松平斉省
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政6年1月28日(1823年3月10日) |
死没 | 天保12年5月16日(1841年7月4日) |
改名 | 紀五郎(幼名)、斉省 |
戒名 | 隆章院殿普協誼禮大居士 |
官位 | 従四位上侍従、大蔵少輔、少将 |
藩 | 武蔵川越藩世嗣 |
氏族 | 徳川将軍家→結城松平家 |
父母 |
徳川家斉、本輪院 松平斉典 |
兄弟 |
清湛院、徳川家慶、徳川敦之助、峰姫、 徳川斉順、浅姫、徳川虎千代、元姫、 徳川斉明、文姫、徳川斉荘、盛姫、 池田斉衆、溶姫、和姫、斉民、末姫、 喜代姫、徳川斉温、斉良、永姫、 徳川斉彊、斉善、蜂須賀斉裕、斉省、 斉宣、泰姫ら26男27女 |
妻 |
松平直温娘・鉚 池田斉政娘 |
松平 斉省(まつだいら なりさだ)は、江戸時代後期の武蔵国川越藩の世嗣。官位は従四位上・侍従、大蔵少輔、少将。
生涯
[編集]11代将軍・徳川家斉の二十五男として誕生。12代将軍・徳川家慶の異母弟。正室は松平直温娘・鉚、継室は池田斉政娘。
文政8年(1825年)、川越よりも実高の多い領地へ転封を画策していた川越藩主・松平斉典の養子となる。斉典には跡継ぎとなるべき男子があったが、それを抑えての養子縁組だった。
多額の借財を抱えていた藩財政を打開するため、斉典は大御所家斉の周辺に働きかけて国替えを画策した。幕閣のみならず、斉省の実母・お以登の方(本輪院)を通じて大奥にも工作し、出羽国庄内藩への転封を命ずる幕命を出すことに成功した。川越藩が庄内藩に転じ、庄内藩・酒井家は越後国長岡藩に、長岡藩・牧野家は川越藩に転封する三方領地替えと呼ばれる。しかし、思いがけず庄内領民の反対運動が起こり、大御所家斉と斉省が相次いで死去したため、幕命撤回という結末となり、転封は取り止めとなった。