「Wikipedia:井戸端/history20091024」の版間の差分
Mizusumashi (会話 | 投稿記録) →「個人攻撃」という用語について: 修正 |
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== 「個人攻撃」という用語について == |
== 「個人攻撃」という用語について == |
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ウィキペディア日本語版では、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎれいるように思えます。 |
ウィキペディア日本語版では、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎ<ins>て<ins><del>れ</del>いるように思えます。 |
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まずは、次のリンク先の内容をごらんになってください: |
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また、2と3は比較考量にのり、わずかながら説得力はあるがそれが生み出す萎縮効果とはつりあわないとか、たしかに人を傷つける可能性は否定できないがそれが生み出す説得力は絶大であるので許容されるべきである、ということもあるように思います<ref>後者の例としては、誰かが虚偽の出典を今まで何度も示してきた場合、ということがありえるでしょう。</ref>。 |
また、2と3は比較考量にのり、わずかながら説得力はあるがそれが生み出す萎縮効果とはつりあわないとか、たしかに人を傷つける可能性は否定できないがそれが生み出す説得力は絶大であるので許容されるべきである、ということもあるように思います<ref>後者の例としては、誰かが虚偽の出典を今まで何度も示してきた場合、ということがありえるでしょう。</ref>。 |
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私は以上のように考えており、ウィキペディア日本語版では「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎれいるように思いますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか? |
私は以上のように考えており、ウィキペディア日本語版では「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎ<ins>て<ins><del>れ</del>いるように思いますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか? |
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--[[User:mizusumashi|mizusumashi]]<span style = "color: gray; font-size: 70%">(みずすまし)</span> 2008年10月5日 (日) 01:28 (UTC) |
--[[User:mizusumashi|mizusumashi]]<span style = "color: gray; font-size: 70%">(みずすまし)</span> 2008年10月5日 (日) 01:28 (UTC)--修正:[[User:mizusumashi|mizusumashi]]<span style = "color: gray; font-size: 70%">(みずすまし)</span> 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC) |
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:同意です。そういえば、記事に関わる上で求められる知識や情報を整理する能力に欠けると考えられる人物に、「あなたは能力が足りないので記事に関わらないでほしい(かなり要約)」と幾つかの該当人物が行った編集内容を例に挙げ申し上げた際に、その相手が「人格攻撃」だと主張して発奮されちゃったことが…(類似例+1)。一歩間違うと「個人攻撃だ」と主張することは「対話拒否」の言い換え語なんじゃないかと感じることがあります。というか、他者からの指摘が理解できなかったから「根拠の無い中傷」だとみなしているんじゃなかろーか?とも(良くない方向に漏電中)。その一方で、自分の考えをまとめて表現できない方が、記事が非NPOVないし独自研究だと主張して手を入れたがっている際に、「では具体的に何処がそうなのか」や「何処をどうするつもりなのか」と幾ら問い質しても要領を得ない回答しか帰ってこない(結果、当人の主観で気に入らない記述が除去されたり主張レベルの雑記が放り込まれたりする)なんてのも…似たような気分に襲われることが。妥当性も無いのに個人攻撃だとみなすことは[[WP:POINT]]案件の一種かもしれませんね。--[[利用者:Yatobi|夜飛]]<small>([[利用者‐会話:Yatobi|話]]/[[特別:Contributions/Yatobi|歴]])</small> 2008年10月5日 (日) 03:23 (UTC) |
:同意です。そういえば、記事に関わる上で求められる知識や情報を整理する能力に欠けると考えられる人物に、「あなたは能力が足りないので記事に関わらないでほしい(かなり要約)」と幾つかの該当人物が行った編集内容を例に挙げ申し上げた際に、その相手が「人格攻撃」だと主張して発奮されちゃったことが…(類似例+1)。一歩間違うと「個人攻撃だ」と主張することは「対話拒否」の言い換え語なんじゃないかと感じることがあります。というか、他者からの指摘が理解できなかったから「根拠の無い中傷」だとみなしているんじゃなかろーか?とも(良くない方向に漏電中)。その一方で、自分の考えをまとめて表現できない方が、記事が非NPOVないし独自研究だと主張して手を入れたがっている際に、「では具体的に何処がそうなのか」や「何処をどうするつもりなのか」と幾ら問い質しても要領を得ない回答しか帰ってこない(結果、当人の主観で気に入らない記述が除去されたり主張レベルの雑記が放り込まれたりする)なんてのも…似たような気分に襲われることが。妥当性も無いのに個人攻撃だとみなすことは[[WP:POINT]]案件の一種かもしれませんね。--[[利用者:Yatobi|夜飛]]<small>([[利用者‐会話:Yatobi|話]]/[[特別:Contributions/Yatobi|歴]])</small> 2008年10月5日 (日) 03:23 (UTC) |
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:: コメント、ありがとうございます。「人格攻撃」もまたやっかいな言葉ですね。 |
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:: コメントを受けて考えましたが、やはり、根拠があるのかどうか、というのが重要な点ではないかと思います。ある人に対する評価に根拠があり、またその評価が主題に関する主張・意見・要請の根拠となるという、いわば二段階の根拠によって最終的に説得力を生み出すならば、(それによって人が傷つけられたり、萎縮したりという効果と比較考量した上で)人に対する批判ないしは人に対する否定的評価の表明も許される、と考えるべきではないかと思います。そうでなくては、[[Wikipedia:投稿ブロック依頼|投稿ブロック依頼]]など提出しようがありません。--[[User:mizusumashi|mizusumashi]]<span style = "color: gray; font-size: 70%">(みずすまし)</span> 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC) |
2008年10月5日 (日) 05:55時点における版
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アイコラ、その他の記述に大きな疑問が..ω..
自動で実行されるスパム行為防止のため確認用の文字列を入力しました。greattrueです(,゚゚,)
ω「インターネット上のコラージュ画像を検出するプログラムが開発された。これにより、現在では掲載されづらいことから、お宝映像と称されて公開されることが見受けられる」 ってことですけど、コラージュ画像を検出して管理者とかに警告しても日米英など先進国のサイトはともかく、規制が緩く取り締まりもいい加減な南米や中国、中東、アフリカだったら馬耳東風じゃないですか?(え、そんなこたあないって(('|,|'))
音楽やビデオなど著作権関係も同じことじゃないかしら??--218.45.107.171 2008年9月23日 (火) 17:39 (UTC)
該当箇所は「日本での情勢」と明示されてますね。Wikipediaは、百科辞典なので意見を表明する場所ではありません。でも、日本とアメリカの情勢しか書いていないのが中立でないと違和感を感じたのはもっともなことだと思います。もし余力があるならば、南米や中国、中東、アフリカなどの情勢がわかる中立な資料を入手して、加筆してみるとよいと思います。Wikipedia:五本の柱 、Wikipedia:基本方針とガイドライン、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読まれることをお勧めします。--H335 2008年9月23日 (火) 23:05 (UTC)
非常にくだらん質問
