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戸田氏常

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸田 氏常(とだ うじつね、元禄9年(1696年[1] - 寛延4年1月29日1751年2月24日))は、江戸時代後期の旗本寄合席美濃国大垣藩主家分家旗本牛洞戸田氏3代目当主。は氏常。通称は権之助、民部。父は戸田氏胤。母は保科正景の娘。正室は阿部正房の娘。実子は戸田氏香保科正盈保科正倫養子)、戸田氏休、娘(大久保忠恒継室)。石高美濃国大野郡新田3500石。

生涯

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兄三四郎が早世していたこともあり、元禄14年(1701年)に父・氏胤の跡を継ぎ、宝永2年2月1日1705年2月24日)に徳川綱吉へ初めて御目見えする。

享保4年7月22日1719年)に家臣が誤って、鷹狩中の徳川吉宗一行の進路妨害をしたことにより、同年9月20日(1719年)まで出仕停止となる。

元文6年(1741年)刊行の須原屋茂兵衛蔵版武鑑において御寄合衆に「駒込 戸田民部」と見える。

寛延4年正月29日死去。享年56。法名は實道。墓所は代々の葬地である駒込蓮光寺

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜記載の享年からの逆算

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第14』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、続群書類従完成会、1964年昭和39年)初版)
    • 寛政重修諸家譜 巻九百十五
  • 『改定増補 大武鑑 中巻』(橋本博、1965年、名著刊行会)