住友大阪セメント
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(川崎セメントから転送)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
大証1部(廃止) 5232 2013年7月12日上場廃止 |
略称 | SOC |
本店所在地 |
日本 〒105-8641 東京都港区東新橋一丁目9番2号 汐留住友ビル20階 |
設立 | 1907年(明治40年)11月29日 |
業種 | ガラス・土石製品 |
法人番号 | 5010001023779 |
事業内容 | セメントの製造販売、石灰石の採掘など |
代表者 |
代表取締役社長 諸橋央典 代表取締役兼専務執行役員 土井良治 |
資本金 | 416億5400万円 |
発行済株式総数 |
4億1,743万2,175株 (2017年3月31日現在) |
売上高 | 単体 1,559億円、連結 2,452億円(2019年度) |
純資産 |
連結:1,958億69百万円 (2017年3月31日現在) |
総資産 |
連結:3,367億90百万円 (2017年3月31日現在) |
従業員数 | 単体 1,243、連結 2,896人(2023年3月末現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 10.13% 日本カストディ銀行(信託口) 7.08% (2017年3月31日現在) |
主要子会社 |
和歌山高炉セメント 八戸セメント |
関係する人物 | 岩崎清七(創業者) |
外部リンク |
www |
住友大阪セメント株式会社(すみともおおさかセメント)は、日本のセメントメーカーである。
セメント販売は太平洋セメント、UBE三菱セメントに次いで国内3位である。
前身の住友セメントが住友グループ、大阪セメントが三和グループに属していたが、現在はこれら2社の合併により住友グループに所属する(大阪セメントは合併でみどり会を脱退した)。住友グループ広報委員会及び白水会に属する企業である。
主力製品・事業
[編集]- 建材事業
事業所
[編集]本社・支店・研究所
[編集]本社
支店
- 札幌支店 - 札幌市中央区北3条西2丁目10-2
- 東北支店 - 仙台市青葉区中央4-6-1
- 東京支店 - 東京都港区東新橋1-9-2 汐留住友ビル20階
- 北陸支店 - 石川県金沢市堀川新町2-1
- 名古屋支店 - 名古屋市中村区名駅南2-14-19
- 大阪支店 - 大阪市北区堂島浜1-4-4
- 四国支店 - 香川県高松市丸の内4-4
- 広島支店 - 広島市南区稲荷町4-1
- 福岡支店 - 福岡市博多区博多駅前1-2-5
研究所
工場
[編集]セメント工場
建材工場
- 建材工場 - 大阪市大正区南恩加島7-1-49
石灰石事業所
石灰石鉱山
[編集]- 唐沢鉱山 - 栃木県佐野市(唐沢鉱業所)
- 岐阜鉱山 - 岐阜県揖斐郡大野町
- 伊吹鉱山 - 滋賀県米原市
- 多賀鉱山 - 滋賀県犬上郡多賀町
- 秋芳鉱山 - 山口県美祢市(山口事業所)
- 小倉鉱山 - 北九州市小倉南区
沿革
[編集]磐城セメント(住友セメント)
[編集]- 1907年(明治40年)11月29日 - 磐城セメント株式会社を設立。
- 1908年(明治41年)9月 - 四倉工業所を新設。
- 1925年(大正14年)7月 - 日出セメント株式会社を合併、同社湊工場を湊工業所とする。
- 1926年(大正15年)7月 - 鈴木セメント株式会社を合併、同社工場を東京工業所とする。
- 1928年(昭和3年)2月 - 東京工業所操業休止。
- 1939年(昭和14年)2月 - 東京工業所閉鎖、設備は台湾へ売却。
- 1940年(昭和15年)12月 - 富国セメント株式会社を合併、葛生工場を継承。
- 1941年(昭和16年)
- 1月 - 湊工業所を八戸工場、四倉工業所を四倉工場、葛生工場を栃木工場に改称。
- 11月 - 七尾セメント株式会社を合併、同社七尾工場を継承。敦賀セメント株式会社を合併、同社敦賀工場を継承。豊国セメント株式会社を合併、同社門司工場を苅田工場とする。
- 1943年(昭和18年)9月 - 常陸セメント株式会社を合併、同社日立工場を継承。