よく「稀」という漢字を「まれ」とひらがなに直されていることがあるのだが、漢字に正したほうがいいんじゃねぇか?--奇跡の生還者 2008年9月26日 (金) 08:42 (UTC)
- 「稀」は漢字区分としては「人名漢字」(→人名用漢字)に位置し、常用漢字ではないことが主な置換理由のようです。これに類するケースには「為」(ため)などがあります。昨今のかな漢字変換ではその辺りは常用漢字とそれ以外がシームレスに変換される傾向があり、まあ一昔前ならワープロを手に入れた、昨今ではパソコンからネットカキコする際に、生半な悪筆家が「漢字いっぱいのほうが文章カッコええぢゃん?」風味に「片っ端から変換してみる」という傾向(爆言)がありますが、「正しい日本語」の範疇からすると芳しくない(実質的に誤植の範疇)方向性であるため、そこは草取りの範疇で一般的な表記に直される次第です。--夜飛(話/歴) 2008年9月26日 (金) 09:27 (UTC)
- (編集競合しましたが、補足の意味で追加)Wikipedia:表記ガイド#漢字に、原則として常用漢字を使うという記述があります。「稀」は人名用漢字ですが常用漢字ではありませんので、これに従えば「使わない」ということになろうかと思います。なお、表記ガイドの該当の部分自体には「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います。」とあり、これは字体についてのみ規定するもので、使用する字の種類を定めたものではないのではないかという疑問が生じうるかもしれませんが、後段に「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい」というような書き方があることから、原則としては常用漢字を使うというふうに解釈してよいと思います。―sketch(話/履) 2008年9月26日 (金) 09:35 (UTC)
一覧に付する記号
テレビ番組関連記事などにおいて、一覧に「○」や「■」などの記号表記が目立ちます。中にはこれが多すぎて何が何だか分からなくなっているものもあります。しかもこの記号が意味するところは、例えばテレビ東京日曜深夜アニメ枠では「斜字は16:9SD画質マスターフルサイズ放映」「■は東名阪ネット、もしくはTVOかTVAのみネット」「◆はアニメ専門チャンネルではAT-X以外のチャンネルで放映(AT-X初出後に放送の例も含む)」などという、さほど重要とも思えない情報ばかりです。何か良い方法はないものでしょうか。--Avanzare 2008年9月27日 (土) 05:07 (UTC)
- 類似する論点について、ノート:播州の秋祭り、ノート:播州の秋祭り/投票に議論があります。この議論が長大なものになり、投票にまで至ってやっと決着したことを考えると、このような符号を解決する手っ取り早い方法は今のところなく、閲覧者からみて、また百科事典として有益かどうか、読みやすいかどうかという点から、個別に議論していかざるをえないのではないかと思います。
- テレビ東京日曜深夜アニメ枠に限って言えば、仮にその符号で示されている内容が有益であったとしても、符号を用いるよりリストに個別に注記したほうが分かりやすいように思えるので、使わないほうが良いだろうと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年9月28日 (日) 04:18 (UTC)
- 播州の秋祭りに関してはその顛末をまったく存じませんでしたが、議論を見る限り「結論は明らかなのに、特定のユーザーが特定の記述に執拗にこだわっている」という印象を受けました。
- さて今回の件ですが、Category:テレビ放送枠内の記事は大抵が単なる番組一覧となっており、記号はあまり見られません。しかしCategory:アニメのシリーズ・放送枠になるとこれが一転し、どの記事を見ても記号だらけになってしまいます。これらの記号を一見して意味を理解できないのは私だけではないはずです。
- しかも、その記号はどれも他のテレビ番組一覧記事ではあまり顧みられていない記述(画面サイズや放送形態など)に終始しています。果たしてそういった記述は必要なのかどうか、そこから議論すべきはずですが、ノート:アニメシャワーでは反対意見が出ています。そういった記述の重要性が私には理解できないのですが、これも私の頭が硬いせいなのでしょうか。--Avanzare 2008年9月29日 (月) 12:43 (UTC)
- 記号の有用性について(あくまでも個人の推測です)。書かれている内容は「高画質での録画・視聴を追求する」ために必要な情報ではなかろうかと思います。
- 用途例:
- 仮に「16:9の画面いっぱいにブルーレイディスク(以下「BD」)並の高画質で安定した(電波のゆらぎがない)状態で受信でき、かつ、画面にロゴマークが写らず番組の中間にCMが入らない」状態を理想としたとき、これから放送される番組について、自分の置かれた視聴環境で「どの程度理想に近い状態が実現されるか」「(複数の局の視聴が可能なら)どの局の放送を選択すればもっとも理想に近いものが得られるか」の判断に利用する。
- あるTV放映作品がBD又はDVDで発売になったとき、BD又はDVD購入の判断をするにあたり、過去に自分が録画したものの画質はどの程度であるのかを知るために利用する。
- 熱狂的なアニメファンには画質にこだわる方が多く見受けられるように感じます。上述のように考えれば、他のテレビ番組一覧記事では顧みられずアニメ関係記事だけに非常に強いこだわりが見られるのも(私個人としては)納得がいきます。しかしながら、「それは百科事典に記載すべき内容か」と問われるなら私の答えは「否」ですが。
- (ノート:アニメシャワーに書くべきかどうか迷ったのですが、個人の推測に基づくおしゃべりに該当すると判断しましたのでこちらに書かせていただきました。ノート:アニメシャワーは議論の場として「実際にその記述が必要だと考えている方」が必要性についての説明を書くべきであって、私のような推測での発言は議論展開を乱すかな、と思ったものですから。)--zenkota 2008年10月13日 (月) 01:35 (UTC)
撮影場所を明記していない著作物の取り扱いについて
絵画など、著者が死後50年経過後のものは著作権が無くなっていると思いますが、一部の画像の中に撮影場所を明記していない物が含まれています。 絵画の場合、大抵はストロボなどの光源による変質を防ぐため撮影禁止になっているのですが、個人で撮影した場合はその禁止事項を破って撮影したことになります。また、書籍などからの撮影は2次著作物からの撮影となり別の意味で著作権が発生すると思うのですが、現地を訪れても禁止事項のため撮影が出来ないなど、現地を訪れないと撮影禁止で有ることがわからないなどの事象が判明します。この様な場合の取り扱いはどう考えればいいでしょうか?所有者の意に反したモラル破りの物は掲載できるのでしょうか?--Domodomo 2008年9月28日 (日) 03:36 (UTC)
- これまでの運用でも、撮影禁止の場所で撮影された写真は掲載できないとされています(削除対象になっています)。ただし、(1)撮影を禁止できることについて法令上の根拠があり(あるいは、法令上の根拠がなくても、そうした写真は掲載しないことについてウィキプロジェクト上での合意があり)、(2)その撮影場所において写真撮影が禁止されていることを削除依頼者または投票者が立証した場合、に限って削除されていると思います。
- 「モラル破り」については、「モラル」というものは人によって様々な見方があるものですから、方針化(他ユーザに強制すること)にはなじまず、各ユーザの良心に任せる他はないと思います。法令または規則によって客観化された規範に反する場合のみとすべきでしょう。--ZCU 2008年9月28日 (日) 04:10 (UTC)
- 『2次著作物の著作権について』絵画を忠実に撮影した写真や、その写真を掲載している書籍において、「その絵画部分」に著作権が発生しているかどうかは微妙だと思います。そこに創作活動が無いからです。また、絵画を撮影した写真を撮影した場合に、それが判別できるかどうかというのも微妙なところがあります。
- 『モラル破りの現地撮影について』たとえば、絵画モナ・リザは、ルーブル美術館では撮影禁止ですが、コモンズに掲載されています(commons:Image:Mona Lisa.jpg)。「大抵はストロボなどの光源による変質を防ぐため撮影禁止」ではなく、「物のパブリシティ権を守るために撮影禁止」や「宗教施設や美術館などで静寂を破ったり秩序を乱したりするから撮影禁止」の場合が多いと思います。入場券を購入した時点で撮影禁止に同意した(契約した)と考えられるのならば、契約違反で撮影されたものは無効であるとも考えられます。
- 現状は、都度議論するしかないんでしょうね。特にPDになっている絵画を、出版されたカタログから撮影またはスキャンした場合は、私はPDだと考えられなくも無いと思います。難しい問題ですね。--Inoue-hiro 2008年9月28日 (日) 07:36 (UTC)
- こんにちは。Inoue-hiroさんが例示されているモナ・リザについては、撮影禁止になったのは2005年9月からであり、May 2004撮影のコモンズの画像はモラル的にも問題のない画像に思います。Domodomoさんが心配されていらっしゃる「書籍などからの撮影は2次著作物からの撮影となり別の意味で著作権が発生する」については、絵画を平面的に写真撮影する行為は著作性がなく写真の著作権は認められないとする考えが一般的のようです(文化庁の解説頁)。--Giftlists 2008年9月30日 (火) 06:35 (UTC)
Thijssie!botとリンクについて
ゼルダの伝説 ふしぎの木の実でのThijssie!botの編集に、いくつか疑問があります。
- ウォッチリストでボットの編集を隠しても、Thijssie!botの編集は隠されない。Botフラグがないからでしょうか?
