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利用者:Giftlists

短いあらすじのデッドコピーと削除依頼について思うこと

あけましておめでとうございます。お正月ということでお酒を飲みつつ思いつくままに書いてみたら、冗長になってしまったのでサブページに置いておきます。デッドコピーを肯定しているわけではありませんので念のため。

長期案件の推移

管理者を増やさなければいけない――それは間違いないと思います。ただ根本原因は別のところにあるのではないかとも。精力的な管理者さんが複数人いて活動をされていたことによって、根の問題が表に見えていなかっただけなのではないかと。

一年ごとに区切って抜き出してみて、2008年当時の長期案件の少なさに感動しつつ。ふと目に留まったのが「Wikipedia:削除依頼/三井寿」。「引用元を明記できていないため引用は成立しない」との指摘等があり80版強が削除されていますが。ん? んん? んんん? 削除版が見られるようになったのでせっかくなので見てみたのですが、……引用元、常識的な範囲で明記されています…よね…? 引用元の作品名有り、作者名有り、台詞の主の明記有り、場面特定できる説明有り。むむむ。もしかして巻数とページ数が示されていなかったのが「引用元の明記無し」という判断になっているのでしょうか。そうなるとgeneral reference方式で記述された出典から引用があった場合、著作権侵害になってしまうと……。うーん、それはない。うーん。昔は(今もかな?)台詞の引用はチョモランマ的に敷居が高かったようですね。名台詞節的なものは、量との兼ね合いが難しいので私も積極的に作るのは賛成しませんし、削除されたものも微妙な内容で正直不要かなとも思いましたが。ああしたものが著作権侵害と判断され、編集除去ではなく巻き込まれを大量に出して今もなお削除されている現状は、(古典を除く)創作作品記事の成長は忍耐力の勝負ですね。怒ったら負け的な意味で。……まあ多くの(創作作品記事を)書けそうな方は怒って出ていってしまうわけですが。

翻訳記事の出典メンテナンスに思うこと

出典は検証可能性の肝なわけですが、出典にネットソースを使用している場合、定期的なリンク切れのメンテナンスが必要になります。ただ、出典が増えてくると手動で確認するのもわりと面倒なものです。そうした記事のメンテナンスに便利なのが「Checklinks」。「ja:ディシディア ファイナルファンタジー」等と入れて入力してしばらく待つと、手直ししなければいけない外部リンクが瞬時にわかります。404はリンク切れなので引越し先を探すか、新たな出典を探すか、アーカイブを探すか。301はアドレスが変更されていて今は自動転送してくれていますので不都合はありませんが、多くの場合自動転送してくれるのは1年未満ですので気が付いたら即座に新URLに変更しておくのが後々楽です。このメンテナンス作業を継続的に行っていると、一定期間後に消えるサイト、一定期間後に移動(アドレス変更)するサイト、余程のことが無い限り消さず移動もさせない優良サイト、定期的に消えるわけではないがサイトをリニューアルするたびに全消しするフェイントサイト等など、サイトごとの癖がわかってきます。同一の内容が各種サイトにあれば、まずは情報の保存意識の高い優良サイトを出典に使用する、消えるサイトは極力使わずどうしても使用したい場合はあらかじめ引用魚拓を作っておく(日本語版は魚拓に風当たりが強いですが)と、最初から対処しておくのも後々のメンテが軽減できます。が、面倒なのは普段見る機会の少ない外国語サイトです。翻訳記事で他言語版の出典をそのまま使用していると、出典の8割が外国語サイトの場合もあり、こうした記事のメンテナンスにはChecklinksが威力を発揮します。他言語版の秀逸な記事も、メイン執筆者が離れて久しいとこうしたメンテナンスがされておらず、リンク切れが多発していたり、リンク先の情報が年度とともに新しく更新されているのにも関わらず記事に反映されておらず結果として記事に書かれた数値とリンク先の数値が異なっているという現象も多々見かけます。逆に言えば、翻訳前にChecklinksで原本の記事を確認すれば、その記事の現在の手入れ具合もわかります。メンテナンスがなされていない他言語版の記事からそのまま翻訳してもってきたために、せっかく日本語版の方では手直ししてあったのにうっかり古いデータに撒き戻してしまうという失敗も防げます。

作品記事に思うこと

現行サブカルチャー記事を執筆する場合、避けては通れないガイドラインが幾つかあります。

どれも極端に酷い記事や編集を排除する目的で作成されたもののようですが。ただ、このガイドラインは下方を抑制する効果がある反面、作品記事を英語版のような出典を伴った百科事典的な読み物として整えようとした場合、ガイドラインと衝突してしまうことが多いような気がします。極端な話、下方を抑制するのと同時に上方も抑制してしまうといいますか。

