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「阪急百貨店」の版間の差分

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{{Pathnav|阪急阪神東宝グループ|エイチ・ツー・オー リテイリング|阪急阪神百貨店|frame=1}}
'''阪急百貨店'''(はんきゅうひゃっかてん、en:''Hankyu Department Store'')は、[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]株式会社傘下の'''株式会社[[阪急阪神百貨店]]'''が運営する[[日本の百貨店]]。創業者は[[小林一三]]で大阪の[[梅田]]に本店を置く。かつての運営会社は'''株式会社阪急百貨店'''だったが、[[2008年]](平成20年)[[10月1日]]付で株式会社[[阪神百貨店]]と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となった。
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
[[ファイル:Umeda Hankyu.JPG|thumb|250px|right|阪急うめだ本店]]
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社阪急百貨店
| 英文社名 = Hankyu Department Stores, Inc.
| ロゴ =
| 画像 = [[File:Mido-suji Osaka01s4s3200.jpg|300px]]
| 画像説明 = 大阪梅田ツインタワーズ・ノース(旧:梅田阪急ビル)<br />[[2009年]]9月3日、同ビルの地上12階-地下2階に新店舗・第一期分が先行開業。
| 種類 = [[株式会社]]
| 市場情報 = 非上場
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 530-0012
| 本社所在地 = [[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[芝田 (大阪市)|芝田]]2丁目6番27号(阪急百貨店香養会館)<ref name="h2O_press_2022-08-04">{{Cite press release |和書 |title=「固定資産(信託受益権)の譲渡及び特別利益の計上に関するお知らせ |publisher= エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 |date=2022-08-04 |format=PDF |url= https://data.swcms.net/file/h2o-retailing/ja/news/auto_20220729508214/pdfFile.pdf |accessdate=2022-08-12}}</ref>
| 本店郵便番号 = 530-8350
| 本店所在地 = 大阪府大阪市北区角田町8番7号
| 設立 = [[2007年]]([[平成]]19年)[[10月1日]]
| 業種 = 小売業
| 事業内容 = 百貨店業
| 代表者 = [[新田信昭]](代表取締役社長)
| 資本金 = 50億円(2007年10月1日現在)
| 売上高 =
| 総資産 =
| 従業員数 = 2,895名
| 決算期 = 3月末日
| 主要株主 = [[エイチ・ツー・オー リテイリング]] 100%
| 主要子会社 =
| 関係する人物 = [[小林一三]](創業者)<br />[[野田孝]](元社長、会長)
| 外部リンク = [http://www.hankyu-dept.co.jp/ 阪急うめだ本店(阪急百貨店)]
| 特記事項 = 上場会社である(初代)株式会社阪急百貨店(1947年3月7日設立)が純粋[[持株会社]]「[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]株式会社」へ移行するのに伴い、新設の当社が阪急百貨店の事業を承継。<br />2008年10月1日付で株式会社[[阪神百貨店]]と合併し、株式会社阪急阪神百貨店に商号変更。
}}
'''阪急百貨店'''(はんきゅうひゃっかてん)は、[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]株式会社([[阪急阪神東宝グループ]])傘下の'''株式会社[[阪急阪神百貨店]]'''が運営する[[日本の百貨店]]。


また、'''株式会社阪急百貨店'''({{Lang-en|Hankyu Department Stores, Inc.}})は、[[2008年]]9月30日までこれを運営していた企業である<ref>{{Cite news | title = 阪急と阪神が合併、10月1日「阪急阪神百貨店」に | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2008-03-27 }}</ref>。[[2006年]]の「[[阪急・阪神経営統合]]」を契機として、もともとライバルであった[[阪神百貨店]]と経営統合を行い、阪急阪神百貨店による運営となった。
== 概要 ==
=== 詳細 ===
[[1920年]](大正9年)に[[東京都|東京]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の老舗呉服店系百貨店・[[白木屋 (デパート)|白木屋]]を「出張売店」として売上歩合制の家賃で招致して売上のデータを得て梅田駅でのターミナルデパートの採算性を確認すると、梅田駅でのターミナルデパートの可能性を固く信じた小林一三<ref name="iwahori1978">「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている{{Cite book | 和書 | author =岩堀女三 | title = 偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版) | publisher = [[評言社]] | year = 1978}}</ref>は、契約期間が満了を理由に白木屋との契約を解除して自社直営の阪急マーケットを切り替え、梅田駅ビルを大幅に拡張して百貨店に相応しい規模の店舗を作って[[1929年]](昭和4年)に[[鉄道事業者|鉄道会社]]直営=電鉄系百貨店を開業した。


創業者は[[阪急電鉄]]の実質的創業者であり[[関西]]財界の雄と言われる'''[[小林一三]]'''で、[[大阪市|大阪]]・[[梅田]]地区に[[本店]]を置く。この[[阪急百貨店うめだ本店]]はエイチ・ツー・オー リテイリングの[[旗艦店]]であり、日本国内では東京の[[伊勢丹]]新宿店に次ぐ売上を誇る[[旗艦|旗艦店]]である。
電鉄系百貨店としては日本初であり、白木屋の出張売店の出店から考えると世界初のターミナルデパートとする見方もある。(梅田駅の白木屋は1階のみの小規模な店舗だった為、売り場も広く品揃えも幅広かった(現)[[近畿日本鉄道|近鉄]][[大阪上本町駅]]に設けられた[[三笠屋百貨店]]を最初のターミナルデパートとする見方もある)<ref>大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市([http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/nannohi/data/08.htm ウェブサイト])</ref><ref>「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み [[近畿日本鉄道]]</ref>


なお法人としての株式会社阪急百貨店は、次の2つが存在した。
また百貨店食堂の走り(百貨店初の食堂は[[1904年]](明治37年)の白木屋)として[[カレーライス|ライスカレー]]・[[ソーライス]]等を庶民に提供したり沿線の行楽に向かう人々への[[弁当]]販売を手がける等、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。
* 初代法人:[[1947年]]3月7日 - [[2007年]]9月30日。現在のエイチ・ツー・オー リテイリング株式会社。
* 2代目法人:2007年10月1日 - [[2008年]]9月30日。2008年10月1日付で株式会社[[阪神百貨店]]と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となった。


== 歴史・概要 ==
今日でも「阪急[[梅田|うめだ]]本店」([[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]])は沿線の豊かさを背景に関西一の売り上げを誇る。また、健康・スポーツ・アウトドアなどをテーマとする「[[イングス]]館」(本店の別館)や[[2008年]](平成20年)2月にオープンしたメンズ館([[HEP NAVIO]]の地下1階から5階)がある。ちなみにメンズ館の売場面積は、「[[伊勢丹]]新宿店メンズ館」を抜いて日本最大である。
=== 創業から第2次世界大戦まで ===
[[ファイル:Hankyu Advertisement in 1936.jpg|thumb|220px|right|[[1936年]](昭和11年)の雑誌広告]]


[[1920年]]11月1日に、5階建ての阪急梅田ビル1階に[[東京都|東京]]・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の老舗呉服店系百貨店・'''[[白木屋 (デパート)|白木屋]]'''を招致して<ref name="hankyu-railways-75-1982">{{Cite book | 和書 | title = 75年の歩み | publisher = 阪急電鉄 | year = 1982}}</ref>'''白木屋梅田出張店'''が開店した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9">{{Cite book | 和書 | title = 株式会社阪急百貨店25年史 | publisher = 阪急百貨店 | date = 1976-9}}</ref>。55坪の店舗で食料品や日用雑貨の販売を行わせ<ref name="taniuchi-baishin-2012-6">{{Cite journal | author =谷内正往 | title = 戦前京阪デパートの創立 | journal = 梅信 2012年6月号 | publisher = [[近畿大学]] 通信教育部 | date = 2012-06-01 }}</ref>、11月5日<ref name="keihanshin-express-railways-50-1959">{{Cite book | 和書 | title = 京阪神急行電鉄五十年史 | publisher = 京阪神急行電鉄 | year = 1959}}</ref>、2階に阪急直営である大衆食堂の'''阪急食堂'''を開設したのが始まりである<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。
[[2008年]](平成20年)[[11月26日]]には[[阪急西宮スタジアム]]跡地に建設されたショッピングセンター「[[阪急西宮ガーデンズ]]」の核テナントとして新店舗を開店した<ref>[http://www.hankyu-dept.co.jp/nishinomiya/index.html 西宮阪急]</ref>。


この白木屋の店舗を売上歩合制の家賃として売上実績のデータを入手し<ref name="iwahori1978">「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている{{Cite book | 和書 | author =岩堀女三 | title = 偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版) | publisher = [[評言社]] | year = 1978}}</ref>、そのデータから[[大阪梅田駅 (阪急)|梅田駅]](現在の大阪梅田駅)でのターミナルデパート(=ターミナル駅直結の百貨店)の可能性を固く信じた小林一三は<ref name="iwahori1978" />、契約期間満了を理由に白木屋との契約を解除して[[1925年]]6月1日に阪急梅田ビル2・3階に<ref name="hankyu-railways-75-1982" />自社直営の食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態<ref name="sankei-np-1999-10-10" />の'''阪急マーケット'''<ref name="hankyu-railways-75-1982" />、4・5階に直営の'''阪急食堂'''を移設して開業し<ref name="kurimoto-2002-3">{{Cite journal | author =栗本智代 | title = 大阪再発見VOL2 大阪ターミナルものがたり 梅田と駅のアイデンティティ | journal = 季刊誌CEL 60号 | publisher = [[大阪ガスエネルギー・文化研究所]] | issue = 2002-3}}</ref>、直営でのターミナルデパートの第一歩を踏み出した<ref name="sankei-np-1999-10-10" />。
また[[2011年]](平成23年)3月3日には、[[福岡県]]の[[九州旅客鉄道]](JR九州)[[博多駅]]新駅ビル([[JR博多シティ]])の核テナントとして地上8階 - 地下1階部分に新店舗「[[博多阪急]]」を開店した<ref>[http://www.hankyu-dept.co.jp/kessan/gp10/hakata.html 2011年春、九州初上陸~博多出店~]</ref>。


その後、梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し<ref name="sankei-np-1999-10-10" />、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31">{{Cite journal | author =谷内正往 | title = 戦前のターミナル・デパート-大鉄百貨店の創立 | journal = 生駒経済論叢 第7巻第1号 | publisher = [[近畿大学]] 経済学会 | date = 2009-7-31 }}</ref>という百貨店に相応しい規模の店舗を作って[[1929年]]4月15日に[[鉄道事業者|鉄道会社]]直営の電鉄系百貨店として'''阪急百貨店'''を開業した<ref name="hankyu-railways-75-1982" /><ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4">{{Cite book | 和書 | author = 50年史編集委員会 | title = 株式会社阪急百貨店50年史 | publisher = 阪急百貨店 | date = 1998-4}}</ref>。
=== 阪急うめだ本店の大規模な建て替えプロジェクト ===
[[1929年]](昭和4年)に創業した地上9階 - 地下1階で第1期から第8期(第9期分は[[阪急グランドビル]]として開業)に分けて増築された阪急うめだ本店([[梅田阪急ビル]])は老朽化や[[大阪2011年問題]]をにらみ耐震性を高めた複合ビル(新・梅田阪急ビル)として全面的に建て替えることが決定され<ref>[http://www.h2o-retailing.co.jp/gp10/tatekae.html 阪急百貨店うめだ本店建て替えプロジェクト]</ref>、第1期工事として[[2006年]](平成18年)7月より、店舗の北側半分を残す形での営業と南側部分の取壊し・建替え工事が行なわれた。


この開業は、[[1926年]]に現・[[近畿日本鉄道|近鉄]][[大阪上本町駅]]に設けられた'''[[三笠屋百貨店]]'''に続く二番目のターミナルデパートであり、<ref>大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市([http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/nannohi/data/08.htm ウェブサイト])</ref><ref>「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み [[近畿日本鉄道]]</ref>日本初の鉄道会社が経営するターミナルデパート<ref name="sankei-np-1999-10-10">{{Cite news | title = 【大阪の20世紀】(24)小林一三 宝塚歌劇、沿線開発型鉄道…“夢”咲かせ続けた経営者 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 1999-10-10 }}</ref><ref name="nakai-construction-2001-6">{{Cite journal | author =中井祐 | title = フォト・エッセイ 土木エンジニアたちの群像 小林一三の描いた模範的郊外生活 | journal = 建設業界 June 2001 通巻589号 | publisher = 社団法人[[日本土木工業協会]] | date = 2001-6}}</ref>(ターミナルデパートは欧米にない日本独特のもの<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />のため同時に世界初となる)でもあった。[[東急百貨店]]など全国の[[大手私鉄]]が阪急百貨店に倣ってターミナルデパートを設置し、民営化後のJRも[[ジェイアール名古屋タカシマヤ]]や[[ジェイアール西日本伊勢丹]]など既存大手百貨店と協力して百貨店を出店するなど、その後の鉄道会社の経営手法(=多角化)に対して大きな影響を与えた。鉄道会社が百貨店を自ら経営する以外にも、[[難波駅 (南海)|南海難波駅]]([[南海ビルディング]])の[[髙島屋]]大阪店(本店)やJR[[博多駅]]([[JR博多シティ]])で当社が運営する[[博多阪急]]など、[[駅ビル]]の[[アンカーストア|キーテナント]]として百貨店を誘致する例もある。
なお、それに先立つ[[2005年]](平成17年)[[9月13日]]には、[[シャンデリア]]や[[伊東忠太]]による[[壁画]]など優美な装飾で約75年間にわたり親しまれた、1階旧[[阪急梅田駅]]地上駅[[コンコース]]の天井が、同日限りで歴史に幕を下ろした。[[シャンデリア]]と壁画は取り外した上で保管され新ビルに[[モニュメント]]として使われるほか、新ビル自体にかつてのコンコースを髣髴させる空間を設置するという情報もある<ref>[[朝日新聞]]大阪版2007年[[4月7日]]付「ぷらっと沿線紀行」など</ref>。ただしシャンデリアは、建設当時のものとは異なっている(当時の写真等より)。


開業直前の[[1929年]]4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />ように開業当初は大衆向けの路線を採り<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010">{{Cite journal | author =山本真紗子 | title = 阪急百貨店美術部と新たな美術愛好者層の開拓 | journal = コア・エシックス Vol.6 | publisher = [[立命館大学]]大学院先端総合学術研究科 | year = 2010}}</ref>、沿線の行楽に向かう人々への[[弁当]]販売を手がけるなど、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。
第1期工事が行なわれてから3年後の[[2009年]](平成21年)[[9月3日]]には、南側部分に当たる百貨店の新店舗・第1期分(地上12階 - 地下2階)が先行開業した。そして[[2010年]](平成22年)4月1日には、41階建てのオフィスタワーを含め、南側部分が竣工し、その後同年5月6日に全面開業した(個々のテナントは、順次オープンの予定)。


経営の中心であった<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />7・8階の大食堂は<ref name="sankei-np-1999-10-10" />、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさにより、人気を博した<ref name="kyoto-np-2002-8-16">{{Cite news | title = 阪急大食堂73年の歴史に幕 面影残して全面改装へ | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2002-8-16 }}</ref>。看板メニューとして当時高級品だったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供するなど、ランチも名物として話題となった<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。
北側部分については、[[2009年]](平成21年)8月31日に百貨店の売場を閉鎖した後、百貨店の新店舗・第1期分(南側部分)が先行開業した[[2009年]](平成21年)9月より、取り壊し・建替えが行われている。そして北側部分の竣工を含めた、梅田阪急ビル全館の建替工事は、[[2012年]](平成24年)春に完成する予定であったが、地下の構造物の撤去に予想以上に期間を要し、地盤整備工事が構想通りに進捗していないとして、[[2012年]](平成24年)11月下旬の完成予定(開業日は未定)に延期することとなった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110422/biz11042210000017-n1.htm 阪急梅田本店の開業延期 12年春から1年遅れも] 産経新聞 2011年4月22日</ref><ref>[http://www.asahi.com/business/update/0422/OSK201104220063.html 阪急百貨店うめだ本店、12年春の全面開業また延期] 朝日新聞 2011年4月22日</ref><ref>[http://www.h2o-retailing.co.jp/news/pdf/2012/120417grandopen.pdf 「阪急梅田本店 2012年11月下旬グランドオープン」について・エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 ニュースリリース:2012年4月17日]</ref>。


開業直後に襲った[[昭和恐慌]]の時代に、ライスのみを注文してテーブルに備えられていた<ref name="nishinippon-np-2011-3-4">{{Cite news | title = <気流>ソーライス。文字通りソースをかけただけの白飯… | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>ウスターソースをかけただけで食べる'''[[ソーライス]]'''が流行した<ref name="sankei-np-2008-1-4">{{Cite news | title = 産経抄 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2008-01-04 }}</ref>際は、他の店舗<ref name="sankei-np-2008-1-4" />や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとした<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />。しかし、創業者の小林は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ<ref name="nishinippon-np-2011-3-4" />、福神漬けまで付けて提供する<ref name="sankei-np-2008-1-4" />など、話題となった。
建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階 - 地下2階(高さ187メートル)、延べ床面積が25万2000平方メートルとなる予定であり、阪急うめだ本店が同ビルの低層階部分(地上13階~地下2階)に再入居することで営業面積を6万平方メートルから8万平方メートルへと拡大する予定である。これによって関西地区最大級<ref>完成時点での日本最大は[[松坂屋]]名古屋本店([[名古屋市]]・[[矢場町 (名古屋市)|矢場町]])の86,758m<sup>2</sup>である。ただし、メンズ館(16,000m<sup>2</sup>)を含めると松坂屋を上回る。また、{{subst:和暦|2014}}には[[近鉄百貨店]]阿倍野本店が本館100,000m<sup>2</sup>となる。</ref>の百貨店になる。また、地下1階部分の不自然な盛り上がりや、周辺地下街との段差(いずれも建設時期の関係によってできたもの)も解消することとなる。

開業当初は雑貨の品揃えは悪くなかったものの、知識や経験の不足により呉服類が見劣りがして駅の賑やかさゆえにやや落ち着かないとされ<ref name="chugai-comerce-np-1930-10-2">{{Cite news | title = 商戦も白熱化の大阪百貨店を見る(一) 覇を争う七大百貨店 | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1930-10-2 }}</ref>、売上高も1日平均約2万円だった<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />。しかし、[[1931年]]11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />、[[1932年]]12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上<ref name="taniuchi-ikoma-2009-7-31" />へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って<ref name="hankyu-railways-75-1982" />大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />、[[1936年]]に阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して<ref name="kurimoto-2002-3"/>売り場面積53,435[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]にまで拡大した<ref name="taniuchi-2012-1-1">{{Cite journal | author =谷内正往 | title = 戦前、 阪神の百貨店構想 ‐大阪駅前の土地争いを中心として | journal = 梅信 No.568 | publisher = [[近畿大学]] 通信教育部 | issue = 2012-01-01}}</ref>。

[[1932年]]12月の増床時に古美術品売場と'''茶室福寿荘'''開設が行われるとともに大阪で指折りの古美術店10店を集めて組織した充美会を結成してノウハウの不足を補って美術品の取り扱いの第一歩を踏み出した<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />。

[[1934年]]9月に洋家具売場の一角に洋画陳列場を開設して春秋会洋画展を開設して洋画の取り扱いを始めるなど比較的早くから美術品の取り扱いを充実させていった<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />。

[[1937年]]発行の機関誌「'''阪急美術'''」1号は、小林が「買つて置いて必ず損のないもの」と記述するように、これら美術品の販売でも百貨店全体の大衆路線が展開され、サラリーマンが購入できる美術品が取り扱われた<ref name="yamamoto-core-ethics-6-2010" />。

[[1934年]]に直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />など開業が比較的早い時期から食品関連の自社生産を開始するなど、食堂から発展した百貨店<ref name="kurimoto-2002-3" />らしい事業展開も行った。

一般の小売店による百貨店規制運動に対応して[[1933年]]4月20日に創立総会を開催した。設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-25">{{Cite news | title = 百貨店の…商業組合の正体(上) | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1933-04-25 }}</ref>、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していた<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-26">{{Cite news | title = 百貨店の…商業組合の正体(中) | newspaper = [[中外商業新報]] | publisher = 中外商業新報社 | date = 1933-04-26 }}</ref>。

この日本百貨店組合による営業統制規程第三条を受けて、[[そごう]]は阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断った<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18">{{Cite news | title = 阪急三宮食堂が投げた渦紋の石 日本百貨店組合の裁定如何「そごう」折返し注進 | newspaper = [[大阪朝日新聞]] | publisher = 大阪朝日新聞社 | date = 1936-3-18 }}</ref>。それにも関わらず、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・[[三宮]]に建設していた駅ビルへの食堂設置<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18" />などを強行し、[[1936年]]4月11日に阪神急行電鉄神戸駅に完成した[[神戸阪急ビル]]内に神戸支店を開業して多店化に乗り出した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。

[[1937年]]5月1日に豊中駅構内東改札口に配給所という小型店を開業した。同所で受けた注文を直ちに梅田の百貨店に連絡し、30分ごとに電車便を使って商品を配送して受注から1時間後に商品を届けた。これが好評だったため、同年12月4日までに同様の店舗を住吉、芦屋、帝塚山など合計38ヶ所展開して沿線での需要に応えた<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" />。

[[1938年]]1月1日に施行された百貨店法(第1次)により禁止されるまで、鉄道利用者の利便性を考慮して夜間営業も行ったが、同法により午後7時までに営業時間が規制されて夜間営業を廃止した<ref name="osaka-asahi-np-1937-12-24">{{Cite news | title = 春遠し"首の心配" 夜間営業の廃止が実現したら百貨店員は大整理 | newspaper = [[大阪朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 1937-12-24 }}</ref>。

=== 第2次世界大戦後の独立と多店化 ===
[[ファイル:Hankyu Osaka Umeda Station building 1979.jpg|thumb|梅田阪急ビルと阪急グランドビル(1979年)]]

[[1945年]]8月28日に解散した'''[[京阪デパート]]'''<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" />の建物を買収して[[1946年]]に同店跡に食堂付きの'''天満橋マーケット'''を開業し<ref name="keihan-railways-70-1980-4">{{Cite book | 和書 | title = 京阪70年のあゆみ | publisher = 京阪電気鉄道 | date = 1980-04}}</ref>、[[1947年]]3月7日に'''株式会社阪急百貨店'''を設立して4月1日から新会社で営業を開始して阪急電鉄から独立し<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。

大阪より東京のほうが人口に対する百貨店の数が少ないため成長が見込めることから東京進出を計画し、[[1953年]]11月23日に国鉄[[大井町駅]]前に東京大井店を開業した。[[大丸]]に先行し<ref group="注釈">後に[[そごう]]、[[丸物]](後の京都近鉄百貨店、[[パルコ]]の前身)、[[近鉄百貨店]]なども都内へ進出したが、戦前から進出している髙島屋と大丸、当社しか店舗は残っていない。</ref>、戦後の関西系百貨店の東京進出第一号となった。また、[[東芝]]社長の[[石坂泰三]]からの誘致を受けて、[[1956年]]5月29日にマツダビルディングへ数寄屋橋阪急を開業して銀座の一角へ進出する<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />など東京と近畿の双方に店舗を構える百貨店チェーンに成長した。

[[1957年]]6月12日と[[1961年]]4月25日と[[1969年]]11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工して、うめだ本店の増床を行い<ref name="hankyu-hanshin-100-2008-3">{{Cite book | 和書 | author = 阪急阪神ホールディングス株式会社グループ経営企画部(広報担当)編集 | title = 100年のあゆみ | publisher = 阪急阪神ホールディングス | date = 2008-03}}</ref>、本店の営業力の拡大・強化も図っていった。

[[京阪電気鉄道]]の[[淀屋橋駅]]までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったので、[[1961年]]に天満橋支店を閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。しかし、[[1970年]]3月11日に大阪の[[千里ニュータウン]]に'''[[千里阪急]]'''、[[1976年]]10月15日に[[京都市]]の四条河原町交差点角に'''[[四条河原町阪急]]'''([[阪急京都本線]][[京都河原町駅]]直結)、[[1982年]]10月8日にうめだ本店の別館として'''阪急イングス'''を相次いで開業させて近畿の店舗網の強化・拡大を進めた<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。

[[1984年]]10月6日に東京の[[有楽町センタービル|有楽町マリオン]]に'''有楽町阪急'''を出店したが、その後も京阪神地域での出店を推進した。[[1989年]][[4月4日]]に兵庫県[[川西市]]に'''川西阪急'''、[[1992年]]10月1日に[[神戸ハーバーランド]]に'''[[umie#SOUTH MALL|神戸阪急]]'''、[[1993年]]4月15日に'''宝塚阪急'''と相次いで出店した。全国展開の前段階として、京阪神ドミナント戦略を進めようとの戦略であった<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。

=== バブル崩壊後の出店 ===
[[2000年]]3月17日に[[横浜市]]の[[港北ニュータウン]]に'''都筑阪急'''を核店舗とするショッピングセンター'''[[モザイクモール港北]]'''<ref name="taihan-news-2000-3-13">{{Cite news | title = 阪急百貨店の郊外S・Cモザイクモール港北 3月17日オープン 横浜市都筑区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2000-03-13 }}</ref>を開業させて初日に約10万人の客を集め<ref name="taihan-news-2000-4-13">{{Cite news | title = モザイクモール港北初日10万人の顧客で上々のスタート 都筑阪急百貨店 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2000-4-13 }}</ref>、神奈川県への進出と郊外のショッピングセンターへの進出を図った。

続いて、[[堺市]]の新日鉄の工場跡地にショッピングモールの建設を計画していたが<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />、ダイヤモンドシティ・プラウ([[イオンモール堺北花田]])の建設にとってかわられた。[[2004年]]10月28日に'''[[堺 北花田阪急]]'''はダイヤモンドシティ・プラウの核店舗として開業した<ref name="weekly-diamond-2004-9-25">{{Cite journal | title = 企業レポート 阪急百貨店 本店一本足打法から脱却目指し猛スピードで進む増収大作戦 | journal = 週刊ダイヤモンド 2004.9.25号 | publisher = [[ダイヤモンド社]] | issue = 2004-9-25}}</ref>が正式に開業した<ref name="nissyoku-2004-11-5">{{Cite news | title = ダイヤモンドシティ北花田SCグランドオープン | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2004-11-05 }}</ref>。[[2005年]]9月15日に兵庫県[[三田市]]のJR三田駅前に子会社の食品スーパー[[阪急オアシス]]と一体型の小型店の'''三田阪急'''を開業した<ref name="nikkei-2005-8-17">{{Cite news | title = 阪急百、ミニ百貨店+スーパー-JR三田駅前、来月初の一体型 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-8-17 }}</ref>。実現はしなかったものの[[2006年]]に長谷工コーポレーションなどが進めていた<ref name="nikkei-2006-7-19">{{Cite news | title = 阪急百、三越跡出店へ交渉 大阪・北浜、09年にも | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-07-19 }}</ref>大阪市の京阪電気鉄道と[[大阪市営地下鉄]](現在の[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]])[[北浜駅 (大阪府)|北浜駅]]に直結する[[三越]]大阪店跡地の[[The Kitahama|超高層マンション]]の低層部の商業施設部分に<ref name="nikkei-2006-7-20">{{Cite news | title = 阪急百、北浜・三越跡に出店検討 堺筋再生の起爆剤に | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-07-20 }}</ref>三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進める<ref name="nikkei-2006-7-19" />など、売上高のうめだ本店の依存率が50%を超える体質から脱して<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />主力地盤である関西地区での営業基盤の強化を図ろうとした<ref name="nikkei-2006-7-19" />。

[[2008年]]11月26日に、西宮北口駅直結の大型ショッピングセンターである[[阪急西宮ガーデンズ]]の核店舗の一つとして'''西宮阪急'''が開業した<ref name="asahi-np-2008-11-26">{{Cite news | title = 阪急西宮ガーデンズがオープン 開店前から列 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2008-11-26 }}</ref>。当店は[[2012年]]3月期に前年比6.6%増の売上高約231.97億円を上げるなど<ref name="kobe-np-2012-5-11">{{Cite news | title = 新店効果で3年ぶり増収 阪急、阪神百貨店の親会社 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-05-11 }}</ref>、順調に売上を伸ばしている。

しかし、西宮阪急を除き、これらの郊外型店は期待したほど収益を上げなかった。このため、集客力のある駅ビル進出を目指し<ref name="nikkei-2006-3-25">{{Cite news | title = 阪急百、博多進出へ本格交渉-郊外出店に壁、駅ビルに活路 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-03-25 }}</ref>、[[2006年]]3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて[[九州旅客鉄道]](JR九州)と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して<ref name="nikkei-2006-3-25" />同年4月3日に正式に合意したことを発表し<ref name="nikkei-2006-4-4">{{Cite news | title = 阪急百の博多進出、JR九州と合意 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-04-04 }}</ref>、[[2011年]]3月3日に[[博多駅]]駅ビルの[[JR博多シティ]]の核テナントとして'''[[博多阪急]]'''を開業した<ref name="nishinippon-news-2011-3-3">{{Cite news | title = 福博 商都競争号砲 JR博多シティ オープン JR社長「愛される街に」 | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-03-03 }}</ref>。

=== 食品スーパー事業の再編・強化 ===
子会社の'''阪急共栄物産'''が[[2001年]]2月期の連結決算で売上高約238億円で当期純損失が7.3億円の赤字に陥る<ref name="nissyoku-2001-3-30">{{Cite news | title = 阪急共栄物産、2001年2月期通期業績予想を修正 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2001-03-30 }}</ref>など業績が伸び悩んだため、[[2003年]]1月1日付で阪急共栄物産を事業別に分社化して食品スーパー事業を行う資本金1億円の'''阪急ファミリーストア'''など5社を設立し<ref name="nissyoku-2003-2-7">{{Cite news | title = 阪急百貨店、阪急共栄物産を分社化、食品など5社を直接子会社に | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2003-2-7 }}</ref>、同年3月1日に阪急共栄物産を吸収合併して100%出資子会社化した<ref name="nissyoku-2003-2-7" />。

[[2006年]]3月27日に医療機器大手で食品スーパーも経営していた[[ニプロ]]から食品スーパー子会社のニッショーを約100億円で買収することを決定して<ref name="nikkei-2006-3-27">{{Cite news | title = 食品スーパー「ニッショー」、阪急百が買収 ニプロから100億円規模 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-03-27 }}</ref>同日発表し<ref name="nikkei-2006-3-28">{{Cite news | title = 関西のスーパー再編機運 阪急百貨店、「ニッショーストア」買収発表 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-03-28 }}</ref>、ニッショーストアを傘下に収めて経営規模をほぼ倍増させるなど規模拡大を図った<ref name="nikkei-2006-3-27" />。

[[2006年]]9月に傘下の食品スーパーや食品メーカーなどの食品事業を統括する'''阪食'''を設立して'''阪急オアシス'''など8社を同社の完全子会社とした<ref name="nikkei-2006-7-28">{{Cite news | title = 阪急百、食品事業で統括会社-9月設立 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-07-28 }}</ref>。

=== 不振店舗の業態転換や閉鎖 ===
2004年8月31日に'''数寄屋橋阪急'''としての営業を終了して子会社の'''阪急ショッピングセンター開発'''に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビル'''モザイク銀座阪急'''として開業し<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11">{{Cite report|和書 |date=2004-11 |title=阪急百貨店 株主通信 平成16年11月 誕生! 堺 北花田阪急 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2011年]]7月18日に'''有楽町阪急'''としての営業を終了して同年10月15日に全面改装して'''阪急メンズ・トーキョー'''として開業して<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012">{{Cite report |date=2012-5-10 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成24年3月期 決算発表 補助資料 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>黒字転換を図った<ref name="nikkei-mj-2010-11-11">{{Cite news | title = H2O、神戸阪急の閉鎖検討、赤字店見直し急ぐ。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-11-11 }}</ref>。

[[2010年]]8月22日に[[四条河原町阪急]]<ref name="mainichi-np-2010-8-23">{{Cite news | title = 四条河原町阪急:34年の歴史に幕 従業員ら涙ぐみ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-08-23 }}</ref>、[[2012年]]3月11日に神戸阪急<ref name="kobe-np-2012-3-12">{{Cite news | title = 神戸阪急 惜しまれ閉店 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-03-12 }}</ref>と相次いで閉店させるなど不採算店の閉鎖を進めて収益性の高いうめだ本店などへの経営資源の集約を図った<ref name="sankei-np-2011-5-13">{{Cite news | title = 選択と集中 大阪で勝負 H2O 神戸阪急撤退 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-05-13 }}</ref>。

=== うめだ本店の建て替えと別館 ===
[[ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 B.jpg|thumb|220px|right|うめだ本店前「バロックドーム」([[2005年]](平成17年)6月18日撮影)※現存せず]]
[[ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 A.jpg|thumb|220px|right|阪急梅田駅駅旧コンコース側入口([[2005年]](平成17年)6月18日撮影)※現存せず]]
[[ファイル:Hankyu Department Store is being constructed.JPG|thumb|220px|right|梅田阪急ビルの南半分が解体された直後の阪急百貨店うめだ本店([[2007年]](平成19年)11月21日撮影)]]
[[ファイル:Umeda Hankyu Building.JPG|thumb|220px|right|梅田阪急ビル([[2009年]](平成21年)6月26日撮影)<br/ >写真右側の第一期分が先行開業した際の模様]]

[[2005年]]8月16日に解体工事が着工された後、うめだ本店は売り場を北側に移すために18日まで一時休業した<ref name="nikkei-2005-8-16">{{Cite news | title = 阪急百梅田本店、建て替え16日着工-「売り尽くしセール」2ヵ月間で売上高1割増 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-8-16 }}</ref>。その後、19日から営業を再開し、同年9月14日未明から本格的な解体工事に着手した<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13">{{Cite news | title = 優美なアーチ、76年の歴史に幕 阪急梅田本店 | newspaper = [[大阪日日新聞]] | publisher = 新日本海新聞社 | date = 2005-9-13 }}</ref>。

