し伝統的に履かれていた赤い靴もやめて従来の黒い靴を履き続けることにした。また教会の透明性を高めるために教皇の住居をあらかじめ公開した[47]

サンピエトロ広場の群衆の中のフランシスコ

就任式典には132の国と地域の代表が出席した。フランシスコの母国のアルゼンチンのキルチネル大統領は教皇に最初に謁見した国家元首となったが、彼女はマルビナス諸島に帰属問題に関してフランシスコにバチカンの国家元首として協力を要請した[48][49]。同諸島の帰属問題をアルゼンチンと争っているイギリスデーヴィッド・キャメロン首相は出席せずグロスター公の出席にとどまった(2005年のベネディクト16世の就任式にはトニー・ブレア首相(当時)が出席)。ブエノスアイレスの大司教時代に、フランシスコは「マルビナス諸島がアルゼンチンのもの」を発言したことがあり、首相の欠席は、その発言に対するイギリス政府による「冷遇」との憶測をよんだ。また中国を代表して台湾馬英九総統が出席したことに関して、中華人民共和国は強い不快感を示した。なお就任式には、東方正教会ユダヤ教イスラム教など世界の諸宗教の指導者も参列した。

東方正教会からはコンスタンディヌーポリ総主教ヴァルソロメオス1世が出席しており、ローマ教皇の就任式に東方正教会の総主教が出席したのは1054年東西教会の分裂以来、初めてのことである[50]。また母国アルゼンチンでは、ブエノスアイレス大聖堂前の広場にパブリックビューイングの会場が設けられた。就任式はアルゼンチン時間では夜更けにもかかわらず多数の市民が駆けつけた[51]

サンピエトロ広場で教皇の誕生を見届けたアルゼンチン出身のある女性信者は「私たちのようにバスに乗って、街を歩き、貧困について語る。一般の民衆に近い存在です」と新教皇の親しみやすさ語った[29]

3月20日、ブラジルのジマウ・ルッセフ大統領と会談し、7月にリオ・デ・ジャネイロ州で開催される「ワールドユースデー」と、サン・パウロ州にあるマリア巡礼地のアパレシーダを訪問する可能性について語った[52]

教皇就任後の3月23日にはローマ近郊のカステルガンドルフォにいる名誉教皇ベネディクト16世のもとを訪問し、会食したのち礼拝堂で一緒に祈りをささげた。生前退位した元教皇に教皇が会食した前例はなく、メディアでは「前代未聞」などと報じられた。このときに両者の会談の内容は明らかにされていないが、バチカンが抱える諸問題に関する教皇の業務の引き継ぎを行ったと推測される[53][54]

語録

  • 「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」[55][56] … バチカンの聴衆に向けての初スピーチ。
  • 「あなたがたの為した行いを神がお赦しになるように」[57] … 教皇に選出されたとき枢機卿団に語った言葉。
  • 「ご存じのように、コンクラーヴェの義務はローマに一人の司教をもたらすことですが、わが兄弟である枢機卿団はそのローマの司教を得るために世界の果てまで行ってしまったようです。しかしながら私たちはここにいます」[37][58] … 教皇に選出されたのちサンピエトロ広場に集まった信徒に向かっての第一声。
  • 「その後、さまざまな冗談を述べた人がいました。『君はハドリアヌスと名乗るべきだった。ハドリアヌス6世(在位1522年1523年)は改革者だった。わたしたちは改革者を必要としている』。他の人はわたしにこういいました。『それはだめだ。君の名はクレメンスでなければならない』。『どうして』。『クレメンス15世』を名乗るべきだった。そうすれば、イエズス会を弾圧したクレメンス14世(在位1670年1676年)に仕返しできたじゃないか』。これは冗談です」[59]。… 教皇就任後のメディア関係者へのあいさつ。
  • 「日本のキリスト教共同体は、200年以上も聖職者なしで維持されたのです」[60][注 5]隠れキリシタンを例に挙げ、万事聖職者任せではなく信徒たちが自律的に信仰を貫くよう促した言葉。
  • 「私たちは歩みたいように歩み、多くのものを構築できます。しかし、イエス・キリストを告白しないならば、物事はうまくいきません。私たちは気前の良いNGOには成れても、教会に連なることも、主の花嫁となることもできません。誰でも、神に祈らない者は悪魔に祈っているのです。なぜなら、キリストを告白しないならば、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性[注 6]を告白しているからです」[61] … 教皇選出後初めてのミサにて。
  • 「人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出されます」[62][注 7] … 自らが神に出会った時の回顧を通し、神の慈悲について語った言葉。
— 教皇フランシスコ 語録

思想・信条

フランシスコは質素な生活を好み、アルゼンチン時代から特に貧困問題に熱心に取り組んで来た[63]。分かりやすい言葉を選び、時にユーモアを交えた話し方も庶民的で親しみやすいと言われている。教皇選出後の初めての説教ではラテン語ではなくイタリア語で行った[38]。また3月17日の日曜日恒例の「お告げの祈り」におけるユーモラスな説教も、信徒たちから笑いを誘った。枢機卿に任命された時には、ローマでの任命式を見に行こうとする人々に対し「任命を祝うためにローマに行くことはない。代わりに飛行機代分のお金を貧しい人々にあげて欲しい」と呼びかけた[64]。 さらに、教皇就任式を控えた時期にも、同じく母国アルゼンチンの人々に対して「ローマに来る飛行機代があるなら、それを貯金に回すか、貧しい人に寄付するかして欲しいと」呼びかけた。このような新教皇の慎ましい態度に関して、「アルゼンチンよ、泣かないで」(Don't Cry For Me Argentina)という有名なミュージカルエビータ』の主題歌のタイトルをもじった、『アルゼンチン人よ、飛行機で来ないで』(Don't fly for me Argentina)の見出しで好意的に紹介したメディアもあった[65]

