新田愛祐
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新田 愛祐(にった あいすけ[1]、1892年(明治25年)8月3日[1] - 没年不明)は、日本の実業家。新田ベニヤ工業社長[1]。日本皮革工聯理事長[2]。父は新田帯革製造所(現・ニッタ)創業者の新田長次郎。
経歴
[編集]大阪府平民、新田帯革製造所社長・新田長次郎の四男[3][4][5]、あるいは五男[1][2][6][7]。1913年、東京高等工業学校応用化学科を卒業[1][2][8]。
新田帯革北海道工場長、新田ベニヤ十勝工場長、日本畜産増殖、新田化学工業、新田帯革製造所各代表、日本皮革工聯理事長、新田膠質工業顧問、新田産業取締役、新田ベニヤ工業、日新ボード、新田産業各社長などをつとめる[1][9]。
人物
[編集]新田宗一、新田長三、新田昌次の弟である[2]。会社重役である[2]。1921年、分家する[2]。
趣味は蹴球[7]、競馬、読書[2][9]。宗教は真言宗[2][7][9]。東京在籍で、住所は渋谷区豊分町[2](現在の渋谷区広尾2丁目[1])、品川区大井庚塚町[9](現在の品川区大井)。
家族・親族
[編集]- 新田家
- 妻・孝(1897年 - ?、三重、河村清兵衛の二女)[2]
- 長男・祐一(1919年 - ?、慶應義塾大学経済科卒業、新田ベニヤ工業社長)[9]
- 二男・裕二[1][2](あるいは祐二[9]、1921年 - ?、北海道出身[9]、帯広獣医畜産専門学校(現・帯広畜産大学)卒業[9]、新田ベニヤ工業取締役、同常務)
- 三男(1927年 - )[2]
- 四男(1929年 - )[2]
- 五男・知也[2](馬主、千葉新田牧場、1931年 - )
- 六男・宏行[2](ニッタクス社長、1932年 - )
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『現代財界家系譜 第1巻』376 - 377頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『人事興信録 第14版 下』ニ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年7月31日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第3版』に10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月22日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第7版』に6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年7月31日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第6版』に6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月30日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第8版』ニ10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月30日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第13版 下』ニ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年3月12日閲覧。
- ^ 『東京高等工業学校一覧 従大正5年至大正6年』応用化学科卒業者91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第15版 下』ニ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
- 『東京高等工業学校一覧 従大正5年至大正6年』東京高等工業學校、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 『現代財界家系譜 第1巻』現代名士家系譜刊行会、1968年。