この建て替えに伴い、1929年から76年間供用された旧阪急梅田駅コンコース<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13"/>も解体されることになった。当コンコースは、[[伊東忠太]]が設計した[[鳳凰]]、[[竜]]、[[ペーガソス|ペガサス]]、[[ライオン|獅子]]などが描かれたモザイク壁画や、天井からシャンデリアが吊されるなど、希少価値が高いことにより保存運動も起きた<ref name="osaka-daily-np-2005-12-7">{{Cite news | title = 話題を追う「旧梅田駅コンコース 保存求め活動の輪」 | newspaper = [[大阪日日新聞]] | publisher = 新日本海新聞社 | date = 2005-12-7 }}</ref>が、ビルの基礎部分から建て替えるため取り壊さざるを得ない<ref name="osaka-daily-np-2005-12-7"/>として解体された<ref name="asahi-np-2012-3-25"/>。しかし、解体の際に壁画やシャンデリアは保存され<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13" />、第2期工事完成後に、13階のレストランフロアに旧阪急梅田駅コンコースから撤去されたモザイク壁画が復元されることになった<ref name="asahi-np-2012-3-25">{{Cite news | title = 阪急梅田の壁画、復活 旧駅コンコースからレストランへ | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2012-3-25 }}</ref>。

1階コンコースのエレベーター横など2カ所の大理石でできた壁のパネルに埋まっていた、夏休みの宿題や自由研究の題材などとして子供たちの人気を集めてきた、直径3 - 5センチの巻き貝の化石も取り壊されることになった<ref name="sankei-np-2005-8-25">{{Cite news | title = 阪急百貨店「貝の化石」取り壊しへ | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2005-8-25 }}</ref>。しかし、化石は壁そのものをくり抜き、裏側を加工した後、2005年9月12日・13日に、当建て替え工事に伴って不要となった備品類を販売する「もったいないチャリティー入札大会」で落札された<ref name="sankei-np-2005-9-12">{{Cite news | title = 阪急百貨店で「もったいない チャリティー」 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2005-9-12 }}</ref>。

入札で工事を請け負った[[大成建設]]は、採算が合わないとして建設工事の正式な請負契約を結ばずに受注を辞退した<ref name="yomiuri-np-2006-10-7">{{Cite news | title = 大阪・梅田阪急 ビル建て替え工事、大成が施工業者返上 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2006-10-7 }}</ref>。[[2006年]]末までに<ref name="yomiuri-np-2006-10-7" />大成建設は旧建物の南側地上部分の解体を終えた段階で業務を終了した<ref name="nikkei-2007-1-16">{{Cite news | title = 阪急百貨店本店建て替え工事、大林組に施工業者交代-大成建、受注額折り合わず | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2007-1-16 }}</ref>ため、[[2007年]]1月15日から[[大林組]]が新たな施工業者となって地下部分の解体工事に入った。工事の途中で施工業者が交代するのは極めて異例である<ref name="nikkei-2007-1-16" />。

地下に過去の建造物が残っているにもかかわらず、建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない<ref name="yomiuri-np-2011-4-22">{{Cite news | title = 阪急百貨店本店、全面開業先送り…1年遅れも | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2011-4-22 }}</ref>上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ<ref name="supports-nippon-np-2011-4-22">{{Cite news | title = これで3度目 どうして?阪急梅田本店の開業延期 | newspaper = [[スポーツニッポン]] | publisher = スポーツニッポン新聞社 | date = 2011-4-22 }}</ref>百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事<ref name="nikkei-2007-1-16" />のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れた<ref name="kyoto-np-2011-4-22">{{Cite news | title = 阪急梅田本店の開業延期 3度目、1年遅れも | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2011-4-22 }}</ref>。

南側部分の第1期棟は[[2009年]]9月3日に売り場面積約27,000m<sup>2</sup>の百貨店部分が開業し<ref name="asahi-np-2009-9-3">{{Cite news | title = 阪急うめだ本店、建て替え棟開店 1階も食品売り場 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2009-9-3 }}</ref>、[[2010年]]4月1日にオフィスタワーを含む第1期棟全体が竣工し<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10">{{Cite report |date=2010-03-10 |title= 梅田阪急ビル建て替えプロジェクト「梅田阪急ビル オフィスタワー」が竣工します |publisher= 阪急電鉄 }}</ref>、同年5月6日に中高層部のオフィスタワーが開業した<ref name="kyoto-np-2010-3-10">{{Cite news | title = 中高層部、5月6日開業 梅田阪急ビル「オフィスタワー」 | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2010-03-10 }}</ref>。建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階、地下2階の建築物<ref name="hankyu-railways-release-2010-3-10" />(高さ187メートル<ref name="yomiuri-np-2006-10-7" />)となった。

第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが<ref name="asahi-np-2009-9-3" />、第2期の工事も難航したため<ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" />[[2011年]]4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になった<ref name="yomiuri-np-2011-4-22" /><ref name="supports-nippon-np-2011-4-22" /><ref name="kyoto-np-2011-4-22" />。

[[2012年]]4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した<ref name="nikkei-2012-4-18">{{Cite news | title = 阪急本店、11月増床開業、大阪・梅田、年商2100億円めざす | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-4-18 }}</ref>。

2012年10月25日に開業済みの第1期分(南側部分)と合せて新店舗の8割に当たる第2期分(北側部分)を先行開業させた後<ref name="nikkei-2012-10-25">{{Cite news | title = 阪急うめだ本店が増床開業 開店前から長蛇の列 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-10-25 }}</ref>、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため同年11月18日にイングス館を閉鎖し<ref name="sankei-np-2012-11-19">{{Cite news | title = 惜しまれつつ…阪急イングス館が閉館 本館に移転 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-11-19 }}</ref>、同年11月21日に新店舗を全館開業した<ref name="mainichi-np-2012-11-21">{{Cite news | author = 南敦子 | title = <阪急百貨店>梅田本店が全館オープン | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2012-11-21 }}</ref>。

[[2008年]]2月1日に、同じ阪急グループの商業施設である[[HEPナビオ]]内に、約16,000m<sup>2</sup><ref>伊勢丹新宿店メンズ館の約1.6倍の売り場面積</ref>に約300のブランドを集めた'''阪急メンズ館'''を開店し、開業初年度の目標だった250億円を上回る売上高約265億円を上げた<ref name="yomiuri-np-2009-2-17">{{Cite news | author =岸本英樹 | title = 阪急メンズ館、1年目順調 新鮮さ維持がカギ | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-2-17 }}</ref>。

その一方で、子供服とスポーツ用品を扱う'''イングス館'''は1990年代前半に売上高約120億円を上げていたものの、[[2010年]]3月期に売上高約80億円に落ち込んだ<ref name="asahi-np-2011-10-28">{{Cite news | title = H2O、来年イングス閉鎖へ 「本店への集約」検討 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-10-28 }}</ref>。面積的にも顧客が満足する品揃えが困難なので増築工事完成後の本館に集約するとして、2012年11月18日に閉鎖される<ref name="sankei-np-2012-11-19" />など、うめだ本店周辺の別館で明暗が分かれている。

=== 阪神百貨店との経営統合 ===
[[2005年]]10月1日に[[村上世彰]]が率いる[[村上ファンド|M&Aコンサルティング(村上ファンド)]]が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった<ref name="yomiuri-np-2005-10-3">{{Cite news | title = 村上ファンド、阪神電鉄株の38%取得 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2005-10-3 }}</ref>ため、阪急ホールディングス(現・[[阪急阪神ホールディングス]])が[[ホワイトナイト]]として村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、阪神電気鉄道の発行済株式の64.76%を保有することとなり、阪神電気鉄道は阪急ホールディングスの子会社となった。

そのため、阪神電気鉄道の子会社で長年のライバルだった[[阪神百貨店]]と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後<ref name="nikkei-2006-7-21">{{Cite news | title = 阪神社長「百貨店再編、年度内に結論」 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-7-21 }}</ref>からなされ、[[2007年]]10月1日に株式会社阪神百貨店を'''株式会社阪急百貨店'''(初代)が経営統合して'''[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]'''となり<ref name="mainichi-np-2007-10-1">{{Cite news | title = 阪急・阪神百貨店が「H2O」に 1日発足 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2007-10-1 }}</ref>、新たに完全子会社としての'''株式会社阪急百貨店'''(2代目)が設立されて同社が運営する体制へ移行した<ref name="mainichi-np-2007-10-1" />。

その後、百貨店の運営会社を1社に統合するため[[2008年]]10月1日に'''株式会社阪急百貨店'''が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を'''株式会社[[阪急阪神百貨店]]'''へ変更して株式会社阪急百貨店としての歴史に終止符を打ったため<ref name="yomiuri-np-2008-3-27">{{Cite news | title = 阪急と阪神が合併、10月1日「阪急阪神百貨店」に | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2008-3-27 }}</ref>、現在は同社の運営となっている<ref name="nikkei-mj-2012-1-18">{{Cite news | title = 2012トップに聞く(6)阪急阪神百貨店社長新田信昭氏 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-1-18 }}</ref>。

=== 他社との提携 ===
[[File:Hankyu Department Stores Kobe store 20211121.jpg|thumb|220px|right|[[そごう]]神戸店を引き継いだ[[神戸阪急]]は神戸市内3度目の出店となった]]

三越と伊勢丹が[[2008年]]4月に経営統合することになったことに伴い、[[2007年]]12月25日に伊勢丹との業務提携の解消が発表された<ref name="nikkei-2007-12-26">{{Cite news | title = 伊勢丹、統合へ事業整理 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2007-12-26 }}</ref>。

[[2008年]]10月に親会社'''エイチ・ツー・オーリテイリング'''は[[髙島屋]]と3年以内の経営統合を前提に業務・資本提携して株式を10%ずつ保有しあい、[[2009年]]からは一体感を高めて統合作業を円滑に進めるため相互に社外取締役を派遣しあった<ref name="yomiuri-np-2009-4-11">{{Cite news | title = 高島屋と阪急阪神百貨店、相互に社外取締役を選任 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-4-11 }}</ref>。

その業務提携の第1弾として[[2009年]]4月15日からインターネットでの通信販売における販売促進活動の共同化を行った<ref name="nikkei-2009-4-14">{{Cite news | title = 高島屋とH2O、ネット通販、共同販促、提携第1弾、特典を共通化 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-4-14 }}</ref>。

しかし、経営戦略や統合比率やトップ人事などで協議を進めるほどに差異が露わになり、統合後の重点投資先などを巡る経営方針が折り合わないとして、[[2010年]]3月25日に経営統合を断念したと発表すると共に同日付で互いに派遣していた非常勤取締役を引き揚げた<ref name="yomiuri-np-2010-3-26">{{Cite news | title = 高島屋とエイチ・ツー・オー、経営統合を断念 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-3-26 }}</ref>。

経営統合の断念後も10%の株式を持ち合う資本提携や、備品・資材の共同購入や中元・歳暮商戦で商品の共通化などの業務提携は継続しており<ref name="yomiuri-np-2010-3-26" />、洋菓子の新ブランド'''PURE FOREST'''を共同開発して[[2011年]]春から順次展開を始めている<ref name="nissyoku-2011-1-31">{{Cite news | title = 阪急阪神百貨店と高島屋、洋菓子の新ブランド「PURE FOREST」を共同開発 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2011-1-31}}</ref>。

[[2011年]]8月10日に親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは[[近鉄百貨店]]と次世代情報システムの構築で提携することを発表した<ref name="sankei-np-2011-8-11">{{Cite news | title = H2Oと近鉄百 情報システムで提携 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-8-11 }}</ref>。

2016年10月6日、親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは[[セブン-イレブン|セブン-イレブン・ジャパン]]、[[イトーヨーカ堂]]、[[そごう・西武]]を傘下に持つ[[セブン&アイ・ホールディングス]]と資本業務提携したことを発表した<ref>[https://www.h2o-retailing.co.jp/news/pdf/2016/161006seven.pdf 株式会社セブン&アイ・ホールディングスとの資本業務提携の基本合意に関するお知らせ] - エイチ・ツー・オーリテイリング 2016年10月6日(2016年10月6日閲覧)</ref>。その後、資本提携や当初予定していた[[西神中央駅百貨店ビル|そごう西神店]]の経営引継ぎは中止されたが、[[そごう・西武]]が運営する関西の百貨店2店舗を引き継ぐことになった。[[そごう]]神戸店と[[西武の店舗一覧#高知店△|西武高槻店]]はエイチ・ツー・オー アセットマネジメント<ref group=注釈>[[イズミヤ]]の旧法人の法人格を引き継いでいる</ref>によるフランチャイズ運営を経て、[[2019年]]10月1日付けでそごう神戸店が'''[[神戸阪急]]'''、西武高槻店が'''[[高槻阪急]]'''となって、同月5日から阪急百貨店の店舗として開業した。神戸阪急は上記のように[[神戸三宮阪急ビル|神戸阪急ビル(現在の神戸三宮阪急ビル)]]で1995年まで、ハーバーランドで2012年まで同名店舗が営業していたため3代目となると同時に、それ以来の三宮地区、神戸市内への再進出となっている<ref group=注釈>神戸市中央区内ではこれら3店舗と別に阪急百貨店の[[阪急百貨店#三ノ宮阪急|出店計画]]があったほか、阪神百貨店が[[阪神百貨店#さんのみや・阪神食品館|さんのみや・阪神食品館]]を[[ミント神戸]]地下一階で[[2006年]]から[[2010年]]まで営業していた。</ref>。

=== 独自の食品販売 ===
[[1934年]]に直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />など、早くから独自の食品販売に取組んでいる。

1989年に京都で「寺子屋料理塾」を運営していた料理研究家の首藤夏世の協力を得て、京都の家庭料理'''京のおばんざい'''を商品化した。商品を販売するのは[[阪急デリカアイ|阪急デリカ]]が運営する和惣菜の'''六齋'''であり、売上は食品関連の全テナントの売上で[[ロック・フィールド]]の「RF1」に次ぐ第2位、和惣菜部門ではトップの売上であった<ref name="nissyoku-2009-4-15">{{Cite news | title = 近畿中四国業務用流通特集:デパ地下惣菜最前線=阪急阪神百貨店 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2009-4-15}}</ref>。

阪急阪神百貨店発足後の2012年には[[江崎グリコ]]や髙島屋と共同開発した高級版ポッキー「バトンドール」と、亀田製菓のハッピーターンの高級版「ハッピーターンズ」の販売を開始し、食品メーカーとコラボした独自商品の開発に乗り出した。「阪急百貨店でしか買えない」をコンセプトに1年に1品以上、メーカーとの共同開発を行っている。[[日清食品]]のカップラーメンや[[オタフクソース]]のお好み焼きなど撤退した場合もあるが、「バトンドール」や「ハッピーターンズ」は大阪土産の代表になり、[[ハウス食品]]の「カレーパンノヒ」はギフトとしても利用されるなど、阪急オリジナルとして定着している<ref name="asahi-np-2018-11-20">{{Cite news | title = 阪急百貨店、食品コラボ続々 今度はオタフクとあの味… | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2018-11-20 }}</ref>。

生鮮品でも[[2003年]]9月に[[農業生産法人]]'''有限会社阪急泉南グリーンファーム'''を設立して<ref name="taihan-news-2004-2-16">{{Cite news | title = 阪急百貨店が無農薬 ブランド野菜の生産に新法人を設立 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2004-2-16 }}</ref>大阪府南部を中心に農家の休耕地などを借り受けて<ref name="nikkei-2010-4-27">{{Cite news | title = 貸農園、野菜作りの拠点… 耕作放棄地、企業が活用 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-4-27 }}</ref>[[2004年]](平成16年)4月から<ref name="hankyu-department-store-annual-report-85-2004-6">{{Cite report |date=2004-06-28 |title=阪急百貨店 第85期報告書(平成15年4月1日から平成16年3月31日まで) |publisher=阪急百貨店 }}</ref>無農薬の[[有機野菜]]の栽培を行い<ref name="nikkei-2010-4-27" />、当店及びグループの各店舗で販売をしている<ref name="hankyu-department-store-annual-report-85-2004-6" />。


== 店舗 ==
== 店舗 ==
店舗名は「'''〇〇阪急'''(〇〇は地域名)」と呼ばれる。
{{Vertical_images_list

|幅=200px
=== 阪急うめだ本店(うめだ阪急) ===
| 1=Mido-suji Osaka01s4s3200.jpg
[[ファイル:Umeda Hankyu Building - Takeshi DSC 3076 (4285297206).jpg|thumb|170px|right|御堂筋側(うめだ本店は低層部)]]
| 2=梅田阪急ビル・オフィスタワー<br />2009年9月3日、同ビルの地上12階 - 地下2階に、阪急うめだ本店の新店舗・第一期分が先行開業した。
{{Main|阪急百貨店うめだ本店}}
| 3=HEP NAVIO.JPG

| 4=阪急百貨店メンズ館
阪急百貨店の[[本店]]。[[大阪梅田駅 (阪急)|大阪梅田駅]]に直結しており、[[阪急電鉄]]の[[小林一三]]が考案した日本初のターミナルデパート([[ターミナル駅]]と直結した百貨店)と言われている。通称「'''うめだ阪急'''」。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力で近畿随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、[[伊勢丹]]と阪急百貨店は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。百貨店激戦区であり、大阪随一の[[繁華街]]である[[梅田]]における地域一番店。店舗別年間売上高は[[伊勢丹]]新宿店([[東京都]][[新宿区]])に次いで国内2位であり、[[関西]]において高いブランド力と知名度を誇る。ファッション・高級イメージを打ち出すことで、食に強みを持ち庶民的なイメージの[[阪神百貨店]]梅田本店との違いを明確にし、隣接する同じグループの店舗との差別化を図っている。
| 5=Hankyu ings.JPG

| 6=阪急百貨店イングス館
[[2008年]]9月30日までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に[[2008年]]10月1日に改称された。
| 7=HANKYU NISHINOMIYA GARDENS.JPG

| 8=西宮阪急
[[阪急電鉄]][[大阪梅田駅 (阪急)|大阪梅田駅]]南部の[[梅田阪急ビル|大阪梅田ツインタワーズ・ノース(梅田阪急ビル)]]に入居する'''[[阪急百貨店うめだ本店#本館|本館]]'''と、[[HEP#HEP NAVIO|HEP NAVIO]]に入居する'''[[阪急百貨店うめだ本店#阪急メンズ大阪|阪急メンズ大阪]]'''(旧:阪急百貨店メンズ館)<ref name="yomiuri-np-2009-2-17" />で構成される。かつてはスポーツ用品や子供服などを扱う'''[[阪急百貨店うめだ本店#イングス館|阪急イングス館]]'''(旧:阪急イングス)も存在したが、[[2012年]]10月25日に子供服・玩具売場が新本館11階に移転し<ref name="sankei-np-2012-11-19" />、同年11月21日の新本館全面開業<ref name="mainichi-np-2012-11-21" />時に新本館の8階に「'''スポーツファッション・イングス'''」として開業した<ref name="sankei-np-2012-11-19" />ことから、同年11月18日に閉鎖された<ref name="sankei-np-2012-11-19" />
| 9=Hankyu Takarazuka Station.JPG

|10=宝塚阪急
「阪急うめだ本店」と「阪急メンズ大阪」の合計の売場面積は96,000mと日本最大の近鉄百貨店[[あべのハルカス近鉄本店]]([[大阪市]][[阿倍野区]])に次ぐ規模である。
|11=Kawanishi hankyu.JPG
{{-}}
|12=川西阪急
=== 神戸阪急(2代目) ===
|13=Senri Hankyu2.JPG
[[File:Hankyu Department Stores Kobe store 20211121.jpg|thumb|250px|right|三宮交差点から見た神戸阪急]]
|14=千里阪急

|15=AEON MALL Sakai-Kitahanada.jpg
[[2019年]]9月30日まで営業していた[[そごう]]神戸店([[2017年]]まで[[セブン&アイ・ホールディングス]]傘下の[[そごう・西武]]が運営)を引き継いだ店舗。阪急百貨店ではあるが、[[阪神電気鉄道|'''阪神電鉄''']]の[[三宮駅|神戸三宮駅]]隣接の三宮阪神ビルをはじめとした複数の建物から構成されている。新館も存在する。
|16=堺 北花田阪急
百貨店直営の売場の他、そごう神戸店時代より引き続き、[[ロフト (雑貨店)|ロフト]]が入居している。一方、新館5階の[[紀伊国屋書店]]や新館2階のレストラン街「味の一番街」は2021年から2022年にかけて、改装のため撤退した。これらの撤退跡やロフトの縮小部分には、モードファッションの売場や旧・セゾングループ発祥の[[良品計画|無印良品]]が新たに展開している。
|17=OoimachiGarden.JPG ‎

|18=阪急大井町ガーデン
なお、1995年1月までは三宮阪急が阪急三宮駅(閉店当時)の神戸阪急ビルに入居しており、三宮では24年8ヶ月ぶりの再開店となる。また、2012年までは[[神戸ハーバーランド]]にて[[umie#SOUTH MALL|神戸阪急(初代)]]が営業していた。ほかに、当店の向かいにかつて存在した三宮ターミナルビルへの[[阪急百貨店#三ノ宮阪急|進出計画]]を持ったこともある。
|19=Yurakucho-hankyu sep2006.jpg
{{Main|神戸阪急}}
|20=阪急MEN'S TOKYO(写真は旧有楽町阪急のもの)

=== 高槻阪急 ===
[[2019年]]9月30日まで営業していた[[西武百貨店|西武]]高槻店([[2017年]]まで[[セブン&アイ・ホールディングス]]傘下の[[そごう・西武]]が運営)を屋号転換した店舗。最寄り駅はJR[[高槻駅]]。[[阪急京都本線]][[高槻市駅]]も徒歩圏内である。

高槻市の「国鉄高槻駅前[[都市再開発|再開発事業]]」に対応して、西武百貨店が1971年「株式会社'''西武百貨店関西'''」を設立して関西1号店として出店。1973年に[[大規模小売店舗立地法]]が施行されたのを受け直営売場を削って各フロアに専門店を入居させる試みを行った、モール併設型店舗の先駆けであった。西武末期時点で[[紀伊国屋書店]]、[[ユニクロ]]、[[ロフト (雑貨店)|ロフト]]、[[タワーレコード]]、[[赤ちゃん本舗|アカチャンホンポ]]、[[関西スーパー]]などが入居しており、阪急転換後もそのまま残った。モール併設型の特徴を生かし、専門店の入れ替えを行い、[[2023年]]秋からは'''高槻阪急スクエア'''に改称予定である。
{{Main|高槻阪急}}

=== 千里阪急 ===
[[1970年]]3月11日に[[千里ニュータウン]]の中心的な商業地区とされた[[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]]に隣接する地区に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。

阪急百貨店が近畿で初めて[[郊外]]に出店した百貨店である。

[[2005年]]3月期で売上高約181.65億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005">{{Cite report |date=2005-06-29 |title=阪急百貨店 第86期営業報告書 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2006年]]3月期で売上高約189.34億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006">{{Cite report |date=2006-06-28 |title=阪急百貨店 第87期有価証券報告書 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2007年]]3月期で売上高約191.55億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007">{{Cite report |date=2007-06-29 |title=阪急百貨店 第88期営業報告書 |publisher=阪急百貨店 }}</ref>、[[2008年]]3月期で売上高約193.56億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008">{{Cite report |date=2009-06-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第89期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>と順調に売上を伸ばした。

[[リーマン・ショック|リーマンショック]]が期中にあった[[2009年]]3月期に前年比でマイナスになって売上高約187.01億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009">{{Cite report |date=2009-06-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第90期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>となり、翌年からも[[2010年]]3月期に売上高約172.54億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010">{{Cite report |date=2010-06-25 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第91期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2011年]]3月期で売上高約173.17億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011">{{Cite report |date=2011-06-23 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 第92期営業報告書 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>、[[2012年]]3月期で売上高約172.65億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と売上の減少が続いているものの減少幅は徐々に縮小し始めている。

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11">{{Cite news | title = 阪急阪神百、店舗管理3分割、組織再編、郊外店テコ入れ急ぐ。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-4-11 }}</ref>。
{{Main|千里阪急}}
{{-}}

=== 西宮阪急 ===
{{main|西宮阪急}}
{{See also|阪急西宮ガーデンズ}}
[[file:HANKYU NISHINOMIYA GARDENS.JPG|thumb|250px|right|当店の入居する、阪急西宮ガーデンズ]]

[[2008年]]11月26日に[[兵庫県]][[西宮市]]の[[阪急西宮スタジアム]]跡地に開業した[[阪急西宮ガーデンズ]]<ref name="asahi-np-2008-11-26" />の核店舗として268店舗と共に<ref name="asahi-np-2008-11-25" />開業した<ref name="asahi-np-2008-11-26" />。阪急電鉄の[[西宮北口駅]]に隣接している。

[[高級住宅街|高級住宅地]]を擁する西宮や[[芦屋市|芦屋]]を商圏とする特性を踏まえ、「西宮上質生活」をコンセプトとしているが、うめだ本店との差別化や都心ではない郊外型店としての日常性重視の観点から、メインエントランス周辺への海外高級ブランドではなくアクセサリーや化粧品など身近な雑貨を並べている<ref name="asahi-np-2008-11-25">{{Cite news | author =吉野太一郎、多賀谷克彦 | title = 阪急西宮ガーデンズ、開業へ 阪神間の高級志向を刺激 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2008-11-25 }}</ref>。

子育て中の団塊ジュニア世代らの人口が増えている商圏の特性を踏まえ<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />、うめだ本店を大幅に上回る子供服や玩具の売場を設け<ref name="asahi-np-2008-11-25" />、教育熱心で富裕な家庭が多いため玩具売場の取扱商品もテレビアニメのキャラクター玩具は置かずに木製の知育玩具に注力し<ref name="asahi-np-2008-11-25" />、子供服売り場に無料で絵本を読めるスペースや育児教室を設置して百貨店から足が遠のいていた団塊ジュニア世代の集客に成功している<ref name="nikkei-mj-2011-3-4">{{Cite news | title = 博多阪急、駅ビルに開業、絶好立地、奇策で挑む、高級婦人服・外商なし | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>。

'''コトコトステージ'''という各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みは当店に初めて取り入れられた。これは成功し<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />、博多阪急にも展開された<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />ほか、全館開業後のうめだ本店でも展開している<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2012-6">{{Cite report|和書 |date=2012-06 |title= 株主通信 |publisher= エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>。

開業初年度の売上高が最多というケースがほとんどの郊外型[[ショッピングセンター]]の常識を覆して阪急西宮ガーデンズの売上高が初年度の約659億円から開業2年目に約676億円へ伸びた<ref name="sankei-np-2011-2-21">{{Cite news | title = 西宮ガーデンズ、売上高676億円 「2年目減少」の常識覆す | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-2-21 }}</ref>。核テナントの当店も、[[2010年]]3月期の売上高約191.9億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />から[[2011年]]3月期は売上高約217.63億円、[[2012年]]3月期で前期比6.6%増の売上高約231.97億円<ref name="kobe-np-2012-5-11" />とリーマンショック後の消費低迷の状況にもかかわらず[[2010年]]1月以降27ヶ月連続で前年を上回って売上を伸ばしている<ref name="h2o-retailing-annual-short-report-2012">{{Cite report |date=2012-5-10 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成24年3月期 決算短信〔日本基準〕(連結) |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref>。

[[2011年]]に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。

{{-}}

=== 川西阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 川西阪急
|画像 =Kawanishi hankyu.JPG
|画像説明 =
|正式名称 = 阪急阪神百貨店川西阪急
|施設所有者 =
|施設管理者 = 川西都市開発<ref name="kobe-np-2012-3-6">{{Cite news | author =霍見真一郎 | title = 川西の中心施設 核テナントのスーパー撤退へ | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-03-06 }}</ref>
|前身 =
|後身 =
|敷地面積=
|商業施設面積= 15528|商業施設面積脚注=<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
|延床面積=|延床面積脚注=約74,000 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]]<ref name="kobe-np-2012-3-6" />
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[1989年]]([[平成]]元年)[[4月4日]]<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
|閉店日 =
|営業時間 =
|最寄駅 = [[川西能勢口駅]]<br />[[川西池田駅]]<ref name="kobe-np-2012-3-6" />
|最寄IC = [[川西小花出入口]]
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|49|35.4|N|135|24|45.8|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店川西阪急}}
|所在地郵便番号 =
|所在地 =
|外部リンク = {{Official website|www.hankyu-dept.co.jp/kawanishi/index.html}}
}}
}}

{{Vertical_images_list
阪急[[川西能勢口駅]]とJR[[川西池田駅]]の間にある約130店舗が入るショッピングセンター[[アステ川西]]の核テナントとして<ref name="kobe-np-2012-3-6" />[[1989年]][[4月4日]]に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
|幅=200px

| 1=モザイクモール港北.jpg
[[1995年]]に開業当初の2倍に売上を伸ばし、[[紀伊國屋書店]]などと共に再開発ビル6棟が立ち並ぶ駅前の賑わいの中核の一つとなっている<ref name="kobe-np-2002-1-11">{{Cite news | title = にぎわい再生 街づくりへの挑戦 5.川西・駅周辺 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-1-11 }}</ref>。
| 2=都筑阪急

| 3=JR Hakata City 2011 Jan.jpg
[[2005年]]3月期で売上高約192.66億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]]3月期で売上高約198.72億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]]3月期で売上高約206.69億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]]3月期で売上高約210.88億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった[[2009年]]3月期は前年比でマイナスになったものの売上高約201.52億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />と年間売上高約200億円を数年間安定していた。
| 4=博多阪急

| 5=Taipei city hall bus station north side.jpg
[[2010年]]3月期はリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約186.36億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]]3月期で売上高約184.58億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />、[[2012年]]3月期で売上高約181.05億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と売上は落ち込んだものの、年間売上高約180億円以上を維持し続けている。
| 6=統一阪急台北店

| 7=Dream Mall in Kaohsiung.JPG
[[2011年]]に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。
| 8=統一阪急高雄店

2010年度後半になるとリーマンショック直後よりも売上がさらに落ち込んだため、画一的な売場構成を見直すことになった。当店は周辺に山野が広がり、自然と近い生活を好む人が多いとして「自然」を核とする「川西スタイル」の店づくりを行うことにした。[[2018年]]9月にはその皮切りとして、2階と3階の約半分を改装し、3階には衣料品に加えてオーガニックの化粧品や手作り雑貨を置く売場「スロウデイズ」を設けた<ref name="nikkei-np-2018-9-19">{{Cite news |url = 川西阪急をリニューアル、阪急阪神百貨店https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35534550Z10C18A9000000/| title = | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2018-9-19 }}</ref>。[[2019年]]3月には紳士服などを販売していた4階の半分を改装し、アウトドア用品や外遊び用の子供服を置くなど随時改装している。衣料品中心の画一的な店づくりからの脱却を図り、地元指向の店づくりを目指す。

2025年度から'''川西阪急スクエア'''に改称予定<ref>{{Cite web |url=https://data.swcms.net/file/h2o-retailing/ja/news/auto_20240515597987/pdfFile.pdf |title=H2Oリテイリング 中期経営計画2024-2026 |access-date=2024-05-16}}</ref>。百貨店としては縮小することとなる。

当店の近隣には阪急阪神百貨店の子会社である阪急商業開発が本社を置いて、ショッピングセンター'''モザイクボックス川西'''を運営していた<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />。2021年に阪急商業開発が撤退し、'''ラソラ川西'''が営業している。
{{See also|アステ川西}}
{{-}}

=== 宝塚阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 宝塚阪急
|画像 =Hankyu Takarazuka Station Takarazuka Japan01-r.jpg
|画像説明 =
|正式名称 = 阪急阪神百貨店宝塚阪急
|施設所有者 = 阪急電鉄・阪急バス・ソリオ宝塚都市開発<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|施設管理者 = 阪急阪神百貨店
|前身 =
|後身 =
|敷地面積=
|商業施設面積= (暫定開業時)5054<br/>↓<br/>7191|商業施設面積脚注=<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /><br/>↓<br/>6148<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2016"/>
|延床面積=
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[1993年]](平成5年)4月15日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
|閉店日 =
|営業時間 =
|最寄駅 = [[阪急電鉄]][[宝塚駅]]
|最寄IC =
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|48|34.3|N|135|20|31.2|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店宝塚阪急}}
|所在地郵便番号 =
|所在地 =
|外部リンク = {{Official website|www.hankyu-dept.co.jp/takarazuka/index.html}}
}}
}}
[[1985年]]2月の都市計画決定から、宝塚市では第3次総合計画の具体化を進めており、その一環として宝塚駅前の再開発を進めた。「ソリオ宝塚」と呼ばれる再開発区画のうち、第1街区にショッピングセンターの建設が行われることになり、その1・2階と隣接する阪急電鉄高架下店舗「G・コレクション阪急宝塚」の2階に阪急百貨店の進出が決定した。[[1992年]]6月3日、常務の星野嘉男を室長とする「宝塚阪急準備室」が設置された。ストアコンセプト「日々上質生活ギャラリー(家)」を掲げ、5キロ圏内の商圏人口の少なさ、店舗面積の小ささといった課題へ挑戦した。日常の衣服や生活雑貨を中心とした展開を行うことになった。
=== 関西 ===
* '''阪急うめだ本店'''([[梅田駅]]前)
** 通称「'''うめだ阪急'''」。地元や雑誌等では、「うめだ阪急」を略して「うめ阪(はん)」とも呼ばれている。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力においては関西随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。
** [[2008年]](平成20年)[[9月30日]]までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に[[2008年]](平成20年)[[10月1日]]に改称された。
* メンズ館
** [[HEP#HEP NAVIO|HEP NAVIO]]を改装して、[[2008年]](平成20年)[[2月1日]]にうめだ本店の別館としてオープン。[[紳士服]]の関連商品を約300ブランド集めており、売場面積約16,000m<sup>2</sup>は百貨店の男性専門館としては日本最大。なお[[2012年]](平成24年)11月下旬(予定)のうめだ本店・増床グランドオープン後も、メンズ館は継続して営業する方針としている。
* イングス館
** [[スポーツ]]用品を取り扱う別館。ingsという[[ネオンサイン]]が目印。[[1982年]](昭和57年)開業。かつての名称は「阪急イングス」であったが、現在は「阪急百貨店イングス館」である。
** [[2009年]](平成21年)9月3日からは、地下1階 - 地下2階に子供服売場が本館より移設され、それに伴いスポーツ用品売場は地上1階 - 3階までとなった。
** [[2012年]](平成24年)11月下旬(予定)の、うめだ本店の増床グランドオープンに合わせて、スポーツ用品・子供服売場が移設されることにより、イングス館を閉鎖する方針としている。
** かつての[[阪急ドラマシリーズ]]では、「阪急イングス」単体で[[CM]]が放送されていた。[[キャッチコピー]]は「何か始めたい人、どこか物足りない人、イングスならもっと夢中になれること、ずっと夢中になれること、(阪急)イングス」であった。
* 西宮阪急([[阪急神戸本線|阪急神戸線]]・[[阪急今津線|今津線]][[西宮北口駅]]前、[[阪急西宮ガーデンズ]]内) 売場面積 25,000m<sup>2</sup>
* 宝塚阪急([[阪急宝塚本線|阪急宝塚線]]・今津線[[宝塚駅]]前、ソリオ宝塚内)売場面積 7,191m<sup>2</sup>
* 川西阪急(阪急宝塚線[[川西能勢口駅]]前、アステ川西内)売場面積 15,528m<sup>2</sup>
* [[千里阪急]]([[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]]前、[[千里ニュータウン]]内) 売場面積 13,771m<sup>2</sup>
* [[堺 北花田阪急]]([[大阪市営地下鉄御堂筋線]][[北花田駅]]前、[[イオンモール堺北花田]]内) 売場面積 16,000m<sup>2</sup>
* 三田阪急([[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]前、キッピーモール内)


