日本カーバイド工業
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種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
略称 | NCI |
本社所在地 |
日本 〒108-8466 東京都港区港南二丁目16番2号 |
設立 | 1935年10月8日 |
業種 | 化学 |
法人番号 | 6010401038624 |
事業内容 | 電子・機能製品事業、フィルム・シート製品事業、建材関連事業、エンジニアリング事業 |
代表者 |
代表取締役社長 代表執行役員 杉山孝久 代表取締役 副社長執行役員 井口吉忠 |
資本金 | 7,797,898,752円 |
発行済株式総数 | 941万9659株 |
売上高 |
連結43,231百万円 (2024年3月期) |
営業利益 |
連結849百万円 (2024年3月期) |
純利益 |
連結999百万円 (2024年3月期) |
純資産 |
連結34,623百万円 (2024年3月期) |
従業員数 |
単体510名、連結3,297名 (2024年3月末現在) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 有限責任監査法人トーマツ |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(12.14%) 株式会社日本カストディ銀行(4.86%) JPモルガン証券(3.17%) |
主要子会社 | ビニフレーム工業株式会社、株式会社三和ケミカル、株式会社北陸セラミック、ダイヤモンドエンジニアリング株式会社、恩希愛(杭州)薄膜有限公司、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (USA), INC.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (South Carolina), INC.、NIPPON CARBIDE INDIA PVT. LTD.、PT NIPPON CARBIDE INDUSTRIES INDONESIA、ELECTRO CERAMICS (THAILAND) CO., LTD.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (THAILAND) CO., LTD.、NCI (VIETNAM) CO., LTD.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIA DO BRASIL LTDA.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (NETHERLANDS) B.V.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES FRANCE S.A.S.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES ESPAÑA, S.A.U. |
外部リンク | https://www.carbide.co.jp/ |
日本カーバイド工業株式会社(にっぽんカーバイドこうぎょう)は、東京都港区に本社を置く日本の化学メーカーである。
概要
[編集]カーバイドとは、炭素と金属元素の化合物のこと。石灰岩から得られる生石灰と、コークス(炭素)を高温で熱して生成する。良質な石灰岩を安定的に調達でき、また生成に必要なエネルギーを豊富な水資源による水力発電から得られる富山県魚津市で、1935年に創業。当時、カーバイドを原料とするアセチレン誘導工業は、化学工業の最先端だった。
その後、化学工業の発展とともに事業内容を拡げ、現在ではコア技術であるセラミックス焼成技術、樹脂重合技術、フィルム・シート技術を軸に、機能化学品、機能樹脂、電子素材、フィルム、ステッカー、再帰反射シートなどの製造・販売を行っている。主に『ハイエス』(Heat shrinkable filmとHigh senceより命名)ブランドを使用している[1]。
東京都に本社、大阪市に支店、富山県魚津市と滑川市に工場、京都府に製造所、富山県滑川市に研究開発センターを置く。
現在、普及している人造イクラの製法は、医薬品用カプセルを開発中に偶然発見したものである(現在は製造していない)。
魚津工場には、2000年代まで石炭炉が存在しており、同工場のシンボル的施設で、周辺からはどこからでもよく見えたという[2]。
沿革
[編集]- 1935年
- 1936年
- 1937年12月 - ドイツのアーサーコッペル社製26t蒸気機関車2台を購入[9]。
- 1938年
- 1940年
- 1941年6月 - 本店を本社と呼称[15]。
- 1943年
- 1944年
- 1945年
- 1946年10月 - GHQの指令により魚津工場の合成ゴム工場が中間賠償工場に指定されるが、同年11月に轉換操業の継続の許可を受ける[22]。
- 1948年
- 1949年
- 1950年
- 1952年4月 - 通産省令により中間賠償工場の指定解除[22]。
- 1953年5月30日 - 魚津工場の汚水排水により地元漁民との間で紛争が起きる[28]。
- 1956年
- 1957年10月9日 - 魚津工場の塩化ビニール工場で爆発事故が発生(3人死亡、24人重軽傷)[31]。最終的に死者6人、重軽傷者20人となった[32]。
- 1959年
- 1961年11月26日 - 厚生会館が完成[35]。
- 1963年10月 - ハイエスフィルム開発班を編成[1]。
- 1964年9月18日 - ハイエス事業部発足[36]。
- 1966年8月20日 - 早月第一工場を早月工場に改称[37]。
- 1990年5月14日 - ふるさと創生事業を活用し、蜃気楼発生装置を開発[38]。
- 1994年 - 魚津工場の魚津駅専用鉄道を廃線[39]。同年、コネクター事業へ進出[40]。
- 2000年10月 - 社会人バレーボール・V1リーグ男子チーム(NCI)廃部。
- 2016年 - 早月工場内に研究開発センター/魚津・早月工場総合事務所を竣工(業務開始は翌年初)。栃木県佐野市、神奈川県平塚市にあった研究開発拠点を集約すると共に、魚津・早月工場の生産技術部門、管理部門、本社知的財産部門も同所に移転。
事業所
[編集]関連会社
[編集]- 株式会社三和ケミカル
- 株式会社北陸セラミック
- ビニフレーム工業株式会社
- ダイヤモンドエンジニアリング株式会社
- USK-Human株式会社
- 早月アスコン株式会社
- 株式会社デック建築研究所
- 早月生コン株式会社
- 北海道ライナー株式会社
海外の事業所・関連会社
[編集]- 恩希愛(杭州)薄膜有限公司(中華人民共和国)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (USA), INC. (アメリカ合衆国)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (South Carolina), INC.(アメリカ合衆国)