「フランシスコ」という教皇の名は、コンクラーヴェにおける彼の得票数が全体の3分の2を超え、選出が確定的になった際に、隣に座っていたブラジルのクラウディオ・フンメス枢機卿から「貧しい人々のことを忘れないでほしい」と言葉をかけられ、この時に清貧と平和の使徒であった中世イタリアの聖人アッシジのフランチェスコの名前が思い浮かび教皇名に選んだと本人が語っている[66]。フランス司教団の代表であるベルナール・ポドヴァンフランス語版司教によれば、それは アッシジのフランチェスコの霊性を踏まえ、福音的な慎ましさととりわけ貧しい人々への配慮を示すものであるという[67]。また、その思想・信条が同じく76歳で教皇に選出されたヨハネ23世福者)と多くの点で共通していると見なされることから、第2バチカン公会議を開催した「ヨハネ23世の再来」と評価する声も上がっている[68]

前教皇のベネディクト16世が厳格な態度と博識を駆使した重厚な雰囲気の説教をしていたのに対し、新教皇フランシスコは、親しみやすい雰囲気の中で分かりやすい言葉遣いで説教をすることから、バチカンは教皇の交代から「24時間で劇的に変わった」と『ニューヨーク・タイムズ』は報じている。また、生涯のほとんどをアルゼンチンで過ごし、伝統色の強いアルゼンチンの教会の近代化に成功したとも言われている[38]

ベネディクト16世が典礼の伝統を重んじ[69][70]、ラテン語典礼の復活を唱える超保守派聖ピオ十世会の司祭たちに対する破門を解除したりした姿勢とは「大きく異な」り[71][72]、フランシスコは、反動的な主張を掲げる「伝統派や原理主義者たち」を「主に不実な者」と呼んで、これら復古主義とは明確な一線を引く姿勢を明らかにしている[60]

ヘブライズムの伝統に造詣が深く、大司教時代にラビ(ユダヤ教の聖職者)のアブラハム・スコルカ英語版との『天と地について』(2012年)と題する共著がある[73]

アルゼンチンでの政治的立場

キルチネル政権との関係

アルゼンチン司教協議会でキルチネル大統領と面会するベルゴリオ (2010年)

アルゼンチンの大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルとその夫で前任者のネストル・キルチネルの2人とベルゴリオとの間には、長年にわたり緊張関係が存在した。2人の大統領は共にリベラルな政策をの推進者として知られ、学校での性教育の推奨、公立病院での避妊具の配布、トランスセクシュアルの性別変更の許可などを次々と実現し、2010年には、南アメリカで初めて同性結婚が合法化されている[74]

2003年にアルゼンチンの大統領に選ばれたネストル・キルチネルは、翌年の独立記念日にブエノスアイレスの大聖堂で催されたベルゴリオの司式によるミサに出席した。そのときベルゴリオは、大統領に対して、一層の政治的な対話を要求し、大統領の不寛容や自己顕示や声高な自己主張を批判した[75]。そのためネストル・キルチネルは、翌年からミサに出席しなくなり、他の場所で独立記念日を祝うようになった[76]。以来ネストル・キルチネルは、ベルゴリオを政治的なライバルとさえ見做すようになった[77]2007年の大統領選において当選したネストル・キルチネルの妻クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルとの間にも緊張した関係は継続した。ベルゴリオは、2008年の農業分野による政府内紛争の過程で政府がデモ隊を支援した際に、全国民に対して和解と平和を呼びかけた[77]

キルチネル夫妻とベルゴリオの関係が緊張の頂点に達したのは、2010年同性結婚合法化(7月15日成立)の時であった[77]2010年6月22日、ベルゴリオはブエノスアイレスのカルメル会の修道女たち宛てに文書を発行し、「これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである」(歴代誌下20:15)という聖書の言葉を引用して、議員らが国のために善いことをするようにと祈るよう促した[78][79]。ベルゴリオの同性結婚反対キャンペーンに対し、ネストル・キルチネル前大統領はこれを「圧力」と批判し[80]、教会の姿勢を「中世の異端審問」に属するものであると断じて激しく非難した[81]

2007年の「アパレシーダ文書」[82]の発表に際し、ベルゴリオは社会問題に言及し(後述詳細参照)、中絶や安楽死は、生命と家族に対する重大な犯罪を促進するものであり、この責任は特に国会議員と政府首脳と医療従事者とに帰するものであると言明した。アルゼンチン政府はこの声明に抗議し、ブエノスアイレス人権大学のギジェルモ・ゲリンは「アルゼンチンの社会問題に関わる教会の診断は正しいが、中絶や安楽死を混ぜ込むことは、少なくとも明確なイデオロギー的違法行為の一例である」と発言した[83]