[[1993年]]1月20日、地域密着型運営のため、子会社の株式会社宝塚阪急を設立。[[1993年]]4月15日に、「宝塚阪急と79の専門店。ひと・夢踊る、生活舞台」をキャッチフレーズに、阪急電鉄[[宝塚駅]]の新ターミナルビル「ソリオ宝塚」が開業し、そのキーテナントとして宝塚阪急を開業した。
=== 関東 ===
* [[都筑阪急]] [[横浜市営地下鉄]][[センター北駅]]前、[[モザイクモール港北]] 売場面積 17,511m<sup>2</sup>
** [[2000年]](平成12年)3月17日に開業。関東地区の同社店舗では唯一、総合百貨店業態となっている。


ファッションとリビングの展開に続き、[[1994年]]3月18日には「G・コレクション」の2階にフーズフロアを設け、グランドオープンした。こちらも、ストアコンセプト「'''日々上質生活'''」に基づいて日常生活に即した展開を行ったほか、既存のファッションゾーンも親子の服を同じショップで販売するなどの手直しをかけている<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
* 阪急[[大井町駅|大井]]食品館
** [[2011年]](平成23年)3月16日 - 関東進出1号店舗の、大井阪急が「阪急大井町ガーデン」として2014年開業を目指して建て替えを行っているが、2期に分けて開発中の第一期開発部分(食品館)を同日開店。


[[2002年]]4月に阪急百貨店が株式会社宝塚阪急を吸収合併している<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。
* 阪急MEN'S TOKYO(旧:有楽町阪急)[[有楽町駅]]前、[[有楽町センタービル|有楽町マリオン]] 売場面積 11,206m<sup>2</sup>
** [[1984年]](昭和59年)10月の有楽町マリオン開業と同時に「'''有楽町阪急'''」として開店。主に20代、30代以上の女性をターゲットとし女性向けファッションを中心に扱っていた。また開店時には、「マリオン現象」とも呼ばれ話題となった。
** かつては[[西武百貨店#過去の西武百貨店の店舗と現在|有楽町西武]]と通路を挟んで地下食料品売り場が存在した。
** [[2011年]](平成23年)1月20日、同年秋に男性向け衣料品専門館「阪急MEN'S TOKYO」に全面改装されることが発表された。近年の銀座地区の商業競争激化に加え、2010年12月25日に隣接の[[西武百貨店#過去の西武百貨店の店舗と現在|西武有楽町店]]が閉店し、その跡地に[[JR東日本グループ]]の[[ファッションビル]]である[[ルミネ]]が、[[2011年]](平成23年)10月28日に開店することになり、競争激化が予想されたことで、同年7月中旬から一時休業の上、改装・業態転換が行われた<ref name="Yura">{{cite news |url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110121k0000e040044000c.html|title=阪急有楽町店:男性向け衣料品・雑貨専門店に全面改装へ|publisher=[[毎日新聞社]]|date=2011年1月21日}}</ref><ref name="Yura_Mens">[http://www.h2o-retailing.co.jp/news/pdf/2010/110121_renewal.pdf 有楽町阪急 全面リニューアル(「メンズ館」化)について]</ref>。
** [[2011年]](平成23年)10月15日に改装・業態転換が完成し、「阪急MEN'S TOKYO」が開業した。キャッチフレーズは「'''世界が舞台の、男たちへ。'''」、またイメージキャラクターには、歌舞伎俳優の[[市川海老蔵 (11代目)|市川海老蔵]]が起用された。


売場面積は小さいものの、[[2005年]]3月期で売上高約98.46億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]]3月期で売上高約101.48億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]]3月期で売上高約105.12億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]]3月期で売上高約107.68億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった[[2009年]]3月期は前年比でマイナスになったものの売上高約102.88億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />と年間売上高100億円を数年間安定して上回り続けた。
=== 九州 ===
* [[博多阪急]]([[博多駅]]前、[[JR博多シティ]])売場面積 42,000m<sup>2</sup>
** [[2011年]](平成23年)3月3日のJR博多シティ開業と同時に開店。九州初出店であり、核テナントである。


[[2010年]]3月期はリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約93.02億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]]3月期で売上高約91.67億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />、[[2012年]]3月期で売上高約89.06億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と売上は落ち込み続けているものの、売場面積辺りの売上では他店と比べて比較的高い金額を維持し続けていた。三田阪急の閉店時には当店を代替店舗として利用するよう案内があった。
=== 日本国外 ===
* 統一阪急百貨高雄店([[台湾]]・[[高雄市]]、[[高雄捷運]][[高雄捷運紅線|紅線]][[凱旋駅 (高雄市)|凱旋駅]]前)
** 2010年10月開業。敷地面積16,800m<sup>2</sup>、商業施設面積26,000m<sup>2</sup>、延床面積144,000m<sup>2</sup>。
* 統一阪急百貨台北店([[台湾]]・[[台北市]]、[[台北捷運]][[台北捷運南港線|南港線]][[市政府駅]]前)


[[2011年]]に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。
== 今後の予定 ==
{{予定|section=1|date=2011年10月28日 (金) 04:41 (UTC)}}
* [[2012年]](平成24年) - 11月下旬(開店日は未定)に、阪急うめだ本店が新ビル(新梅田阪急ビル)内で全面開店。同時にスポーツ用品・子供服売場を移設することにより、イングス館を閉鎖<ref>[http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A96E0E5E2E1E38DE0E5E3E2E0E2E3E39E9693E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5 阪急「イングス」閉鎖・集約 大阪の百貨店、効率化競う] 日経新聞 2011年10月28日</ref>。


しかし、西宮阪急や川西阪急から遠くない立地、宝塚市の人口減少から業績は伸び悩み、[[2014年]]前半に1階を閉鎖して駅コンコース直結の2階のみの営業となり<ref name="takarazuka-hankyu-floorgaide-20140225">[https://web.archive.org/web/20140225075849/http://www.hankyu-dept.co.jp/takarazuka/annai/floor.html 宝塚阪急:フロアガイド]</ref>、[[2022年]]6月30日にファッションゾーン全体、8月15日にくらしのゾーンを閉鎖した<ref name="takarazuka-hankyu-2022-08-20">[https://megalodon.jp/2022-1006-1454-31/https://www.hankyu-dept.co.jp:443/takarazuka/info/detail/__icsFiles/afieldfile/2022/08/20/082401_1.pdf 宝塚阪急 ファッションと暮らしのゾーン営業終了のおしらせ]</ref>。2022年の店舗縮小跡地には[[良品計画|無印良品]]や[[カルディコーヒーファーム]]などの専門店が入ることになったが<ref name="takarazuka-hankyu-2022-08-20"/>、百貨店部分は阪急大井食品館([[東京都]][[品川区]])や[[都筑阪急]]([[横浜市]][[都筑区]])、あまがさき阪神([[兵庫県]][[尼崎市]])と同じく、食料品のみを扱う小型店舗となった。{{-}}
== かつて存在した店舗 ==

* [[神戸阪急]]([[JR神戸線]][[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]前、[[神戸ハーバーランド]][[キャナルガーデン]]内) 売場面積 33,278m<sup>2</sup>
=== 博多阪急 ===
** 同じ神戸ハーバーランドに同じ[[阪急阪神東宝グループ]]である阪急商業開発が運営する[[神戸モザイク]]がある。
{{main|博多阪急}}
** [[赤字]]が続いているため、賃貸契約が切れるのを機に、[[2012年]](平成24年)[[3月11日]]に閉店。後継店舗として、2013年度に[[イオンモール]]がメインテナントとして出店する予定である。{{main|神戸阪急}}
{{See also|JR博多シティ}}
* [[四条河原町阪急]]([[阪急京都本線|阪急京都線]][[河原町駅 (京都府)|河原町駅]]前)売場面積 8,909m<sup>2</sup>

** [[1976年]](昭和51年)10月15日開店。[[2010年]](平成22年)8月22日午後7時50分をもって閉店した(但し食堂街の7・8階部分は除く)<ref>[http://mainichi.jp/select/biz/news/20100823k0000m040088000c.html 四条河原町阪急:34年の歴史に幕 従業員ら涙ぐみ-毎日jp](毎日新聞 2010年8月22日)</ref>。河原町の中心部に位置し河原町のランドマーク的な百貨店であったが、近年は周辺の競合店との競争が激化し売り上げが低迷していた。売り場面積が狭く、大胆なリフォームが出来なかったことや、自社ビルではなかったことなども撤退の一因である。なお後継店舗として、関西で3店舗目となる[[丸井]]([[京都マルイ]])が、[[2011年]](平成23年)4月27日に開店した。
[[2011年]]3月3日に[[博多駅]]の[[駅ビル]]である[[JR博多シティ]]([[福岡市]][[博多区]])の核テナントとして開業し<ref name="nishinippon-news-2011-3-3" />、[[九州]]へ初進出<ref name="nikkei-2006-4-29">{{Cite news | title = “関西の雄”阪急、博多へ 駅前立地、天神と2極狙う | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-4-29 }}</ref>した。駅ビルの改装とともに[[博多井筒屋]]が撤退したため、[[博多]]地区では唯一の百貨店である。

「暮らしの学校」をコンセプトとして<ref name="nikkei-mj-2010-11-12">{{Cite news | title = 博多阪急、来春に開業、「駅前」と「天神」激戦に、カードで顧客囲い込み | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-11-12 }}</ref>西宮阪急で成功した'''コトコトステージ'''という各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みを導入して2階を除く全フロアに大小20カ所設置してするなど物販以外のスペースが店舗面積の約15%を占めているほか、男性向けのコーディネート支援サービスも導入するなど提案型のサービス機能に注力している<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。

20代OLが低単価でも頻繁に買い物に来訪するをことを企図して[[ファッションビル]]並みの低単価のレディスファッションを扱う'''ハカタシスターズ'''を設け、高級婦人服を扱う特選売場を設置しないなど主力の婦人服売場の商品の多くを単価1万円未満に抑えるなど、従来の百貨店の品揃えと大きく異なる商品展開を行っている<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。大手百貨店が大都市の主要店舗で展開する富裕層や法人を対象とする外商を当初は設置しないなど、珍しい営業戦略を採っていた<ref name="nikkei-mj-2011-3-4" />。

当店の開業半年間での売上は約200億円で計画を約8%上回っただけに留まった<ref name="nishinippon-news-2011-9-5">{{Cite news | title = JR博多シティ 開業半年で来館3080万人 博多阪急 売上高200億円 | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2011-9-5 }}</ref>が、[[2012年]]3月期の売上高が約372.59億円と、初年度目標の370億円を少し上回り<ref name="yomiuri-np-2012-5-11">{{Cite news | title = 博多阪急年商372億円、初年度目標を達成 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2012-5-11 }}</ref>、エイチ・ツー・オーリテイリングの連結決算も前期比8.7%増の売上高約5055.88億円で3年ぶりの増収となるなど順調な滑り出しを見せている<ref name="kobe-np-2012-5-11" />。

[[2011年]]に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。

[[2017年]]秋には大規模改装を行って海外高級ブランドを揃えたため外商ニーズが高まることから、外商部員を3人から10人に増加させ、翌[[2018年]]3月には当初置かれていなかった[[外商]]部を正式に設置した。周辺店舗との差別化や富裕層への客層拡大で2020年度には年商500億円を目指す<ref name="mainichi-np-2017-11-23">{{Cite news | title = 外商強化へ 来年3月、部門新設で客層拡大 | newspaper = [[毎日新聞]]西部本社 朝刊 | publisher = 毎日新聞社 | date = 2017-11-23 }}</ref>。2023年度には売上高623億円に達し、開業から比較的新しいものの、福岡市内で[[天神 (福岡市)|天神]]地区の[[岩田屋]]本店に次ぐ2番手にまで成長した<ref>{{Cite web |title=成長続く「博多阪急」の特徴は低い外商依存度…「ターミナル百貨店」強み発揮、売上高は福岡市で2番手に |url=https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20241101-OYTNT50026/ |website=読売新聞オンライン |date=2024-11-01 |access-date=2024-11-02 |language=ja}}</ref>。売上高に占める外商の割合が低いとこが特徴である。

=== 阪急メンズ東京 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 阪急メンズ東京
|画像 =Yurakucho-hankyu sep2006.jpg
|画像説明 = 阪急メンズ・トーキョー(旧:有楽町阪急時代のもの)
|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急メンズ東京
|施設所有者 = 東宝<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|施設管理者 = 有楽町センタービル管理
|前身 = 有楽町阪急
|後身 =
|敷地面積=
|商業施設面積= 11445|商業施設面積脚注=<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
|延床面積= 18099|延床面積脚注= <ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[2011年]](平成23年)10月15日<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /><br />有楽町阪急:[[1984年]](昭和59年)10月6日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
|閉店日 = 有楽町阪急:[[2011年]](平成23年)7月18日<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
|営業時間 =
|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[東京メトロ有楽町線]][[有楽町駅]]<br />[[東京メトロ日比谷線]]・[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]・[[東京メトロ銀座線|銀座線]][[銀座駅]]
|最寄IC =
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|40|25|N|139|45|44.7|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店阪急メンズ・トーキョー}}
|所在地郵便番号 = 100-0006
|所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[有楽町]]二丁目5番1号
|外部リンク = {{Official website|www.hankyu-dept.co.jp/mens-tokyo/index.html}}
}}

[[1984年]]10月6日にグループ企業の[[東宝]]が[[朝日新聞社]]などと共に建設した[[有楽町センタービル|有楽町マリオン]]([[東京都]][[千代田区]][[有楽町]])内に'''有楽町阪急'''として有楽町[[西武百貨店|西武]]と共に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。[[有楽町駅]]と近接している。戦前から[[有楽町]]を始めとした[[日比谷]]エリアは[[阪急阪神東宝グループ]](旧[[阪急東宝グループ]])の東京における重要拠点であり、特に[[東宝]]の本社ビルなど東宝グループの各種施設が集積している。

同じ有楽町マリオン内の別棟に進出して情報発信型百貨店を標榜した有楽町[[西武百貨店|西武]]と共に'''マリオン現象'''と呼ばれるほどのブームを巻き起こし<ref name="mainichi-np-2010-2-4">{{Cite news | author = 國枝すみれ、中山裕司 | title = 特集ワイド:うつろう有楽町 ヤミ市、劇場しのぎ削り、西武撤退… | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-2-4 }}</ref>、有楽町から隣接する[[銀座]]の人の流れを変えたといわれた<ref name="tokyo-news-2010-1-27-2">{{Cite news | title = マリオン惜別 銀座の入り口寂しい 華やかさなくなる | newspaper = [[東京新聞]] | publisher = 中日新聞社 | date = 2010-1-27 }}</ref>。

当初は地下食料品売り場が存在したが[[2000年]]7月月末で食料品売場を閉鎖し、9月からファッション売場としてファッション専門百貨店となった<ref name="taihan-news-2000-8-28">{{Cite news | title = 有楽町阪急が食料品売場を七月末で閉鎖し九月にファッション売場で再開 東京都千代田区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2000-8-28 }}</ref>。

若い女性の根強い支持を集めて<ref name="mainichi-np-2010-1-27">{{Cite news | author = 大塚卓也 | title = <セブン&アイ>長引く冬の時代、出口なく 有楽町店閉鎖へ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-1-27 }}</ref>[[2005年]]3月期に売上高約140.99億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]]3月期に売上高約145.76億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]]3月期に売上高約145.78億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />と比較的安定した売上を保っていた。

しかし、同様に若い女性の根強い支持を集めている丸井<ref name="mainichi-np-2010-1-27" />が[[2007年]]10月12日に[[有楽町イトシア|有楽町マルイ]]を直ぐ近くに開業させて<ref name="depart-news-2007-9-26">{{Cite news | title = 有楽町マルイ 10月12日開業 | newspaper = [[週刊デパートニューズ]] | publisher = [[ストアーズ社]] | date = 2007-9-26 }}</ref>競争が激化したことに対応して化粧品売場などの改装を行ったが<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />、主力の婦人服が低迷して[[2008年]]3月期で前期比5.0%減の売上高約138.5億円と売上が減少に転じた<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />。

さらに、リーマンショック後の消費低迷を受けて[[2009年]]3月期に売上高約121.45億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />、[[2010年]]3月期に売上高約98.85億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]]3月期で売上高約84.62億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />と急速に売上が落ち込み、売り場面積が小さいため増床した[[三越]]銀座店などと婦人衣料で競争し続けるのは困難だとして有楽町西武の跡に、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]系列の[[ファッションビル]]である[[ルミネ]]が開業するのに合せて業態転換を図ることになった<ref name="nikkei-mj-2011-8-17">{{Cite news | title = 百貨店改装「定石」崩す、10年度、店舗別調査、テナント入れ替え、買い物しやすく。 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2011-8-17 }}</ref>。[[2011年]]7月18日に有楽町阪急としての営業を終了し<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />、同年10月15日に全面改装のうえ、メンズファッション専門館である「'''阪急メンズ・トーキョー'''」として開業して<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />黒字転換を図り<ref name="nikkei-mj-2010-11-11" />、改装後の売上は前年同期比で61.0%の増加として売上を回復させた<ref name="h2o-retailing-annual-short-report-2012" />。

新装開店時のキャッチフレーズは「'''世界が舞台の、男たちへ。'''」、イメージキャラクターに、歌舞伎俳優の[[市川海老蔵 (11代目)|市川海老蔵]]が起用された。

複数のブランドの商品を一緒に並べた自主編集の売場が主体となっていて、顧客が自由に手に取って商品を見比べることが出来ると同時に複数ブランドを合せた提案を店員が出来る点で近隣の銀座地区に多い有名ブランドの路面店との差別化を図っている<ref name="nikkei-mj-2012-1-18" />。

[[2011年]]に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。

同じ有楽町マリオン内にあった有楽町西武は[[2010年]]12月25日に<ref name="nikkei-2010-1-27">{{Cite news | title = セブン&アイ、そごう・西武4店閉鎖へ | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2010-1-27 }}</ref>閉店し<ref name="kusama-2011">{{Cite journal | author =草間一郎 | title = 人口・交通環境と商業(その1)- ニュースから見る2010年の商業活動の動向- | journal = 土地総合研究 2011年冬号 | publisher = [[土地総合研究所]] | issue = 2011}}</ref>、その跡地に[[東日本旅客鉄道#関連会社|JR東日本グループ]]の[[ファッションビル]]である[[ルミネ]]が[[2011年]]10月28日に開店している<ref name="pref-city-sc-list-2012-1">{{Cite report|和書 |date=2012-01 |title= 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC |publisher= [[日本ショッピングセンター協会]] }}</ref>。

[[2018年]]からは[[松屋 (百貨店)|松屋銀座]]([[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]])と外商顧客の相互送り込みを開始した。[[2022年]]秋からはハウスカードやポイントカードの所持客にも対象を拡大する<ref>https://www.fashionsnap.com/article/2022-10-05/matsuyaginza-hankyumens-preferential-treatment/</ref>。なお、松屋社長の[[秋田正紀]]は同じ阪急阪神東宝グループに属する阪急電鉄の出身である<ref group="注釈">ただし、阪急電鉄から阪急百貨店への一般社員の出向は存在しない(関西で出向があるのは京阪、近鉄のみで、社長が鉄道会社ないし持株会社出身なのは京阪百貨店のみ)。秋田が阪急電鉄に在籍していた阪急・阪神経営統合以前は共同事業も少なく、[[小林公平]]など役員交流のほかは、ペルソナカードの発行や不動産賃貸の関係などにとどまっていた。</ref><ref>https://www.agsc.co.jp/ags-media/210813_taidan/</ref>。

{{See also|有楽町センタービル}}
{{-}}

=== 都筑阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 都筑阪急
|画像 = Mosaic Mall Kohoku.jpg
|画像説明 = 都筑阪急を核店舗とするモザイクモール港北
|正式名称 = 阪急阪神百貨店都筑阪急
|施設所有者 = 第一共同開発<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|施設管理者 = [[阪急商業開発]]<ref name="yomiuri-np-2011-3-4">{{Cite news | title = 「モザイク銀座阪急」来年の8月に閉鎖へ...50年を超える歴史に幕 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>
|前身 =
|後身 =
|敷地面積=
|商業施設面積= 6736|商業施設面積脚注=<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2016">{{Cite report |date=2016-5-12 |title=エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 平成28年3月期 決算発表 補助資料 |publisher=エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref> |商業施設面積備考=
|延床面積= 91352|延床面積脚注= <ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[2000年]](平成12年)3月17日<ref name="taihan-news-2000-3-13" />
|閉店日 =
|営業時間 =
|最寄駅 = [[横浜市営地下鉄]][[センター北駅]]
|最寄IC =
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|33|17.7|N|139|34|41.2|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店都筑阪急}}
|所在地郵便番号 =
|所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[都筑区]]中川中央1-31-1
|外部リンク = {{Official website|http://www.hankyu-dept.co.jp/tsuzuki/index.html}}
}}

[[2000年]]3月17日に[[横浜市]]の[[港北ニュータウン]]に子会社が開業させたショッピングセンター'''[[モザイクモール港北]]'''の核店舗として<ref name="taihan-news-2000-3-13" />開業した<ref name="taihan-news-2000-4-13" />。

開業初日に約10万人の客を集めて順調な滑り出しを見せた<ref name="taihan-news-2000-4-13" />が、[[2005年]]3月期で売上高約81.32億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]]3月期で売上高約86.21億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />と業績の低迷が続いた。

そのため、周辺人口の増加や近隣商業施設の業態転換などの環境変化に対応して催事やポイントカード会員の拡大などを行って[[2007年]]3月期に前期比8%増の売上高約93.25億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />に伸ばしたものの、翌年度の[[2008年]]3月期で売上高約92.2億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />、[[2009年]]3月期に売上高約91.71億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-90-2009" />とその後は伸び悩んだ。

リーマンショック後の消費低迷を受けて[[2010年]]3月期に売上高約83.39億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-91-2010" />、[[2011年]]3月期で売上高約79.91億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-92-2011" />、[[2012年]]3月期で売上高約78.27億円<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />と一段と売上が落ち込み、赤字と見られているが低コスト運営などで黒字転換を目指している<ref name="nikkei-mj-2010-11-11" />。

[[2011年]]に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。

他店の業態転換により関東地区の店舗では最後の総合百貨店業態となっていた。しかし、徐々にフロアを縮小し、1階フロアも2020年1月19日をもって都筑阪急としての営業を終了した。その後も、地下1階の食料品フロアは営業を継続する。{{-}}

=== 阪急大井食品館 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 阪急大井食品館
|画像 =Hankyu Oimachi Garden Ours Inn Hankyu.jpg
|画像サイズ = 280px
|画像説明 = 大井食品館の入る阪急大井町ガーデン
|正式名称 = 阪急阪神百貨店阪急大井食品館
|施設所有者 =
|施設管理者 = 阪急阪神百貨店
|前身 = 阪急百貨店東京大井店(大井阪急)<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|後身 =
|敷地面積= 9856|敷地面積脚注 =<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6">{{Cite report|和書 |date=2007-06 |title= 株主通信 |publisher= 阪急百貨店 }}</ref>
|商業施設面積= 2121|商業施設面積脚注= <ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
|延床面積=|延床面積脚注=約55,000 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]]<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" />
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = 新店舗:[[2011年]](平成23年)3月16日<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" /><br />旧店舗:[[1953年]](昭和28年)11月23日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
|閉店日 = 旧店舗:[[2008年]](平成20年)3月31日<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />
|営業時間 =
|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[東急電鉄]][[大井町駅]]<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />
|最寄IC =
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|36|20.6|N|139|44|2.3|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店阪急大井食品館}}
|所在地郵便番号 =
|所在地 = 東京都品川区大井1丁目50番4<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" />
|外部リンク = {{Official website|http://www.hankyu-dept.co.jp/ooi/index.html}}
}}
[[1953年]]11月23日に東京大井店として開業した[[首都圏 (日本)|首都圏]]第1号店である<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。

[[1971年]]に店舗に隣接して一体的に増築された建物内にビジネスホテル<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2010-11" />'''阪急ホテル'''(後にホテル阪急→阪急イン→アワーズイン阪急という流れで名称変更)を開業した。

[[2000年]]4月に'''大井阪急'''をショッピングセンターに業態転換して'''阪急大井町デイリーショッパーズ'''とし、その中で'''大井町食品館'''として営業していた<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。

[[2005年]]3月期で売上高約59.79億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-86-2005" />、[[2006年]]3月期で売上高約59.8億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />、[[2007年]]3月期に売上高約60.48億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]]3月期で売上高約63.04億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />と安定して年間約60億円前後の売上を上げていた。

周辺環境の変化や建物の老朽化に対応するために全面的に建替える当店を含む再開発が行われることになったため<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2010-11">{{Cite report|和書 |date=2010-11 |title= 株主通信 |publisher= エイチ・ツー・オー リテイリング }}</ref><ref name="taihan-news-2007-4-16">{{Cite news | title = 阪急大井ビル・大井開発ビル建て替え 新阪急大井ビル(仮称)へ JR大井町駅前 東京都品川区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2007-4-16 }}</ref>、[[2008年]]3月31日に旧店舗を閉店した<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />。

'''阪急大井町ガーデン'''の第1期分<ref name="h2o-retailing-shareholders-news-2010-11" />が完成したため[[2011年]]3月16日に'''大井阪急食品館'''として新店舗を開業した。[[2012年]]3月期で売上高約47.45億円を上げ、2倍以上の売場面積を持つ阪神・にしのみやや、あまがさき阪神を上回った<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />。

当店と同様に建て替えに伴い閉鎖されていたビジネスホテルの'''アワーズイン阪急'''も第1期の完成に伴い、地上30階高さ約100mで1,100室(全てシングルルーム)へ高層化して拡大し(フロントは3階、6階 - 29階に客室)、再開業した(現:アワーズイン阪急・シングル館)<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" />。

このホテルは阪急阪神百貨店の100.0%出資子会社の大井開発が運営している<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />。

第2期として地上14階地下1階の建物の建設が進められ、2014年3月に開業した。全館完成後は約18,000m<sup>2</sup>が商業施設として使用されているほか、5階 - 14階はアワーズイン阪急のツイン館(客室数288室、フロントは3階)としても使用されている<ref name="hankyu-department-store-shareholders-news-2007-6" />。
[[ファイル:OoimachiGarden.JPG|thumb|220px|left|阪急大井町ガーデン・第1期完成時([[2012年]](平成24年)4月8日撮影)]]

{{-}}
== 過去に存在した店舗 ==
=== イングス館 ===
{{See|阪急百貨店うめだ本店#イングス館}}

=== 天満橋支店 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 天満橋阪急
|画像 =
|画像説明 =
|正式名称 = 阪急百貨店天満橋支店
|店番号=|所在地郵便番号 = 大阪府大阪市中央区天満橋
|所在地 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[1946年]](昭和21年)<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />
|前身 = 京阪デパート<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" /><br />阪急天満橋マーケット<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />
|施設所有者 = [[京阪電気鉄道]]
|施設管理者 = 株式会社阪急百貨店
|敷地面積=
|商業施設面積=
|延床面積=
|店舗数 =
|営業時間 =
|外部リンク =
|閉店日 = [[1961年]](昭和36年)<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />
|後身 = [[松坂屋#大阪店|松坂屋大阪店]]<br />↓<br />[[京阪シティモール]]
|最寄駅 = [[京阪電気鉄道]][[天満橋駅]]
|最寄IC =
|駐車場数 =
}}
第二次世界大戦中の戦時企業統合政策([[陸上交通事業調整法]])下で[[1943年]]に、[[阪神急行電鉄]]と[[京阪電気鉄道]]が合併し京阪神急行電鉄が発足した。旧・[[天満橋駅]]ビルでは[[京阪デパート]]が営業していたが<ref name="taniuchi-baishin-2012-6" />、戦災で建物が全焼し、[[1945年]]8月28日に解散した。京阪デパートの建物を京阪神急行電鉄が買収して、[[1946年]]に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットとして開業した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />大阪市内で2店目の店舗であった。

[[1947年]]に株式会社阪急百貨店を設立して阪急電鉄から独立した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />ことに伴い、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。

[[1949年]]に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から独立する際、本社事務所が不足した。このため、阪急百貨店から京阪電気鉄道にいったん建物を売却し、改めて1階と地下を京阪電気鉄道から借りることとなった。1年ごとの契約のため、エレベーター、エスカレーター、冷房などの大型装置は設置できなかった。しかし、淀川がすぐ北側を流れているため、[[造幣局]]で桜の通り抜けが行われる際は夜9時まで営業を行うなどの取り組みを行っていた<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />

京阪電気鉄道の[[淀屋橋駅]]までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まり、[[1961年]]に閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還してその歴史に終止符を打った<ref name="keihan-railways-70-1980-4" />。

跡地には「京阪ビルディング」が建設され、松坂屋大阪店が[[日本橋 (大阪市)|日本橋]]から移転して[[1966年]](昭和41年)10月1日に開業したが、川沿いで店舗拡張も難しく、休日の客が少ないオフィス街の立地では一度も黒字転換しなかった。数々の改装も行ったが、[[2004年]](平成16年)5月5日に閉店した。跡地は[[京阪シティモール]]となっている。

なお、松坂屋と同様の理由で当社も近隣への[[阪急百貨店#北浜阪急|再進出]]を断念しているため、当店の撤退以降、大阪市内では阪急百貨店が支店を展開したことはない。

{{See also|京阪デパート|松坂屋#大阪店}}
{{-}}

=== 天六食料品店 ===
[[阪急京都本線]]の始発駅だった天神橋駅ビル(天六阪急ビル、現・[[阪急千里線]][[天神橋筋六丁目駅]])の低層階に入居していた。天満橋支店と同様、京阪デパートを転換して開店したものである。面積が狭いことから、[[1955年]](昭和30年)[[7月1日]]に[[阪急共栄物産]]へ移管し、スーパーマーケットに業態転換した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。「阪急共栄ストア」「[[阪急ファミリーストア]]」などを経て、2010年に天六阪急ビルごと閉鎖・解体された。跡地に[[阪急阪神不動産]]が建築したマンション「ジオタワー天六」の核店舗として、[[阪急オアシス]]天六店が入居した。
{{See also|京阪デパート|阪急共栄物産|阪急オアシス}}
{{-}}

=== 三宮阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 三宮阪急
|画像 = File:Kobe Hankyu Building 1995.jpg
|画像説明 = 当店が入居していた神戸阪急ビルが崩落した姿
|正式名称 = 阪急百貨店三宮阪急<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|店番号=|所在地郵便番号 = 兵庫県神戸市中央区加納町四丁目2番1号[[神戸阪急ビル]]東館
|所在地 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[1936年]](昭和11年)4月11日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
|前身 = 阪急百貨店神戸支店
|施設所有者 = 阪急電鉄
|施設管理者 = 阪急百貨店
|敷地面積=
|商業施設面積=
|延床面積=
|店舗数 =
|営業時間 =
|外部リンク =
|閉店日 = [[1995年]](平成7年)1月<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />
|後身 = [[いかりスーパーマーケット|いかり阪急三宮店]]<br />↓<br />EKIZO神戸三宮<br />([[阪急オアシス]]など)
|最寄駅 = [[阪急電鉄]][[三宮駅]]
|最寄IC =
|駐車場数 =
}}

一般の小売店による百貨店規制運動に対応し、[[1933年]]4月20日に創立総会を開催して設立を認可申請した日本百貨店商業組合に、当店も設立時から参画<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-25"/>しており、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定した<ref name="chugai-comerce-np-1933-4-26"/>。この営業統制規程第三条を受け、三宮阪神ビルで神戸支店<ref group="注釈">2019年以降の神戸阪急の前身</ref>を営業していた[[そごう]]は阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断った<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18" />。

しかし、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスと主張し、神戸・[[三宮]]に建設していた駅ビルに食堂設置<ref name="osaka-asahi-np-1936-3-18" />などを強行し、[[1936年]]4月11日に阪神急行電鉄神戸駅に完成した[[神戸阪急ビル]]内に、子会社が運営する'''三宮食料品店'''を開業した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。実質的に初の支店にあたる。

地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。

'''阪急百貨店神戸支店'''が正式名称だったが、ビル名称に合わせて神戸阪急と呼ばれることがあった。1992年に神戸ハーバーランドに開設予定の店舗を神戸阪急とするため(「神戸阪急」が正式名称になったのはハーバーランドの新店舗が初めて)、前年の1991年に'''三宮阪急'''に改称して営業を続けていた。しかし、[[1995年]]1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]により神戸阪急ビル東館が被災し、三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していたものの、修復工事のため退去してそのまま閉店となった<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。

