広島連続保険金殺人事件
広島連続保険金殺人事件(ひろしまれんぞくほけんきんさつじんじけん)は、1998年(平成10年)10月と2000年(平成12年)3月に広島県で発生した保険金殺人事件。
事件の概要
[編集]1998年10月、生コン会社の会社役員であった男Oは、広島県広島市佐伯区の会社敷地内で養父の頭を鈍器で殴り殺害。交通事故に装って保険金約6000万円を手に入れた。さらに2000年3月1日[1]、Oは妻に睡眠導入剤入りのお茶を飲ませて風呂場で殺害、事故(水死)を装うために宇品港付近の海岸に遺体を遺棄。保険金300万円を手に入れた[2]。
裁判
[編集]2005年(平成17年)4月27日、広島地方裁判所(岩倉広修裁判長)は「心の底から反省しているとは言い難い」として被告人Oを求刑通り死刑とする判決を言い渡す。2007年(平成19年)10月16日、広島高等裁判所(楢崎康英裁判長)はOによる控訴を棄却する判決を宣告した。2011年(平成23年)6月7日、最高裁判所第三小法廷(大谷剛彦裁判長)は「犯行態様は非情で刑事責任は極めて重大。死刑を是認せざるを得ない」としてO側の上告を棄却する判決を言い渡した。これにより、Oの死刑が確定した[3]。
2022年(令和4年)9月27日時点で[4]、Oは死刑確定者(死刑囚)として広島拘置所に収監されている[1]。
Oの息子の活動
[編集]被害者遺族と加害者家族の両面を有するOの息子(被害者である妻との間の息子)は、以下のようにたびたびメディアで採り上げられている。
まず、被害者遺族の立場から、弁護士会の死刑廃止シンポジウムにおいて「被害者遺族である自分が求めない加害者の死刑に意味があるのか。人の数だけ答えは違うと思う」[5]とコメントしたり、大学の講義で「遺族が望まない死刑って何なのでしょう」[6]と述べたりしている。
他方で、加害者家族の立場から、自身が人殺しの息子として差別を受けて非行に走った経験を基に、「差別の実態というものを知ってもらって、数あるうちのほんの一つかもしれないが、差別を行う人々の考えが変わることにつながればと思う」[7]とコメントしている。
脚注
[編集]- ^ a b 年報・死刑廃止 2022, p. 237.
- ^ 養父・妻殺害に死刑 保険金狙い事故装う『朝日新聞』2005年4月27日夕刊 4版 19面
- ^ “広島市で養父と妻殺害、死刑確定 最高裁、上告を棄却”. 日本経済新聞 (2011年6月7日). 2022年7月28日閲覧。
- ^ 年報・死刑廃止 2022, p. 243.
- ^ 朝日新聞2012年11月11日名古屋版31面
- ^ 朝日新聞2012年6月8日34面
- ^ https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/707664?display=1
参考文献
[編集]刑事裁判の判決文
- 広島高等裁判所第一部判決 2007年(平成19年)10月16日 、平成17(う)115、『詐欺、窃盗、有印私文書偽造、同行使、殺人、死体遺棄被告事件』、“ 本件は(1)会社の清算人であった被告人が、会社の清算方法を巡って対立していた代表清算人の養父を交通事故を装って殺害することを計画し、養父の頭部を鉄アレイで殴打した上、自己が運転する車の助手席に乗せ、車を高速でコンクリートブロック壁に衝突させて殺害し、保険金詐欺を行った、(2)妻から離婚されると思い、いっそのこと妻を殺害しようと決意し、浴室で妻を湯に漬けて殺害し、その死体を岸壁から海中に遺棄し、妻が誤って転落したと偽って保険金を詐取した等の事案について、原審が言い渡した死刑判決は、(1)量刑が重過ぎて不当であり、(2)憲法に違反するという理由で被告人が控訴したところ、量刑は不当でなく、死刑制度は憲法に違反しないとして、控訴を棄却した”。
- 最高裁判所第三小法廷判決 2011年(平成23年)6月7日 、平成19(あ)2275、『詐欺、窃盗、有印私文書偽造、同行使、殺人、死体遺棄被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(広島の養父・妻殺害事件)」。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金、深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『加藤智大さんの死刑執行 年報・死刑廃止2022』(第1刷発行)インパクト出版会、2022年10月10日。ISBN 978-4755403248。 NCID BC17102998。国立国会図書館書誌ID:032411605・全国書誌番号:23787981 。