- NIPPON CARBIDE INDIA PVT. LTD.(インド)
- PT NIPPON CARBIDE INDUSTRIES INDONESIA(インドネシア)
- ELECTRO CERAMICS (THAILAND) CO., LTD. (タイ)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (THAILAND) CO., LTD.(タイ)
- NCI (VIETNAM) CO., LTD.(ベトナム)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIA DO BRASIL LTDA.(ブラジル)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIES (NETHERLANDS) B.V.(オランダ)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIES FRANCE S.A.S.(フランス)
- NIPPON CARBIDE INDUSTRIES ESPAÑA, S.A.U.(スペイン)
社史
[編集]- 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)
- 日本カーバイド工業株式会社30年史(1968年12月20日発行)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)136頁。
- ^ a b c d 『図説 魚津・黒部・下新川の歴史』(2000年6月28日、郷土出版社発行)212 - 213ページ『県東部の化学工業の中心』より。
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)287ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)25ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)17ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)17、25ページ
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)307頁。
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)288ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)197頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)154ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)289ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)154ページ
- ^ a b c d 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)58ページ
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)271ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式會社二十年史』(1958年2月15日、日本カーバイド工業株式会社発行)290ページ
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)28、309頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)310頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)310頁。
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)58、59ページ
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)294ページ
- ^ 『井波 歴史のうねり六〇〇年』(1990年4月1日、 千秋謙治著、井波町開町六〇〇年記念委員会発行)280 - 283頁。
- ^ a b 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)64ページ
- ^ 草卓人、『富山廃線紀行』、2008年(平成20年)8月、桂書房
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)312頁。
- ^ 日本カーバイド工業(MINKABU、2023年12月27日閲覧)
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)313頁。
- ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)280、298ページ
- ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)163頁。
- ^ 『北陸電力30年史』(1982年3月20日、北陸電力株式会社発行)554頁。
- ^ 『魚津市史 続巻現代編』(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)42ページ
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)108頁。
- ^ 『富山県史年表』(1987年3月20日、富山県編集・発行)363頁。
- ^ a b 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)317頁。
- ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川総務部企画情報課発行)53頁より。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)319頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)322頁。
- ^ 『日本カーバイド工業株式会社30年史』(1968年12月20日発行、日本カーバイド工業株式会社発行)323頁。
- ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)164頁。
- ^ 『魚津市史 続巻現代編』(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)163ページ
- ^ 『北日本新聞』1994年1月18日付朝刊6面『コネクター事業へ進出 OA機器のノイズ対策 年商30億円目指す 日本カーバイド』