フォークランド(マルビナス)紛争について

2012年4月にブエノスアイレスで開催されたフォークランド紛争30周年追悼ミサで、ベルゴリオは「戦没者と祖国を守るために、他国(イギリス)に強奪され、他国のものとなった祖国の一部を回復するために戦場に赴いた者のために祈りましょう」と参列者に呼びかけた。フォークランド紛争についてイギリスを批判したことは、キルチネル大統領の共感をよび、大統領はイギリスのデイヴィッド・キャメロン首相に対し、1960年の国連決議を尊重して「19世紀以来の露骨な帝国主義政策をやめるべきだ」という趣旨の公開書簡を送った[84]。2013年にベルゴリオが教皇フランシスコとしてバチカンの国家元首になると、キルチネルは最初の国賓としてバチカンでフランシスコと会見し、フォークランド紛争の仲介を求めた[85][86]

一方ベルゴリオの教皇選出から2日後、イギリスデーヴィッド・キャメロン首相は「フォークランド諸島からは(コンクラーヴェの)白い煙は全然見えない」と言い放ち、「謹んで教皇聖下に反対申し上げる」と前置きした上で、「フォークランド諸島の帰属をめぐる住民投票の結果、1,500 人余の島民の圧倒的多数が海岸領土の英国帰属を望み、望まないものはほんのわずかでございます。これが島民が世界に向けて発したメッセージであり、島民自身による未来の選択が尊重されるべきであるものと存じます」と述べ、「アルゼンチン出身の教皇」の発言に反論した[87]。しかしながら一方、フォークランド諸島のカトリック教徒は教皇フランシスコの同諸島の訪問をも希望している[88]

他宗教・他宗派との関係

フランシスコは、教皇選出以前から母国アルゼンチンにおいて他宗教・他宗派との対話に積極的に取り組み、とりわけ、ユダヤ教・イスラム教・プロテスタント福音派等との間に信頼関係を構築することに貢献してきた。

ユダヤ教

ベルゴリオはアルゼンチンのユダヤ教コミュニティと親密な関係を築いており、2007年にはブエノスアイレスのシナゴーグで行われたユダヤ教のローシュ・ハッシャーナーに出席している。ベルゴリオがこの訪問に際しユダヤ教徒らに「兄であるあなた方と共に」自身の心を見つめるために訪れたと述べた[89]

1994年にブエノスアイレスのユダヤ教コミュニティー・センターが爆破され85人の犠牲者が発生した(AMIAビル爆破テロ英語版)。ベルゴリオは事件の11周年となる2005年に未だ解決されていないこの事件に関し正義の実現を求める文書に署名した一人である。2010年10月には再建されたAMIAビルを訪問しユダヤ教の指導者らと会談している[89]

ベルゴリオと共にユダヤ・カトリック共同の貧困者救済活動を行ったときの様子を回顧し、世界ユダヤ会議の元議長イスラエル・ジンガー英語版は「誰もが椅子に手をやり座るときに、ベルゴリオだけは椅子を取らず地べたに座ったこと」を思いだして、ベルゴリオの謙遜が特に印象的であったと記している[89]

2012年にはブエノスアイレス・メトロポリタン大聖堂で水晶の夜追悼記念式典を共同で開催した[89]

イスラエルの『エルサレムポスト』は、「ヨハネ・パウロ2世は、ユダヤ人のいる祖国ポーランドで幼少期を送り、ホロコーストによってユダヤ人コミュニティが失われた祖国ポーランドで大人になった。ヨハネ・パウロ2世と違い、新教皇フランシスコは、実生活においてブエノスアイレスのユダヤ人社会とも良好な関係を維持してきた」と論評した[73]

また、キリスト教諸国における反ユダヤ主義に対して厳しい目を向けてきた米国最大のユダヤ人組織名誉毀損防止同盟(ADL)では、エイブラハム・フォックスマン会長自ら声明を発表し、「フランシスコ教皇の選出は、カトリック教会の歴史の上で意義ある瞬間」であり、教皇のこれまでの「経歴には未来に関して我々を安堵させるものがある」として、キリスト教とユダヤ教の友好的関係の構築に対する新教皇のこれまでの尽力を称賛した[90]

イスラム教

アルゼンチンのブエノスアイレスのイスラム共同体の指導者は、彼が「いつもイスラム共同体の友人としての態度を見せ」、「宗教間の対話以上のもの」を有していることを指摘してベルゴリオの教皇選出を歓迎した。ベルゴリオはアルゼンチンのモスクと神学校の両方を訪問し、イスラム布教指導者のシェイク・モフセン・アリー師にカトリック教会とイスラムコミュニティーの関係を強化することを呼びかけた。アルゼンチン共和国イスラムセンター (CIRA) 総長のスメル・ヌフリ師は、これまでのベルゴリオの行動から、イスラムコミュニティーが彼の教皇選出に「宗教間の対話の強化に対する喜びと期待」を持っていると述べた。ヌフリは10年以上にわたる CIRA とベルゴリオとの関係が、キリスト教徒とムスリムの対話構築を寄与してきたと発言した[91]

福音派

アルゼンチン人のルイス・パラウなど福音派の指導者らは、ベルゴリオの友人でもあるブエノスアイレス大司教座の財務管理者が福音派の信徒であること指摘し、福音派と友好的な関係にあるベルゴリオの教皇選出を歓迎した。パラウによれば、ベルゴリオは、福音派の友人たちとくつろいでマテ茶を飲んだりするだけでなく、聖書を読んだり、共に祈ったりすることもあるという。ルイス・パラウは、福音派との関係について言及し、ベルゴリオが、両者の「架け橋を作り、敬意を示し、イエスの神性、処女受胎による降誕、磔刑後の復活、そして最後の審判での再来というカトリックと福音派の間の信仰上の共通点、また両者の相違点をも知る」者であるとしている。さらにパラウは、ベルゴリオの教皇選出により「両者の緊張は和らぐだろう」と予想している[92]

