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WWWA世界シングル王座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
WWWA世界シングル王座
詳細
管理団体 全日本女子プロレス
創立 1950年
廃止 2006年3月26日
統計
最多保持者 ジャンボ宮本(5回)
初代王者 ミルドレッド・バーク
最長保持者 ミルドレッド・バーク
最年少 マッハ文朱(16歳0か月)

WWWA世界シングル王座(スリーダブリュー・エーせかいシングルおうざ)は、全日本女子プロレスが管理、WWWAが認定していた王座。「WWWA」は「World Women's Wrestling Association(世界女子レスリング協会)」の略。

歴史

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1937年1月28日ミルドレッド・バークがクララ・モーテンソンを破って世界女子王座を獲得。

1950年、世界女子王座を管理する機関としてロサンゼルスWWWAを発足してバークが会長に就任。また、世界女子王座を引き継ぐ形でWWWA世界シングル王座を創設してバークは自身を初代王者に認定。

ベルト部分の色から「赤いベルト」と呼ばれている。

1954年にバークが初来日を果たした際、防衛戦が行われて来日興行に関わった松永高司がチャンピオンベルトを「世界最高峰」と紹介していた。

バークは1956年の引退までWWWA世界シングル王座を保持していた。

1968年、松永が設立した全日本女子プロレスはバークからWWWA世界王座の管理権を買い取る話を進める。

1970年8月16日、ロサンゼルスで行われた第2代王座決定トーナメントに優勝したマリー・バグノンがバークからチャンピオンベルトを授与されて第2代王者になった。10月15日京愛子が獲得したことで日本に定着して全日本女子の管理下に置かれた。

全日本女子最強の象徴と称されて、その長い歴史の中で数々の名勝負が行われていた。京は22回連続防衛に成功しており、現在でも日本の女子プロレス史上最多連続防衛記録である。

管理権譲渡を受けた全日本女子はNWAに加盟しており、NWAの規約上加盟団体は独自の王座には「世界」と冠することができなかったが、NWA世界女子王座はNWAの直轄ではないことから(NWA世界女子王者であるファビュラス・ムーラの個人管理)、WWWA世界シングル王座を「世界」と冠することができた。

1997年8月20日、全日本女子の経営危機による所属選手の大量離脱の際、棚ボタ式で堀田祐美子が王者になったことで全日本女子OG達から猛烈な反発があったことからも、女子プロレス界において非常に重要な意味を持つ王座であったことがうかがえる。

1970年10月26日、王者の京が初代チャンピオンベルトをバークに返却された。同年、全日本女子によって2代目チャンピオンベルトが製作された。

1985年8月22日、全日本女子によって3代目チャンピオンベルトが制作された。また、王者のジャガー横田が防衛に成功した際、その功績から横田に2代目チャンピオンベルトが贈呈された[1]

2005年4月17日、全日本女子の解散により、WWWA世界王座も封印されたがWWWA世界シングル王座だけは最後の王者である前川久美子の希望で管理権が譲渡された。

2006年3月26日後楽園ホールで開催された「前川久美子引退興行」で、前川を破って王者になった高橋奈苗がチャンピオンベルトを松永に返還して封印された[2]。チャンピオンベルトは松永と親しかった人物に買い取られて保管されている[3][4]

2012年1月8日TOKYO DOME CITY HALLで開催された「ブル中野引退興行」で引退セレモニーが行われて中野からアジャコングにチャンピオンベルトが渡された際、アジャが中野の腰にチャンピオンベルトを巻いたことで一時的に復活を遂げた。6月3日THE GRAND HALLで開催された「ジャガー横田35周年記念大会」で歴代WWWA世界シングル王者による6人タッグマッチが行われて、横田が所有していた2代目チャンピオンベルトが懸けられたが結局は防衛に成功している[5]

