新田長夫
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新田 長夫(にった たけお[1]、1914年(大正3年)12月9日[1] - 2005年(平成17年)3月5日)は、日本の実業家。ニッタ社長。大阪ゴム工業会相談役[2]。ニッタ創業者新田長次郎の孫[3]。ニッタ会長・新田長彦の父。
人物
[編集]大阪府大阪市出身。新田長三の長男[4][5][6]。1939年に大阪帝国大学工学部応用化学科を卒業[4][7]、新田帯革製造所に入社した[1][8]。1945年に新田ベルト、新田ゴム工業各取締役に選ばれ、ついで新田ゴム工業社長に就任[1]。
住所は大阪市浪速区芦原町[4]、堺市出島海岸通2丁目[6]、兵庫県西宮市上甲東園1丁目[1]・2丁目[9]。宗教は真言宗[4]。趣味は写真、ゴルフ[8]。
家族・親族
[編集]- 新田家
→詳細は「新田長次郎 § 家族・親族」を参照
- 祖父・長次郎[3](1857年 - 1936年) - 愛媛県温泉郡味生村山西(現・松山市山西町)出身で、製革業や関連事業を興し成功、「東洋の帯革王」と呼ばれた[10]。
- 祖母・ツル(1864年 - ?、大阪府人・井上儀助の二女)[4]。
- 父・長三[5][6](1888年 - 1964年、新田帯革製造所社長)[3][8] - 住所は兵庫県西宮市上甲東園1丁目[11]。
- 母・キヌ(1896年 - ?、東京士族、早田喜稔の妹)[3]
- 妹[4]
- 弟[4]
- 妻[8]
- 長女[8]
- 長男[8]
- 二女[8]
- 三女[8]
- 四女[8]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『現代財界家系譜 第1巻』376 - 377頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月31日閲覧。
- ^ 工業会の歩み、大阪ゴム工業会公式サイト。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』に6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 下』ニ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月19日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第15版 下』ニ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月21日閲覧。
- ^ a b c 『財界家系図』282 - 283頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月2日閲覧。
- ^ 『大阪帝国大学一覧 昭和14年』学士試験合格者 工学部274頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』に621頁。
- ^ 新田長夫氏死去/元新田ベルト社長、四国新聞社サイト。
- ^ 『現代発明家伝』210-220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年12月19日閲覧。
- ^ 『税務署が作った名士信用録 東京・大阪・名古屋 1962』大阪338頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月31日閲覧。