木本挙国
Kiyokuni KIMOTO | |
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基本情報 | |
名前 | 木本 挙国 |
生年月日 | 1939年4月3日(85歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府 |
経歴 |
木本 挙国(きもと きよくに、1939年4月3日 - )は大阪府出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]中学生の頃は土日に茨木カンツリー倶楽部へアルバイトに行き[1]、洗濯係であった杉原輝雄が洗面所と風呂場のタオルを干している姿をよく見ていた[2]。
高校卒業後の1958年に茨木CCへ研修生として入社し、同期には宮本省三がいた[1]。木本や宮本ら研修生は1日の日当が僅か200円であったため、10日ほど預けて、まとめて貰っていた[3]。
木本と宮本が入社した頃は杉原がプロ成り立ての頃で、杉原が利用客とラウンドしている日は、木本と宮本は練習が終わった後に茨木駅前で待っていて、後から杉原が来て食事を奢ってくれるのが楽しみであった[4]。
茨木CC時代はプロテストに通らず、1962年からは上京して霞ヶ関カンツリー倶楽部に移籍し、1963年に合格[5]。
1964年の日本オープンでは戦前の予想で若手代表として優勝候補に挙げられ、最終日の混沌とした優勝争いの中で猛追[6]。15、17番バーディーで通算1オーバーの2位に浮上し、18番パー4の第3打アプローチもピンに向かって伸びていったが、一瞬沈みかけたかに見えたボールはピンに弾かれてグリーン上で止まり、陳清波(中華民国)と並んで杉本英世の2位タイに終わる[6]。
1967年の日本オープンでは初日に前半のパー5で2つのバーディーを取り、14番では第2打を直接入れるイーグルなど3アンダーをマークし、橘田規と共に首位で並んだ[7]。
1973年には日本のプロ競技で初めて行われたチャリティートーナメント「ソニーチャリティークラシック」[8]に出場し、初日に8バーディ、64のコースレコードをマークした首位の森憲二から1打差の2位に着け[9]、2日目にはイレネオ・レガスピ(フィリピン)と並んで通算11アンダー133で首位に立った[10]。3日目には75を叩いて杉原・吉川一雄・宮本と並んでの7位タイ[11]に後退するが、最終日には杉原・鷹巣南雄と並んでの3位タイ[12]に浮上してフィニッシュ。
1989年の関西プロ[13]を最後にレギュラーツアーから引退し、同年には第1回スターツシニアで初代チャンピオンとなり[14] [15] [16]、賞金ランクでも5位[17]に入る。
1990年にはアーバネットカップ世界シニアを制し[18]、1992年はミサワリゾートシニアで鈴村久と並んでの3位タイ[19]、名古屋テレビカップでは謝敏男(中華民国)・戸川一郎と並んでの6位タイ[20]、日本シニアオープンでは鈴村・松井功・松田司郎と並んでの9位タイ[21]、緑営グループ杯シニアでは内田繁・小川貞雄と並んでの5位タイ[22]に入る[23]。
1993年は第一生命カップシニアでは8位タイ[24]、日本プロシニアでは郭吉雄(中華民国)・安田春雄と並んでの10位タイ[25]に入る[23]。
1994年はミズノシニアクラシックで内田・金井清一・菊地勝司・橘田光弘と並んでの7位タイ[26]、HTBシニアクラシックでは鷹巣と並んでの6位タイ[27]に入り、2002年のPGAフィランスロピービッグライザックシニア[23]を最後にシニアツアーを引退。
主な優勝
[編集]- 1989年 - スターツシニア
- 1990年 - アーバネットカップ世界シニア
脚注
[編集]- ^ a b c 杉原輝雄記念館『命ある限り 悔いなく生きる―各界の第一人者が語る、もう一人の「杉原輝雄」』コスモトゥーワン、2012年7月5日、ISBN 4877952365、p62。
- ^ 『命ある限り 悔いなく生きる―各界の第一人者が語る、もう一人の「杉原輝雄」』、pp62-63。
- ^ 『命ある限り 悔いなく生きる―各界の第一人者が語る、もう一人の「杉原輝雄」』、p63。
- ^ 『命ある限り 悔いなく生きる―各界の第一人者が語る、もう一人の「杉原輝雄」』、p64。
- ^ 『命ある限り 悔いなく生きる―各界の第一人者が語る、もう一人の「杉原輝雄」』、p65。
- ^ a b “第29回日本オープンゴルフ選手権(1964年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “第32回日本オープンゴルフ選手権(1967年)”. www.golfdendou.jp. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “2003選手紹介”. 2023年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月11日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p453 昭和48年7月13日朝刊19面「杉本・大場ホールインワン エアロ慈善ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p489 昭和48年7月14日朝刊19面「木本、レガスピが首位に エアロ慈善ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p525 昭和48年7月15日朝刊19面「田中が首位青木が失格 エアロゴルフ第3日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p557 昭和48年7月16日朝刊19面「花開いた日米の新鋭 田中、1打差の逃げ切り」
- ^ “木本 挙国選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “過去の大会|TPCスターツシニアゴルフトーナメント|競技|公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. pga.or.jp. 2024年11月30日閲覧。
- ^ “第13回 スターツシニアゴルフトーナメント”. www.starts.co.jp. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “大会概要|第17回スターツシニアゴルフトーナメント”. www.starts.co.jp. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “各種ランキング|シニアツアー|競技|公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. pga.or.jp. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “その他の競技歴代優勝者(現在行われていない競技)”. 2003年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月30日閲覧。
- ^ “各日最終成績 92ミサワリゾートシニア ゴルフトーナメント”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “各日最終成績 名古屋テレビカップ'92”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “JGA 日本ゴルフ協会 【1992年度(第2回)日本シニアオープンゴルフ選手権競技】”. www.jga.or.jp. 2024年1月31日閲覧。
- ^ “各日最終成績 '92緑営グループ杯シニアゴルフトーナメント”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
- ^ a b c “木本 挙国 キモト キヨクニ KIYOKUNI KIMOTO”. www.smile-pga.jp. 2024年1月23日閲覧。
- ^ “各日最終成績 第12回第一生命カップシニアトーナメント”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “各日最終成績 93日本プロゴルフシニア選手権大会”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “各日最終成績 第5回ミズノシニアクラシックゴルフトーナメント”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。
- ^ “各日最終成績 HTBシニアクラシック”. pga.or.jp. 2024年4月5日閲覧。