他の福音派の指導者らも、アルゼンチンにおけるベルゴリオと福音派との関係に触れ、ベルグリオが「プロテスタントを良く理解する」者であるという理解において一致している。カトリックとプロテスタントの間の分断は、圧倒的にカトリックの多いアルゼンチンの家族でも時に見られ、宗派間の対立の問題は、極めて重要な人間的課題である。しかし、「フランシスコが教皇に選出されることによって、プロテスタントとカトリックの間の違いについて、家族の間で、いっそう融和的な雰囲気のなかで対話が出来るようになるだろう」と、福音派の指導者たちは、ベルゴリオの教皇選出を歓迎している[93]

宗教間の対話

ベルゴリオはまた、開放的な場で相互に敬意を払うことこそ、異なった宗教の相手からから学ぶための不可欠な前提であるとし[94]2011年にラビ(ユダヤ教の聖職者)のアブラハム・スコルカとの対話を『天と地について』(Sobre el cielo y la tierra)のなかで、以下のように述べている[94]

対話は他者に対する尊敬の態度、他者には言うに値する良いものがあるという確信からから生まれます。人の観点、意見、提案を受け入れる余地が心のなかにあることを前提にします。対話には、優しく受け入れることが伴います。はじめから非難することではありません。対話をするためには、防御の姿勢を解いて家の扉を開放し、人間の暖かさを受け入れることが必要なのです。

ブエノスアイレスの宗教的指導者たちは、ベルゴリオが「ブエノスアイレスの大聖堂をを異なった宗教の儀式のために開放した人物」だと評した[95]2012年11月にベルゴリオは、中東の平和を祈るために「ユダヤ教、イスラム教、福音派、正教会の信仰の指導者ら」を大聖堂に招いた。各宗教指導者らは、2013年の報道機関向けの共同声明のなかで、ベルゴリオが「他宗教との対話のための深い度量の持ち主」であり、枢機卿が「宗教間の分裂を修復させることがカトリック教会の大きな役目の一つと考えて」いると評した[95]

教え

福音と司牧

イエス・キリストとの出会い

教皇としての最初であり枢機卿に対しても最初となる説教で、彼はイエス・キリストの存在の内に歩むことについて話し、枢機卿らと信徒に教会の使命と「イエスとの出会い」を強調した。

信仰の年に刺激を受け、司祭と信徒の皆様、私たちは皆ともに忠実に永遠の使命に応答する努力をしましょう。人類にイエス・キリストをもたらすために、人々をイエス・キリストとの出会いに導くために。真実といのちへの道は真にこの教会にあり、同時に全ての人の内にあります。この出会いは恩寵の奇しさの内に私たちを新しい人間に変え、キリストをその人生に受け入れた人々に与えられる喜びの百倍ものキリスト者の喜びを私たちの心の内に誘発するのです[96]

教皇は説教で「イエス・キリストを告白しなければ、物事は進みません。福祉活動を行うNGOになれるかもしれませんが、主の花嫁である教会にはなれません」と強調した[97][61]。続けて、狡猾に誘惑し信仰者を堕落させる悪魔を引き合いに出し[98]レオン・ブロワフランス語版の「主に祈らない人は、悪魔に祈る」を思い出す、とした上で「イエス・キリストを告白しなければ、悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性を告白することになります」と述べた[97][61]

「霊的な世俗性」の拒絶というテーマは、教皇選出以前からの彼の教えの「ライトモティーフ」として説明されてきた[99]。彼は、世俗性を「自己を中心に置くこと」と捉えた上で、それは「教会にとって、そして教会にいる私たちにとって最大の危険である」と言った[100]

神の慈悲に対する応答としての道徳

ベルゴリオは、何よりもまず「キリストとの出会い」の文脈のなかで道徳というものを見ていた。ベルゴリオによれば、キリストとの出会いは、慈悲によって出来したものであり、「出会いのあとイエス・キリストが私の罪に対して与えてくださった慰めが格別なものとしていまも私の内に残され」ているとしている。「慈悲に対する応答」としての新しい道徳という観点が打ち出されるのは、そのためである。このような道徳のあり方は、ひとつの「革命」であり、「予測不可能で驚くべき『一方的な』慈悲」に対する「意志的な努力を伴わない、素朴な応答」であった[101] と、ベルゴリオは指摘する。

『ジェズイット』と題する自伝のなかで、17歳の頃、まだ学生であった自身の生き方を変えた出来事について、こう述べている。

私に奇妙なことが起きた。何が起きたか解らなかったが、私を変えた。不意打ちだったと言えよう。半世紀後の私はこう解釈する。それは一つの驚き、(神との)出会いという驚きであった。私は自分が求められていることを理解した。それは、一つの宗教的経験であり、待っておられる方がいるという不思議な体験であった。私にとってその瞬間から、神は人間に「初めに」語る存在である。人が神を探す時、まず神が人を探されており、あなたがたが神を見出そうとする時、神が最初に私たちを見出される[62]

福音宣教の転換

教皇は枢機卿らに対する最初の演説のなかで、新しい福音宣教をテーマとして挙げ、「聖霊がその力強い息吹と共に神の教会に耐え忍ぶ勇気を与え、福音宣教の新しい方法を探し出す」ことができるようになることを念願していると語った。

