土師乙勝
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土師 乙勝(はじ の おとかつ、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓は宿禰。名は弟勝とも記される[1]。勤広参・土師甥の子[2]。位階は外従五位下。
経歴
[編集]孝謙朝の天平勝宝9歳(757年)聖武太上天皇の一周忌に、一族の土師犬養とともに外従五位下に叙せられた[1]。
膳大丘とともに、善珠の弟子であった常楼と親交を結び、仏教以外の外教に関する書物を教授した。常楼が20歳になる頃(天平宝字4年〔760年〕頃)にこの学習の成果が現れ、周囲から認められたという[3]。天平勝宝3年(759年)以前、あるいは膳大丘の入唐期間(天平勝宝4年(752年)から天平宝字5年(761年)中に常楼と交際していたとみられ、乙勝はかなりの学識を有していたと想定される[4]。
官歴
[編集]『続日本紀』による