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島津忠秀 (越前家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
島津忠秀
時代 鎌倉時代末期 - 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:豊後五郎
官位 左衛門尉大夫判官従五位下常陸
幕府 鎌倉幕府室町幕府
主君 守邦親王足利尊氏
氏族 島津越前家
父母 父:島津忠宗
忠継
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島津 忠秀(しまづ ただひで)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将歌人宇宿氏宇留氏信濃島津氏赤沼家の祖。

生涯

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信濃国赤沼郷に地頭職を有し、諏訪大社御射山祭の頭役も務めた。元弘3年(1333年)5月7日、足利高氏六波羅探題を攻撃した際には、六波羅探題方の将として太政官庁・神泉苑周辺を守る(『太平記』巻第九)。六波羅探題滅亡後は室町幕府に帰順したと考えられ、康永4年(1345年)、天龍寺供養の際に導師夢窓疎石の天蓋の執綱を務めた「島津常陸前司」(『同』巻第二十四)も忠秀と考えられる(杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』第6章)。

祖父・島津忠景、父・忠宗と同じく和歌の才に恵まれ、『続千載和歌集』、『続後拾遺和歌集』に入集。『武家百人一首』にも採歌されている。

作品

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  • いにしへの 野中の清水くまねども 思ひ出てぞ袖ぬらしける (『続千載和歌集』雑下・『武家百人一首』)