- 言語間リンクがすべて「Oracle of Seasons」へのリンクとなり、「Oracle of Seasons and Oracle of Ages」などが消されている。
- 上記の削除が間違いである場合、「Oracle of Seasons」と「Oracle of Ages」の2つに分けられていれば、2つとも言語間リンクをつけても良いのか? また、どちらか片方しかない場合はリンクをつけるべきか。
Thijs!botが無期限投稿ブロックを受けてたりと、なんだか怪しいです…… --ほくろ 2008年9月28日 (日) 05:55 (UTC)
- 言語間リンクの混乱については、英語ですがm:Interwiki conflictsに文書があります。今回の場合は "Home confusion" にあたりますので、他言語版の "Oracle of Seasons" からはリダイレクトのゼルダの伝説 ふしぎの木の実 大地の章にリンクさせておきました。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年9月28日 (日) 15:17 (UTC)
- Thijs!botがブロックを受けた原因は、投稿間隔が短いことであり、今回のbotのミス=他のinterlang botにも発生しうる問題とは別に考えてください。--しるふぃ 2008年9月28日 (日) 15:25 (UTC)
執拗な広告の掲載
シュワルツ・エチエンヌにおいて当該会社の広告から丸写しと思われる広告的記述が執拗に投稿されています。個人的には百科事典に広告的記述は相応しくないと考えて削除して来ましたが、皆様どうお考えでしょうか。投稿者の投稿履歴を見たところ前述の他にはシミエールにしか投稿していないので、この2社の代理店であるラベールの関係者かと推測したりもしているのですが。--プリズム11 2008年9月29日 (月) 00:30 (UTC)
- 該当利用者に{{spam}}を入れておきましたので、それでも続くようであればWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックの方針文章の要熟読に報告すればよいです。--hyolee2/H.L.LEE 2008年9月29日 (月) 00:36 (UTC)
呼び出し回数の多いテンプレートについて
Template:和暦のように複雑なロジックが入るテンプレートを必然的に1つのページ内にいくつも張るようになってしまう(サーバ負荷、その他もろもろの理由で)ようなテンプレートの使用は問題であると考えます。これらのテンプレートは存在自体まずいのではないだろうか。--Goki 2008年9月29日 (月) 03:48 (UTC)
- Template:和暦自体の必要性は別にして、負荷が大きい問題に関しては、年代ごとにサブページに分けてやればよいのではないかと思います。呼び出し履歴を見る限りでは、とりあえず慶応以前をサブページに回せば大分負担が減るのではないでしょうか?--Freetrashbox 2008年9月29日 (月) 04:19 (UTC)
- たとえば日本史の出来事一覧の NewPP limit report によれば
- Preprocessor node count: 46184/1000000
- Post-expand include size: 210188/2048000 bytes
- Template argument size: 40966/2048000 bytes
- Expensive parser function count: 0/500
- なので、サーバ負荷は問題ない範囲ではないでしょうか。--Jms 2008年9月29日 (月) 04:27 (UTC)
- たとえば日本史の出来事一覧の NewPP limit report によれば
- 実際の負荷がどれくらいのものかは分かりませんが、一度確定してしまえばそれっきりの内容に対して何度も計算が行われるのが非効率的だとは私も感じます。ウィキテキストの再利用性を下げてしまわないかという懸念も。例えば、編集画面において選択範囲の西暦年を[[西暦年|西暦(和暦)]]に変換するようなガジェットを作る、とかでいいんじゃないかと思うんですが(不自由なPerserFunctionで記述するよりもずっとすっきり書けるだろうし)。--cpro 2008年9月29日 (月) 04:29 (UTC)
- 「一度確定してしまえばそれっきりの内容に対して何度も計算が行われるのが非効率的だとは私も感じます。」
- これが言いたかったんです。言葉足らずで申し訳ないです。あ、ちなみに[[西暦年|西暦(和暦)]]というリンクの張り方は私は反対です。理由は西暦年と和暦年は1対1の関係ではないため。(元号の切り替わりは作者が対応しているようですが、明治5年以前の欠陥には誰も対応できていない。)--Goki 2008年9月29日 (月) 04:33 (UTC)
- 一度で済むことを何度もやらない、ということが主眼なら、少なくとも使いかたとしては subst すればよいだけでは。リンクの張り方云々はここで議論するよりは当該テンプレートそのもののノートで議論すべきでしょう。--Jms 2008年9月29日 (月) 05:05 (UTC)
- 議論も進めていますが何か?また、「subst:すればよいだけ」であったテンプレートも最終的には削除されています(生没年関連のテンプレート)。これらの話も含めて全体的な話としてあげているわけです。--Goki 2008年9月29日 (月) 06:33 (UTC)
- 最近 (というかけっこう前からだと思うが) は、テンプレートを展開した結果がキャッシュされているので、記事を閲覧するたびにテンプレート展開が発生するわけではないでしょう。発生するのは、テンプレートを呼び出している記事が編集された場合と、左記のキャッシュの寿命がすぎたとき (ここ最近だと2、3日くらい?) だけのようです。
- そういうわけで、負荷は問題にしなくてよいように思われます。もしも問題になるほどの負荷なら、編集しているときに問題になるはずです (投稿ボタンを押してもなかなか結果が表示されなかったりするはず)。また、一般論として、編集されるとテンプレートの展開条件は変わりうるので、「一度確定してしまえばそれっきりの内容に対して何度も計算が行われる」とも言いきれないんじゃないかと。 --Hatukanezumi 2008年9月29日 (月) 11:49 (UTC)
- 一般論として、キャッシュもありますし、テンプレートの制限にひっかかっていなければ、サーバの負荷は気にする必要はないと考えます。呼び出し回数が多いことに対しては、WP:HRTに基づいて保護するなどして、編集回数を抑えればキャッシュ破棄の多発も防げます。
- {{和暦}}に限っていえば、わざわざテンプレートにするほどのものか疑問に思います。調べるのには便利でも、直接記事に使うのはためらいます。リンクの形式も表記ガイドに沿っていないという問題があります。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年9月29日 (月) 13:13 (UTC)
- {{和暦}}はノートで意見を書いていただけると助かります。作者は完全に意固地になっていて私が何を書いても無駄な気がしている状態。(存在理由も理由になってないし。もう書く気がおきない。)--Goki 2008年9月29日 (月) 13:57 (UTC)
- わたしも{{和暦}}自体は「考えすぎ」なテンプレートだとは思うんですが (パラメータの値域を大化元年から保証している理由もよくわからん)、ページ内での「呼び出し回数の多いテンプレート」という文脈で問題にするのは変でしょう。私信。ところでここには関係ないが、Gokiさんの会話ページに書いたこと[1]を返答なくログ化してしまったのはなぜ? --Hatukanezumi 2008年9月30日 (火) 00:22 (UTC)
- 私は変だとは思っていません。和暦テンプレートの使用を1度認めると、引数が異なる複数個の使用がされることが間違いないのでこう書いているわけです。なお、会話ページについては「回答しない」という回答であると考えていただいて結構です。--Goki 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)
- そうですか。あなたと議論すること自体には益がないということは理解しました。 --Hatukanezumi 2008年9月30日 (火) 03:37 (UTC)
- はい、了解しました。なお、回答しないというのは無視しているというわけではないこともご留意願います。要約欄に「注意」とだけ書かれてもなんのことかわかりません。てっきり、和暦テンプレのムダ話かと思ったじゃないですか。--Goki 2008年9月30日 (火) 05:15 (UTC)
- そうですか。あなたと議論すること自体には益がないということは理解しました。 --Hatukanezumi 2008年9月30日 (火) 03:37 (UTC)
- 私は変だとは思っていません。和暦テンプレートの使用を1度認めると、引数が異なる複数個の使用がされることが間違いないのでこう書いているわけです。なお、会話ページについては「回答しない」という回答であると考えていただいて結構です。--Goki 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)
- わたしも{{和暦}}自体は「考えすぎ」なテンプレートだとは思うんですが (パラメータの値域を大化元年から保証している理由もよくわからん)、ページ内での「呼び出し回数の多いテンプレート」という文脈で問題にするのは変でしょう。私信。ところでここには関係ないが、Gokiさんの会話ページに書いたこと[1]を返答なくログ化してしまったのはなぜ? --Hatukanezumi 2008年9月30日 (火) 00:22 (UTC)
- {{和暦}}はノートで意見を書いていただけると助かります。作者は完全に意固地になっていて私が何を書いても無駄な気がしている状態。(存在理由も理由になってないし。もう書く気がおきない。)--Goki 2008年9月29日 (月) 13:57 (UTC)
- とりあえず。もともと2008年(平成18年)となっているのをわざわざこのテンプレートに置き換えるのはやめてほしいです。恐ろしい無駄です。--Calvero 2008年9月29日 (月) 15:13 (UTC)
- 作者に直接書いてやってください。私の言うことは聞く耳を持っていないので。--Goki 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)
