森岡比佐士
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Hisashi MORIOKA | |
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基本情報 | |
名前 | 森岡 比佐士 |
生年月日 | 1938年2月4日(86歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
森岡 比佐士(もりおか ひさし、1938年2月4日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1956年の関西プロで2位[1]、1960年の報知プロ新人で内田繁と共に今田慶之助の2位タイ[2]に入った。
関西オープンでは1958年に橘田規の2位[3]、1959年に石井迪夫の2位[4]、1964年に杉原輝雄の2位[5]、1976年には川上実と並んでの6位タイ[6]に入った。
1961年には第2回中日クラウンズで9位[7]に入り、1962年には中村寅吉・小針春芳・林由郎・藤井義将・勝俣敏男・杉本英世・松田司郎と共に第1回アジアサーキットに参戦し[8]、帰国後の日本プロでは戸田藤一郎・工藤幸裕と並んでの10位タイ[9]に入った。
1964年の日本オープンでは初日を首位タイの松田・柳田勝司から3打差の3位に杉本・佐藤精一と並んで着け、最終的には林・勝俣功・木本与・河野高明と並んでの9位タイ[10]に入った。
1975年のペプシウイルソントーナメントでは初日の14番でホールインワンを達成[11]。
1982年の兵庫県オープンでは初日を金山和雄と共に65をマークし、井上久雄・橘田光弘を抑えての首位タイ[12]でスタートするが、最終日には井上・島田幸作・西村公一を抑えるも金山の2位[13]に終わった。
脚注
[編集]- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂
- ^ 朝日新聞縮刷版p606 昭和51年7月19日朝刊18面
- ^ ムーディーを退けた理論家石井朝夫の執念
- ^ アジアンツアーの歴史と成り立ち - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR
- ^ 第30回日本プロゴルフ選手権(1962年)
- ^ 第31回日本オープンゴルフ選手権(1964年)
- ^ 朝日新聞縮刷版p686 昭和50年5月23日朝刊16面「日吉トップ ペプシ・ウイルソン・ゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p643 昭和57年7月17日朝刊17面
- ^ 朝日新聞縮刷版p680 昭和57年7月18日朝刊16面