ステファヌス8世 (ローマ教皇)
表示
ステファヌス8世と呼ばれることがあるローマ教皇は2人存在する。「ステファヌス」の名を持つ教皇の代数に関する歴史的経緯はステファヌス (教皇選出者)#「教皇ステファヌス」とその代数を参照。
- ステファヌス8世 (在位:928年-931年)→ステファヌス7世 (ローマ教皇) を参照。
- ステファヌス8世 (在位:939年-942年)→ステファヌス8世 (9世)とも書かれる。
本項では、現在教皇庁および『教皇庁年鑑』が正式に認めている、939年に即位した人物について扱う。
ステファヌス8世 | |
---|---|
第127代 ローマ教皇 | |
教皇就任 | 939年7月14日 |
教皇離任 | 942年10月 |
先代 | レオ7世 |
次代 | マリヌス2世 |
個人情報 | |
出生 |
未詳 教皇領、ローマ |
死去 |
942年10月 教皇領、ローマ |
ステファヌス8世(Stephanus XIII、? - 942年10月)は、第127代ローマ教皇(在位:939年7月14日 - 942年10月)。
生涯
[編集]ステファヌスはローマ出身で、サンティ・シルヴェストロ・エ・マルティーノ・アイ・モンティの司祭枢機卿であった[1]。939年に先代のレオ7世が死去したため、アルベリーコ2世によって後継に擁立された。
最初はアルベリーコ2世と共同して修道院改革を行なったが、やがて対立した。オパヴァのマルティンによると、アルベリーコ2世によって幽閉され、さらに手足を切断された(mutilatus to quibusdam Romanis)という[2]。ステファヌスは942年10月下旬に死去したが、切断時における傷が死因であったとも考えられている[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Ambrogio M. Piazzoni, Stefano VIII, in Enciclopedia dei Papi, vol. 2, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 2000.
- (ラテン語・ドイツ語)Martino di Troppau, edited by Georg Heinrich Pertz, Chronicon Pontificum et imperatorum, in L. Weiland (ed), Monumenta Germaniae Historica, Scriptores, XXII, Hannover, Hahn, 1872.
- P.G.マックスウェル=スチュアート『ローマ教皇歴代誌』 創元社、1999年、pp. 93 - 94