- 作者というのは私のことだと思いますが、まだノートでご意見の内容について一度お伺いして、少し意見を述べただけなので、「完全に意固地になっていて」とか「聞く耳を持っていない」とか言われても困ってしまいます。また、このテンプレートの使用法や内容についてのGokiさんのご意見にも、一部賛同しています。詳しくは、ノートに書きます。--唐棣色 2008年9月30日 (火) 05:53 (UTC)
- 私の勘違いです。申し訳ないです。「意固地になっている…」の節は唐棣色さんのことではありません。別の記事で執拗に差し戻しを繰り返した利用者約1名と、変な論旨で「ああいえばこういう」コメントを繰り返し、関係のない話題をこの説に書いて悦に入っている利用者約1名のことです。--Goki 2008年10月3日 (金) 19:28 (UTC)
- 作者というのは私のことだと思いますが、まだノートでご意見の内容について一度お伺いして、少し意見を述べただけなので、「完全に意固地になっていて」とか「聞く耳を持っていない」とか言われても困ってしまいます。また、このテンプレートの使用法や内容についてのGokiさんのご意見にも、一部賛同しています。詳しくは、ノートに書きます。--唐棣色 2008年9月30日 (火) 05:53 (UTC)
- 作者に直接書いてやってください。私の言うことは聞く耳を持っていないので。--Goki 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)
記事末尾の「ウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています」の記述の是非について
こんにちは。すこし前から一部の記事の末尾にある「このページはウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています」といった記述が気になっています。最初に気付いたのがウィキプロジェクト 国関連のページだったため、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_国にてこのテンプレートの経緯を質問したところ、詳しい理由は不明なものの、かつてプロジェクトのページ管理のために使われたのではないか、そして現在では必要なさそうだという感触を得ました。事実、現在の「ウィキプロジェクト 国」の「テンプレート」(プロジェクトページ提示の「ひな形」を意味)にはこのフレーズがなく、プロジェクトへのリンクおよびプロジェクトからのトレースという点ではカテゴリ、または infobox や navibox へリンクを埋め込むことで十分対応できると思われました。そこで「ウィキプロジェクト 国」およびその下位プロジェクトの「ウィキプロジェクト 日本の市町村」、またこの種の文言がプロジェクトの「テンプレート」にない「ウィキプロジェクト 漫画家」関連のページにおけるこの種の文言の除去をはじめました。
ところが、その過程で「ウィキプロジェクト 大学」などでも同種の記述が使用されており、こちらでは現在のプロジェクトの「テンプレート」にも「この項目は、ウィキプロジェクト 大学のテンプレートを使用しています。」の文言が含まれていることに気付きました。そこでWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_大学にて経緯を質問したところ、Akinoniji氏より「テンプレート自体にも著作権がありますから出典を明記する必要があります。そこで下部に出典を明記するためにこの文言があるという理解です」というコメントを頂戴しました(「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_大学」2008年9月27日 (土) 18:10 (UTC))。これは私にとってはとても意外なものでした。もしAkinoniji氏の理解どおりであれば(メディアウィキの)テンプレートのsubst展開でもページ内に展開したテンプレートについての表示が必要になりますし、ページの統合、転記、他言語版からの翻訳などでも同様の処置が必要であると思われますが、コミュニティの合意としてはそのような処置は必要ないという結論に至っていると理解しています(subst展開についてはかつてかなりこじれた議論があったことと記憶しています)。しかし著作権に関しては私には知識の及ばない面が多く、いずれにせよ、この種の文言の記載については、コミュニティ全体の合意があるほうが望ましいと考え、井戸端に話を持ち込んだ次第です。
私としては「このページはウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています」の文言は読者に利するところはほとんどなく不要なものと考えていますが、出典記載のために必要であるならば各ウィキプロジェクトの「テンプレート」への適用が推奨されるべきでしょう。ただしそうであるならばもっと小さく、洗練された形で加えてほしいですし、メディアウィキのテンプレートとの混乱を招く「テンプレート」という文言は「ひな形」などに置き換えてほしいと考えています。ご教示、ご意見よろしくお願いいたします。--Aotake 2008年9月29日 (月) 08:35 (UTC)
- 「名前空間」のテンプレートも雛形だと思います(言語版によっては訳されています)。Aotake氏の作業時の違和感は全うだと思います。テンプレートやプロジェクトへの案内は自己言及であり記述する場合には本文と違いが分かるようにかつ目立たずに記載されるべきです。雛形は雛形であってプロジェクト内では著作性を有しないものとして扱うべきであると私も思います。johncapistrano 2008年9月29日 (月) 09:01 (UTC)
- かなり昔に著作権の配慮で載せていたはずですけど、著作権に関する理解が乏しかった時代の遺物かと思います。「ウィキプロジェクト 日本の市町村」の文章は見つけ次第削除するようにしてますけど、なにぶん数が多すぎるもので…、助かります。--Knua 2008年9月29日 (月) 17:46 (UTC)
- 少なくとも、著作権上の問題ということであれば、ウィキプロジェクトを表示するのはおかしいのではないかと思います。載せるのであれば著作権者(執筆者・作成者)の氏名、もしくは編集履歴へのリンクにするべきです。「出典記載」というのが引用のことであるならば、こういうのは引用とはいわないような気がします。GFDLの要件を満たす目的であるならば、編集の要約欄でこれを行うのが通例であって、テンプレート上で表示するのは、やはり何か違うと思います。--Calvero 2008年9月30日 (火) 17:16 (UTC)
- コメントありがとうございました。まだ十分に議論を尽くしているとは言えないとは思うのですが、井戸端から消えてしまわないうちにここまでのところをまとめますと、「『このページはウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています』の文言は不要であって除去して構わない。もし今後もテンプレートを使用する際にGFDLの要件を満たす必要があるのならば、要約欄での言及によって行うべきである。」ということでよろしいでしょうか。--Aotake 2008年10月3日 (金) 07:50 (UTC)
城内実の記事
城内実の記事内容は、選挙前なのに表現が中傷的でまずいように思います。ご検討願います。—以上の署名の無いコメントは、寂華(会話・履歴)さんが[2008年9月30日 (火) 17:44 (UTC)]に投稿したものです。
- 個別の記事の内容については、ここではなく該当ページのノート:城内実でやるべきかと思います。--koon1600 2008年9月30日 (火) 18:04 (UTC)
私は一度は選挙妨害的な表現を見てリバートしましたが、また書き込まれましたのでもう関係しません。よろしくお願いいたします。 —以上の署名の無いコメントは、寂華(会話・履歴)さんが 2008年9月30日 (水) 18:25 (UTC) に投稿したものです(テンパわたるによる附記)。
漫画や小説の表紙、ゲームのパッケージ等の画像の記事への添付
海外版で普通に使われているのに日本語版で使われてないのはなぜでしょうか。あと、コモンズにある画像なら使っていいのでしょうか。--118.19.75.203 2008年10月1日 (水) 12:35 (UTC)
- まず、前提として・・・『漫画や小説の表紙、ゲームのパッケージ等の画像』はほとんどが著作権がまだ生きていますので、著作権侵害ではあります。しかし、英語版等いくつかのwikipediaにおいて著作権侵害のものでも画像を載せていることがありますが、これはフェアユースの考え方に基づいています(乱暴に言えば明らかに著作権侵害である小説の表紙やら何やらを載せても、フェアユースであると主張すれば使うことが出来る)。
- 日本の法律にはこの規定はなく、また日本語版wikipediaでも認めない方針なので、日本語版ではフェアユースによる画像使用は認められません。また、英語版で使われているからといって日本語版に持ってくると削除されます。コモンズ(こちらではフェアユースは禁止されています)にあるものについても、日本において法的にまずいものは使うべきではないというようなことは言われますね。--koon1600 2008年10月1日 (水) 13:14 (UTC)
- たとえば、コミックスの単行本を並べた画像だと、どうなるんでしょう? 特定の表紙を大きく見せないのであれば、問題ないようにも思うのですが…。ゲーム機本体はよくて、コミックスは駄目…というのも、おかしな話ですので…。ゲームセンターCXではフィギュアもOKなんですが、どこで線引きされるのでしょうか?--124.108.239.168 2008年10月2日 (木) 13:53 (UTC)
- ちょっと待ってください。まず、米国著作権法のもとにおいて、フェアユースの抗弁に基づく著作物利用は、著作権侵害ではないでしょう(何かにそう書いているのでしょうか)。米国著作権法のもとでのフェアユースの抗弁は、反射的にみて著作権に課せられた制限なのであって、いわば、もともと著作権が及ばない領域なのです。
- 次に、ウィキペディア日本語版で、米国著作権法のフェアユースの抗弁がまったく認められないわけではありません。そうではなくて、ウィキペディア日本語版で利用するためには、米国著作権法と日本著作権法の両方において適法でなくてはならないのです。つまり、米国著作権法において適法な理由としてフェアユースの抗弁は認められるが、日本著作権法でも適法ではならないので、それだけでは問題の半分が片付いたにすぎず十分ではないということです。