ビルが解体された後、跡地は[[1999年]]に地上22階地下1階の三宮阪急ビルを[[2004年]](平成16年)完成で建設する計画が発表されたが景気の低迷から断念し、暫定的なビルを建設して使用していた<ref name="kobe-np-2003-8-6">{{Cite news | author = 佐伯竜一 | title = 三宮駅ビル再建延期 阪急電鉄 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2003-8-6 }}</ref>。地階は、当社やエイチ・ツー・オー リテイリンググループの店舗ではなく、[[いかりスーパーマーケット|いかりスーパー]]阪急三宮店が入居していたが、[[2016年]]1月に閉店した<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/201606/0009193571.shtml 神戸新聞NEXT|経済|いかりスーパー、三宮に新店開設へ 神戸の旗艦店]</ref>。

同年4月25日、一度は断念された「神戸阪急ビル東館」の建て替え計画が発表された。<br>夏頃の着工・2021年の完成を目指すとのことである<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/201604/0009024261.shtml 神戸新聞NEXT|経済|神戸三宮駅ビルは29階建てに 阪急が計画発表]</ref>。2021年1月27日に発表されたとおり、2021年4月26日に新しい「'''神戸三宮阪急ビル'''」と商業施設「'''EKIZO神戸三宮'''」が開業した。核店舗として系列の[[阪急オアシス]]や阪急オアシスの別業態「キッチン&マーケット」が入居している<ref>[https://www.hankyu-hanshin.co.jp/release/docs/9111f8d3774fff4ab3550b9cebfc66bd7cf61067.pdf 神戸の中心地・三宮に相応しいランドマークとなることを目指して「神戸三宮阪急ビル」が4月26日に開業します] - 阪急電鉄・阪急阪神不動産 2021年1月27日(2021年1月28日閲覧)</ref>。

{{See also|神戸三宮阪急ビル}}なお、2019年10月1日付で[[そごう神戸店]](2017年10月1日付で[[そごう・西武]]からエイチ・ツー・オー リテイリングに譲渡済み)が阪急百貨店に転換され、「神戸阪急(2代目)」となることが発表されており、阪急百貨店としては24年ぶりに三宮へ再進出した。
{{-}}

=== 神戸阪急 (ハーバーランド) ===
{{main|umie#SOUTH MALL}}

[[1992年]]9月に街開きした[[神戸ハーバーランド]]内の店舗で、[[ダイエー]]や'''[[umie MOSAIC|神戸モザイク]]'''{{Refnest|group=注釈|阪急百貨店が三菱倉庫などと共に出資して設立したタクトが運営している<ref name="kobe-np-2012-2-11">{{Cite news | title = モザイク経営権三菱倉庫に譲渡 神戸ハーバーランド | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-2-11 }}</ref>}}と同時に1992年10月1日に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" /><ref name="kobe-np-2002-11-1">{{Cite news | title = News ANGLE2002 神戸ハーバーランド開業10年 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-11-1 }}</ref>。開業当初の運営会社は同年4月に設立された子会社の株式会社神戸阪急だったが、[[2001年]]12月に営業の全てを阪急百貨店が引継いで株式会社神戸阪急は会社清算している<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。

[[1995年]]1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被害が神戸最大の商業中心地である三宮よりも少なかったため<ref name="kobe-np-2012-3-8">{{Cite news | author =末永陽子 | title = 11日閉店、神戸阪急の後継店舗 子育て世代に照準 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-8 }}</ref>震災の約2カ月後に営業再開し<ref name="sankei-np-2012-3-12">{{Cite news | title = 神戸阪急、惜しまれ閉店 19年半の歴史終える | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2012-3-12 }}</ref>、その直後は集客力がアップして売上が伸び、[[1995年]]3月期と[[1996年]]3月期の2年間だけは黒字となり<ref name="kobe-np-2012-3-12"/>、[[1996年]]3月期に売上高約259億円を上げた<ref name="nikkei-mj-2010-11-11"/>。

客層の変化<ref name="kobe-np-2012-3-8" />などに対応するため[[2004年]](平成16年)にベビー用品の[[赤ちゃん本舗|アカチャンホンポ]]を誘致したり<ref name="kobe-np-2012-3-8" />、[[2005年]](平成17年)のダイエーの撤退<ref name="asahi-np-2011-5-12">{{Cite news | title = 神戸阪急、来年閉店 後継テナント、イオンなど交渉 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-5-12 }}</ref>を受けて[[2006年]](平成18年)2月1日にグループのスーパーマーケットの'''阪急オアシス'''を導入したり<ref name="taihan-news-2006-2-9">{{Cite news | title = 阪急オアシス神戸阪急店 二月一日(水)オープン 兵庫県神戸市 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2006-2-9 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)3月期に子供関連売場のエンターテインメント性強化<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />などてこ入れを行ったが<ref name="kobe-np-2012-3-8" />、[[2011年]](平成23年)3月期の売上高が約89億円と落ち込んだことから<ref name="asahi-np-2011-5-12" />、[[2012年]](平成24年)9月末の賃借契約が切れる前の同年3月11日に閉店した<ref name="kobe-np-2012-3-12" />。

当店の閉店に伴い、隣接して営業しているモザイクの運営会社タクトの株式40%全てを大家である三菱倉庫に譲渡して経営権も移行し、当地区から完全に撤退した<ref name="kobe-np-2012-2-11">{{Cite news | title = モザイク経営権三菱倉庫に譲渡 神戸ハーバーランド | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-2-11 }}</ref>。

店舗跡は隣接する[[Ha・Re]](ハレ)やモザイクと共に施設を所有する三菱倉庫などから[[イオンモール]]が受託して大型のショッピングセンターとして一体的に再開発し<ref name="kobe-np-2011-10-28">{{Cite news | author =末永陽子 | title = 神戸ハーバーランド、イオン主導で再開発 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2011-10-28 }}</ref>、[[2013年]](平成25年)4月18日に[[umie]]として開業した<ref name="kobe-np-2012-3-7">{{Cite news | author =井垣和子、末永陽子 | title = ハーバーランドの神戸阪急 後継店は13年4月開業 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2012-3-7 }}</ref>。
{{-}}

=== 四条河原町阪急 ===
{{main|四条河原町阪急}}
{{main|四条河原町阪急}}

* 大井阪急食品館(元:大井阪急)([[大井町駅]]前)
[[1976年]](昭和51年)10月15日に開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />[[阪急京都本線]][[京都河原町駅|河原町駅]]に直結するターミナル百貨店<ref name="yomiuri-np-2010-1-29">{{Cite news | author =井岡秀行 | title = 河原町阪急 好立地でも撤退…不況で客離れ深刻 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-1-29 }}</ref>。売場面積が広くなく、[[大丸]]・[[髙島屋]]といった近隣の老舗百貨店との差別化を図るため、デザイナーズブランドを中心とした若者向けのファッションに特化した店舗展開を行った<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" /><ref name="mainichi-np-2010-1-28">{{Cite news | author =植田憲尚 | title = 四条河原町阪急:今秋に閉店…京都 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-1-28 }}</ref>。
** [[2008年]](平成20年)[[3月31日]]をもって一旦閉店した。そして、2014年開業を目指して開発されている阪急大井町ガーデン内に、[[2011年]](平成23年)3月16日、食品館を再出店した。

* 数寄屋橋阪急([[銀座駅]]前)
ピーク時の[[1991年]]は売上高約171億円を上げていた<ref name="sankei-np-2010-8-21">{{Cite news | title = 終わらぬ既存店改革 阪急阪神百貨店「四条河原町阪急」あす閉店 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2010-8-21 }}</ref>。デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ<ref name="kobe-np-2010-3-3">{{Cite news | author = 西井由比子 | title = 瀬戸際の百貨店(1)相次ぐ閉店「選択と集中」都市部に | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2010-3-3 }}</ref>、業績が低迷した。
** [[1956年]](昭和31年)開店。 [[2004年]](平成16年)、業態変更により現在は[http://www.mosaic-ginza-hankyu.jp/index.html モザイク銀座阪急]と称する専門店ビル。建替えを計画していた所有者の[[東急不動産]]から立ち退きをめぐって提訴されていたが、和解が成立した事により[[2012年]](平成24年)8月を持って閉店する事となった<ref>[http://www.asahi.com/business/update/0304/OSK201103040201.html モザイク銀座阪急、12年8月で閉店 ビル建て替えで-asahi.com] (朝日新聞 2011年3月4日) </ref>。[[1963年]](昭和38年)封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』において「丸急デパート」として登場した。現在の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。

* 三宮阪急([[三宮駅]]、[[神戸阪急ビル]]東館)
業績の改善を目指して[[2000年]]以降に2度の大規模な改装を行ったり<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />、[[2007年]](平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際、共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図った<ref name="kyoto-np-2007-12-26">{{Cite news | title = 京滋経済この1年 緩やかな景気拡大の中で(4)出店 | newspaper = [[京都新聞]] | publisher = 京都新聞社 | date = 2007-12-26 }}</ref>が、京都駅周辺との競争の激化や<ref name="sankei-np-2011-4-27">{{Cite news | title = 「京都マルイ」オープン 四条河原町 再生担う | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-4-27 }}</ref>[[ファストファッション]]などの低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」<ref name="yomiuri-np-2010-5-12" />などの影響により<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />売上高の減少に歯止めがかからず赤字が続き<ref name="sankei-np-2010-8-21" />、小規模な店舗で鉄道の乗降客数に大きく影響するほどの集客力を持たないことから<ref name="yomiuri-np-2010-1-29" />、[[2010年]]11月末のビルを所有する[[住友不動産]]との賃貸契約が切れる前<ref name="yomiuri-np-2010-5-12">{{Cite news | title = 四条河原町阪急、閉店日を前倒し | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2010-5-12 }}</ref>の同年8月22日に閉店した<ref name="mainichi-np-2010-8-23" />。
** [[1992年]](平成4年)までは「神戸阪急」と称していたが、ハーバーランドに神戸阪急を新規出店する際に三宮阪急に改称。地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。阪神・淡路大震災で神戸阪急ビル東館被災(建物の大部分は解体されたが三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していた)修復工事のため退去、そのまま閉店となった。地階の店舗跡は現在、[[いかりスーパーマーケット|いかりスーパー]]阪急三宮店が営業している。

* 天満橋阪急(元:[[京阪デパート]]跡)
当店閉店後の跡地には、[[2011年]]4月27日に[[京都マルイ]]が開業した<ref name="asahi-np-2011-4-28">{{Cite news | author = 遠藤和希、松川希実、堀田浩一 | title = 京都マルイ開業、新たな「顔」期待 四条河原町 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-4-28 }}</ref>が、これも[[2020年]][[5月12日]]に閉店し、その後所有者の住友不動産によって「京都河原町ガーデン」として2021年5月12日に開業している。
** 天満橋支店は第二次世界大戦中の戦時企業統合政策([[陸上交通事業調整法]])下で[[阪神急行電鉄]]と[[京阪電気鉄道]]が合併し京阪神急行電鉄が発足したため([[1943年]](昭和18年))旧・[[天満橋駅]]ビルの建物自体が旧・京阪電気鉄道から京阪神急行電鉄へと所有権が移り、[[1946年]](昭和21年)に「天満橋マーケット」として営業を開始。阪急百貨店が京阪神急行電鉄から分離独立した[[1947年]](昭和22年)には「阪急百貨店天満橋支店」として開業。[[1949年]](昭和24年)に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から分離独立した後もそのまま営業していた。その後[[1961年]](昭和36年)に京阪電気鉄道が天満橋から[[淀屋橋駅|淀屋橋]]への地下新設路線を延伸する際に旧・天満橋駅ビルの下を通ることとなり建物自体を取り壊すために営業を終了、店舗を閉鎖した。
{{-}}

=== 数寄屋橋阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 数寄屋橋阪急
|画像 = File:Ginza Toshiba Building 20091016.jpg
|画像説明 = モザイク銀座阪急時代の銀座TSビルディング
|正式名称 = 阪急百貨店数寄屋橋阪急
|店番号=|所在地郵便番号 = 東京都中央区銀座5丁目2-1<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />
|所在地 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[1956年]](昭和31年)5月29日<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
|前身 =
|施設所有者 = [[東急不動産]]
|施設管理者 = 阪急阪神百貨店
|敷地面積=
|商業施設面積= 7000
|延床面積=
|店舗数 =
|営業時間 =
|外部リンク =
|閉店日 = [[2004年]](平成16年)8月31日<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />
|後身 = モザイク銀座阪急<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />
|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道|JR]]・[[東京メトロ有楽町線]][[有楽町駅]]<br />[[東京メトロ日比谷線]]・[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]・[[東京メトロ銀座線|銀座線]][[銀座駅]]
|最寄IC =
|駐車場数 =
}}

東京都心初の店舗として、[[1956年]]5月29日にマツダビルディングに'''数寄屋橋阪急'''を開業した<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
(マツダビルディングはその後銀座東芝ビルへ名称変更し、東急不動産が買収したことに伴い[[銀座TSビル]]に名称変更している<ref name="yomiuri-np-2011-3-4" />。)

大井店が成功したことから、当社は都内各地から誘致を受けた。東芝社長の[[石坂泰三]]は当社社長の清水雅に対し、「マツダビルディングへ[[そごう]]が進出検討しているが、阪急百貨店に全館貸し出したい」と申し出た。東芝側の内部事情もあったので時間はかかったものの、小林一三もこの話に乗り気だったため、地下1階から地上3階までの店舗として開業した。ただし、5月29日には1階の阪急ファミリア・子供ショップ(825m2)のみの開業で、やや遅れて6月12日に地階食料品売場を開設した。食料品売場では「数寄屋橋に関西の味」として[[神戸牛]]などの扱いをアピールした。こうしたこともあり、1485m2と小規模だったが、1961年の増床までも店員の努力や銀座の立地から年間売上高は高い伸び率を誇った<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P123-->。

東芝本社の移転を受け、当初の予定通り拡張しようとしたが、引き続き東芝グループ会社の本社が置かれていたため、1961年6月13日から2・3階のみを加えた営業を開始した。その後、1966年2月1日から11月24日までの休業期間(第2マツダビルに仮店舗を設置)を経て、1966年11月15日、「'''モードのお城'''」をテーマに新装開店した。大学・短大卒の女性を初めて採用し、ファッションセンスを生かして私服で営業するという当時としては斬新なスタイルを取った。地階食料品売場と1階の紳士服飾雑貨を除き、OLをメインターゲットに絞った専門的百貨店としてのリニューアルであった<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P124-125-->。

その後、有楽町阪急の開業を受けて同店との棲み分けを試行錯誤した。1986年には地階食料品売場を有楽町阪急に1本化して廃止し、1992年にはOLキャリアのスペシャリティストアをコンセプトにリモデルしたが目立った効果はなかった。そこで、「都市生活者のための"MY OFF SCENE CLIP"」をストアコンセプトに、オフタイムに焦点を絞ったリニューアルに着手する。当店のニックネームは化学記号の水素にちなみ、みずみずしいオフタイムとの意味を込め、'''H2'''(エイチツー)と定められた。1995年9月1日、地階・1階がリニューアルの先陣を切り、日本初上陸の[[ギャップ (企業)|GAP]]が入居して注目を浴びた<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P348-349-->。1996年3月30日に2階へエディバウアーなどがオープンし、同年6月16日には'''大人のOFF'''をコンセプトにCDショップ[[HMV]]などが入居してリニューアルが完成。若年層や男性客の取り込み、有楽町阪急との差別化による回遊性向上などの効果があった<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P350-351-->。

'''H2数寄屋橋阪急'''は全フロア合わせて社員数50人以下と専門店ビルに近い形態をとっていた<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P351-->。しかし、[[2004年]]8月31日に'''数寄屋橋阪急'''としての営業を終了した。子会社の'''阪急ショッピングセンター開発'''に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビル'''モザイク銀座阪急'''として開業し<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />、服飾店や雑貨店などのテナント<ref name="fukui-np-2011-3-4">{{Cite news | title = モザイク銀座阪急、閉鎖へ 東急不動産がビル建て替え | newspaper = [[福井新聞]] | publisher = 福井新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>48店が入居して[[2010年]]3月期に売上高約50億円を上げている<ref name="sankei-np-2011-3-4">{{Cite news | title = 数寄屋橋の「モザイク銀座阪急」閉店 | newspaper = [[産経新聞]] | publisher = 産経新聞社 | date = 2011-3-4 }}</ref>。

[[2007年]]にビルを取得した東急不動産が老朽化に伴う建て替えを理由に立ち退きを提案し<ref name="sankei-np-2011-3-4" />、「建て替えが必要なほど老朽化はしておらず、正当な立ち退き理由にならない」と主張して反論していたところ<ref name="sankei-np-2011-3-4" />、[[2009年]]4月に東急不動産が東京地方裁判所に立ち退きを求める訴訟を起こした<ref name="yomiuri-np-2011-3-4" />。

[[2011年]]3月4日に東急不動産が立退補償金として60億円を支払って[[2012年]]8月末で賃貸借契約を解除することなどで和解が成立した<ref name="sankei-np-2011-3-4" />ため、[[2012年]]8月31日までに営業を終了することを発表した<ref name="fukui-np-2011-3-4" />。跡地には[[2016年]]に商業施設の[[東急プラザ銀座]]が開業した。

[[1963年]]封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』で「丸急デパート」として登場した。後年の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。
{{-}}

=== 堺 北花田阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 堺 北花田阪急
|画像 =AEON MALL Sakai-Kitahanada.jpg
|画像説明 =
|正式名称 = 阪急阪神百貨店堺北花田阪急
|店番号=|所在地郵便番号 = 591-8008
|所在地 = 大阪府[[堺市]][[北区 (堺市)|北区]]東浅香山町4丁目1番12号<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />
|位置={{ウィキ座標度分秒|34|35|4.9|N|135|30|54.1|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店堺北花田阪急}}
|商圏人口 =
|開業日 = [[2004年]](平成16年)10月28日<ref name="nissyoku-2004-11-5" />
|前身 =
|施設所有者 =
|施設管理者 = [[イオンモール]]
|敷地面積=
|商業施設面積= 16000|商業施設面積脚注 =<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
|延床面積=
|店舗数 =
|営業時間 =
|外部リンク = {{Official website}}
|閉店日 = [[2017年]](平成29年)7月31日
|後身 =
|最寄駅 = [[大阪市営地下鉄御堂筋線]][[北花田駅]]<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />
|最寄IC =
|駐車場数 =
}}

{{main|堺 北花田阪急}}
大阪府[[堺市]](後に堺市[[北区 (堺市)|北区]]<ref group=注釈>2006年に堺市が政令指定都市に移行</ref>)に開設されたダイヤモンドシティ・プラウ<ref group=注釈>現在の[[イオンモール堺北花田]]</ref>の2核1モールの核店舗の一つとして[[2004年]](平成16年)10月28日に開業した<ref name="nissyoku-2004-11-5" />。

売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱却を目指して<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />車社会の進展に伴う郊外型ショッピングセンターへの進出を目指す<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />郊外型百貨店のプロトタイプとして出店した戦略店舗であった<ref name="weekly-diamond-2004-9-25" />。

「地域に融合したコミュニティー百貨店」をコンセプトに生鮮食料品や百貨店ならではの総菜や菓子類などを取り揃えた食品売場に注力して売上の約50%を食料品売場で上げることを目指すと共に、2階の大型こども広場'''もくもく広場'''を開設したり、地元の幼稚園児から募集したタイルを飾ったり、地元の主婦から募集したレシピを元にした総菜を並べるなど地域に密着した日常性の高い売場となっている<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />。

売上高100億円で営業利益3億円<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />を目標に営業を開始したが、[[2006年]](平成18年)3月期で売上高約87.64億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />と開業当初は低迷した。

そのため、ポイントカード顧客を中心に来店促進施策を強化して顧客の固定化を進めると共に、[[2005年]](平成17年)秋に化粧品の品揃えを拡充、[[2007年]](平成19年)春に婦人ファッションを強化するなど見直しを進め、[[2007年]](平成19年)3月期で売上高約95.71億円<ref name="hankyu-department-store-annual-report-88-2007" />、[[2008年]](平成20年)3月期で売上高約104.3億円<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />にまで増加させて軌道に乗せたが、「周辺の競合環境が大きく変化し、営業を継続していくことは困難」として、2017年(平成29年)7月31日をもって閉店した。

なお、閉店当時、Sポイント付与可能ポイントカードへの切り替えが他の阪急百貨店等で行われていたものの、当店では行われなかった。
{{-}}

=== 統一阪急百貨 ===
{{main|統一時代百貨}}
[[ファイル:Taipei city hall bus station north side.jpg|thumb|220px|right|統一阪急百貨台北店]]
[[ファイル:Dream Mall in Kaohsiung.JPG|thumb|220px|right|統一阪急百貨高雄店]]

[[2006年]](平成18年、[[民国紀元|民国]]95年)3月に'''統一企業グループ'''と百貨店の運営に関して業務提携したのが始まりである<ref name="asahi-np-2010-7-21">{{Cite news | title = 阪急阪神百貨店「台北店」、10月オープン 台湾2店目 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2010-7-21 }}</ref>。

[[2007年]](平成19年、民国96年)5月12日に[[台湾]]の[[高雄市]]に完成した当時台湾最大のショッピングセンターだった[[統一夢時代|夢時代購物中心]]の核店舗として'''統一阪急百貨高雄店'''を開店して営業を開始した<ref name="depart-news-2007-6-20">{{Cite news | title = 統一阪急百貨 5月12日グランドオープン | newspaper = [[週刊デパートニューズ]] | publisher = [[ストアーズ社]] | date = 2007-06-20 }}</ref>。

[[2010年]](平成22年、民国99年)10月7日に[[台北市]]の超高層[[バスターミナル]]ビル「[[市府転運站]]」に2号店の'''統一阪急百貨台北店'''を開店している<ref name="nishinippon-news-2010-10-8">{{Cite news | author =佐伯浩之 | title = 台北阪急オープン 台湾初のユニクロも | newspaper = [[西日本新聞]] | publisher = 西日本新聞社 | date = 2010-10-8 }}</ref>。

[[2006年]](平成18年、民国95年)3月の提携開始当時から現在まで阪急阪神百貨店(当初は阪急百貨店)側は出資を全くしていない純粋な業務提携となっているため阪急阪神百貨店の出資比率は0%である<ref name="asahi-np-2010-7-21" /><ref name="nikkei-2012-6-22">{{Cite news | title = 百貨店などで海外進出を検討 H2Oリテイリング | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2012-06-22 }}</ref>。

2016年2月17日、阪急阪神百貨店との業務提携を解除し、名称を「[[統一時代百貨]]」に変更すると発表した。3月3日、新名称での営業を開始。
{{-}}

=== 三田阪急 ===
{{商業施設
|書式 = 阪急百貨店
|名称 = 三田阪急
|画像 = [[ファイル:Kippy Mall ac (2).jpg|280px]]
|画像説明 =
|正式名称 = 阪急阪神百貨店三田阪急
|施設所有者 = 三田地域振興株式会社ほか<ref name="kobe-np-2005-10-26">{{Cite news | author =斉藤絵美 | title = JR三田駅前の商業ビル オープンから1カ月 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2005-10-26 }}</ref>
|施設管理者 = 三田地域振興株式会社<ref name="kobe-np-2005-10-26" />
|前身 =
|後身 =
|敷地面積=
|商業施設面積= 2143|商業施設面積脚注=<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
|延床面積= 21740|延床面積脚注=<ref name="kobe-np-2005-10-26" />
|店舗数 =
|駐車場数 =
|商圏人口 =
|開業日 = [[2005年]](平成17年)9月15日<ref name="nikkei-2005-9-15">{{Cite news | title = JR三田駅前に、大型商業施設 | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-9-15 }}</ref>
|閉店日 = [[2021年]](令和3年)8月1日
|営業時間 =
|最寄駅 = [[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]
|最寄IC =
|位置 = {{ウィキ座標度分秒|34|53|16.8|N|135|13|44.1|E|region:JP|name=阪急阪神百貨店三田阪急}}
|所在地郵便番号 =
|所在地 =
|外部リンク = {{Official website|www.hankyu-dept.co.jp/sanda/index.html}}
}}

1987年(昭和62年)から1996年(平成8年)まで、兵庫県[[三田市]]は10年連続で人口増加率が日本一を記録した<ref name="kobe-np-2002-1-12">{{Cite news | title = にぎわい再生 街づくりへの挑戦 6.三田・本町 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2002-1-12 }}</ref>。1982年(昭和57年)にはJR福知山線と神戸電鉄の[[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]前において再開発ビル建設の計画が浮上し、百貨店[[大丸]]の出店が決まっていたが、大丸が1993年(平成5年)に出店を断念したことで阪急が出店することになった<ref name="kobe-np-2005-10-26">{{Cite news | author =斉藤絵美 | title = JR三田駅前の商業ビル オープンから1カ月 | newspaper = [[神戸新聞]] | publisher = 神戸新聞社 | date = 2005-10-26 }}</ref>。

しかし、商圏人口が予想より伸び悩んだことなどを理由に、1994年(平成6年)には地下1階から地上5階までの全フロアでの出店を取り止めて2フロアのみへ縮小する方針を打ち出し、保留床も買取から賃貸へ変更となった<ref name="kobe-np-2005-10-26" />。2005年(平成17年)9月13日の[[キッピーモール]](三田駅前一番館)の竣工式が行われ<ref name="kobe-np-2005-10-26" />、9月15日にキッピーモールの核店舗として三田阪急が開業した<ref name="nikkei-2005-9-15" />。

2フロアの内1階の食品売場部分もグループの食品スーパー'''阪急オアシス'''が運営し、2階のファッション売場のみを直営としてうめだ本店の菓子の取り寄せサービスなどで規模の小ささを補う営業形態となっており、郊外立地の実験店としての性格を持たせている<ref name="nikkei-2005-8-17"/>。当店の入居するビルは3階と4階は専門店街で5階がレストラン街、6階に市が運営する「まちづくり協働センター」などが入居する複合施設となっている<ref name="nikkei-2005-9-15" />。

2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した<ref name="nikkei-mj-2011-4-11" />。2020年3月期の売上高は13億6400万円<ref name="kobe-np202012">{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/202012/0013947722.shtml |title=三田阪急 来秋までをめどに閉店へ コロナ感染拡大で客減 |publisher=神戸新聞 |accessdate=2020-12-21}}</ref>。

2020年(令和2年)12月18日、エイチ・ツー・オーリテイリングは三田阪急を2021年夏から秋をめどに閉店することを発表した<ref name="kobe-np202012" />。系列の阪急オアシスは1階で営業を続けているが、2階の三田阪急は2021年(令和3年)8月1日をもって閉店した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kobe-np.co.jp/news/sanda/202108/0014555344.shtml |title=三田阪急、16年の歴史に幕 「小さくて身近な店」惜しむ声 |publisher=神戸新聞 |accessdate=2021-8-2}}</ref>。
{{-}}

=== 小型店舗 ===
現在は阪急オアシスや[[イズミヤ]]などエイチ・ツー・オー リテイリング傘下の各スーパーで百貨店ギフトの取り扱いを行うのみだが、かつては贈答品の発注を行う'''ギフトラボ''''''や、イングス'''の小型店を阪急沿線に展開していた<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P408-->。
;大宮営業課
:京都市[[中京区]]四条通大宮東入錦大宮町127 [[大宮駅 (京都府)|阪急大宮駅]]ビル内
:旧・京都営業所。1945年12月22日、「阪急大宮食堂」を開設し、のちに京都ホワイトストアと改称。本店や神戸支店のホワイトストア同様、安価で美味な食堂として利用された。1階正面とホームには、各駅の売店と異なり、阪急百貨店直営の売店が設置されていた。1968年、駅ビル完成により、従来の「京都ホワイトストア」に代わり、喫茶「ホワイト」、「グリル風車」、宝梅ずし、鶴喜そば、東春閣。お好み焼き「北野」からなる「京都食堂街」をビルの1階に開設した<ref name="hankyu-department-store-history-25-1976-9" />。四条河原町阪急の開業後は、四条河原町阪急に売上を合算した。

;関西国際空港売店
:大阪府[[泉南郡]][[田尻町]]泉州空港中1番 [[関西国際空港]]第1ターミナル
:関西空港第1ターミナル3階、西日本グルメゾーン<ref group="注釈">東日本グルメゾーンを[[大丸]]、関西グルメゾーンを[[京阪百貨店]]が担当する形で3社共同出店していた。</ref>

;ギフトラボ茨木
:大阪府[[茨木市]]永代町1-5 [[茨木市駅]]ビル「ロサヴィア」
:阪急東宝グループとして共同設置した「ペルソナ茨木」内の1コーナー。ペルソナは「ペルソナカード」発行に始まる同グループ共同事業の一環として、有楽町阪急を皮切りに各地にカウンターを設置していた。東宝の映画券や宝塚歌劇の観劇券なども取り扱った。

;ギフトラボ日生中央
:兵庫県川辺郡[[猪名川町]][[松尾台]]1-2-1 [[日生中央サピエ]]内
:[[日生中央]]駅にグループのスーパーマーケット、[[阪急オアシス]]が中心となるショッピングセンターを開設し、その一角に設置された。現在も阪急オアシスが核店舗かつ施設管理者として日生中央サピエに残っている。

;ギフトラボ伊丹
:兵庫県[[伊丹市]]行基町3-16-6

;ギフトラボ塚口
:兵庫県[[尼崎市]]南塚口町2-12-22 イングス塚口
:イングス塚口(後述)に併設されていた。

;ギフトラボ豊中
:大阪府[[豊中市]]曽根東町1-9-25 ファミール曽根104
:[[曽根駅 (大阪府)|阪急曽根駅]]前に[[丸紅]]が分譲したマンションの1階にあった「阪急百貨店一茶一遊」に併設されていた。
====イングス====
{| class="wikitable"
|+イングス 小型店舗一覧(1998年4月現在)
!店名
!所在地
!最寄駅
!備考
|-
!イングス塚口
||兵庫県[[尼崎市]]南塚口町2-12-22
||[[塚口駅 (阪急)|阪急塚口駅]]
||
|-
!イングス高槻
||大阪府高槻市城北町2-1-18
||[[高槻市駅]]<ref group="注釈">高槻阪急スクエア(当時・西武高槻店)と異なり、文字通り阪急高槻市駅に立地していた。</ref>
||ミング阪急高槻<ref group="注釈">現在のエミル高槻</ref>内
|-
!イングス日生中央店
||兵庫県川辺郡猪名川町松尾台1-2-1
||[[日生中央駅]]
||日生中央サピエ内、ギフトラボ日生中央を併設。阪急オアシスは2022年も営業中
|-
!イングスフィットネスステーション
||大阪府[[豊中市]]新千里東町1-5-1
||[[千里中央駅]]
||跡地は[[千里阪急]]銘菓売場
|-
!イングス川西店
||兵庫県[[川西市]]栄町11-1
||[[川西能勢口駅]]
||モザイクボックス<ref group="注釈">[[2021年]]に[[阪急商業開発]]が撤退、[[プライムプレイス]]運営。2022年にラソラ川西に転換。</ref>内
|}

== 実現しなかった店舗 ==
=== 北浜阪急 ===
開発業者からの招致を受けて<ref name="asahi-np-2007-6-15">{{Cite news | title = 阪急百貨店 三越大阪店跡地の再開発ビルに出店断念 大阪 集客・採算面で判断 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2007-06-15 }}</ref>[[2006年]](平成18年)から長谷工コーポレーションなどが進めていた<ref name="nikkei-2006-7-19" />大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に<ref name="nikkei-2006-7-20" />三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進め<ref name="nikkei-2006-7-19" />、ライバルの百貨店が撤退した跡地への進出として注目を集めたが<ref name="asahi-np-2007-6-15" />、オフィスビルが多い立地で日常の買い物を行う住民が少ない立地のため出店効果が薄い上<ref name="asahi-np-2007-6-15" />、条件面でも開発業者側と折り合わないとして[[2007年]](平成19年)6月14日に出店を断念したこと明らかにした<ref name="asahi-np-2007-6-15" />。

当店が出店断念したため、京都府本社のスーパーマーケット[[フレスコ (スーパー)|フレスコ]]北浜プラザ店を中核店舗とする「The Kitahama (ザ・キタハマ)」はこの再開発ビル下層の商業施設として開業した<ref name="taihan-news-2009-6-29">{{Cite news | title = フレスコ北浜プラザ店 三越大阪店跡地「The Kitahama(ザ・キタハマ)」内 大阪市中央区 | newspaper = タイハン特報 | publisher = 大量販売新聞社 | date = 2009-06-29 }}</ref>。

=== なかもず阪急 ===
大阪府堺市の[[中百舌鳥駅|中百舌鳥]]駅前再開発事業の商業施設として、進出する計画が発表され<ref>1987年2月3日 日本経済新聞 大阪夕刊 P18</ref>、 [[そごう]]や[[西武百貨店]]などとともに入札したが、西武が落札した。しかし、景気悪化などを受けて最終的に西武も断念<ref>1992年9月11日 日本経済新聞 地域経済面 近畿C P27</ref>。[[堺市#中百舌鳥副都心計画|堺市の「中百舌鳥副都心計画」]]も参照。

=== 奈良阪急 ===
[[ダイヤモンドシティ]](現:[[イオンモール]])により積極的に郊外型ショッピングセンターの建設を計画していた[[ジャスコ]](現:イオン)は、郊外立地の将来性を確信し、日本で初めてとなる2つの核店舗を持つ郊外型ショッピングセンターの計画を立てた<ref name="jusco30">ジャスコ編「ジャスコ三十年史」ジャスコ、2000年。</ref>。当時郊外立地の出店を考える百貨店は少なく消極的だったこともあり難航した中で当社が関心を示した。
これに対し、[[近畿日本鉄道]]は沿線への他社資本の進出を嫌い、ダイヤモンドシティと共同出資の新会社「ダイヤモンドファミリー」を[[1970年]]12月に設立。1972年3月14日、「[[ならファミリー]]」及び同ショッピングセンター内に県内初の百貨店として[[近鉄百貨店]]奈良店が開業した。

