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食三田次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

食 三田次(はみ の みたすき、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位下西市正

出自

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古事記』に武内宿禰の子、波美八代宿禰を、波美臣の祖として伝えており[1]天武天皇13年(684年)11月に、波弥臣に朝臣の姓を賜うとある[2]

経歴

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孝謙朝天平勝宝9歳(757年聖武上皇の一周忌に、同9歳(757年)5月、川原凡益田縄手大蔵家主土師犬養土師弟勝上毛野真人とともに従五位下に昇叙している。以後、藤原仲麻呂政権で順調に出世したものと思われ、淳仁朝天平宝字3年(759年)7月、西市正。翌4年(760年)正月、田口大戸大原継麻呂とともに内位従五位下に叙せられている。以降の記録は存在せず、藤原仲麻呂の乱における去就も明確ではない。

官歴

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続日本紀』による

脚注

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  1. ^ 『古事記』孝元天皇段
  2. ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇13年11月1日条

参考文献

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関連事項

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