森丘覚平
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森丘 覚平(もりおか かくへい、1874年(明治7年)5月19日[1] - 1927年(昭和2年)12月1日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(憲政会)[2]。富山県会議員、同議長。富山県政界元老[3]。族籍は富山県平民[1][4]。勲四等瑞宝章[2]。
人物
[編集]富山県下新川郡大布施村(現・黒部市)出身[3]。先代・森丘覚平の長男[1]。1877年、家督を相続した[1]。慶応義塾に学び[1][2]、1912年に特選[5]。明治中期から郡会議員、同副議長、次いで富山県会議員、同参事会員、議長を歴任した[3]。1912年以来衆院議員当選3回[3]。桜庄銀行、生地銀行各取締役[2]、魚津銀行、北陸人造肥料各監査役なども務めた[1][3]。
『富山日報(後に他3社と統合し北日本新聞となる)』の社長、憲政会富山支部長など政界・言論界で活躍したほか、村農会を創立し会長となる。地方森林会議員、郡教育会副会長[6]。
家族・親族
[編集]- 森丘家
- 父・覚平(富山平民)[4]
- 妻・とみ(1877年 - ?、富山、寺崎治七の妹)[4]
- 男・一雄(1898年 - ?)[4][7]
- 二男・次郎(1901年 - ?)[4]
- 四男・四郎(1906年 - ?)[4]
- 五男(1912年 - ?)[4]
- 長女(1909年 - ?)[4]
- 二女(1915年 - ?)[4]
- 三女(1917年 - ?)[4]
- 親戚
- 鹿熊久安(富山県会議員、富山県農会長、新小川温泉社長)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』も18-19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月19日閲覧。
- ^ a b c d e 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』433頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『政治家人名事典』536頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』も20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月19日閲覧。
- ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 大正13年』567頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月19日閲覧。
- ^ 『富山大百科事典』北日本新聞社、1994年
- ^ a b 『人事興信録 第11版 上』カ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 大正13年』慶応義塾、1924-1942年。
- 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。