この福音宣教に関するテーマは、これまでも折に触れて扱われてきたものであり、以前からベルゴリオは、「司牧のモードの転換」や、「大いなる創造」を伴って「教会の内部の生活の見直すこと」について語ってきた。ベルゴリオは、教会がただ単に受け身の形で顧客を待っていては福音宣教することなどおぼつかないとし、また福音宣教というものが人々の多様な期待と新たな感性に反応せず、古い形態のままであってはならないと見做している。ベルゴリオは、信仰を規制する教会から、進んで発信し、信仰を督励する教会となるよう、司牧のあり方の積極的転換を求め、信徒と聖職者のこれまでにも増した協働に対する自覚を促している[62]

もし人が主にとどまるなら、その人は自分自身の殻から出て行きます。実に逆説的ですが、主に忠実であり続けるなら人は変わるものなのです。主に忠実であり続けなければ、伝統派や原理主義者のようになってしまいます。主に忠実であるとは、常に変化し、開花し、成長するということなのです … 信徒使徒職 [注 8] についても自覚を持つべきです。日本のキリスト教共同体(隠れキリシタン)は、200年以上も聖職者なしで維持されたのです[60]

聖礼典問題

2012年5月、彼は、「新教権主義」と評され、シングルマザーの子供に対する幼児洗礼を拒否するアルゼンチン人司祭らを「グノーシス主義の偽善的ファリサイ派」であり人々に救いを躊躇させるものだと厳しく批判した[102][注 9]。ブエノスアイレス大司教として、神父たちを敢えて洗礼から遠ざけられた家族のもとに派遣させるとともに、律法主義的な偽善を克服する積極的提案の一環として、『宣教の鍵としての洗礼』と題した小冊子(共著)を上梓した[103][104]

社会教説

貧困と経済的不平等について

カトリック教会図書展におけるベルゴリオ (2008年)

2007年のラテン・アメリカ司教会議において、ベルゴリオは「私たちは世界で最も不平等な地域に暮らしており、最も豊かな土地であったが無残に没落した」と言い[注 10]、さらに「財の不当な分配が解消されずに、天に向かって悲鳴をあげるような社会的に罪といえる状況が作り上げられ、あまたの兄弟たちが充実した人生の営みを妨げられている」と述べた[105]。2009年9月30日にベルゴリオはアルヴェアル・パレス・ホテル英語版サルバドール大学大学院スペイン語版により組織された会議で「我らの時代の社会的負債」と題した演説をした。そこで彼は「極端な貧困」と「大きな経済的不平等を引き起こしている不当な経済構造」が人権を蹂躙していると述べ[106][107]、1992年のラテン・アメリカ司教協議会スペイン語版 による「サント・ドミンゴ文書」を引用した[108]。ベルゴリオは社会的債務を「不道徳で、不公平で非合法なのもの」として批判した[109]

ブエノスアイレスでの48時間の公務員のストライキが起こったときには、「過酷の労働条件で迫害されている貧しい人々と正義からの逃走に喝采している裕福な人々」を比較し、後者に反省を求めた[110]

2002年の経済危機のときには「自らの特権と過剰な富を非道な方法で獲得し、その財産の維持のために」腐心している権力者を批判した[111]2010年5月、アルゼンチンの貧しい人々に向けられた演説のなかで、ベルゴリオは、つぎのような発言で富裕層に再考を求めた。「あなたがたは、貧しい人々のことを考えることを拒んでいます。私たちには、貧しい人々を度外視する権利や絶望した人々が手に取った武器を取り上げる権利はないのです。私たちは母のなる祖国の記憶を取り戻さなければなりません」[112]2011年にベルゴリオは「この町がその使い方を熟知し毎日服用している麻薬があります。それは贈収賄と呼ばれるものです。この麻薬によって良心は麻痺し、ブエノスアイレスは贈収賄の街とでも言うべきものになってしまいました」と慨嘆し[113]、ブエノスアイレスの工場における労働者の搾取とホームレスの放置を、奴隷制度の今日的形態として非難した。

この街では奴隷制度が様々な形態で見られます。この街の労働者は、工場で搾取され、移民であればその悪辣な搾取まぬかれる機会は乏しいのです。この街には、ストリートチルドレンが何年にもわたり放置されています … この街は、労働者をホームレスという構造的な奴隷制度から解放にする試みに失敗し続けています[113]

カトリック教会のエイズ患者に対する努力英語版の一環として、彼は2001年にホスピスを訪問したことをよく覚えていた。そこでは彼は12人のエイズ患者の足を洗い、その足に接吻した[105]

アパレシーダ文書

ベネディクト16世の職権でラテンアメリカの司教団によって作成された「アパレシーダ文書」[82]の中でベルゴリオはブエノスアイレス大司教としてブエノスアイレスとアルゼンチンでの社会問題をとりあげ、強く批判している。

またベルゴリオは、ラテンアメリカで最も安価なものが「生命」である事実に教会は慄然とするが故に、アパレシーダ文書では「生命」に最も頻繁に言及したと記している[83]

児童虐待と人身売買について

2007年、ブエノスアイレス大司教として、ベルゴリオは「アパレシーダ文書」と呼ばれるラテン・アメリカの司教の共同声明をベネディクト16世の委嘱によって発表した。ラテン・アメリカ地域における児童虐待の問題を軽んじる文化的風土を非難するベルゴリオは、児童虐待を「人口統計学上のテロ」であると述べ、「子どもたちは残虐に扱われ、教育も受けられず、充分な食事も与えられていません。そして少女たちは、売春を強いられた挙句に捨てられているのです」と指摘し、貧しい家庭の子供たちの悲惨な境遇に目を向けるべきだとした[83]