- 1947年(昭和22年)10月 - 常陸工場を常陸セメント株式会社として再分離。
- 1948年(昭和23年)
- 2月 - 敦賀工場を敦賀セメント株式会社として再分離。
- 3月 - 苅田工場を豊国セメント株式会社として再分離。
- 1949年(昭和24年)5月 - 東証一部に上場。
- 1950年(昭和25年)11月 - 東洋セメント株式会社を合併、同社小倉工場を継承。
- 1954年(昭和29年)7月 - 浜松工場新設。
- 1960年(昭和35年)3月 - 川崎セメント株式会社を合併、同社大垣工場を岐阜工場とする。
- 1963年(昭和38年)5月28日 -福島セメント株式会社並びに住友石灰工業株式会社を合併。
- 1963年(昭和38年)
- 6月 - 田村工場操業開始。
- 10月1日 - 住友セメント株式会社に社名変更。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 本店を栃木県安蘇郡葛生町大字葛生715番地より東京都台東区北稲荷町13番地に移す。
- 1966年(昭和41年)
- 6月 - 滋賀興産株式会社を合併、同社彦根工場および多賀工場を継承。
- 9月 - 赤穂工場新設。
- 1975年(昭和50年)
- 7月 - 七尾工場・多賀工場閉鎖。
- 12月 - 赤穂工場を赤穂第一工場に改称。
- 1976年(昭和51年)
- 2月 - 赤穂第二工場操業開始。
- 8月 - 小倉工場を東洋セメント株式会社として再分離。
- 1977年(昭和52年)
- 8月 - 八戸セメント株式会社を設立。
- 9月 - 八戸工場を八戸セメントへ譲渡。
- 1983年(昭和58年)3月 - 四倉工場操業休止。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)9月 - 四倉工場閉鎖。
- 1987年(昭和62年)4月 - 赤穂第一工場と赤穂第二工場を統合し、赤穂工場発足。
- 1994年(平成6年)5月 - アンデスセメント共同事業が解散。
日出セメント
[編集]鈴木セメント
[編集]- 1890年(明治23年)8月 - 鈴木セメント製造所操業開始。
- 1904年(明治37年) - 鈴木セメント合名会社に改組。
- 1918年(大正7年)11月 - 鈴木セメント株式会社が発足。
- 1919年(大正8年)4月 - 鈴木セメント株式会社が合名会社を合併。
- 1926年(大正15年)7月 - 磐城セメントに合併。
七尾セメント
[編集]- 1926年(大正15年)11月 - 磐城セメントの子会社として、七尾セメント株式会社設立。
- 1929年(昭和4年)4月 - 七尾工場操業開始。
- 1941年(昭和16年)11月 - 親会社の磐城セメントに合併。
富国セメント
[編集]- 1936年(昭和11年)2月 - 富国セメント株式会社設立。
- 1937年(昭和12年)9月 - 磐城セメントの子会社となる。
- 1938年(昭和13年)4月 - 葛生工場操業開始。
- 1939年(昭和14年)12月 - 富山セメント株式会社(1938年10月設立)を合併、同社二見工場(1938年10月操業開始)を継承。
- 1940年(昭和15年)
- 11月 - 二見工場閉鎖。
- 12月 - 磐城セメントに合併。
東洋セメント
[編集]初代
- 1934年(昭和9年)5月 - 東洋セメント工業株式会社設立。
- 1935年(昭和10年)8月 - 小倉工場操業開始。
- 1943年(昭和18年)6月 - 工場を宇部興産株式会社が買収。
- 1947年(昭和22年)2月 - 工場返却。
- 1949年(昭和24年)8月 - 東洋セメント株式会社に社名変更。
- 1950年(昭和25年)11月 - 磐城セメントに合併。
2代
- 1976年(昭和51年)8月 - 合理化のため、住友セメント小倉工場を分社化し発足。
- 1984年(昭和59年)
- 3月 - 小倉工場操業休止。
- 9月 - 住友セメントなど7社とアンデスセメント共同事業を設立。
- 11月 - 東洋セメント解散、小倉工場閉鎖。
川崎セメント
[編集]滋賀興産
[編集]- 1933年(昭和8年)8月 - 昭和セメント株式会社設立。彦根工場操業開始。
- 1939年(昭和14年)5月 - 親会社の日本石綿盤製造株式会社(現・ノザワ)が吸収合併。