{{Main|近鉄百貨店奈良店}}

=== 三ノ宮阪急 ===
[[日本国有鉄道|国鉄]](当時)が[[三ノ宮駅]]前に建設する三宮ターミナルビルに3,000m<sup>2</sup>のキーテナントとして入居する計画があったものの<ref>1978年9月21日 [[神戸新聞]]</ref>、当初の計画よりもさらに売場面積が縮小されることになったことによって断念した<ref>1979年5月24日 日経流通新聞 P4</ref>。代わりにそごう、大丸、[[髙島屋]]、阪神百貨店などが出店を争ったが、[[ダイエー#グループ会社|ダイエーグループ]]が運営する[[プランタン (ダイエーの店舗ブランド)#プランタン三宮→プランタン神戸|プランタン三宮]]が開業した。

== 独自の売場 ==
昭和初期にアイスクリームの製造、販売を手掛けたことに見られるように、創業以来、自社独自商品の展開・販売に注力している。
=== 自主編集売場 ===
==== ファッション ====
; D.EDIT
; D-LAB
; ポップアップサーカス
うめだ本店4階。国内外のデザイナーズブランドを中心に独自のセレクトを行う「D.EDIT(ディー・エディット)」と、新しいデザイナーやストリートの完成を持つ国内外ブランドを掘り起こす「D-LAB(ディー・ラボ)」から構成されている。2023年秋には、それらのコーナーを縮小し、モードファッションの期間限定ショップを出展するコーナー「ポップアップサーカス」もオープン。
神戸阪急の新館と同じく飲食店もある。同一フロアで「マルニフラワーカフェ」や「トム ブラウン」のチョコレートショップを展開し、ブランドの世界観を五感で感じられるコーナーとしている<ref>https://www.itochu.co.jp/ja/business/textile/geppo/202210/sf04.html</ref>。
; Peanuts LIFE & TIMES(ピーナッツライフ&タイムス)
阪急百貨店では[[ピーナッツ (漫画)]]のイベントが長年うめだ本店で開かれている。
このイベントやキャラクター専門店に対し、「クオリティを感じること」「キャラクター性よりも理念を感じられること」「ウィットに富んでいること」の『大人ピーナッツ3箇条』に従った独自商品を開発し、子育て世代の母親らをターゲットとしたショップを作った。2018年(平成30年)11月7日に西宮阪急4階、2023年(令和5年)5月31日には、神戸阪急本館5階「Affection for Life」フロアの一部にオープン<ref name="rerere20230606">{{Cite web|和書|url=https://kobe-renewal.hankyu-dept.co.jp/|title= 親子そろってスヌーピーが大好き!ピーナッツファンのファミリーがスヌーピー愛を語る。(『Rerere』 神戸が大好きなひとに「神戸の阪急」から贈るwebマガジン)|accessdate=2023年6月6日|format=}}</ref>
西宮阪急、神戸阪急とも、このショップがオープンした際の店長は杉崎聡である<ref name="lmaga-2018-11-08">{{Cite web|和書|title = 西宮阪急、百貨店ならではのスヌーピー店|url = https://kobecco.hpg.co.jp/49264/|website = Lmaga.jp| |publisher = [[京阪神エルマガジン社]]| date = 2018-11-08 |accessdate=2023-05-27}}</ref>。
==== 食品 ====
郊外店やハーバーランドの神戸阪急では食品で差別化を図っていた。長年、生鮮産品やグロッサリーなどのデイリーのMDについては8割を自前で運営してきた。[[2013年]]時点では今後も続ける方針としていたが<ref>https://senken.co.jp/posts/%25e6%259d%25b1%25e8%25a5%25bf%25e4%25b8%25a1%25e9%259b%2584%25e3%2581%25ae%25e3%2583%2588%25e3%2583%2583%25e3%2583%2597%25e3%2581%258c%25e8%25aa%259e%25e3%2582%258b%25e7%2599%25be%25e8%25b2%25a8%25e5%25ba%2597%25e3%2581%25ae%25e6%2588%2590%25e9%2595%25b7%25e6%2588%25a6%25e7%2595%25a5</ref>、人件費やオペレーションの問題もあり、川西阪急の正肉以外の分野、宝塚阪急の鮮魚、高槻阪急の青果に関しては外部業者に変更されている。
; 赤と青
: 野菜とフルーツを扱うショップ。西宮阪急に自主編集売場があるほか、博多阪急では九州屋が「ベジタブル&フルーツ赤と青」を展開している。
* かつてはうめだ本店、川西阪急、宝塚阪急にも展開していた。
; 魚浜
: ○○(地名)魚浜と名乗る鮮魚売場。千里阪急に千里魚浜、西宮阪急に西宮魚浜という自主編集売場があり、阪急阪神百貨店の社員が魚を捌いている。また、高槻阪急では「鮮魚たかぎ」をはじめ外部運営による鮮魚売場の総称として展開している。 
* かつては自主編集売場で川西阪急、宝塚阪急に、[[大起水産]]などのテナント入居でうめだ本店にも、それぞれ「魚浜」があった。
; 日本の銘菓撰
: 全国各地の和菓子、洋菓子を集めた自主編集売場。同様の売場はほとんどの店舗にあるが、神戸阪急では『銘菓 日本の味』として展開。
=== その他 ===
; カレーパンノヒ
:[[ハウス食品]]との共同開発商品。様々な具材や期間限定の味を用意した、ギフトにも配慮したカレーパン。
; バトンドール
: [[グリコ]]、[[髙島屋]]との3者共同開発商品。阪急うめだ本店、博多阪急、神戸阪急(そごう神戸店時代の2018年から)のほか、髙島屋大阪店、京都髙島屋S.C.(髙島屋京都店)、[[大阪国際空港]](伊丹空港)でも展開している。期間限定で[[新大阪駅]]、[[ジェイアール名古屋タカシマヤ]]などで販売されることもある。
{{Main|バトンドール}}
;豆狸
:1972年にうめだ本店で創業した稲荷寿司の専門店。当社グループの阪急デリカが製造している。かつて阪神百貨店も同様な専門店を自社や[[名鉄百貨店]]に出店して対抗していたが、撤退。かわってこちらが阪急百貨店のほとんどの店に加え、現在は同じ会社となった阪神百貨店梅田本店、ライバル他社の[[大丸札幌店]]や髙島屋大阪店などにも出店している。
{{Main|豆狸 (企業)}}
; Hankyu Mode Kobe
: ハンキュウモードコウベ。神戸阪急の新館1階から3階に立地するモードファッションの売場(自主編集売場はない)。[[ブルーボトルコーヒー]]やウカデザインストア、コンランショップなどと共に衣食住混在で展開している。うめだ本店のモードフロア同様、五感でブランドを感じられるようにするほか、[[大丸神戸店]]との差別化が目的。サステナビリティに配慮し、六甲山の間伐材などを什器に使用している。


== 沿革 ==
== 沿革 ==
=== 阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代 ===
=== 阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代 ===
*[[1925年]](大正14年)[[6月1日]] - 阪神急行電鉄[[梅田駅]](現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に'''阪急直営マーケット'''を開業。
*[[1925年]](大正14年)6月1日 - 阪神急行電鉄[[大阪梅田駅 (阪急)|梅田駅]](現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に'''阪急直営マーケット'''を開業<ref name="hankyu-railways-75-1982" />
*[[1929年]](昭和4年)[[4月15日]] - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の'''阪急百貨店'''(現・うめだ本店)を創業した。
*[[1929年]](昭和4年)4月15日 - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の'''阪急百貨店'''(現・うめだ本店)を創業した<ref name="hankyu-railways-75-1982" />
*[[1936年]](昭和11年)[[4月11日]] - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄[[三宮駅]])[[神戸阪急ビル|ターミナルビル]]に'''神戸阪急'''が開店。
*[[1936年]](昭和11年)4月11日 - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄[[三宮駅|神戸三宮駅]])[[神戸阪急ビル|ターミナルビル]]に'''三宮食料品店'''(のちの'''三宮阪急'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />


=== (初代)株式会社阪急百貨店 ===
=== (初代)株式会社阪急百貨店 ===
*[[1947年]](昭和22年)3月 - 京阪神急行電鉄より分離独立し、'''株式会社阪急百貨店'''設立(初代社長に京阪神急行電鉄の[[清水雅]]が就任)。同年[[4月1日]]に株式会社阪急百貨店として開業。
*[[1947年]](昭和22年
**3月 - 京阪神急行電鉄より分離独立し、'''株式会社阪急百貨店'''設立(初代社長に京阪神急行電鉄の[[清水雅]]が就任)<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
**[[4月1日]]に株式会社阪急百貨店として開業<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
*[[1953年]](昭和28年)[[11月23日]] - 国鉄大井町駅(現・JR[[大井町駅]])前に'''大井阪急'''が開店。
*[[1953年]](昭和28年)11月23日 - 国鉄大井町駅(現・JR[[大井町駅]])前に'''阪急百貨店東京大井店'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
*[[1956年]](昭和31年)[[5月29日]] - '''数寄屋橋阪急'''([[東芝]]銀座ビル内)が開店。
*[[1956年]](昭和31年)5月29日 - '''数寄屋橋阪急'''(マツダビルディング内)が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
*[[1965年]](昭和40年)8月24日 - 東京都[[港区 (東京都)|港区]][[芝浦]]に芝浦配送センター(地下1階、地上4階建て、敷地面積993m2、延床面積2395m2)が設置<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P125-->。
*[[1970年]](昭和45年)[[3月11日]] - [[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]]隣接地に'''[[千里阪急]]'''が開店。
*[[1967年]](昭和42年)10月3日 - 10月1日の[[阪急ブレーブス]]リーグ優勝を記念して、本・支店で「全店阪急ブレーブス優勝記念・阪急大躍進セール」が実施<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P128-129-->。
*[[1976年]](昭和51年)[[10月15日]] - 阪急電鉄[[河原町駅 (京都府)|河原町駅]]隣接地に'''[[四条河原町阪急]]'''が開店。
*[[1982年]](昭和57年)[[10月8日]] - 阪急電鉄梅田駅東側に'''阪急イングス'''が開店。
*[[1970年]](昭和45年)
**3月11日 - [[北大阪急行電鉄]][[千里中央駅]]隣接地に'''[[千里阪急]]'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1984年]](昭和59年)[[10月6日]] - 国鉄有楽町駅(現・JR[[有楽町駅]])前に[[有楽町センタービル|'''有楽町阪急''']]が開店。
*[[1975年]](昭和50年)11月3日 - 前日の日本シリーズで[[広島東洋カープ]]を破り、阪急ブレーブスが1位になったため、各店で「チャンピオンセール」が実施<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P129-->。
*1989年[[4月4日]] - 阪急電鉄[[川西能勢口駅]]前に'''川西阪急'''が開店。
*[[1992年]](平成4)[[101]] - [[神戸ハーバーランド]]に'''[[神戸阪急]]'''が開店。これを機に、三宮駅にあった神戸阪急は'''三宮阪急'''となる
*[[1976年]](昭和51)1015日 - 阪急電鉄[[京都河原町駅|河原町駅]]隣接地に'''[[四条河原町阪急]]'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
*[[1993年]](平成5)415日 - 阪急電鉄[[宝塚]]新ターミナルビル内に'''宝塚阪急'''が開店。
*[[1982年]](昭和57)108日 - 阪急電鉄梅田東側に'''阪急イングス'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />
*[[1984年]](昭和59年)
*[[1995年]](平成7年)[[1月17日]] - [[阪神・淡路大震災]]により三宮阪急が被災(そのまま閉店)。
**6月2日 - 江東区有明1丁目に有明商品センターが開設<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4"/><!--P229-->。
**10月6日 - 国鉄有楽町駅(現・JR[[有楽町駅]])前に[[有楽町センタービル|'''有楽町阪急''']]が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1989年]]([[平成]]元年)[[4月4日]] - 阪急電鉄[[川西能勢口駅]]前に'''川西阪急'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1991年]](平成3年)1月 - ハーバーランドへの新店舗開設のため、三宮駅にあった神戸支店を'''三宮阪急'''に改称し、東京大井店を'''大井阪急'''に改称<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1992年]](平成4年)10月1日 - [[神戸ハーバーランド]]に'''[[umie#SOUTH MALL|神戸阪急]]'''が開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1993年]](平成5年)4月15日 - 阪急電鉄[[宝塚駅]]前再開発ビル「ソリオ宝塚」に'''宝塚阪急'''のファッション・リビングフロアが開店<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1994年]](平成6年)3月18日 - 阪急電鉄宝塚駅新ターミナルビル内にフーズフロアが完成し、宝塚阪急がグランドオープン<ref name="hankyu-department-store-history-50-1998-4" />。
*[[1995年]](平成7年)1月17日 - [[阪神・淡路大震災]]により三宮阪急が被災(そのまま閉店)<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。
*[[2000年]](平成12年)
*[[2000年]](平成12年)
**1月31日 - 大井阪急が閉店。
**[[3月17日]] - 横浜市営地下鉄[[センター北駅]]前に'''[[都筑阪急]]'''が開店([[モザイクモール港北]]同時開業)。
**[[425]] - '''阪急大井町デイリーショッパーズ'''開店(大井阪急閉店後、跡地の[[ショッピングセンター]]に大井阪急食品館として再入居)
**25日 - 大井阪急食料品売場が'''大井阪急食品館'''として営業
**3月17日 - 横浜市営地下鉄[[センター北駅]]前に'''[[都筑阪急]]'''が開店([[モザイクモール港北]]同時開業)<ref name="taihan-news-2000-3-13" />。
*[[2003年]](平成15年)[[3月1日]] - 阪急共栄物産株式会社を合併。
**4月25日 - 大井阪急食品館を核とする[[ショッピングセンター]]・'''阪急大井町デイリーショッパーズ'''開店<ref name="hankyu-department-store-annual-report-87-2006" />。
*[[2003年]](平成15年)3月1日 - 阪急共栄物産株式会社を合併<ref name="nissyoku-2003-2-7" />。
*[[2004年]](平成16年)
*[[2004年]](平成16年)
**[[4月19日]] - 阪急イングスがうめだ'''阪急イングス館'''としてリニューアルされる。
**4月19日 - 阪急イングスがうめだ'''阪急イングス館'''としてリニューアルされる。
**[[8月31日]] - 数寄屋橋阪急が閉店([[10月8日]]、'''モザイク銀座阪急'''となり阪急ショッピングセンター開発に運営移行)。
**8月31日 - 数寄屋橋阪急が閉店<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />
**10月8日 - 数寄屋橋阪急が'''モザイク銀座阪急'''となり阪急ショッピングセンター開発に運営移行)<ref name="hankyu-department-store-share-holder-report-86-2004-11" />。
**[[10月28日]] - [[北花田駅]]前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・[[イオンモール堺北花田プラウ]])に'''堺 北花田阪急'''が開店。
**10月28日 - [[北花田駅]]前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・[[イオンモール堺北花田]])に'''堺 北花田阪急'''が開店<ref name="nissyoku-2004-11-5" />。
*[[2005年]](平成17年)
*[[2005年]](平成17年)
**8月16日 - うめだ本店南側半分の解体・新築工事に着手<ref name="nikkei-2005-8-16" />。
**[[8月19日]] - うめだ本店に、仮設売場として「サン広場館」が開設([[阪急グランドビル]]に隣接)。
**8月19日 - うめだ本店は北側半分が開業<ref name="nikkei-2005-8-16" />。仮設売場として「サン広場館」が開設([[阪急グランドビル]]に隣接)。
**[[9月13日]] - 旧阪急梅田駅地上駅コンコース(うめだ本店前、梅田阪急ビル1階)の天井装飾の公開を終了。翌日より覆いがなされる。
**9月13日 - 旧阪急梅田駅地上駅コンコース(うめだ本店前、梅田阪急ビル1階)の天井装飾の公開を終了。翌日より覆いがなされる<ref name="osaka-daily-np-2005-9-13" />。
**[[9月14日]] - うめだ本店南側半分の解体・新築工事に着手。うめだ本店は、北側半分のみでの営業を行うことになった。
**[[9月15日]] - [[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]前の三田駅前一番館に'''三田阪急'''が開店。
**9月15日 - [[福知山線|JR宝塚線]]・[[神戸電鉄]][[三田駅 (兵庫県)|三田駅]]前の三田駅前一番館に'''三田阪急'''が開店<ref name="nikkei-2005-9-15" />
*[[2006年]](平成18年)
*[[2006年]](平成18年)
**[[7月11日]] - うめだ本店南側部分の取り壊し開始。
**7月11日 - うめだ本店南側部分の取り壊し開始。
**[[9月1日]] - [[阪急オアシス]]、[[阪急ファミリーストア]]、[[阪急ニッショーストア]]など計8社を完全子会社とする中間持株会社「[[阪食]]」を設立し阪急食品工業と分担して[[阪食]]の株主となる。
**9月1日 - [[阪急オアシス]]、[[阪急ファミリーストア]]、[[阪急ニッショーストア]]など計8社を完全子会社とする中間持株会社「[[阪食]]」を設立し阪急食品工業と分担して[[阪食]]の株主となる<ref name="nikkei-2006-7-28" />


=== (2代目)株式会社阪急百貨店 ===
=== (2代目)株式会社阪急百貨店 ===
*[[2007年]](平成19年)10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「[[エイチ・ツー・オー リテイリング|エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社]]」へ移行するのに伴い[[会社分割]](新設分割)により'''(2代目)株式会社阪急百貨店'''が設立され、阪急百貨店の事業を承継。
*[[2007年]](平成19年)10月1日 - (初代)株式会社阪急百貨店が純粋持株会社「[[エイチ・ツー・オー リテイリング|エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社]]」へ移行するのに伴い[[会社分割]](新設分割)により'''(2代目)株式会社阪急百貨店'''が設立され、阪急百貨店の事業を承継<ref name="mainichi-np-2007-10-1" />
*[[2008年]](平成20年)[[3月31日]] - 大井阪急食品館が再開発のため閉店。
*[[2008年]](平成20年)3月31日 - 大井阪急食品館が再開発のため閉店<ref name="h2o-retailing-annual-report-89-2008" />


=== 株式会社阪急阪神百貨店 ===
=== 株式会社阪急阪神百貨店 ===
*[[2008年]](平成20年)
*[[2008年]](平成20年)
**10月1日 - 株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を合併し「株式会社阪急阪神百貨店」に商号変更。またこの会社合併に伴い、本店の名称を「大阪・うめだ本店」から「'''阪急うめだ本店'''」に改称。
**10月1日 - 株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を合併し「株式会社阪急阪神百貨店」に商号変更<ref name="yomiuri-np-2008-3-27" />。この会社合併に伴い、本店の名称を「大阪・うめだ本店」から「'''阪急うめだ本店'''」に改称。
**[[11月26日]] - [[阪急西宮スタジアム]]跡地「[[阪急西宮ガーデンズ]]」に'''西宮阪急'''が開店。
**11月26日 - [[阪急西宮スタジアム]]跡地「[[阪急西宮ガーデンズ]]」に'''西宮阪急'''が開店<ref name="asahi-np-2008-11-26" />
*[[2009年]](平成21年)
*[[2009年]](平成21年)
**[[8月31日]] - うめだ本店の北側部分を閉鎖。新店舗の開店準備が行われる。
**8月31日 - うめだ本店の北側部分を閉鎖。新店舗の開店準備が行われる。
**[[9月3日]] - うめだ本店の新店舗・南側部分(第1期分)が先行開業。同日、仮設売場として設置された「サン広場館」が閉鎖。
**9月3日 - うめだ本店の新店舗・南側部分(第1期分)が先行開業<ref name="asahi-np-2009-9-3" />。同日、仮設売場として設置された「サン広場館」が閉鎖。引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われた
**:引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われている。
*[[2010年]](平成22年)
*[[2010年]](平成22年)
**[[8月22日]] - 四条河原町阪急が閉店。
**8月22日 - 四条河原町阪急が閉店<ref name="mainichi-np-2010-8-23" />
*[[2011年]](平成23年)
*[[2011年]](平成23年)
**[[3月3日]] - JR[[博多駅]]新駅ビル([[JR博多シティ]])内に'''[[博多阪急]]'''が開店。
**3月3日 - JR[[博多駅]]新駅ビル([[JR博多シティ]])内に'''[[博多阪急]]'''が開店<ref name="nishinippon-news-2011-3-3" />
**[[10月15日]] - 有楽町阪急をリニューアルした「阪急MEN'S TOKYO」が開店。
**10月15日 - 有楽町阪急をリニューアルした「阪急MEN'S TOKYO」が開店<ref name="h2o-retailing-annual-sub-text-2012" />
*[[2012年]](平成24年)
*[[2012年]](平成24年)
**[[3月11日]] - 神戸阪急が閉店
**3月11日 - ハーバーランドの神戸阪急が閉店<ref name="kobe-np-2012-3-12" />。
**10月25日 - うめだ本店の新店舗・第2期分(北側部分)が先行開業(この時点で、新本館全体の8割分が開業)。「阪急百貨店メンズ館」を「阪急メンズ大阪」に改称。
**11月下旬(開業日は未定) - うめだ本店がリニューアルしてグランドオープン。
**11月18日 - イングス館を閉鎖<ref name="sankei-np-2012-11-19" />。
**11月21日 - うめだ本店が全面的な建て替えが完了して全館開業<ref name="mainichi-np-2012-11-21" />。イングス館を8階に移設して「スポーツファッション・イングス」フロアを開設<ref name="sankei-np-2012-11-19" />して営業開始<ref name="asahi-np-2012-11-21">{{Cite news | title = 阪急うめだ、21日全面開業 日本最大級の売り場面積 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2012-11-21 }}</ref>。
*[[2019年]](平成31年・令和元年)
**10月1日 - グループのエイチ・ツー・オーアセットメントから阪急阪神百貨店に、前日に営業を終了したそごう神戸店、西武高槻店を移管。'''[[神戸阪急]]'''と'''[[高槻阪急]]'''にリブランド。なお、10月4日までは開店準備のため両店とも休業。
**10月5日 - 三宮の神戸阪急と高槻阪急が営業開始。
*[[2021年]](令和3年)
**8月1日 - 三田阪急を閉店
== 阪急百貨店吹奏楽団 ==
[[1960年]](昭和35年)に創設された。阪急阪神百貨店グループに勤務する従業員のみで構成される職場バンドである。[[2008年]](平成20年)10月1日、阪神百貨店との合併以降も名称は変更されていない<ref>[https://website.hankyu-dept.co.jp/honten/h/disney100_musiccarnival/ ディズニー100 ポップアップショップ MUSIC CARNIVAL(阪急うめだ本店)]</ref>。


[[全日本吹奏楽コンクール]]の常連で、鈴木竹男(2005年没<ref>[[読売新聞]]阪神支局『阪急ブレーブス 勇者たちの記憶』[[中央公論新社]]、2019年、p.204</ref>)が率いて1961年から1位や金賞を連発し[[アマチュア]][[吹奏楽団]]としては日本一の伝統と実力を誇っていた。かつては団員の育成機関として[[阪急西宮スタジアム#阪急商業学園|阪急商業学園]]を擁し、'''阪急少年音楽隊'''(現・[[早稲田摂陵中学校・高等学校|早稲田摂陵高等学校]]吹奏楽コース)としてのセミプロ的活動も活発に行われていた<ref name="yusya">『阪急ブレーブス 勇者たちの記憶』pp.198 - 200</ref>。当時は全国強豪の[[西宮市立今津中学校]]から、阪急商業学園を通り、阪急百貨店に入るメンバーもいた<ref name="yusya"/>。[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]の存続時は[[阪急西宮スタジアム|阪急西宮球場]]での応援歌演奏も担当し、当初は有志の交代制だったが、1979年秋に百貨店としてのブレーブス応援部が結成され、常時派遣者と交代派遣者が「ラッパ隊」として担当した<ref>『阪急ブレーブス 勇者たちの記憶』、p.206</ref>。
== 阪急阪神百貨店吹奏楽団 ==
{| class="wikitable"
[[1960年]](昭和35年)に創設された'''阪急百貨店吹奏楽団'''が前身。阪急阪神百貨店グループに勤務する従業員のみで構成される職場バンドである。[[2008年]](平成20年)10月1日、阪神百貨店との合併により現在の名称に変更された。
|+全日本吹奏楽コンクール
!年度
!部門
!曲名
!結果
!指揮
|-
|1961
| rowspan="45" |職場A
|運命の力 序曲
| rowspan="3" |1位
| rowspan="32" |鈴木竹男
|-
|1962
|セミラーミデ 序曲
|-
|1963
|リエンツィ 序曲
|-
|1964
|亡き女王のためのパヴァーヌ
秋のビギン


スペインの姫君 幻想曲
[[全日本吹奏楽コンクール]]の常連で、[[アマチュア]][[吹奏楽団]]としては名実共に日本一の実力と伝統を誇る。かつては団員の育成機関として[[阪急西宮スタジアム#阪急商業学園|阪急商業学園]]を擁し、'''阪急少年音楽隊'''(現[[早稲田摂陵中学校・高等学校|早稲田摂陵高等学校]]吹奏楽コース)としてのセミプロ的活動も活発に行われていた。

また[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]の存続時には[[西宮球場]]での応援歌演奏も担当していた。
ダブルス・フォン

スペイド・フェア

交響曲第4番(チャイコフスキー)
|特別演奏
|-
|1965
|雪娘 軽業師の踊り
| rowspan="4" |1位
|-
|1967
|マンハッタン交響曲
|-
|1968
|ダンスと交響曲
|-
|1969
|シンフォニア・ノビリッシマ
|-
|1970
|序曲1812年
|特別演奏
|-
|1971
|ドラマティコ
| rowspan="4" |金賞
|-
|1973
|こうもり 序曲
|-
|1974
|ジプシー男爵
|-
|1976
|謝肉祭 序曲
|-
|1977
|交響曲第5番 第四楽章(チャイコフスキー)
| rowspan="2" |銀賞
|-
|1978
|スターウォーズ
|-
|1979
|ルイ・ブラス 序曲
| rowspan="5" |金賞
|-
|1980
|ナブッコ 序曲
|-
|1981
|四季 より 秋(グラズノフ)
|-
|1982
|ファウストよりバレエ音楽
|-
|1983
|組曲第4番 絵のような風景 1行進曲 4ジプシーの祭り
|-
|1984
|行進曲 なつかしのパナマ
こうもり 序曲

行進曲 サーカス・ビー
|特別演奏
|-
|1985
|ファンファーレ、バラードとジュビリー
|金賞
|-
|1986
|[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]] 第一幕への前奏曲
|銀賞
|-
|1987
|交響曲第8番 第4楽章(ドヴォルザーク)
| rowspan="2" |金賞
|-
|1988
|エジプト舞曲
|-
|1989
|美しきガラチア
|銀賞
|-
|1990
|サムソンとデリラ バッカナール
| rowspan="2" |金賞
|-
|1991
|ニュルンベルクのマイスタージンガー 第3幕徒弟たちの入場と親方たちの入場
|-
|1992
|ミニヨン 序曲
|銀賞
|-
|1993
|ドン・キホーテ より
| rowspan="3" |金賞
|-
|1994
|シルヴィアより バッカスの行列
|-
|1995
|ザンパ 序曲
|-
|1996
| colspan="3" |3年連続金賞のため不出場
|-
|1997
|シチリアの夕べの祈り 序曲
| rowspan="3" |金賞
| rowspan="3" |鈴木竹男
|-
|1998
|雪娘 軽業師の踊り
|-
|1999
|組曲第3番劇的風景 マクベス、終幕の情景
|-
|2000
| colspan="3" |3年連続金賞のため不出場
|-
|2001
|地上の冒険
|銀賞
| rowspan="3" |秦和夫
|-
|2002
|悪魔の踊り
|金賞
|-
|2003
|ラ・バヤデール アダージョ パ・ド・ドゥ〜フィナーレ
|銀賞
|-
|2004
| colspan="3" |3年連続全国出場のため不出場
|-
|2005
| colspan="3" |不明
|-
|2006
|船渡御絵巻
|銀賞
| rowspan="2" |飯守伸二
|-
|2007
|オベロン 序曲
|金賞
|-
|2008
|エグモント 序曲
|銀賞
|井上学
|-
|2009
| rowspan="2" |職場・一般A
| colspan="3" |3年連続出場のため不出場
|-
|2019
|ルイ・ブラス
|府大会
銀賞
|飯守伸二
|}


== プロ野球の優勝・応援セールの扱い ==
== プロ野球の優勝・応援セールの扱い ==
*[[1967年]](昭和42年)の初優勝以来、[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス(後オリックスブレーブス→オリックスブルーウェーブ→オリックスバファローズ)]]が優勝した年([[1968年]](昭和43年)・[[1969年]](昭和44年)・[[1971年]](昭和46年)・[[1972年]](昭和47年)・[[1975年]](昭和50年)-[[1978年]](昭和53年)・[[1984年]](昭和59年))には、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]や[[日本選手権シリーズ]]で優勝した直後から、梅田店店頭に吊るされた[[くす玉]]を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。
*しかし[[1988年]](昭和63年)を最後に、[[オリックス (企業)|オリエントリース(現オリックス)]]に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸店のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、[[そごう]]・[[大丸]]等神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた。[[2003年]](平成15年)と[[2005年]](平成17年)に[[阪神タイガース]]が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝を決めた際に「大阪バンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため<ref>{{subst:和暦|1985}}の阪神優勝時は球団も競合していたので、タイガース優勝セールはできなかった。</ref>、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである。
*その後[[2008年]](平成20年)10月には、前年[[2007年]](平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・[[クライマックスシリーズ]]進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。
*また[[2010年]](平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「'''めざせ日本一!阪神タイガース応援セール'''」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。
*博多阪急では、[[2011年]](平成23年)10月2日~8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して[[福岡ソフトバンクホークス]]の優勝セールを開催した。阪神タイガースとはリーグが違う事や、地域性を考慮しての実施と思われる<ref>[[阪急交通社]]でも、一応グループ企業の阪神タイガースと直接競合する[[広島東洋カープ]]を、広島支店が独自に応援している旨が、過去にメールマガジン(HTML形式)に掲載された事がある。</ref>。


=== 阪急ブレーブス・阪神タイガース ===
== ギャラリー ==
*[[1967年]](昭和42年)の初優勝以来、[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)]]が優勝した年([[1968年]](昭和43年)・[[1969年]](昭和44年)・[[1971年]](昭和46年)・[[1972年]](昭和47年)・[[1975年]](昭和50年)-[[1978年]](昭和53年)・[[1984年]](昭和59年))に、[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]や[[日本選手権シリーズ]]で優勝した直後から、梅田本店の店頭に吊るされた[[くす玉]]を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。のちに社長となる[[福光尚次]]が宣伝部長時代に発案したものとされている。
<gallery>
*しかし、[[1988年]](昭和63年)を最後に、[[オリックス (企業)|オリエントリース(現オリックス)]]に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸阪急(ハーバーランド)のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、[[大丸神戸店]]・(後に阪急百貨店となる)そごう神戸店など神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた{{Refnest|group="注釈"|2005年の[[大阪近鉄バファローズ]]との球団合併や、その後の阪急・阪神の経営統合を経て、阪急百貨店がタイガースと同系列となったことから、2021年のリーグ優勝時は傍系前身の近鉄球団と関係のあった[[近鉄百貨店]]がオリックスの優勝セールを行った。}}。[[2003年]](平成15年)と[[2005年]](平成17年)に[[阪神タイガース]]が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝を決めた際はうめだ本店が[[髙島屋]](大阪店){{Refnest|group="注釈"|高島屋は元々[[南海電気鉄道]]と関係が深かったことから、大阪本拠時代の南海ホークス(現:[[福岡ソフトバンクホークス]])の優勝セールを行う権利があったが、同球団の全盛期だった1950年代から1960年代初期にかけては、優勝セールを行う商習慣がなかったため、結果的には南海として最後の優勝となった1973年に行ったのみだった。}}・大丸(心斎橋店・[[大丸梅田店|梅田店]])との4店舗共同で「オーサカバンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため{{Refnest|group="注釈"|1985年(昭和60年)の阪神優勝時は球団も競合していたので、タイガース優勝セールはできなかった。}}、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず{{Refnest|group="注釈"|当時阪神百貨店以外で許諾を受けていたのは、[[大丸]]と[[ダイエー]]だった。特にダイエーは球団保有後も継続して許諾されていたため、自社系の福岡ダイエーホークスのセールと併せて行う異例の形態となった。一方、大丸は阪神百貨店と競合する心斎橋店や[[大丸梅田店|梅田店]]は許諾されずに非公式なセールを行いつつ、京都・神戸などの各店でセールを実施していた。}}、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである<ref>{{Cite web|和書|title=1990年代~経営統合まで |url=https://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/ayumi/pc/history04.html |website=阪急阪神百貨店のあゆみ |access-date=2022-10-31 |author=株式会社阪急阪神百貨店}}</ref>。
ファイル:Hankyu_Department.JPG|解体前の旧梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店)
*その後、[[2008年]](平成20年)10月に、前年[[2007年]](平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・[[クライマックスシリーズ]]進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。
ファイル:Hankyu Department Store is being constructed.JPG|梅田阪急ビルの南半分が解体された直後の阪急百貨店うめだ本店(2007年11月21日撮影)
*[[2010年]](平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「'''めざせ日本一!阪神タイガース応援セール'''」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。
ファイル:Umeda Hankyu Building.JPG|梅田阪急ビル(2009年6月26日撮影)<br/ >写真右側の第一期分が先行開業した際の模様。
*[[2023年]](令和5年)は阪神タイガースがセ・リーグ優勝と日本一を決めたが、いずれも優勝セールに関しては、店舗ブランドでの性格分けを行う観点から阪神百貨店の各店舗が対象となり、阪急百貨店では懸垂幕の掲出のみとなった<ref>{{Cite web|和書|title=阪神「アレ」で阪神百貨店など感謝セール 阪急百貨店はセールなし |url=https://www.sankei.com/article/20230914-TVICEK762NICHL56FIKK26ZHZM/ |website=産経新聞 |date=2023-09-14 |access-date=2023-09-15 |author=牛島要平}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=阪神優勝でも阪急百貨店がセールをやらないのはなぜ 「2つの商売」カギ |url=https://www.sankei.com/article/20231103-R77KGQQPAZKNDNMIQED3TYVT7I// |website=産経新聞 |date=2023-11-03 |access-date=2023-11-05 |author=牛島要平・清水更沙}}</ref>。これについては公式に表明されている店舗の性格分けだけでなく、阪急直系の阪急ブレーブスの後身である[[オリックス・バファローズ]]が対戦相手となる可能性が同年のパ・リーグの順位とクライマックスシリーズの結果次第で初めて想定され、結果的にそれが実現したことによる過去の阪急ブレーブスの関係者やファンの心情に対する配慮が関係しているかは不明である。
ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 B.jpg|うめだ本店前「バロックドーム」(2005年6月18日撮影)※現存せず
*一方、[[阪急交通社]]では、個人旅行事業を[[阪神航空]]から承継して一本化していることもあり、旅行商品の販売でタイガース優勝セールを行った。
ファイル:Hankyu Umeda Osaka Japan June 2005 A.jpg|阪急梅田駅駅旧コンコース側入口(2005年6月18日撮影)※現存せず

