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海軍大将 (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海軍大将の襟章

海軍大将(かいぐんたいしょう、旧字体海󠄀軍大將英語: Admiral)は、大日本帝国海軍大将将官の最上級。元帥の称号を与えられた海軍大将元帥海軍大将と呼ぶ。

概要

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1869年(明治2年)の兵部省(後の陸軍省及び海軍省)設立に伴い、陸軍大将と共に海軍大将の階級が設けられた。

1898年(明治31年)以降は元帥府に列せられ、元帥の称号を与えられた海軍大将元帥海軍大将と呼ぶ。

官吏としては親任官、位階は正四位である[1]

大日本帝国海軍大将一覧

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日本海軍の海軍大将は西郷従道の進級から塚原二四三井上成美の進級まで合計77名。71名は人事異動に基づく定期進級である。残る6名のうち川村純義は病死後に、遠藤喜一南雲忠一高木武雄山縣正郷伊藤整一は第二次大戦中に戦死した中将に対して、生前の戦功と戦死に対する顕彰として大将に特進したものである。なお、名前が太字のものは元帥、補職について名称の変更があるものは代表的なもので統一している。表中の略語の意味は次の通りである。

GF連合艦隊CF支那方面艦隊F艦隊AF航空艦隊

横鎮横須賀鎮守府呉鎮呉鎮守府佐鎮佐世保鎮守府舞鎮舞鶴鎮守府旅鎮旅順鎮守府

姓名 肖像 進級時期 出身 海軍省 軍令部 司令長官
西郷従道 1894年(明治27年)10月3日 鹿児島・草創 大臣
樺山資紀 1895年(明治28年)5月10日 鹿児島・草創 大臣、次官

軍務局長

部長
伊東祐亨 1898年(明治31年)9月28日 鹿児島・草創 軍務局長 部長 GF
井上良馨 1901年(明治34年)12月24日 鹿児島・草創 軍務局長 部長 常備艦隊

