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大久保忠恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大久保 忠恒
時代 江戸時代
生誕 享保9年(1724年
死没 享和3年(1803年
別名 平助、彦左衛門(通称)、南寧、英瓊、玉甃(号)
墓所 杉並区理性寺
幕府 江戸幕府 書院番
主君 徳川吉宗徳川家重徳川家治徳川家斉
氏族 大久保氏
父母 父:大久保忠備、母:町田氏
先妻:妻木頼直の娘
後妻:戸田氏常の娘
娘(島田直矩妻→布施正世妻)、忠和、亀之助、娘(大久保忠順妻)
養子:忠恕[1]、忠致[2]忠順[3]
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大久保 忠恒(おおくぼ ただつね)は、江戸時代前中の旗本大久保忠備の嫡男であり、大久保忠教(彦左衛門)の玄孫にあたる。通称は彦左衛門。

延享元年11月2日(1744年12月5日)跡を継ぎ、同年12月11日に徳川吉宗にお目見え。同月21日書院番士に就く。宝暦6年(1756年)7月末に番を辞し、寛政元年8月5日(1789年9月23日)に致仕した。しかし、忠恒は跡継ぎにめぐまれず、本家筋の一門の忠順を婿養子として跡を継がせた。旗本でありながら余技で絵を良くし、南蘋派風の作品が幾つか知られている。

作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
柳ニ叭々鳥図 紙本著色 1幅 112.8x47.9 個人 1778年安永7年) 款記「戊戌歳孟冬勝葵瓊寫」/印文不詳白文方印・「印文文詳」(印)
鶴亀図 絹本著色 双幅 90.4x32.3(各) 個人 1783年天明3年) 右幅:款記「癸卯歳青陽 葵瓊勝南寧寫」/印文不詳白文方印・印文不詳白文方印
左幅:款記「癸卯歳青陽 葵瓊勝南寧寫」/印文文詳白文方印・印文文詳白文方印
Seated Tiger 絹本著色 1幅 106.05x55.88 ミネアポリス美術館 1786年(天明6年) 款記「丙午歳閏十月初三 葵瓊勝南寧寫」

脚注

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  1. ^ 小幡藩松平忠恒の次男。
  2. ^ 西端領本多忠栄の五男。
  3. ^ 小田原藩主大久保忠方の三男・忠章の子。

参考文献

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