ファイル:Hankyu_Grand_Bld.JPG|阪急うめだ本店サン広場館(手前)<br />(2005年8月19日 - 2009年9月3日)
=== その他球団 ===
ファイル:Shijo Kawaramachi Hankyu.JPG|四条河原町阪急(2010年8月22日閉店)
*博多阪急では、[[2011年]](平成23年)10月2日-8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して[[福岡ソフトバンクホークス]]の優勝セールを開催した。それ以降も優勝セールや応援セールが開かれている。
ファイル:Kobe Hankyu3.JPG|神戸阪急(2012年3月11日閉店)
*エイチ・ツー・オー リテイリング傘下の「エイチ・ツー・オー アセットマネジメント([[イズミヤ]]旧法人)」に運営権を委譲された[[高槻阪急|西武高槻店]]と[[神戸阪急#そごう神戸店|そごう神戸店]]では、他のそごう・西武各店と異なり2018年の[[埼玉西武ライオンズ]]の優勝セールを行わなかった{{Refnest|group="注釈"|引き続きそごう・西武が運営している[[そごう広島店]]も、地域性を考慮して西武ではなく広島東洋カープの優勝セールを行った。}}。特に、1980 - 1990年代に西武の優勝セールが恒例化し、年度によっては西武球団所属選手も招かれるなど大規模に行われていた西武高槻店では、優勝セールを行わないことと[[阪急阪神東宝グループ]]が運営している旨の掲示が行われていた。
ファイル:Hankyu Advertisement in 1936.jpg|1936年の雑誌広告
** 一方、そごう神戸店に関しては上記の通り、オリックス球団が『ブルーウェーブ』の名称だった1995・1996年に優勝セールを行ったことがある。また、[[阪神電気鉄道]]が大家の三宮阪神ビルに入居しているため、そごう時代から何度か阪神タイガースの応援・優勝セールが実施されており、年によっては臨時で阪神タイガースグッズのショップも設けられていた。
</gallery>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}


211行目: 1,153行目:
*[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]
*[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]
**[[阪神百貨店]]
**[[阪神百貨店]]
**[[阪急オアシス]]
**[[イズミヤ]]
**[[関西スーパーマーケット]]
*[[阪急阪神ホールディングス]]
*[[阪急阪神ホールディングス]]
**[[阪急電鉄]]
**[[阪急電鉄]]
**[[阪神電気鉄道]]
**[[阪神電気鉄道]]

== 関連人物 ==
{{main|category:阪急阪神百貨店の人物}}
* [[岩倉具光]] - [[岩倉具視]]の孫、[[阪神急行電鉄]]取締役・阪急百貨店担当
* [[加藤千速]] - 第8代[[尾鷲市]]長、元阪急百貨店常務取締役、元[[阪急オアシス]]社長
* [[小林一三]] - 創業者
* [[椙岡俊一]] - 経営統合前の社長で、元エイチ・ツー・オー リテイリング会長


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Hankyu Department Stores}}
*[[ソーライス]] - 昭和初期の逸話。
*[[ソーライス]] - 昭和初期の逸話。
*[[大阪2011年問題]]
*[[名鉄百貨店]] - [[名古屋鉄道]]が阪急百貨店との提携によりオープンした。
*[[名鉄百貨店]] - [[名古屋鉄道]]が阪急百貨店との提携によりオープンした。
*[[グランデュオ]] - JR[[立川駅]]南口・[[蒲田駅]]にある駅ビル。運営会社の'''ジェイアール東日本商業開発株式会社'''は阪急百貨店・[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と[[ルミネ]]の合弁会社。
*[[グランデュオ]] - JR[[立川駅]]南口・[[蒲田駅]]にある駅ビル。運営会社の'''ジェイアール東日本商業開発株式会社'''は阪急百貨店・[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と[[ルミネ]]の合弁会社。
*[[毎日放送]] - 前身の[[新日本放送]]は開局時、阪急百貨店屋上のスタジオより放送を行った。その後、阪急グランドビル内に、ラジオの[[サテライトスタジオ]]が設置されたこともあった。現行の局舎は茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に建てられている。
*[[毎日放送]] - 前身の新日本放送は開局時、阪急百貨店屋上のスタジオより放送を行った。その後、阪急グランドビル内に、ラジオの[[サテライトスタジオ]]が設置されたこともあった。現行の局舎は茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に建てられている。
*[[べっぴんさん]] - [[NHK総合テレビジョン]][[連続テレビ小説]](2016年度下半期)。実際に[[ファミリア (アパレルメーカー)|ファミリア]]の直営第1号店を阪急梅田店にオープンさせているが、ドラマではそれをモデルにした「キアリス」の第1号店を、当百貨店をモデルにした「大急百貨店」にオープンさせたという設定で登場する。
*[[まんぷく]] - 同じくNHK総合テレビジョン連続テレビ小説(2019年度下半期)。実際に[[チキンラーメン]]の試食販売が阪急うめだ本店で行われていたが、ドラマではそれをモデルにした「まんぷくラーメン」の試食販売がやはり「大急百貨店」で行われたという設定で登場する。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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*[http://www.hankyu-dept.co.jp/ 阪急百貨店]
*[http://www.uni-hankyu.com.tw/ 統一阪急百貨]
* [https://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/ 株式会社阪急阪神百貨]
* [http://www.hankyu-dept.co.jp/ 阪急百貨店]
* [https://web.hh-online.jp/ 阪急阪神オンラインショッピング]


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2024年12月15日 (日) 06:42時点における最新版

株式会社阪急百貨店
Hankyu Department Stores, Inc.
大阪梅田ツインタワーズ・ノース(旧:梅田阪急ビル)
2009年9月3日、同ビルの地上12階-地下2階に新店舗・第一期分が先行開業。
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
530-0012
大阪府大阪市北区芝田2丁目6番27号(阪急百貨店香養会館)[1]
本店所在地 530-8350
大阪府大阪市北区角田町8番7号
設立 2007年平成19年)10月1日
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 新田信昭(代表取締役社長)
資本金 50億円(2007年10月1日現在)
従業員数 2,895名
決算期 3月末日
主要株主 エイチ・ツー・オー リテイリング 100%
関係する人物 小林一三(創業者)
野田孝(元社長、会長)
外部リンク 阪急うめだ本店(阪急百貨店)
特記事項:上場会社である(初代)株式会社阪急百貨店(1947年3月7日設立)が純粋持株会社エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社」へ移行するのに伴い、新設の当社が阪急百貨店の事業を承継。
2008年10月1日付で株式会社阪神百貨店と合併し、株式会社阪急阪神百貨店に商号変更。
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阪急百貨店(はんきゅうひゃっかてん)は、エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社(阪急阪神東宝グループ)傘下の株式会社阪急阪神百貨店が運営する日本の百貨店

また、株式会社阪急百貨店英語: Hankyu Department Stores, Inc.)は、2008年9月30日までこれを運営していた企業である[2]2006年の「阪急・阪神経営統合」を契機として、もともとライバルであった阪神百貨店と経営統合を行い、阪急阪神百貨店による運営となった。

創業者は阪急電鉄の実質的創業者であり関西財界の雄と言われる小林一三で、大阪梅田地区に本店を置く。この阪急百貨店うめだ本店はエイチ・ツー・オー リテイリングの旗艦店であり、日本国内では東京の伊勢丹新宿店に次ぐ売上を誇る旗艦店である。

なお法人としての株式会社阪急百貨店は、次の2つが存在した。

  • 初代法人:1947年3月7日 - 2007年9月30日。現在のエイチ・ツー・オー リテイリング株式会社。
  • 2代目法人:2007年10月1日 - 2008年9月30日。2008年10月1日付で株式会社阪神百貨店と合併し、株式会社阪急阪神百貨店となった。

歴史・概要

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創業から第2次世界大戦まで

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1936年(昭和11年)の雑誌広告

1920年11月1日に、5階建ての阪急梅田ビル1階に東京日本橋の老舗呉服店系百貨店・白木屋を招致して[3]白木屋梅田出張店が開店した[4]。55坪の店舗で食料品や日用雑貨の販売を行わせ[5]、11月5日[6]、2階に阪急直営である大衆食堂の阪急食堂を開設したのが始まりである[4]

この白木屋の店舗を売上歩合制の家賃として売上実績のデータを入手し[7]、そのデータから梅田駅(現在の大阪梅田駅)でのターミナルデパート(=ターミナル駅直結の百貨店)の可能性を固く信じた小林一三は[7]、契約期間満了を理由に白木屋との契約を解除して1925年6月1日に阪急梅田ビル2・3階に[3]自社直営の食料品や生活雑貨中心のスーパーに近い形態[8]阪急マーケット[3]、4・5階に直営の阪急食堂を移設して開業し[9]、直営でのターミナルデパートの第一歩を踏み出した[8]

その後、梅田駅ビルを地上8階地下2階に全面改築して大幅に拡張し[8]、敷地面積328坪で延べ床面積3,280坪[10]という百貨店に相応しい規模の店舗を作って1929年4月15日に鉄道会社直営の電鉄系百貨店として阪急百貨店を開業した[3][11]

この開業は、1926年に現・近鉄大阪上本町駅に設けられた三笠屋百貨店に続く二番目のターミナルデパートであり、[12][13]日本初の鉄道会社が経営するターミナルデパート[8][14](ターミナルデパートは欧米にない日本独特のもの[10]のため同時に世界初となる)でもあった。東急百貨店など全国の大手私鉄が阪急百貨店に倣ってターミナルデパートを設置し、民営化後のJRもジェイアール名古屋タカシマヤジェイアール西日本伊勢丹など既存大手百貨店と協力して百貨店を出店するなど、その後の鉄道会社の経営手法(=多角化)に対して大きな影響を与えた。鉄道会社が百貨店を自ら経営する以外にも、南海難波駅南海ビルディング)の髙島屋大阪店(本店)やJR博多駅JR博多シティ)で当社が運営する博多阪急など、駅ビルキーテナントとして百貨店を誘致する例もある。

開業直前の1929年4月13日・14日掲載の開店新聞広告に「どこよりもよい品物を、どこよりも安く売りたい」とのコピーを入れた[4]ように開業当初は大衆向けの路線を採り[15]、沿線の行楽に向かう人々への弁当販売を手がけるなど、今日のターミナルデパートの雛形となった存在としても知られる。

経営の中心であった[4]7・8階の大食堂は[8]、高層階からの眺望や食券方式などの目新しさにより、人気を博した[16]。看板メニューとして当時高級品だったライスカレーをコーヒー付き25銭で提供するなど、ランチも名物として話題となった[4]

開業直後に襲った昭和恐慌の時代に、ライスのみを注文してテーブルに備えられていた[17]ウスターソースをかけただけで食べるソーライスが流行した[18]際は、他の店舗[18]や当店の大食堂の店員が締め出しを図ろうとした[17]。しかし、創業者の小林は「今は貧しいが、やがて結婚し子供ができる。その時ここでの食事を思い出し、家族で来てくれるだろう」と考えて「ライスだけの客歓迎」と張り紙をさせ[17]、福神漬けまで付けて提供する[18]など、話題となった。

開業当初は雑貨の品揃えは悪くなかったものの、知識や経験の不足により呉服類が見劣りがして駅の賑やかさゆえにやや落ち着かないとされ[19]、売上高も1日平均約2万円だった[10]。しかし、1931年11月に敷地面積628坪で延べ床面積6,191坪として1日平均3.1万円の売上を上げ[10]1932年12月に延べ床面積12,000坪で1日平均5万円の売上[10]へと阪急梅田ビルの増築工事を完成させて増床を行って[3]大衆路線が受けたことと合せて売上を順調に伸ばし[15]1936年に阪急梅田ビルの第4期増築工事が完成して[9]売り場面積53,435m2にまで拡大した[20]

1932年12月の増床時に古美術品売場と茶室福寿荘開設が行われるとともに大阪で指折りの古美術店10店を集めて組織した充美会を結成してノウハウの不足を補って美術品の取り扱いの第一歩を踏み出した[15]

1934年9月に洋家具売場の一角に洋画陳列場を開設して春秋会洋画展を開設して洋画の取り扱いを始めるなど比較的早くから美術品の取り扱いを充実させていった[15]

1937年発行の機関誌「阪急美術」1号は、小林が「買つて置いて必ず損のないもの」と記述するように、これら美術品の販売でも百貨店全体の大衆路線が展開され、サラリーマンが購入できる美術品が取り扱われた[15]

1934年に直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す[4]など開業が比較的早い時期から食品関連の自社生産を開始するなど、食堂から発展した百貨店[9]らしい事業展開も行った。

一般の小売店による百貨店規制運動に対応して1933年4月20日に創立総会を開催した。設立の認可申請をした日本百貨店商業組合に当店も設立時から参画していて[21]、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定していた[22]

この日本百貨店組合による営業統制規程第三条を受けて、そごうは阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断った[23]。それにも関わらず、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスだと主張して神戸・三宮に建設していた駅ビルへの食堂設置[23]などを強行し、1936年4月11日に阪神急行電鉄神戸駅に完成した神戸阪急ビル内に神戸支店を開業して多店化に乗り出した[4]

1937年5月1日に豊中駅構内東改札口に配給所という小型店を開業した。同所で受けた注文を直ちに梅田の百貨店に連絡し、30分ごとに電車便を使って商品を配送して受注から1時間後に商品を届けた。これが好評だったため、同年12月4日までに同様の店舗を住吉、芦屋、帝塚山など合計38ヶ所展開して沿線での需要に応えた[5]

1938年1月1日に施行された百貨店法(第1次)により禁止されるまで、鉄道利用者の利便性を考慮して夜間営業も行ったが、同法により午後7時までに営業時間が規制されて夜間営業を廃止した[24]

第2次世界大戦後の独立と多店化

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梅田阪急ビルと阪急グランドビル(1979年)

1945年8月28日に解散した京阪デパート[5]の建物を買収して1946年に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットを開業し[25]1947年3月7日に株式会社阪急百貨店を設立して4月1日から新会社で営業を開始して阪急電鉄から独立し[4]、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した[25]

大阪より東京のほうが人口に対する百貨店の数が少ないため成長が見込めることから東京進出を計画し、1953年11月23日に国鉄大井町駅前に東京大井店を開業した。大丸に先行し[注釈 1]、戦後の関西系百貨店の東京進出第一号となった。また、東芝社長の石坂泰三からの誘致を受けて、1956年5月29日にマツダビルディングへ数寄屋橋阪急を開業して銀座の一角へ進出する[11]など東京と近畿の双方に店舗を構える百貨店チェーンに成長した。

1957年6月12日と1961年4月25日と1969年11月23日に相次いで阪急梅田ビルの増築工事が相次いで竣工して、うめだ本店の増床を行い[26]、本店の営業力の拡大・強化も図っていった。

京阪電気鉄道淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まったので、1961年に天満橋支店を閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還した[25]。しかし、1970年3月11日に大阪の千里ニュータウン千里阪急1976年10月15日に京都市の四条河原町交差点角に四条河原町阪急阪急京都本線京都河原町駅直結)、1982年10月8日にうめだ本店の別館として阪急イングスを相次いで開業させて近畿の店舗網の強化・拡大を進めた[11]

1984年10月6日に東京の有楽町マリオン有楽町阪急を出店したが、その後も京阪神地域での出店を推進した。1989年4月4日に兵庫県川西市川西阪急1992年10月1日に神戸ハーバーランド神戸阪急1993年4月15日に宝塚阪急と相次いで出店した。全国展開の前段階として、京阪神ドミナント戦略を進めようとの戦略であった[11]

バブル崩壊後の出店

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2000年3月17日に横浜市港北ニュータウン都筑阪急を核店舗とするショッピングセンターモザイクモール港北[27]を開業させて初日に約10万人の客を集め[28]、神奈川県への進出と郊外のショッピングセンターへの進出を図った。

続いて、堺市の新日鉄の工場跡地にショッピングモールの建設を計画していたが[11]、ダイヤモンドシティ・プラウ(イオンモール堺北花田)の建設にとってかわられた。2004年10月28日に堺 北花田阪急はダイヤモンドシティ・プラウの核店舗として開業した[29]が正式に開業した[30]2005年9月15日に兵庫県三田市のJR三田駅前に子会社の食品スーパー阪急オアシスと一体型の小型店の三田阪急を開業した[31]。実現はしなかったものの2006年に長谷工コーポレーションなどが進めていた[32]大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄(現在のOsaka Metro北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に[33]三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進める[32]など、売上高のうめだ本店の依存率が50%を超える体質から脱して[29]主力地盤である関西地区での営業基盤の強化を図ろうとした[32]

2008年11月26日に、西宮北口駅直結の大型ショッピングセンターである阪急西宮ガーデンズの核店舗の一つとして西宮阪急が開業した[34]。当店は2012年3月期に前年比6.6%増の売上高約231.97億円を上げるなど[35]、順調に売上を伸ばしている。

しかし、西宮阪急を除き、これらの郊外型店は期待したほど収益を上げなかった。このため、集客力のある駅ビル進出を目指し[36]2006年3月24日に博多駅ビルへの進出に向けて九州旅客鉄道(JR九州)と本格的な交渉に入ることを取締役会で決定して[36]同年4月3日に正式に合意したことを発表し[37]2011年3月3日に博多駅駅ビルのJR博多シティの核テナントとして博多阪急を開業した[38]

食品スーパー事業の再編・強化

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子会社の阪急共栄物産2001年2月期の連結決算で売上高約238億円で当期純損失が7.3億円の赤字に陥る[39]など業績が伸び悩んだため、2003年1月1日付で阪急共栄物産を事業別に分社化して食品スーパー事業を行う資本金1億円の阪急ファミリーストアなど5社を設立し[40]、同年3月1日に阪急共栄物産を吸収合併して100%出資子会社化した[40]

2006年3月27日に医療機器大手で食品スーパーも経営していたニプロから食品スーパー子会社のニッショーを約100億円で買収することを決定して[41]同日発表し[42]、ニッショーストアを傘下に収めて経営規模をほぼ倍増させるなど規模拡大を図った[41]

2006年9月に傘下の食品スーパーや食品メーカーなどの食品事業を統括する阪食を設立して阪急オアシスなど8社を同社の完全子会社とした[43]

不振店舗の業態転換や閉鎖

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2004年8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了して子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し[44]2011年7月18日に有楽町阪急としての営業を終了して同年10月15日に全面改装して阪急メンズ・トーキョーとして開業して[45]黒字転換を図った[46]

2010年8月22日に四条河原町阪急[47]2012年3月11日に神戸阪急[48]と相次いで閉店させるなど不採算店の閉鎖を進めて収益性の高いうめだ本店などへの経営資源の集約を図った[49]

うめだ本店の建て替えと別館

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うめだ本店前「バロックドーム」(2005年(平成17年)6月18日撮影)※現存せず
阪急梅田駅駅旧コンコース側入口(2005年(平成17年)6月18日撮影)※現存せず
梅田阪急ビルの南半分が解体された直後の阪急百貨店うめだ本店(2007年(平成19年)11月21日撮影)
梅田阪急ビル(2009年(平成21年)6月26日撮影)
写真右側の第一期分が先行開業した際の模様

2005年8月16日に解体工事が着工された後、うめだ本店は売り場を北側に移すために18日まで一時休業した[50]。その後、19日から営業を再開し、同年9月14日未明から本格的な解体工事に着手した[51]

この建て替えに伴い、1929年から76年間供用された旧阪急梅田駅コンコース[51]も解体されることになった。当コンコースは、伊東忠太が設計した鳳凰ペガサス獅子などが描かれたモザイク壁画や、天井からシャンデリアが吊されるなど、希少価値が高いことにより保存運動も起きた[52]が、ビルの基礎部分から建て替えるため取り壊さざるを得ない[52]として解体された[53]。しかし、解体の際に壁画やシャンデリアは保存され[51]、第2期工事完成後に、13階のレストランフロアに旧阪急梅田駅コンコースから撤去されたモザイク壁画が復元されることになった[53]

1階コンコースのエレベーター横など2カ所の大理石でできた壁のパネルに埋まっていた、夏休みの宿題や自由研究の題材などとして子供たちの人気を集めてきた、直径3 - 5センチの巻き貝の化石も取り壊されることになった[54]。しかし、化石は壁そのものをくり抜き、裏側を加工した後、2005年9月12日・13日に、当建て替え工事に伴って不要となった備品類を販売する「もったいないチャリティー入札大会」で落札された[55]

入札で工事を請け負った大成建設は、採算が合わないとして建設工事の正式な請負契約を結ばずに受注を辞退した[56]2006年末までに[56]大成建設は旧建物の南側地上部分の解体を終えた段階で業務を終了した[57]ため、2007年1月15日から大林組が新たな施工業者となって地下部分の解体工事に入った。工事の途中で施工業者が交代するのは極めて異例である[57]

地下に過去の建造物が残っているにもかかわらず、建設当時の図面が完全な形で保存されていないため正確な構造が把握出来ない[58]上、周辺のビル・地下鉄・地下街も考慮しつつ[59]百貨店の営業を継続しながら半分ずつ解体・建設するという難工事[57]のため、工事の進捗は当初の予定よりも大幅に遅れた[60]

南側部分の第1期棟は2009年9月3日に売り場面積約27,000m2の百貨店部分が開業し[61]2010年4月1日にオフィスタワーを含む第1期棟全体が竣工し[62]、同年5月6日に中高層部のオフィスタワーが開業した[63]。建て替え後の梅田阪急ビルは地上41階、地下2階の建築物[62](高さ187メートル[56])となった。

第1期棟百貨店部分の営業開始を受けて北側部分の第2期棟部分の解体工事に入ったが[61]、第2期の工事も難航したため[59]2011年4月22日に3度目の全面開業時期の延期が報道される状況になった[58][59][60]

2012年4月17日に同年11月下旬に当初の予定から約1年半遅れて開業することを発表した[64]

2012年10月25日に開業済みの第1期分(南側部分)と合せて新店舗の8割に当たる第2期分(北側部分)を先行開業させた後[65]、スポーツ用品などの売場を本館8階の「スポーツファッション イングス」へ移設するため同年11月18日にイングス館を閉鎖し[66]、同年11月21日に新店舗を全館開業した[67]

2008年2月1日に、同じ阪急グループの商業施設であるHEPナビオ内に、約16,000m2[68]に約300のブランドを集めた阪急メンズ館を開店し、開業初年度の目標だった250億円を上回る売上高約265億円を上げた[69]

その一方で、子供服とスポーツ用品を扱うイングス館は1990年代前半に売上高約120億円を上げていたものの、2010年3月期に売上高約80億円に落ち込んだ[70]。面積的にも顧客が満足する品揃えが困難なので増築工事完成後の本館に集約するとして、2012年11月18日に閉鎖される[66]など、うめだ本店周辺の別館で明暗が分かれている。

阪神百貨店との経営統合

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2005年10月1日に村上世彰が率いるM&Aコンサルティング(村上ファンド)が阪神百貨店の株式18.19%を保有していることが判明し、他の株式と同様に阪神電気鉄道株式に交換されて村上ファンドがもつ阪神電気鉄道の持ち株比率が38.1%となった[71]ため、阪急ホールディングス(現・阪急阪神ホールディングス)がホワイトナイトとして村上ファンドが所有していた阪神電気鉄道の全株を取得し、一般の株主から買収した分を合わせると、阪神電気鉄道の発行済株式の64.76%を保有することとなり、阪神電気鉄道は阪急ホールディングスの子会社となった。

そのため、阪神電気鉄道の子会社で長年のライバルだった阪神百貨店と提携の検討が阪急阪神ホールディングスの統合後[72]からなされ、2007年10月1日に株式会社阪神百貨店を株式会社阪急百貨店(初代)が経営統合してエイチ・ツー・オー リテイリングとなり[73]、新たに完全子会社としての株式会社阪急百貨店(2代目)が設立されて同社が運営する体制へ移行した[73]

その後、百貨店の運営会社を1社に統合するため2008年10月1日に株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を吸収合併して商号を株式会社阪急阪神百貨店へ変更して株式会社阪急百貨店としての歴史に終止符を打ったため[74]、現在は同社の運営となっている[75]

他社との提携

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そごう神戸店を引き継いだ神戸阪急は神戸市内3度目の出店となった

三越と伊勢丹が2008年4月に経営統合することになったことに伴い、2007年12月25日に伊勢丹との業務提携の解消が発表された[76]

2008年10月に親会社エイチ・ツー・オーリテイリング髙島屋と3年以内の経営統合を前提に業務・資本提携して株式を10%ずつ保有しあい、2009年からは一体感を高めて統合作業を円滑に進めるため相互に社外取締役を派遣しあった[77]

その業務提携の第1弾として2009年4月15日からインターネットでの通信販売における販売促進活動の共同化を行った[78]

しかし、経営戦略や統合比率やトップ人事などで協議を進めるほどに差異が露わになり、統合後の重点投資先などを巡る経営方針が折り合わないとして、2010年3月25日に経営統合を断念したと発表すると共に同日付で互いに派遣していた非常勤取締役を引き揚げた[79]

経営統合の断念後も10%の株式を持ち合う資本提携や、備品・資材の共同購入や中元・歳暮商戦で商品の共通化などの業務提携は継続しており[79]、洋菓子の新ブランドPURE FORESTを共同開発して2011年春から順次展開を始めている[80]

2011年8月10日に親会社エイチ・ツー・オーリテイリングは近鉄百貨店と次世代情報システムの構築で提携することを発表した[81]

2016年10月6日、親会社エイチ・ツー・オーリテイリングはセブン-イレブン・ジャパンイトーヨーカ堂そごう・西武を傘下に持つセブン&アイ・ホールディングスと資本業務提携したことを発表した[82]。その後、資本提携や当初予定していたそごう西神店の経営引継ぎは中止されたが、そごう・西武が運営する関西の百貨店2店舗を引き継ぐことになった。そごう神戸店と西武高槻店はエイチ・ツー・オー アセットマネジメント[注釈 2]によるフランチャイズ運営を経て、2019年10月1日付けでそごう神戸店が神戸阪急、西武高槻店が高槻阪急となって、同月5日から阪急百貨店の店舗として開業した。神戸阪急は上記のように神戸阪急ビル(現在の神戸三宮阪急ビル)で1995年まで、ハーバーランドで2012年まで同名店舗が営業していたため3代目となると同時に、それ以来の三宮地区、神戸市内への再進出となっている[注釈 3]

独自の食品販売

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1934年に直営製菓工場とアイスクリーム工場を開設して自社ブランドの菓子類の販売に乗り出す[4]など、早くから独自の食品販売に取組んでいる。

1989年に京都で「寺子屋料理塾」を運営していた料理研究家の首藤夏世の協力を得て、京都の家庭料理京のおばんざいを商品化した。商品を販売するのは阪急デリカが運営する和惣菜の六齋であり、売上は食品関連の全テナントの売上でロック・フィールドの「RF1」に次ぐ第2位、和惣菜部門ではトップの売上であった[83]

阪急阪神百貨店発足後の2012年には江崎グリコや髙島屋と共同開発した高級版ポッキー「バトンドール」と、亀田製菓のハッピーターンの高級版「ハッピーターンズ」の販売を開始し、食品メーカーとコラボした独自商品の開発に乗り出した。「阪急百貨店でしか買えない」をコンセプトに1年に1品以上、メーカーとの共同開発を行っている。日清食品のカップラーメンやオタフクソースのお好み焼きなど撤退した場合もあるが、「バトンドール」や「ハッピーターンズ」は大阪土産の代表になり、ハウス食品の「カレーパンノヒ」はギフトとしても利用されるなど、阪急オリジナルとして定着している[84]

生鮮品でも2003年9月に農業生産法人有限会社阪急泉南グリーンファームを設立して[85]大阪府南部を中心に農家の休耕地などを借り受けて[86]2004年(平成16年)4月から[87]無農薬の有機野菜の栽培を行い[86]、当店及びグループの各店舗で販売をしている[87]

店舗

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店舗名は「〇〇阪急(〇〇は地域名)」と呼ばれる。

阪急うめだ本店(うめだ阪急)

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御堂筋側(うめだ本店は低層部)

阪急百貨店の本店大阪梅田駅に直結しており、阪急電鉄小林一三が考案した日本初のターミナルデパート(ターミナル駅と直結した百貨店)と言われている。通称「うめだ阪急」。ファッションやコスメ・ビューティー関連の商品力で近畿随一と言われ、「東の新宿伊勢丹・西のうめだ阪急」と呼ばれるほど(一時期、伊勢丹と阪急百貨店は業務提携をしていたが、現在は提携を解消した)、女性ファッションの流行発信基地として幅広い年齢層の女性に人気の高い店舗である。百貨店激戦区であり、大阪随一の繁華街である梅田における地域一番店。店舗別年間売上高は伊勢丹新宿店(東京都新宿区)に次いで国内2位であり、関西において高いブランド力と知名度を誇る。ファッション・高級イメージを打ち出すことで、食に強みを持ち庶民的なイメージの阪神百貨店梅田本店との違いを明確にし、隣接する同じグループの店舗との差別化を図っている。

2008年9月30日までは(株式会社阪急百貨店の)「大阪・うめだ本店」と称していたが、会社合併の際の百貨店ブランド維持方針に基づき(すなわち「阪神百貨店梅田本店」との兼ね合いから)「阪急うめだ本店」に2008年10月1日に改称された。

阪急電鉄大阪梅田駅南部の大阪梅田ツインタワーズ・ノース(梅田阪急ビル)に入居する本館と、HEP NAVIOに入居する阪急メンズ大阪(旧:阪急百貨店メンズ館)[69]で構成される。かつてはスポーツ用品や子供服などを扱う阪急イングス館(旧:阪急イングス)も存在したが、2012年10月25日に子供服・玩具売場が新本館11階に移転し[66]、同年11月21日の新本館全面開業[67]時に新本館の8階に「スポーツファッション・イングス」として開業した[66]ことから、同年11月18日に閉鎖された[66]

「阪急うめだ本店」と「阪急メンズ大阪」の合計の売場面積は96,000mと日本最大の近鉄百貨店あべのハルカス近鉄本店大阪市阿倍野区)に次ぐ規模である。

神戸阪急(2代目)

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三宮交差点から見た神戸阪急

2019年9月30日まで営業していたそごう神戸店(2017年までセブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武が運営)を引き継いだ店舗。阪急百貨店ではあるが、阪神電鉄神戸三宮駅隣接の三宮阪神ビルをはじめとした複数の建物から構成されている。新館も存在する。 百貨店直営の売場の他、そごう神戸店時代より引き続き、ロフトが入居している。一方、新館5階の紀伊国屋書店や新館2階のレストラン街「味の一番街」は2021年から2022年にかけて、改装のため撤退した。これらの撤退跡やロフトの縮小部分には、モードファッションの売場や旧・セゾングループ発祥の無印良品が新たに展開している。

なお、1995年1月までは三宮阪急が阪急三宮駅(閉店当時)の神戸阪急ビルに入居しており、三宮では24年8ヶ月ぶりの再開店となる。また、2012年までは神戸ハーバーランドにて神戸阪急(初代)が営業していた。ほかに、当店の向かいにかつて存在した三宮ターミナルビルへの進出計画を持ったこともある。

高槻阪急

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2019年9月30日まで営業していた西武高槻店(2017年までセブン&アイ・ホールディングス傘下のそごう・西武が運営)を屋号転換した店舗。最寄り駅はJR高槻駅阪急京都本線高槻市駅も徒歩圏内である。

高槻市の「国鉄高槻駅前再開発事業」に対応して、西武百貨店が1971年「株式会社西武百貨店関西」を設立して関西1号店として出店。1973年に大規模小売店舗立地法が施行されたのを受け直営売場を削って各フロアに専門店を入居させる試みを行った、モール併設型店舗の先駆けであった。西武末期時点で紀伊国屋書店ユニクロロフトタワーレコードアカチャンホンポ関西スーパーなどが入居しており、阪急転換後もそのまま残った。モール併設型の特徴を生かし、専門店の入れ替えを行い、2023年秋からは高槻阪急スクエアに改称予定である。

千里阪急

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1970年3月11日に千里ニュータウンの中心的な商業地区とされた北大阪急行電鉄千里中央駅に隣接する地区に開業した[11]

阪急百貨店が近畿で初めて郊外に出店した百貨店である。

2005年3月期で売上高約181.65億円[88]2006年3月期で売上高約189.34億円[89]2007年3月期で売上高約191.55億円[90]2008年3月期で売上高約193.56億円[91]と順調に売上を伸ばした。

リーマンショックが期中にあった2009年3月期に前年比でマイナスになって売上高約187.01億円[92]となり、翌年からも2010年3月期に売上高約172.54億円[93]2011年3月期で売上高約173.17億円[94]2012年3月期で売上高約172.65億円[45]と売上の減少が続いているものの減少幅は徐々に縮小し始めている。

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[95]

西宮阪急

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当店の入居する、阪急西宮ガーデンズ

2008年11月26日に兵庫県西宮市阪急西宮スタジアム跡地に開業した阪急西宮ガーデンズ[34]の核店舗として268店舗と共に[96]開業した[34]。阪急電鉄の西宮北口駅に隣接している。

