鹿熊久安
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鹿熊久安 かくま ひさやす | |
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生年月日 | 1882年8月17日 |
出生地 |
富山県下新川郡山崎村 (現・朝日町) |
没年月日 | 1944年3月1日(61歳没) |
称号 | 功七級金鵄勲章 |
子女 | 長男・鹿熊安正 |
親族 | 孫・鹿熊正一(富山県議会議長) |
宗教 | 真宗 |
下新川郡会議員 | |
山崎村長 | |
富山県会議長 | |
鹿熊 久安(かくま ひさやす、1882年(明治15年)8月17日[1] - 1944年(昭和19年)3月1日[1])は、日本の実業家、政治家。参議院議員や富山県議会議長を務めた鹿熊安正の父。富山県議会議長を務めた鹿熊正一の祖父。
人物
[編集]富山県下新川郡山崎村(現・朝日町)出身[1]。鹿熊勘右衛門の三男[2][3]。1898年、家督を相続した[2]。日露戦役に出征し功七級金鵄勲章を賜った[3]。農業を営んだ[4]。
富山県会議員、同議長、富山県下新川郡山崎村長[2]、富山県下新川郡会議員[5]、新小川温泉社長[2]、泊銀行頭取[3]、高岡銀行監査役[2]、富山県農会長[2]、県森林組合連合会長などを務めた[1]。
村長として機械の導入や用水発電、産業組合の結成など近代化策を進めた[6]。宗教は真宗[2]。住所は富山県下新川郡山崎村[2]。
家族・親族
[編集]- 鹿熊家
- 父・勘右衛門[2]
- 妻・ともい(1889年 - ?、富山、野崎吉郎の二女)[2]
- 男・安正[2](1927年 - 2019年、政治家)
- 二女・しか(1902年 - ?、富山、森丘一雄の妻)[2]
- 三女・まつゑ(1907年 - ?、富山、細川政之助の妻)[2][7]
- 五女(1912年 - ?)[2]
- 六女(1914年 - ?)[2]
- 七女・登代(1919年 - 2008年、富山、長勢甚正の妻)[2]
- 女(1923年 - ?)[2]
- 十女(1925年 - ?)[3]
- 十一女(1930年 - )[3]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d 鹿熊 久安とはコトバンク。2017年2月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第14版 上』カ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年2月2日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 上』カ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年2月3日閲覧。
- ^ 『富山県壱万円以上実業家資産名鑑と銀行会社便覧 大正11年7月現在』71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年2月6日閲覧。
- ^ 『朝日町誌 歴史編』、1984年発行、268ページ
- ^ 『富山大百科事典』北日本新聞社、1994年。
- ^ a b 『人事興信録 第13版 下』ホ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 北日本実業奨励会編『富山県壱万円以上実業家資産名鑑と銀行会社便覧 大正11年7月現在』若越書院、1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。