学校法人福岡女学院
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学校法人福岡女学院 | |
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法人番号 | 5290005001266 |
創立者 | ジェニー・ギール |
理事長 | 片野 光男 |
所属学校 |
福岡女学院大学 福岡女学院看護大学 福岡女学院短期大学 福岡女学院中学校・高等学校 福岡女学院幼稚園 |
所在地 | 福岡市南区曰佐3丁目42-1 |
ウェブサイト | 学校法人福岡女学院 |
プロジェクト:学校/学校法人の記事について Portal:教育 |
学校法人福岡女学院(がっこうほうじんふくおかじょがくいん、英語:Fukuoka Jo Gakuin)は福岡県福岡市南区曰佐(おさ)3丁目に本部があるミッション系の学校法人。
概要
[編集]19世紀、アメリカのプロテスタント教会は海外伝道のため、多くの宣教師を世界各地に送り出した。メソジスト監督派教会女性海外伝道協会は1879年、エリザベス・ラッセルとジェニー・マーガレット・ギールを長崎へ派遣した[1][2]。目的は女子のためのミッションスクールの設立であった。ギールは長崎でラッセルによる活水学院の創設をサポートした[3]。1884年、福岡にメソジスト教会ができたのを機に福岡にうつり、1885年、英和女学校を創設した[4][5][6]。1919年に開校した福岡女学校の前身である。今日では福岡女学院大学・短期大学部、福岡女学院看護大学、福岡女学院中学校・高等学校、福岡女学院幼稚園において、キリスト教精神にもとづいた女子教育を行なっている[7]。
教育方針
[編集]めざす人間像:イエス・キリストにつながれて、愛をもって神を畏れ 隣人と共に生き、豊かに実を結ぶ人間。
学院聖句:わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
(ヨハネによる福音書 15章5節)
歴史
[編集]- 1879年 ジェニー・ギールがエリザベス・ラッセルとともに来日した。
- 1885年 ジェニー・ギールが因幡町に英和女学校を創設し、初代校長をつとめた。
- 1888年 天神町に校舎を新築した。
- 1912年 福岡英和女学校と改称した。
- 1917年 私立福岡女学校と改称した。
- 1919年 薬院に校舎を新築した。福岡女学校と改称した。
- 1921年 制服(セーラー服)を制定した。
- 1945年 福岡大空襲で校舎の大部分が焼失した。
- 1947年 (新制)中学校が開校した。
- 1948年 (新制)高等学校が開校した。法人名、学校名を福岡女学院と改めた。
- 1955年 曰佐に福岡女学院幼稚園が開園した。
- 1960年 中学校、高等学校が曰佐の新校舎に移転した。
- 1964年 福岡女学院短期大学が開学した。
- 1990年 小郡市に福岡女学院大学が開学した。
- 2002年 福岡女学院大学のキャンパスを曰佐に移転した。
- 2008年 古賀市に福岡女学院看護大学が開学した。
設置校
[編集]- 福岡女学院大学
- 福岡女学院大学短期大学部
- 福岡女学院看護大学
- 福岡女学院中学校・高等学校
- 福岡女学院幼稚園
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 齋藤元子「米国メソジスト監督派教会女性海外伝道協会による明治期の日本における文書活動一雑誌『常磐』を中心として一」『ウェスレー・メソジスト研究』第2巻、教文館、2001年。
- ^ 齋藤元子『女性宣教師の日本探訪記―明治期における米国メソジスト教会の海外伝道』日本ウェスレー協会ウェスレー研究基金委員会、2009年。
- ^ 白浜, 祥子 (2003), 長崎 活水の娘たちよ--エリザベス・ラッセル女史の足跡, 彩流社, ISBN 4-88202-852-2
- ^ “特集 JM ギール”. 福岡女学院 資料室ジャーナル. 2022年3月3日閲覧。
- ^ “創立の礎:福岡女学院”. 青山学院大学ソーパー・プログラム. 2022年3月3日閲覧。
- ^ “Founder of Fukuoka Jogakuin – Jennie Margaret Gheer (1846-1910)”. The United Church of Christ in Japan. 2022年3月3日閲覧。
- ^ 福岡女学院幼稚園は男子の教育も行なっている。
- ^ a b “学院の概要”. 学校法人福岡女学院. 2022年3月9日閲覧。
- ^ “福岡女学院の歴史”. 学校法人福岡女学院. 2022年3月9日閲覧。
- ^ “福岡女学院とは About”. 福岡女学院中学校・高等学校. 2022年3月10日閲覧。