2011年ベルゴリオは、ブエノスアイレスでの児童の人身売買と性的搾取を、以下のように糾弾した。

この街では、人形と遊ぶかわりにバラックのゴミの山に放り出される少女たちが大勢いる。彼女たちは誘拐され、売り飛ばされ、騙される。街では女性や少女が誘拐され、性と虐待の対象となっている。こうして彼女たちの尊厳は破壊されてゆく。この場所では、主イエスが受肉し死なれた意味さえ持つ人間の肉体が、ペットの肉体以下の扱いなのだ。一頭の犬のほうが、ブエノスアイレスで奴隷扱いされている少女たちより大切に扱われている。彼女たちは、足蹴にされ、ボロボロにされる[113]
妊娠中絶、安楽死と高齢者問題について

ベルゴリオはまた、自己決定権運動が「死の文化」と説明される以前から、聖職者と一般人に妊娠中絶と安楽死に反対するように呼びかけていた[114]。そしてアルゼンチンでの避妊薬の無償配布に反対していた[115]。大司教としてベルゴリオはキルチネル政権の避妊薬の無償配布制度の創設開始に対して公に反対を唱えた[73]。アパレシーダ文書では聖体を受ける価値と安楽死に反対するカトリック社会とを結びつけていた[83][116][117][118]

我々は、国会議員、政府首脳、医療従事者に対し、人命の尊厳と人類の家族のきずなを意識し、妊娠中絶と安楽死の忌まわしい犯罪から守り、阻止するよう希望します。我々は自らが聖体拝領に相応しいか確かめるべきです。すなわち、人々は聖体拝領に与りながら戒めに抗う行動や発言をすべきでないことを自覚しなければならない、ということです。特に妊娠中絶や安楽死など、生命と家族に対する深刻な犯罪を助長してはなりません。行政と政府の職員そして医療関係者は、このことの責任を自覚すべきです。

ベルゴリオはまた、人間を単に労働力とのみ見なし、年をとったせいで価値のないものとして老人たちが使い捨てられる現代社会のあり方を「姥捨て文化」と呼んで強く非難した[83]

同性愛について

ベルゴリオは、同性愛を本質的に不道徳とする教会の実践的教義を肯定しつつも、同時に同性愛者の権利を尊重することの重要性を強調するという複雑な側面を見せていた[119][120]。ただし、同性結婚には反対しており、それを「悪魔の動き」であるとしている[121]2010年アルゼンチンの同性結婚を認める法律スペイン語版導入には強くこれに反対し、それを「人類学的な先祖返り」であるとしていた[122]2010年6月、ベルゴリオは以下のように述べた。

無知であってはなりません。これは単なる政争ではなく、神の御計画を破壊する企てなのです。法案の体裁を取っていますが、神の子供たちを混乱させ、欺こうとする偽りの父の動きなのです。ヨセフマリア御子を見上げ、今この瞬間にアルゼンチンの家族を護られるよう懇願しましょう。聖家族がこの神の戦いにおいて我々を助け、護り、共に在りますように[121][123]

「汚い戦争」をめぐる論争

アルゼンチンは1970年代から80年代にかけて軍事政権の支配下にあり、汚い戦争と呼ばれる大規模な白色テロで多くの犠牲者が発生した。軍事政権により拉致、拷問された2人の司祭に関して、当時イエズス会のアルゼンチン管区長であったベルゴリオ枢機卿の責任を問う声がアルゼンチン国内に存在する[6][124][125][126][127]

イエズス会の司祭で解放の神学に関与していたオルランド・ジョリオとヤーリチ・フェレンツは、1976年5月、ブエノスアイレスのスラムから当時収容所として利用されていた海軍施設に連行された。この施設では政治犯5,000人が殺害されている。2人はこの施設で5か月間拷問などを受け、10月にブエノスアイレス郊外で半裸かつ薬で朦朧とした状態で解放された[127]

「汚い戦争」に関する著作で知られているジャーナリストのヴェルビツキは、著書『沈黙』において、ベルゴリオが先の2人の貧困者支援活動を後援する一方で、政治的左派に影響を受けていた彼らの社会運動に関する懸念を軍事政権に伝えており、2人が身の危険を感じベルゴリオの庇護を求めた際もそれに応じなかったと主張している[124]。しかし、イエズス会ドイツ管区は、その声明において、2人が当時ベルゴリオによりイエズス会を追放されたというオラシオ・ヴェルビツキの記述に由来する報道を否定している[128][129]

このヴェルビツキの主張に関しては、多くの異論も存在する。ブエノスアイレス・ヘラルド紙の記者だったイギリス人のロバート・コックスは、ヴェルビツキの主張は誤りではないが、当時の危険な状況におけるベルゴリオの立場も考慮するべきだと指摘している。コックスは、ベルゴリオは2人を軍事政権に引き渡すことなどはしていないが、同時に保護したり声を上げることもなかったと述べている。1980年ノーベル平和賞を受賞したアドルフォ・ペレス・エスキベルもまた、コックスの見方に同意し、ベルゴリオには充分な勇気がなかったと言えるかもしれないが、軍事政権と協力したことはないとの見解を披瀝している[124]

軍事政権下の国家犯罪を追求している弁護士のミリアム・ブレグマンは、ベルゴリオが2人に関する裁判に消極的だと批判しており、オルランド・ジョリオの家族や汚い戦争の犠牲者の家族団体の創設者は、ベルゴリオ枢機卿の教皇選出に不満の色を見せている[6][124]