- ウィキメディアコモンズの画像をウィキペディア日本語版で表示する場合に、日本著作権法を考慮する必要はあるのか、という点について。これについては、たしかに意見が分かれています。個人的には、以前はこの点について安全側に倒すべきという考えを私は持っていましたが、ウィキペディア日本語版コミュニティが表示しても良いという合意を形成するのならば、それでも良いだろうといまは思っています。
- 「コミックスの単行本を並べた画像」「特定の表紙を大きく見せない」の話について。日本の著作権法上は、「著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得」できないサイズより小さくすれば、問題ないでしょう。例えば、極端な話、何十という単行本をずらっと並べて、一つ一つの表紙は何が書いてあるのか分からない状態で、これだけの巻数が出版されていますと示す画像であれば、大丈夫です。しかし、想定されているのはそういうケースではなく、個々の表紙がもう少しはっきり見える状態でしょうから、ケース・バイ・ケースで個別に検討するしかないものと思います。
- ゲーム機本体はよくて、コミックスは駄目だという点について。これを奇妙だと思う心理は分からなくありませんし、ゲーム機本体も絶対に大丈夫だというわけではありませんが、日本の判例はそのような立場をとっており、学説上もこれを支持するのが通説だと思われます。
- 画像:Arino.jpgは、Wikipedia:削除依頼/画像:Arino.jpgをみると、ロゴについては不鮮明すぎて(判例の言い回しを使うと)「著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得」できないという判断、フィギュア本体についてはたんなる工業製品であって著作物ではないという判断がなされたのではないかと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月2日 (木) 20:49 (UTC)
貨幣の画像の著作権
貨幣に著作権はあるのでしょうか。いろいろな文献を見てみたのですが、素人にはわかりそうにもありません。「国が発行しているもの」「偽造目的ではない」との理由から法律的には問題がないようにも見えますがそのあたりのことについて詳しい方がおられたら教えていただけませんか。現状では、英語版では多用されていて、日本語版では少し使われている感じです。もし法律関係がOKなら英語版からざくっと持ってきて日本語版にも載せたいなと考えています。--Yukke123 2008年10月1日 (水) 13:29 (UTC)
- en:Template:Non-free currencyが貼ってある画像もあります。日本語版では使えない画像です。--hyolee2/H.L.LEE 2008年10月2日 (木) 02:01 (UTC)
- ありがとうございます。しかし、ほとんどの画像は取り込んだ際に著作権は発生しない(単純なコピーの為)ので結局誰の著作なのでしょうか。もし著作権が発生するのであれば著作権を保持しているのが国の場合発行されて50年たてば使用できますし、デザインした人に著作権があるのであるのであればその人が死去してから50年になります。もちろんen:Template:Non-free currencyが貼ってあるのは知っていたのですが、その根拠がどこにあるのかが不明なのでお聞きしました。--Yukke123 2008年10月2日 (木) 13:28 (UTC)
- 貨幣のデザインについては別に存在する原画の二次著作物であり、且つ(原画ではなく)二次著作物は公表済みなので保護される著作物の権利は原作の氏名表示権(名前の表示を求める権利)、原作と二次著作物の同一性保持権(無断で改変されない権利)だと考えます。二次著作物自体の展示権は貨幣発行とともに消失していると考えます(もちろん原画を展示する権利は別に存在します)。公表された美術品(公園の銅像や建物のデザイン)と同じ扱いだと考えます。また著作権以前の問題として貨幣の複製は別の法律で禁止されているでしょう。(貨幣以外の公表された美術品では)二次著作物に手を加えて改変するする権利は原作と二次著作物の同一性保持権が存在する限りは原作および二次著作物のデザイナーの許可が必要です。写真として引用する限りは少なくとも、原作の氏名表示権が残存している場合は誰の原作であるかまた原作にタイトルがあればそれらを引用の解説に含めてに提示する必要があると考えます。もちろん引用で許可された以上の著作物の使い方(たとえばレプリカの作成や公開、コラージュとして別作品への写真の埋め込み)は許可が必要という解釈になりますし、それ以前に(引用ではなく)レプリカやコラージュは貨幣の場合は著作権とは別の法律で禁止されると考えます。もちろん外国の著作権法で別の権利が定められていればそれも合わせて権利を保障する必要があると考えます。--あら金 2008年10月2日 (木) 15:31 (UTC)
- ありがとうございます。著作権外の問題であるとすれば、英語版ウィキペディアで公表(アメリカの法律でOKなもの・その他の国の法律を考慮したもの)されているものに関しては日本語版ウィキペディアでも公表できると考えてもいいのでしょうか。少なくとも日本国の法律ではOKなように感じます。--Yukke123 2008年10月2日 (木) 15:42 (UTC)
- コンプライアンスを順守するというのと法律で取り締まられないというのは別の観点だと考えます。法律での取り締りはコンテンツの存在するサーバーの設置国に依存します。だからといって権利侵害や法律違反のコンテンツがあればサーバーの位置にかかわらず違反状態の解消は請求されるでしょうし、Wikipediaとしてはコンプライアンスは遵守するという方針なので違反状態を解消するアクションを取るべきだと考えます。知らないでやったとしても知った段階でコンプライアンスを遵守するべくアクションを取るということだと考えます。具体例としては"No-Free"の根拠が単純に著作権だけなのか他にもないか、あるいは原作者は二次著作者に単に原作の利用を許可しただけなのかは原作の権利を譲渡したのか等、権利関係の所在が明確ではないので合法非合法を判断するのは困難のように考えます(全ての関係国の法律を評価する力量があるかということもあります)。一方、コンプライアンス遵守する立場としてはそのコンテンツを利用しないというのがベターな選択だと考えます。--あら金 2008年10月3日 (金) 01:11 (UTC)
- 貨幣の場合は、著作権法は適しませんが、刑法の適用になります。刑法148条から153条をお読みになるとご理解いただけるはずです参考リンク。
- 法的遵守は、様々な法律にしたがって行動することに他なりません。ウィキペディア上で出くわす法的関係では著作権法を核に金融商品取引法、個人情報保護法を侵害しているケースが往々にして、削除依頼であがってくる場合がありますので、グレーゾーンの記事(あるいは画像)だと思ったら、依頼をかけていただく、新規であれば投稿しないという姿勢が必要だと思います。--Tantal 2008年10月3日 (金) 22:32 (UTC)
- おはようございます。昨日、日本の通貨(貨幣と紙幣)について長々と書いたものですが。その後にYukke123さんは文脈的に主に「外国の貨幣」についてご質問されているのかなと考え、ならば日本限定でしかも貨幣より条件が厳しい紙幣についてもだらだらと併記した私の書き方ではかえって混乱を招くだろうと一度消去しましたが。日本の貨幣の製造を行っている造幣局では、「貨幣の写真やイラストを印刷物に使用できますか」という質問に対し「通貨及証券模造取締法」の判断になると回答しています(造幣局頁)。通貨に関連する法令は、日本銀行のサイトでまとめられていますが(日本銀行頁)、刑法は行使目的(実際に使用する目的)での偽造や行使を禁止したもので、固形物である貨幣の写真をネット上にあげたいという今回のテーマでは直接的な関係は薄いように思います。昨日書いたことの再掲ですが。コンプライアンスの第一歩は、該当の行為に係る法律等は何なのか、それらの法律が要求している事項は何かを精査することだと思います(法的要求事項が何かわからなければ、それを守ることができません)。法律の中身を精査しないまま闇雲に安全側に倒して自粛というのはコンプラとは少し違う考え方のように感じます。--Giftlists 2008年10月4日 (土) 00:09 (UTC)
- コンプライアンスを順守するというのと法律で取り締まられないというのは別の観点だと考えます。法律での取り締りはコンテンツの存在するサーバーの設置国に依存します。だからといって権利侵害や法律違反のコンテンツがあればサーバーの位置にかかわらず違反状態の解消は請求されるでしょうし、Wikipediaとしてはコンプライアンスは遵守するという方針なので違反状態を解消するアクションを取るべきだと考えます。知らないでやったとしても知った段階でコンプライアンスを遵守するべくアクションを取るということだと考えます。具体例としては"No-Free"の根拠が単純に著作権だけなのか他にもないか、あるいは原作者は二次著作者に単に原作の利用を許可しただけなのかは原作の権利を譲渡したのか等、権利関係の所在が明確ではないので合法非合法を判断するのは困難のように考えます(全ての関係国の法律を評価する力量があるかということもあります)。一方、コンプライアンス遵守する立場としてはそのコンテンツを利用しないというのがベターな選択だと考えます。--あら金 2008年10月3日 (金) 01:11 (UTC)
- ありがとうございます。著作権外の問題であるとすれば、英語版ウィキペディアで公表(アメリカの法律でOKなもの・その他の国の法律を考慮したもの)されているものに関しては日本語版ウィキペディアでも公表できると考えてもいいのでしょうか。少なくとも日本国の法律ではOKなように感じます。--Yukke123 2008年10月2日 (木) 15:42 (UTC)