最近ゲームの記事を執筆した関係で、Wikipedia:ウィキプロジェクト コンピュータゲーム#本文フォーマットを見る機会があったのですが。最初の「概要」と最後の「備考」が二次情報源を元に書く類の内容が詰め込まれており、それ以外のメイン部分は一次情報をまとめる形式になっていました。ゲームに限らず、印象として日本語版の標準フォーマットはおそらく似たりよったりなのだろうと思いますが。上のガイドラインに従いつつこのフォーマットに沿って書くと、作品記事の本体部分が、所謂一次情報をまとめたリスト記事(登場人物の一覧節、登場武器の一覧節、用語の一覧節など)が延々と続いてしまう形式になってしまいます。果たしてそれでよいのかどうか。うーん、うまくまとめられません。古くからあり現状では日本語版で常識化してしまっている決まりごとの発生経緯が過去ログを読んでもよくわかりません、むむむ。

分割に思うこと

一月に分割提案していた記事ですが、なんとか分割作業が終わりました。細かに出典をつけている記事の場合、分割するときに出典の付け直しをしないといけないので、その作業が非常に面倒です。育つとある程度先が読めるような題材ならば、加筆が進む前に早めに分割できれば、作業的にはぐっと楽ですし効率的で履歴も綺麗だと思うのですが。うーん、いろいろ難しいですね。今回は工事中の作業に手間取り、半日近く延びてしまいご迷惑をおかけしました。

分割ついでに思い出したのですが。

有明フロンティアビル」「上総国分尼寺跡

別の記事で、分割議論が中断してお蔵入りになってしまった画像です。
左が東京都にある正義の味方の本拠地、右が千葉県(だったかな?)にある悪の本拠地です。著作権の関係上、サブカルチャーの記事は写真を滅多なことでは使えません。使える範囲内で最善のものをということで、雰囲気を出そうと左は晴れの日に、右は曇りの日を狙って撮影しにいきました。特に右はそれなりに感じが出ているのかなあと個人的には気に入っています。写真ではわからないのですが、あそこの赤い柱は触ると色が移るのです。写真撮影に夢中になっていて、うっかり後ろによりかかって……それは悲惨な目にあったのは今ではいい思い出……ではないですね、やっぱり。

サブカルチャー関連では、「こんな銅像を3つ」ほど以前撮影してきました。これは屋外美術の扱いなので、利用者ページには残念ながら貼れないのでリンクのみで。こちらは画像の解像度に制限があるので、気軽に携帯で撮影したものです。最初から低解像度でしか載せられないとわかっているものは、携帯で撮影してもそんなに遜色ないなあと思っているのですが、知人に見せたら酷いもんだと鼻で笑われてしまいました。もっと良い写真が撮れた方は差し替えてください。サブカルチャーは写真が使えないと諦めてしまいがちですが、古い有名作品であれば、屋外美術の扱いで結構存在しているものもあると思うので、そうしたものを人海戦術で撮影していけば、それなりに充実するのではないかなと思います。撮影技術がもう少しほしいところですが。

写真関連では、以前に外国紙幣の画像を日本語版で表示できるかどうかという話になった際に、「外国の銀行が著作権を有している紙幣の写真」を試しにアップロードしてみたことがありました。これも気が向いたら続けようかと思っていたのですが、日本語版の画像の扱いがなにやらいろいろと難しそうだったので、しばらく様子見をしていましたが結局やめてしまいました。これも結構当時はあれこれ気になってわりと熱心に調べたのですが、別の記事でごたごたしている間に忘れてしまいました。。

要出典に思うこと

要出典の悪用が横行しているのがどうにもこうにも。嫌がらせ目的や、気に入らない記述の除去を目的としているかのような不可思議な位置への要出典付けや、出典が無いことを理由とした安易な除去・削除に歯止めをかける方法はないものでしょうか。要出典は、出典を必要としているものにつけるもの。閲覧者の方への呼びかけであり応援要請です(それに付随して「この記述には出典がないから正しいかどうかわからないよ」という注意喚起の要素もありますが)。漫画家の高橋しん先生のページには、山梨学院の「法学部」卒業の部分に要出典が貼られています。結論から言えばこれは事実であり、高橋先生は山梨学院大の法学部法学科卒業です。これはネットを検索すれば大学のパンフレットのスキャンデータが転がっていますので誰でも簡単に確認できます。ですが非公式のスキャンデータでは出典となりませんので、要出典タグを貼って、閲覧者の方々に正規の出典の情報提供を呼びかけているわけです(私が貼ったわけではありませんが)。その行為に悪意は見えませんし、記事の充実のためには正しいスタイルでしょう。……不可思議な要出典貼りや安易な除去が横行して不満が燻り、その捌け口として要出典を正しく貼っている(が貼る量の多い)方へ非難が向かうのは、なんとも歯がゆいものです。不満を持たれる方も、文句を言うべき相手を見誤らないようにしていただきたいと切に願います。

