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浜田文子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜田 文子
Ayako Hamada
浜田 文子 Ayako Hamadaの画像
プロフィール
リングネーム 浜田 文子
本名 アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビジャレアル
ニックネーム 孤高のジャンヌダルク
新世紀の女王
身長 162cm
体重 65kg
誕生日 (1981-02-14) 1981年2月14日(43歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
メキシコシティ
トレーナー ネフタリ[1]
ロッキー・サンタナ[1]
アジャ・コング[2]
吉田万里子[3]
グラン浜田[2]
グラン・アパッチェ[3]
デビュー 1998年8月9日
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浜田 文子(はまだ あやこ、1981年2月14日 - )は、メキシコ出身の女子プロレスラー

父のグラン浜田、姉のソチ浜田はともに元プロレスラーである。

所属

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略歴

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本名はAyako Valentina Hamada Villarreal(アヤコ・バレンティナ・ハマダ・ビヤレアル)。スペイン語圏では本人の名前・洗礼名・父親の姓・母親の結婚前の姓の順に表記する。洗礼名の「バレンティナ」は誕生日であるバレンタインデーに由来。メキシコシティにて、マリポーサ(空中)殺法で一時代を築いたグラン浜田新日本プロレスやメキシコ・マットで活躍)の四女として生まれる。

1995年、父の帰国とともに日本へ移住し、大日本プロレス道場でネフタリから指導を受けた[1]

1998年、設立直後の女子プロレス団体アルシオンに入団(当時のライセンスナンバーは14)。デビュー前から写真集やビデオが発売され、プロレス雑誌の表紙を飾るなどスーパールーキーとして注目された。同年8月9日キャンディー奥津戦でデビュー。大活躍の末、1年足らずでアルシオンのチャンピオンとなる。1970年代のチャンピオンマッハ文朱以来のスピード出世と言われた。

1999年8月29日、みちのくプロレス群馬大会にて日本人レスラー初となる父娘タッグを組む。団体の中心レスラーだったアジャ・コング退団後はライセンスナンバーが1に変更され文字通りエースとなり、年間200試合近くをこなし団体を支えた。

2002年1月13日、アルシオン退団を表明。アルシオン脱退後、フリーとなり主にGAEA JAPANマットに活躍の場を移した。一方、浜田を失ったアルシオンは倒産。2003年、堀田祐美子に買収され、メジャー女子プロレスAtoZとなった。

2003年5月、全日本女子プロレス横浜アリーナ大会にてWWWA世界シングル王座を奪取した。

2004年からは「アリシンZ」というリングネームハッスルへ参戦。2005年暮れから「ドクロンZ」に改名。

2005年からは悪役レスラーへ転向し、凶器を使うなど新たなファイトスタイルを披露した。

新間事務所を離脱後、しばらくはフリーで活動。その後、2006年10月15日付で伊藤薫プロレス教室へ入団。2009年4月8日、アメリカのプロレス団体TNAと契約を交わした。TNAでは「ハマダ」のリングネームで活動、2010年1月4日にはアメージング・コングとのコンビでTNAノックアウト・タッグチーム王座(女子タッグ王座)を獲得するが、3月にコングの退団にともない返上。7月27日にはテイラー・ワイルドとのコンビで同王座を奪回するが、12月6日付でハマダ自身が解雇され、王座も剥奪されてしまった(パートナーのワイルドも3日後にTNAとの契約を解除し、2011年1月には学業専念を理由にプロレスを引退した)。

TNAを解雇されたのち、アメリカ合衆国ニュージャージー州を拠点とするJAPW(Jersey All Pro Wrestling)と契約を交わした。

2012年6月1日付でZABUNと専属フリー契約を結び[4]、その後はプロレスリングWAVEを主戦場とした。

2013年8月9日、浜田文子15周年記念大会「~Aventurera」を新宿FACEにて開催。メインイベントではアジャ・コング&山縣優と組み、AKINOGAMILeon組と対戦。浜田がAKINOからフォールを奪って元アルシオン対決を制した[5]

2013年10月30日、山縣優とのタッグ(Las aventureras)でWAVE認定タッグ王座を戴冠。

2015年、ZABUN専属制度廃止にともないプロレスリングWAVE正式所属選手となり、ヘッドコーチも兼任[6]

