源家俊
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時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 承元3年(1209年) |
官位 | 従三位、宮内卿 |
主君 | 二条天皇→六条天皇→高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇 |
氏族 | 村上源氏顕房流 |
父母 | 父:近江介源俊光、母:源雅光の女 |
妻 | 河内守源光遠の女 |
子 | 資俊 |
源 家俊(みなもと の いえとし)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公卿。源顕親の二男である近江介源俊光の息男。極位極官は従三位、宮内卿。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に基づいて記述する。
- 応保2年(1162年)1月5日、叙爵。
- 仁安3年(1168年)11月20日、従五位上に昇叙[1]。
- 嘉応元年(1169年)3月5日、侍従に任ぜられる[2]。
- 承安3年(1173年)1月21日、出雲介を兼ねる。
- 安元2年(1176年)1月5日、正五位下に昇叙。
- 寿永元年(1182年)12月30日、左近衛少将に任ぜられる。
- 寿永2年(1183年)1月22日、加賀介を兼ねる。同年12月19日、従四位下に昇叙。少将を辞す。
- 元暦2年(1185年)6月10日、従四位上に昇叙。
- 文治5年(1189年)11月13日、宮内卿に任ぜられる。
- 建久元年(1190年)7月18日、正四位下に昇叙。
- 正治元年(1199年)3月23日、讃岐守を兼ねる。
- 元久元年(1204年)3月6日、従三位に叙せられる。宮内卿は元の如し。
- 建永元年(1206年)1月13日、宮内卿を辞す[3]。
- 承元3年(1209年)2月18日、出家。同月20日、卒去。
系譜
[編集]- 父:近江介源俊光
- 母:源雅光の女
- 妻:河内守源光遠の女
- 男子:源資俊(1182-1241)