横鎮

東郷平八郎 1904年(明治37年)6月6日 鹿児島・草創 部長 GF

舞鎮

山本権兵衛 1904年(明治37年)6月6日 鹿児島・2期 大臣

軍務局長

有栖川宮威仁親王 1904年(明治37年)6月28日 皇族・草創
川村純義 1904年(明治37年)8月12日 鹿児島・草創 海軍卿

海軍大輔

柴山矢八 1905年(明治38年)11月18日 鹿児島・草創 常備艦隊

佐鎮、呉鎮、旅鎮

鮫島員規 1905年(明治38年)11月18日 鹿児島・草創 常備艦隊

横鎮、佐鎮

日高壮之丞 1908年(明治41年)8月7日 鹿児島・2期 常備艦隊

舞鎮

片岡七郎 1910年(明治43年)12月1日 鹿児島・3期 1F、3F

舞鎮

上村彦之丞 1910年(明治43年)12月1日 鹿児島・4期 軍務局長 次長 1F、2F

横鎮

伊集院五郎 1910年(明治43年)12月1日 鹿児島・英海大 部長、次長

作戦部長

1F、2F
出羽重遠 1912年(明治45年)7月9日 福島・5期 軍務局長 次長 1F、2F、4F

佐鎮

瓜生外吉 1912年(大正元年)10月16日 石川・米海兵 作戦部長 佐鎮、横鎮
斎藤実 1912年(大正元年)10月16日 岩手・6期 大臣、次官

軍務局長

三須宗太郎 1913年(大正2年)9月25日 滋賀・5期 次長 旅鎮、舞鎮
島村速雄 1915年(大正4年)8月28日 高知・7期 部長 2F

佐鎮

加藤友三郎 1915年(大正4年)8月28日 広島・7期 大臣、次官

軍務局長

1F

呉鎮

吉松茂太郎 1916年(大正5年)12月1日 高知・7期 作戦部長 GF、2F

呉鎮

藤井較一 1916年(大正5年)12月1日 岡山・7期 次長 1F

横鎮、佐鎮

八代六郎 1918年(大正7年)7月2日 愛知・8期 大臣 2F

佐鎮、舞鎮

加藤定吉 1918年(大正7年)7月2日 東京・10期 2F

呉鎮

山下源太郎 1918年(大正7年)7月2日 山形・10期 部長、次長

作戦部長

GF

佐鎮

名和又八郎 1918年(大正7年)7月2日 福井・10期 2F

横鎮、舞鎮

村上格一 1918年(大正7年)7月2日 佐賀・11期 大臣 3F

呉鎮

東伏見宮依仁親王 1918年(大正7年)7月2日 皇族・仏海兵 2F

横鎮

有馬良橘 1919年(大正8年)11月25日 和歌山・12期 作戦部長 3F
山屋他人 1919年(大正8年)11月25日 岩手・12期 次長 GF、2F

横鎮

財部彪 1919年(大正8年)11月25日 宮崎・15期 大臣、次官 横鎮、佐鎮、舞鎮
黒井悌次郎 1920年(大正9年)8月16日 山形・13期 3F

舞鎮

栃内曽次郎 1920年(大正9年)8月16日 岩手・13期 次官

軍務局長

GF

佐鎮

野間口兼雄 1920年(大正9年)8月16日 鹿児島・13期 軍務局長 3F

横鎮、舞鎮

伏見宮博恭王 1922年(大正11年)12月1日 皇族・独海大
(18期相当[2]
総長 2F

佐鎮

鈴木貫太郎 1923年(大正12年)8月3日 千葉・14期 次官

軍務局長

部長 GF、2F、3F

呉鎮

竹下勇 1923年(大正12年)8月3日 鹿児島・15期 次長

作戦部長

GF

呉鎮

小栗孝三郎 1923年(大正12年)8月3日 石川・15期 軍務局長 3F

舞鎮

岡田啓介 1924年(大正13年)6月11日 福井・15期 大臣、次官 GF

横鎮

井出謙治 1924年(大正13年)6月11日 静岡・16期 次官

軍務局長

佐鎮
加藤寛治 1927年(昭和2年)4月1日 福井・18期 部長、次長 GF、2F

横鎮

安保清種 1927年(昭和2年)4月1日 佐賀・18期 大臣、次官 作戦部長 横鎮、呉鎮
百武三郎 1928年(昭和3年)4月2日 佐賀・19期 佐鎮
谷口尚真 1928年(昭和3年)4月2日 広島・19期 部長 GF、2F

呉鎮

山本英輔 1931年(昭和6年)4月1日 鹿児島・24期 GF

横鎮

大角岑生 1931年(昭和6年)4月1日 愛知・24期 大臣、次官

軍務局長

2F

横鎮

山梨勝之進 1932年(昭和7年)4月1日 宮城・25期 次官 呉鎮、佐鎮
小林躋造 1933年(昭和8年)3月1日 広島・26期 次官

軍務局長

GF
野村吉三郎 1933年(昭和8年)3月1日 和歌山・26期 次長 3F

横鎮、呉鎮

中村良三 1934年(昭和9年)3月30日 青森・27期 2F

呉鎮、佐鎮

末次信正 1934年(昭和9年)3月30日 山口・27期 次長

作戦部長

GF、2F

横鎮

永野修身 1934年(昭和9年)3月30日 高知・28期 大臣 総長、次長 GF

横鎮

高橋三吉 1936年(昭和11年)4月1日 東京・29期 次長 GF、2F
藤田尚徳 1936年(昭和11年)4月1日 東京・29期 次官 呉鎮
米内光政 1937年(昭和12年)4月1日 岩手・29期 大臣 GF、2F、3F

横鎮、佐鎮

百武源吾 1937年(昭和12年)4月1日 佐賀・30期 次長

作戦部長

3F

横鎮、佐鎮

加藤隆義 1939年(昭和14年)4月1日 広島・31期 次長

作戦部長

2F

呉鎮

長谷川清 1939年(昭和14年)4月1日 福井・31期 次官 CF、3F

横鎮

及川古志郎 1939年(昭和14年)11月15日 岩手・31期 大臣 総長

作戦部長

海上護衛、CF、3F

横鎮

塩沢幸一 1939年(昭和14年)11月15日 長野・32期 5F

横鎮、佐鎮

吉田善吾 1940年(昭和15年)11月15日 佐賀・32期 大臣

軍務局長

GF、CF、2F

横鎮

山本五十六 1940年(昭和15年)11月15日 新潟・32期 次官 GF
嶋田繁太郎 1940年(昭和15年)11月15日 東京・32期 大臣 総長、次長

作戦部長

CF、2F

横鎮、呉鎮

豊田貞次郎 1941年(昭和16年)4月4日 和歌山・33期 次官

軍務局長

佐鎮
豊田副武 1941年(昭和16年)9月18日 大分・33期 軍務局長 総長 GF、2F、4F

呉鎮

古賀峯一 1942年(昭和17年)5月1日 佐賀・34期 次長 GF、CF、2F

横鎮

近藤信竹 1943年(昭和18年)4月29日 大阪・35期 次長

作戦部長

CF、2F、5F
高須四郎 1944年(昭和19年)3月1日 茨城・35期 南西方面、1F、4F、5F、第2遣支
野村直邦 1944年(昭和19年)3月1日 鹿児島・35期 大臣 海上護衛、第3遣支

呉鎮

沢本頼雄 1944年(昭和19年)3月1日 山口・36期 次官 第2遣支

呉鎮

遠藤喜一 1944年(昭和19年)5月3日 東京・39期 9F、第1遣支
南雲忠一 1944年(昭和19年)7月8日 山形・36期 中部太平洋方面、1AF、3F、

呉鎮、佐鎮

高木武雄 1944年(昭和19年)7月8日 福島・39期 6F

高雄警備府

山縣正郷 1945年(昭和20年)3月17日 山口・39期 4南遣
伊藤整一 1945年(昭和20年)4月7日 福岡・39期 次長 2F
塚原二四三 1945年(昭和20年)5月15日 山梨・36期 次長 11AF

横鎮

井上成美 1945年(昭和20年)5月15日 宮城・37期 次官

軍務局長

4F

脚注

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  1. ^ The page 31.(階級表-明治21年12月 1日)”. admiral31.world.coocan.jp. 2023年2月19日閲覧。
  2. ^ 海軍兵学校を中退してドイツ帝国海軍キール海軍兵学校及びキール海軍大学校に学んだため「期外」であるが、事実上18期として扱われた。(野村實『山本五十六再考』1996年、36頁)

関連項目

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