出典探しに思うこと

公共的な書誌情報に欠け、雑誌記事検索でも拾ってもらえないサブカル記事を執筆してみると、出典を探すのがわりと難しい分野だと実感します。ですが分野外の方からは、なぜかとても簡単な作業だと誤解されていているような印象も受けます。……不思議です。

比較的、出典探しが容易だったもの

近年放映した特撮番組の記事。前年放映で書店に書籍が残存し、バックナンバーが生きていたので、これは遡りが比較的楽でした。「特撮」という特定分野であり、放映年が1年とはっきりしているため、この年に発売された特撮雑誌・書籍を片っ端から潰していけばいいということで、20冊程度の出典確認で一段階は終了しました。ところが確認していくうちに落とし穴にも気付きました。書籍だけでなく公式DVDなどにも目を通したのですが、探せども探せども(一次情報以外の)ヒーロー側の資料が不足しているのです。門外漢だったため最初はこのからくりの理由がわからず戸惑いました。……理由がわかってみたら単純でした。該当の特撮番組は、ヒーロー側については玩具会社主導だという……特撮分野の方には基本中の基本の知識が私にはなかったんですね。つまり、ヒーロー側の出典を探す資料は特撮雑誌ではなく、玩具雑誌を見なければいけなかったと……。これに気付いて次に玩具雑誌を40冊程度見て、併せて凡そ60冊強の確認で、基本的な情報の出典は見つかりました。

出典探しに悩んだもの

碁を題材にした漫画の記事で「碁を知らない読者でも楽しめる」「漫画の中で碁のルールの詳細紹介はしていない」の出典を見つけるのは意外に苦労しました。どちらも作品を読めばわかる事ですが、読めばわかるはご法度ということで。「○○の記述がある」ならば出典を指し示すの(○巻○頁参照のように)は容易なのですが、「○○の記述はない」という系統は思った以上に出典が出しづらいですね。この漫画は批評家さんたちが大好きらしく、方々で批評文は目にするのですが、こうした読めばわかる説明は書かれていません。出典が見つからなければ一週間で消すとの告知が出ていたので、なんとか出典を見つけてあげられないものかと右往左往しましたが。日本棋院のサイトは当事者だから出典にならないと指摘され(ならば当然、集英社も駄目ということになると)、八方塞がりです。10年前の連載作品なので、雑誌記事を漁るのは一週間では時間的に無理。ということで結局、新聞の碁の記事の中で、該当の漫画の特集を組んでいたりコラムで触れていたりするものを引っ張ってきましたが。「碁」がメインカルチャーだったおかげで、定期的に新聞に記事が掲載されていたという利点に救われた感があります。漫画の題材がメインカルチャーでなければ、一週間での出典探しは無理だったかなと思います。

出典探しが難しいもの

削除依頼の派生で門外漢なのについつい手を出してしまった漫画分類の記事。これは非常に出典が見つけにくい題材です。出典となりえる論文、批評、特集の殆どが雑誌掲載なのですね。それも学術雑誌かと思うほどの部数のどマイナーな。分野が広く歴史が広く、探すべき雑誌の種類も年代も絞りきれません。書誌情報がないサブカルのデメリットが色濃く出てしまう記事ではないかと思います。メインカルチャーのような正攻法の資料探しが通用しないため、私は分類された漫画作品のタイトルを頼りに逆引きで資料を探していく形をとりました。「音楽漫画」の記事ならば、代表的な作品の書籍や雑誌特集を探し、そこから上流に手繰って手繰って音楽漫画特集を見つけていく形です。クラシック系統は近年大ヒット作が生まれたことと、「クラシック」はメインカルチャーなのでクラシック系統の雑誌は記事検索が機能するという利点に恵まれましたが。苦戦しているのがロック系統。自称「世界にただ一つのロック漫画批評本」で、『BECK』や『NANA』が大ヒットしている今だから商業出版できたのだと、非常に現状認識に長けたあとがきがあり苦笑いしましたが。この本も『TO-Y』からの逆引きで見つけたものです。

