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村川堅太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村川 堅太郎
人物情報
生誕 (1907-04-13) 1907年4月13日
日本の旗 日本東京都
死没 1991年12月23日(1991-12-23)(84歳没)
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 西洋史
研究機関 東京大学
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村川 堅太郎(むらかわ けんたろう、1907年4月13日 - 1991年12月23日)は、日本の西洋史学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。

経歴

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出生から修学期

1907年、東京帝国大学教授・村川堅固の長男[1][2]として東京浅草に生まれた。成蹊中学浦和高等学校を経て、東京帝国大学西洋史学科に進んだ。1930年に卒業[3]

西洋古典学研究者として

卒業後は、第一高等学校教授となった。1940年、東京帝国大学助教授に就任[4]。戦後の1947年に教授昇格。1968年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。1967年に日本学士院会員に選出された[5]

1970年1月7日には講書始の儀で進講者をつとめ、「アリストテレスと歴史学」を講義した[6]。1991年に死去。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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父に続いて西洋史研究を進め、ラテン語辞典編纂Thesaurus Linguae Latinae編纂などを通して、日本における古代ギリシャ、ローマ研究の基礎を築いた。その著作は『村川堅太郎古代史論集』(1993年)としてまとめられている[7]

家族・親族

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著書

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単著
著作集
  • 『村川堅太郎古代史論集』(全3巻) 岩波書店 1986 - 1987
  1. 古代ギリシアの国家
  2. 古代ギリシア人の思想
  3. 古典古代の社会と経済
編著・共編著
翻訳
記念論集

参考文献

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  • 伊藤貞夫「村川堅太郎先生追悼」『西洋古典学研究』第40巻、日本西洋古典学会、1992年、195-197頁、doi:10.20578/jclst.40.0_195NAID 110007382843 
  • 村川夏子「〔講演記録〕村川堅固・堅太郎がのこしたもの」『国文研究』第55巻、熊本県立大学日本語日本文学会、2010年4月、35-51頁、CRID 1050001339170776704 

脚注

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  1. ^ 第0261話・鵠沼文化人百選024(村川堅固・堅太郎)
  2. ^ 伊藤貞夫 1992
  3. ^ 『官報』第1000号、昭和5年5月3日、p.76
  4. ^ 東京帝国大学 編『東京帝国大学一覧 昭和15年度』東京帝国大学、1941年、429頁。 
  5. ^ 日本学士院(物故会員)
  6. ^ 村川東大名誉教授ら三氏がご進講 講書始の儀『朝日新聞』1970年(昭和45年)1月7日夕刊 3版 9面
  7. ^ 伊藤貞夫「村川堅太郎先生追悼」
  8. ^ 村川堅太郎・堅固を語る
  9. ^ 文庫化にあたり橋場弦の解説が付されている。
  10. ^ 驚くことから歴史学は始まる:村川堅太郎著『オリンピア 遺跡・祭典・競技』橋場弦解説(webちくま)
  11. ^ 遺著で、伊藤貞夫・長谷川博隆 編
  12. ^ 増田義郎解説
  13. ^ 解説:ギリシア喜劇の歴史的背景。