- 1944年(昭和19年)
- 7月 - 小野田セメント製造株式会社(後の小野田セメント)が彦根工場を買収。
- 10月 - 野沢石綿興業に社名変更。
- 1947年(昭和22年)3月 - 彦根工場返却。
- 1949年(昭和24年)4月 - 野沢石綿セメント株式会社に社名変更。
- 1960年(昭和35年)
- 3月 - 東亜セメント株式会社を設立。
- 6月 - 東亜セメント多賀工場操業開始。
- 1965年(昭和40年)12月 - セメント製造部門を住友セメントへ譲渡する準備として、滋賀興産株式会社を設立。
- 1966年(昭和41年)
- 1月 - 滋賀興産が野沢石綿セメント彦根工場を継承、東亜セメントを合併し営業開始。
- 4月 - 住友セメントが滋賀興産を合併。
大阪セメント
[編集]大阪セメントは、ライオン印のライオンセメントとして有名であった。
- 1888年(明治21年) - 大阪窯業株式会社設立。
- 1917年(大正6年)6月 - セメント工場(大阪工場)を新設。
- 1926年(大正15年)12月 - 大阪窯業のセメント部門が独立し、大阪窯業セメント株式会社発足。
- 1936年(昭和11年)8月 - 大阪窯業耐火煉瓦株式会社(現・ヨータイ)を設立。
- 1945年(昭和20年)8月 - 戸畑工場新設。
- 1948年(昭和23年)11月 - 戸畑工場閉鎖。
- 1949年(昭和24年)5月 - 東証一部に上場。
- 1952年(昭和27年)7月 - 伊吹工場新設。
- 1960年(昭和35年)6月 - 横浜工場(クリンカー加工工場)新設。
- 1961年(昭和36年)12月 - 高知工場新設。
- 1963年(昭和38年)7月 - 大阪セメント株式会社に社名変更。
- 1977年(昭和52年)4月 - 横浜工場閉鎖。
- 1984年(昭和59年)9月 - 日本セメント株式会社、第一セメント株式会社、明星セメント株式会社と共同で、セメント共同販売会社の大日本セメント共同事業株式会社を設立。
- 1994年(平成6年)5月 - 大日本セメント共同事業が解散。
住友大阪セメント発足後
[編集]- 1994年(平成6年)10月 - 住友セメントと大阪セメントが合併、住友大阪セメント株式会社となる。
- 1996年(平成8年)3月 - 彦根工場閉鎖。大阪工場でのセメント製造を停止。
- 1998年(平成10年)5月 - 電気化学工業とセメント事業で業務提携。
- 1999年(平成11年)11月 - 宇部三菱セメント株式会社とセメント物流事業で業務提携。
- 2000年(平成12年)3月 - 田村工場閉鎖。
- 2003年(平成15年)3月 - 伊吹工場でのセメント生産を停止。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 石灰石採掘事業を分離して滋賀鉱産株式会社を設立[1]。
- 2006年(平成18年)3月28日 - 岐阜工場の製品輸送を鉄道輸送からトラック輸送に転換。
- 2024年(令和6年)4月1日 - 同日株式取引分から日経平均株価の構成銘柄から除外。
グループ企業
[編集]2017年3月末現在、住友大阪セメントグループは連結子会社37社、持分法適用関連会社2社で構成されている。
主な連結子会社
[編集]セメント事業(製造)
セメント事業(輸送・販売など)
- エスオーシー物流株式会社
- 大窯ホールディングス株式会社
- タイヨウ汽船株式会社
- 和泉運輸株式会社
- スミセ建材株式会社
- 東海スミセ販売株式会社
- 北浦エスオーシー株式会社
- 泉工業株式会社
- 東京エスオーシー株式会社
- エスオーエンジニアリング株式会社
- 株式会社中研コンサルタント
鉱産品事業
建材事業
- 株式会社エステック
- 株式会社SNC
- 栗本コンクリート工業株式会社
光電子・新材料事業
- 株式会社スミテック
不動産・その他事業
- 住友セメントシステム開発株式会社
- 千代田エンジニアリング株式会社
持分法適用関連会社
[編集]- 八戸鉱山株式会社
代理店
[編集]脚注
[編集]- ^ 会社概要 - 滋賀鉱産
- ^ “「住友大阪セメント」の代理店66社 | メトリー”. metoree.com. 2022年8月10日閲覧。