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河波荒次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河波荒次郎

河波 荒次郎(かわなみ あらじろう、1865年10月7日(慶応元年8月18日[1])- 1932年昭和7年)2月21日[2][3])は、日本の農業経営者、政治家衆議院議員。「玄洋社式の豪傑」と呼ばれた[4]

経歴

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筑前国御笠郡山田村、のちの福岡県筑紫郡大野村(現大野城市)で、地主・河波宗五郎の長男として生まれる[1][4][5][6]。1885年(明治18年)家督を相続した[6]。1888年(明治21年)東京専門学校邦語政治科を卒業した[2][3][4][5][6]。農業を営み、玄洋社社員であった[3][4][6]

大野村会議員、筑紫郡会議員、同議長、雑餉隈郵便電信局長(現博多南郵便局)などを務め、1903年(明治36年)福岡県会議員に選出された[2][3][4][5][7]。1905年(明治38年)九州日報社副社長に就任した[3]

1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙に福岡県郡部から憲政会所属で出馬して当選[2][3][5]。その後、第15回第17回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算3期務めた[2][5]。この間、憲政会福岡県支部幹事長となる[4]

かなりの資産を保有していたが、財産の全てを用いて政治活動を行った[4]

脚注

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  1. ^ a b 衆議院『第三十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、27頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』199頁。
  3. ^ a b c d e f 『玄洋社・封印された実像』玄洋社社員名簿32頁。
  4. ^ a b c d e f g 『新代議士名鑑』447頁。
  5. ^ a b c d e 『衆議院議員略歴』145頁。
  6. ^ a b c d 『人事興信録』第9版、カ176-177頁。
  7. ^ 『大野城市の文化財』第42集、8頁。

参考文献

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  • 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第9版、1931年。
  • 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
  • 『大野城市の文化財』第42集、大野城市教育委員会、2010年。[1] 2019年3月14日閲覧。