高級住宅地を擁する西宮や芦屋を商圏とする特性を踏まえ、「西宮上質生活」をコンセプトとしているが、うめだ本店との差別化や都心ではない郊外型店としての日常性重視の観点から、メインエントランス周辺への海外高級ブランドではなくアクセサリーや化粧品など身近な雑貨を並べている[96]

子育て中の団塊ジュニア世代らの人口が増えている商圏の特性を踏まえ[97]、うめだ本店を大幅に上回る子供服や玩具の売場を設け[96]、教育熱心で富裕な家庭が多いため玩具売場の取扱商品もテレビアニメのキャラクター玩具は置かずに木製の知育玩具に注力し[96]、子供服売り場に無料で絵本を読めるスペースや育児教室を設置して百貨店から足が遠のいていた団塊ジュニア世代の集客に成功している[97]

コトコトステージという各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みは当店に初めて取り入れられた。これは成功し[97]、博多阪急にも展開された[97]ほか、全館開業後のうめだ本店でも展開している[98]

開業初年度の売上高が最多というケースがほとんどの郊外型ショッピングセンターの常識を覆して阪急西宮ガーデンズの売上高が初年度の約659億円から開業2年目に約676億円へ伸びた[99]。核テナントの当店も、2010年3月期の売上高約191.9億円[93]から2011年3月期は売上高約217.63億円、2012年3月期で前期比6.6%増の売上高約231.97億円[35]とリーマンショック後の消費低迷の状況にもかかわらず2010年1月以降27ヶ月連続で前年を上回って売上を伸ばしている[100]

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗と共に関西の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[95]

川西阪急

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川西阪急
店舗概要
座標 北緯34度49分35.4秒 東経135度24分45.8秒 / 北緯34.826500度 東経135.412722度 / 34.826500; 135.412722 (阪急阪神百貨店川西阪急)
開業日 1989年平成元年)4月4日[11]
正式名称 阪急阪神百貨店川西阪急
施設管理者 川西都市開発[101]
延床面積 約74,000 m2[101]
商業施設面積 15,528 m²[45]
最寄駅 川西能勢口駅
川西池田駅[101]
最寄IC 川西小花出入口
外部リンク 公式ウェブサイト
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阪急川西能勢口駅とJR川西池田駅の間にある約130店舗が入るショッピングセンターアステ川西の核テナントとして[101]1989年4月4日に開業した[11]

1995年に開業当初の2倍に売上を伸ばし、紀伊國屋書店などと共に再開発ビル6棟が立ち並ぶ駅前の賑わいの中核の一つとなっている[102]

2005年3月期で売上高約192.66億円[88]2006年3月期で売上高約198.72億円[89]2007年3月期で売上高約206.69億円[90]2008年3月期で売上高約210.88億円[91]と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった2009年3月期は前年比でマイナスになったものの売上高約201.52億円[92]と年間売上高約200億円を数年間安定していた。

2010年3月期はリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約186.36億円[93]2011年3月期で売上高約184.58億円[94]2012年3月期で売上高約181.05億円[45]と売上は落ち込んだものの、年間売上高約180億円以上を維持し続けている。

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[95]

2010年度後半になるとリーマンショック直後よりも売上がさらに落ち込んだため、画一的な売場構成を見直すことになった。当店は周辺に山野が広がり、自然と近い生活を好む人が多いとして「自然」を核とする「川西スタイル」の店づくりを行うことにした。2018年9月にはその皮切りとして、2階と3階の約半分を改装し、3階には衣料品に加えてオーガニックの化粧品や手作り雑貨を置く売場「スロウデイズ」を設けた[103]2019年3月には紳士服などを販売していた4階の半分を改装し、アウトドア用品や外遊び用の子供服を置くなど随時改装している。衣料品中心の画一的な店づくりからの脱却を図り、地元指向の店づくりを目指す。

2025年度から川西阪急スクエアに改称予定[104]。百貨店としては縮小することとなる。

当店の近隣には阪急阪神百貨店の子会社である阪急商業開発が本社を置いて、ショッピングセンターモザイクボックス川西を運営していた[44]。2021年に阪急商業開発が撤退し、ラソラ川西が営業している。

宝塚阪急

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宝塚阪急
店舗概要
座標 北緯34度48分34.3秒 東経135度20分31.2秒 / 北緯34.809528度 東経135.342000度 / 34.809528; 135.342000 (阪急阪神百貨店宝塚阪急)
開業日 1993年(平成5年)4月15日[11]
正式名称 阪急阪神百貨店宝塚阪急
施設所有者 阪急電鉄・阪急バス・ソリオ宝塚都市開発[89]
施設管理者 阪急阪神百貨店
商業施設面積 (暫定開業時)5,054

7,191 m²[45]

6148[105]
最寄駅 阪急電鉄宝塚駅
外部リンク 公式ウェブサイト
Hankyu
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1985年2月の都市計画決定から、宝塚市では第3次総合計画の具体化を進めており、その一環として宝塚駅前の再開発を進めた。「ソリオ宝塚」と呼ばれる再開発区画のうち、第1街区にショッピングセンターの建設が行われることになり、その1・2階と隣接する阪急電鉄高架下店舗「G・コレクション阪急宝塚」の2階に阪急百貨店の進出が決定した。1992年6月3日、常務の星野嘉男を室長とする「宝塚阪急準備室」が設置された。ストアコンセプト「日々上質生活ギャラリー(家)」を掲げ、5キロ圏内の商圏人口の少なさ、店舗面積の小ささといった課題へ挑戦した。日常の衣服や生活雑貨を中心とした展開を行うことになった。

1993年1月20日、地域密着型運営のため、子会社の株式会社宝塚阪急を設立。1993年4月15日に、「宝塚阪急と79の専門店。ひと・夢踊る、生活舞台」をキャッチフレーズに、阪急電鉄宝塚駅の新ターミナルビル「ソリオ宝塚」が開業し、そのキーテナントとして宝塚阪急を開業した。

ファッションとリビングの展開に続き、1994年3月18日には「G・コレクション」の2階にフーズフロアを設け、グランドオープンした。こちらも、ストアコンセプト「日々上質生活」に基づいて日常生活に即した展開を行ったほか、既存のファッションゾーンも親子の服を同じショップで販売するなどの手直しをかけている[11]

2002年4月に阪急百貨店が株式会社宝塚阪急を吸収合併している[89]

売場面積は小さいものの、2005年3月期で売上高約98.46億円[88]2006年3月期で売上高約101.48億円[89]2007年3月期で売上高約105.12億円[90]2008年3月期で売上高約107.68億円[91]と順調に売上を伸ばし、リーマンショックが期中にあった2009年3月期は前年比でマイナスになったものの売上高約102.88億円[92]と年間売上高100億円を数年間安定して上回り続けた。

2010年3月期はリーマンショック後の消費低迷を受けて前年比で大幅なマイナスになり売上高約93.02億円[93]2011年3月期で売上高約91.67億円[94]2012年3月期で売上高約89.06億円[45]と売上は落ち込み続けているものの、売場面積辺りの売上では他店と比べて比較的高い金額を維持し続けていた。三田阪急の閉店時には当店を代替店舗として利用するよう案内があった。

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は北摂地域の店舗や西宮と共に近畿の郊外店を担当する第二店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[95]

しかし、西宮阪急や川西阪急から遠くない立地、宝塚市の人口減少から業績は伸び悩み、2014年前半に1階を閉鎖して駅コンコース直結の2階のみの営業となり[106]2022年6月30日にファッションゾーン全体、8月15日にくらしのゾーンを閉鎖した[107]。2022年の店舗縮小跡地には無印良品カルディコーヒーファームなどの専門店が入ることになったが[107]、百貨店部分は阪急大井食品館(東京都品川区)や都筑阪急横浜市都筑区)、あまがさき阪神(兵庫県尼崎市)と同じく、食料品のみを扱う小型店舗となった。

博多阪急

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2011年3月3日に博多駅駅ビルであるJR博多シティ福岡市博多区)の核テナントとして開業し[38]九州へ初進出[108]した。駅ビルの改装とともに博多井筒屋が撤退したため、博多地区では唯一の百貨店である。

「暮らしの学校」をコンセプトとして[109]西宮阪急で成功したコトコトステージという各売場に設けられた顧客参加型のイベント広場で調理教室や食育、着こなしやコーディネートの講座など取扱商品に関連するイベントを開いて生活シーンや使用価値を提案する仕組みを導入して2階を除く全フロアに大小20カ所設置してするなど物販以外のスペースが店舗面積の約15%を占めているほか、男性向けのコーディネート支援サービスも導入するなど提案型のサービス機能に注力している[97]

20代OLが低単価でも頻繁に買い物に来訪するをことを企図してファッションビル並みの低単価のレディスファッションを扱うハカタシスターズを設け、高級婦人服を扱う特選売場を設置しないなど主力の婦人服売場の商品の多くを単価1万円未満に抑えるなど、従来の百貨店の品揃えと大きく異なる商品展開を行っている[97]。大手百貨店が大都市の主要店舗で展開する富裕層や法人を対象とする外商を当初は設置しないなど、珍しい営業戦略を採っていた[97]

当店の開業半年間での売上は約200億円で計画を約8%上回っただけに留まった[110]が、2012年3月期の売上高が約372.59億円と、初年度目標の370億円を少し上回り[111]、エイチ・ツー・オーリテイリングの連結決算も前期比8.7%増の売上高約5055.88億円で3年ぶりの増収となるなど順調な滑り出しを見せている[35]

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[95]

2017年秋には大規模改装を行って海外高級ブランドを揃えたため外商ニーズが高まることから、外商部員を3人から10人に増加させ、翌2018年3月には当初置かれていなかった外商部を正式に設置した。周辺店舗との差別化や富裕層への客層拡大で2020年度には年商500億円を目指す[112]。2023年度には売上高623億円に達し、開業から比較的新しいものの、福岡市内で天神地区の岩田屋本店に次ぐ2番手にまで成長した[113]。売上高に占める外商の割合が低いとこが特徴である。

阪急メンズ東京

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阪急メンズ東京
阪急メンズ・トーキョー(旧:有楽町阪急時代のもの)
店舗概要
所在地 100-0006
東京都千代田区有楽町二丁目5番1号
座標 北緯35度40分25秒 東経139度45分44.7秒 / 北緯35.67361度 東経139.762417度 / 35.67361; 139.762417 (阪急阪神百貨店阪急メンズ・トーキョー)
開業日 2011年(平成23年)10月15日[45]
有楽町阪急:1984年(昭和59年)10月6日[11]
閉業日 有楽町阪急:2011年(平成23年)7月18日[45]
正式名称 阪急阪神百貨店阪急メンズ東京
施設所有者 東宝[89]
施設管理者 有楽町センタービル管理
延床面積 18,099 m²[89]
商業施設面積 11,445 m²[45]
前身 有楽町阪急
最寄駅 JR東京メトロ有楽町線有楽町駅
東京メトロ日比谷線丸ノ内線銀座線銀座駅
外部リンク 公式ウェブサイト
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1984年10月6日にグループ企業の東宝朝日新聞社などと共に建設した有楽町マリオン東京都千代田区有楽町)内に有楽町阪急として有楽町西武と共に開業した[11]有楽町駅と近接している。戦前から有楽町を始めとした日比谷エリアは阪急阪神東宝グループ(旧阪急東宝グループ)の東京における重要拠点であり、特に東宝の本社ビルなど東宝グループの各種施設が集積している。

同じ有楽町マリオン内の別棟に進出して情報発信型百貨店を標榜した有楽町西武と共にマリオン現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こし[114]、有楽町から隣接する銀座の人の流れを変えたといわれた[115]

当初は地下食料品売り場が存在したが2000年7月月末で食料品売場を閉鎖し、9月からファッション売場としてファッション専門百貨店となった[116]

若い女性の根強い支持を集めて[117]2005年3月期に売上高約140.99億円[88]2006年3月期に売上高約145.76億円[89]2007年3月期に売上高約145.78億円[90]と比較的安定した売上を保っていた。

しかし、同様に若い女性の根強い支持を集めている丸井[117]2007年10月12日に有楽町マルイを直ぐ近くに開業させて[118]競争が激化したことに対応して化粧品売場などの改装を行ったが[91]、主力の婦人服が低迷して2008年3月期で前期比5.0%減の売上高約138.5億円と売上が減少に転じた[91]

さらに、リーマンショック後の消費低迷を受けて2009年3月期に売上高約121.45億円[92]2010年3月期に売上高約98.85億円[93]2011年3月期で売上高約84.62億円[94]と急速に売上が落ち込み、売り場面積が小さいため増床した三越銀座店などと婦人衣料で競争し続けるのは困難だとして有楽町西武の跡に、JR東日本系列のファッションビルであるルミネが開業するのに合せて業態転換を図ることになった[119]2011年7月18日に有楽町阪急としての営業を終了し[45]、同年10月15日に全面改装のうえ、メンズファッション専門館である「阪急メンズ・トーキョー」として開業して[45]黒字転換を図り[46]、改装後の売上は前年同期比で61.0%の増加として売上を回復させた[100]

新装開店時のキャッチフレーズは「世界が舞台の、男たちへ。」、イメージキャラクターに、歌舞伎俳優の市川海老蔵が起用された。

複数のブランドの商品を一緒に並べた自主編集の売場が主体となっていて、顧客が自由に手に取って商品を見比べることが出来ると同時に複数ブランドを合せた提案を店員が出来る点で近隣の銀座地区に多い有名ブランドの路面店との差別化を図っている[75]

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は主力店を担当する第一店舗事業部の所属となり、販売部門と商品部門を分けて各々の責任を明確化する体制へ移行した[95]

同じ有楽町マリオン内にあった有楽町西武は2010年12月25日に[120]閉店し[121]、その跡地にJR東日本グループファッションビルであるルミネ2011年10月28日に開店している[122]

2018年からは松屋銀座東京都中央区)と外商顧客の相互送り込みを開始した。2022年秋からはハウスカードやポイントカードの所持客にも対象を拡大する[123]。なお、松屋社長の秋田正紀は同じ阪急阪神東宝グループに属する阪急電鉄の出身である[注釈 4][124]

都筑阪急

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都筑阪急
都筑阪急を核店舗とするモザイクモール港北
店舗概要
所在地 神奈川県横浜市都筑区中川中央1-31-1
座標 北緯35度33分17.7秒 東経139度34分41.2秒 / 北緯35.554917度 東経139.578111度 / 35.554917; 139.578111 (阪急阪神百貨店都筑阪急)
開業日 2000年(平成12年)3月17日[27]
正式名称 阪急阪神百貨店都筑阪急
施設所有者 第一共同開発[89]
施設管理者 阪急商業開発[125]
延床面積 91,352 m²[89]
商業施設面積 6,736 m²[105]
最寄駅 横浜市営地下鉄センター北駅
外部リンク 公式ウェブサイト
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2000年3月17日に横浜市港北ニュータウンに子会社が開業させたショッピングセンターモザイクモール港北の核店舗として[27]開業した[28]

開業初日に約10万人の客を集めて順調な滑り出しを見せた[28]が、2005年3月期で売上高約81.32億円[88]2006年3月期で売上高約86.21億円[89]と業績の低迷が続いた。

そのため、周辺人口の増加や近隣商業施設の業態転換などの環境変化に対応して催事やポイントカード会員の拡大などを行って2007年3月期に前期比8%増の売上高約93.25億円[90]に伸ばしたものの、翌年度の2008年3月期で売上高約92.2億円[91]2009年3月期に売上高約91.71億円[92]とその後は伸び悩んだ。

リーマンショック後の消費低迷を受けて2010年3月期に売上高約83.39億円[93]2011年3月期で売上高約79.91億円[94]2012年3月期で売上高約78.27億円[45]と一段と売上が落ち込み、赤字と見られているが低コスト運営などで黒字転換を目指している[46]

2011年に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した[95]

他店の業態転換により関東地区の店舗では最後の総合百貨店業態となっていた。しかし、徐々にフロアを縮小し、1階フロアも2020年1月19日をもって都筑阪急としての営業を終了した。その後も、地下1階の食料品フロアは営業を継続する。

阪急大井食品館

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阪急大井食品館
大井食品館の入る阪急大井町ガーデン
店舗概要
所在地 東京都品川区大井1丁目50番4[126]
座標 北緯35度36分20.6秒 東経139度44分2.3秒 / 北緯35.605722度 東経139.733972度 / 35.605722; 139.733972 (阪急阪神百貨店阪急大井食品館)
開業日 新店舗:2011年(平成23年)3月16日[45]
旧店舗:1953年(昭和28年)11月23日[11]
閉業日 旧店舗:2008年(平成20年)3月31日[91]
正式名称 阪急阪神百貨店阪急大井食品館
施設管理者 阪急阪神百貨店
敷地面積 9,856 m²[126]
延床面積 約55,000 m2[126]
商業施設面積 2,121 m²[45]
前身 阪急百貨店東京大井店(大井阪急)[89]
最寄駅 JR東急電鉄大井町駅[91]
外部リンク 公式ウェブサイト
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1953年11月23日に東京大井店として開業した首都圏第1号店である[11]

1971年に店舗に隣接して一体的に増築された建物内にビジネスホテル[127]阪急ホテル(後にホテル阪急→阪急イン→アワーズイン阪急という流れで名称変更)を開業した。

2000年4月に大井阪急をショッピングセンターに業態転換して阪急大井町デイリーショッパーズとし、その中で大井町食品館として営業していた[89]

2005年3月期で売上高約59.79億円[88]2006年3月期で売上高約59.8億円[89]2007年3月期に売上高約60.48億円[90]2008年3月期で売上高約63.04億円[91]と安定して年間約60億円前後の売上を上げていた。

周辺環境の変化や建物の老朽化に対応するために全面的に建替える当店を含む再開発が行われることになったため[127][128]2008年3月31日に旧店舗を閉店した[91]

阪急大井町ガーデンの第1期分[127]が完成したため2011年3月16日に大井阪急食品館として新店舗を開業した。2012年3月期で売上高約47.45億円を上げ、2倍以上の売場面積を持つ阪神・にしのみやや、あまがさき阪神を上回った[45]

当店と同様に建て替えに伴い閉鎖されていたビジネスホテルのアワーズイン阪急も第1期の完成に伴い、地上30階高さ約100mで1,100室(全てシングルルーム)へ高層化して拡大し(フロントは3階、6階 - 29階に客室)、再開業した(現:アワーズイン阪急・シングル館)[126]

このホテルは阪急阪神百貨店の100.0%出資子会社の大井開発が運営している[45]

第2期として地上14階地下1階の建物の建設が進められ、2014年3月に開業した。全館完成後は約18,000m2が商業施設として使用されているほか、5階 - 14階はアワーズイン阪急のツイン館(客室数288室、フロントは3階)としても使用されている[126]

阪急大井町ガーデン・第1期完成時(2012年(平成24年)4月8日撮影)

過去に存在した店舗

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イングス館

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天満橋支店

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天満橋阪急
店舗概要
開業日 1946年(昭和21年)[25]
閉業日 1961年(昭和36年)[25]
正式名称 阪急百貨店天満橋支店
施設所有者 京阪電気鉄道
施設管理者 株式会社阪急百貨店
前身 京阪デパート[5]
阪急天満橋マーケット[25]
後身 松坂屋大阪店

京阪シティモール
最寄駅 京阪電気鉄道天満橋駅
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第二次世界大戦中の戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)下で1943年に、阪神急行電鉄京阪電気鉄道が合併し京阪神急行電鉄が発足した。旧・天満橋駅ビルでは京阪デパートが営業していたが[5]、戦災で建物が全焼し、1945年8月28日に解散した。京阪デパートの建物を京阪神急行電鉄が買収して、1946年に同店跡に食堂付きの天満橋マーケットとして開業した[25]大阪市内で2店目の店舗であった。

1947年に株式会社阪急百貨店を設立して阪急電鉄から独立した[4]ことに伴い、天満橋マーケットも阪急天満橋支店として新装開店した[25]

1949年に京阪電気鉄道が京阪神急行電鉄から独立する際、本社事務所が不足した。このため、阪急百貨店から京阪電気鉄道にいったん建物を売却し、改めて1階と地下を京阪電気鉄道から借りることとなった。1年ごとの契約のため、エレベーター、エスカレーター、冷房などの大型装置は設置できなかった。しかし、淀川がすぐ北側を流れているため、造幣局で桜の通り抜けが行われる際は夜9時まで営業を行うなどの取り組みを行っていた[4]

京阪電気鉄道の淀屋橋駅までの延伸工事の際に地下を新線が通過する為に解体が決まり、1961年に閉鎖して京阪電気鉄道へ建物を返還してその歴史に終止符を打った[25]

跡地には「京阪ビルディング」が建設され、松坂屋大阪店が日本橋から移転して1966年(昭和41年)10月1日に開業したが、川沿いで店舗拡張も難しく、休日の客が少ないオフィス街の立地では一度も黒字転換しなかった。数々の改装も行ったが、2004年(平成16年)5月5日に閉店した。跡地は京阪シティモールとなっている。

なお、松坂屋と同様の理由で当社も近隣への再進出を断念しているため、当店の撤退以降、大阪市内では阪急百貨店が支店を展開したことはない。

天六食料品店

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阪急京都本線の始発駅だった天神橋駅ビル(天六阪急ビル、現・阪急千里線天神橋筋六丁目駅)の低層階に入居していた。天満橋支店と同様、京阪デパートを転換して開店したものである。面積が狭いことから、1955年(昭和30年)7月1日阪急共栄物産へ移管し、スーパーマーケットに業態転換した[11]。「阪急共栄ストア」「阪急ファミリーストア」などを経て、2010年に天六阪急ビルごと閉鎖・解体された。跡地に阪急阪神不動産が建築したマンション「ジオタワー天六」の核店舗として、阪急オアシス天六店が入居した。

三宮阪急

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三宮阪急
当店が入居していた神戸阪急ビルが崩落した姿
店舗概要
開業日 1936年(昭和11年)4月11日[11]
閉業日 1995年(平成7年)1月[89]
正式名称 阪急百貨店三宮阪急[89]
施設所有者 阪急電鉄
施設管理者 阪急百貨店
前身 阪急百貨店神戸支店
後身 いかり阪急三宮店

EKIZO神戸三宮
阪急オアシスなど)
最寄駅 阪急電鉄三宮駅
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一般の小売店による百貨店規制運動に対応し、1933年4月20日に創立総会を開催して設立を認可申請した日本百貨店商業組合に、当店も設立時から参画[21]しており、同組合は支店や分店の新設を制限する営業統制案を設立総会前日の19日に決定した[22]。この営業統制規程第三条を受け、三宮阪神ビルで神戸支店[注釈 5]を営業していたそごうは阪神元町食堂の営業委託がその規定に抵触するとして断った[23]

しかし、阪神急行電鉄は駅に食堂を付属させることは当然認められるサービスと主張し、神戸・三宮に建設していた駅ビルに食堂設置[23]などを強行し、1936年4月11日に阪神急行電鉄神戸駅に完成した神戸阪急ビル内に、子会社が運営する三宮食料品店を開業した[4]。実質的に初の支店にあたる。

地階で食料品を、1階で服飾品を取り扱う小型店舗であった。

阪急百貨店神戸支店が正式名称だったが、ビル名称に合わせて神戸阪急と呼ばれることがあった。1992年に神戸ハーバーランドに開設予定の店舗を神戸阪急とするため(「神戸阪急」が正式名称になったのはハーバーランドの新店舗が初めて)、前年の1991年に三宮阪急に改称して営業を続けていた。しかし、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により神戸阪急ビル東館が被災し、三宮阪急の部分はほぼ無傷で震災後も数日間は営業していたものの、修復工事のため退去してそのまま閉店となった[89]

ビルが解体された後、跡地は1999年に地上22階地下1階の三宮阪急ビルを2004年(平成16年)完成で建設する計画が発表されたが景気の低迷から断念し、暫定的なビルを建設して使用していた[129]。地階は、当社やエイチ・ツー・オー リテイリンググループの店舗ではなく、いかりスーパー阪急三宮店が入居していたが、2016年1月に閉店した[130]

同年4月25日、一度は断念された「神戸阪急ビル東館」の建て替え計画が発表された。
夏頃の着工・2021年の完成を目指すとのことである[131]。2021年1月27日に発表されたとおり、2021年4月26日に新しい「神戸三宮阪急ビル」と商業施設「EKIZO神戸三宮」が開業した。核店舗として系列の阪急オアシスや阪急オアシスの別業態「キッチン&マーケット」が入居している[132]

なお、2019年10月1日付でそごう神戸店(2017年10月1日付でそごう・西武からエイチ・ツー・オー リテイリングに譲渡済み)が阪急百貨店に転換され、「神戸阪急(2代目)」となることが発表されており、阪急百貨店としては24年ぶりに三宮へ再進出した。

神戸阪急 (ハーバーランド)

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1992年9月に街開きした神戸ハーバーランド内の店舗で、ダイエー神戸モザイク[注釈 6]と同時に1992年10月1日に開業した[11][134]。開業当初の運営会社は同年4月に設立された子会社の株式会社神戸阪急だったが、2001年12月に営業の全てを阪急百貨店が引継いで株式会社神戸阪急は会社清算している[89]

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被害が神戸最大の商業中心地である三宮よりも少なかったため[135]震災の約2カ月後に営業再開し[136]、その直後は集客力がアップして売上が伸び、1995年3月期と1996年3月期の2年間だけは黒字となり[48]1996年3月期に売上高約259億円を上げた[46]

客層の変化[135]などに対応するため2004年(平成16年)にベビー用品のアカチャンホンポを誘致したり[135]2005年(平成17年)のダイエーの撤退[137]を受けて2006年(平成18年)2月1日にグループのスーパーマーケットの阪急オアシスを導入したり[138]2006年(平成18年)3月期に子供関連売場のエンターテインメント性強化[89]などてこ入れを行ったが[135]2011年(平成23年)3月期の売上高が約89億円と落ち込んだことから[137]2012年(平成24年)9月末の賃借契約が切れる前の同年3月11日に閉店した[48]

当店の閉店に伴い、隣接して営業しているモザイクの運営会社タクトの株式40%全てを大家である三菱倉庫に譲渡して経営権も移行し、当地区から完全に撤退した[133]

店舗跡は隣接するHa・Re(ハレ)やモザイクと共に施設を所有する三菱倉庫などからイオンモールが受託して大型のショッピングセンターとして一体的に再開発し[139]2013年(平成25年)4月18日にumieとして開業した[140]

四条河原町阪急

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1976年(昭和51年)10月15日に開業した[11]阪急京都本線河原町駅に直結するターミナル百貨店[141]。売場面積が広くなく、大丸髙島屋といった近隣の老舗百貨店との差別化を図るため、デザイナーズブランドを中心とした若者向けのファッションに特化した店舗展開を行った[141][142]

ピーク時の1991年は売上高約171億円を上げていた[143]。デザイナーズブランドブームが去ると競合店に客足を奪われ[144]、業績が低迷した。

業績の改善を目指して2000年以降に2度の大規模な改装を行ったり[141]2007年(平成19年)10月にグループの阪急電鉄が当店の向かい側の四条河原町北東角に商業施設「コトクロス阪急河原町」を開業した際、共同でスタンプラリーを行って四条河原町地区への集客力向上を図った[145]が、京都駅周辺との競争の激化や[146]ファストファッションなどの低価格の衣料専門店の台頭による「百貨店離れ」[147]などの影響により[141]売上高の減少に歯止めがかからず赤字が続き[143]、小規模な店舗で鉄道の乗降客数に大きく影響するほどの集客力を持たないことから[141]2010年11月末のビルを所有する住友不動産との賃貸契約が切れる前[147]の同年8月22日に閉店した[47]

当店閉店後の跡地には、2011年4月27日に京都マルイが開業した[148]が、これも2020年5月12日に閉店し、その後所有者の住友不動産によって「京都河原町ガーデン」として2021年5月12日に開業している。

数寄屋橋阪急

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数寄屋橋阪急
モザイク銀座阪急時代の銀座TSビルディング
店舗概要
開業日 1956年(昭和31年)5月29日[11]
閉業日 2004年(平成16年)8月31日[44]
正式名称 阪急百貨店数寄屋橋阪急
施設所有者 東急不動産
施設管理者 阪急阪神百貨店
商業施設面積 7,000 m²
後身 モザイク銀座阪急[44]
最寄駅 JR東京メトロ有楽町線有楽町駅
東京メトロ日比谷線丸ノ内線銀座線銀座駅
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東京都心初の店舗として、1956年5月29日にマツダビルディングに数寄屋橋阪急を開業した[11]。 (マツダビルディングはその後銀座東芝ビルへ名称変更し、東急不動産が買収したことに伴い銀座TSビルに名称変更している[125]。)

大井店が成功したことから、当社は都内各地から誘致を受けた。東芝社長の石坂泰三は当社社長の清水雅に対し、「マツダビルディングへそごうが進出検討しているが、阪急百貨店に全館貸し出したい」と申し出た。東芝側の内部事情もあったので時間はかかったものの、小林一三もこの話に乗り気だったため、地下1階から地上3階までの店舗として開業した。ただし、5月29日には1階の阪急ファミリア・子供ショップ(825m2)のみの開業で、やや遅れて6月12日に地階食料品売場を開設した。食料品売場では「数寄屋橋に関西の味」として神戸牛などの扱いをアピールした。こうしたこともあり、1485m2と小規模だったが、1961年の増床までも店員の努力や銀座の立地から年間売上高は高い伸び率を誇った[11]

東芝本社の移転を受け、当初の予定通り拡張しようとしたが、引き続き東芝グループ会社の本社が置かれていたため、1961年6月13日から2・3階のみを加えた営業を開始した。その後、1966年2月1日から11月24日までの休業期間(第2マツダビルに仮店舗を設置)を経て、1966年11月15日、「モードのお城」をテーマに新装開店した。大学・短大卒の女性を初めて採用し、ファッションセンスを生かして私服で営業するという当時としては斬新なスタイルを取った。地階食料品売場と1階の紳士服飾雑貨を除き、OLをメインターゲットに絞った専門的百貨店としてのリニューアルであった[11]

その後、有楽町阪急の開業を受けて同店との棲み分けを試行錯誤した。1986年には地階食料品売場を有楽町阪急に1本化して廃止し、1992年にはOLキャリアのスペシャリティストアをコンセプトにリモデルしたが目立った効果はなかった。そこで、「都市生活者のための"MY OFF SCENE CLIP"」をストアコンセプトに、オフタイムに焦点を絞ったリニューアルに着手する。当店のニックネームは化学記号の水素にちなみ、みずみずしいオフタイムとの意味を込め、H2(エイチツー)と定められた。1995年9月1日、地階・1階がリニューアルの先陣を切り、日本初上陸のGAPが入居して注目を浴びた[11]。1996年3月30日に2階へエディバウアーなどがオープンし、同年6月16日には大人のOFFをコンセプトにCDショップHMVなどが入居してリニューアルが完成。若年層や男性客の取り込み、有楽町阪急との差別化による回遊性向上などの効果があった[11]

H2数寄屋橋阪急は全フロア合わせて社員数50人以下と専門店ビルに近い形態をとっていた[11]。しかし、2004年8月31日に数寄屋橋阪急としての営業を終了した。子会社の阪急ショッピングセンター開発に運営を移管し、同年10月8日に専門店ビルモザイク銀座阪急として開業し[44]、服飾店や雑貨店などのテナント[149]48店が入居して2010年3月期に売上高約50億円を上げている[150]

2007年にビルを取得した東急不動産が老朽化に伴う建て替えを理由に立ち退きを提案し[150]、「建て替えが必要なほど老朽化はしておらず、正当な立ち退き理由にならない」と主張して反論していたところ[150]2009年4月に東急不動産が東京地方裁判所に立ち退きを求める訴訟を起こした[125]

2011年3月4日に東急不動産が立退補償金として60億円を支払って2012年8月末で賃貸借契約を解除することなどで和解が成立した[150]ため、2012年8月31日までに営業を終了することを発表した[149]。跡地には2016年に商業施設の東急プラザ銀座が開業した。

1963年封切の東宝映画『社長外遊記』『続社長外遊記』で「丸急デパート」として登場した。後年の形態へと変貌を遂げる1980年代以前の姿が映し出されている。

堺 北花田阪急

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堺 北花田阪急
店舗概要
所在地 591-8008
大阪府堺市北区東浅香山町4丁目1番12号[44]
座標 北緯34度35分4.9秒 東経135度30分54.1秒 / 北緯34.584694度 東経135.515028度 / 34.584694; 135.515028 (阪急阪神百貨店堺北花田阪急)
開業日 2004年(平成16年)10月28日[30]
閉業日 2017年(平成29年)7月31日
正式名称 阪急阪神百貨店堺北花田阪急
施設管理者 イオンモール
商業施設面積 16,000 m²[45]
最寄駅 大阪市営地下鉄御堂筋線北花田駅[44]
外部リンク 公式ウェブサイト
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大阪府堺市(後に堺市北区[注釈 7])に開設されたダイヤモンドシティ・プラウ[注釈 8]の2核1モールの核店舗の一つとして2004年(平成16年)10月28日に開業した[30]

売上高の本店依存率が50%を超える体質から脱却を目指して[29]車社会の進展に伴う郊外型ショッピングセンターへの進出を目指す[44]郊外型百貨店のプロトタイプとして出店した戦略店舗であった[29]

「地域に融合したコミュニティー百貨店」をコンセプトに生鮮食料品や百貨店ならではの総菜や菓子類などを取り揃えた食品売場に注力して売上の約50%を食料品売場で上げることを目指すと共に、2階の大型こども広場もくもく広場を開設したり、地元の幼稚園児から募集したタイルを飾ったり、地元の主婦から募集したレシピを元にした総菜を並べるなど地域に密着した日常性の高い売場となっている[44]

