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松田司郎 (ゴルファー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松田 司郎
Shiro MATSUDA
基本情報
名前 松田 司郎
生年月日 (1934-01-31) 1934年1月31日(90歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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松田 司郎(まつだ しろう、1934年1月31日 - )は日本プロゴルファー

来歴

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1964年日本オープンではからに変わり、冷え込んだ初日に柳田勝司と共に4アンダー68をマークし、杉本英世佐藤精一らに3打差着けて首位に立つ[1]

1966年中日クラウンズでは初日に藤井義将杉原輝雄と共に67で2位タイに着け、2日目には10番と14番からの4連続バーディを奪い、イン30のトーナメントレコードを記録[2]。同郷の内田繁と共に2位タイに着け、詰めかけたギャラリーを大いに湧かせ、最終的には杉原・林由郎・佐藤と並んでの9位タイ[2]であった。

1966年の瀬戸内サーキット広島では杉原を抑えて優勝し[3]1967年の西日本サーキット下関では戸田藤一郎・杉原と並んでの4位タイ[4]に入る。

1968年日本プロでは2日目には杉原と共に首位の島田幸作から2打差3位に着け[5]、初出場の日本シリーズでは大阪よみうりCCでの初日に河野高明を1打リードして首位に立つが、2日目は逆に河野が松田を1打抑えて首位に立つ[6]東京よみうりCCに舞台を移した3日目には2位以下に12打差を付け[7]、71の河野に対して松田もベストスコア70をマークしてピタリと並び、最終日も2人の争いは激烈となる[6]。河野とのマッチレースになり、松田が4番でダブルボギーを叩いて河野に流れが来る[7]。アウトを終わって河野が3打リードしていたが、松田も盛り返して15番で1打差に迫るも、河野は17番ロングホールで2オンに成功[6]。バーディーを奪って振り切り、松田は2位に終わる[6]

1969年の日本オープンでは36ホールの戦いとなった最終日の午前18ホールで2アンダーで首位に立ったが、8位に終わった[8]

1970年の西日本サーキット宇部で石井朝夫を抑えて優勝し、細石憲二とペアを組んだ全日本プロダブルスでは杉本英世村上隆ペアの2位に入った[9]

1971年の旭国際トーナメントでは尾崎将司鷹巣南雄・島田と並んでの2位タイ[10]1972年には瀬戸内海サーキット岡山で青木功鈴村久と並んでの2位タイ[11]に入る。

1972年の東海クラシックでは3日目まで首位に立っていたが[12]、13アンダーの首位でスタートした最終日にはアウトで39を叩き後退[13]

1972年の日本プロでは初日に6、7番アイアンが冴え、他の選手が苦しむ高麗芝の目の強さにも5バーディー、ノーボギーの67で回り、尾崎将・村上に2打差着けて首位に立った[14]。2日目には77を叩いて11位に後退したが、最終的には寺本一郎中村通と並んでの7位タイ[14]に入った。

1973年にはアジアサーキットシンガポールオープンでは初日に陳健振中華民国の旗 中華民国)と共に69をマークし、首位と1打差の2位タイ[15]でスタート。最終日14番パー3でホールインワンを記録し、初日にホールインワンを記録したウィリアムズ・スチュアート(オーストラリアの旗 オーストラリア)と賞金5000シンガポールドル日本円で約50万円を分け合った[16]

国内では日本のプロ競技で初めて行われたチャリティートーナメント「ソニーチャリティークラシック」[17]に出場し、初日に森憲二木本挙国に次ぐと同時に内田久寿雄と並んでの3位タイ[18]でスタートすると、2日目には宮本省三と並んでの5位タイ[19]となる。3日目にはコースレコード63を出して首位に立った田中文雄から2打差の2位[20]となり、最終日は村上隆と並んでの10位タイ[21]でフィニッシュ。

1974年全日空札幌オープンでは64のコースレコードで初日首位に立ち[22]1977年の日本オープンでは初日に首位のセベ・バレステロススペイン)から1打差2位タイに鈴木規夫前田新作と共に着けた[23]

シニア転向後は1986年日本プロシニア橘田規戸川一郎に次ぐと同時に謝永郁中華民国)と並んでの3位タイ[24]1992年日本シニアオープンでは木本・鈴村久松井功と並んでの9位タイ[25]に入り、2002年の関西プロゴールドシニアで2日間ベストスコア賞で優勝[26]

主な優勝

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レギュラー
シニア
  • 2002年 - 関西プロゴールドシニア

脚注

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  1. ^ 第29回日本オープンゴルフ選手権(1964年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月31日閲覧。
  2. ^ a b 中日クラウンズ”. hicbc.com. 2024年1月31日閲覧。
  3. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月2日閲覧。
  4. ^ 「BSCCの歴史」ブリヂストンカンツリー倶楽部公式ウェブサイト”. 2024年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月2日閲覧。
  5. ^ 第36回日本プロゴルフ選手権(1968年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月31日閲覧。
  6. ^ a b c d ゴルフ日本シリーズの歴史 第5回 – GOLF報知”. golf.hochi.co.jp. 2024年1月31日閲覧。
  7. ^ a b 【歴代顕彰者紹介㉓】河野高明(第5回顕彰者)マスターズで認められた「リトル・コーノ」”. www.facebook.com. 2024年1月31日閲覧。
  8. ^ 第34回日本オープンゴルフ選手権(1969年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月31日閲覧。
  9. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月2日閲覧。
  10. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月2日閲覧。
  11. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月2日閲覧。
  12. ^ 歴代優勝者”. www.tokai-tv.com. 2024年1月31日閲覧。
  13. ^ トイチ直伝のショットでリトルコーノを振り切る!ハットマン誕生秘話【名勝負ものがたり】”. www.alba.co.jp. 2024年1月31日閲覧。
  14. ^ a b 第40回日本プロゴルフ選手権(1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月31日閲覧。
  15. ^ 朝日新聞縮刷版p305 昭和48年3月9日朝刊17面「金が首位、松田2位 シンガポール・オープンゴルフ・第1日
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p411 昭和48年3月12日朝刊19面「アルダ優勝、尾崎4位 松田がホールインワン シンガポール・オープン
  17. ^ 2003選手紹介”. 2023年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月19日閲覧。
  18. ^ 朝日新聞縮刷版p453 昭和48年7月13日朝刊19面「杉本・大場ホールインワン エアロ慈善ゴルフ
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p489 昭和48年7月14日朝刊19面「木本、レガスピが首位に エアロ慈善ゴルフ
  20. ^ 朝日新聞縮刷版p525 昭和48年7月15日朝刊19面「田中が首位青木が失格 エアロゴルフ第3日
  21. ^ 朝日新聞縮刷版p557 昭和48年7月16日朝刊19面「花開いた日米の新鋭 田中、1打差の逃げ切り
  22. ^ 松田司郎(パリス) 男子プロゴルファー “74年度全日空札幌オープン・ゴルフ” 第1日”. photobank.mainichi.co.jp. 2024年1月31日閲覧。
  23. ^ 第42回日本オープンゴルフ選手権(1977年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月31日閲覧。
  24. ^ 2004年日本プロゴルフシニア選手権大会”. 2024年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月9日閲覧。
  25. ^ JGA 日本ゴルフ協会 【1992年度(第2回)日本シニアオープンゴルフ選手権競技】”. www.jga.or.jp. 2024年1月31日閲覧。
  26. ^ 2002関西プログランド・ゴールドシニア選手権大会”. 2024年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月9日閲覧。

外部リンク

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