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広島女学院中学校・高等学校

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広島女学院中学校・高等学校
地図北緯34度23分52.8秒 東経132度28分1.1秒 / 北緯34.398000度 東経132.466972度 / 34.398000; 132.466972座標: 北緯34度23分52.8秒 東経132度28分1.1秒 / 北緯34.398000度 東経132.466972度 / 34.398000; 132.466972
過去の名称 広島女学会
私立英和女学校
広島女学院高等女学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人広島女学院
校訓 CUM DEO LABORAMUS
(我らは神と共に働く者なり)
設立年月日 1886年
創立者 砂本貞吉
共学・別学 女子校
中高一貫教育 完全一貫制
課程 全日制課程
単位制・学年制 中学は学年制、高校は単位制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード C134310000024 ウィキデータを編集(中学校)
D134310000102 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 34509B
中学校コード 340235[1]
所在地 730-0014 
広島県広島市中区上幟町11-32
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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広島女学院中学校・高等学校(ひろしまじょがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、広島県広島市中区上幟町にある私立女子中学校高等学校

上部学校に広島女学院大学がある。

解説

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1886年に砂本貞吉が開設し、アメリカから来日した宣教師のN・B・ゲーンスによって教育の基盤が整備された。国際交流や平和活動に力を注いでいる。2006年、長年にわたる平和活動が評価され学校法人としては初の谷本清平和賞を受賞した。

女院(じょいん)と通称される中高一貫の私立女子校であり、中国地方では最も歴史の長いミッションスクールである。

完全中高一貫校であるため、高等学校での生徒募集をしていない。2010年には、中学校舎と繋がっていた旧高校校舎は取り壊され、運動場側に新高校校舎が建設された。

象徴

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校句

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「CUM DEO LABORAMUS(我らは神と共に働く者なり)」(新約聖書コリントの信徒への手紙一 3章9節)

校章

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校章の盾型は新約聖書の聖句「信仰の盾」(エフェソの信徒への手紙6章16節)を象徴している。1932年に校名を「広島女学院」と改称するとともに、現在の校章に改められた[2]

校歌

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作詞は加藤史子、作曲は津川主一。歌詞は1942年4月に生徒から提出された案から、在校生だった加藤(旧姓:近藤)史子のものが選ばれた[3]

校花

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アヤメ。校章にもデザインされている[3]

制服

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制服は自身も卒業生でデザイナーの藤川浩子がデザインした。リボンは中学生は華やかなルビーレッド、高校生はジルコニアブルーで知的な印象になっている[4]

所在地

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  • 〒730-0014 広島市中区上幟町11-32

沿革

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著名な出身者

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関連校

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最寄駅

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脚注

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  1. ^ 広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2020年10月10日閲覧。
  2. ^ 教育理念 – 広島女学院中学高等学校”. 2022年9月9日閲覧。
  3. ^ a b 校歌と校章|広島女学院同窓会”. www.hjgaines.com. 2022年9月9日閲覧。
  4. ^ 制服・年間行事 – 広島女学院中学高等学校”. 2022年9月9日閲覧。
  5. ^ 官報』 1943年4月14日

関連項目

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外部リンク

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