書誌情報が無い状態での出典探しは、わずかな情報を頼りにしたしらみつぶししかありません。10冊見て出典とできそうな記事が1コラムでも見つかれば僥倖といったところでしょうか。かなり急いでやっているつもりでも、音楽漫画という1つの記事だけで2箇月あまり時間を費やしてなお必要な資料が揃いきりません。同系統の記事も削除依頼に出されていたため、時間が間に合えば救済したかったのですが、本日残念ながら一式削除されていました。加筆者が限られる分野の記事で且つ出典探しが困難だとわかっている記事は、できたら1つ1つの期間を開けて削除依頼に出していただければ、もう少し救済できる幅が広がったのではないかと少々残念です。なんとか残していただけた音楽漫画だけは、スタブ脱出程度までは責任をもって加筆しようかと思いますが、それが終わったらこの分野からは少し手を引こうかと思います。時間に追われて加筆という作業は私には向かないようです。


溜まる書きかけ

余暇に楽しむウィキペディアということで、一度に関わる記事は2つまでと決めていたのですが。期限付き加筆のようなものが増えて、書きかけのまま次に、書きかけのまま次にと自転車操業になってしまっているのが悩みどころ。 ひとまず今の「音楽」を片付けたら、「ストーリー」をある程度の形までしないといけないかと思ってはいるのですが。……代表的な論が2つあり、片方だけを先に執筆すると中立性を欠いてしまいますので、書くならばある程度両方をまとめてからアップしないといけない気がして少々困り気味です。しかも片方の論を某I先生の著書を主軸に組み立てようかと思っていたのですが、過去の履歴を見てみると該当箇所の既存部分を執筆したのは某S先生(おそらく本物)。うーん、うーん、怖くて迂闊にいじれません。失礼のないように加筆しないと。お二人の書評バトルはそういえば決着がついたのでしょうか。いっそのことI先生もウィキペディアに寄稿して直接対話してくだされば、話は簡単……なのかなあ。

上の内容とまるで関係ありませんが。今日執筆していて、ふとこんなページを紹介したくなりました。

日本における漫画の保存と利用

何十年経っても変わらず有意義な記事を残そうという言葉をよく聞きます。だから「こんな記事はいらない」と。

ですが、今はとりたてて大事に思えない情報が、何十年か経って喉から手が出るほど貴重な情報になることもあります。一世を風靡した過去の大衆文学が、庶民的な玩具が、「大人気だった」という記述は方々にあれど、本文はほとんど残っていない。そんなことは往々にしてあります。何十年経ってもと言いながら、判断基準が今現在の価値基準なのを見かけると、少し首を傾げたくなります。


リスト記事に思うこと(2)

とある削除依頼に関連して、資料を探しに出向きました。

目当ての資料はまだ残念ながら未完成。落胆していたところ、ご好意で一冊だけ先に売ってくださることに。ご無理を言って入手した資料には700に及ぶ作品のリストがぎっしり。分類別の整理、年代別の整理は勿論、作家名、出版社、掲載雑誌、連載開始年月日などがなどが丁寧にまとめられていました。サブカルチャーは学問としてまだ確立しているとはいえないので、この分野を研究される方にとっては、こうした書誌はとてもありがたい存在なのではないでしょうか。このリスト、いつかネットで公開していただけたらいいなあ。

日本の現状は、国会図書館の雑誌記事検索では、サブカルチャーの雑誌記事を拾ってはくれません(雑誌記事索引採録誌一覧)。大宅も同様です(索引採録雑誌)。日本語版では、データベース的な記事は禁止ということで、下記にも書いたようなリスト記事不用論が大勢を占めていますが。同時代では誰でも簡単に入手できる情報が数年も経てば入手困難になることも多々あります。手軽に情報が入手できる同時代のうちに情報を逐次集めていけば、それは数年後には貴重な記事となり、出典をつけておけば書誌も兼ねます。まだまだ勉強不足で諸先輩に教わることばかりですが、いつかそうした形での記事の充実をはかれるようになれればいいなと、ぼんやりとした夢を描いています。


リスト記事に思うこと

日本人はリスト化が好きで、そして得意分野だと思うのですが。

ウィキペディアのサブカル記事では、一覧記事が育ちにくい不思議。

英語版の秀逸な一覧には、日本のサブカルチャー作品が石を投げれば当たる勢いで存在しているのが驚きです。 外国ものだから下駄履かせているのもあるでしょうが、それにしても日本のサブカルものはリスト化記事で強い。 本家本元の日本語版では初稿をあげた段階で瞬殺されそうですが。


Giftlistsは、サブカル系を執筆予定。

何かと難しいと言われる現行サブカル作品について一作品をケーススタディで取組中。

サブカルと出典関連について、実際に携わってみた印象を後日細々とまとめる予定です。

実際に自分の手と足を使って、実地でやってみないと見えないものってあるなとしみじみ。