売上高100億円で営業利益3億円[44]を目標に営業を開始したが、2006年(平成18年)3月期で売上高約87.64億円[89]と開業当初は低迷した。

そのため、ポイントカード顧客を中心に来店促進施策を強化して顧客の固定化を進めると共に、2005年(平成17年)秋に化粧品の品揃えを拡充、2007年(平成19年)春に婦人ファッションを強化するなど見直しを進め、2007年(平成19年)3月期で売上高約95.71億円[90]2008年(平成20年)3月期で売上高約104.3億円[91]にまで増加させて軌道に乗せたが、「周辺の競合環境が大きく変化し、営業を継続していくことは困難」として、2017年(平成29年)7月31日をもって閉店した。

なお、閉店当時、Sポイント付与可能ポイントカードへの切り替えが他の阪急百貨店等で行われていたものの、当店では行われなかった。

統一阪急百貨

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統一阪急百貨台北店
統一阪急百貨高雄店

2006年(平成18年、民国95年)3月に統一企業グループと百貨店の運営に関して業務提携したのが始まりである[151]

2007年(平成19年、民国96年)5月12日に台湾高雄市に完成した当時台湾最大のショッピングセンターだった夢時代購物中心の核店舗として統一阪急百貨高雄店を開店して営業を開始した[152]

2010年(平成22年、民国99年)10月7日に台北市の超高層バスターミナルビル「市府転運站」に2号店の統一阪急百貨台北店を開店している[153]

2006年(平成18年、民国95年)3月の提携開始当時から現在まで阪急阪神百貨店(当初は阪急百貨店)側は出資を全くしていない純粋な業務提携となっているため阪急阪神百貨店の出資比率は0%である[151][154]

2016年2月17日、阪急阪神百貨店との業務提携を解除し、名称を「統一時代百貨」に変更すると発表した。3月3日、新名称での営業を開始。

三田阪急

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三田阪急
店舗概要
座標 北緯34度53分16.8秒 東経135度13分44.1秒 / 北緯34.888000度 東経135.228917度 / 34.888000; 135.228917 (阪急阪神百貨店三田阪急)
開業日 2005年(平成17年)9月15日[155]
閉業日 2021年(令和3年)8月1日
正式名称 阪急阪神百貨店三田阪急
施設所有者 三田地域振興株式会社ほか[156]
施設管理者 三田地域振興株式会社[156]
延床面積 21,740 m²[156]
商業施設面積 2,143 m²[45]
最寄駅 JR宝塚線神戸電鉄三田駅
外部リンク 公式ウェブサイト
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1987年(昭和62年)から1996年(平成8年)まで、兵庫県三田市は10年連続で人口増加率が日本一を記録した[157]。1982年(昭和57年)にはJR福知山線と神戸電鉄の三田駅前において再開発ビル建設の計画が浮上し、百貨店大丸の出店が決まっていたが、大丸が1993年(平成5年)に出店を断念したことで阪急が出店することになった[156]

しかし、商圏人口が予想より伸び悩んだことなどを理由に、1994年(平成6年)には地下1階から地上5階までの全フロアでの出店を取り止めて2フロアのみへ縮小する方針を打ち出し、保留床も買取から賃貸へ変更となった[156]。2005年(平成17年)9月13日のキッピーモール(三田駅前一番館)の竣工式が行われ[156]、9月15日にキッピーモールの核店舗として三田阪急が開業した[155]

2フロアの内1階の食品売場部分もグループの食品スーパー阪急オアシスが運営し、2階のファッション売場のみを直営としてうめだ本店の菓子の取り寄せサービスなどで規模の小ささを補う営業形態となっており、郊外立地の実験店としての性格を持たせている[31]。当店の入居するビルは3階と4階は専門店街で5階がレストラン街、6階に市が運営する「まちづくり協働センター」などが入居する複合施設となっている[155]

2011年(平成23年)に阪急阪神百貨店が店舗運営を3つの事業部に分けた際、当店は郊外の小型店を担当する第三店舗事業部の所属となり、販売と仕入を同一の部門が担当する体制に移行した[95]。2020年3月期の売上高は13億6400万円[158]

2020年(令和2年)12月18日、エイチ・ツー・オーリテイリングは三田阪急を2021年夏から秋をめどに閉店することを発表した[158]。系列の阪急オアシスは1階で営業を続けているが、2階の三田阪急は2021年(令和3年)8月1日をもって閉店した[159]

小型店舗

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現在は阪急オアシスやイズミヤなどエイチ・ツー・オー リテイリング傘下の各スーパーで百貨店ギフトの取り扱いを行うのみだが、かつては贈答品の発注を行う'ギフトラボ'や、イングスの小型店を阪急沿線に展開していた[11]

大宮営業課
京都市中京区四条通大宮東入錦大宮町127 阪急大宮駅ビル内
旧・京都営業所。1945年12月22日、「阪急大宮食堂」を開設し、のちに京都ホワイトストアと改称。本店や神戸支店のホワイトストア同様、安価で美味な食堂として利用された。1階正面とホームには、各駅の売店と異なり、阪急百貨店直営の売店が設置されていた。1968年、駅ビル完成により、従来の「京都ホワイトストア」に代わり、喫茶「ホワイト」、「グリル風車」、宝梅ずし、鶴喜そば、東春閣。お好み焼き「北野」からなる「京都食堂街」をビルの1階に開設した[4]。四条河原町阪急の開業後は、四条河原町阪急に売上を合算した。
関西国際空港売店
大阪府泉南郡田尻町泉州空港中1番 関西国際空港第1ターミナル
関西空港第1ターミナル3階、西日本グルメゾーン[注釈 9]
ギフトラボ茨木
大阪府茨木市永代町1-5 茨木市駅ビル「ロサヴィア」
阪急東宝グループとして共同設置した「ペルソナ茨木」内の1コーナー。ペルソナは「ペルソナカード」発行に始まる同グループ共同事業の一環として、有楽町阪急を皮切りに各地にカウンターを設置していた。東宝の映画券や宝塚歌劇の観劇券なども取り扱った。
ギフトラボ日生中央
兵庫県川辺郡猪名川町松尾台1-2-1 日生中央サピエ
日生中央駅にグループのスーパーマーケット、阪急オアシスが中心となるショッピングセンターを開設し、その一角に設置された。現在も阪急オアシスが核店舗かつ施設管理者として日生中央サピエに残っている。
ギフトラボ伊丹
兵庫県伊丹市行基町3-16-6
ギフトラボ塚口
兵庫県尼崎市南塚口町2-12-22 イングス塚口
イングス塚口(後述)に併設されていた。
ギフトラボ豊中
大阪府豊中市曽根東町1-9-25 ファミール曽根104
阪急曽根駅前に丸紅が分譲したマンションの1階にあった「阪急百貨店一茶一遊」に併設されていた。

イングス

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イングス 小型店舗一覧(1998年4月現在)
店名 所在地 最寄駅 備考
イングス塚口 兵庫県尼崎市南塚口町2-12-22 阪急塚口駅
イングス高槻 大阪府高槻市城北町2-1-18 高槻市駅[注釈 10] ミング阪急高槻[注釈 11]
イングス日生中央店 兵庫県川辺郡猪名川町松尾台1-2-1 日生中央駅 日生中央サピエ内、ギフトラボ日生中央を併設。阪急オアシスは2022年も営業中
イングスフィットネスステーション 大阪府豊中市新千里東町1-5-1 千里中央駅 跡地は千里阪急銘菓売場
イングス川西店 兵庫県川西市栄町11-1 川西能勢口駅 モザイクボックス[注釈 12]

実現しなかった店舗

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北浜阪急

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開発業者からの招致を受けて[160]2006年(平成18年)から長谷工コーポレーションなどが進めていた[32]大阪市の京阪電気鉄道と大阪市営地下鉄北浜駅に直結する三越大阪店跡地の超高層マンションの低層部の商業施設部分に[33]三田阪急と同様に阪急オアシスの食品スーパーと百貨店の衣料品売場などを組み合わせる形式での出店を構想して交渉を進め[32]、ライバルの百貨店が撤退した跡地への進出として注目を集めたが[160]、オフィスビルが多い立地で日常の買い物を行う住民が少ない立地のため出店効果が薄い上[160]、条件面でも開発業者側と折り合わないとして2007年(平成19年)6月14日に出店を断念したこと明らかにした[160]

当店が出店断念したため、京都府本社のスーパーマーケットフレスコ北浜プラザ店を中核店舗とする「The Kitahama (ザ・キタハマ)」はこの再開発ビル下層の商業施設として開業した[161]

なかもず阪急

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大阪府堺市の中百舌鳥駅前再開発事業の商業施設として、進出する計画が発表され[162]そごう西武百貨店などとともに入札したが、西武が落札した。しかし、景気悪化などを受けて最終的に西武も断念[163]堺市の「中百舌鳥副都心計画」も参照。

奈良阪急

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ダイヤモンドシティ(現:イオンモール)により積極的に郊外型ショッピングセンターの建設を計画していたジャスコ(現:イオン)は、郊外立地の将来性を確信し、日本で初めてとなる2つの核店舗を持つ郊外型ショッピングセンターの計画を立てた[164]。当時郊外立地の出店を考える百貨店は少なく消極的だったこともあり難航した中で当社が関心を示した。 これに対し、近畿日本鉄道は沿線への他社資本の進出を嫌い、ダイヤモンドシティと共同出資の新会社「ダイヤモンドファミリー」を1970年12月に設立。1972年3月14日、「ならファミリー」及び同ショッピングセンター内に県内初の百貨店として近鉄百貨店奈良店が開業した。

三ノ宮阪急

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国鉄(当時)が三ノ宮駅前に建設する三宮ターミナルビルに3,000m2のキーテナントとして入居する計画があったものの[165]、当初の計画よりもさらに売場面積が縮小されることになったことによって断念した[166]。代わりにそごう、大丸、髙島屋、阪神百貨店などが出店を争ったが、ダイエーグループが運営するプランタン三宮が開業した。

独自の売場

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昭和初期にアイスクリームの製造、販売を手掛けたことに見られるように、創業以来、自社独自商品の展開・販売に注力している。

自主編集売場

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ファッション

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D.EDIT
D-LAB
ポップアップサーカス

うめだ本店4階。国内外のデザイナーズブランドを中心に独自のセレクトを行う「D.EDIT(ディー・エディット)」と、新しいデザイナーやストリートの完成を持つ国内外ブランドを掘り起こす「D-LAB(ディー・ラボ)」から構成されている。2023年秋には、それらのコーナーを縮小し、モードファッションの期間限定ショップを出展するコーナー「ポップアップサーカス」もオープン。 神戸阪急の新館と同じく飲食店もある。同一フロアで「マルニフラワーカフェ」や「トム ブラウン」のチョコレートショップを展開し、ブランドの世界観を五感で感じられるコーナーとしている[167]

Peanuts LIFE & TIMES(ピーナッツライフ&タイムス)

阪急百貨店ではピーナッツ (漫画)のイベントが長年うめだ本店で開かれている。 このイベントやキャラクター専門店に対し、「クオリティを感じること」「キャラクター性よりも理念を感じられること」「ウィットに富んでいること」の『大人ピーナッツ3箇条』に従った独自商品を開発し、子育て世代の母親らをターゲットとしたショップを作った。2018年(平成30年)11月7日に西宮阪急4階、2023年(令和5年)5月31日には、神戸阪急本館5階「Affection for Life」フロアの一部にオープン[168] 西宮阪急、神戸阪急とも、このショップがオープンした際の店長は杉崎聡である[169]

食品

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郊外店やハーバーランドの神戸阪急では食品で差別化を図っていた。長年、生鮮産品やグロッサリーなどのデイリーのMDについては8割を自前で運営してきた。2013年時点では今後も続ける方針としていたが[170]、人件費やオペレーションの問題もあり、川西阪急の正肉以外の分野、宝塚阪急の鮮魚、高槻阪急の青果に関しては外部業者に変更されている。

赤と青
野菜とフルーツを扱うショップ。西宮阪急に自主編集売場があるほか、博多阪急では九州屋が「ベジタブル&フルーツ赤と青」を展開している。
  • かつてはうめだ本店、川西阪急、宝塚阪急にも展開していた。
魚浜
○○(地名)魚浜と名乗る鮮魚売場。千里阪急に千里魚浜、西宮阪急に西宮魚浜という自主編集売場があり、阪急阪神百貨店の社員が魚を捌いている。また、高槻阪急では「鮮魚たかぎ」をはじめ外部運営による鮮魚売場の総称として展開している。 
  • かつては自主編集売場で川西阪急、宝塚阪急に、大起水産などのテナント入居でうめだ本店にも、それぞれ「魚浜」があった。
日本の銘菓撰
全国各地の和菓子、洋菓子を集めた自主編集売場。同様の売場はほとんどの店舗にあるが、神戸阪急では『銘菓 日本の味』として展開。

その他

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カレーパンノヒ
ハウス食品との共同開発商品。様々な具材や期間限定の味を用意した、ギフトにも配慮したカレーパン。
バトンドール
グリコ髙島屋との3者共同開発商品。阪急うめだ本店、博多阪急、神戸阪急(そごう神戸店時代の2018年から)のほか、髙島屋大阪店、京都髙島屋S.C.(髙島屋京都店)、大阪国際空港(伊丹空港)でも展開している。期間限定で新大阪駅ジェイアール名古屋タカシマヤなどで販売されることもある。
豆狸
1972年にうめだ本店で創業した稲荷寿司の専門店。当社グループの阪急デリカが製造している。かつて阪神百貨店も同様な専門店を自社や名鉄百貨店に出店して対抗していたが、撤退。かわってこちらが阪急百貨店のほとんどの店に加え、現在は同じ会社となった阪神百貨店梅田本店、ライバル他社の大丸札幌店や髙島屋大阪店などにも出店している。
Hankyu Mode Kobe
ハンキュウモードコウベ。神戸阪急の新館1階から3階に立地するモードファッションの売場(自主編集売場はない)。ブルーボトルコーヒーやウカデザインストア、コンランショップなどと共に衣食住混在で展開している。うめだ本店のモードフロア同様、五感でブランドを感じられるようにするほか、大丸神戸店との差別化が目的。サステナビリティに配慮し、六甲山の間伐材などを什器に使用している。

沿革

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阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄直営時代

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  • 1925年(大正14年)6月1日 - 阪神急行電鉄梅田駅(現・阪急電鉄梅田駅)に隣接した阪急ビル(梅田阪急ビル)に阪急直営マーケットを開業[3]
  • 1929年(昭和4年)4月15日 - 鉄道会社直営のターミナルデパートとしては世界初の阪急百貨店(現・うめだ本店)を創業した[3]
  • 1936年(昭和11年)4月11日 - 阪神急行電鉄神戸駅(現・阪急電鉄神戸三宮駅ターミナルビル三宮食料品店(のちの三宮阪急)が開店[11]

(初代)株式会社阪急百貨店

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  • 1947年(昭和22年)
    • 3月 - 京阪神急行電鉄より分離独立し、株式会社阪急百貨店設立(初代社長に京阪神急行電鉄の清水雅が就任)[11]
    • 4月1日に株式会社阪急百貨店として開業[11]
  • 1953年(昭和28年)11月23日 - 国鉄大井町駅(現・JR大井町駅)前に阪急百貨店東京大井店が開店[11]
  • 1956年(昭和31年)5月29日 - 数寄屋橋阪急(マツダビルディング内)が開店[11]
  • 1965年(昭和40年)8月24日 - 東京都港区芝浦に芝浦配送センター(地下1階、地上4階建て、敷地面積993m2、延床面積2395m2)が設置[11]
  • 1967年(昭和42年)10月3日 - 10月1日の阪急ブレーブスリーグ優勝を記念して、本・支店で「全店阪急ブレーブス優勝記念・阪急大躍進セール」が実施[11]
  • 1970年(昭和45年)
  • 1975年(昭和50年)11月3日 - 前日の日本シリーズで広島東洋カープを破り、阪急ブレーブスが1位になったため、各店で「チャンピオンセール」が実施[11]
  • 1976年(昭和51年)10月15日 - 阪急電鉄河原町駅隣接地に四条河原町阪急が開店[11]
  • 1982年(昭和57年)10月8日 - 阪急電鉄梅田駅東側に阪急イングスが開店[11]
  • 1984年(昭和59年)
  • 1989年平成元年)4月4日 - 阪急電鉄川西能勢口駅前に川西阪急が開店[11]
  • 1991年(平成3年)1月 - ハーバーランドへの新店舗開設のため、三宮駅にあった神戸支店を三宮阪急に改称し、東京大井店を大井阪急に改称[11]
  • 1992年(平成4年)10月1日 - 神戸ハーバーランド神戸阪急が開店[11]
  • 1993年(平成5年)4月15日 - 阪急電鉄宝塚駅前再開発ビル「ソリオ宝塚」に宝塚阪急のファッション・リビングフロアが開店[11]
  • 1994年(平成6年)3月18日 - 阪急電鉄宝塚駅新ターミナルビル内にフーズフロアが完成し、宝塚阪急がグランドオープン[11]
  • 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災により三宮阪急が被災(そのまま閉店)[89]
  • 2000年(平成12年)
  • 2003年(平成15年)3月1日 - 阪急共栄物産株式会社を合併[40]
  • 2004年(平成16年)
    • 4月19日 - 阪急イングスがうめだ阪急イングス館としてリニューアルされる。
    • 8月31日 - 数寄屋橋阪急が閉店[44]
    • 10月8日 - 数寄屋橋阪急がモザイク銀座阪急となり阪急ショッピングセンター開発に運営移行)[44]
    • 10月28日 - 北花田駅前のダイヤモンドシティ・プラウ(現・イオンモール堺北花田)に堺 北花田阪急が開店[30]
  • 2005年(平成17年)
    • 8月16日 - うめだ本店南側半分の解体・新築工事に着手[50]
    • 8月19日 - うめだ本店は北側半分が開業[50]。仮設売場として「サン広場館」が開設(阪急グランドビルに隣接)。
    • 9月13日 - 旧阪急梅田駅地上駅コンコース(うめだ本店前、梅田阪急ビル1階)の天井装飾の公開を終了。翌日より覆いがなされる[51]
    • 9月15日 - JR宝塚線神戸電鉄三田駅前の三田駅前一番館に三田阪急が開店[155]
  • 2006年(平成18年)

(2代目)株式会社阪急百貨店

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株式会社阪急阪神百貨店

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  • 2008年(平成20年)
    • 10月1日 - 株式会社阪急百貨店が株式会社阪神百貨店を合併し「株式会社阪急阪神百貨店」に商号変更[74]。この会社合併に伴い、本店の名称を「大阪・うめだ本店」から「阪急うめだ本店」に改称。
    • 11月26日 - 阪急西宮スタジアム跡地「阪急西宮ガーデンズ」に西宮阪急が開店[34]
  • 2009年(平成21年)
    • 8月31日 - うめだ本店の北側部分を閉鎖。新店舗の開店準備が行われる。
    • 9月3日 - うめだ本店の新店舗・南側部分(第1期分)が先行開業[61]。同日、仮設売場として設置された「サン広場館」が閉鎖。引き続き、残る北側部分の解体・建替工事が行われた。
  • 2010年(平成22年)
    • 8月22日 - 四条河原町阪急が閉店[47]
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)
    • 3月11日 - ハーバーランドの神戸阪急が閉店[48]
    • 10月25日 - うめだ本店の新店舗・第2期分(北側部分)が先行開業(この時点で、新本館全体の8割分が開業)。「阪急百貨店メンズ館」を「阪急メンズ大阪」に改称。
    • 11月18日 - イングス館を閉鎖[66]
    • 11月21日 - うめだ本店が全面的な建て替えが完了して全館開業[67]。イングス館を8階に移設して「スポーツファッション・イングス」フロアを開設[66]して営業開始[171]
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 10月1日 - グループのエイチ・ツー・オーアセットメントから阪急阪神百貨店に、前日に営業を終了したそごう神戸店、西武高槻店を移管。神戸阪急高槻阪急にリブランド。なお、10月4日までは開店準備のため両店とも休業。
    • 10月5日 - 三宮の神戸阪急と高槻阪急が営業開始。
  • 2021年(令和3年)
    • 8月1日 - 三田阪急を閉店

阪急百貨店吹奏楽団

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1960年(昭和35年)に創設された。阪急阪神百貨店グループに勤務する従業員のみで構成される職場バンドである。2008年(平成20年)10月1日、阪神百貨店との合併以降も名称は変更されていない[172]

全日本吹奏楽コンクールの常連で、鈴木竹男(2005年没[173])が率いて1961年から1位や金賞を連発しアマチュア吹奏楽団としては日本一の伝統と実力を誇っていた。かつては団員の育成機関として阪急商業学園を擁し、阪急少年音楽隊(現・早稲田摂陵高等学校吹奏楽コース)としてのセミプロ的活動も活発に行われていた[174]。当時は全国強豪の西宮市立今津中学校から、阪急商業学園を通り、阪急百貨店に入るメンバーもいた[174]阪急ブレーブスの存続時は阪急西宮球場での応援歌演奏も担当し、当初は有志の交代制だったが、1979年秋に百貨店としてのブレーブス応援部が結成され、常時派遣者と交代派遣者が「ラッパ隊」として担当した[175]

全日本吹奏楽コンクール
年度 部門 曲名 結果 指揮
1961 職場A 運命の力 序曲 1位 鈴木竹男
1962 セミラーミデ 序曲
1963 リエンツィ 序曲
1964 亡き女王のためのパヴァーヌ

秋のビギン

スペインの姫君 幻想曲

ダブルス・フォン

スペイド・フェア

交響曲第4番(チャイコフスキー)

特別演奏
1965 雪娘 軽業師の踊り 1位
1967 マンハッタン交響曲
1968 ダンスと交響曲
1969 シンフォニア・ノビリッシマ
1970 序曲1812年 特別演奏
1971 ドラマティコ 金賞
1973 こうもり 序曲
1974 ジプシー男爵
1976 謝肉祭 序曲
1977 交響曲第5番 第四楽章(チャイコフスキー) 銀賞
1978 スターウォーズ
1979 ルイ・ブラス 序曲 金賞
1980 ナブッコ 序曲
1981 四季 より 秋(グラズノフ)
1982 ファウストよりバレエ音楽
1983 組曲第4番 絵のような風景 1行進曲 4ジプシーの祭り
1984 行進曲 なつかしのパナマ

こうもり 序曲

行進曲 サーカス・ビー

特別演奏
1985 ファンファーレ、バラードとジュビリー 金賞
1986 ニュルンベルクのマイスタージンガー 第一幕への前奏曲 銀賞
1987 交響曲第8番 第4楽章(ドヴォルザーク) 金賞
1988 エジプト舞曲
1989 美しきガラチア 銀賞
1990 サムソンとデリラ バッカナール 金賞
1991 ニュルンベルクのマイスタージンガー 第3幕徒弟たちの入場と親方たちの入場
1992 ミニヨン 序曲 銀賞
1993 ドン・キホーテ より 金賞
1994 シルヴィアより バッカスの行列
1995 ザンパ 序曲
1996 3年連続金賞のため不出場
1997 シチリアの夕べの祈り 序曲 金賞 鈴木竹男
1998 雪娘 軽業師の踊り
1999 組曲第3番劇的風景 マクベス、終幕の情景
2000 3年連続金賞のため不出場
2001 地上の冒険 銀賞 秦和夫
2002 悪魔の踊り 金賞
2003 ラ・バヤデール アダージョ パ・ド・ドゥ〜フィナーレ 銀賞
2004 3年連続全国出場のため不出場
2005 不明
2006 船渡御絵巻 銀賞 飯守伸二
2007 オベロン 序曲 金賞
2008 エグモント 序曲 銀賞 井上学
2009 職場・一般A 3年連続出場のため不出場
2019 ルイ・ブラス 府大会

銀賞

飯守伸二

プロ野球の優勝・応援セールの扱い

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阪急ブレーブス・阪神タイガース

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  • 1967年(昭和42年)の初優勝以来、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)が優勝した年(1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)・1971年(昭和46年)・1972年(昭和47年)・1975年(昭和50年)-1978年(昭和53年)・1984年(昭和59年))に、パ・リーグ日本選手権シリーズで優勝した直後から、梅田本店の店頭に吊るされたくす玉を割り、盛大な優勝記念セールを開催した。のちに社長となる福光尚次が宣伝部長時代に発案したものとされている。
  • しかし、1988年(昭和63年)を最後に、オリエントリース(現オリックス)に譲渡されて以後は、オリックスの優勝セールは神戸阪急(ハーバーランド)のみの実施となった反面、百貨店と球団が同一グループでなくなったため、大丸神戸店・(後に阪急百貨店となる)そごう神戸店など神戸市内に店舗を構える同業者も参入していた[注釈 13]2003年(平成15年)と2005年(平成17年)に阪神タイガースセ・リーグ優勝を決めた際はうめだ本店が髙島屋(大阪店)[注釈 14]・大丸(心斎橋店・梅田店)との4店舗共同で「オーサカバンザイセール」を開催したことがある。これは阪神と阪急が当時競合関係にあったため[注釈 15]、阪神球団から「タイガース優勝セール」の使用許諾が得られず[注釈 16]、直接的に「タイガース」と表現できなかったからである[176]
  • その後、2008年(平成20年)10月に、前年2007年(平成19年)10月に経営統合した持株会社・エイチ・ツー・オーリテイリング傘下の百貨店事業会社が合併し「阪急阪神百貨店」が発足したことで、その合併記念セールの一環として、「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(セントラルリーグ・クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で開催された。
  • 2010年(平成22年)にも阪神タイガースが、同年度のセントラルリーグの公式戦での順位が2位に確定したことにより、同年10月9日から12日まで「めざせ日本一!阪神タイガース応援セール」(クライマックスシリーズ進出決定記念セール)が、阪急百貨店・阪神百貨店の各店で行われた。
  • 2023年(令和5年)は阪神タイガースがセ・リーグ優勝と日本一を決めたが、いずれも優勝セールに関しては、店舗ブランドでの性格分けを行う観点から阪神百貨店の各店舗が対象となり、阪急百貨店では懸垂幕の掲出のみとなった[177][178]。これについては公式に表明されている店舗の性格分けだけでなく、阪急直系の阪急ブレーブスの後身であるオリックス・バファローズが対戦相手となる可能性が同年のパ・リーグの順位とクライマックスシリーズの結果次第で初めて想定され、結果的にそれが実現したことによる過去の阪急ブレーブスの関係者やファンの心情に対する配慮が関係しているかは不明である。
  • 一方、阪急交通社では、個人旅行事業を阪神航空から承継して一本化していることもあり、旅行商品の販売でタイガース優勝セールを行った。

その他球団

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  • 博多阪急では、2011年(平成23年)10月2日-8日に「祝・リーグ優勝 目指せ日本一応援SALE」と題して福岡ソフトバンクホークスの優勝セールを開催した。それ以降も優勝セールや応援セールが開かれている。
  • エイチ・ツー・オー リテイリング傘下の「エイチ・ツー・オー アセットマネジメント(イズミヤ旧法人)」に運営権を委譲された西武高槻店そごう神戸店では、他のそごう・西武各店と異なり2018年の埼玉西武ライオンズの優勝セールを行わなかった[注釈 17]。特に、1980 - 1990年代に西武の優勝セールが恒例化し、年度によっては西武球団所属選手も招かれるなど大規模に行われていた西武高槻店では、優勝セールを行わないことと阪急阪神東宝グループが運営している旨の掲示が行われていた。
    • 一方、そごう神戸店に関しては上記の通り、オリックス球団が『ブルーウェーブ』の名称だった1995・1996年に優勝セールを行ったことがある。また、阪神電気鉄道が大家の三宮阪神ビルに入居しているため、そごう時代から何度か阪神タイガースの応援・優勝セールが実施されており、年によっては臨時で阪神タイガースグッズのショップも設けられていた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 後にそごう丸物(後の京都近鉄百貨店、パルコの前身)、近鉄百貨店なども都内へ進出したが、戦前から進出している髙島屋と大丸、当社しか店舗は残っていない。
  2. ^ イズミヤの旧法人の法人格を引き継いでいる
  3. ^ 神戸市中央区内ではこれら3店舗と別に阪急百貨店の出店計画があったほか、阪神百貨店がさんのみや・阪神食品館ミント神戸地下一階で2006年から2010年まで営業していた。
  4. ^ ただし、阪急電鉄から阪急百貨店への一般社員の出向は存在しない(関西で出向があるのは京阪、近鉄のみで、社長が鉄道会社ないし持株会社出身なのは京阪百貨店のみ)。秋田が阪急電鉄に在籍していた阪急・阪神経営統合以前は共同事業も少なく、小林公平など役員交流のほかは、ペルソナカードの発行や不動産賃貸の関係などにとどまっていた。
  5. ^ 2019年以降の神戸阪急の前身
  6. ^ 阪急百貨店が三菱倉庫などと共に出資して設立したタクトが運営している[133]
  7. ^ 2006年に堺市が政令指定都市に移行
  8. ^ 現在のイオンモール堺北花田
  9. ^ 東日本グルメゾーンを大丸、関西グルメゾーンを京阪百貨店が担当する形で3社共同出店していた。
  10. ^ 高槻阪急スクエア(当時・西武高槻店)と異なり、文字通り阪急高槻市駅に立地していた。
  11. ^ 現在のエミル高槻
  12. ^ 2021年阪急商業開発が撤退、プライムプレイス運営。2022年にラソラ川西に転換。
  13. ^ 2005年の大阪近鉄バファローズとの球団合併や、その後の阪急・阪神の経営統合を経て、阪急百貨店がタイガースと同系列となったことから、2021年のリーグ優勝時は傍系前身の近鉄球団と関係のあった近鉄百貨店がオリックスの優勝セールを行った。
  14. ^ 高島屋は元々南海電気鉄道と関係が深かったことから、大阪本拠時代の南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)の優勝セールを行う権利があったが、同球団の全盛期だった1950年代から1960年代初期にかけては、優勝セールを行う商習慣がなかったため、結果的には南海として最後の優勝となった1973年に行ったのみだった。
  15. ^ 1985年(昭和60年)の阪神優勝時は球団も競合していたので、タイガース優勝セールはできなかった。
  16. ^ 当時阪神百貨店以外で許諾を受けていたのは、大丸ダイエーだった。特にダイエーは球団保有後も継続して許諾されていたため、自社系の福岡ダイエーホークスのセールと併せて行う異例の形態となった。一方、大丸は阪神百貨店と競合する心斎橋店や梅田店は許諾されずに非公式なセールを行いつつ、京都・神戸などの各店でセールを実施していた。
  17. ^ 引き続きそごう・西武が運営しているそごう広島店も、地域性を考慮して西武ではなく広島東洋カープの優勝セールを行った。

出典

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  1. ^ 「固定資産(信託受益権)の譲渡及び特別利益の計上に関するお知らせ』(PDF)(プレスリリース)エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社、2022年8月4日https://data.swcms.net/file/h2o-retailing/ja/news/auto_20220729508214/pdfFile.pdf2022年8月12日閲覧 
  2. ^ “阪急と阪神が合併、10月1日「阪急阪神百貨店」に”. 読売新聞 (読売新聞社). (2008年3月27日) 
  3. ^ a b c d e f g 『75年の歩み』阪急電鉄、1982年。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 『株式会社阪急百貨店25年史』阪急百貨店、1976年9月。 
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  6. ^ 『京阪神急行電鉄五十年史』京阪神急行電鉄、1959年。 
  7. ^ a b 「このデータが入手できれば耳々の大体の利益も把握できることになり、梅田におけるターミナルデパートの採算が立つか否かの検討資料が得られることになる」と小林一三が述べたとしている岩堀女三『偉才小林一三の商法-阪急を創始した経営哲学 (改定新版)』評言社、1978年。 
  8. ^ a b c d e “【大阪の20世紀】(24)小林一三 宝塚歌劇、沿線開発型鉄道…“夢”咲かせ続けた経営者”. 産経新聞 (産経新聞社). (1999年10月10日) 
  9. ^ a b c 栗本智代. “大阪再発見VOL2 大阪ターミナルものがたり 梅田と駅のアイデンティティ”. 季刊誌CEL 60号 (大阪ガスエネルギー・文化研究所) (2002-3). 
  10. ^ a b c d e 谷内正往 (2009-7-31). “戦前のターミナル・デパート-大鉄百貨店の創立”. 生駒経済論叢 第7巻第1号 (近畿大学 経済学会). 
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 50年史編集委員会『株式会社阪急百貨店50年史』阪急百貨店、1998年4月。 
  12. ^ 大阪市史編纂所は「1926年8月31日上本町6丁目に大軌ビル竣工(ビル内に大阪最初の三笠屋百貨店開店) 」としており、三笠屋百貨店を最初のターミナルデパートとしている。 8月のできごと 大阪市史編纂所 大阪市(ウェブサイト
  13. ^ 「大正15年8月に完成した。ビルには本社事務所、直営食堂およびテナントの三笠屋百貨店、ストア、銀行等が入居、9月16日には大阪の東玄関にふさわしい一大ターミナルとしてお目見えした。 」近畿日本鉄道80年の歩み 近畿日本鉄道
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関連会社

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関連人物

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関連項目

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  • ソーライス - 昭和初期の逸話。
  • 名鉄百貨店 - 名古屋鉄道が阪急百貨店との提携によりオープンした。
  • グランデュオ - JR立川駅南口・蒲田駅にある駅ビル。運営会社のジェイアール東日本商業開発株式会社は阪急百貨店・東日本旅客鉄道(JR東日本)とルミネの合弁会社。
  • 毎日放送 - 前身の新日本放送は開局時、阪急百貨店屋上のスタジオより放送を行った。その後、阪急グランドビル内に、ラジオのサテライトスタジオが設置されたこともあった。現行の局舎は茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に建てられている。
  • べっぴんさん - NHK総合テレビジョン連続テレビ小説(2016年度下半期)。実際にファミリアの直営第1号店を阪急梅田店にオープンさせているが、ドラマではそれをモデルにした「キアリス」の第1号店を、当百貨店をモデルにした「大急百貨店」にオープンさせたという設定で登場する。
  • まんぷく - 同じくNHK総合テレビジョン連続テレビ小説(2019年度下半期)。実際にチキンラーメンの試食販売が阪急うめだ本店で行われていたが、ドラマではそれをモデルにした「まんぷくラーメン」の試食販売がやはり「大急百貨店」で行われたという設定で登場する。

外部リンク

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