静岡鉄道清水市内線
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(清水市内線から転送)
清水市内線 | |
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清水港線跡に静態保存されていた頃のモハ65(2008年4月13日) | |
概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:港橋 終点:横砂 |
駅数 | 14駅 |
運営 | |
開業 | 1928年12月25日 |
廃止 | 1975年3月22日 |
所有者 | 静岡鉄道 |
使用車両 | 車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 4.6 km (2.9 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 |
停留場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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清水市内線(しみずしないせん)はかつて静岡県清水市(現 静岡市清水区)内の港橋と横砂を結んでいた静岡鉄道の路面電車。
概要
[編集]もともとは静岡清水線の一部として、1928年に港橋 - 江尻新道(現在の新清水)間が開業。翌1929年に江尻新道 - 横砂間が開業するが、路線は東海道本線の線路で分断され、踏切による連絡を余儀なくされていた。
1933年に東海道本線を跨ぐ跨線橋が完成して全通。かつては港橋より江尻新道から静岡清水線経由で鷹匠町(現在の新静岡)を経て静岡市内線まで直通運転されており、静岡鉄道成立後も現在の静岡清水線区間を地方鉄道に変更後、翌年に分離するまで三線を総じて「静岡線」と称していた[1]。また分離後も運賃は鉄道線と通算であった[2]。
1974年の七夕豪雨で被害を受け運休となり、翌1975年に廃止された。
路線データ
[編集]※1974年の休止前時点のもの。
歴史
[編集]- 1920年(大正9年)駿遠電気(静岡鉄道の前会社)により清水市入江町 - 山梨県万沢を結ぶ興津線が計画され、認可を受ける[3]。
- 1928年(昭和3年)
- 9月 興津線の計画を縮小し、江尻新道(現新清水)- 港橋間の敷設工事を申請し認可を受ける[3]。
- 12月25日 静岡電気鉄道の手により江尻新道(現新清水)- 港橋間開業
- 1929年(昭和4年)
- 4月1日 港橋 - 安西間直通運行開始
- 7月24日 江尻新道 - 横砂間開業
- 1932年(昭和7年)11月 江尻跨線橋起工[3]
- 1933年(昭和8年)3月29日 江尻跨線橋架設に伴い港橋 - 横砂間直通運転開始。清水市内線と改称。江尻新道駅は清水相生町駅と改称[3]。
- 1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道発足
- 1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離
- 1949年(昭和24年)清水相生町(現新清水)- 波止場間廃線[4]
- 1951年(昭和26年)7月21日 西久保 - 袖師間、専用軌道に移設
- 1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による被災に伴い、全線運転休止
- 1975年(昭和50年)3月22日 被災後復旧することなく、全線廃止。静岡鉄道バスによる代替輸送開始(同社のバス事業の分社化により、現在はしずてつジャストラインが運行)
駅一覧
[編集]港橋駅 - 万世町駅 - 市役所前駅 - 新清水駅 - 仲浜町駅 - 清水駅前駅 - 辻町駅 - 秋葉道駅 - 西久保駅 - 愛染町駅 - 嶺駅 - 鈴木島駅 - 袖師駅 - 横砂駅
接続路線
[編集]車両
[編集]- モハ55(55-59)定員75人、1962年静岡市内線より移籍[5]。1966年に58・59を改造、59の集電装置を撤去し2両連結車としている[6][注釈 1]。
- モハ60(60-63)定員80人、1956年鋼体化。1954年7月1日改番。旧モハ30(30・32・33・35)。このうちモハ61は運転台位置が低く、全体が角張っていて幕板が広い異様なスタイルだった。
- モハ65(65-67)定員90人、1936年に西武鉄道新宿軌道線(都電杉並線)の木製車(38-40、1927年汽車会社製、木製ボギー車)を購入しモハ80-82と付番した。1954年7月1日の改番により現番号となり1956年に鋼体化されている。緩やかな三面折れの前面形状が特徴で、モハ65は唯一のノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根、埋め込み式ヘッドライトという近代的なスタイルで、廃止後は清水港線跡に保存されていた。2010年に所有者のフェルケール博物館が展示物整理と車両の老朽化を理由に解体の方針を出したが、これを受けて清水鉄道遺産保存会の主導で元JR貨物伏木ヤード跡に移動し、修復作業が進められていたが、2022年8月に再び静岡市内に戻された[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 和久田 (2009), p. 185-189
- ^ 清水駅前停留所(1968年7月撮影) - むーさんの鉄道風景
- ^ a b c d 森 (2012), p. 339-340
- ^ 森 (2012), p. 422
- ^ 日本路面電車同好会「昭和30年以降の路面電車譲渡一覧表」『鉄道ピクトリアル』No.319、電気車研究会、1976年4月 臨時増刊号。
- ^ 奥田愛三「静岡鉄道清水市内線」『鉄道ピクトリアル』No.223、電気車研究会、1969年4月 臨時増刊号。
- ^ 白土貞夫「私鉄車両の履歴調査」『鉄道ピクトリアル』No.441、電気車研究会、1985年5月。
- ^ 帰ってきた路面電車「清水市内線65号」 最後の現存車両 富山から移送、本格修復へ - 静岡新聞、2022年9月3日
参考文献
[編集]- 『世界の鉄道 '63』朝日新聞社、1963年、172-173頁。
- 和久田康雄『日本の市内電車 –1895-1945–』成山堂書店、2009年3月、44,185-189頁。
- 森信勝『静岡県鉄道軌道史』静岡新聞社、2012年10月23日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 清水市内線廃線ウォーク with 旧東海道 - 静岡鉄道
- 清水鉄道遺産保存会 - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分)
- 清水鉄道遺産保存会 (@shimizu_tetudou) - X(旧Twitter)