- 貨幣のデザインについては別に存在する原画の二次著作物であり、且つ(原画ではなく)二次著作物は公表済みなので保護される著作物の権利は原作の氏名表示権(名前の表示を求める権利)、原作と二次著作物の同一性保持権(無断で改変されない権利)だと考えます。二次著作物自体の展示権は貨幣発行とともに消失していると考えます(もちろん原画を展示する権利は別に存在します)。公表された美術品(公園の銅像や建物のデザイン)と同じ扱いだと考えます。また著作権以前の問題として貨幣の複製は別の法律で禁止されているでしょう。(貨幣以外の公表された美術品では)二次著作物に手を加えて改変するする権利は原作と二次著作物の同一性保持権が存在する限りは原作および二次著作物のデザイナーの許可が必要です。写真として引用する限りは少なくとも、原作の氏名表示権が残存している場合は誰の原作であるかまた原作にタイトルがあればそれらを引用の解説に含めてに提示する必要があると考えます。もちろん引用で許可された以上の著作物の使い方(たとえばレプリカの作成や公開、コラージュとして別作品への写真の埋め込み)は許可が必要という解釈になりますし、それ以前に(引用ではなく)レプリカやコラージュは貨幣の場合は著作権とは別の法律で禁止されると考えます。もちろん外国の著作権法で別の権利が定められていればそれも合わせて権利を保障する必要があると考えます。--あら金 2008年10月2日 (木) 15:31 (UTC)
- ありがとうございます。しかし、ほとんどの画像は取り込んだ際に著作権は発生しない(単純なコピーの為)ので結局誰の著作なのでしょうか。もし著作権が発生するのであれば著作権を保持しているのが国の場合発行されて50年たてば使用できますし、デザインした人に著作権があるのであるのであればその人が死去してから50年になります。もちろんen:Template:Non-free currencyが貼ってあるのは知っていたのですが、その根拠がどこにあるのかが不明なのでお聞きしました。--Yukke123 2008年10月2日 (木) 13:28 (UTC)
ダウンロードすれば容易に模造紙幣として利用できるとか、通貨として誤認されて使用されてしまうような状態(が可能とは思えませんが)でWikipediaに画像がアップロードされていない限りは問題ないと考えますが。参照(著作権委員会レポート[2])。通貨の著作権と複製の問題をごっちゃに判定してしまうと、たとえばテレビで紙幣を放送することすらできなくなります。--ネコバット 2008年10月4日 (土) 02:40 (UTC)
- 「コンプライアンス」が法律・規則遵守のことであるとお考えのようでしたら、それはコンプライアンスの狭義あるいは最低限の範囲です。貨幣の例については明白な条文や判例は検索調査することは困難です。とはいえ条文や判例が見当たらないといって創作者の権利に敬意を払う(尊重する)必要がないと判断することはコンプライアンスが保持された体制であるとは言い難いと考えます。同じように懸念があると知っているならば(今回のケースとは合致しませんが、一般論として、懸念の調査の結果が調査限界の為にグレーになったとしても)知っているのにも関わらず結論を待たず掲載を強行することがあればそれはいかがなものかと考えます(記事それぞれについて懸念を含めて提案して調査を待つということだと考えます。知らないならやむを得ないかもしれません。)また、日本の法規上OKだからといっても、引用に氏名表示権を提示するに配慮はしても損はないと考えます(デザイナーも貨幣に関する重要な属性のひとつですから)。(個人的な意見を言わせていただければ)日本の硬貨については写真を引用することを非とする決定的な根拠というのは見つけることができませんでした。紙媒体に印刷される余地がある紙幣については著作権以外にもいろいろ問題があるように考えます。日本の貨幣の権利関係が、外国に適用できるかどうかは不明という点はすでに述べました。--あら金 2008年10月4日 (土) 06:16 (UTC)
- こんにちは。コンプライアンスが法律だけに限らないのはその通りだと存じます。法律の定めが仮に「100以下」などとなっていても、条例等で上乗せや横出し規制が付加されていることもあります。その分野での明文化されていない慣習的なマナーのようなものもあります。またそういった法律外の規制がなかったとしても「100以下と規定されているのだから99.9998を目指せばいい」という境界線狙いはコンプライアンスの理念に反しているでしょう。逆にコミュニティで話し合って「法律では100以下となっているがこの場では独自のガイドラインを定めて80以下としよう」とより厳しい自主規制をかけるのもありでしょう(私はあまり賛成しませんが)。ただしそうした判断をするためには、まず守らなければならないとする根拠は何か、守るべき事項は何かを知っていなければ始まりません。Yukke123さんはそうした事を知りたいと思い、ここで質問をされたのではないでしょうか。それへのお返事としては、hyolee2/H.L.LEEさんやTantalさんがされているように、根拠を具体的に示すことではないでしょうか。そうでなければそのお考えが正しいか判断がつきかねますし、賛成や反論をすることもできません。せっかく問題提起をしてくださっているのですから、この機会に何が禁止された行為で何が行える事なのか、みんなで出典を持ち寄って確認してみてもいいのではないでしょうか。なお、貨幣の著作権については先に挙げたサイトを参考に再掲しておきます(コンピュータソフトウェア著作権協会頁)。
- 私の個人的な印象ですとhyolee2/H.L.LEEさんが仰っているように特殊なテンプレートが貼られている画像は注意が必要ですが、それ以外のコモンズの貨幣画像については、日本語版での貼り付けに問題があるようには感じられません。うーん、浅はかですかねえ……。--Giftlists 2008年10月4日 (土) 10:01 (UTC)
- たくさんのお返事ありがとうございます。ここで知ろうとしたものとして、著作権に関して問題がないのであれば(Commonsではなく)英語版Wikipediaで大量にアップロードされている貨幣の画像にフェアユースは関与しないのではないかと考えました。その場合に、日本語版であろうが、英語版であろうがおかれている状況は同じなので英語版の貨幣の画像を日本語版にアップロードして問題は発生しないのではないかと思いました。しかし、一人で判断してしまうとその後大きな問題に発展する可能性があるので井戸端で質問させていただいたしだいです。ちなみに英語版Wikipediaでen:Template:Non-free currencyというテンプレートには一部の貨幣には著作権があるのでフェアユースで使用する旨が記述してありますが、これの根拠はどこにあるのかが不明です。これはアメリカの法律で規定されていることなのでしょうか。--Yukke123 2008年10月5日 (日) 04:35 (UTC)
- こんにちは。私が粗くですが見た限り合衆国の通貨でen:Template:Non-free currencyが貼られたものは見当たりませんでした。合衆国の通貨で具体的に貼られている例はありますでしょうか。通貨の著作権はそれを発行している国によって主張(という表現が適切かはわかりませんが)する国としない国があるようです(合衆国や日本は主張していない国のようですね)。件のテンプレートは、主に合衆国以外の通貨で使用されているように思います。該当の通貨を発行している国が「著作権を主張していない」と証明する責任は、アップロードする側にあります。ただアップロードする方が、その通貨を発行した国の人間でない場合はその証明が難しく、またあちらにはフェアユースという便利なものもありますので、著作権の有無が確認できない通貨についてはあのテンプレートを広く使用しているように見えます。ですので該当の通貨について、それを発行している国の財務省なり日本銀行なりに相当するサイトを丹念に見ていけば、実はフェアユースでなくても使用できるものも紛れている可能性はあるのではないかと思います(作業としてはかなりの手間ですが)。--Giftlists 2008年10月5日 (日) 05:24 (UTC)
- たくさんのお返事ありがとうございます。ここで知ろうとしたものとして、著作権に関して問題がないのであれば(Commonsではなく)英語版Wikipediaで大量にアップロードされている貨幣の画像にフェアユースは関与しないのではないかと考えました。その場合に、日本語版であろうが、英語版であろうがおかれている状況は同じなので英語版の貨幣の画像を日本語版にアップロードして問題は発生しないのではないかと思いました。しかし、一人で判断してしまうとその後大きな問題に発展する可能性があるので井戸端で質問させていただいたしだいです。ちなみに英語版Wikipediaでen:Template:Non-free currencyというテンプレートには一部の貨幣には著作権があるのでフェアユースで使用する旨が記述してありますが、これの根拠はどこにあるのかが不明です。これはアメリカの法律で規定されていることなのでしょうか。--Yukke123 2008年10月5日 (日) 04:35 (UTC)
LUMIX→ルミックス移動について
メーカーが両方の表記を併用していることを確認し移動したのに「英語表記も商標名として認められている」という理由にならない理由で差し戻され、議論にも応じません。どうしたものでしょう。--プリズム11 2008年10月1日 (水) 20:03 (UTC)
- WP:CALM。そのページのノートを拝見しましたが、議論に応じていないということはないでしょう。「意見が食い違っている」と「議論に応じない」は違いますよね。失礼ですが申し上げますと、「メーカーが両方の表記を併用していることを確認し」たから「移動した」というのは、全くご自身の行為を正当化する理由になっていないように思います。数日ウィキペディアから離れて論理の武装を固められてはいかがでしょうか。--二条ちゃん 2008年10月2日 (木) 14:29 (UTC)
- えっ。冷静にですか。んで、それがわざわざリダイレクト記事ヘのリンクなのは何かの皮肉なのか知らん(^_^;
- タイムテーブルは把握されていますか。まさに頭を冷やしつつあるべき反論を待って、反論も差し戻しの修正もされないからここに来ているんですけどねぇ。--プリズム11 2008年10月2日 (木) 16:58 (UTC)
- Wikipedia:コメント依頼 を使ってみてはどうでしょうか。なお Wikipedia:記事名の付け方#外来語 を参照しての提案なので、理由としてまったく変というわけではないでしょう。「外国語表記は基本的に用いず、格好悪いと思っても「できる限り」仮名漢字による定訳、正式名称を優先します」とあって、メーカーが両方併記ということはどちらも正式名称であると考えられるから、日本語(カタカナ)表記を優先する、というのは十分理にかなっています。Wikipedia:記事名の付け方#団体名 をみれば類似の例もあります。あとガイドラインの解釈で曖昧なところ、よくわからないところは Wikipedia‐ノート:記事名の付け方 で質問してみるのがよいと思います。--Calvero 2008年10月2日 (木) 15:32 (UTC)
- ありがとうございます。コメント依頼の仕方を調べてみます。--プリズム11 2008年10月2日 (木) 16:58 (UTC)