一方でベルゴリオの行動を肯定ないし称賛する者も存在する。ベルゴリオの伝記『ジェズイット』の共著者であるフランチェスカ・アンブロジェッティは、ベルゴリオが軍事政権の指導者ホルヘ・ラファエル・ビデラや収容所の責任者であった海軍長官のエミリオ・エドゥアルド・マッセラスペイン語版に面会して善処を求めるなど、ベルゴリオは、当時置かれた状況でできうる限りのことをやった「英雄」であると述べている[124]

2005年に行われたインタビューにおいてベルゴリオは、2人の誘拐の一報を聞いて直ちに行動にうつり、ビデラとマッセラに2人の釈放を求めたと答えている。ローマ教皇庁の広報局長は、ベルゴリオは「独裁政権下で人々を救うために尽力し」ており、先の告発は信頼できず、彼がアルゼンチンの司法当局から罪を問われたこともないとコメントしている。またこのような批判は、カトリック教会の信用失墜を狙った中傷であると主張している[130]

2013年には、ヤーリチ・フェレンツ自身が、「オルランド・ジョリオと私は、ベルゴリオ神父によって告発されたことはない」として、ベルゴリオの責任及び関与を明確に否定した[131][132][133]

人物・逸話

質素な生活を好むベルゴリオには、普段の移動の際にも地下鉄バスといった公共交通機関を利用し、バチカンへ向かう飛行機エコノミークラスを利用していた[134]

いつも新聞を宅配してくれていたブエノスアイレスのキオスクのオーナーに、「ダニエルさん、枢機卿のホルヘです。ローマから掛けています。いつも新聞の宅配をありがとうございます」と直接電話し、職場がローマに異動になったから新聞の宅配を停止してくれるよう依頼した[135][136]

宣教活動視察のため、1988年に来日している[29]

週末にはブエノスアイレス近郊の小さなアパートで過ごし、そのサッカー好きもよく知られている。幼少期の頃から、地元のサッカークラブ、CAサン・ロレンソソシオに属している[137]。同クラブは教皇のために「FRANCISCO」背番号「0(天使の輪のような扁平した形)」の「教皇仕様のユニフォーム」を作った。これはキルチネル大統領が会見の際に、ベルゴリオへの「お土産」として持参したものである。アルゼンチン出身の女優ティタ・メレッロスペイン語版のファンで、彼女が出演するネオレアリズモの映画を好んで鑑賞する。アルゼンチンとウルグアイミロンガと呼ばれている伝統音楽の伴奏でタンゴを踊ることも趣味の一つであるという[138]

著書

単行本

  • Bergoglio, Jorge (1982) (スペイン語). Meditaciones para religiosos. Buenos Aires: Diego de Torres. OCLC 644781822 
  • Bergoglio, Jorge (1992) (スペイン語). Reflexiones en esperanza. Buenos Aires: Ediciones Universidad del Salvador. OCLC 36380521 
  • Bergoglio, Jorge (2003) (スペイン語). Educar: exigencia y pasión: desafíos para educadores cristianos. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505124572 
  • Bergoglio, Jorge (2003) (スペイン語). Ponerse la patria al hombro: memoria y camino de esperanza. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505125111 
  • Bergoglio, Jorge (2005) (スペイン語). La nación por construir: utopía, pensamiento y compromiso: VIII Jornada de Pastoral Social. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505125463 
  • Bergoglio, Jorge (2006) (スペイン語). Corrupción y pecado: algunas reflexiones en torno al tema de la corrupción. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505125722 
  • Bergoglio, Jorge (2007) (スペイン語). El verdadero poder es el servicio. Buenos Aires: Editorial Claretiana. OCLC 688511686 
  • Bergoglio, Jorge (2009) (スペイン語). Seminario: las deudas sociales de nuestro tiempo: la deuda social según la doctrina de la iglesia. Buenos Aires: EPOCA-USAL. ISBN 9788493741235 
  • Bergoglio, Jorge; Skorka, Abraham (2010) (スペイン語). Seminario Internacional: consenso para el desarrollo: reflexiones sobre solidaridad y desarrollo. Buenos Aires: EPOCA. ISBN 9789875073524 
  • Bergoglio, Jorge (2011) (スペイン語). Nosotros como ciudadanos, nosotros como pueblo: hacia un bicentenario en justicia y solidaridad. Buenos Aires: Editorial Claretiana. ISBN 9789505127443 

論文・記事

参考文献

単行本

  • Buzzi, Elisa (2003) (英語). A Generative Thought: An Introduction to the Works of Luigi Giussani. Montreal: McGill-Queen's University Press. ISBN 9780773526129 
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  • Horacio Verbitsky (2009) (スペイン語). Vigilia de armas : Del cordobazo de 1969 al 23 de marzo de 1976. Historia política de la iglesia católica, t. III. Buenos Aires: Sudamericana. ISBN 9789500730495 
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論文・記事

