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牛田唯一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

牛田 唯一(うしだ ただいち、1864年4月19日(元治元年3月14日[1][2][3])- 1918年大正7年)11月2日[2][4][5][6])は、明治から大正期の農業経営者、実業家政治家衆議院議員、山梨県会議長。

経歴

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甲斐国都留郡玉川村[2]山梨県[4]都留郡三吉村、南都留郡三吉村[7][5][6]谷村町を経て現都留市玉川)で牛田八郎[注釈 1]の長男として生まれる[2][3]。1878年(明治11年)上京して同人社で学んだ[2][4]。1879年(明治12年)8月、家督を相続した[3]

帰郷後、戸長、組合村長、南都留郡会議員、同参事会員を務めた[4][6][7]。1899年(明治32年)山梨県会議員に選出され、同参事会員、同議長も務めた[2][4][5][6][7]。1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に山梨県郡部で立憲政友会所属で出馬して初当選[2][8]。1917年(大正6年)4月の第13回総選挙でも再選され[2][9]、衆議院議員に連続2期在任した[4][6]。この間、政友会協議員などを務めた[5]。議員在任中の1918年11月に病のため死去した[10][11]

また、農業、織物業を営み、桂川電力取締役などを務めた[3][4][6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 郡中総代、戸長、区長、山梨県会議員などを務めた。『山梨百科事典』増補改訂版、98頁。

出典

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、14頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『山梨百科事典』増補改訂版、98頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』う42頁。
  4. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』91-92頁。
  5. ^ a b c d 『立憲政友会功労者追遠録』277-278頁。
  6. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』70頁。
  7. ^ a b c 『現代日本の政治家』政友会124-125頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』57頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』89頁。
  10. ^ 『大正過去帳』162頁。
  11. ^ 『官報』第1877号、大正7年11月5日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。