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柳田勝司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柳田 勝司
Katsuji YANAGIDA
基本情報
名前 柳田 勝司
生年月日 (1937-10-24) 1937年10月24日(87歳)
身長 165 cm (5 ft 5 in)
体重 60 kg (132 lb)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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柳田 勝司(やなぎだ かつじ、1937年10月24日 - )は日本プロゴルファー

来歴

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1964年日本オープンではからに変わり、冷え込んだ初日に松田司郎と共に4アンダー68をマークし、杉本英世佐藤精一らに3打差着けて首位に立つ[1]。2日目は68で回って通算4アンダーのベテラン林由郎に首位を譲るも1打差2位、3日目も林と並んでの2位タイで最終日を迎えるなど健闘[1]

1965年の日本オープンでは橘田規内田繁に次ぐと同時に鈴村久藤井義将山口征二陳清波中華民国)・安田春雄杉原輝雄を抑えての5位[2] [3]1969年の日本オープンでは杉本・内田・内田袈裟彦石井朝夫に次ぐと同時に細石憲二島田幸作と並んでの5位タイに入る[4] [3]

1967年の西日本オープンでは西宮辰幸と共に上田鉄弘・藤井・細石を抑えるも、アマチュアの中部銀次郎平野勝之に次ぐ3位タイに終わる[5]

西日本サーキットでは1967年の下関シリーズ9位、1968年の長崎国際シリーズ10位に入った[6]

1971年には第1回九州オープンで藤井を抑えて優勝し[7]、その後の同大会では1975年1976年には鈴木規夫の2位[8] [9]1978年には鈴木・秋富由利夫・上田に次ぐ4位タイ[10]に入った。

1976年は全英オープンから帰国してすぐで時差ボケや疲労で体力的に参った鈴木に大差をつけていたが、鈴木に18番の連続バーディーで68で追いつかれ、プレーオフに持ち込んでの逆転勝ち[11]を許している。

1989年関西プロ[12]を最後にレギュラーツアーから引退。

主な優勝

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  • 1971年 - 九州オープン

脚注

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  1. ^ a b 第29回日本オープンゴルフ選手権(1964年)”. www.gorfdendou.jp. 2023年10月7日閲覧。
  2. ^ 第30回日本オープンゴルフ選手権(1965年)”. www.golfdendou.jp. 2023年10月14日閲覧。
  3. ^ a b JGA 日本ゴルフ協会【日本オープンゴルフ選手権競技】”. jga.or.jp. 2023年10月14日閲覧。
  4. ^ 第34回日本オープンゴルフ選手権(1969年)”. www.golfdendou.jp. 2023年10月14日閲覧。
  5. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】門司ゴルフ倶楽部。アマ中部銀次郎がプロを破った1967年、西日本オープン「前編」”. golfdigest-play.jp. 2023年10月7日閲覧。
  6. ^ 「BSCCの歴史」ブリヂストンカンツリー倶楽部公式ウェブサイト”. 2024年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月4日閲覧。
  7. ^ 1971年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2023年10月7日閲覧。
  8. ^ 1975年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2023年10月7日閲覧。
  9. ^ 1976年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2023年10月7日閲覧。
  10. ^ 1978年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2023年10月7日閲覧。
  11. ^ 鈴木規夫/NoRioSuZuKi”. www.instagram.com. 2024年7月19日閲覧。
  12. ^ 柳田 勝司選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年10月7日閲覧。

外部リンク

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