脚注

注釈

  1. ^ カトリック教会では「就任」もしくは「着座」という用語が使われる。UNIVERSI DOMINICI GREGIS 使徒座空位と教皇選挙に関してカトリック中央協議会
  2. ^ 教皇の公式名はラテン語名で「フランキスクス」ないし「フランチスクス」、イタリア語名で「フランチェスコ」であり「フランキ(チ)スクス1世」「フランチェスコ1世」ではない。この点については、コンクラーヴェ終了の日に発表された、バチカンによる公文書に以下のように記されている。“Annuntio vobis gaudium magnum;habemus Papam:Eminentissimum ac Reverendissimum Dominum, Dominum Georgium Marium Sanctae Romanae Ecclesiae Cardinalem Bergoglio qui sibi nomen imposuit Franciscum.”(Franciscus, 13 mars 2013)「フランシスコ1世」と呼ばれるようになるのは、後代の教皇に「フランシスコ2世」が出現した時である。cf. Emily Alpert, “Vatican: It's Pope Francis, not Pope Francis I” in Los Angeles Times, 13 March 2013、 末続哲也「法王の呼称は「フランシスコ」に」(『読売新聞』2013年3月19日付) 。日本のカトリック教会では、聖人の日本語での呼び名をラテン語名の奪格から取る伝統があり、Franciscus は主格で、 Francisco が奪格である。Francisco の読みは、本来の教会ラテン語発音では「フランチスコ」となるところ、例外的に「フランシスコ」と呼び慣わしており、新教皇の出身地アルゼンチンで話されるスペイン語の音韻に依拠した呼称ではない。
  3. ^ スペイン語の発音では国際音声記号[ˈxorxe ˈmaɾjo βerˈɣoɣljo] (ホルヘ・マリオ・ベルゴグリオ)イタリア語読みでは[bɛrˈgɔʎːo] となる。
  4. ^ この絵は、バロック期のドイツの画家ヨハン・シュミットナー(Johann Georg Melchior Schmidtner, 1625-1705)が1700年頃に描いたものである。古代教父のエイレナイオスによる『反異端論』第3巻22章の記述に画想を得たもので、「結び目」は創世記におけるイヴの神への背きを象徴し、「結び目を解くマリア」は、その罪の償いを寓意しているという。新教皇と『結び目を解くマリア』との関係については、cf. “Maria Maria Knotenlöserin verbindet Augsburg & Buenos Aires
  5. ^ ピウス9世 (ローマ教皇)から日本布教を依頼されたパリ外国宣教会プチジャン神父は、1865年3月17日、大浦天主堂において、日本の潜伏キリシタンを発見した。最初に神父に話しかけたのはイザベリナ杉本ゆりであり、ゆりは「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」(私たちの信仰はあなたの信仰と同じです)と、その信仰を告白した。その後、浦上の信徒たちは、日本人修道士バスチャン(セバスチャン)が殉教前に遺言した、カトリック司祭を識別する三項目(マリア崇敬、終生独身制、ローマ教皇への服従)を確認した上で、復活祭の前の「四旬節」についての質問をした。 cf. 長崎地方文化史研究所編『プチジャン司教書簡集』聖母の騎士社、1986年、pp.68-78. それは、徳川禁教時代から数えて7代250年後の出来事だった。
  6. ^ 「悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性」に対応する原文は “la mondanità del diavolo, la mondanità del demonio” であり、これは悪魔の異称 “principe del mondo”(この世の君)を踏まえた表現である。聖書的伝統において、悪魔は「世俗性」、すなわち現世的な関心と緊密に結びついており、サタンベルゼブブなどとともに、アルコーン、「この世の君」(マタイ12:24 ; ヨハネ12:31, 14:30, 16:11 ; エペソ2:2, 6:12 など)も悪魔の異称と考えられてきた。cf. J. B. ラッセル『悪魔の系譜』青土社、1990、p.451, Raïssa Maritain, “Le Prince de ce monde” in Roseau d’or, 1929.「悪魔の世俗性、悪魔的な世俗性」を論難するする教皇の説教は、霊的なもの、精神的なものをないがしろにし、「現世的なもの」(世俗性)に空しく執着することに対する批判を含意している。
  7. ^ この指摘は、人間に対する神の愛の先行性に関する、ヨハネの手紙一にある以下の個所を踏まえた表現である。「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽りの者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」(1ヨハネ4:19-21、新共同訳聖書)。
  8. ^ 「信徒使徒職」とは、カトリック信徒が聖職者と協力しながら、使徒たる自覚を持って自主的に聖職者の福音宣教と協働して行くこと。 cf. 信徒使徒職に関する教令
  9. ^ 2012年9月時点での枢機卿の表現は少しこれ(週刊誌 La Vie 2013年3月14-20日号)とは異なり、同じ La Vie によれば、枢機卿は洗礼拒否に見られるような「態度」を「律法主義で偽善たる新教権主義」と「形容」した、となっている。「グノーシス主義の偽善的ファリサイ派」「律法主義で偽善たる新教権主義」双方とも、福音書の逸話(マルコ2:15-17 ; ルカ7:36-39など)を踏まえた言い回しである。婚姻を秘跡とし、神が結び合わせるもの(マタイ19:5-6)とするカトリックでは、シングルマザーは教義に沿わない部分もあるが、その子供の洗礼を拒否することは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)として救済に例外を認めなかったイエスの教えとは本質的に異なるものであり、この発言は、祝福されない者の子という律法主義的解釈によって他者を裁く偽善的態度への批判となっている。 cf. La Vie, no 3524, du 14 au 20 mars 2013, p. 31.
  10. ^ 「最も豊かな土地であったが無残に没落した」という部分はエドゥアルド・ガレアーノ『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』の「我々ラテン・アメリカ人が貧しいのは、我々の踏んでいる大地が豊かだからだ」という言い方に共通する。この部分はラテンアメリカ地域が19世紀の独立後も外国の大資本によって豊かな資源を収奪されるような経済システムが構築されてきた史実への批判を示唆する。

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関連項目

外部リンク