2016年10月、Las aventurerasで今よりも強くなりたい選手とチームを結成することを明かし、朱崇花下野佐和子米山香織が加入。

不祥事

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2018年5月13日、センダイガールズ大阪大会を体調不良を理由に欠場。同月15日、覚醒剤取締法違反容疑で逮捕されていたことが判明[7][8]。『日刊ゲンダイ』によると、関係者に被害妄想に由来した意味不明なメールを送信したことが事件発覚のきっかけであるといい、本人が「試合のプレッシャーから使用した」と供述したと伝えられた[9]。その翌日、プロレスリングWAVEは浜田との契約を解除した[10][11]

同年7月18日、東京地裁にて懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。その後記者会見し、「プロレスを続けるべきではないと思うし、やめるしかない」と引退を宣言した[12]山縣優は、純粋で騙されやすい浜田を友として守れなかったことを悔いていた[13]

復帰へ

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その後は故郷メキシコで生活を送り、逮捕からおよそ半年後、SNSなどでプロレス復帰をほのめかすようになった。1年2ヶ月後となる2019年7月にメキシコにて復帰[14]

8月3日、メキシコAAAの年間最大のビッグマッチ「トリプレマニアXXVII」に出場した。

得意技

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スピンキック
若手時代より継続して使用する技の一つで、フィニッシュ・ホールドとしても多用する。
APクロス
キークラッシャー'99と同型。主なフィニッシュ・ホールドとして使用。
APクロスディアマンテ
ハリケーン・ドライバーと同型。
アヤコノクラズム
セカンドロープから仕掛ける変形のアイコノクラズム。
浜ちゃんカッター
セカンドロープから仕掛ける雪崩式ダイヤモンド・カッター。父・グラン浜田から受け継いだ。
ムーンサルトプレス
若手時代より得意とする飛び技の一つ。高く跳び上がる縦回転式を使用。
ラ・ケブラーダ
若手時代より得意とする飛び技の一つ。体重増加後も難なく使用している。
ラ・アヤキータ
相手の右脚と首を自身の右脚で固定しつつ両手で左腕を締め上げるオリジナルのサブミッション。
ラ・アヤキータ2000
クロスさせた自身の脚で相手のクロスさせた脚をロックし、首を引っ張りこんで持ち上げて締め上げるオリジナルのサブミッション。

入場テーマ曲

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タイトル歴

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出版

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写真集
  • ANDROMEDA(1998年、ゲオ)
  • VALENTINA(2004年、双葉社
ビデオ
  • ANDROMEDA in 浜田文子(1998年、東芝EMI)

映画出演

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  • 光る-change the life-(2009年)

脚注

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  1. ^ a b c WNC後楽園ホール決戦完全ガイド TAJIRI Official Website 2012年7月12日
  2. ^ a b Lethal Women of Wrestling profile”. Lethalwow. 2009年10月13日閲覧。
  3. ^ a b Profile of Ayako Hamada at Bodyslamming.com”. 2007年6月11日閲覧。
  4. ^ “浜田文子と山縣優がZABUNと専属契約”. 日刊スポーツ. (2012年7月2日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20120702-976750.html 
  5. ^ “浜田文子同期王者をフォール/15周年興行”. 日刊スポーツ. (2013年8月10日). https://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20130810-1170926.html 
  6. ^ “ZABUN主催の大会に出場したレスラーの人気投票『ZAN1』2014年のクイーンが決定!ZABUNグループの組閣発表”. バトル・ニュース. (2014年12月29日). http://battle-news.com/?p=4178&page=2 
  7. ^ 浜田文子についての重要なご報告”. プロレスリングWAVE (2018年5月15日). 2019年4月15日閲覧。
  8. ^ “女子プロレスラー・浜田文子が覚醒剤使用で逮捕 所属団体WAVEは契約解除の方針”. 東京スポーツ. (2018年5月15日). https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/40862 
  9. ^ “覚醒剤に溺れた美女レスラー 逮捕に至った警察官の“直感””. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2018年5月17日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/229210 
  10. ^ 浜田文子との契約関係についてのご報告”. プロレスリングWAVE (2018年5月16日). 2019年4月15日閲覧。
  11. ^ 契約解除”. GAMI公式ブログ「元女子プロレスラー「まいどGAMIです」」 (2018年5月16日). 2019年4月15日閲覧。
  12. ^ “浜田文子「やめるしかない」覚せい剤使用判決後”. 日刊スポーツ. (2018年7月19日). https://www.nikkansports.com/battle/news/201807190000203.html 
  13. ^ 『週刊プロレス』第1997巻、2019年2月20日、74頁。 
  14. ^ “浜田文子がメキシコで復帰戦!昨年7月に判決が出てから1年”. プロレスTODAY. (2019年7月25日). https://proresu-today.com/archives/85798/ 2020年5月17日閲覧。 

外部リンク

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