歴代王者

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歴代 選手 戴冠回数 防衛回数 獲得日付 獲得場所
(対戦相手・その他)
初代 ミルドレッド・バーク 1 670 1937年1月28日 カリフォルニア州ロサンゼルス
WWWA会長のミルドレッド・バークが自身を王者に認定
1956年に引退のため返上
第2代 マリー・バグノン 1 2 1970年8月16日 カリフォルニア州ロサンゼルス
第3代 京愛子 1 22 1970年10月15日 足立区体育館
第4代 ジーン・アントン 1 0 1972年3月9日 小田原市体育館
第5代 京愛子 2 3 1972年3月15日 愛知県体育館
第6代 サンデー・スター 1 1 1972年4月26日 大阪府立体育館
第7代 京愛子 3 0 1972年5月24日 九電体育館
第8代 サラ・リー 1 2 1972年7月1日 大田区体育館
第9代 星野美代子 1 7 1972年7月26日 春日部市体育館
第10代 サンディ・パーカー 1 0 1973年5月15日 銚子市体育館
第11代 星野美代子 2 4 1973年7月10日 笠間市体育館
第12代 ジャンボ宮本 1 1 1973年11月11日 足立区体育館
第13代 バンビ・ボール 1 1 1974年3月2日 後楽園ホール
1974年3月に負傷のため返上
第14代 ジャンボ宮本 2 0 1974年3月6日 前橋スポーツセンター
ジェーン・オブライエン
第15代 ジャッキー・ウエスト 1 0 1974年4月1日 神戸市立王子スポーツセンター
第16代 ジャンボ宮本 3 10 1974年4月24日 熊本市体育館
第17代 マッハ文朱 1 0 1975年3月19日 大田区体育館
第18代 ジャンボ宮本 4 10 1975年4月2日 大阪府立体育館
第19代 赤城マリ子 1 1 1976年3月15日 大田区体育館
第20代 ジャンボ宮本 5 1 1976年4月17日 愛知県体育館
第21代 マキ上田 1 1 1976年6月8日 鳥取市民体育館
第22代 赤城マリ子 2 2 1976年11月30日 後楽園ホール
第23代 マキ上田 2 0 1977年7月29日 田園コロシアム
第24代 ジャッキー佐藤 1 2 1977年11月1日 日本武道館
第25代 モンスター・リッパー 1 0 1979年7月31日 田園コロシアム
第26代 ジャッキー佐藤 2 0 1979年9月13日 池袋スケートセンター
第27代 モンスター・リッパー 2 0 1980年3月15日 川崎市体育館
1980年8月8日のジャッキー佐藤戦後に空位
第28代 ジャッキー佐藤 3 0 1980年12月16日 大田区体育館
ナンシー久美
第29代 ジャガー横田 1 7 1981年2月25日 横浜文化体育館
第30代 パンテラ・スレーニャ 1 0 1983年5月7日 川崎市体育館
第31代 ジャガー横田 2 4 1983年6月1日 大宮スケートセンター
1985年12月に引退のため返上
第32代 デビル雅美 1 1 1985年12月12日 大田区体育館
ダンプ松本
第33代 大森ゆかり 1 1 1986年8月23日 川崎市体育館
第34代 長与千種 1 1 1987年10月20日 大田区体育館
第35代 ライオネス飛鳥 1 0 1988年8月25日 川崎市体育館
1988年8月25日に長与千種の負傷による勝利を理由に返上
第36代 ライオネス飛鳥 2 2 1989年1月29日 後楽園ホール
長与千種
1989年7月19日に引退のため返上
第37代 ブル中野 1 6 1990年1月4日 後楽園ホール
西脇充子
第38代 アジャコング 1 5 1992年11月26日 川崎市体育館
第39代 豊田真奈美 1 1 1995年3月26日 横浜アリーナ
第40代 アジャコング 2 0 1995年6月27日 札幌中島スポーツセンター
第41代 ダイナマイト関西 1 1 1995年8月30日 大阪府立体育会館
第42代 豊田真奈美 2 3 1995年12月4日 両国国技館
第43代 井上京子 1 3 1996年12月8日 両国国技館
1997年5月11日の伊藤薫戦が引き分けだったことを理由に返上
第44代 井上京子 2 0 1997年6月18日 札幌中島スポーツセンター
伊藤薫
第45代 堀田祐美子 1 2 1997年8月20日 日本武道館
第46代 神取忍 1 2 1998年3月21日 後楽園ホール
第47代 堀田祐美子 2 0 1999年3月21日 国立代々木競技場第二体育館
第48代 井上京子 3 1 1999年7月11日 フジテレビ屋上庭園
第49代 堀田祐美子 3 1 1999年10月20日 博多スターレーン
第50代 豊田真奈美 3 2 2000年1月4日 後楽園ホール
第51代 伊藤薫 1 2 2000年9月17日 ディファ有明
第52代 豊田真奈美 4 0 2002年2月24日 横浜文化体育館
第53代 伊藤薫 2 1 2002年7月6日 大田区体育館
第54代 中西百重 1 2 2002年10月20日 川崎市体育館
第55代 浜田文子 1 2 2003年5月11日 横浜アリーナ
第56代 アメージング・コング 1 0 2004年1月4日 後楽園ホール
第57代 浜田文子 2 1 2004年5月2日 後楽園ホール
第58代 高橋奈苗 1 0 2004年12月12日 川崎市体育館
2004年12月29日に負傷のため返上
第59代 前川久美子 1 0 2005年1月3日 後楽園ホール
浜田文子
第60代 高橋奈苗 2 0 2006年3月26日 後楽園ホール
2006年3月26日封印

主な記録

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  • 最多戴冠:ジャンボ宮本(5回)
  • 最多連続防衛:京愛子(22回)
  • 最多通算防衛:京愛子(25回)
  • 最年少戴冠:マッハ文朱(16歳0ヶ月)
  • デビュー後最短戴冠:マッハ文朱(7ヶ月)
  • 連続最長保持期間記録:ブル中野(1057日)
  • 通算保持期間記録:ジャガー横田(4年9ヶ月)

参考文献

[編集]

脚注

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  1. ^ File11 ジャガー横田と旧赤いベルト ロッシー小川公式ブログ「MY FAVORITE LIFE」 2008年12月27日観覧
  2. ^ 前川久美子引退興行速報2 須山浩継伯爵の身勝手日記(2006年3月26日)
  3. ^ ベースボールマガジン社週刊プロレス」2017年9月13日号 p70
  4. ^ 白夜書房「吉田豪の"最狂"全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集」長与千種の証言 p23 2017年 ISBN 9784864941396
  5. ^ 対戦カードはジャガー横田&堀田祐美子&神取忍組対豊田真奈美&井上京子&伊藤薫組。