人名への赤リンクの要不要について
人物記事がまだ作成されていない人物へのリンク(人名への赤リンク)を一律禁止にしようという議論が挙がっています。既に特定プロジェクトでは人物一覧記事から赤リンクを除去する合意が取れているものがありますが、今回の議論は全記事が対象となります。既にコメント依頼が挙がっていますが影響範囲を考慮すると連絡が不充分と考えましたので、こちらでもご連絡させていただく次第です。賛否等、ご意見をWikipedia‐ノート:赤リンクにお願い致します。--NISYAN 2008年10月3日 (金) 05:27 (UTC)
- 私もこの点については、はっきりとした決まりを作る事に賛成です。私も、人名の赤リンクをやったりやらなかったり実にあいまいな編集をして来ましたが、すべて他の記事を手本にしているので、赤リンクは義務かと思った時期もあれば、しなくてもいいのかな?と思ったりのくり返しでした。人名項目の記事は一度作成されると取り返しがつかなくなるケース(中傷、事実無根等)も多いので、私個人としてはこらから人名を書く編集の際には「赤リンクが出た場合リンクをしない書き方」を自主的にいたします。赤リンクは義務ではないことが分かりましたので。--かんな文移 2008年10月3日 (金) 07:04 (UTC)
- 議論の場所がWikipedia‐ノート:赤リンクと指定されており、ここで意見を述べられても議論拡散の可能性があるので、そちらで意見を述べられるのが適切ではないかと思われます。--水野白楓 2008年10月4日 (土) 23:41 (UTC)
MediaWiki:Sp-contributions-footerについて
最近、英語版やドイツ語版などでは、利用者の投稿記録の下にen:MediaWiki:Sp-contributions-footerやde:MediaWiki:Sp-contributions-footerのような形でツールサーバなどへのリンクをおいて便宜を図っているようです(もともとはフランス語版のアイディアのようです)。グローバルアカウントからそのままログインして利用者ページを作らずに活動する利用者も増えており、こういった方々の様子を知るためにこういったリンク集を投稿記録の下にいれるのは日本語版でも有用だと思いますが、導入についていかが思われますでしょうか。--Aotake 2008年10月3日 (金) 07:58 (UTC)
- 私も有用だと思います。導入に賛成いたします。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月3日 (金) 09:50 (UTC)
- 賛成です。まずはMediaWiki‐ノート:Sp-contributions-footerで翻訳と動作を検討してはどうでしょうか。--miya 2008年10月3日 (金) 15:13 (UTC)
- enから日本語版向けにローカライズして入れてみました。特に動作の問題は出ないようです。不具合とか用語名についてはノートへ。--Los688 2008年10月3日 (金) 16:12 (UTC)
- 早速の導入、ありがとうございました。--Aotake 2008年10月3日 (金) 22:11 (UTC)
- enから日本語版向けにローカライズして入れてみました。特に動作の問題は出ないようです。不具合とか用語名についてはノートへ。--Los688 2008年10月3日 (金) 16:12 (UTC)
出展のない記述について
出展のない記述を見つけた場合は、Template:要出典を貼るのか、コメントアウトにするのか、どちらが正しいのでしょう?コメントアウトにするだけでは何も解決しないとは思うのですが……。 --ショータ 2008年10月3日 (金) 08:53 (UTC)
- 何が正しいのか、というか、何が適切なのかは記述内容や状況によってかわります。もちろん、ショータさんがお書きになっている以外の対応もあります。何が適切なのかをご自身で判断できるようになるまで、その種の行動を取らない方が良いのではないかと思います。ノートでの指摘に留めてはいかがでしょうか。--iwaim 2008年10月3日 (金) 09:41 (UTC)
- 自分が加筆できるようであれば、参考文献を渉猟していただき、文献を追加していただくのが1つの方法です。記事の充実も図れますし。逆に自分の専門分野以外であれば、手を出さないほうが。そういう時は、コメント依頼を使うという方法もあります。--Tantal 2008年10月3日 (金) 22:24 (UTC)
- 内容は正しそうだが記述が曖昧で、もっと具体的・明確・確実に知りたいような場合にTemplate:要出典を貼る感じでしょうか。内容に明らかな間違いがあり、読者が信じるべきでないと判断できた場合はコメントアウトが宜しいのではないでしょうか(Wikipedia編集方針)。また単に既存記事の読書感想や投稿者のエッセイになってしまっている長文もコメントアウトが適当だと思います(Wikipediaは何ではないか)。前者のケースではこちら側の方こそが知識不足というケースもありますが、その指摘を受ける際には元投稿者が出典を示して下さるでしょう。むしろ後者のケースが厄介なのですが編集合戦などに発展しそうな気配ならノートへ移動させるなどして相手側に納得して頂くことになると思います。--ネコバット 2008年10月4日 (土) 02:20 (UTC)
古い絵画のスキャンデータの著作権について
美術館や図書館などのウェブサイトにある古い(作者死後50年以上の)絵画のスキャンデータについて、 著作権が主張されうるかどうか解釈できるひとがいたら教えてください。 --H335 2008年10月4日 (土) 01:17 (UTC)
- こんにちは。門外漢なので参考までに。著作権情報センターの解説(参考頁)、文化庁の解説(参考頁)、日本写真家協会の解説(参考頁)を確認しましたが、著作権の切れた絵画を平面的に撮影した写真については、その写真の著作権は発生しないとする解釈が一般的のようです。もう少し突っ込んだ質問を個人的に著作権情報センターにされた方が詳細をサイトで紹介していらっしゃいます(個人サイトの解説頁)。ただ個人的な感想でいえば美術館や図書館などの公的サイトのスキャンデータではなく、一般の個人サイトさんが一生懸命スキャンしてまとめられた画像のような場合は管理人さんに断りなくごっそり持ってきてしまうのは(法律的な問題ではなく)道義的にどうかなとは思います。--Giftlists 2008年10月4日 (土) 01:53 (UTC)
現在、Wikipedia:利用案内#古地図・歴史地図の投稿と著作権についておよびWikipedia:井戸端#撮影場所を明記していない著作物の取り扱いについてで同種の議論がされています。Commonsに登録する画像の著作権について、別途どこかに統一的に扱う議論の場を設けたほうがいいんでしょうかね? --Inoue-hiro 2008年10月4日 (土) 01:57 (UTC)
対話なしでIPユーザーさんに貼られた即時削除について
インターネット依存症の症例を新規に投稿したら、対話なしで攻撃的な即時削除を貼られました。 何がどういけないのか定まっていない独断と偏見によるものですが、とりあえずノートに返事しています。 とても百科事典(記事)を作ろうという目的の下に合意が得られない不機嫌さが伺えるので、どう対処したらいいのか教えてください。
本腰で該当文献を探してもいいが、記事を残そうという考えが無いのでWikipedia:独自研究は載せないを突き詰めて文章1行ずつ出展をつけないと納得しないんじゃないかと思われます(あくまで、まじめに対話ができたら)。--DJ Dojo 2008年10月4日 (土) 02:25 (UTC)
- IPユーザーさんの言う「独自研究の発表」は即時削除の方針にはなく、また記事量もまとまっていたので即時削除テンプレートを削除しました。代わりに{{独自研究}}、{{出典の明示}}を貼りました。つきましてはWikipedia:出典を明記するに従った措置をとることをお勧めします。--Sillago 2008年10月4日 (土) 02:59 (UTC)
- 対処ありがとうございます。
- IPユーザーさんによると、記事名の「症例」が独自研究とのことでした。
- その後...ログインユーザーさんから、加筆・修正するでもない批判的な物言いがつきまして...少々反駁しました。
- 記事削除を目的とした攻撃じゃないのであれば記事名を、
- インターネット依存症の症例の紹介
- インターネット依存症の例
- と変更対処しても構わないと思うんですがね。
- IPユーザーさんの発言も対立意見じゃないし、段々と個人攻撃(人身攻撃)に転移してきたので様子みながら相談させて頂きます。--DJ Dojo 2008年10月4日 (土) 09:50 (UTC)
- 私としては「百科事典的になりえない記事」という意味も含んで即時削除テンプレートをつけました。またノート:インターネット依存症の症例にしても、可能な限り応答しますが、まず記事の立つ視点がまずい。これは小手先の調整でどうこうできる範疇ではないと考えています。せいぜい、説明にはあまり重要ではない一覧記事(記事中には盛り込まれる必要が無い)として存続できる可能性はありますが、それとて百科事典の記事としてはかなり異質な一覧化するというか、設立時点ですでに羅列記事以上ではなく、その断片的なケースの列挙にたって総括的判断・評価を付与すれば独自研究でしかない以上は、いずれ削除依頼などで対応すべき記事なのだと考えております。--59.86.2.146 2008年10月4日 (土) 10:11 (UTC)
(質問)社名変更に伴う書き換えについて
不勉強で申し訳ありませんが、教えてください。たまたま目にしたのですが、松下電器がパナソニックに変わったので、botが過去の松下電器をパナソニックに書き換えています。例えばある俳優が同社のCMに出演した場合、社名はその時点での呼称でよいのではないかと思うのです。Panasonic社になってから発表されたものと区別する意味でも書き換えてしまうのは如何なものかと思います。もしそのようにすることが、必須であるなら、社名や呼称を変更したり(例:テレビ朝日、ANB、NET)して統一させることも必須なのかを知りたいのです。また議論中なのですが、北海道文化放送の社略称がUHBかuhbかといった事で編集合戦が起こったりしています。この件でもUHBが正しいといった結論が出た場合には、誤使用されている全てのページを編集する必要があるのでしょうか。ご教示いただけると幸いです・--Richard Pman 2008年10月4日 (土) 12:44 (UTC)
- この変更のことでしょうか?
