野口英夫
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野口 英夫[1](のぐち えいふ[2]、1856年10月1日(安政3年9月3日)[3][4] - 1922年(大正11年)2月20日[2])は、日本の実業家、政治家。山梨日日新聞社長[5]。山梨県会議員[2]。甲府市会議員[6]。族籍は山梨県平民[3][5][7]。
人物
[編集]徳島県板野郡大山村(現・上板町)出身[1]。野口亀之助の四男[1]。野口惣十郎の弟[3][4][5][7]。初め徳島の碩儒・橋本晩翠の門に学んだ[1]。上京し同人社に入り、中村正直、栗本鋤雲等に就いて漢英学を修めた[1]。1879年、甲府日日新聞主筆[2]。
1884年、山梨県会議員に当選[4]、4期務めた[2]。1885年、分かれて一家を創立した[3][4][5]。1890年、甲府市会議員に当選[4]。1899年1月16日に甲府市会議長に就任し、1900年1月6日に退任した[6]。住所は山梨県甲府市百石町[1][3][5][7]。
家族・親族
[編集]- 野口家
- 妻・いし(1863年 - ?、山梨、塩見安兵衛の長女)[3][4][5]
- 長男・虎吉(1890年 - ?、上海三井物産会社肥料部主任)[4][7]
- 二男・二郎[3][8](1900年 - 1976年、甲府市長、山梨放送会長、山梨日日新聞会長)
- 長女・ゆき(1880年 - ?、茨城、元山梨県師範学校校長・太田秀穂の妻)[3][5][8]
- 二女・ふみ(1888年 - ?、工学博士浅川権八の妻)[8]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『日本現今人名辞典』の11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月9日閲覧。
- ^ a b c d e 野口 英夫とはコトバンク。2021年3月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』の15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『山梨人事興信録』の442頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』の19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月8日閲覧。
- ^ a b 歴代市議会 議長甲府市公式サイト。2021年3月8日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』の18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月8日閲覧。
- ^ a b c 『山梨人事興信録』の809頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『山梨人事興信録』甲府興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 甲府興信所編『山梨人事興信録』甲府興信所、1928年。