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播美奥人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

播美 奥人(はみ の おきひと、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣。氏は、名は息人とも記される[1][2]官位従五位上大倭国介

出自

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延喜式』に近江国伊香郡、波弥神社があり[3](現在の滋賀県東浅井郡湖北町速水、伊香郡木之本町余呉町など諸説あり)、「ハミ」はその地名によるものと思われる[4]

経歴

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孝謙朝天平勝宝3年(751年)7月、近江国甲可郡司正六位上近江少掾として、国判を加えている[5][6]。同年の近江国司解にも署がある[7]。同4年(752年)4月、正六位上、近江少掾として大仏開眼会に唐散楽頭を奉仕した[8]。同7歳(755年)8月、日下部古麻呂とともに従五位下に昇叙。同8歳(756年)6月の東大寺図に大倭国介・従五位下とあり、同9歳(757年聖武上皇の一周忌に、日下部子麻呂・下毛野稲麻呂県犬養小山守小野東人多治比土作藤原宿奈麻呂藤原魚名石上宅嗣百済足人らともに従五位上に昇叙している。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第十九、孝謙天皇 天平勝宝7歳8月13日条
  2. ^ 『東大寺要録』巻二
  3. ^ 『延喜式』巻10神祇10「神名帳下」20
  4. ^ 岩波書店『続日本紀』3補注19 - 二八
  5. ^ 『寧楽遺文』下巻659頁
  6. ^ 『大日本古文書』巻三 - 514頁
  7. ^ 『寧楽遺文』下巻660頁
  8. ^ 『東大寺要録』巻二供養章三

参考文献

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関連事項

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