- もしそうでしたら、これは「[[松下電器産業]]」を「[[パナソニック|松下電器産業]]」に張り替え、リダイレクトを本来のリンク先に修正しているだけのようですので、記事の表示は変わりませんし、実質的にはリンク先も変更されません:
- なお、北海道文化放送の件については、私はあまり強い意見はありませんが、たぶんやったほうが良いだろうとは思います。ただし、もし手作業でやる
あることになってしまったら、無理にする必要もないと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月4日 (土) 13:12 (UTC)--修正:2008年10月5日 (日) 01:23 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。リンクの件はちょっと誤解していました。本文ページでの表面上の変化はないですね。逆に「松下電器」を知りたくてリンク先を見ると、違った社名に飛んでいく点(リダイレクトの件も含めてですが、以前から若干気にはなっていました。もちろん飛んでいった先に解説があれば納得します)は、問題ないのですね。
- UHBの件まで持ち出して申し訳ないですが、ご意見いただけてありがたいです。(以前も書式にこだわる方がいて、投稿するとすぐ後を追ってきて修正する人がいたので...)--Richard Pman 2008年10月4日 (土) 13:52 (UTC)
- 松下電器産業からパナソニックへのリダイレクトに関しては、後者の冒頭に「長らく松下電器産業株式会社(まつしたでんきさんぎょう)という社名を用いていたが」とあるので、現在のウィキペディア日本語版の慣習の範囲では、あまり問題はないと思います。草案ですが、Wikipedia:リダイレクト#穏当な転送を行うにも少し説明があります。
- UHBに関しては、私の意見は上記のとおりですので繰り返すことは控えさせていただきますが、他の方のコメントも付くかもしれませんね。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 01:23 (UTC)
前後年受賞者
ある人物を調べていたらその方がある賞を受賞していたのですが、最後の方にその賞の前後年の受賞者も書いてありました。 また、実はこの調べた方は監督さんで、先代と後継の監督の名も書いてありました。 こういうものは必要無いと思うのですが、どうなんでしょうか? (知りたければその賞などを調べればよいのだから) この辺りの指針とかは有るのでしょうか? 一応、テレビ番組では前後番組については何度も話し合いがされてるようですが…--Cee 2008年10月4日 (土) 17:04 (UTC)
- 百科事典は必要最小限の情報のみを簡潔に記すというメディアではないため、どのページにも様々な角度からの多面的な情報が出てくることは確かです。このとき問題となってくるのは、どういう情報を、どのページに、どこまで精細に乗せるのか、この点に関して人により様々な考え方がある、という点かと思います。たとえば、各ページの情報量に対する好みの違い(大項目主義、小項目主義)、検索やクリックの手間に対する考え方の違い(検索やクリックはめんどくさいと思う、別にめんどくさいとは思わない)、内容の深さに対する要求の違い(エッセンスだけが簡潔に書かれていればいい、いやディティールを詳しく書きこんでほしい)、関連する情報へのリンクをたくさん用意して欲しい、いやリンクが多いと行き先に迷うので数を絞って欲しい、歴史的側面、文化的側面、政治的経済的側面、それぞれについて、詳しい記述がほしい、いや別に要らない、他多数。人によってこうした様々な点に対する好みというのはやはり異なってくるでしょう。そういう様々な選好が在り、かつ全ての観点から見て理想的と言えるような記事が作れない、そういう中で、先代・後代という表記は、ある種の妥協的な情報提示法として機能してるのではないのかなと思います。--Was a bee 2008年10月5日 (日) 00:33 (UTC)
- その賞の記事に受賞監督の一覧がある場合や、カテゴリに受賞監督の一覧がある場合、そこへのリンクがあればそれで良いのではないでしょうか。その監督を説明する上で前後の受賞者が必要な場合は別ですが、通常その監督と前後の監督は百科事典としての説明レベルではあまり関係ない事項(雑多な事項)になるのではないでしょうか。何の記事をさしているのか、どの分野をさしているのか分からないので(雑多な内容を羅列した記事は必要ないとの立場から)一般的な意見を述べさせいただきます。--Inoue-hiro 2008年10月5日 (日) 03:18 (UTC)
「個人攻撃」という用語について
ウィキペディア日本語版では、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎてれいるように思えます。
まずは、次のリンク先の内容をごらんになってください:
- 個人攻撃
- 人身攻撃(対人論証からもリダイレクト)
- en:Ad hominem(en:Personal attack、en:Ad hominem argumentなどからもリダイレクト)
個人攻撃がなぜいけないのかといえば、なによりも、「~~~という主張は間違っている。なぜなら、それを主張している人は×××だからだ」[1]という、論理的には誤った論法だからなのだと思います。むろん、それが人を精神的に傷つけるからという側面もありますが、まずはとにかく、それは論理的に間違っている、ということがポイントです。
相手が理解できない主張を繰り返しているのならば「理解できない主張である」といえばよいのですし、嫌がらせを受けているのならば「嫌がらせを受けている」といえばよいのです。しかし、理解できない主張を繰り返すことや嫌がらせは、個人攻撃とは、別の概念だと思います。
さらに、論理的には誤った論法だとしても、一定の場合には合理的で説得力を持つ根拠となることはありえます。例えば、記事のある記述が学界における通説的な見解と異なっているという場合に、「その記述は疑わしい。なぜなら出典とされている書籍の著者は、異なる専門分野の人であって、別の論点においてだがこの分野における知識の欠如を○○○で批判されている」といった主張には、ある程度の説得力があるでしょう[2]。
結局のところ、非難されるべき個人攻撃とは、
- まず「~~~という主張は間違っている。なぜなら、それを主張している人は×××だからだ」という論理的には誤った論法であり
- かつ、議論の主題に関して合理的・説得的な根拠を提供できず
- さらに、それが人を精神的に傷つけたり、萎縮させたりする
という場合ではないかと思います[3]。
また、2と3は比較考量にのり、わずかながら説得力はあるがそれが生み出す萎縮効果とはつりあわないとか、たしかに人を傷つける可能性は否定できないがそれが生み出す説得力は絶大であるので許容されるべきである、ということもあるように思います[4]。
私は以上のように考えており、ウィキペディア日本語版では「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎてれいるように思いますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?
--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 01:28 (UTC)--修正:mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC)
- 同意です。そういえば、記事に関わる上で求められる知識や情報を整理する能力に欠けると考えられる人物に、「あなたは能力が足りないので記事に関わらないでほしい(かなり要約)」と幾つかの該当人物が行った編集内容を例に挙げ申し上げた際に、その相手が「人格攻撃」だと主張して発奮されちゃったことが…(類似例+1)。一歩間違うと「個人攻撃だ」と主張することは「対話拒否」の言い換え語なんじゃないかと感じることがあります。というか、他者からの指摘が理解できなかったから「根拠の無い中傷」だとみなしているんじゃなかろーか?とも(良くない方向に漏電中)。その一方で、自分の考えをまとめて表現できない方が、記事が非NPOVないし独自研究だと主張して手を入れたがっている際に、「では具体的に何処がそうなのか」や「何処をどうするつもりなのか」と幾ら問い質しても要領を得ない回答しか帰ってこない(結果、当人の主観で気に入らない記述が除去されたり主張レベルの雑記が放り込まれたりする)なんてのも…似たような気分に襲われることが。妥当性も無いのに個人攻撃だとみなすことはWP:POINT案件の一種かもしれませんね。--夜飛(話/歴) 2008年10月5日 (日) 03:23 (UTC)
- コメント、ありがとうございます。「人格攻撃」もまたやっかいな言葉ですね。
- コメントを受けて考えましたが、やはり、根拠があるのかどうか、というのが重要な点ではないかと思います。ある人に対する評価に根拠があり、またその評価が主題に関する主張・意見・要請の根拠となるという、いわば二段階の根拠によって最終的に説得力を生み出すならば、(それによって人が傷つけられたり、萎縮したりという効果と比較考量した上で)人に対する批判ないしは人に対する否定的評価の表明も許される、と考えるべきではないかと思います。そうでなくては、投稿ブロック依頼など提出しようがありません。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC)