持明院基保
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 建久3年(1192年) |
死没 | 弘長3年5月26日(1263年7月3日) |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 持明院家 |
父母 | 父:持明院保家、母:高階泰経の娘 |
兄弟 | 基保、俊保、家時、家任、親任、尊基、行愉、玄基、松殿忠房室 |
子 | 養子:保藤 |
持明院 基保(じみょういん もとやす)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。権中納言・持明院保家の長男。官位は正二位・権中納言。
経歴
[編集]正治元年(1199年)従五位下。その後左近衛少将、美濃守、内蔵頭、右兵衛督等を経て、貞応元年(1222年)に従三位・左兵衛督となり公卿に列せられる。
嘉禄2年(1226年)に正三位、天福元年(1233年)従二位・参議、文暦元年(1234年)に備前権守、嘉禎元年(1235年)に権中納言となるが、翌年に辞している。しかし、暦仁元年(1238年)には正二位に昇っている。
正元元年(1259年)に出家。松殿良嗣の子・保藤が養子となった。
系譜
[編集]外部リンク
[編集]- 持明院家(保家家系) - Reichsarchiv 〜世界帝王事典〜