沢原俊雄
沢原 俊雄(澤原 俊雄[1][2][3]、さわはら としお[4]、1865年5月8日〈慶應元年4月14日[5]〉 - 1942年〈昭和17年〉7月29日[4])は、日本の政治家、実業家、資産家[6][7]、広島県多額納税者[8][9][10][11]、広島県の大地主[12][13][14][注 1]。呉商工会議所顧問[2]。広島県呉市長[11]。広島合同貯蓄銀行、沢原銀行各頭取[11][15]。呉私立教育会長[4]。勲四等[1][4]。族籍は広島県平民[11][16]。
経歴
[編集]広島県安芸郡荘山田村(現・呉市)に生まれる[3]。沢原為綱の長男[2][11][15]。広島英語学校に入学し、後に退学する[3]。1889年、東京に在住し学校に入学、1890年、中途退学し帰郷する[3]。
1896年、呉貯蓄銀行創立発起人となり、同行取締役、同行頭取となる[3]。1902年、家督を相続する[2][11][15]。商業[6][16]、農業[9][11][15]、貸地貸金業[17]を営み、広島県多額納税者に列する[9][11][15]。
市民の輿望に依り呉市長に挙げられた。1904年(明治37年)貴族院多額納税者議員に互選され[11]、同年9月29日から[18]1911年(明治44年)9月28日まで1期在任した[4]。1912年、日本赤十字社正社員となる[3]。
1919年以来県農会副会長、その他県農政協会理事長、呉商工会議所顧問、社団法人呉市同済会議員、広島合同貯蓄銀行頭取[14]。1921年、沢原銀行取締役頭取となる[3]。
人物
[編集]日露戦役の功に依り勲四等に叙し、旭日小綬章を下賜される[1]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[5][19]。
宗教は真宗[2]。趣味は読書、書画[14]。住所は呉、荘山田村[9]、胡町[6][14][15][19]、草里町[2]。
家族・親族
[編集]- 澤原家
- 父・為綱[6](1839年 - 1923年、農業、崇徳銀行頭取、貴族院多額納税者議員)
- 母・コト(1843年 - 1922年、広島、宮原昌敏の妹)[9]
- 妻・ナミ(1868年 - ?、広島、倉田佐太郎の長女[9][15]、仏教婦人会長[20])
- 長男・美水(よしみ、1885年 - 1902年)[3]
- 二男・亮吉(1888年 - 1920年、沢原銀行代表)[9]
- 孫・梧郎(1916年 - ?、広島県多額納税者)[21] - 二男亮吉の長男[11]。家督を相続する[21]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 『広島県紳士名鑑』呉市之部1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 下』サ145 - 146頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『沢原俊雄伝』31 - 117、136 - 154頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『議会制度七十年史 第1』196頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』467頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b c d 『大正人名辞典』1823頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月18日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 広島県60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第6版』さ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 広島県63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第7版』さ72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b c 砂本文彦「呉鎮守府水道並びに呉市水道布設に伴う旱害補償交渉と軍港都市呉の住宅地形成」『日本建築学会計画系論文集』第78巻第694号、日本建築学会、2013年、2637-2646頁、CRID 1390282679755368192、doi:10.3130/aija.78.2637、ISSN 1340-4210。 p.2643より。
- ^ 『広島県下役員録』2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月18日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士録 昭和8年版』119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第8版』サ145頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第2版』1165 - 1166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月18日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第19版 大正15年』広島県サ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月25日閲覧。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
- ^ a b 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』67頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
- ^ 『日本婦徳の鑑 昭和大典記念』続篇第五篇 現代婦人録69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月21日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』サ146頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年5月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 佐古豊次郎編『広島県下役員録』広島独立通信社、1909年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第19版 大正15年』帝国興信所、1926年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。
- 東京婦人新聞社編『日本婦徳の鑑 昭和大典記念』東京婦人新聞社、1931年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
- 田口稔『沢原俊雄伝』呉同済義会、1961年。